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       鈴木マサホひとくち日記 
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2011年8月

                 



●8月31日(水)

         <地元の要望活動>

 午前中、京都大学へ。地元の町内から交通安全のために石垣の角を間仕切りして欲しいとの要望を伝えに行き協議。
 子どもたちの通学路でもあり、自転車のマナーも悪く、見通しも悪い所なのでなんとか改善できないかということ。担当の課長らに来てもらって、その旨を伝える。時間がかかると思うが、京都市の協力も得てなんとか実現したいな。

         <秋の祭りが近づいてきた> 

 夕方は、吉田今宮社の秋のまつりに向けての神事世話人会。もう祭りの準備だ。神輿は復活して30年かな?また剣鉾が復活して20年かな?年々賑やかになってきたが、色々と打ち合わせ。3年ほど前から京大の学生諸君も神輿担ぎに来てくれるようになったし、子ども剣鉾も子どもたちによる今宮太鼓も披露される。今年もぼくは剣鉾を差すよ!10月8日(土)が宵宮と十二提灯の巡行。9日(日)が神幸祭。剣鉾と神輿とお稚児さんたちの行列があるよ。

 民主党の政調会長の要職にわが2区の前原総支部長が就任。政府と民主党の間で民主党の政策をどうまとめて実現させるのか、期待してまっせ!


●8月30日(火)

        <民主党代表選挙一夜明けて> 

 民主党代表選挙の戦い済んで日が明けて、各紙朝刊京都版にはぼくのコメントが掲載されている。朝日新聞には写真付だ。早速、3人ほどの知人から新聞見たよ!と電話がある。前原議員が民主党の代表、即総理大臣になっていたら取材攻勢もたいへんやったやろうな、となんとなくほっとした。残念だけれど、ちょっとした安堵感。

 「どじょう」の野田新首相は松下政経塾の一期生で前原議員の先輩ということで、順番からしてまあそれでいいのではないかと思ったりして、まずは代表選挙に係わる前原議員の地元議員としての役割はひとまず幕が下りた。
 ともあれ、菅内閣が総辞職して、野田首相のもとで民主党はリセットして出直して欲しい。被災地の復興や原発事故の収束など課題が山積だ。ほんまにしっかりせえよ!

        <イエローカードはぼくらの旗印>

 閑話休題。午後久しぶりの読書。
 「イエローカードはぼくらの旗印」というタイトルで、電動車いすサッカーチーム「SONIC」のメンバーの1人、雄也君を主人公にした児童書。(京都新聞出版センター刊・沢田俊子さん著)。雄也君はぼくの地元で母校の第四錦林小学校に転入してきて近衛中学校で学んだ。彼の仲間の拓馬君は、ボーイスカウト24団のメンバー。
 京都の障害者スポーツセンターでの練習や試合にもぼくは応援に何回か行ったこともある。彼の生い立ちと「SONIC」の仲間たちのことが活き活きと描かれた秀作。
 吉田のまちのバリアフリー度を6年生の時に点検した感想も載っている。「バリアフリーのまちどころかバリアアリーのまちだった」と。なんとかしないかんな。ぼくの仕事や。みなさん、ぜひご一読ください。

 夕方、久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。奥歯に被せ物をすることにしようと吉田先生。
 夜、某組合の親睦会のことで打ち合わせで「ホテル平安の森」へ。いつもお世話になっている担当者と色々と交渉。よろしくね。


民主党代表選挙  8月28・29日
●8月29日(月)

     <民主党代表選挙>

 10時過ぎに前原事務所に。後援会の各会長と2区の府市会議員がテレビ中継を見ながら待機する。11時過ぎから候補者の演説が始った。
 トップは前原議員。献金問題についてのお詫びから始めざるを得ないのが、ちょっと辛いところや。馬渕議員は、とある研修会で講演を聞いたことがあるが、演説はそれなりに上手だと思うが、なんで田中角栄なんやね。海江田議員は、涙を流せばよかったのに。野田議員の「どじょうは金魚のまねができない、どじょうはどじょうの持ち味があり、泥臭く政治を云々」には、脱帽!かつて前原議員が菅さんと代表選挙のとき、自分の生い立ちを語って、国会議員の気持ちが動いたという逸話があるが、今回はノー原稿で喋った野田さんにやられましたな。

 海江田143票、野田102票、前原74票、鹿野52票、馬渕24票。ちょっと差がついた。一回目の開票結果で待機していた後援会のメンバーはがっくり。某後援会会長、「選挙で初めて負けたよ!」とテーブルに顔を伏せたのが印象的。決戦投票の開票を待たずに、後援会のメンバーは気落ちして事務所の裏口から退出。
 朝から待機していた某テレビ局の中継車も外を見たら引き上げていた。決戦投票になって、野田さんが逆転。なんと215票で海江田177票を圧倒。政権交代以降3人目の代表・首相に決まった。

 昼前から待機していた新聞記者にコメントをするべく、ぼくが地元議員を代表して記者会見。世論調査では、前原議員がダントツで支持率が高く、京都から首相誕生を期待していたが、それが反映されなかった。献金問題が尾を引いて、野党の追及されたくないという心理があったではないか。残念。これからも内閣なり党なりの要職についたら頑張って欲しい、などと喋った。暫くして奥さんの愛里さんから電話。「また陽が昇るときがくるよ!」とぼくはひとこと激励。

 4時前、岩倉南小学校の新築なった児童館に。2時から開所式が行われていたのだが、遅れてご挨拶に。金嶺会という社会福祉法人が指定管理者となった運営される。区画整理も終わり新築の家も多く建って児童数が急激に増えた。ようやく地元の要望が実現した。
 夜は、俳優の伊吹吾郎さんが来ているということで、とんかつの「羅生門」に呼ばれる。水戸黄門の撮影のエピソードやぼくは見たことがないがNHKの「すイエんサー」やまたギターの話で他のお客さんとも盛り上がる。気さくな人だった。

  
●8月28日(日)

