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       鈴木マサホひとくち日記 
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2011年4月

                 


雲の上の青い空 4月24日ー4月30日
●4月30日(土)

 午前中、聖護院の吉川病院へ。自転車で転倒したときの手首の痛みが多少あったので、とりあえず診察を受けることにした。レントゲンをとってもらったところ、小骨?がちょっと剥離しているとのこと。ギブスをはめるのもちょっと大げさなので包帯を巻く。5月15日の吉田氏子講社の祭りで剣鉾を差すつもりなのでそれまでには直したいな。

 昼、新日本プロレス共同企画の平岡君が来所。業界も近頃はたいへんみたいやな。6月4日(土)午後6時からKBSホールでジュニアタッグリーグ戦。チケット欲しい人はご連絡を。

 午後は、アバンティホールで梶寿美子さんの「私の見つけた琴の道」と題したコンサート。1955年にヘレン・ケラーが来た時に花束贈呈をしたという。琴の演奏とおしゃべり。

 一部の休憩時間で抜けて平安女学院は、東日本大震災―被災地復興応援チャリティー講演会。講演者は、「千の風になって」の新井満さん。高校3年生の時、新潟地震の体験者。そのときの経験を語り、また「千の風になって」を熱唱。

 新井満さんの「雲の上の青い空」と題した詩。

 「苦しいとき、悲しいとき、あまりのつらさにくじけそうになったとき、ぼくはふと立ち止まり、空を見上げる。そうして灰色の雲の上に広がる真っ青な空を想う。ゆうゆうと吹きわたる風を想う」。

 夜、久しぶりに友人らと「サントロペ」などで痛飲。


●4月29日(金)

 4月29日は連合京都のメーデーの日。京都中央メーデーで宇治市の太陽が丘へ。京阪電車とシャトルバスでおよそ家から2時間弱。スローガンは「災害復興支援―希望と安心の社会 笑顔で元気をとりもどそう」。細田会長の主催者挨拶の後、山田知事、門川市長、山井和則民主党府連会長らととも久保田宇治市長が挨拶。当選できなかったメンバーも含めて自治体議員も多く参加。知り合いの組合関係者に挨拶。

 帰途、京都市職退職者会の竹下さんと四条まで戻ってやっと餃子で昼飯。
 その後、前原議員と今後の2区総支部の運営のことで相談。

 夜は、沢田和也友の会の総会。音楽院を主宰されている沢田先生のお弟子さんたちやゲストでタレントの田淵岩夫さんや必殺仕事人に出ていた三島ゆり子さん。山内左京区長や元左京区長の斉藤力さんらと同席でわいわい。


●4月28日(木)

 昼、愚息も世話になった前川夫妻をはじめ食堂の面々に挨拶がてら久しぶりに鴨沂高校の食堂で昼飯。今も制服がないのはいいな。校長室にも立寄って山岸先生らとも懇談。同窓会長として学校評議員に今年も任命されることになった。

 午後、議員団室で雑務。政務調査費の提出。ビラの按分のことで市会事務局と相談。修正が必要かな。藤川君が資料の整理に来ていた。再起を望む。

 午後4時前、小雨降る中、三千院へ。不動大祭さくら・しゃくなげ祭とかで、石楠花が見ごろ。秘仏金色不動明王ご開扉され、不動百味供ということで、百味の飯食をお供えするとかで志野の辻さんがヨモギ餅のぜんざいを無料で振る舞い。ぼくもお相伴に預かる。

 夜は、笑いの内閣総統、高間響君と懇談。芝居の練習場所としていきいき活動センターを使っていることやプロレスの話や新しい仕事のことなど。がんばれよ!


