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       鈴木マサホひとくち日記 
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2011年9月

                 



補正予算は賛成  9月28日ー9月30日
●9月30日(金)

 11時から議員会。補正予算について自民党から3本の付帯決議が提出されてきた。いづれも補正予算による事業そのものではなくて個別の課題になっているので、付帯決議まで出さなくてもいいのではないか、というのが議員団としては、賛成をしなくてもいいではないかというのが方向。

 昼時は、このところ顔を出していないが祇園のスナック「COCO」の20周年記念のパーティの打ち合わせ。このご時世、ようがんばってきやはりました。ぼくも呼びかけ人になって来年2月に開催されることになった。

        <補正予算に付帯決議>

 午後、補正予算の審議結果について各会派が態度を表明する予算委員会の討論結了の委員会が本会議場で開催される。ノータイで上着も着てこなかったので、急遽家にバッチとネクタイと上着を取りに帰るというハプニングも。
 各会派、賛成の態度表明。その後、自民党から提案された3本の付帯決議についてのぼくも入って意見調整。共産、公明、京都党もいずれも賛成するということで、色々と文言訂正もあったが、結局民主としても歩調を合わすことにして賛成することにした。
 その付帯決議(要旨)とは、
 1地元業者の受注機会を増やし、市内業者が下請として参入できるよう具体的な方策   を講じること。
 2.保育園待機児童解消に向け,
   地域の協力を得て,市内中心部の待機児童解消対策を講じること。
 3 豪雨災害など、危険箇所の速やかな改修工事を進めること。

 そして市会運営委員会が開催されて明日の本会議の日程を決定。まずは順調な滑り出しか。

       <あったかサポート>

 夜は、「あったかサポート」の事業説明会。NPO法人グローバル・ヒューマンの理事長の高橋英夫氏の講演。社会的弱者の支援活動としてライフサポートやジョブサポート事業。東日本大震災復興支援の取組みなどいかにNPOとして活動を成り立たせるのか、熱の入った話し、元気な同世代のおっさんやった。


●9月29日(木)

     <吉田幼稚園の運動会>

 9時前、近くの吉田幼稚園に。晴天の下、吉田神社境内で運動会。200人を超える園児と親や祖父母の応援で境内は熱気。ぼくは評議員ということで澤井宮司さんに続いて「空を見上げてごらん。真っ青だよ。がんばってね」と簡単に挨拶。年長組の組体操は素晴らしかったよ!

     <議員会、補正予算には賛成>

 10時過ぎには議員団室に。補正予算についての審議。各分科会での質疑の模様が報告され、大きな問題もなく、それぞれ必要な予算措置がされたということで賛成することに。

 また青木芳香議員ががんばってくれて門川マニフェスト124項目の進捗状況の点検と評価をしてくれたので、その中間報告。花丸とはいえないが、及第点だ。

      <2区総支部、春の選挙の総括案>

 夕方、前原事務所の斎藤君が来所。1日に予定している民主党2区総支部常任幹事会の打ち合わせ。また遅くなったが、春の府市会議員選挙の総括案を示すべく、この昨年来の候補者選考から選挙本番や選挙結果のメモを見ながら総括案を口述。
 いやはや波乱の一年やったな。左京は、府会に実績のある北岡さんはもちろん、マスコミの予想に反して島内君が当選し、市会は3人目の擁立はならなかったが、ぼくと隠塚議員の当選で花丸。山科は、藤川君が落選したのは残念だが、松下君と豊田府会議員が当選して現状維持。東山区は中野君が1期目の実績を生かして当選したが、府会に作島牧さんが当選できなかったのは残念。逆風下、また前原大臣の辞任もあったが、まあようがんばった、ということや。



●9月28日(水)

      <補正予算を審議>

 10時から補正予算を審議する予算委員会が分科会に分かれて質疑。ぼくは第2分科会。補正予算の総額は12億円。
 保健福祉局は、子育て支援ということで民間保育所の整備への助成や児童虐待防止啓発事業や地域包括ケア総合交付金の関連事業で特別養護老人ホームの待機者のデータ化など。建設局は災害復旧事業費など。各会派の委員が質疑。

      <代表質問の要旨を提出> 

 ぼくは代表質問の要旨を午後5時までに出さないといけないので、ちょっとバタついた。門川市政のマニフェスト評価、原発のこと、水族館のこと、岡崎地域活性化と京都会館の再整備のこと、太陽子発電の里親制度のこと、また公契約条例のことなど書き連ね、議事課の担当者と質問項目の点検をしてから約束の時間までに提出。ほっと一息や。
 質問時間が25分と限られているので、字数が大幅に超えているので、読み上げ原稿では、だいぶ削除しないかんやろな。

 夜は、吉田神社境内で、剣鉾の練習。イマイチテンションが上がらない。子ども剣鉾の練習に子どもたちも参加。女児が5人ほど熱心に上手に鈴を鳴らしながら練習に励む。おっちゃんは上達せんは


9月定例市会始まる 9月23日ー27日
●9月27日(火)

    <9月市会 本会議>

 9月市会の始まり。冒頭の本会議。市長と副市長から補正予算、10年度の各会計の決算とこの市会に上程された京都市地域コミュニティ活性化条例の制定や市道路線の廃止認定などの議案について説明がある。
 補正予算は民間保育園整備事業など子育て支援や高齢者福祉、東日本大震災対策など12億円。一般会計決算は、実質収支は7億円の黒字、市バスは8年連続の黒字。地下鉄の現金収支は43億円の黒字で、数字面では経営健全化の取組みがだいぶ進んだようだ。会期末は10月31日。

     <議員研修会・災害に強いまちづくりと自治体>

 午後は、本会場にて議員研修会。傍聴席には多くの市職員も研修に。講師は、関西学院大学室崎益輝教授で「災害に強いまちづくりと自治体の役割」と題して、長年の防災対策の研究に基づき、また東日本大震災を教訓として。いかに「減災」をするのか、安全・安心のまちづくりのために地域コミュニティーや自治体はどうあるべきか、なかなかウイットのある人で、また実に参考になる話をしていただいた。行政、コミュニティー、企業、ボランティアの「協働の正4面体」という言葉が印象に残った。さて、防災から減災へ、どう取り組みを進めるかな。

 夜は、剣鉾の練習。子どもたちも参加し始めて、子ども剣鉾をリズミカルに鈴の音を響かせながら歩くのを見ると、ぼくのドンくささに落ち込むよ。
 その後、めげないで質問原稿を仕上げにかかる。締め切りは明日の5時。まあなんとかなるやろう。


●9月26日(月)