 昨夜の市政懇談会が終わってぐったり。この夏は節電して冷房もせずに扇風機だけで寝ていたこともあり、ちょっと夏バテかな。午後2時過ぎまで爆睡。

 実は、札幌で政令指定都市政策協議会の役員会が札幌であったので、当初は行く予定をして飛行機のチケットまで予約していたが、代表選挙の絡みでキャンセルした。

 民主党の代表選挙は、結局のところ前原、海江田、野田、馬渕、鹿野の5氏が立候補した。小沢・鳩山グループに押された海江田氏が本命視されているが、テレビ報道によるとわが前原総支部長は野田さんにちょっと負けているのかな。決選投票になったら一発逆転もありそう。

 午後遅く、某週刊誌記者が前原議員のエピソードなど聞きたいと取材に来る。週刊誌は面白おかしく書くことが多いので慎重に言葉を選びながら、出会いから地元でのこの間の活動について話す。地域の消防団や運動会回りなど、こまめな地道な活動を続けて来ていることなど紹介。

 また前原事務所所長と前原後援会の幹事長らと、明日の投票日をどう迎えるかなど相談。京都から総理大臣が誕生することを期待しつつ、前原事務所で粛々とその時を待とうということになった。2区の府市会議員にその旨を連絡。バタバタする。

 それにしても国会議員だけで決めるわけで、我々は投票も具体的な応援も何もできないのが残念だ。


議員活動25年 夏の市政懇談会 8月25日ー27日
●8月27日(土)

    <議員活動25年目 夏の市政懇談会> 

「鈴木マサホを京都の未来を語ろう!議員活動25年目夏の市政懇談会」の日。スケジュールや座席表の点検をして3時過ぎにウエスティン都ホテルは瑞穂の間に。わが後援会のスタッフがテキパキと受付。およそ300人の方にご参加いただく。

 5時開会。冒頭は柿阪正夫後援会会長の挨拶でスタート。司会はいつものように文字裕子さん。来賓で公務多忙なか、山田啓二知事がトップバターでご挨拶いただき、門川大作市長に山岡景一郎平安女学院学長にもご挨拶いただく。

 そしてパワーポイントのスライドショーでぼくが髭をはやして最初の選挙に出た時の写真や本会議場での若々しいときの写真、「同和行政と制度疲労」と題して藤田敬一さんと対談した時や「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」などわが25年を振り返り、またこの春の選挙運動の様子や剣鉾や祭りの写真も入れ、この7月に開催した「脱原発社会を考える集い」の光景を写してぼくの想いを語った。

 鏡割りもして乾杯は今枝徳蔵団長。豊田府会議員、島内研府会議員、松下真蔵議員のスピーチも。ぼくは各テーブルを回って懇談。オールデイズのバンド「サーフシティ」の演奏も。ゲストの測量士の米谷さんも元気よく盛り上げてくれました。サンキュー。

 思えば遠くまで来たものです。30歳の時に初挑戦をして、38歳で3度目の正直で初当選。市民派議員としてデビューして、今年で7期25年目。社会党時代には除名、復党を経験。社民党から民主党になって12年かな。副議長になって有頂天になっていたら38票差で次点、奇跡の繰上げ当選したのが4年前。いやはや波乱万丈です。

 京都市政に対してぼくが提言してきたこと、変えてきたことをいまいちど点検しながら、7期目も元気で活動したいと決意しています。歩けなくなる。喋れなくなる。人の話が聴けなくなる。自転車に乗れなくなる。そうなったら潮時かな。62歳。まだまだ元気です。もうひとふんばりしますよ!
 みなさんありがとう。これからもよろしく!

 閑話休題。この間、色々と相談に乗っていた神楽坂近くの「タコのケンタロー」の店主らが主宰した夜店は大盛況とのことでした。来年はぼくももっと手伝うよ!


●8月26日(金)

      <雲ヶ畑路線バスの存続を!>

 11時には市役所へ。雲ヶ畑は志明院の田中真澄住職と雲ヶ畑自治連の波多野会長、そして石田紀郎市民環境研究所長の3人が京都バスの雲ヶ畑路線のバスの存続を願う4千人余の署名用紙を持参されて、水田交通政策監ら担当者と懇談。

 来年の4月に路線バスが廃止される予定になっているが、この間、地元との協議も行われてきているが、何しろ乗客数ががた減り。赤字路線で、先行きは不透明。ぼくも高校時代は山岳部でこのバスに乗って北山を歩いた。福祉の視点からもなんらかの方法で足を確保することが必要だと思う。

 午後は、ひたすら明日の市政懇談会参加者の名簿の点検とテーブル席を決める作業。
 
      <菅首相退陣、民主党代表選挙へ> 

 ニュースは、菅首相ついに退陣表明。よう粘らはりましたなあ。そして3日間での民主党代表選挙の始まり。世論調査では前原議員がダントツだが、海江田議員が小沢・鳩山グループの支援を得て本命か。民主党の国会議員たちが右往左往している様がテレビに映しだされるが、われわれ党員、サポーター、自治体議員にも投票権を与えよ!と声を大にして言いたい!

●8月25日(木)

      <前原議員、代表選挙に出馬>

 ぼくが幹事長を務めるわが民主党2区総支部長の前原議員が出馬表明をしたことで、各新聞記者から電話が次から次へとかかって来る。

 27日のぼくの議員活動25年夏の市政懇談会のテーブル表を作らないと行けないし、ゲストに前原議員を予定していたので、ビデオレターでもいいからメッセージがもらえないかと東京事務所に連絡をしたりでテンヤワンヤ。

 1年前は小沢・菅両氏の代表選挙を巡ってバタバタしていたし、その1年前は政権交代を賭けた衆議院選挙の終盤戦だった。

 とある新聞記者が事務所に。前原議員が代表に選出されることを見越しての取材を受ける。人柄やエピソード、奥さんの愛里さんのこと。

 振り返れば、ぼくが2期目の当選を果たした1991年に、28歳のときに無所属で府会議員に初当選。ぼくは当時社会党だったが、彼が日本新党から中選挙区で初当選したときから彼の選挙を応援してきている。出会って20年か。

 新京極のうなぎやでうなぎを食べたのを思い出し、2年前の京都会館での集会で、偽メール事件の永田議員の墓参にいったときの話をして涙目になったときのことなど話す。京都から首相が誕生すればすごいことだが、期待と不安が混じる。夜遅くまでかかってテーブル席をほぼ決める


教育福祉委員会で他都市調査 8月21日ー24日
●8月24日(水)