●4月27日(水)

 10時から議員会。理事から京都党や無所属の議員が誕生したことで、議員団室の部屋割りのことや、5月市会の日程などの報告。今枝議員が最年長と言うことで、仮議長を務めることになるという。わが民主・都みらい議員団の部屋は、以前のままだが、共産党の部屋は小さくなるのかな。

 午後は、社団法人鴨沂会の奨学生を決める選考委員会と理事会。公益法人を目指して改革が進んでいて、数年前から高校生に奨学金を給付しようと各高校に案内を送った所、鴨沂高校をはじめ多くの高校生が申請をしてきた。成績や家庭の事情を鑑みて選考する作業。母子家庭や経済的な苦境の中でがんばっている生徒諸君にエールを送りたい。

 夜、この3月の予算市会総括質疑での議事録の議員レポート出来上がってくる。


●4月26日(火)

 昼前、吉村建設工業の吉村公一さんのお別れの会。京都府の建設業協会の副会長もされていたので業界や議員らも多く参列。また同志社出身と言うことで、校友会や大谷総長ら大学関係者の方も多い。
 ぼくは山岳部の後輩と言うことでお世話になった。会場の祭壇は、ヒマラヤの大きな写真を背景に、花がお花畑のように飾ってあって、そこに遺影があり厳粛に献花させていただく。山をこよなく愛されていたのだ。享年78歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

 午後2時からは、大原は「里の駅」の前のJA会館で大原駐在所落成式。大原の自治連会長や各種団体の人が揃われての式典。明治の後半から大原には駐在所があったという。昭和の時代に建てられた駐在所も老朽化して、地元の人から土地の寄付もあり竣工した。若い駐在さんが、奥さんと幼児と家族一緒に住んで大原の防犯活動に当たることになる。凛々しく決意表明。そして竣工なった駐在所前で記念撮影。

 夕方から夜には事務所で政務調査費の使途明細を打ち込む作業。  


●4月25日(月)

 終日事務所で雑務。午後、選挙の収支報告書を提出するために左京区役所へ。新庁舎への引越しで職員らがバタバタしているところ。4トン車で延べ200台とか。

 5月の連休明けから松ヶ崎の新庁舎が開所することになる。収支報告書も提出してやっと一息。次は、政務調査費の提出準備やね。


●4月24日(日)

 久しぶりに早起きをして大原の朝市へ。大原で開催した演説会のときに来ていただいた方々など、みなさんから「よかったですね」と声をかけていただく。お世話になったみなさんにご挨拶。
 江文峠を越えて静原の朝市も尋ねる。橋本さん手作りのうどんを賞味。桜の花が散って風に舞っていた。

 午後、チェルノブイリ25周年の集いに参加しようと思って自転車で走っていたら、車道から歩道に乗り上げる時にスリップして前のめりに突っ込んで転倒。かっこ悪いよ。近くに自転車屋さんがあってハンドルを直してもらって事なきを得たが、右手首にちょっと違和感。捻挫をしたかな。

 されど御所を通り抜けて会場のYWCAに着いたら外まで多くの人が会場に入れずに路上まであふれている。路上で出会った友人と暫し話して、帰途に着く。福島原発の事故のことが心配なのだ。いずれ改めて原発問題を考える勉強会を開催しようと思う。

 夜は、領収書を貼ったりして選挙収支報告書を仕上げる作業。ほぼ目途がつく。



選挙終わっての2週間 4月11日ー23日
●4月23日(土)

 選挙から15日後には収支報告を選挙管理委員会に提出することになっているので、カミさんと作業。エクセルに打ち込んで項目別に分け、領収書を貼る作業など。

 夕方、わが選挙対策委員会の総括会議。40人ほどのメンバーが集まってくれて勝利を喜ぶ。

 メンバーの某氏は、東日本の大震災の影響で選挙活動の自粛ムードの中で、なおかつ民主党政権への批判の中での厳しい選挙戦であったが、昨年春からの10回を超える市政懇談会の開催とビラ撒きや、上高野、岩倉での支持者の拡大、前原後援会の強力な応援、またシルバーパワーの威力が大いに発揮され、チームワークもよかったことなどが、勝因であろうと、と分析。ぼくにとっては7回目にして初めての高位当選でした。今後は、市民派議員として、市民の側に立ち、行政の代弁者になることなく、人間死ぬまで勉強だと叱咤激励もされた。みんなありがとう!これからが正念場だ。
 