       <議員会と市長懇談会>

 10時から市会運営委員会。明日9月市会が招集され本会議が開催されるので、その日程を決定。短時間で終わる。

 議員会では、まずは10月5日の本会議で代表質問に立つ山岸議員、片桐議員、そしてぼくから質問原稿を配布して要旨を説明。同僚議員の意見を聞く。細かいことまで色々という議員もいれば、間違いを指摘してくれることもあれば、それはそれでいいかな。片桐君は、今回デビュー戦、色々とアドバイスする。
 その後、建設、総合企画、文化市民局などから10年度決算や実績についての説明と質疑。

 夜は、わが議員団と市長、3人の副市長や幹部局長らと懇談会。片桐、松下議員にとっては初めての経験。親しく諸々のことを話せるチャンス。さて2月に市長選挙を控えて、いくつかの団体が出馬要請を始めているが、これからどういう方針を立てて陣形をどうつくるのか、これが課題だな。ともあれ、車の両輪で、緊張ある友情関係をもちながら市政発展に務めるのがぼくらの責務や。

 わが同期の桜、安井副議長に誘われて久しぶりに祇園で飲む。キエフの話で盛り上がったが、ほんまに久しぶりやったね。


●9月25日(日)

       <五条坂に「ユイ・ハート(結・心)」>

 朝、吉田の今宮社のお祭りを控えて、今宮会のメンバーによる神輿担ぎの練習が行われているのを激励してから、NPO法人京彩都のみなさんがオープンした店「ユイ・ハート(結・心)」に。障害者が創作した自主製品の展示と情報発信の場として、まずは、工房ソラで作られた陶器や手芸品が並べられお茶のお手前も。
 オープンを記念して色彩学研究家の岩崎英和さんが、それぞれの人には似合った色があるという、幸せ色鑑定をされていた。早速見てもらう。ぼくにはオレンジ色がいいという。まさに選挙ポスターはオレンジやった。光の加減で色が変化する不思議さなどをもお聞きする。ちょっとびっくり。
 これから清水寺界隈は行楽シーズン。ぜひ立寄ってみてください。みなさん頑張ってくださいよ。

        <運動会回り>

 一路車で八瀬の運動会へ。ちょうど昼休みだったので厚かましくも弁当をご馳走になりながら、地元自治会の会長さんと諸々の話し。猿害やナラ枯れ対策、小学校の体育館と校舎移転やバス停のことなども。
 また岩倉北小学校グランドでは、地元体育振興会の会長は北岡ちはる府会議員、張り切ってはりますよ!自治会会長さんとも四方山話し。
 運動会を回っていると、それぞれの地域の要望や課題を聞くことがあり、区民の声を聞くのにいい機会。また選挙後初めて会う人から今回はよかったね!と声をかけてもらったりで励みになる。感謝。
 運動会の準備と運営はたいへんだが、スポーツを楽しみ地域の絆づくりのためにみんさんがんばってください。今日の運動会は、2箇所だけ。来週は8箇所か。

 その後、事務所に篭って原稿書き。岡崎地域の活性化策のこと、公契約条例のことなど。どうにか草稿はできたかな。

        <剣鉾の練習が始る>

 夜は、吉田神社境内で剣鉾の練習が昨日から始ったので、ぼくも参加する。夜空に時折、京都上空を飛ぶ飛行機のライトが点滅するのを見上げながら、剣鉾を差すが、足が上手いこと動かずに、ヨタヨタ。9日が祭りの日に向けてぼちぼちがんばろう!


●9月24日(土)

        <代表質問を書く> 

 朝、地元の錦林小学校の運動会に。好天に恵まれて児童たちが応援合戦に、また色々な競技にがんばっていた。校長先生らと懇談も。

 午後は、事務所に篭って代表質問の原稿書き。この4年間の実績をまとめた京都市政報告書が発行され、また前回の市長選挙の時の門川マニフェストを読み返しながら、その進捗状況や門川市政の評価、また東北視察のことに触れながら、原子力防災のことなど質疑するので、パソコンに向かう。

        <パーティ、2箇所> 

 夕方は、山科駅前のホテルでこの春に目出度く市会議員に当選した松下真蔵君の「めいげつの会」。地元の後援会のメンバーなど200人ほどの集まり。岩手から急遽帰京した防災服姿の前原誠司議員も駆けつけて挨拶。彼の親父さんは、鴨沂高校の大先輩で元気な人。

 同じ時刻に焼肉店「新羅」でバイトをしていて、親父は店の常連、嵯峨根氏の子息の結婚披露のささやかな宴。船出を祝う心温まる会だった。仲良く幸せにね。



●9月23日(金)

        <暑さ寒さも彼岸まで>

 暑さ寒さも彼岸までと、古の人が言ったものだが、ほんまに涼しくなった。代表質問の原稿の下書きメモを作り始める。

 午後は、吉田神社第二鳥居の横にある祖霊社にて恒例の大元講社秋の大祭。吉田神葬墓地に祀られている講社員が揃い祖先の霊を供養する祭事。毎年、春と秋のお彼岸に行われるが、この日は、いつも季節の変わり目を感じるのだ。

 夕方は、相談ごと一件。京都市のとある地区の整備に係わる土地買収にかかわりその補償のこと。

        <チェルキオの会> 

 それから吉田神社参道前のイタリア料理とパンを売っている「チェルキオ」にて2ヶ月に一回のサロン。中尾写真館の中尾勇さんが世話人で、近所の人たち15人ほどがいつも集まってワイワイ。京都大学総合博物館の大野館長は常連のメンバー。10月には10周年を記念してエジプトの考古資料展が開催されるとのこと。近所の人から、「昨日テレビニュースで鈴木さんの顔が出てましたで」と冷やかされる。件の市会議員の名前を語って集団投資詐欺の被害者を騙す輩が逮捕されて、それがニュースに流れたようだ。こんなことでテレビには出たくないなあ!




9月市会 告示 9月19日ー22日
●9月22日(木)

   <京都交通労組定期大会>

 9時過ぎにロイヤルホテルに。京都交通労組の定期大会。民主党の国会議員は国会会期中で松井孝治議員のみ参加。台風で新幹線が昨晩は動かなくてたいへんだったみたい。瀬戸委員長の挨拶は、組合員の力で公共交通を守ろうと熱弁。この間の交通局の厳しい状況をなんとか乗りきれたこともあり、自信にあふれた挨拶だった。
多くの市会議員も参加したが、11時から議員会が始るということで、来賓紹介前に退出した。

    <議員会  書類調査をパソコンで>

 議員会では、産業観光局、消防、保健福祉、教育委員会など10年度の事業実績などや補正予算案について説明。
 終わった後、この市会からパソコンを使って書類調査をすることになったのでその説明。今までは、委員会室に領収書や決済の書類が山のように積まれて準備もたいへんだったが、電子会計システムが開発されて、活用されるようになったので、担当者からいかにしてデーターを見ることができるのかの説明。パソコンをいじるのが苦手な議員は、どうするのかな。

 夕方は、連合京都が京都府に対して提出する政策制度要求の項目について説明と意見交換。京都府内の様々な課題について提言されているが、南部や北部のことではぼくも知らないことが多いなあと思う。