      <さいたま市の子ども医療費>

 浦和は緑豊かなまちの印象。昔、議員をしていた小沢遼子さんは今どうしているんやろう?とふと思いながら。さいたま市役所へ。さいたま市は大宮市や浦和市が合併して平成13年に誕生、15年に政令指定都市になった。

 冒頭に副議長がご挨拶いただく。子育て支援策としての子どもの医療費に関する施策について担当者から説明を受ける。さいたま市では、中学校卒業までの乳幼児、児童については、通院、入院費の全額を助成しているのだ。21年度決算では160万件でおよそ28億円の支出。京都ではとてもできることではないな。委員と担当者との質疑がイマイチ噛みあわなかったのがちょっと残念でした。

 さいたま市議会の本会議場も見学。市長以下、理事者が正面に座り、議員の各席にはマイクも付いていて、京都市会の本会議場とは大違い。本来は、さいたま市議会のようにあるべきなのだが、いますぐ改善はできないよな。

      <横浜市の学校給食について>

 昼前、浦和駅から京浜東北線でおよそ70分、横浜市役所へ。節電の影響で館内は薄暗く、昼休みは午後1時から2時までとのこと。民主党の議員団室に顔を出して政令指定都市政策協議会に来てくれたメンバーに挨拶。

 2時30分から、学校給食調理民間委託について教育委員会からの担当者から説明を受ける。中田市長の時、横浜は効率化を求めて行政の多くの分野で民間委託を進めてきた。
 学校給食もそのひとつで、平成15年から試行。22年度では354校のうち、125校が委託化されている。子どもたちに安全安心な給食を提供するために、効率化ばかりを優先して民間委託を進めるのはどうかとぼくは考えているが、横浜では定着してきているもの事実。
 学校栄養職員の役割りや学校と教育委員会の責任や問題が起きた時の対処など課題は大きい。また委託業者の水準のことなど心配事だね。4時前には質疑も終わったので、ぼくはひとり新横浜から帰京。

 夜は、前原議員の代表選挙出馬を受けて、ぼくは、二区総支部長の幹事長ということもあり、各新聞社からも電話での問い合わせも多く前原事務所の斎藤所長と対策を練る。29日の月曜日が代表選挙になるのだが、さてどうなるかな?


●8月23日(火)

   <教育福祉委員会で他都市調査・名古屋科学館> 

 教育福祉委員会の他都市行政調査で、高橋委員長他12名の委員が呉越同舟、まずは名古屋市科学館へ。
 築60年の建物を改築、今年3月に新館開館をした。夏休み中でもあり子供たちで大盛況。目玉は、なんといっても世界最大といわれるプラネタリウム。球状の外観の大きさに驚いた。担当者から説明を受けて質疑の後、プラネタリウム内に。ゆったりした座席で夜空を見上げる。名古屋で見れる夏の星座について丁寧な説明が館内に流れ、また惑星の動きなど大人が見ても楽しくて科学的な心が養われるひととき。
 ブラザー工業がネーミングライツとして年間3650万円で契約している。年間の100万にの来場者を予定しているが、理工館や生命館があり、水や竜巻、放電や極寒などのラボもあり子供たちに科学の楽しさを知る場所だ。京都の青少年科学センターは財政厳しいなかで色々と工夫されているが、ちょっと負けそう。

 3時過ぎの新幹線で東京へ。JR京浜東北で浦和市へ。随行の部長らも一緒に夕食。日頃は委員会で丁々発止をする他会派の委員と食事しながら懇談するのもたまにはいい。若い議員に講釈もしたりして遅くまで付き合った。最後は関東名物ホッピーで一献。

 で、前原誠司議員が民主党代表選挙に出馬表明ということで夜のニュースを期待していたら、島田紳介引退記者会見が大ニュースでびっくり。なんや突然!ナニワ突撃隊で若いタレントが活躍する「クイズ!紳介くん」でのトークは楽しかったが、暴力団がらみでの引退か。


●8月22日(月)

 午前中、新たに農業法人を立ち上げて就農をしようと計画している農業塾のメンバーと一緒に京都市農業委員会に。過日も相談に行っているが、その後の経過報告など。

      <心の家族 故郷の家>

 昼は、社会福祉法人「心の家族・故郷の家」の田内(尹)基理事長と久しぶりに会食。出会って6年ぐらい経過するのかな。東九条に「故郷の家」がオープンして3年かな。韓国で孤児たちを育てたお母さんの田内千鶴子さんの生誕100周年がもうすぐとかで、国連で「世界孤児の日」を制定する運動とか、また留学生会館の建設の夢を語られる。長年、社会福祉と日本と韓国の架け橋としてエネルギーを費やされてきた。そのバイタリティーに敬服する。韓国や日本の政治情勢についても色々と懇談。

 夕方の来客は、とあるマンション管理組合のメンバー。バス停設置や緑地帯のことで相談に。京都市の担当局の考え方などを伝えて、少し時間を置くことを提案。
 夜は、ビープロジェクトの高橋美充さんに来てもらってパワーポイントでの「25年の軌跡」作成の手伝いをお願いする。 


●8月21日(日)

      <下大路町の地蔵盆>

 朝方、猛烈な雨。今日はわが自宅のある下大路町東部の地蔵盆。9時過ぎ雨も止んで陽が差して暑い。
 近くの善正寺のご住職が念仏をあげに来られる。畏まって子供たちは日蓮宗のお経を聞いている。幼児にとってお経を聞く機会がほとんどないと思うが、地蔵盆は仏法に接する数少ない機会かな。
 その後は、輪投げやゲーム大会で、今年の当番のお母さんたちはたいへんだけれど子供たちも多くなって活気があって楽しそうでした。

       <バレエ「白雪姫」>

 午後は、京都会館で京都市・キエフ姉妹都市40周年記念のバレエ。キエフバレエ団と寺田バレエアートスクールなど京都バレエシアターのダンサーによる「白雪姫」。
 長年キエフとの交流に尽くされてきた高尾美智子さんが総芸術監督で、子息の寺田宜弘さんやウクライナの若きダンサーが舞台で躍動する。子供たちにも好きな「白雪姫」で7人の小人たちの踊りも楽しい。アンコールのコッサクの踊りも素晴らしかった。
 この8月末には京都市長らはクロアチアのザグレブとキエフに姉妹都市30周年と40周年で訪問するとのこと。

