国民文化祭パレードで剣鉾を差す!定例市会閉会 10月28日ー31日
●10月31日(月)
<11年度決算を認定、地域コミュニティ条例修正可決>
長かった9月定例市会の会期末の本会議。付託されていた議案についての審議の各委員長報告があり、表決の時は立ったり座ったりで、ぼっとしてられない。
地域コミュニティー活性化条例は、2個の付帯決議をつけて修正案が可決された。共産党とみんな無所属の会が反対。
22年度一般会計歳入歳出決算は、各会派が次々に討論に立つ。わが議員団からは、青木芳香議員とデビュー戦の松下真蔵議員が、公営企業会計について決算を認定する立場で落ち着いて討論に立つ。共産党は一般会計決算など認定しなかったのもあり、また付す意見についても起立表決もあってややこしい。
主な「付す意見」は、小規模低コストバイオガス技術の実証、宝ヶ池球技場の芝の張替え、区役所の宿日直嘱託職員の定年制の適用、京都市都市整備公社による駐車場経営の効率化、防災危機管理室の強化、西京区の配水管の更新計画、地下鉄ホームの転落防止柵の設置の検討などであった。
<意見書は>
それから政府に出す「意見書」は、29日の市会運営委員会での決定どおり、全会派賛成して可決されたものもあれば、起立表決で可決されたものもあり、民主として政府与党として賛成しないものもありで実にややこしい。
「子ども・子育て新システムの撤回を求める意見書には山本ひろふみ議員が野次をものともせずに反対討論。今後、保育園関係者からまあ色々と苦情が言われるかな。
また「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書は民主のみ反対して可決されたのでした。
午後2時前に閉会宣告。本会議終了後、市長・副市長らが各会派に挨拶に来て、長かった市会定例会もようやく幕。
<左京西部いきいき市民活動センターにて>
4時頃、元養正隣保館の建物が、この4月からは、左京西部いきいき市民活動センターと名称が変わり、劇研という団体が指定管理者になって運営され始めているが、「わたしの来た道、そして今~メッセージと写真展~」の最終日ということで見に行きスタッフのメンバーと懇談。
ぼくの知り合いの顔もあり、写真と苦労したこと、幸せに思ったことなど、それぞれのインタビューが短く書かれている。高齢者と若い世代との交流を目指しての企画だそうで、地元のまちつくりの会と協働して、野菜市なども始めているという。ええ感じや。この活動センターは、わが友人の演劇集団「笑いの内閣」も稽古場として活用しているようで、演劇や文化の発信の拠点になればいいなあ。長年同和行政のあり方について発言してきたぼくは、時代は大きく変わったと思うし、ここから何かが新しく始ることを期待したい。スタッフのみなさん、がんばりや!
夜は、長かった市会も終わり、議員団の打ち上げ。11月14日に予定している事業仕分けに参加してもらう、元議員の安孫子和子さんや山本恵に藤川剛君も合流して、市長も顔を見せてくれて大いに盛り上がった。
●10月30日(日)
<秋の日曜日はイベント回り>
朝10時過ぎ、近衛中学校の南にある吉田学園のオータムフェスティバルに。今年で7回目ぐらいかな。近衛中学校の吹奏楽部の演奏でオープニング。バザーや第四錦林小学校児童のお茶席などもあり、地域と障がい者との交流の場。
それから吉田山は宗忠神社の世界連邦運動協会京都支部秋の講演会に。「政宗公に学ぶ仙台藩の伊達家の心」と題して、伊達家34世・伊達泰宗さんの講演。お公家さんのおっとりした話し方にいささか驚いた。NHK大河ドラマの時代考証のことなども興味深かった。
途中で退出して、四条室町の京都芸術センターに。国民文化祭の行事の一つとして、ちょっと小雨が降りそうだったが、一乗寺は八大神社の剣鉾が披露された。粟田神社や大豊神社の剣鉾のメンバーが集まり応援に。柿阪君は二日続き。タフやな。ギャラリーが少なかったのがちょっと残念でした。
それから、平安女学院での京都SEELフェアに。今年も雨模様でした。京都府生活衛生営業指導センターと大学の理事長でもある山岡景一郎さんが奮闘。学生たちの出店とクリーニングや麺類、寿司や喫茶などの組合の模擬店もあり、住みよい京都をつくる婦人の会もバザーで出展。偶然にも市長も駆けつけたときに遭遇して舞台で挨拶する市長とともにぼくも一言ご挨拶。
小雨降る中、檀王法林寺での沖縄県人会のフェスティバルで沖縄ソバを食べて、
「みやこめっせ」での3R推進全国大会に。3Rとは、Reduce(ゴミをださない )Reuse(繰り返し使う) Recycle(再び利用する)ということで、フロアでは環境諸団体がブースを出し、B級グルメコーナーやタレント掛け合いもあり、地下では環境フォーラムとして、産業廃棄物の処理やリサイクル資源の展示など。課長らが子どもたちの双六で頑張っていた。秋の日曜日は行事三昧。
●10月29日(土)
<国民文化祭、オープニングパレードで剣鉾を差す>
朝8時前に吉田神社は第二鳥居前の大元講社の社務所に。今日は国民文化祭オープニングパレードの日。
パレードの先頭を第四錦林小学校の児童のこども剣鉾とともに、吉田剣鉾保存会も一緒に歩くということでテンヤワンヤ。法被に着替え、草履を履いて、トラックに剣鉾を積み込んで神官に簡単にお払いをしてもらって、いざパレードのスタート地点に出発。元城巽中学校の今は京都堀川音楽高校の校庭が待機場。
秋晴れの絶好のパレード日和。10時半には御池通は西洞院のスタート地点にスタンバイ。11時前、本隊のパレードが出発する前に子ども剣鉾を立ち上げて、わが吉田剣鉾保存会のメンバーによる大人の剣鉾3基も雲ひとつない秋晴れの下、出発。ぼくは「扇」という剣鉾を差すチーム。
烏丸通を過ぎて、ロイヤルボックスの横には市長と知事が手を振ってくれているのが眼に入ったが、皇太子さんは着席せず無人、ロイヤルボックスを過ぎたところから少しバックして待機。
ロイヤルボックスに皇太子さんが着席されたところで、第四錦林小学校児童の子ども剣鉾が巡幸し、そしてわが吉田剣鉾保存会の高校生による剣鉾が3基、雲ひとつない秋空に差されたのだ。ぼくもその後ヨタヨタしながら差して、観客席の知人らから声をかけてもらった。
差し終わってロイヤルボックス席に頭を下げると、皇太子さんが会釈をしていただいたのが見えた。(後日談だが、皇太子さんの後に座っていた市長が剣鉾のことを説明してくれていたという)。
パレードは吹奏楽のマーチングパレードなど3千人が行進。その先頭を子どもたちが元気よく市役所前広場まで歩ききった。名誉あることでした。ぼくも陽射しが眩しくて、よろよろしながらだったが、剣鉾の師匠、柿阪君の指示に従って無事に何箇所かで差すことができた。いやはや疲れました。
<鴨沂会 教養講座「京都のゴミの話」>
午後1時過ぎには着替えて鴨沂会館に。社団法人京都鴨沂会の教養講座。ぼくが司会をして、エコロジーセンター所長の高月紘先生が「京都のゴミの話」で講演。高月先生は鴨沂高校12期生で、京都市廃棄物減量等審議会会長として、京都の先進的なゴミ問題の取り組みを進めてきていただいた。家庭ごみの組成を調べたこと、レジ袋や家庭ごみの有料化のこと、また原発のことなど、ペンネーム「ハイヌーン」として環境マンガ
も描かれるが、マンガも随時見せながら、お話いただいた。この間の京都市のごみ問題の施策の流れについて改めて勉強する機会になりぼくにも有意義でした。
<リラ亭・カリン亭同窓会>
4時前には「リラ亭・カリン亭同窓会」に。「リラ亭」は三条河原町を下がり、二筋目か東に入った小さなショットバー。20代後半からぼくが呑んだくれていたところ。加藤登紀子さんの「時代遅れの酒場」の舞台。マスターの木村さんが亡くなった後、今は福知山の山村で民宿をしている長谷さんが10年ほどカリン亭として続いていた。店が閉まってもう10年。
冊子「こぺる」の発行者藤田敬一さんらの呼びかけて同窓会が開催されたのだ。当時の常連客、小西桂氏や高槻の市会議員だった岡本さんらと久しぶりに一献傾けた。
それから国民文化祭のパレードを無事に巡幸し終えた吉田剣鉾保存会のメンバーの直会でワイワイして、さらに岡崎公園での「あかりとアートのプロムナード」を見に行く。美術館前は、まあまあの人出。全体的には寂しいな。ライフスタイルカフェで犬の散歩中の知人とホットラムを飲んで懇談。長い一日でした!