 解散後、街中の錦水館での毎年恒例の同志社民俗学研究会・竹田ゼミの同窓会。宴会は終わって部屋での二次会に合流。1968年の入学で同じクラスだった面々と顔を合わす。みんな喜んでくれたよ。彼らと出会って42年だ。


●4月22日(金)

 昼、山内左京区長と異動で新しく副区長になった辻副区長と懇談。新総合庁舎のオープンを連休明けに控えて引越しがたいへんみたい。今年度に実施する左京の諸事業や区役所跡地のことなど色々と意見交換。辻副区長は、長く総務課の議事係りに在籍していたので旧知の仲。がんばってや!

 午後から事務所にこもってカミさんと選挙の収支報告書作成の作業。


●4月21日(木)

 昼過ぎ、自習ネット「英語広場」を主宰している阪東君が来所。太陽光発電の里親制度について政策提案を聞き実現に向けて議論。面白いアイデアやな。ちょっと体調を崩しているようだが、早く元気になってほしい。

 その後、宝ヶ池地域の環境を守る会のメンバーと関西電力の関係者との話し合いに同席。福島原発の事故を受けて福井県の高浜や美浜原発の安全性のことや地震対策について説明会をしてほしいという要望。されど関西電力は新聞広告を出したが、説明会の開催などしたくないようだ。市民の不安に応えるべきだと思うが、いかがなものか。

 夜は、第二次統一自治体選挙で奮闘している西川博司議員の応援弁士で宇治市へ。小倉の住宅地にある小さな集会場での演説会。久保田宇治市長も応援弁士に。ぼくと同世代で、水問題やウトロの問題に取組んできた西川議員とも長い付き合いになった。民主党への逆風下だが、がんばってほしい、と20分ほど応援演説。帰途、国道筋で久しぶりにパチンコ。勝ちましたがな。


●4月20日(水)

 午前中、市原野の元自治連会長の中村さんと消防局の防災危機管理室を訪ねる。災害時用に開発製造された備蓄燃料「燻華薪」(いぶした薪)を被災地に送れないかという相談。京都市から派遣された消防職員や市職員、また現地のボランティアの受け入れ体制など色々と話を聞く。京都市は政令指定都市として仙台へ特に人員を派遣しているが、さて、我々は何ができるのだろうか?
 午後は、事務所で資料の整理など。 


●4月19日(火)

 朝10時から議員会。大島仁新市会事務局長ら市会事務局の新旧メンバーの挨拶。初当選を果たした片桐君、松下君が初めて顔を見せたが、現職の安孫子和子さん、山本恵、藤川剛君の3人がいないので意気消沈モード。

 小林団長のもと今期の民主・都みらい議員団の役員人事。新団長には今枝議員に決定。副団長に山岸、代表理事には隠塚議員、意見書調整などする市会運営委員に2期目の山本ひろふみ議員と久しぶりにぼくがその役を担うことになった。新人のつもりでまあ1年間やってみようか。その後、机の上の資料整理など。

 夕方は、今枝議員のちゃんこ屋「横綱」で安孫子さん、山本恵、藤川君も参加して、これまでの議員団のメンバーで選挙のお疲れさん会。なんとなく暗い雰囲気でした。


●4月18日(月)

 午前中、吉田神社の例祭。総代や氏子講社の役員さんたちと参拝。選挙勝利のお礼を兼ねて厳粛に頭を下げる。直会では、お元気になられた鈴鹿隆男講社長が、鴨長明の「方丈記」に記されているという都を襲った地震の話をされたのが印象に残る。地元の長老のみなさん方に選挙のお礼。「よかったですね」とみなさんに喜んでもらえて感激もひとしお。夕方、決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にするための編集作業。


●4月17日(日)