 夕方は、事務所で「議会活動25年記念の夏の市政懇談会」でパワーポイントを使ってスライドを見せようと思っているので写真の整理。髭をはやした時の写真や髪がふさふさの若かりし頃の写真がたくさん出てきたよ。


市会改革推進委員会など  8月17日ー20日
●8月20日(土)

        <地蔵盆>

 京都の夏の終わりを告げる行事、子どもたちが楽しみにしている地蔵盆。
 わが事務所では、中大路町西部の地蔵盆を昨年から開催している。
 朝、テントを立てて、近くの稲田さん宅から「野守地蔵」を運ぶ。ちょっとしたいわれのある地蔵さんで、実は石の地蔵さんではなくて、鏡と大木の枝がお守りになっている。聖護院の梅瑞庵の尼僧がお参りに。稲田さんが地蔵さん謂れを語っていただく。

 今年は、子どもたちにコーヒーカップに絵付けをするのと、近くの井上夫妻「あじまー」による沖縄民謡のライブ。地蔵盆の実行委員長として活躍もしてくれた井上君は、家で沖縄の三線(さんしん)の音を響かせていたのでぜひ唄って欲しかった。「新安里屋ユンタ」や「十九の春」など島唄を見事に歌ってくれて子どもも大人も大喜びでした。
 3時ごろには雨が降り始めたが、事務所の中で雨にも濡れずに、無事に終わった。

 跡形付けをしてから、自宅のある吉田下大路町東部の地蔵盆テント建ての手伝いに。我が家の隣のガレージが今年の場所。新築の家がこの2、3年に立ち若い夫婦が引っ越してきて子どもたちも多くなった。地蔵盆は、ご近所の人との親睦の時でもある。酎ハイを飲みながらワイワイ。


●8月19日(金)

 27日に予定している夏の市政懇談会参加者名簿の作成やなんやかんやでの雑務。相談ごと来客もあり。

 過日お邪魔した北山通にある焼肉南山では、肉牛の放牧のことで色々と夢をお聞きする。北山は大見地区のことなども話題に。実現できたらいいなあ。

 夕方は、わが後援会の中心メンバーと27日の市政懇談会の受付や進行について打ち合わせ。ぼくは議員活動25年間の軌跡と未来の京都を語りたいと思っている。ぜひご参加下さい。

         <民主党代表選挙はどなる?>  

 当日は前原誠司議員をゲストに招く予定だが、菅首相退陣が迫ってきて、民主党の代表選挙が本格化してきた。野田、鹿野、馬渕、海江田、樽床、小沢鋭氏らが手を上げかけていて、大連立や増税や小沢詣でなどが話題になっている。「帯に短したすきに流し」とかいう言葉があるが、ぼくは彼らには全然魅力を感じない。

 わが二区総支部長の前原議員は世論の支持率は最も高いものの、現在は白紙状態。「仲間と相談します」と16日にぼくと大文字山で会ったときの言葉だが、今や再び時の人に浮上した。代表選挙の日程にもよるが、来れないかもしれないな。


●8月18日(木)

 地域コミュニティウエッブサイトの立ち上げについてコムページの主宰者牧野君と懇談。昼は、京大のレストランで総長カレーを久しぶりに食す。大昔、この京大時計台にはゲバラの写真が貼られて、バリケードが築かれて、学生が立て篭もっていたのだよ、とウンチク。はるか40年前か。今では、京大キャンパスには立て看板も見当たらないな。

 午後、議員団室に。部落解放同盟京都市協議会の役員と議員団との懇談会。議長に宮崎氏が就任。新体制になった。この春にあった某中学校での自治連会長の「差別発言」についての経過報告と京都市の差別事象に係わる対応についてのガイドラインのこと、また同和奨学金返還請求のこと、またかつては隣保館と呼ばれていた施設は、コミュニティセンターと名前を変え市職員が引きあげて、この4月からは「いきいき市民活動センター」となって指定管理者が運営することになったが、その課題について懇談。

 ぼくが「同和行政と制度疲労」と題して、「こぺる」発行者の藤田敬一さんと公開対談をしたのは96年だったか。大正時代に水平社宣言が成された京都会館別館には300人ほどの参加者があった。京都市政に大きな波紋を投げかけたのだ。
 あれから15年か。参加者の1人として彼が発言をしていたのをぼくは思い出しながら、意見交換。

 夕方は、わが議員団今枝団長の店、「ちゃんこ横綱」で過日の政令指定都市政策協議会の京都総会の反省会と暑気払いを兼ねての懇親会。まつたけを一杯食べて鱧しゃぶ鍋を堪能。来年2月の市長選挙のことも話題になった。さてどういう展開になるかな。



●8月17日(水)

 昨日は大文字の火床まで登ったので、ちょっと筋肉痛。昨夜の夜のニュースはどのテレビも大文字の送り火を流していた。

        <市会改革推進委員会>

 10時から市会改革推進委員会。過日の委員会で議論されたことについて各会派が改めてその態度について表明をする。交渉会派の基準は5人というのが自民、公明、民主の主張で、従って合意には達せず。
 本会議での代表質問については、5人に達しない会派にも議員の平等性・公平性ということも含めて認めることを合意したので、京都党の4人と無所属の2人も質問に立つことが可能になるが、持ち時間については、今後の課題。まあ一歩前進だね。
 個人質問のことについては、今回は見送り、議会基本条例の制定を考える中での懸案事項になった。本会議議事録の作成については、費用削減の視点でデジタル化しようという意見もあったが、これも先送り。活字派のぼくとしては、この議論には正直イマイチぼくは馴染めない。いつも自民党がトップにしている本会議での質問の順番は、もちろん自民が容認するわけがなく、現行のまま。すべての会派が賛成して合意に達するということは至難のこと。
 本命の議会基本条例については、共産党が積極的ではないが、前向きに検討する方向性は示された。議員定数の見直しについては国勢調査の確定値が決まってからの課題。まあぼちぼちですな。
  
 午後から夜にかけて遅くなったが、議員レポート夏号の最後の発送作業。 


大文字の送り火  8月15・16日
●8月16日(火)