●10月28日(金)
<討論結了と意見書のこと>
議員会も3日目。昼前から意見書調整を精力的に進める。文言訂正や対案が出されたものもあれば、取り下げされたものもあったり色々と駆け引きがあったが、
結果は、「子宮頚がんワクチンなど定期接種に関し早期に国の制度支給確立を求める意見書」、「京町家の維持・保全に関する意見書」、「学校施設の防災機能向上のための新たな制度創設を求める意見書」、「大規模災害時に備えた公立学校教職員派遣制度の創設を求める意見書」、「受診時定額負担の導入に反対する意見書」は、各会派賛成して可決されることに。「エネルギー政策の転換の推進を求める意見書」は共産のみ反対で可決されることに、「原子力発電からの脱却を求める意見書」は共産のみ賛成で否決されることに。「年金受給資格期間の短縮を求める意見書」は、自、共、公、京都党賛成で民主は反対。「電力多消費型経済からの転換を求める意見書」は、自民、公明、民主、共産が賛成。京都とみんなは反対。「円高・デフレ克服する経済対策を求める意見書」は、自民、共産、民主、公明、京都、みんなが全議員賛成。「こども・子育て新システムの撤回を求める意見書」は 自、共、公、京都、みんなが賛成。民主は反対。「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書」は、民主のみ反対ということで意見書の対応が決まった。
これらの意見書の調整が終わり、また各会派から出されてきた付帯決議などが検討されて、ようやく4時過ぎから各常任委員会から始って討論結了委員会が開催されて、決算特別委員会は本会議場にて討論結了の委員会が病欠の議員を除いて全員の議員が出席して開かれた。
付帯決議や「付す意見」を巡って調整に時間がかかったが、その後、明日の本会議で討論に立つ議員名が表明され、本会議日程が決定された市会運営委員会が開催されたのは、午後9時前だった。たいして紛糾しなかったので、まあこんなものかな。
長い1日だった。
残っていた同僚議員らと「世界のやまちゃん」の手羽先で一献傾けて帰宅。
定例市会会期末、意見書調整役。10月25日ー27日
●10月27日(木)
<意見書の調整役>
10時から議員会。昨日夕方に自民が5本、共産が8本、公明が3本の意見書(案)が提出されてきた。早速、その意見書案を読み、対応を決めていく作業。山岸副団長が進行役。民主党政府への批判が文面に濃いものや反対というタイトルには賛成できないなあ、と議論を聞きながら思う。ぼくと山本ひろふみ議員が他会派との調整役。午後、精力的に自民、共産、公明、京都党、みんな無所属の会の代表が集まって意見書の調整役。山本議員に発言は任せておいて、ここぞ、というという時に長老?として意見を述べることにしている。
また議員会では、決算は認定することを決定して付託された各議案については、地域コミュニティー活性化条例は、いわゆる宅地開発に係わる事業者へのことを入れる修正案を出す方向で調整が始った。
<岡崎「あかりとアートのプロムナード」>
夕方6時前に岡崎の美術館前に。今年がはじめての企画「あかりとアートのプロムナード」のオープニングセレモニー。美術館前にたたずみながらどんなものかな、と思いながら待機。すると音楽が流れて、夕闇に浮かぶ美術館の外壁に「プロジェクションマッピング」というのだそうだが、建物の形状に合わせてデザインされて多彩な色が浮かび上がり舞う。これは見ごたえはある。暫し秋の夜を楽しむ。
周辺では大鳥居がライトアップされて、また岡崎中学生による行灯が展示されたりそれなりに工夫はされているが、観客はパラパラ。ライフスタイルカフェでホットワインを飲んで温まる。
<国民文化祭、市会議員は招待されず>
そして吉田神社境内での剣鉾の練習に。明日は討論結了の委員会が遅くなりそうなので、ぼくは今日で最後の練習になるので気合を入れて剣鉾を差す。
ところで、国民文化祭のオープニングパレードに、市会議員は各会派の団長らが招待されただけで、案内状も来ていないことが判明。くらし環境委員会委員長の時に実行委員会の立ち上げにも行っているのになんで呼ばれへんのや。なにが府市協調や!と主催する京都府庁の担当局長に抗議の電話をする。自民党市会議員団でも怒りが渦巻いていたらしい。美術館前のセレモニーの時に市長にそのことを伝えたら、曰く、遺憾なことです、と市長。ほんまやで。
●10月26日(水)
<
定例市会もいよいよ会期末を控えて各会派議員会。今後の日程など報告されて、付託されていた議案と決算について審議状況や問題点について各委員会所属の議員から報告。
地域コミュニティー活性化推進条例については、文化市民局を呼び込んで改めて詳細な説明を聞き質疑をする。要は、マンション住民などに地域の自治会加入などの促進を図る条例、地域住民の絆を深めるのも大事なことだと思うが、ぼくは強制的なものにならないようにすることも大事だと考えている。賛成はするが、気分的には率先促進派ではないのだよ。
また政府に対する意見書は、なにしろ政府与党になるとそう簡単に出せないなあ。議員団としては、意見書は出さないことに。
<連合京都議員フォーラム>
午後4時からは連合京都議員フォーラムの総会に。ぼくは事務局次長ということで幹事席に座る。活動報告と活動方針案が提示されて粛々と議事が進む。
研修会は、講師に中沢孝夫福井県立大学特任教授が「グローバル化と中小企業(京都の伝統産業と先端技術)」と題して講演。京都の2、3の企業の例を出して、グローバル化時代にどのように中小企業を発展させるか、海外展開する意義と人材育成のことなど、お話は上手。高卒で郵便局勤務の後、全逓組合本部勤務をして立教大学入学という経歴の持ち主。
その後の懇談会は、飲むのや挨拶は、ほどほどにして剣鉾の練習へ。3人がチームとなって一本の鉾を巡幸するので、鉾を立て、受け渡しのタイミングなどの実践練習。秋の夜空を見上げながら、冷?汗をかく。
●10月25日(火)
市会の常任委員会は、まちづくり委員会と交通水道消防委員会、ぼくは出なくてもいいので、11月7・8日に開催される民主党本部主催議員ファーラムの参加者の調整など、事務所でなんやかんやの雑務。
午後、鴨沂高校を今年卒業した佐々木祐君が北区役所で仕事をしているので同窓会報を持っていく。大森区長も在室していたので雲ヶ畑のバス路線廃止のことなどで懇談。
夜は、国民文化祭のオープニングパレードが近づいてきたので剣鉾の練習を再開。子どもたちも頑張り始めた。3千人ほどのマーチングバンドの行進の先頭を第四錦林小学校の子ども剣鉾が先頭を歩くことになり、吉田剣鉾保存会も一緒に巡幸するのだ。皇太子さんも臨席されるということで、緊張するかな。
閑話休題。プロ野球のセリーグもいつの間にか終わって、今年は中日が優勝。優勝しても落合監督は辞めたが、Aクラス入りできなかった阪神の真弓監督も辞めて和田コーチが昇格するらしい。横浜ベイスターズは球団の売却で右往左往しているようで、プロ野球も面白くなくなったなあ。