 朝、祖霊社の横の社務所を新築する為の地鎮祭が執り行われる。宗教法人として大元講社が府から認可も受けた。剣鉾を収納することもできる施設として夏には完成の予定。午後は、ちょっと疲れが溜まっているのか、家で爆睡。夕方、選挙資料関係の整理など。また2月予算市会の報告をまだしていないので市民派議員レポートの原稿を書き始めるが、さてどうするか。また決算委員会と予算委員会での市長総括質疑を冊子にしようと考えた。


●4月16日(土)

 午前11時から動物園の「おとぎの国」の竣工式。日本で2番目に古い動物園の再整備の第一弾。レッサーパンダの園舎や子どもたちがヤギなどと触れ合える園舎ができた。園舎の上には遊歩道があり、東山などの景色も最高。

 午後、松ヶ崎の妙法の裾野に竣工した新左京総合庁舎の内覧会。市政協力委員のみなさんらと新築なった庁舎を見学。木の香りのする3階建ての広々としたスペース。大きな会議室もあり、保健センターも入って区民サービスの拠点になる。5月連休後に開所する。昨年2月市会でぼくが提案した交通アクセスの改善については、65系統の市バスが近くまで来るように路線が変更されてとりあえずよかった。

 その後、社団法人鴨沂会の理事会。この5月に開催される総会や会報のこと、教養講座のことなどが話題に。

 夕方、親父の誕生日なので、嵯峨野へ。老夫婦がケア付きマンションで暮らし始めてちょうど1年。おふくろも手術後1年余、順調に快復してほぼ元気になった。親父はマダラ症候群だが、かろうじて「正穂かいな?」といいながら、コップ酒で乾杯。まあ元気でなにより。92歳の誕生日でした。


●4月12日(火)-4月15日(金)
 
 選挙事務所の撤収作業をぼちぼちと始める。12日には、昼前、左京区長と川並左京選挙管理委員長が当選証書を持って選挙事務所に来所。うやうやしく受け取る。4年前は6月1日だったなあ、とふと思い出していた。感慨無量。

 連合京都など推薦いただいた主だった労組や各種団体などへ挨拶回り。市役所では門川市長や3人の副市長もちょうど在室されていて握手。また島内研君を伴って同志社大学へも挨拶に参上する。また近所を歩いているとたくさんの人から「おめでとうございます」と声をかけていただき感謝。14日に選挙事務所を閉めて、吉田の事務所に戻った。公職選挙法で、お礼の挨拶や手紙でのお礼も含めて禁止されているので、ご理解下さい。

 閑話休題。今回のわが選挙チームは平均年齢65歳ぐらいかな。定年退職したわが団塊の世代や高校の大先輩なども朝の街頭行動にも参加していただき、大いに盛り上げてもらった。前原議員をはじめ、前原後援会のメンバーも強力な応援部隊。わがカミさんも必死のパッチでした。

 ぼくも選挙中、気が張っていたこともあり、体調もすこぶる良くて、そして、何よりも前回のようにならない、断固勝利するぞ!と言う気迫で、最後までバテルことなくマイクを握り、走ることができた。また事務所内の揉め事もほとんどなく、個性豊かなオッサン、オバサンメンバーが待ち場持ち場で力を結集してくれた。そして街角で、また演説会場で、多くの方からご支援いただいた。ほんまに有難かった。新人のつもりで、初心に戻って7期目のスタートを切ります。


●4月11日(月)

 快晴の月曜日。心地よい疲れ。朝、吉田幼稚園の入園式。たくさんの新入園児が若い両親と一緒の入園式。法人の役員をさせていただいているので来賓でご挨拶。おじさんも7回目の入園式です、とあいさつしたら保護者の方から拍手していただいた。
うれしいことです。鬼の話をさせていただく。

 昼過ぎ、選挙事務所に。お祝いに来ていただける方が多数。お電話もたくさんいただく。ほんまに感謝です。ほんまに勝ててよかったなあ。

 午後、世話になった京都水道労組にまずは挨拶に。書記長らと喜びを分かち合うが、盟友の山本恵が落選して誠に残念。帰途、大石橋の山本恵の事務所に。スタッフのみなさんにお疲れさんでしたと声をかける。