      <大文字の送り火> 大文字・五山の送り火の日。午後2時に銀閣寺は八神社へ。2年ぶりかな、ボーイスカウトのメンバーらと坂道をあえぎながら火床を目指す。いつものように前原議員や北岡府議も一緒。途中2回ほど休憩してようやく火床にたどり着く。風が気持ちいい。

 3時から1時間ほど一列に並んで大の字の火床に薪や護摩木、ポリタンクをバケツリレー方式で運ぶ作業。陸前高田の被災松のことを巡って二転三転したこともあってテレビクルーが全社揃っていたかな。作業の終わった後、前原議員は暫し記者と懇談。きっと代表選挙ことが話題であったのだろう。

 ボランティのメンバーが降りる時、地元の大文字保存会の子どもたちも一緒に各家族が点火の準備で登ってこられる。心中いささか複雑かな。フクシマ原発の放射能汚染のことも考えずに、被災松を大文字に持って来ようとした人たちのいささか軽率な善意が問題の始まりみたいだな。

 5時前には山を降りて浄楽消防分団の器具庫に激励に行って帰宅。

 一服して、毎日新聞京都支局での大文字を見る会に。この2、3年この会に出ている。午後8時に大文字が点火。如意ヶ岳の南のほうからお月さんも昇りはじめて幻想的な光景。「妙法」の「法」はビルに隠れて見えなかったが、「舟」も「左大文字」も、そして西の彼方に「鳥居」も垣間見ることができた。
 被災松では色々と物議をかもし出したが、鎮魂の炎が京都の夜空を焦がした。

 で、その会では、30年ほど前のぼくのことを知っている人に出会ってびっくり仰天。もちろん毎日新聞の先輩記者さんたちとも再会できてよかった。京都の夏ももうすぐ終わりを告げるなあ。



●8月15日(月)

      <終戦記念日>

 66回目の終戦記念日。不戦を誓う日。66年前も暑かったのだろう。戦後と東北大震災後の復興を比べる論調が目立つ。

 昼過ぎ、京都会館での韓国民団京都府本部主催の光復節の記念行事に。韓国にとっては日本の植民地支配下から解放された日。これから日韓新時代を若者たちで築いて欲しいと思う。

      <北沢恒彦とは何者だったか>

 ところで、戦後1949年昭和24年生まれのぼくにとってはベトナム戦争だった。過日、吉田泉殿町を議員レポート配布している時、北沢恒彦さんの娘、街子さんに会って「北沢恒彦とは何者だったか?」(編集グループSURE)を手に入れていたので読む。
 北沢さんは、ベ平連や家の会で繋がっていた人で、ぼくの師匠の1人。子息の黒川創の書いた年譜にぼくの名前も出てくる。
 「1968年7月、反戦と変革に関する国際会議の事務局と受け持ち、鈴木正穂・井上美奈子らと京大病院おおぎや旅館を借りて準備に入る」。
 
 19歳のこの夏の日々が、ぼくが、その後のベトナム反戦運動にのめり込む転機となったのだ。いわばぼくの原点になった夏。その後、「思想の科学」「反戦喫茶ほびっと」「ほんやら洞」、「山脈の会」などで交叉しながら同時代を過ごしてきた。北沢さんは、長年京都市役所職員として中小企業診断士として商店街を歩いてはレポートも出していた。晩年、東一条のクラークハウスでモーニングセットを取りながら四方山話も。

 1999年11月23日自死。前日、ぼくは百万遍の事務所近くで奥さんと歩いているところで出会ったのも別れを暗示していたのか。享年65歳。もう12年前のこと。

 不戦の日にぼくは、また原点に立ち戻って考えたいと思っている。


お盆休み  8月12日ー14日
●8月14日(日)

今日も暑いよ。メゲズニ、昼前から聖護院、岡崎、新洞など議員レポートの配布。自転車に乗ってポストマン。熱中症にならないように水気を十分にとる。喫茶店でビールでも飲みたいところだが、休みのところが多いので我慢。

 とあるところで、わが親戚の一家が食事の終わったところで出会ったのにはびっくり。何年ぶりだろうか!みなさんお元気で何よりです。夕方までかかってなんとか議員レポートの配布も終わりがけに二条公団横のたこ焼屋「親指小指」ではやっとビールを飲んで喉を潤す。とある人からは、青少年科学センターの充実、改築の要望も聞いた。

 夕方は、親父とお袋を訪ねて嵯峨の某高齢者マンションに。92歳になる親父は、よう来てくれたな、と言ってくれたものの直ぐにぼくの名前を言えなかったが、暫し時間が経って正穂やな、とニコニコ。まずは一安心。難聴気味のお袋は84歳。先日、道路を横断する時に転んだとかだが、たいしたこともなくよかった。

 閑話休題。その二。深夜テレビでプロレスチャンネル「サムライ」が無料放送をしているので、GIクライマックスやノアを見るのが楽しみ。京都は山城高校出身の天山広吉もカムバックしたし、福知山出身のノアの小橋健太も不死身のようでまたカムバックした。GIクライマックスで優勝したの中邑真輔は確か峰山出身で、ぼくが結婚式にも出席した中西学選手は負傷欠場中だったが宇治高校だったかな。ぼくはプロレスの味方です。


●8月13日(土)

 お盆休みだというのに、朝から議員レポートの発送作業。ぼくは、暑い中、熱中症になるのをおそれながらも地元吉田から配布に歩く。

 民主党はどうなりまね。菅首相も退陣表明を正式にされたようで、前原議員は代表選挙に出馬しやはるのですか?と会う人ごとに尋ねられる。いや、どうなるのでしょうね。ぼくは慎重に構えて欲しいと思っていますが、と言葉を濁す。
 また大文字の被災地からの松のことも大いにまちの話題になっていて、セシウムが検出されたことで、今年の大文字は中止ですかと、聞く人もいて、これにもびっくり。

 地元を歩くと色んな要望も聞く。京都大学の石垣を角切りしてもらわないと自転車とぶつかりそうになるとのこと。京大にいちど話に行こう。同時に地元町内で要望書をまとめて欲しいことも付け加えた。
 暑さで頭がボーとしながら吉田のまちを自転車でウロウロ。