●9月21日(水)

 朝から議員会。9月市会に上程されている議案や10年度決算について、各局からの説明と簡単な質疑。

 昼前、寺田バレエの高尾美智子さんのお母さんの告別式。60歳を過ぎてから絵を描き始められた。個展を見に行ったことがあるが、ほのぼのとした暖かさを感じる絵だった。享年96歳。心より御冥福をお祈りいたします。

    <詐欺集団、逮捕>

 夕方、某テレビ局の記者から電話。市会議員の名前を語って詐欺をしていた連中が逮捕されたとのこと。北海道の水資源のなんとかの詐欺集団が逮捕されて、さらに関連して、市会議員の名前を語って、二次被害者から、さらにカネを振り込ませようとした悪辣な連中が逮捕されたという。
 この5月末から9月中旬までに4人の被害者の方から問い合わせの電話があった。それは詐欺ですよと!アドバイスをしたので被害を免れた人もいたと思う。しかしえらい事件に巻き込まれたものだ。これで一件落着になればいいのだが、大阪府警さんよ!真相を明らかにして二度とこんなことが起こらんようにして欲しい。

 夕方、行きつけの散髪屋「ひげ床」へ。東北へ視察に行っている時、無精髭をはやしていたが、ちょっとむさくるしかったので、綺麗に整えてもらう。さてどんな髭かな。クリスマスまで切らないでいようかな。


●9月20日(火)

    <9月市会定例会 告示>

 9月定例市会が告示。10時から市会運営委員会が開かれる。冒頭、安井勉副議長がクロアチアのザグレブ、またウクライナのキエフに姉妹都市の周年事業で、市長らと一緒に訪問してきたことを報告。また9月市会の日程を決める。会期末は10月31日。10年度決算について審議するのが大きなテーマ。

    <京都創造者大賞授賞式>

 午後は、京都創造者大賞授賞式が、わが事務所から歩いて5分の京都大学時計台ホールであったので出席。保津川遊船組合や鴨川納涼床協同組合、伝統産業青年会、和紙作家の堀木エリ子さんらが受賞。選考委員長の芳賀さんはよく喋る人ですな。京都国際マンガミュージアム館長の養老孟司氏が「創造が生み出す伝統」と題して記念講演。博識であるのには驚くが、煙に巻かれた感じ。難しくてようわからんかった。

 台風15号が接近、名古屋では洪水で避難勧告が出されて、和歌山や奈良の山間部での土砂ダム決壊の恐れがあるというニュース。京都は大丈夫かな。ちょっと心配や。


●9月19日(月)

    <福島からの避難者と>

 休日。午前中、ちょっとゆっくり。

 午後、伏見区役所に。前と同じ所だが、新築なって初めての区役所。休日だったが、会議室で『京都からつながりながら福島支援』意見交換会に参加。
 「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」代表の中手聖一さんが講演。被爆から子どもたちを守りたいという思いで、福島から京都に避難してきて、桃山の合同宿舎に住む避難者のお母さんたちの「ふれあいの会」の人達と支援活動をしている市民らが集う。
 福島から県民6万人から7万人が全国に避難されているという。合同宿舎には60所帯が生活しているという。福島の現状とチェルノブイリ原発事故による子どもたちへの健康被害への影響なども含めて、その危険性を訴えられて、放射能汚染問題を全国的に考えて欲しいと訴えられた。

 その後、グループに分かれて報告や意見交換されたが、夏頃から子どもが鼻血を出すようになったというお母さんや、また夫は仕事で福島に残り、母子だけで避難してきている人は、父親のいない状況下での子育ての不安なども訴えられていた。司会をしていたのは、この春の選挙で市会議員選挙に2度目の立候補、落選した佐藤大君だった。地道に頑張ってるや。

 代表質問を控えて資料など読み始めるが、福島からの避難者への支援策についても問うことにしよう。


日常活動、あれこれ 9月15日ー18日 
●9月18日(日)

    <桑の文化を京都から>

 朝10時前、四条花見小路下がるの建仁寺へ。「桑の文化を京都からーマルベリーフォーラム」に。京都マルベリー協会の顧問は桝本前京都市長。久しぶりに会ったが、頭髪は真っ白だったが、まあお元気そうでした。桑を食べる蚕から紡ぎだされる絹が西陣を支えてきたこと、また桑には、生活習慣病の改善にいいとか、鎌倉時代に建仁寺、臨済宗の開祖、栄西が中国から日本へ伝えられたらしい。桑のお茶やお菓子もあるが、餃子もあるらしい。今度食べに行こうかな。

    <運動会回り>

 昼、一路、いやしの里、静原へ。小学校と地域の学区民運動会。秋晴れの下、子供たちの一輪車での競技が微笑ましい。自然に恵まれ、少人数の教育環境なので遠くから通う児童もいて結構賑やかになったという。鹿や猪の被害対策としてバッファゾーンを作るとか。コスモスフェアは、10月8日とのこと。いちど行かれてみてはいかがですか?

 それから貴船口にある鞍馬小学校での鞍馬学区の運動会。狭い校庭で日陰でもあり水はけも悪い。教育委員会に改善を求めて欲しいと地元要望。ラムネ飲み競争に参加。ビールの一気飲みのようにはいかなったよ。ニノ瀬バイパスのトンネル工事の本格着工ももうすぐかな。

 事務所では10月5日の本会議で質問するべく、門川マニフェストの点検作業を開始。

    <詐欺事件に名前を使われた!>

 夕方、某放送局の記者がわざわざ大阪から来所。つい先日、大阪府警が北海道の水源地権利購入の詐欺事件で詐欺集団を逮捕したが、関連して金山開発なんとかで別の詐欺集団も逮捕。この詐欺グループが、他の投資詐欺被害者に、返還云々ということで、市会議員の名前を語って、電話をかけて、さらに巻き上げようとしいたのだ。どういう訳か、ぼくの名前が使われていたのだ。
 7月20日の毎日放送のニュース番組ボイスにぼくが登場したことを以前書いたが、ほんまにケシカラン連中だ。実際、この間、4人の被害者からぼくに問い合わせの電話があり、されは詐欺ですよ!と進言して二次被害を免れたひともいるのだ。
 ほんまに世の中、どうなっているのやろ!ぼくも妙なことに巻き込まれてしまったものだ。警察には事情を言いに行こうと思っている。


●9月17日(土)

    <第四錦林小学校の運動会>     
 
 台風接近で昨夜も雨が降っていたので、中止かなと思っていたが、みんなの精進がよかったのか、晴れた!わが地元で母校の第四錦林小学校の運動会。紅白に分かれて応援合戦も盛ん。1年生が走る姿は可愛いし、6年生にもなるとリーダーとしての自覚があって頼もしい。4年生全員による校庭を乱舞した大風流婆裟羅踊りは最高でしたよ。

    <フットサルに、もっと身近にクラシック>

 昼過ぎ、京都府立体育館に。大橋昭さんが主宰している京都オープンフットサルフェスタ。今年は沖縄から女性チームも参加。年々盛大になってきたが、今年で13回目か。泉ケンタ議員も政務多忙にも係わらず応援に。将来の日本代表選手が誕生するかも。大橋さん、がんばってよ!