時代祭りと教育福祉委員会 10月23日・24日
●10月24日(月)
<教育福祉委員会>
会期中の常任委員会開催の日、10時から教育福祉委員会。委員会に付託されていた保健福祉局の議案、障害者自立支援法施行に係わる知的障害者更生施設大原野杜の名称やサービス内容の変更など条例の改正など。説明の後、簡単な質疑。
また共産党の議員が紹介議員になっている請願、小学生卒業までの子どもの医療費の無料化と伏見区淀の学童保育所設置に請願2件は留保。一般質問では、保育行政、生活保護、食品の放射線量検査、介護付き住宅制度のことについて質疑があった。
教育委員会の付託議案はなく、一般質問。各委員は、教科書採択問題、給食の放射性物質の検査、大規模中学校のこと、柔道教育の安全性などについて質疑があった。
ぼくは、文科省の「放射線について考えてみよう」という副読本が、原発事故のことに言及せずに、花の「すいれん」から放射線も出ていて、キューリー夫人やレントゲンの発見云々のことなが書かれていて、被爆による子どもたちの健康被害を心配している母親たちの心配など関係ないようなことを副読本として発行しされたことを批判。民主党議員が文部科学大臣だが、抗議をしたいね。
また教育制度の今後のあり方と改善方策について検討を進めるということで、京都市・乙訓郡公立高等学校教育制度に係る懇談会が発足するということで、総合選抜制度廃止の問題などを指摘。これからも高校制度のことについては論議の行方を見守りたい。
そして答弁は求めなかったが、国民文化祭のオープニングパレードで第四錦林小学校の児童たちが子ども剣鉾を差してパレードの先頭を歩くので、ぜひ見に来て欲しいと教育委員会の関係者にアピールをして質問を終えた。
夜は、立ち退き問題を巡る急な相談ごとが1件。
●10月23日(日)
<時代祭りを歩く>
昨夜の雨も止んで晴天の朝。1日延期になった時代祭り。地元吉田の神楽岡社の祭りなど行事もあったが、第七社ということで装束に着替えて、朝、8時前に平安神宮に。例によって深緑の装束を着付けてもらう。
吉田は平安講社第七社、9時前、平安神宮から御鳳輦(「ごほうれん」の前を歩いて、丸太町通を西に行って御所は堺町御門から入場。神事が終わって行列の出発は、正午なのだが、第7社は最後の神幸列の最後のほう。弁当を食べたり、一緒に歩く行列のメンバーや、白川女の列に参加している高校時代の同級生の細川寿美枝さんや、また馬車に載る副議長の安井議員と喋ったりして時間を過ごす。
3時間ほど待機して、ようやく1時半頃になって、雨が降りそうな雲行きの元、出発。烏丸から御池へ、馬糞に気をつけながら履きなれない草履で歩く。御所や御池通の有料観客席は空席が目立つ。延期になったこともあり、人出が少ないかな。途中雨がパラパラと降りかけたが、なんとか市役所前から三条通を東へ行って神宮道から大鳥居をくぐって無事に平安神宮に戻ったのは4時前。
一緒に歩いた吉田の長老らとコーヒーで直会。副議長で先頭の馬車に乗ったのは5年前、神幸列の前列の供奉として参加し始めてちょうど4年か。少しは慣れたが、草履で歩くのは疲れるな。
夜は、わがカルチャーガーデン吉田の森でイラスト展をしていた斉藤尚さんのお母さんとお兄さんが名古屋から来て、この12月に結婚式を挙げるということで、「炎の火」での両家の会食中に乱入。尚さんの結婚相手の新郎の親父、斉藤氏とはぼくが学生時代に大丸の配達のバイトをしている時、郵便配達をしていたので、配達先がわからんときはよく教えてもらった。また消防団でもよく会っていた。面白い縁だよね。
決算委員会 本会議場で総括質疑 10月19日ー22日
●10月22日(土)
<時代祭り、雨で延期>
朝は雨。時代祭りは延期。昼前までゆっくり。午後は、十二提灯の会計やメモを頼りに「ひとくち日記」の打ち込みなど雑務をこなす。
10日ほど前から事務所一階のカルチャーガーデン「吉田の森」での斉藤尚ちゃんの可愛い動物のイラストと舞妓さんの花飾りの絵の個展は、明日が最終日。友達も見に来ていて盛り上がっていた。
<八神社と日吉神社の宵宮>
夕方は、雨の中、銀閣寺の北側にある八神社の宵宮に。境内にブルーシートを張っての夜店。地元のみなさんがうどんやから揚げ、みたらし団子など雨に濡れながら奮闘。知人らにご挨拶。
それから錦林車庫の西にある日吉神社の宵宮に。雨で役員さんたちはビショ濡れになりながら、ビンゴゲームなど準備。ここの串かつは美味いよ。
帰途、以前に路地奥の街灯設置について要望を受けていたので町内会長さんと現場を見に行く。土木事務所にいちど相談に行こう。さて明日は晴れるかな。
時代祭りを優先することにしたが、神楽岡や日吉神社を見学に行けないのは残念やな。
<タイの大洪水と映画「田舎の先生」>
ニュースは、連日タイの大洪水。日本の企業団地が水没し、首都バンコクも浸水になるという。
ぼくはタイに行ったことはないが、30年ほど前に、京都に来ていた留学生と一緒にタイの映画「田舎の先生」の初上映運動をイタリア会館でしたことがある。クロントイスラムの天使と呼ばれたプラティープさんも参加してくれて会場は満員だった。
タイ東北部の熱帯林の伐採に反対して先生が立ち上がるというストーリーだったが、降り続いた大雨の影響もあるのだろうが、熱帯林の伐採や開発の影響がきっとあるのだと思う。タイの人々の暮らしはこの先どうなるのだろう。
●10月21日(金)
<決算委員会総括質疑 2日目>
朝刊に西京区で水道管が破裂して断水や濁水の事故。夏にも大きな水道管が破裂してガスが止まったという大きな事故が西京区であったが、地下鉄やバスの事故がよく委員会の直前に起こり、冒頭から市長がお詫びをする、というパターン。普通決算特別委員会総括質疑の2日目もこのお詫びから始った。
自民、共産、民主、公明の順で昨日に続いて市長と3人の副市長及び水道局管理者に質疑。民主のトップバッターは中野君で山本君、デビュー戦の片桐君、そして天方君と4人が、路地の再生、防災訓練、三山の保全、スポーツ施設のことなど質疑。
ぼくは睡魔に襲われながらもメモをとる。夕方6時過ぎまで合計21人議員が20分の制限時間で、次々に10年度決算に係わり、様々な行政課題について質疑。
ベテラン議員は、メモを読むことなく市長らと臨機応変にやり取りをするが、新人議員は緊張気味やね。時には野次も飛び、本会議場での総括質疑は、答弁する市長らはたいへんだが、議会の活性化にもなっていい感じ。インターネットで録画中継されているのでぜひご覧下さい。2日間座り続けて腰が痛くなった。
<鴨沂高校同窓会理事会>
夜は、鴨沂高校理事会。30人ほどの理事さんが集まってくれた。