 閑話休題。その一。タイガースがヤクルトに接近中。ちょっと面白くなってきた。高校野球は真っ盛りだが、地元竜谷大平安も一回戦で負けて京都では盛り上がらず。


●8月12日(金)

 朝から、議員レポートの発送作業。午前中の来客は、エレベーターに閉じ込められたときに使う非常用グッズ「ヤナルボックス」を普及しようとがんばっている矢鳴さんと高間君らが来所。防災フェアを企画しようではないかと、話が盛り上がる。

 午後は、消防局へ行ってヤナルボックスのことや防災フェアのことについて、担当者と懇談。レスキュー隊の隊長さんからは、エレベーターで閉じ込められた人を救援するときの心構えや対処の仕方をお聞きする。

 夕方、隠塚議員の事務所で左京の共産党系の保育士労組役員さんらと懇談。政府が提案している「子ども・子育て新システム」案について、絶対反対だと三条京阪でマラソンスピーチをしたとか。いかに子どもたちの保育環境を守るのか、子育て世代を社会的に支援するのか、勉強しよう。
 夜は、市役所の友人らと懇談。色々とご苦労さん。

 ところで、車でニュースを聞いていると「大文字の送り火」の陸前高田の松のこと。新たに現地から取り寄せた松の表皮部分から1キロ当たり1130ベクレルの放射性セシウムが検出されため、送り火で燃やすことを断念すると発表した。市長は「断腸の思いだ。申し訳ない」と陳謝した。
 被災松問題は、当初の計画中止から受け入れへと揺れた末「使用断念」という結末となったのだ。燃やしたら健康への被害がどうなるのかぼくは知らないが、大文字保存会と門川市長を全国ニュースにしてしまった。原発事故の影響が、思わぬところで波及した。被災地への支援の人々の善意がかき消されたのは残念だ。


暑い夏の日々。色々なことがあります。8月5日ー11日
●8月11日(木)

 昨日、市民派議員レポート夏号の印刷が上がってきたので封筒詰めの作業が始まる。発送が予定より遅れているのだが、女性陣が頑張ってくれる。

 来客は、「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさい」プロジェクトの岡部達平君。この間の経過や今後の課題を聞く。

 午後は、久しぶりに山科区選出の豊田貴志議員が来所。春の選挙の総括について色々と報告を聞く。菫(すみれ)ちゃんが誕生して一児のパパになった。おめでとう!子育てを経験することで親として彼も成長することだろう。未来のエース、しっかり頼むで!合間を縫って議員レポートの発送作業など。

 夕方は、焼肉店「新羅」で重点候補として推薦してくれた京都水道労組の松田委員長らとワイワイ。彼とは、「こぺる」を発行している藤田敬一さんが主宰していた部落問題全国交流会で20数年前からの付き合い。水道局職員の不祥事問題続発のころ彼は委員長になって組合員にも意識改革を進めてきたが、まだまだ課題はありそう。


 ところで大文字の送り火の松のことだが、新聞によれば全国から批判が相次いだために保存会の役員が謝罪し、新たに500本の松の薪が陸前高田から到着。「16日は立派に点火したい」と述べ、市内の検査機関に放射能検査を依頼した。結果は12日にも出る見込みで、13~15日に市役所前広場で市民や観光客に被災地への思いを書いてもらう。市長は「犠牲者を慰霊し、被災地を支援する取り組みを力強く進めたい」と話したと、新聞記事。テレビのニュースでも大きく取り上げられていた。



●8月10日(水)

      <自治体議員ファーラム世話人会>

 「くらし環境委員会」の開催日であったが、同僚の片桐議員に任して、10時過ぎの新幹線で東京は民主党本部へ。京都自治体議員ネットワークの代表幹事として、地方自治体議員フォーラム全国研修会の世話人会に参加。

 11月に予定されている研修会の開催について日程や講演テーマ、会の運営方法などについて議論。統一自治体選挙で惨敗したことや菅首相退陣問題、また子ども手当ての見直し問題など地方議員にはフラストレーションが溜まっているのだ。各都道府県から参加した議員がその心中を吐露。各ブロックで代表を決めて後日世話人会を開催して詰めることになるが、ぼくが近畿ブロックの代表世話人なった。

 散会後、新築なった衆議院議員会館に。山井事務所の近澤秘書と介護予防として公園の活用のことなど打ち合わせ、また前原議員の部屋では坂上秘書に日頃のお礼、また泉議員の部屋では委員会が終わったところで戻ってきたケンタ議員と被災地復興の話や大文字の松のことなど四方山話。

 8時過ぎには帰京して、鴨沂高校同窓会の会報編集委員会に出席。ゲラ刷りができたので校正。16ページ立ての充実した会報になる。スタッフと今後の日程など諸課題についても議論。


●8月9日(火)

 ナガサキから66年。わが長崎の被爆2世の友人、黒岩久雄君元気にしていますか?

 午前中、近所の方が土地家屋調査士と一緒に事務所に来所。近くの道路は私有道路になっていて、側溝を改修するについてどうすればいいのか、という相談。下水道局の担当者を紹介するが、私有道路ということで色々と難儀な問題がある。

 午後は、議員団室に。過日市政相談を受けていた、入札制度のこと、また道路に緑地帯を設置することについてそれぞれ担当者と懇談。

 議員団室のモニターテレビでは「くらし環境委員会」で大文字の送り火に陸前高田の松を使う計画があったが、放射性汚染のことを心配した市民からの抗議を受けて保存会が中止したこと、また中止に対して抗議が殺到していることなどが判明。責任の所在や検査のことなど、その問題についてやり取りが行われていた。ぼくは経過をよく知らないが、残念なことだ。

 夕方は、政令指定都市政策協議会の京都開催に尽力してくれた議員団のスタッフらと打ち上げ。


●8月8日(月)

       <未来づくり教育フォーラム>
 
 午前中、国際会館での「子どもを共に育む未来づくり教育フォーラム」に。特別講演に明治大学教授の斎藤孝さん。「教育力―家庭・学校・地域における人間関係を豊かにするには」と題されていたが、まずは立ち上がって肩甲骨を動かすことから始って、隣に座っている見知らぬ人とハイタッチをして会話をしたり、曰く「部活の乗り」で2千人の参加者が声を上げて白波五人男を朗読したりで、居眠りする暇もなかった。