 2時過ぎには、アルティでの「もっと身近にクラシック」900円のコンサート・児玉桃さんのピアノファンタジー。主宰者の吉竹さんとは長い付き合い。91年にスタートしたこのコンサート、敬意を表したい。久しぶりにピアノ演奏を堪能する。

     <情報労連定期大会> 

 ゆっくり聴きたかったが、午後3時からNTT労組を中心とする情報労連京都地区定期大会。本部代表の挨拶では、東北大震災で亡くなった組合員さんが多くおられたこと、また支援活動についても報告があった。
 来賓では、京都選出の民主党の国会議員も多く参加。福山前内閣官房副長官は、この間の激務からか、ちょっと疲れた様子。ちょっと休んだらいいよ、と声をかける。

     <左京保育園園長さんたちと>

 夕方、事務所には、左京区の保育園園長会の役員さんが来所。左京選出の議員との懇談会の開催について色々と打ち合わせ。この春に、2年ぶりに開催したので、この11月にでもまたできればいいな。今後、日程など調整をすることに。

     <「福島市での除染活動で見えてきたこと」>

 夜は、堺町画廊に。「福島市での除染活動で見えてきたこと」と題して、京都精華大学の教員で放射能除染・回復プロジェクトの細川弘明さんが話題提供。主催は、「福島市での除染活動で見えてきたこと」を聞く会。町家の堺町画廊は超満員。福島原発事故による地域別の汚染状況やテレビ放映されたビデオも見せながら、福島市内での除染作業の様子や必要性と可能性について報告。問題は、「除染廃棄物」をどうするかだろう。


●9月16日(金)

     <市会改革推進委員会>

 午前10時から市会改革推進委員会が開催。事前にわが議員団の委員4人で簡単な打ち合わせ。委員長は、京都4区から衆議院候補に立候補予定の自民党の田中英之議員。奥さんのお母さんがぼくの高校時代の同級生という。いやはやなんとも。彼のテキパキとした進行で議事が進むが、合意するまでに至るのは難しい案件ばかり。

 委員会の直接傍聴については、ぼくもこの間の経験をもとに認める方向で意見を述べたが、合意に達せず。唯一、全会派、合意に達したのは、本会議で傍聴者に対して、質問項目のテーマを配布することについては、9月市会から実施する方向で議長に諮問することになった。
 本会議での着物着用の「きもの議会」の提案については、和服振興に努力している米沢市とか結城市では実施されているが、京都市会でもいちど試みたが、着付けの問題もありぼくもテンヤワンヤしたことを思い出して、前向きにはなれない。結論は出ず。

 なお公明党から「京都市会の基本理念・基本方針―京都市会の目指すべき方向」が示されて、今後これをたたき台に議論されることになる。議会基本条例策定までには、まだまだ時間がかかる。ともあれ改革を進めようと、議員同士が議論することには大いに意味があると思っている。午後3時前まで、真摯な議論が行われた。

     <鴨沂高校同窓会>

 夕方は、久しぶりの鴨沂高校同窓会理事会。会報のゲラ刷りもほぼ仕上がってきて最後の校正と点検や会計報告や予算案の承認。また11月20日予定している総会と懇談会の持ち方について、喧々諤々。
 そして、ぼくは2期6年会長を務めてきたが、とあることで、いちゃもんをつけた大先輩もいるので、今回で退任することにした。この間、支えてくれた理事のみなさんに感謝です。ともあれ11月20日の総会と懇親会は成功させようと思っていますよ。


●9月15日(木)

     <毎月15日は 手づくり市>

 東北の視察を終えて、精神的なことも含めてちょっと疲れ気味。頭の中は真っ白。午前中なんとなくグッタリ。

 昼前、百万遍は知恩寺境内での「手づくり市」へ。天気も良くごった返していた。主宰者の臼井さんらは友人。25年ほど前、わずか10店舗ぐらいから細々と始ったこの手づくり市も今では境内満杯の400を越える店が並び、天神さんや弘法さんと同様に京都の風物になった。毎月15日は、市バスや京阪電車の乗客も2千人ぐらい多くなり、京都の観光や経済に大いに寄与している。
 イラストレーターの斎藤尚さんも可愛い動物の絵葉書を売っていたので頑張りやと声をかける。彼女の作品展を10月中旬、わが事務所の「カルチャーガーデン吉田の森」で開催しますよ。ぜひ見に来てあげてや。

    <左京自衛消防隊訓練大会>

 午後は、宝ヶ池北公園で毎年この時期に開催される左京自衛消防隊訓練大会。左京区内の大学やホテル、病院など大きな事業所と、平安神宮、三千院そしてわが吉田神社など社寺仏閣の職員が集い、日頃の防火訓練の成果と、もしかの時のために迅速に対応できるように各職場の代表が、暑い中、消火器躁法訓練などを披露。わが吉田神社は、若い神官や巫女さんががんばった。

 夕方は、事務所で雑務。ちょっと京都を留守にしていると資料が山積みだ。
東北視察 写真
2011年09月20日 | 日記
飯館村にて
飯館村にて
名取市にて
名取市にて
野蒜駅
石巻市立病院前
三陸の朝
気仙沼にて
雄勝にて


女川にて東北を視察  9月9日ー14日
●9月14日(水)

     <福島市を視察>

 東北視察も最後の日。大隈氏が車で迎えに来てくれる。石原洋三郎議員は40歳。政治家としては3代目で福島では著名な一族だという。
 まずは南矢野目というところの仮設住宅に。浪江町から避難された200所帯が住む。市内には15箇所の仮設住宅があり、双葉町、飯館村からの避難者が居住している。ゆっくり住民とゆっくり話をする時間がなかったのは残念。

 それから地元の人から汚染された土が捨てられているのではないかと連絡があったそうで、一路近くの丘陵地帯の残土捨て場に。早速、大隅さんの線量計を見るが、0・6ミリシーベルトぐらいで大丈夫のようだ。現場責任者と思われる人物が飛んできたが、汚染された土ではない模様。ご近所の人は、ひとまず安堵感。

     <飯館村にて>

 そして、途中、安彦(あびこ)さんという染工場の経営者が同乗されて、国道114号を飯館村に向かう。市街地に近い渡利というところは、ホットスポットだという。一気に線量計の数字が0・83に上がる。