2期6年間ぼくは会長を務めたが、今回の総会で退任。退任のご挨拶。理事長の山崎君、事務局の金子さん、ホームページを作成してくれた太田先輩には特に感謝。新会長に8期の上野民夫さんが選任された。その後、11月20日予定している総会の次第などの打ち合わせ。夜は雨。明日の時代祭りは延期かな。
ニュースは、リビアのカダフィ大佐死亡、血まみれの映像が流れる。42年に及ぶ独裁体制に幕。
●10月20日(木)
<本会議場で決算委員会 総括質疑>
10時から決算特別委員会の総括質疑。三つの分科会に分かれて審議してきたが、今日は69人全員(欠席者は1人)が本会議場に揃って、市長と3人の副市長との質疑。 この試みは、不祥事での臨時市会以来かな、画期的なことで、傍聴もできるようになった。自民、共産、民主、公明の順番で、持ち時間は答弁も入れて一人20分。
ぼくは午後に、項目だけのメモをもって12番目に登壇。
本会議場で決算を質疑することと今年から始ったパソコンによる書類調査の意義を語り、局別審議を踏まえての質疑。都市計画、建設局の入札制度の改善と公契約条例の制定の意義について、さらに障害者就労支援のこと、高齢者の介護予防のためにも街区公園が「すこやか公園」として再整備されること。そして、福島県からの避難者の市営住宅などの滞在延長と支援、原発問題については、午前中に市長選挙を意識して共産党議員が、市長とやりあっていたので、一言ぼくの考え方を言う。
常々、総括質疑では、本会議の代表質問と違って、自由闊達に議論をしたいと思って質疑をするが、さてどうやったか?京都市会ホームページからインターネットで録画画像が見れるので、ぜひ一度見てやってください。
各委員は、決算審議として福祉や歩くまち、環境、防災、保育行政、地下鉄と市バス、ごみ減量や観光、介護保険など市政の課題についてそれぞれの視点で質疑が行われた。最後のほうで京都党の某新人議員さんが、火災件数が捏造されていると、顔に似合わず、えらいキツイ言い方をするものだから議場はちょっと騒然。本会議とはまた違う緊張感があった1日。午後6時過ぎまでみっちり。答弁する市長らはたいへんやね。
<連合京都市内地協と議員懇談会>
夜は、連合京都市内地協と議員団の懇談会。ぼくが一応呼びかけ人で進行を指示。労組役員と市内選出の府会議員と市会議員が集い、2012年度京都市政策・制度要請(案)について報告があり、議員と意見交換。
タクシーやバスの運転手さんの苦労、水道事故のこと、観光振興のこと、公契約条例のこと、エネルギー政策のことなど2時間ほどの懇談会であったけれど、有意義であった思う。
●10月19日(水)
<委員会は中休み、マサホ号廃車に>
明日の普通決算特別委員会の総括質疑を控えて市長らの勉強会ということで委員会は中休み。
朝、新しい軽貨物車が搬入。前のわがポンコツ宣伝カーマサホ号は16年間付き合ってくれた愛車。でも、いたるところに傷だらけで、冷房はないし天井の断熱マットは破れて、夏はサウナ状態。急な坂ではアエギあえぎでもう限界。中古車の出物があったので代えることにした。近所を試運転。4駆なので吉田山の急坂もらくらく。
久しぶりに事務所にて送付されてきた封筒や書類を見る。またコムページの牧野君と市民参加型コミュニティサイトの打ち合わせ。
<11月のバス研修旅行会は若狭へ>
午後に、明星観光サービスの西村君に来てもらって、秋の研修旅行会の日程や行き先について打ち合わせ。今回のテーマは脱原発依存社会を考える、ということで若狭に行くことにした。日時は11月27日(日)午前8時30分東一条出発、熊川の宿場町を散策後、食事をして、若狭は古刹、明通寺に参拝して、長年原発問題に取組んでこられてきたご住職の中島哲演さんの講話をお聞きしたいと考えている。
中島住職とは、30年ほど前、ぼくが「月刊地域闘争」の編集をしているとき原稿を書いてもらったことがあったので早速電話で連絡をしたところ引き受けていただいた次第。その後、美浜原発のPRセンターにも立ち寄り、海鮮物産展にも寄って帰るコース。食事つきで参加費は8千円。先着40名様です。
午後3時過ぎに久しぶりにわが鴨沂高校に。山岸校長先生らと暫し同窓会総会のことやスタンウエイのピアノのことなど積もる話。同窓会の総会は、11月20日(日)午後4時からウエスティン都ホテルで開催します。同窓生のみなさん、ぜひ来てや。
夜は、相談ごと一件。それから明日の総括質疑に向けて、局別審議のメモを見ながら、市長とのやり取りをイメージしながらメモを作る。
市会報告会と市会改革推進委員会 10月17日・18日
●10月18日(火)
<市会改革推進委員会>
普通決算特別委員会は昨日で終わったが、午前10時から市会改革推進委員会が開催される。各会派代表の20人の委員が集っての委員会。議員同士の議論は面白いよ。ぼくは古参議員として時には過去のことなど披露しながら適時意見を述べることにしている。
冒頭に北九州市議会の議会基本条例について報告されたが、伝統ある自治のまちとしての京都市会の特徴を生かした条例にしないといけないよ。その後、開かれた市会(市民に身近な市会)ということで、本会議場での一問一答の質疑の可能性や代表質問の事前公表、ないし質問要旨の配布についての議論。(この本会議から質問項目については傍聴者や議員に配布されるようになったので大きな前進はした)。また「市会だより」での議員個人の賛否態度の公表は結論出ず、でひとまず打ち切り。常任委員会のネット中継などは費用のこともあるので今後の課題。議会基本条例については共産党がイマイチ乗り気ではないみたいで、時間がかかりそうやね。
<「恒河紗」と福島美枝子さん>
委員会終了後、青年たちの居場所づくりをしている「恒河紗」の福島美枝子女史らと懇談。内閣府のパーソナルサポートや厚生労働省の貧困・困窮者への「絆」再生事業のことなど京都市の担当者を交えての懇談。パワーのある人で、もう長い付き合い。ぼくが敬愛する哲学者の鶴見俊輔さんと 『 本音を聴く力―中学生は何を考えているのか』(同朋舎)も出版している。何事にも一所懸命なのだ。
<京大総合博物館 エジプト考古展>
夕方は京大総合博物館に。エジプト考古展の内覧会というより終わった後の懇親会に。大野館長と親しくなったので吉田のチェルキオの会のメンバーらと合流。12月18日まで開催中。博物館のショップを運営しているのがアクティブKeiのメンバー。一乗寺は「てぃんがーら」の地ビールを飲みながら、大野館長や、わが鴨沂高校時代同級生でわが後援会幹事長の辻村哲夫君と、今は京大の副理事で生存圏研究所教授になっている川井秀一君とワイワイ。
その後は、銀閣寺交差点の「すいれん」の1周年。今は亡き上倉哲郎元市会議員のお孫さんの吉継君が頑張っている。彼は剣鉾も差すので、粟田の園さんと大豊の山田さんら剣鉾仲間もお祝いに駆けつけていた。
飲んだ勢いで、近くの「黄昏亭」にも1年ぶりかな、立寄る。ちょっと酔っ払いました。