 テレビによく出演されているとかで、ちょっとしたタレント以上の面白さ。この教育フォーラム、京都だけではなくて全国からの参加者で5千人の参加者とか。

 午後の分科会にも出たかったが、事務所に戻って夕方まで議員レポートの発想準備作業を黙々と。夕方は、1949年は1月が誕生日の3人が集まって市長選のことなどワイワイ。


●8月7日(日)

       <墓参り>

 このところ2週続きで日曜日に行事があったが、今日は行事もなし。午前中は爆睡。

 午後4時前に我が家から歩いて5分、岡崎東福の川町は浄土宗公安院に。金色の阿弥陀如来仏像の前でご住職に念仏を上げてもらう。朽ちかける寸前の明治以前の鈴木家の墓にカミサンと墓参。

 それから歩いて3分。吉田神葬墓地でわが祖父ら先祖の墓の墓参。京都のまちを望める絶好の景色。何年先か、ぼくの骨もここに埋葬されることになるのだ。日和さんの墓にもタバコと線香を。

 午後6時過ぎには市原野自治連合会会長の増田さんのお通夜。知人が立礼されているのでお聞きすると従弟とのとのこと。心より御冥福をお祈りいたします。

 その後、新装改築なった吉田神社参道の鳥居手前に大元講社の社務所にて今後の運営についての長老の方から若い世代に引き継ぐべく相談ごと。



●8月6日(土)

 今日はヒロシマから66年目。被爆2世のぼくも62歳になる。すこぶる元気だ。92歳になる親父もいまだ元気だが、フクシマ原発のことで放射能被爆のことを考える夏になるとは、心境は複雑だ。

 朝8時前、近所の近衛広場に。地域の吉田女性会の会長さんや寿会、ご近所のみなさん20人ほどで盆前恒例の草引き。京都市の街路樹里親制度に認定されていて、年3、4回みんなで草引き。およそ2時間、ボランティ袋に30個ほどの雑草が収集。いい汗を流した。

      <岡崎地域の都市計画の見直し説明会>

 10時過ぎ、自転車で国際交流会館に。都市計画局の岡崎活性化ビジョンの実現に向けた都市計画制限などの見直し素案についての説明会。担当者からパワーポイントを使っての説明。

 要は、岡崎地域の当面の課題である京都会館の再整備などに関して特別用途地地域を指定することで、高さ規制の緩和を図り、一方、景観保全の観点で特別修景地域として指定して、屋外広告物についても規制するなどの都市計画を見直しするということ。岡崎地域にホテルとか商業施設が建つとかデマ宣伝があったこともあり、またロームが京都会館の再整備でネーミングライツ(命名権)で出資することもあり、京都の景観政策にひとこと言いたい市民からいくつかの質問。

 何事であれ、説明は懇切丁寧にするべし。それが基本だ。オール京都市として、しっかり対応しないかんよ。

      <まつたけ十字軍>

 散会後、岩倉は長谷へ。わが友人のまつたけ博士吉村文彦さんが主宰している「まつたけ十字軍」の300回記念のお祝いの会。里山の復活を目指してこの運動が始ったのは7年ほど前か。60代を越えるメンバーが元気に活動をしていて里山復活に汗を流してきた。ぼくは年に一回ぐらいしか行かないが、手作りの料理をご馳走になる。いつもながら食べるだけ。美味しかった。

      <使い捨て時代を考える会>

 午後2時過ぎには、ひとまち交流館で、過日ぼくの主催した「脱原発を考える集い」で講演してくれた槌田劭さんが相談役の「使い捨て時代を考える会」主催の「簡素な暮らしでいのちを守ろう、脱原発シリーズ第4回<聴きたい・知りたい、しゃべりたい>の会」に参加。ぼくは30年ほど前、この使い捨て時代を考える会の会報の編集に参加したりもしていて、久しぶりに会うなつかしいメンバーも。

 5つほどのグループに分かれて自己紹介した後、原発問題について意見交換。食や農業、マスコミ報道、また人々のつながりをどうするかなど真剣に議論。子育て世代の女性陣が多かったかな。

 夕方は、事務所でわが町内、吉田中大路町西部の地蔵盆の準備のために打ち合わせ。8月20日(土)の朝のお地蔵さんの設置から始って、安寿さんにお参りに来てもらって、子どもたちが喜ぶゲームの景品買出しのことや高齢者に対する配慮など色々と担当の隣組のみなさんが集まって議論。京都の夏の風物である地蔵盆は、地域力の証。されど準備はたいへんだよ。

      <京の七夕>

 8時過ぎ二条城前に。去年から始った夏の新しい京都のイベント「京の七夕」に。堀川が水辺に親しむ遊歩道として行き来できるようになったのは3年ほど前か。夕暮れのせせらぎに友禅流しや笹に短冊を飾りつけた願い七夕や京都の各芸術大学学生の作品は、光の天の川は、まあ見どころか。一方通行の流れに身を任せながら二条前から一条戻り橋まで歩く。鴨川界隈でも色々と催しがあったが、たくさんの人で賑わったようだ。祇園祭と「五山の送り火」の間の京都の夏の行事として定着したようだ。発案した人、準備を進めたみなさん、ボランティアのみなさん、ご苦労さん。


●8月5日(金)

       <丸太町通の振動問題>

 朝10時前に市役所に。聖護院は円頓美町の町内会長さんらに同行して丸太町通の空洞調査と振動に関して、町内として署名活動を展開されていたので、建設局の道路管理の担当者に対して要望書を提出。市電の廃線敷地をそのままにしていることなども原因で大型車が通ると振動もするし、過去には道路が陥没したこともある。その改善について懇談。岡崎学区からも要望が出ていることもあって、年内には空洞調査を実施するという方向ということ。

 昼前、ちょっとサボっていたが久しぶりに吉田デンタルクリニックへ。ゴリゴリしてもらう。歯周病は糖尿病になるもとだと聞き、今後はちゃんと通おう。午後は、エレベーターに閉じ込められた際の非常用防災グッズ「ヤナルボックス」のことで高間君らが来所。防災フェアを屋外でしようかと盛り上がった。