 トンネルを越えて小さな峠を越えて川俣町から飯館村に。飯館村に入ると、線量計の数字は2・88まで一挙に上がる。
 南相馬市につながる国道には、トラックや乗用車が行きかうが、家々や商店、郵便局やコンビニは閉ざされている。人は歩いていない。山に囲まれた風景はのどかだが、花きを栽培しているビニールハウスが時折見えるが、放置されたままで、畑や田んぼだと思われる農地には、人の姿は無く、まったく耕作も行われていない様子。その静かな風景に愕然とする。

 昼前、緑豊かな飯館村役場に到着。京都でいうなら京北町の風景に良く似ている。人口は6千人。違うのは、原発事故による計画避難地域であること。役場の前にはモニタリング計が設置されていること。3・07の数字。ちょっとヤバイなあ。役場はいちおう10時から4時まで開いていて4人の職員さんが交代で勤務しているという。

 役場の隣の「いいだて活性化センター」に今日は特別に住民が集まったという。佐藤長平飯館村議会議長ら議員さんたちも来られていた。議員定数は12人。
 今日はオーストラリアの食肉生産者事業団の一行が復興支援ということで来て、テントではオージービーフの焼く匂い。福島市内の避難先から交代で見守り隊として巡回されている住民が100人ほど会場内で懇談。佐藤議長は民主党、除染の問題などあるが、2年先にはなんとしてでも大人は帰れるようにしたいと熱望。
 この交流には、安彦さんと大隈さんたちが協力された。警戒の為に四国から派遣されてきた若い警察官たちとともにオージービーフをぼくもご馳走になる。
 今、飯館村の役場機能は、福島市内に支所が設けられていて、村には7つの事業所が通勤する人によって維持され、特別養護老人ホームも残っているという。美しい村に、いつの日に住民は帰ることができるのだろうか!そんな想いをしながら、福島駅まで大隈さんに送ってもらう。

 少し時間があったので駅前で無料!のレンタサイクルを借りて、市街地を走る。並木の綺麗な商店街、この1月に新築なった立派な市役所、そして学校のグランドでは表土を入れ替えて保管してあると思われるブルーシートを張ってあるところなど足早に走る。帰宅する子どもたちは元気そうだった。

 新幹線を乗り継いで京都に戻ったのは、午後11時前だった。

 3・11から半年。残暑厳しくむし暑い日が続いた東北での4泊5日の視察の旅。頭が真っ白になった。2万人を越える、亡くなった方々と行方不明の方々の御冥福を心よりお祈りし、被災されたみなさんが元気になられ、東北が復興するとともに、原発事故の収束を願う。道中お世話になったみなさん、ありがとう。


●9月13日(火)

     <仙台市役所へ>

 10時前仙台市役所に。広場では復興へがんばろう!と「東北のへそ」観光祭りが開催されていた。山形県最上地域・秋田県雄勝地域・宮城県大崎地域が「東北のへそ」になるという。それらの地域の物産展。リンゴジュースは牛乳を賞味。芋煮を食べたかったが自重。
 議会棟の民主党の議員団室を訪問。「市民フォーラム仙台」が会派の名称。8月28日に選挙が終わったところ。自粛ムードで逆風下、民主党は候補者を12人擁立、当選は7人。みんなの党が4議席を確保したという。政令指定都市政策協議会の副会長の渡辺公一議員と被災状況や復興策について懇談。牛タンランチをご馳走になる。美味しかった!

     <仙台の被災状況>

 午後、近くの青葉区役所へ。仙台市災害対策本部を訪ねて担当の齋藤健一課長から3・11からの被害状況などをお聞きする。

 9月2日現在、死者は704名。いまだ行方不明の方26名。負傷者2269名。多くの方は沿岸部で津波の犠牲になられた。地震直後の避難者は10万人。建物の全壊は2万2千棟。大規模半壊は1万5千棟、一部損壊は8万棟。罹災証明の申請数は19万件を超えるという。丘陵地では、宅地造成されたところで地すべりなども発生。想像を遥かに超える被害だった。

 京都市は消防レスキューに続いて3月15日に門川市長と奥山仙台市長とのホットラインで市役所職員を150人派遣、以降延べ1200人の職員が派遣されているが、力強かったという。多忙にもかかわらず時間を割いていただいて感謝したい。

 新幹線で福島入り。ちょっと時間があったので、市内循環バス「ももりん」に乗って市内を一周。料金は100円。

     <福島にて>

 夕方、衆議院議員石原洋三郎議員の大隈秘書と高橋秀樹県会議員、粟野啓二市会議員と懇談。全壊した住宅は171件あったそうだが、地震による被害は亡くなった方は3人。行方不明者はゼロ。地震そのものの被害は軽度だった。

 しかし問題は、なんといってもフクシマ原発事故による放射性物質の飛散による子どもたちへの健康被害への影響と原発周辺地域からの避難者への仮設住宅の確保などが大きな課題としてのしかかっているのだ。
 学校の校庭の表土改善、汚染された地域の除染作業、子どもや妊婦への個人線量計(ガラスバッジ)の配布。そして、これから大きな問題になる除去された土の処分地の確保など原発事故がもたらしたものは計り知れない。
 大隅氏も議員も線量計を手に持っているのには、正直驚いた。必需品なのだ。高浜、大飯、美浜原発からそれほど遠くない京都なので、ぼくも買っておこうかな、とふと思う。
 席上、今週の17日土曜日にはわが2区総支部長の前原誠司政調会長が福島入りするということで大隈秘書は連絡でばたばた。また福島県会議員選挙は11月に行われるとのこと。ご奮闘を。歓待していただき感謝です。


●9月12日(月)

      <石巻へ>

 朝の陽光に輝いた海は穏やかだ。カモメが部屋の窓際に数匹留まりこちらを見ている朝。南三陸町を後にして、国道45号から三陸自動車道を石巻市に向かう。途中、各県警から派遣されたパトカーと多数すれ違うのが国道の風景。

 石巻港のインターチェンジから降りて石巻市内は工場地帯に入る。日本製紙は稼動を始めたのかトラックなどの動きがある。

 愕然としたのは海岸から直ぐにある石巻市立病院の無残な姿。前日のニュースで当時、孤立した病院の中で医師がビデオを取り続けて、ヘリコプターで患者が避難されるまでのビデオが公開されてインタビューを受けておられたが、建物の3階まで津波ですべてが破壊された。頭上の樹木にはビニール袋などゴミがぶら下がり、カラスの群れが飛び交う。隣の敷地は官舎のアパートが2棟あったが、建物は残ったもの各部屋は所帯道具が散乱し流されてきた瓦礫でぐちゃぐちゃ。

 そして周辺はといえば、家々はすべて流されて、瓦礫の処理はだいぶ進んだのか、夏草に覆われ始めている。そして日和山の下にある門脇小学校にも津波が襲いかかり、火災で校舎が黒ずんでいる。あまりにも無惨な光景。呆然と立ち尽くすのみ。グランドでは作業車が整地する作業。
 石巻の街が見渡せる日和山に登る。街があったところが、なにもない。遠くには穏やかな海が光っていた。