●10月17日(月)
<京都市立病院決算審議>
10時から普通決算特別委員会の6日目。第2分科会は京都市立病院の10年度の決算。この4月から京都市立病院は独立法人化されて、京北病院とともに「地方独立行政法人京都市立病院機構」として新しい体制で運営されることになった。独立法人化を巡っては色々と議論をしたが、左京区に住んでいると西大路五条の市立病院にお見舞いに行く機会もほとんどないなあ。
PFI方式で北館の建て替えも進んでいるとのこと、各会派の委員は、決算とともに救急患者の受け入れ体制、院内保育園、政策医療や地域連携医療の取り組み、インシデントやアクシデントの対応などについて、また京北病院の医師確保のことなど質疑が交わされた。わが会派からは片桐、中野議員とともに、珍しく宮本議員も質疑立った。
いずれにせよ、今後も自治体病院としての役割をしっかりと果たして欲しい。これにて普通決算特別委員会の局別質疑はお終い。ぼくはメモをとりながら、今夜開催する市会報告会のレジメ作り。
なお昼休の時、食事をしながら事業仕分けの選定について議員会。
<鈴木マサホ 市会報告会>
夕方7時から久しぶりに事務所で市政報告会。たいして宣伝もしなかったけれど15人ほどの人が参加していただく。9月中旬に東北視察した際のスライドをパソコンで見せて、女川や石巻、南三陸町、気仙沼など被災地の現状を報告。
特に原発事故による影響について福島市のことやとりわけ飯館村でのことを詳細に、そして東北視察の「ひとくち日記」と10月5日の本会議での代表質問の原稿を配布して、そのやり取りなどを報告。
太陽光発電の里親制度について提案してくれた阪東嘉弘君も治療も一段落して退院したということで、顔を見せてくれて嬉しかったよ。
そして驚いたことに、わが後援会長の柿阪正夫さんは染色関係の設備製作の会社なのだが、なんと!ぼくが福島で飯館村に一緒に行った安彦染工場の安彦雅祐さんと知り合いだった。設備を納品しに行ったこともあるということで、ほんまにびっくりしたなあ!不思議な人の縁を思う。松田明さん、田頭道登さんの御冥福を
10月15日・16日
●10月16日(日)
<運動会も最後の日曜日>
運動会シーズンもいよいよ最後。この秋は雨天中止になることもなく各学区運動会が開催されて良かった。まずは錦林小学校での聖護院学区の運動会。ぼくも地元でもあり、多くの知人、友人から声をかけていただいた。前原議員も参上。まめやなあ。
それから北白川の運動会に。11時半頃に着いたら午前の競技が終わる寸前。地元の体育振興会役員として隠塚議員がハッスル。美味しいうどんをご馳走になる。感謝でした。この秋は16箇所ほど回ったかな。
<松田明さんの告別式>
昼過ぎ、松田明さんの告別式。社会党時代の知人も何人か列席していて挨拶。西田輝雄元市会議員にも久しぶりに出会った。お元気そうでした。御見送りをする。松田さん、色々とありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
午後、就職のことで相談ごと一件。
<デモに参加>
午後4時過ぎ河原町へ。第5回反戦・反貧困・反差別共同行動のデモに遭遇。もちろん今年のメインスローガンは脱原発。かつての新左翼の活動家たちのオッサンらが中心になって円山音楽堂で集会をしてデモをするようになって今年で5回目かな。
今年はドイツの緑の党の連邦議員が参加した。昔とった杵柄、ぼくはデモは大好きなので自転車を押して最後尾を三条河原町まで歩く。デモの参加者は600人ぐらいかな。このご時世、まあ賑やかなデモだろう。
<田頭道登さんを偲ぶ会>
夕方は、田頭道登さんを偲ぶ会。同志社の神学部の関係者ら7人ほどと奥さんと息子さんや娘さんを囲むささやかな会。田頭さんは、若い時に1960年代半ばに東京は山谷に入って色々と活動をしていて、フォークの神様と当時呼ばれた岡林信康さんらとの出会いがあり、また高石友也さんらの七人の会などにも関係していた人。ぼくは1970年にキューバに砂糖キビ刈りに行ったが、そのときの仲間。
この6月13日に逝去された。79歳だった。キューバでの思い出や、4年前かな、チェ・ゲバラの娘さん、アレイダ・ゲバラさんを京都に呼んで集会をしたときの田頭さんの思い出などをぼくは語った。アディオス タガチーラ!
●10月15日(土)
<事業仕分けの準備>
朝8時過ぎ、11月14日に民主・都みらい議員団で予定している「事業仕分け」のことで担当の議員と議員団室で早朝の会議。天方議員が張り切っている。担当のメンバーから対象に選ばれた事務事業の項目について協議。補助金関係などの項目は、歴史的な背景のあるものや関係する議員もいることなど、政治的な判断も求められるので色々とアドバイス。
<自治記念式典>
午前10時からは京都会館で京都市自治記念式典。明治31年に「市制特例」が廃止されて市役所が開庁した日。それから113年だという。
鴨沂高校の大先輩の画家上村淳之さんら3人が特別功労賞。有効者表彰は、5期20年市会議員を務めたわが議員団の安井勉議員、自民は現職の加藤誠司議員に、引退された田中セツ子、巻野渡元議員、そして共産は井坂博文議員が受賞。ぼくは4年前に表彰してもらった。
京都市政の発展寄与されたということで、基本計画策定にかかわった人、市政協力委員や各種団体に企業、また地域の安心安全ネットワークなどで頑張っている人や団体そして篤志家などが表彰された。1439人、608団体に及ぶ。もちろん左京区では何人かのぼくの知人も表彰された人や団体もいる。おめでとうございました。
<時代祭り 参役宣状授与式>
午後、小雨模様の平安神宮に。時代祭りを22日に控えて、時代祭りに参加する人に対して、参役宣状授与式が執り行われる。ぼくは「神幸列供奉」ということで「宣状」を貰う。それぞれの時代風俗の行列の最後のほうに左京区の南部の学区の人たちの第七社の一員として歩くのだ。朝、7時過ぎに平安神宮で着替えして御所に行ってぼくらの行列が出るのは、最後の方で午後1時ごろかな。
夕方5時前、ホテル平安の森での京都市学校職員労働組合の懇親会。
退職された方々が久しぶりに集い、現職の組合員さんたちとの懇親会。女性の役員さんが頑張っていたよ。
<松田明さんのお通夜>
夜は、ゼスト御池は沖縄物産展の店主、松田明さんのお通夜。松田さんは、社会党の衆議院議員であった今は亡き竹村幸雄さんの秘書さんで大きな体でまた世話好きな人だった。
またこの10年ほど前からか、泡盛同好会を結成して、毎年錦秋の頃にホテルで泡盛を飲み、琉球舞踊や民謡を楽しむ会を主宰されていた。確か名誉会長は門川市長だ。2年ほど前には、闘病生活中にも係わらず来ておられ、その後、快復されて元気な姿でぼくの選挙の応援もしてもらっていた。ゼスト御池を盛り上げようと一生懸命だった。享年71歳。
決算委員会が続きます。10月13日・14日