 民主党への逆風が吹く中、中京区の安孫子和子さん、山科区の藤川剛君が落選したことが悔しい。再起を期してほしい。

 ところで選挙の結果だが、民主党は府会では2議席増になったのはよかった。京都市会では1議席減の13(4年前も13だったが、ぼくが繰り上げ当選したので14になった)。京都党が4議席、自民は1増の23議席。共産党が4議席減の15となって退潮。伏見区で2人の現職が落ちたのは痛手であろう。公明は12議席を堅持。みんなが1人、自民系の無所属が1。京都市会69の定数が決まった。さて、これから京都市会と京都市政はどういう展開になるかな?


選挙戦後編 5115票で4位当選 4月6日ー10日
◎4月10日(日)

 桜満開。午前11時過ぎわが母校近衛中学校へカミさんと投票に。受付事務がパソコンで名簿チェック、簡素化されて、近所の人は、立会人だけ。もちろん鈴木正穂、府会は島内研と書く。
 そして午後は、ひたすら選挙に行っていただきましたかと追い出しとお礼の電話。投票率は前回より落ちている様子。さて何票行けるかな、4年前の38票差で惜敗したことを思い出すが、この1年、そしてこの9日間の選挙戦を悔いのない闘いができたことで、満足感はあり、なんとか当選できるという思いはあれど、いつもながら開票結果がでるまで不安なものだ。

 午後9時過ぎに事務所に行き、スタッフとテレビで速報を見る。10時過ぎから開票が始まるが、民主は苦戦しているようだ。山科の藤川君、南区のわが盟友山本恵、中京の安孫子和子さんも届かず。がっくりくる。

 わが左京では、予想通り某候補には当確が早く出たが、開票集計は遅い。11時を回って今か今かと待っていたら、「当確がでたよ!」と電話で第一報。よっしゃ!よかった!当確が出ると次々にお祝いの電話をいただく。わが柿阪正夫後援会会長らと抱き合って喜びをかみしめる。ほんまにこの4年間、お世話になりました。
 最終集計5115票。4位の高位当選!

 そして「島内君も行けたぞ!」と事務長。やったね!共産党の候補を打ち破って、現職の北岡さんの上を行ったのにはびっくり。次々にお祝いに友人らが駆けつけてくれるが、震災を考慮して大騒ぎすることなく粛々とした勝利のセレモニー。ほっとした。

 一段落して島内事務所にもお祝いに駆けつけ、前原後援会の役員さんらと喜びを分かち合う。島内君もこの間色々とあったけれど、折れることなくようがんばったなあ。
 帰宅したのは2時前かな。うれしさがこみあげてきた。


◎4月9日(土)

 選挙戦最終日。ラストサタデー。泣いても笑っても今日が最後。
 昨年春からビラを撒き、市政懇談会を各所で開催し、多くの応援団に支えられてここまで来た。
 最後の一日悔いのない闘いをしようと、朝6時半から百万遍交差点に立つ。10人ほどのメンバーが小雨にも関わらずオレンジの旗を立てて気勢を上げる。大原へ選挙車を走らせて最後のお願い。

 正午には銀閣寺前交差点に松井孝治参議院議員が応援に駆けつけてくれて事務所スタッフも全員街頭に結集。
 午後1時には熊野神社交差点に島内研君も合流、前原議員も応援に。
 3時には岩倉中信前から岩倉を30人ほどで桃太郎作戦。上高野の葬儀場前には代表の井口さんら反対運動のメンバーも待ち受けていただいて激励していただく。国際会館前近くのライフ前で演説。
 午後6時、薄暮の百万遍交差点で演説。いささか興奮しているのと酸欠状態になっているのか、何を喋っているのかわからん状態。
 午後7時前には修学院駅前、前原事務所前で前原後援会の人たちの熱い応援の中で最後の街頭演説。
 それから午後8時、ちょうど銀閣寺前のわが選挙事務所前でご近所の人たちにお騒がせしたことを詫びつつマイク納め。30人ほどのスタッフと勝利を確信する。