     <松島に>

 石巻から航空自衛隊松島基地の近くを通って海岸沿いに奥松島に。丘の傍に石巻・仙台間を走っていた列車が線路に放置されたままの姿が遠くに見える。
 海岸の松林の中にあるかんぽの宿や野蒜駅も津波に襲われて時間が止まったまま。海岸から望む海は広くて穏やかな夏の終わり。悲しい。

 そして日本三景の松島には、観光客がだいぶ戻ってきたのか散策する人々が多く観光船も復活したようだ。気分はなんとなく安堵感。

      <仙台空港>

 松島から三陸自動車道と仙台東部自動車道で一気に仙台空港へ。津波で水没するテレビの映像も衝撃であったが、7月25日に再開された。仙台を結ぶ鉄道は10月からという。屋上デッキが開放されていたので、海岸のほうを臨む。松林の向こうに海がある。そして、建設時は誰も津波のことを考えなかったのだろうな、とふと思う。空港は名取市にあるとは知らなかった。

      <名取へ>

 海岸沿いに北上。津波にすべてが流されたところ。
 宮城県農業高校は海岸沿いにある。幸いなことに学校に当時いた生徒たちには犠牲者は出なかったらしいが、そのときの恐怖は想像できない。今は、遠くの農業高校まで3校に分かれてバスで出向いて授業を受けているという。

 さらに北上。道路上に漁船が置き去りになっていたところを過ぎて、「閖上(ゆりあげ)」浜に向かう。この地域も壊滅的な被害を受けたところ。日和山という造成された小さな丘には震災で犠牲になった方々の碑が建てられて、ご家族が献花をされていた。

 そして仙台市内は、若林区は荒浜地区に。夕暮れ時、トラックが行き交うが、この地も多くの犠牲者が出た所。重い重い気分になる。荒浜小学校近くで黙祷する。犠牲者の皆さんの心より御冥福を祈るのみ。

      <ゆさ議員らと>

 夕方、6時この2日間付き合ってくれた諸岡氏に県庁近くのビジネスホテルまで送ってもらい投宿。夜は、河北新報社の記者だった穴澤さんと宮城県会議員の遊佐美由紀さんと懇談。地震当日のこと、仙台の被害のこと、仮設住宅のこと、避難所でのボランティア活動のこと、仙台復興のこと。
 遊佐さんは、社民党時代からの知り合いで現在4期目。この11月に県会議員選挙がある。がんばってね!穴澤さんからは原発事故のことを寄稿した「山脈」をいただく。夜の仙台の繁華街は、日常が戻っていて若者たちで賑わっていた。


      
●9月11日(日)

     <東北大震災から6ヶ月、石巻、女川へ>  

 3・11東日本大震災からちょうど半年。アメリカの同時テロから10年。京都市会の海外視察で、2週間ほど前にニューヨークにいて、ビルを見上げていた。

 午前9時過ぎ、宮城県は、加美町の中新田を諸岡氏の車で出発。1時間ちょっとで石巻市に入る。道路などの瓦礫の処理はだいぶ済んでいるようだが、津波に襲われて全壊・半壊している建物が次から次へ出現。

 国道398号線を進み、女川の入江を遥か先に望む小さな峠を越えたところの高台に諸岡氏の親戚の家があった。津波はこの高台にまで押し寄せてきて、彼の親戚の家も流された。家の基礎部分が残っているのみ。流されてきた車が山裾に数台放置してある。こんなところまで押し寄せたのか。

 そして海岸沿いの女川のまちは壊滅。津波によってすべてが流され、また瓦礫の光景に呆然。沈黙。
 リアス海岸沿いの道路を北上。小さな入り江の集落もすべて壊滅状態か。硯で有名な雄勝には建物上にバスが載っていた。入り江近くの川では地元の人が遡上してくる銀鮭を釣り上げていた。

 峠を越えると北上川。多くの子どもたちが津波の犠牲になった大川小学校では、追悼の碑が建ち遺族の方々がお線香を上げられていた。言葉がない。心より御冥福を祈るのみ。

       <南三陸町にて>

 対岸に渡る大橋は通行止め。10キロほど上流の橋を渡って、峠を越えて登米市から南三陸町は志津川に入る。ここも甚大な被害を受けたところ。海辺の町はここもすべて津波に襲われた。

 高台にあるベイサイドアリーナと呼ばれる総合体育館では、南三陸町の慰霊祭が終わっていて跡形付けの最中だったが、黙祷。ちょうどあれから半年。入り口の所には、ご遺体の特徴を書いた紙が何枚も貼ってあるのが悲しい。

 駐車場には他府県のナンバーの車があり、テントには災害ボランティアセンターの本部のテント。センターを運営されている社会福祉協議会の担当の方と暫し懇談。頭が下がる。些少だがカンパさせてもらいました。
 この高台がこれからの街の復興の中心地になるのか。仮設住宅も近くにあり、またボランティアのメンバーの簡易テントも見られた。ご苦労様です。ぼくも若かったら来ていたかな。今回は、何もできないけれど、ともかく現地を見ること。

        <気仙沼にて>

 そしてさらに北上、3月11日夜の火災の光景が目に焼きついている気仙沼市に入る。気仙沼に来たのは実は2度目。2003年7月に議員団の視察で同僚と本吉広域防地災センターを視察し津波対策を聞き、防波堤も見た。今回の津波は防波堤を越えて流れ込み人々の命と生活をすべて奪い去ったのだ。

 漁港周辺の地域は、多くの商店や倉庫などが無残にも焼き尽くされ、瓦礫があちこちに積まれて、海水がどす黒くなって、周辺が池のようになっている。魚の腐った臭いが充満し、そこにカモメが舞うなんともいえない光景。言葉がない。この周辺の復興はどうなるのであろうか。
 宿は海岸沿いの高台にあるホテル観洋。一時は避難所にもなっていて、建物の所々には亀裂も入っている。かつては漁火が夜の海に見られたのだろうが、この夜は、見られなかった。
 疲れているはずなのに、今日一日の衝撃的な光景を思い出し、ショックか、なかなか寝付かれず。


●9月10日(土)

         <民主党自治体議員フォーラム世話人会>

 9時過ぎの新幹線で東京へ。地下鉄で永田町下車。土曜日で国会周辺は閑散としている。暑いよ。

 民主党本部へ。自治体議員フォーラムのブロック代表者会議。北海道から九州・沖縄ブロックまで9ブロックの代表者が集う。ぼくは近畿ブロック代表ということで参加した。11月に全国フォーラムを開催するのでその打ち合わせ。

 野田内閣が発足して支持率もだいぶ上昇したので安堵感。分科会や総会と全体集会をどうするか協議。マニフェストの見直しや財政、エネルギー問題や農業や産業の空洞化など色々と地方には課題があるが、なんといっても大きなテーマは震災復興と原発問題だよ。