<お知らせ>
10月20日(木)21日(水)午前10時から午後6時頃まで
京都市会決算委員会の総括質疑が本会議場で行われます。
今回初めての試みです。インターネット中継されます。
もちろん傍聴もできます。ぜひご覧下さい。
ぼくは20日の午後に質疑に立つ予定です。
●10月14日(金)
<決算委員会 建設局に質疑>
普通決算特別委員会は5日目。第二分科会は建設局との質疑。ぼくは11番目のバッター。
最初はローカルな左京の話題として、ニの瀬バイパストンネル、北泉橋の進捗状況、20年ほどの工期期間があって完成した白川の今出川分水路の効果について、また公園整備に関して、高齢者の居場所作りと介護予防のための「すこやか公園」づくりについて、そして都市計画局でも審議した総合評価方式による入札制度と公契約条例の制定について、また斜め久世橋線の開通による京都高速道路と新十条トンネルも利用者状況と料金の低額化、さらに今後の計画されている3路線の今後について質疑。
各委員は、道路整備、駐輪場、放置自転車対策、公園、高速道路、橋の耐震、アセットマネジメント、街路樹剪定、放置自動車、電線地中化、災害対策などの質疑があった。
<駱駝館や「YAMATOYA」>
夜は、北山は焼肉店「南山」にて、岩手県の短角牛を食べながら、某新聞社の元支局長とぼくの青春時代の駱駝館や米軍の脱走兵援助のことや京都イングリッシュセンター時代を知っている女史らと秋の夜長のひととき。二次会はぼくもたまに行く、作家五木寛之さんも行っていた熊野神社近くのジャズ喫茶「YAMATOYA」。高野悦子さんの「20歳の原点」なども話題になって、しばし青春時代にフラッシュバック。思わぬところでぼくの青春時代を覚えている人と再会して、わいわいするのもええなあ。
●10月13日(木)
<決算委員会 都市計画局に質疑>
決算特別委員会の4日目。都市計画局との審議。16人の委員が質問に立つ。
ぼくは、都市計画局長に門川市政の4年間、特に22年度の主な施策の評価などから始まり、書類調査で見つけた市営住宅の家賃滞納者に対する明け渡し請求に関わることを聞く。かつては市会での議決案件になっていたが今は市長専決事案になっているが、
弁護士費用のこと、また同じく書類調査で分かったことだが、各市営住宅などの公共工事に関わる入札業者の一覧が検索して分かったことを説明して入札制度のあり方について質疑し、公契約条例制定の必要性について要望。
また同和行政終結後の在り方でも答申されていた崇仁地区のまちづくりや、福島から避難されてきた市営住宅などの在住者についての長期滞在について要望。20分ちょっとの持ち時間はあっという間に過ぎた。
各委員は、狭隘道路整備事業や 京町家のこと、歩くまちと交通政策、住宅の耐震化、市営住宅の空き家対策、京都駅南口、景観政策、駐車場運意など多岐に渡って質疑。
<今枝団長らと>
夜は、「藤吉」で民主党政令指定都市協議会の総会のお疲れさん会を兼ねて、今枝団長と山岸副団長、隠塚理事と懇談。「藤吉」はもう20年ほどの付き合い。ランチタイムの定食は、とろろご飯と造りなど惣菜満載で800円。行く価値ありですよ。そして鯨のハリハリ鍋が自慢。久しぶりに鯨を食べた。美味かった!!話題は、もちろん市長選挙。4年前はぼくが民主党の責任者で苦労したことなど踏まえて、作戦会議。
お祭りで剣鉾を差す。10月9日ー12日
<お知らせ>
本日17日(月曜日)午後7時から鈴木マサホ市会報告会を開催します。
代表質問のこと、東北視察のことなど話します、お気軽にお越し下さい。
また10月20日(水)21日(木)は、京都市会の決算特別委員会の総括質疑。
今回から本会議場で開催されます。
傍聴も可能ですし、インターネット中継もありますよ
ぼくももちろん質問に立ちますよ!
●10月12日(水)
<教育委員会と質疑>
決算特別委員会の局別質疑は教育委員会。ぼくの質疑は午後3時前。
保健福祉局との質疑で、門川マニフェストのひとつ、子育て世代活動支援センター設置について、教育委員会に聞いてください、というような要領を得ない素気無い答弁だったので、教育委員次長と、ちょっとしつこく質疑。
予定していた京都府の所有物件に建設予定だったらしいが、調整ができず、結局伏見区の青少年活動センターの食堂を候補地にして取り掛かるという。予想していたのとちょっと違うなあ、というのがぼくの感想。
それから過日、京都新聞に京都府教育委員会が高校のあり方を巡って総合選抜制の見直しについて検討するということを発表していたので、わが鴨沂高校時代は、蜷川知事時代だが、小学区制、男女共学、総合制の京都特有の高校3原則のもとに高校教育があったことを踏まえて、総合選抜制による学校格差が生じることなど問題点などを指摘。また高桑教育長には就任4年ということで、京都の教育はどう考えるのか、という質問。
他の委員からは、いじめや不登校児童対策、学力向上、図書館、総合育成教育、伝統文化教育、防災教育、学校の耐震化、教員のメンタルヘルス、教員の評価制度などについて質疑があった。
夜は、事務所にてわが後援会の主だったメンバーに集まってもらって、バス研修旅行会の行き先などを決める。日時は11月27日(日)。行き先は、福井県は若狭地方ということで原発も見学できたらという、予定になった。参加希望の方はご連絡下さい。先着40人ですよ。会費は8千円。
会議の後は、明日の都市計画局との質疑の準備。
●10月11日(火)
<保健福祉局と質疑>
3日連続の祭りで疲れてちょっとバテ気味。普通決算特別委員会第二分科会は、保健福祉局の2日目。民主・都みらい議員団のトップバッターで質疑に立つ。
昨日見に行った産業界館内の「はあとフレンヅストア」の場所が分かりにくいと苦言を述べて、局長に大きな予算と多くの職員を抱える保健福祉局として、門川マニフェストのこの4年間の進捗状況などのついて問う。
そして障害者の就業支援について、とりわけ障害者就労支援推進会議の取組状況や職場実習チャレンジ雇用推進事業の市役所や障害者法定雇用率達成企業の現状など雇用問題について部長とラリー。また精神障害者の施設設置の受け入れについては地域住民の反対運動がかつてはよくあったが、近年の状況を聞く。
そして市バス・地下鉄の福祉乗車証の磁気カード化について今後検討するよう質疑をする。
各委員は、高齢者福祉や生活保護、介護予防、高齢者や児童虐待、エイズ、児童館など様々な課題について質疑。午後6時前まで活発な質疑があった。答弁する部長はたいへんだよ。
夜は、空間創研の吉田昌弘さんと一献。ランドスケープ協会の重鎮で公園づくりの専門家。京都の造園業のレベルの高さの話などで盛り上がる。
されど酔っ払うことなく、早めに切り上げて事務所に戻って、明日の教育委員会との質疑のメモづくり。
●10月10日(月)
<浄楽学区の運動会と粟田神社のお祭り>