◎4月8日(金)

 選挙戦8日目。朝、出町柳駅前交差点にて街頭行動。柿阪君が朝の5時ごろから場所取りをしてくれていた。桜も満開になってきて暖かい春の到来。季節は巡ることを実感する。10人ほどの応援団が一緒に立ってくれて心強い。
 昼前、前原議員がぼくの選挙カーに乗り込んでくれて、下鴨や松ヶ崎を1時間ほどマイクを離すことなくマイクマン。振り返る人や手を振ってくれる人が増えていよいよ終盤になって選挙モードが一気に盛り上がってきた。

 選挙が始まってから好天が続いていたが、午後になって小雨が降り始める。カッパを着込む。市原野では、自治連の元会長だった中村さんが先導していただいて細かく回り、貴船や鞍馬まで最後のお願いに足を伸ばす。
 
 夜は、松ヶ崎小学校で島内研君の個人演説会に合流。彼の地元である松ヶ崎の住民や前原後援会のメンバーが結集。ぼくにとっても選挙戦、最後の個人演説会ということで、大学の先輩・後輩でもあり父と息子同然、なんとしても二人を勝たしてほしいと演説。前原議員夫人の愛里さんも応援弁士に立ち、この間の大臣辞任のことなど色々な想いが錯綜したのか、ちょっと涙目だったのが印象的。


◎4月7日(木)

 選挙戦7日目。いよいよ終盤。岩倉は東宮田町交差点にて朝の7時から、わが応援団20人ほどのメンバーがオレンジ旗を立て、島内陣営も合流して朝立ち。
 午前10時から白川通を桃太郎作戦。銀閣寺前交差点スーパー大国屋前とイズミヤ前で前原議員が応援に駆けつけてくれる。通り過ぎる人も足を止めて聞き入り、車を降りると握手攻め。前原人気は健在。よかった!
 午後は、左京区役所前などでスポット演説。夕方の個人演説会の案内を兼ねて南部を回る。手を振ってくれる人が増えたかな。

 午後7時からわが母校、近衛中学校にて演説会。天気も良くて地元の吉田・聖護院の顔見知りの人たちが続々と来ていただく。星川副市長をトップバッターに、経糸の会の鶴山紳邇さん、寺田バレエアートスクールの高尾美智子さん、府会候補の島内研君、連合京都副会長のJR西労組京都地本委員長の小川寛さん、そして前原議員が応援弁士。
 4年前の演説会は副議長でもあったので市職員や労組の動員が多かったが、今年は圧倒的に地元を中心に左京区民が圧倒的に多い。250人ほどの参加者で元気が出る。気合を入れて、4年前のようにならないように最後までのご支援をお願いする。


◎4月6日(水)

 選挙戦6日目。朝、洛北高校前交差点で街頭行動。自民党の新人候補者と競合したが、反対の交差点で手を振る。応援団の数では圧倒。朝から駆けつけてくれるわが応援団は、わが団塊の世代を中心に高校の先輩など元気なシニア世代。ほんまに頭が下がる。
 街頭行動は、松ヶ崎や下鴨や養正を中心に回る。ちょっと声がかすれてきた。

 夜は、下鴨はマクリン幼稚園で個人演説会。園長先生の親戚の清水真一君はぼくが大学一回生の同級生のなつかしい友人だ。四国の郷里で元気にしているとのこと。参加者は20人ほどなので車座になって、肩肘張らずに、30歳の頃、近くのアパートの一室にあったロシナンテ社で、「月刊地域闘争」の編集をしていたことや、おふくろの実家が下鴨だったので、浪人時代に祖父母の家に下宿していたことなど披露しながら、福祉のことなど喋る。