 ぼくの提案が受け入れられて、宮城、福島の被災地の自治体議員に取り組みを報告してもらうことに。ぼくはエネルギーと原発防災についての分科会を担当することになった。民主党は、国会議員だけの政党ではないということ、自治体議員の存在感を示したいというのが、ぼくの想い。

         <宮城県加美町にて>

 午後4時前の東北新幹線に乗って、仙台から15分ほどのところの古川駅に午後7時着。サークル「山脈の会」で30年ほど前に出会った、加美町は中新田の諸岡氏が迎えに来てくれる。彼の娘さんは京都造形大学卒業で結婚して我が家の近くに住んでいる。かつての町長、本間某氏がバッハホールを建設したことで中新田はちょっと有名になったときもあったかな。
 友人の武田氏とも再会。数年前までソーセージ作りを生業としていたが、今は、石山けいき衆議院議員の後援会の役員として地元で後援会の拡大に向けて頑張っているということで、びっくり。
  話題は、3・11東北大地震のときのこと。揺れがひどかったこと、停電したこと、水が出なかったこと、などなど。また被災地から避難してきた人たちのことなど夜遅くまで聞き取り。



●9月9日(金)

        <十二提灯神輿保存会> 

 思い立って東北に行こうと思ったので、宮城や福島の関係者に連絡。午後は歯医者に行って、被せ物をしてもらう。

 夜は、十二提灯・子ども神輿保存会の世話人会。もうすぐ秋のお祭りの季節。吉田の東部を巡幸する十二提灯を復活させ、とあるスーパーの抽選で町内のオバサンに子ども神輿が当たってご寄付いただいてから、かれこれ20年ぐらい経つのだろうか。
 毎年吉田今宮社のお祭りの前の日に2日間巡幸をしていたが、この5年ほど前からは一日で済ますようにした。大元講社や剣鉾保存会や地元の有志のメンバーによりお世話してきた。昨年は雨で巡幸は中止、夜店だけになった。
 この間の反省や今年の世話人の確保のことなど打ち合わせ。その後、夜遅くまで、明日から京都を留守にするので雑務。


台風一過       9月2日ー8日
●9月8日(木)

      <鴨沂高校 仰げば尊し>

 昼過ぎ、わが母校鴨沂高校に。文化祭ということで3年生による伝統行事「あおげば尊し」のパレードを見に行く。台風が来て作業もできなかったらしいが、地球儀の形をした山車など北運動場を出発。高校生活の思い出に残る行事だ。ぼくらのときは紫野グランドまで行進した。友情を深められたかな?
 
      <介護保険にかかわる会で講演>  

 午後、ひとまち交流館で介護保険にかかわる会の研修会。ぼくが講師。「議員活動25年 京都は変わったか」と題して、過日の市政懇談会のときに流したパワーポイントの「25年の軌跡」のスライドを流してから、今川、田邊、桝本、門川市政を振り返りながら、その時代時代に話題になったことなど検証。
 景観政策や同和行政、また財政問題、また高齢者福祉と地域福祉、原発のことなど、そして京都市のこれからの課題や市長選挙のことなど2時間半ほど喋って質問に答えた。平成の時代の京都市政をぼくなりに省みることができて有意義でしたよ。

 夕方は、鴨沂高校同窓会の役員人事について副会長らと懇談。

       <山科支部の選挙総括>

 そして、民主党は山科支部のメンバー、豊田府会議員、松下市会議員、そして藤川前市会議員と各後援会の会長や前原山科後援会の人に集まってもらって、選挙の総括。まあ選挙前から色々とあったし、民主への逆風下、市会での二人当選はならなかったのは残念だが、藤川前議員の奮起を促し、4年先には3人とも当選するようこれからがんばろう、ということだ。


●9月7日(水)

    <教育福祉委員会 市政白書を巡って> 

 10時から教育福祉委員会。保健福祉局からは理事者報告はなし。自民、共産、民主、公明の順番で一般質問。ぼくは3番目。

 京都市政のこの4年間の歩みと成果や課題をまとめた市政報告書が7月に発行された。つまり来年2月に市長選挙を迎えるが、世界同時不況、新型インフルエンザ対策、保育行政にかかわるプール制のこと、食の安心・安全、そして放射能対策など、いわば門川市政の4年弱の白書なのだ。いのち、安心、子育て、健康をキーワードに保健福祉分野の取り組みの成果が写真入りで書かれている。
 この4年間を簡単に振り返りながら、生活福祉、長寿社会、子育て支援、障がい者福祉、保健衛生のそれぞれの分野で、いくつかの個別事業に触れながら、各部長に答弁を求めて質疑のやり取り。
 この質問の意図は、市長選挙を控えて、民主・都みらい議員団として門川マニフェストの検証を始めているが、その過程としてのやり取り。
 最後に、保健福祉局長に答弁を求めるのを忘れてしまったよ。

 他の委員は国保会計、生活保護所帯のクーラー使用、まちネコ対策、学童保育など。そして長らく沈黙していた某新人議員さん、各種式典やイベント啓発事業などについて無駄遣いがあるのではないかと、デビュー。もうちょっとゆっくり喋った方がいいね。

 教育委員会とは、生徒の名簿作成、給食の安全、学齢を超えた外国人生徒の転入、防災教育、そして式典、表彰制度のコストのことなど。休憩なしで3時過ぎまで。

 散会後、某学校での地元役員さんの挨拶での差別的な発言があったということで、この間の対処や運動団体とのやり取りの経過について教育委員会の担当者から経過などを聴取。かつては糾弾会などが激しく行われ、行政も右往左往していたが、最近では様変わりした。久しぶりの事案かな。

 夕方は、自治労教育支部のビアパーティ。若い山崎支部長が水俣の「もやいなおし」と言う言葉を使った挨拶はよかったよ。新規採用の若い職員が司会。ぼくが挨拶のとき、昭和62年生まれの人と聞くと3人ほど手が挙がった。ぼくが市会議員になった年だ。いやはやまいった!
 