いささかぐったり。されど10時過ぎには、第三錦林小学校での浄楽学区の区民運動会。今までは南田公園で開催されていたが、広いグランドで学区民が綱引きなどで親睦とスポーツの秋を満喫。多くの知人らにご挨拶。
昼すぎ、わが剣鉾の師匠たちの晴れ姿を見学に三条通は粟田神社のお祭りに。京都造形大学生の「大燈篭」の山車も賑やかに行進して、神輿も大勢の担ぎ手の中には、府市会議員も2,3人。昨年から文化庁の委託を受けて剣鉾の調査が始ったが、調査チームも熱心に映像やメモをとって随行。
<民主党の研修会>
最初だけ見学して、こんな祭りのときに、研修会なんかするなよ、と思いながら、自転車で京都駅前のホテルまで走る。総務省の新田一郎企画官が「地域主権改革と大都市制度の動向」と題して講演。地方分権推進の流れや民主党政権になってからの成果などの話。野田新首相は、イマイチ地域主権に熱心ではないようなコメントもあり、ちょっと気になるなあ。大都市制度の改革については、大阪や横浜は熱心らしいが、わが京都市では議論がそれほど進んでいない。粟田の祭りのことが気になっていたので、途中退席。
<産業会館の「はあとフレンズストア」>
帰途、四条烏丸の産業会館に先週オープンした授産施設で作られた商品を販売する「はあとフレンズストア」を見学に行くが、会館の正面に案内表示もないのはいかんよ。月曜日は定休日でした。残念でした。
<勇壮な剣鉾>
4時前には東山三条界隈で再び祭りを見学。粟田神社の剣鉾のみなさん、八大神社や大豊神社の剣鉾の差し手とともに、わが吉田の柿阪、河村君は、二日続きでちょっとバテ気味かな。古川町商店街など狭い路地でも電線の間を見事に差す技は凄いよ。各家の頭屋飾りも立派。神宮道では大鳥居をバックに6基の剣鉾を差したのは壮観だった。ご苦労様でした。
夜はしんどかったけれど事務所で明日の保健福祉局との質疑の為のメモを作る。
●10月9日(日)
<運動会回り>
運動会とお祭り日和。陽射しがまぶしい。まずは錦林小学校での川東学区の運動会。小さな学区だが、体育振興委員さんらが一生懸命。ラジオ体操をして養正学区の運動会にも顔を出して、それぞれ来賓紹介してもらう。
<吉田今宮まつり、剣鉾を差す>
それから急いで吉田は今宮社の神幸祭に。ハッピに着替えて草鞋を履いて気合を入れる。まさに祭り日和。神輿の前に3本の剣鉾が参道に並ぶ。ぼくは新松鉾のチーム。神輿の担ぎ手には京大学生らも参加して、多くの担ぎ手で担ぎ上げられる。
京大時計台前では、副学長さんらが、迎えてくれる。今年で4回目かな。うれしいことですよ。ぼくも剣鉾を差す。剣先から神さんが降臨したよ。本町から百万遍交差点では3本の剣鉾が勇壮に立った。松井酒造前がお旅所。2,3年前か、酒蔵を復活されて醸造され始めた。まさに吉田の地酒。冨士千歳は美味いよ。お神酒を頂いて元気が出る。第四錦林小学校前では、保護者やご近所の人の声援で和太鼓と子ども剣鉾の子どもたちが大奮闘。
昼食の後、吉田は東部へ。近衛広場では、ぼくも剣鉾を差すが、太陽の光がまぶしくてヨタヨタとしてしまった。
<十二提灯と子ども剣鉾>
午後3時過ぎ、ぼくは祭り本体から離れてファミリーマート前から、こども剣鉾を先頭に十二提灯と子ども神輿を巡幸。マイクを持って先頭でわっしょいわっしょい。吉田の子どもたちが80人ほど参加してくれて、第四錦林小学校の先生方の協力もありにぎやかに巡幸できた。子どもたちと三本締め。
十二提灯を倉庫にしまい込んで、夕闇迫るとき、今宮社前で神輿の巡幸も無事に終わり、神輿から神さんが社に帰る儀式、還幸祭。夕焼けがきれいやった。
直会(なおらい)では、行列を歩いた役員さんたち、神輿グループ、剣鉾グループ、夜店手伝いの女性グループ、それに京大学生らと和気あいあいと豪華な二段弁当で乾杯。もうぐったり。3日続きで飲むとさすがにこたえる。9時過ぎには帰宅してバタンキュー。
決算委員会と吉田の祭りが始る 10月6日ー8日
●10月8日(土)
ちょっと二日酔い気味。若い者と付き合って深酒するといかんね。
朝9時過ぎ、京都水道労組定期大会に。松田委員長は挨拶で、戦後まもなく発足した全水道は綱領で「社会主義」を目指していたことも披露。妙に新鮮な言葉を聴いたよ!来賓紹介も待たずに、挨拶を聞いて退出。
地元に戻って祖霊社にて、十二提灯とこども神輿の飾りつけ。世話役の1人がダウンされて心配したが、なんとか飾りつけも終わる。
<民主党京都府連常任幹事会>
午後は、民主党京都府連の選挙対策委員会。亀岡市長選挙に栗山現市長を推薦することを決定。亀岡の政治状況はようわからんよ。常任幹事会は、淡々と進行。ギリシャの視察から帰ってきた泉ケンタ議員はストライキの前日に飛び立って帰ってこれたらしい。ギリシャの金融危機がヨーロッパや日本にどう波及するのか。ぼくは11月に開催される自治体議員フォーラムの募集などについて報告して退出。
<十二提灯子ども神輿の巡幸>
3時前には吉田神社に。今宮社で神官に祝詞を上げてもらい、子どもたちと神妙に玉串奉天。世話役の大人が12人ほど。十二提灯と子ども神輿を二つのコースで吉田は本町、上大路、中大路、二本松、近衛、下大路を巡幸。幼児のたくさん参加してくれて、また子ども剣鉾も先頭を歩いてくれた。70人ほどの子どもたちが参加してくれた。
所々では子どもたちのジュースなどのためにローソク代としてご寄付をいただく。感謝です。去年は雨で中止したので、運営費も底を付いていた。好天の元、5時過ぎに無事に巡幸を終えてほっとした。
<吉田の夜店>
夜は参道での夜店の手伝い。今宮会の福井一家のお世話で準備ができる。ありがたいこと。奥さんらが焼きそば、みたらし、綿菓子にフランクフルトなど店をして、輪投げやスパーボールのコーナーも子どもたちで大賑わい。和太鼓も鳴り響き、昔の縁日の楽しさで、吉田の住民の交流の場が9時過ぎまで。
テント片付けなどして10時を過ぎて、また神輿横にてみんなで一献。京大と吉田の地域連携を図ってくれた京大職員だった人が転勤先からわざわざ駆けつけてくれたのはうれしいね。祭りの前夜、遅くまでワイワイ。
●10月7日(金)
<決算委員会 保健福祉局と>
今日から3つの分科会に分かれて10年度決算についての審議する決算特別委員会が開催。ぼくは保健福祉、教育委員会、都市計画、建設局、市立病院を所管する第2分科会。
1日目は保健福祉局。22年度京都市各会計歳入歳出決算・事項別明細書実質収支に関する調書で説明の後、自民、共産、民主、公明の順番で各委員20分から30分の時間で質疑。
ぼくは民主2番目で質疑。冒頭に保健福祉局長に門川市政になってからの保健福祉局の運営とこの間の総括を求め、10年2月市会で議論した食の安心・安全条例のこと。また昨年4月から1保健所、11保健センターになったが、その効果と課題について。また門川マニフェストに掲げられた「子育て世代活動センター」の設置が、検証した結果ゼロ点だったので、その進捗状況、考え方について質疑するが、歯切れが悪い、ようわからん答弁。結局、教育委員会に所管が移り、青少年科学センターで云々と答弁があり、こら話にならんな、と思う。