 その後、議員レポート夏号の校了。夕方は比叡平の友人宅を訪問。とあるサロン的な会があるのを忘れていた、というかその会は、日曜日だと思い込んでいた、サボってゴメンね。手帳を朝、ちゃんと見てその日の行動をチェックしんといかんなあ。


臨時市会 井上与一郎議員が議長に  8月1日ー4日
●8月4日(木)

      <議員会 岡崎地域の都市計画見直しについて>

 朝9時30分から議員会。総合企画局から岡崎地域活性化ビジョンのこと、また都市計画局からは関連して都市計画制限等の見直し素案について説明がある。

 岡崎地域を文化交流ゾーンとして活性化を図ろうと検討がされてきた。ぼくも提言して実現に向けて期待しているのだが、都市計画局から事前に地元議員に説明が一切されていなくて、日頃は温厚なぼくも怒った!京都会館の再整備による高さ規制の課題など、たとえ良好な景観を守るという計画であっても、議員も含めて地元住民らに丁寧に説明しないかんやないか!ホテルがグランドにできるとデマ宣伝をしたり、京都会館の再整備については市長選挙の争点にしようと思っている連中もいそうだし、十分な説明と議論が必要だとぼくは思っている。

 ともあれ、8月22日までパブリックコメントを受付中。ご意見をお寄せ下さい。議員会では、市会改革委員会での議論の報告があり、かんかんガクガク。本会議における個人質問の時間を拡充すべきだというのがぼくの主張だが、イマイチ理解してもらえんよ。

 午後、議員団一行は動物園の視察に出向いたが、過日、斉藤尚さんの動物イラストの売店での販売をお願いしていたのでそのお礼にだけ出向く。ショップに並んでいたよ!早速買いました!

 その後、「タコとケンタロー」の店主と左京土木事務所に出向き、夜店の企画のことなど道路占用について協議。道路管理者としての考え方を聞く。

           <放牧畜産研究会>

 それから焼肉店「きたやま南山」での「人と牛とふる里を育てる放牧畜産研究会」に参加。過日、主催者の楠本さんから岩手県の肉牛出荷停止のことで連絡があり、福山哲郎官房副長官と電話でやり取りも過日した縁で案内をいただいた。今回の講師は、岡山県高梁市の市職員で高梁短角牛生産組合を設立した徳田匡彦さん。朴訥とした話しぶりで時には岡山弁を交えながら「耕作放棄地で育つ地備栄短角牛まもなく出荷!」と題して講演。いや、久しぶりに面白い話だった。京都は大見で展開できたらいいなあ。

 夜は、事務所でひたすら議員レポート発送の為の名簿チェックと最終校正。 
 
       
●8月3日(水)

 朝、聖護院の在住のイラストレーター斉藤尚さんがぼくの似顔を持ってきてくれる。自転車に乗っているところが可愛く描かれているよ。議員レポートに早速使うことにした。
 午前中は、準備を進めているコミュニティウエッブサイトの立ち上げで打ち合わせ。午後は、議員レポート夏号の校正。
 合間を縫って川端署に「タコとケンタロー」の店主と夜店のことで道路許可について懇談。
 夜は、とあるビアガーデンで選挙スタッフ有志と暑気払い。夜風が気持ちよかった。


●8月2日(火)

          <臨時市会 井上議員(自民)議長に就任>

 11時から、小林議長の辞任を受けて市会運営委員会。昨日、自民・民主・公明の理事と話し合いが持たれて自民党の井上与一郎団長が議長に正式に立候補。共産党は北山議員が立候補することが表明される。選挙にて決めることに。

 市会運営委員会は直ぐに終わって議員団会議。井上議員が議長に立候補されたことを報告。ところで、自民党の後任の団長はというとぼくの予想では、議長経験者だろうと思っていたが、なんと若手の津田大三議員。投票で決まったらしいが、ちょっとびっくり人事や。
 京都市会には、自民の井上議員本人と共産に井上けんじ議員、公明に井上教子議員の3人がいるので、「井上与一郎」と書かないといけないのだ。本会議前にはご本人が挨拶に。

 午後1時から会期は1日の臨時市会。
 冒頭は安井副議長が議長席に座って議事が始まる。小林議長の辞任が承認されて小林議員が一身上の都合で辞任したこと、ご迷惑をかけたと詫びて、今後は一議員として精進しますと退任の挨拶。安井副議長が恒例のはなむけの言葉。

 そして選挙。過日の投票の時、一枚多く配布されたということもあり、簡素化された投票用紙に書き込み、議長席の前の投票箱に1人づつ用紙を入れる。その結果、北山議員が15票。井上議員に52票。無効が2票。無効はどうやら無所属の二人かな。

 新議長就任の挨拶は、緊張しているのか、時にはメモを見ながらでタドタドシイ。16年ぶりの2度目の議長か。順送りで5期目の議員が順番で議長になるかと予想もしていたが、結果的には、温厚な井上議長就任は妥当かなとも思う。

 新議長の元で、くらし環境委員会で不採択になっていた「東部クリーンセンター余熱利用施設の存続について」の請願について、共産党の議員が討論に立った後、起立表決。賛成多数で不採択に。わずか30分ほどで本会議は閉会。

 午後、左京区役所にて税の滞納による差し押さえのことについて担当者と懇談。まあ色々なことで市民から調査を頼まれることがあるのです。

           <今枝議員のビアーパーティ>

 夕方は、京都タワーホテルで毎年恒例の今枝徳蔵議員のビールパーティ「徳ちゃんと乾杯」。今年も4夜連続で大盛況。会社の納涼会を兼ねてのグループも。中央市場の関係者も多く、ぼくは当選する前に中央市場で丁稚車を引いて4年間働いていたので当時を知っている市場の関係者に久しぶりに挨拶。今では当時の売り上げの半分ぐらいかな。



●8月1日(月)

 今日から8月。先週は、政令指定都市政策協議会、自治体議員ネットワーク、そして「市政懇談会・脱原発を考える集い」と続いたので、ちょっとバテ気味。昼は、とある会社の今後のことで相談ごと。技術革新と新しい商品の開発と営業を怠ると先はしんどいな。午後から夕方にかけて事務所で議員レポート夏号の原稿書き、資料の整理やひとくち日記書き。




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