 その後、事務所に戻って介護保険にかかわる会で明日講演をするので京都市の変遷についてメモ作り。


●9月6日(火)

 台風一過、ちょっと爽やかな天気になった。
 過日、地元から要望を受けていた京都大学の石垣の角切りのことで担当者と懇談したこと、また今後の課題、見通しについて報告に。交通安全の面から道路管理者の京都市にも働きかけが必要だ。時間をかけて実現に向けて努力をしよう。

     <携帯電話 機種変更>

その後、携帯電話のバッテリーがほとんど切れたので、機種変更のためにソフトバンクのショップに行く。色々と店員と喋っていて、結局流行のiPhoneに機種変更をすることにした。書類の手続きや電話番号など情報の移動に時間がかかってしまってもうくたびれました。
 今どきの若者のように上手く使いこなせるかどうか、無用の長物に終わらんようにしたいと思うが、それにしても当分厄介やな。
 なおメールアドレスはmasaho62@i.softbank.jpです。直ぐに返信できないと思いますが、もしよかったら送ってください。

 夜は、明日の教育福祉委員会での質問を予定しているので、つい先日発行された市政白書の特に保健福祉局の分野を読んで、簡単な質問メモを作る作業。


●9月5日(月)

 台風一過、さわやかな天気にはならない。じっとりと蒸し暑い。特に奈良県十津川村では土砂災害などで孤立地域があるようだ。

 昼前、生駒市で市会議員をしていた小笹浩樹君が来所。2期頑張ってきたがこの春の選挙で苦杯をなめた。社会党時代からで20年ほどの付き合いかな。ええおっさんになっていたが、これからどうするか、選挙のことや議会活動でのことなど喋る。再起を期待したい。

 午後は、議員団室へ。「体操服!いってらっしゃい、おかえりなさいプロジェクト」という学校体操服のリサイクルシステムについて、特に産業廃棄物としての取り扱いについて、帝人と旭化成の担当者と教育委員会、環境政策局との関係者と協議。学校現場での回収から運搬、処理、再生へのエコサークルをどのように作り上げるのか、知恵をださないといけないな。

 またこの秋に五条坂で障がい者の授産施設で作られた作品の展示などをするスペース「ユイ・ハート」をオープンするNPO法人京彩都の石井さんらを保健福祉局の障害保健福祉部長らに紹介。色々とアドバイスや京都での取り組みについて懇談。幸せいろ鑑定なども行うという。ぜひいちど行ってみてください。

 その後、民主党府連に立寄って打ち合わせ。ちょうど野田新内閣の政務官などを発表しているとき、京都からは北神圭郎議員が産業経済政務官に就任したとか。がんばってや!

 夕方は、連合京都議員フォーラムの幹事会。秋の総会や研修旅行会のことなど協議。選挙後、初めてゆっくり懇談。


●9月4日(日)

 予定されていた吉田学区の自主防災訓練は中止。
 奈良県や和歌山県で台風の被害が甚大。

 テレビで世界陸上の男子マラソンを見る。県庁の星、川内選手ら健闘。ケニア勢は強いね。

 新聞の世論調査では、野田内閣の支持率が50パーセントを超えて幸先よし。民主党の支持率も30パーセントに回復。ひとまずよかった。この先どうなるか不安だが、しっかり復興対策や原発事故の収束に向けてしっかりやって国民の信頼を取り戻してくれよ。ほんまにたのみまっせ!

 午後、風も弱まったので車で鴨川の水位や街路樹が倒木しているところなどないかウロウロ。また消防署に電話して被害状況など聞くが、花背で倒木があった程度で浸水箇所もなく被害はないということで一安心。

 夜は、遅くなったが娘の誕生日祝い。31歳になった。暑い夏の日、神楽岡の産院で生まれた。ラマーズ法で生み、ぼくも出産に立ち会った。結婚話もなさそうだが、元気に頑張っているので何より。


●9月3日(土)

 予定されていた京都市の総合防災訓練も台風で中止。外を出歩くのも危ないし事務所で仕事をするのもイマイチ気合が入らないし家で夕方までゴロゴロ。

       <笑いの内閣> 

 夕方、近くの京大吉田寮へ。第13次「笑いの内閣」の「非国民文化祭」の芝居を見に行く。総裁の高間響君とも4年ほどの付き合いになるのか。彼は鬼才だ!
 初っ端が「原子力少女ぷるとちゃん」。電力会社や推進派をコメディ風に社会風刺。科学特捜隊が事業仕分けに出くわす光景。蓮舫役がまた良く雰囲気が似ていて面白かったよ。高校野球を題材に共産党と創価学会を皮肉ったコントも馬鹿受け。でも若い子らがインターナショナルの歌を知るすべもなく、また「代々木」というのが共産党であることを知っているのは、ぼくらの世代か。
 石原慎太郎を演じる高間響は見事。風雨が強いにもかかわらず観客の入りもまあまあ。その後、某社会福祉法人の理事長から今後の夢を聞く。夜半、風雨強し。被害が出ないことを祈る。


●9月2日(金)
  
       <手づくり市と市バス乗客数>

 台風接近。風雨強し。昼過ぎ議員団室に。百万遍は知恩寺境内で毎月15日に開催されている「手づくり市」の主宰者臼井郁司さんと交通局の自動車部長と懇談。手づくり市が始ってもう20年を越える。ぼくが事務所を百万遍に構えていた時にひっそりと始ったこの市も今や天神さんと弘法さんに負けない市になった。

 とある観光シンポジウムでこの手つくり市のことを報告するということで交通局に毎月15日の百万遍のバス停で降りる乗客数を調べてもらっていた。206・201・17・3系統のバスの乗客数はいつもほぼ2千人から2千5百人程度が、市があるときは5千人を越える時もある。いやはや凄いよ。京都駅ではときには乗れないときもあるという。京阪出町柳駅の乗客数も格段に増えている。京都の観光に大いに貢献しているということだ。
 梅小路公園で毎月第一木曜日に開催されている「一木市」も徐々に出店が増えているという。市長表彰したらどうや。継続は力なり!

 その後、介護保険にかかわる会の理事長の梶宏さんらと来春行われる市長選挙のことや門川市政の評価など喋る。台風接近で風雨も強く警戒警報も出ていたので島内研府会議員の府政報告会も中止。聞きに行くつもりだったが残念。

 ニュースは菅首相が官邸を去り、野田首相の新内閣発足。サプライズ人事はないと言うことだが、ぼくの知っている大臣はいないな。ともあれ、これからちょっとは落ち着いて欲しいというのがぼくのささやかな願い。


野田新首相誕生  8月30日ー9月1日
●9月1日(木)

       <「こぺる」のこと>

 今日から9月。台風が接近しているからか、蒸し暑い。昼前から事務所の倉庫の整理を始める。事務所を熊野から移転してちょうど4年。後生大事に残していた資料など捨てる作業。色々と面白い資料は残す。

 1996年に京都会館別館で藤田敬一さんと「同和行政と制度疲労」と題して公開対談した時のテープを活字にしたものも出てきた。彼が出し続けている「こぺる」に寄稿したのは96年の9月号だった。
 この9月号には消防局職員だった谷亜生さんが寄稿しているが、ぼくの名前もちょこっと出てくる。過日、藤田敬一さんから電話があって11月には、15年ぶりに「こぺる」に原稿を書く約束をした。10月定例市会が終われば、作業にかかろうと思うが、さてどんな原稿になるかな?

 また暇になれば、平成時代の京都市政と市会の歴史を書きたいなと、色々な資料をチラチラ見ながら思ったのである。終日、事務所に篭っての作業。ちょっと疲れた。





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