 その後、上高野は旧びぜんギャラリー、ジェイファンでの島内研君の演説会に応援弁士として熱弁を振るう。広い会場は、前原後援会のメンバーを中心に熱気があった。

 9時過ぎから選対会議。門川市長が仙台への視察から帰ってきたところで、現地の状況や京都市から派遣された市職員の奮闘振りについて報告がてら、激励をしてくれる。
わが同世代の市長、ありがとう。


選挙戦 前編 4月1日ー5日

桜散り始めましたね。
民主党へ逆風の中、
 左京区は、定数9人、12人の立候補者の激戦
 5115票を得て4位で当選を果たしました。
 初心に戻って7期目のスタートです。
 4月15日からは吉田中大路町17-1の事務所に戻ります。
 電話 761-5537 
 

◎4月5日(火)

 選挙戦5日目。中盤に差しかかる。朝、7時過ぎから岩倉中信前の交差点で朝の辻立ち。オレンジ色のノボリ旗を立て、青いジャンパーを着たわが応援団が20人ほど結集。
 朝の街頭行動に間に合うべく寝坊しないように心がけ、選挙戦が始まって毎朝起床は6時過ぎ。選対会議が終わって、帰宅するのは毎晩11時前。ぼーとしながら一杯飲んで寝るのは12時半ごろかな。睡眠不足だが、気分が高揚しているから苦にならない。朝食はいつもは青汁一杯だけだが、この間、街頭演説の後、選挙事務所に戻って朝食はサンドイッチを2個食べて、昼飯は、もちろんきっちり食べて、休憩時間には差し入れのお菓子を食べ、夜はまた事務所で弁当を食べ、家に帰ったら一杯飲むので肥ってきたぞ。

 ともあれ、選挙戦は中盤になってきて、多陣営のウグイス嬢の声も大きくなっていたし、通り過ぎる子どもたちが手を振ってくれるようになり、ちょっと選挙モードになってきたかな。

 夜は、八大神社鳥居近くの上一乗寺集会場で個人演説会。この会場で演説会を開催するのは初めて。どのくらいの人が参加していただけるか不安だったが、八大神社の剣鉾の先輩たちも来ていただき、総勢15人。うれしいね。もちろん話題は、ぼくが60歳の手習いで剣鉾を差し始めたことや地域の伝統行事振興や防災における共助、地域力について喋る。


◎4月4日(月)

 選挙戦4日目。朝7時過ぎから出町柳駅前交差点で挨拶。わが応援団も10人ほどが結集、賑やかになってきた。多陣営も駅前で並んで挨拶活動。左京区唯一のターミナルなのでどうしてもかち合うのだ。

 その後、鞍馬、貴船に足を伸ばす。貴船では、野鳥の観察に熱心な人たちに遭遇。また料理旅館の女将さんたちがわざわざ出ていただき感謝。前原後援会幹事長の九谷さんの「きらく」でお茶をいただき元気百倍。

 午後、岩倉を回っていてハプニング発生。長谷団地での辻説法の後、選挙車の後ろのドアから7つ道具の一つ、街頭演説をするときの標旗が落ちたらしい。えらいこっちゃ!と青くなりながら、来た道を探しに回るが、見つからん。選挙管理委員会に電話をして対処を仰ぐ。交番に届けを出して、再交付をお願いすることに。前代未聞や。我ながら恥ずかしいこっちゃ。夕方左京区役所の選挙管理委員会に走って、宣誓書を書いて再交付。(二日後に警察に届けられたと言う)。

 夜は、岩倉花園公民館で個人演説会。満天の夜空を仰ぐ。西の空にオリオン座。地下鉄が開通して10年余。人口が増えた。一条山開発のこと、岩倉出張所の存続のことなど交えながら演説。地元自治連関係者の方にもご参加いただき20人ほどの参加者。某陣営の関係者も偵察に来ていたみたい。散会後、9時過ぎまで出町柳駅前で夜の挨拶行動。5人ほどのメンバーが付き合ってくれる。

◎4月3日(日)

 選挙戦3日目。朝7時過ぎ、上高野は花園橋へ。4月に入ったとはいえ、高野川を吹く風は冷たい。8時前まで手を振り8時から暫し葬儀場建設問題など演説。

 そして大原里の駅の朝市へ車を飛ばして、出店者や昨夜の公民館での演説会にご参加いただいた方にご挨拶。他の候補者の姿も見受けられた。
 
 午前10時には哲学の道散策の集いへ。桜は二部咲き程度。寒いこともあり、そして震災の影響か、閑散としている。主催者と区役所など関係者のみかな。弥勒院で山内区長らと女性会の接待による抹茶をいただく。去年は、人も多く、また知事選挙で山田知事と応援に嘉田滋賀県知事も来られて盛り上がっていた。浄土寺の各種団体のみなさんが義援金集めも。
 
 昼前から上高野周辺を個人演説会の案内を兼ねて回る。午後、カナート前などで辻立ち、そして旧ホリデーインホテル、アバンセェルホテルにて島内研君の演説会に参加。前原議員も応援に駆けつけ盛り上がる。
 午後4時から上高野防災会館にて個人演説会。葬儀場のこと、地震対策や原発のことなど喋る。宝ヶ池地域の環境を守る会の井口さんが応援弁士。

 その後、松ヶ崎、下鴨、養正など区内を小まめに回る。7時過ぎには街頭行動を切り上げる。夜の演説会はなし。8時ごろから選対をしてちょっと早めに帰宅。


◎4月2日(土)

 選挙戦2日目。朝、7時過ぎ、熊野神社交差点にて朝の街頭行動。朝の通勤ドライバーらに手を振る。8時になってマイクを握って30分ほど演説。わが応援団のメンバーも7、8人集まってくれて一緒に手振り。

 選挙事務所で一服してから、区内一円を「現職の市会候補、鈴木マサホです。立候補のご挨拶にやってまいりました」とマイクを握る。

 午後は、高野イズミヤ前などで辻説法。ときには商店街を歩いて握手作戦。

 午後4時過ぎから八瀬、大原を個人演説会の案内を兼ねて回る。

 夜は大原公民館にて島内研君との演説会に。寒い夜にもかかわらず、会場は大原の前原後援会の人たちなど、ほぼ満員の60人ほど。里づくりや森づくり、観光振興対策など話し、とりわけ消防署の出張所、公共下水道、簡易水道の移管のことなども話題に話す。


◎4月1日(金)

 朝、8時銀閣寺交差点西の選挙事務所へ。いよいよ本番だ。ポスターの届出番号は一番。出陣式には、50人ほどの参加者。ダルマの両目に小さく目を入れて必勝を誓う。公営掲示板のポスター貼りの部隊も集まっていただき選挙戦スタート。
 
 震災の影響を考慮して、大きな声を張り上げることなく、粛々と出発。立候補のご挨拶に伺いましたと、地元吉田、聖護院から回り始める。須賀神社で交通安全の祈願。午後は、下鴨から岩倉など区内一円を回る。事前の宣伝カーでの街頭行動を控えていたので、ウグイス嬢もぶっつけ本番。できるだけ音量を落としての街頭。
 
 ところどころで辻たち。亡くなった方々にご冥福を祈り、被災者へのお見舞いを言ってから、防災対策、地震対策などを中心にアピール。震災を考慮しながらの暗中模索の静かな選挙戦のスタート。

 夜は、田中神社にて個人演説会。冒頭に黙祷をして島内研府会候補の挨拶の後、原発問題にも触れる。20人ほどの方にご参加いただく。
 
 演説会後、出町柳駅前で京阪電車から叡山電車に乗り換える通勤客に「お疲れ様です」と、声かけ運動。久しぶりに会う友人にがんばれよ、と声をかけてもらって元気が出る。
 
 その後、選対会議。予定していた個人演説会の公営施設が抽選で取れなかったこともあり、演説会場変更や今後の街頭行動など方針を改めて確認。また推薦葉書の集まり具合やカルタ取りをして発送の準備作業。




鈴木マサホ事務所
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