各委員は、生活保護の不正受給者対策、保育行政、児童虐待、高齢者福祉、国保問題など色々な視点で質疑。印象に残ったのは、幼児二人乗り自転車の貸し出し事業が予想に反して利用者が少なかったこと。午後6時前まで質疑された。
<剣鉾の練習、もうすぐお祭り>
夜は、剣鉾の練習。昨夜に続いて立ち上げる練習。日曜日が本番だ。
吉田今宮社では、今朝神輿が出されて参道には夜店のテントが張られた。剣鉾の練習の後、神輿横のテントで今宮会や和太鼓グループのメンバーらと一杯飲み。この20年、祭り前夜の風景。
●10月6日(木)
<決算委員会の書類調査をパソコンで>
10時から決算委員会は書類調査。今までは委員会室に山ほどの書類が積み上げられていたが、今回から新しい会計ソフトができたので、パソコンが机の上に並べられての調査。いささかとまどう。これも会計システムができたことで可能になった。
もちろん個人情報保護の関係で、個人名は出てないが、各局各課で検索すると一覧が出てくるシステム。入札業者など検索すると一覧が見れることになるので、なかなか興味深い。もっともパソコンアレルギーの議員は手を出せないかな。午後3時までみっちり調査。色々と興味ある支出項目があり、委員会質疑に活用できそう。
<在日無年金問題のことで懇談会>
散会後、「在日無年金問題の解決をめざす会・京都」のメンバーらと外国籍市民重度障害者・高齢者特別給付金についての勉強会。
在日の一部障害者及び高齢者が、国の制度上の問題のために、年金が受給されず、京都市では、こうした人々への救済策として「外国籍市民重度障害者特別給付金」と「外国籍市民高齢者特別給付金」を支給しているが、まだまだ不十分。わが先輩の仲尾宏さんが歴史的背景などを説明。手話通訳を交えて当事者の方らと自民は椋田、共産井上、公明は国本議員と一緒に懇談。
夜は、剣鉾の練習。日曜日の神幸祭を控えて、最後の追い込み。30キロほどある剣鉾を3人がチームとなって立ち上げる練習の繰り返し。息が合わないと倒すことになるので、真剣勝負。難しいよ。子どもたちも元気に練習。晴れたらいいな。
本会議で代表質問 10月4・5日
●10月5日(水)
<本会議で代表質問>
テレビ中継のある代表質問の本会議の二日目。ぼくが民主・都みらい市会議員団を代表してのトップバッター。このところ2年に一回は代表質問に立つがそれなりに緊張しているよ。
門川市政誕生以来の時代の変化、マニフェストの進捗状況を「刷新」「環境」などの分野で述べて「まあ及第点」と評価をして、梅小路水族館のことにも触れた。そして、東北視察の写真を見せながら、原発のこと。25年前のチェルノブイリ原発事故後、1988年昭和63年に代表質問でぼくが原発問題について質疑したこと、また福島は飯館村を訪問したことにふれながら、知事と市長の懇談会で議論された原子力防災対策や久多にモニタリング計が設置されることなどに言及、さらに過日伏見区役所で福島からの避難者の集いでのことを述べて、避難者支援と原発事故対策について市長に問いただす。ぼくはヒバク2世であり、原点に戻って、脱原発依存社会を目指して行動するこもと表明した。
その後、NPO自習ネット英語広場の主宰者阪東嘉昭君の提案である太陽光発電の里親制度と伏見水垂地域でのメガソーラーの計画のこと、また岡崎地域活性化の今後と京都会館再整備にことについて質問して、公契約条例の制定を要望して、最後の1分で国民文化祭のオープニングパレードで第四錦林小学校の児童たちの子ども剣鉾が先頭を歩くことを紹介したらちょうど時間のベルがなった。途中原稿をカットしてなんとか納まったのだ。
以下、民主からは、副団長の山岸君とデビュー戦の片桐君が登壇、公明党は、久保、吉田、大道議員が、京都党は、村山、佐々木議員が15分づつ。みんな無所属の清水さんも初登壇。初々しくてよろしいがな。
これらの模様は京都市会のホープページでインターネット録画中継されているのでぜひご覧下さい。
なお蛇足ですが、東北視察以来はやしていた髭もほぼ1ヶ月。髭のままで登壇して、わが髭の今枝団長から冷やかされたが、クリスマスイブまではこのままの髭面でいようと思う。
夜は、伏見の大手筋近くにある授産施設「福祉工房P&P」の理事会。分室もできてほぼ順調に進んでいるようで安心した。その後、脱原発運動に取組んでいる友人と会食、その後、叡電元田中にある魚屋のあと串かつ屋が開店6周年ということで、本会議の代表質問も終わってほっと一息、一献傾ける。
●10月4日(火)
<本会議>
今日と明日はテレビ中継のある本会議。先の市会改革推進委員会で合意した各質問者の質問項目が傍聴者や席上にも配布された。初めてのこと。分かりやすい議会ということで一歩前進かな。
自民から順番で代表質問。自民は、この5月に団長に就任した津田大三議員がトップバッター。親父さんは冒頭に俳句を詠まれたが彼もそれを踏襲。以下、次期衆議院候補になって張り切っている田中英之議員、この春当選した桜井君が緊張気味に登壇し、8期目の冨議員は慣れたもの。
共産党は、井坂、岩橋、北山議員が登壇。来年2月に市長選挙を控えて門川市政の検証や原発事故をめぐる防災対策、また自然エネルギーの普及などそれぞれの立場での発言が目立った。傍聴席には、原発問題で幼児を連れた母親たちが何人か来ていた。
某議員の質問に答弁漏れがあったとかで、多少議場はざわめいたが、テレビ中継もあるということでその場では、粛々と議事は進行した。それほど野次も飛び交うことなく淡々と終わった。
市長は、出馬表明をすることもなく、残された任期をがんばるということや。11月市会で表明するのかな。
夜は、剣鉾の練習にちょっとだけ顔を出すが、明日の質問を控えて、原稿を読み上げて時間内に収まるように原稿を点検。されど時間切り切りやな。まあなんとかなるやろう。
補正予算可決、運動会回り 10月1日ー3日
●10月3日(月)
<本会議 補正予算を可決>
10時から本会議。普通予算特別委員会の委員長から質疑された項目についての委員長報告があり、付帯決議を3個つけて、全員賛成ということなので簡易表決で補正予算は可決された。討論はどの会派もなしで、粛々と散会。
その後議員会。青木芳香議員が頑張って作業を進めてくれた門川マニフェストの124項目の評価について、議員団としての点検。サッカースタジアム建設など着手もできなかったゼロ点の項目もあるが、環境、教育の分野で進んだものも多く概ね努力もされてきたので概ね70点後半かな。
午後1時からは郷野秀子さんの告別式。郷野さんが秀子さんと出会ったのは高校時代とのこと。出会って46年。仲良きご夫婦でおられたのに、参列者から涙。お見送りをする。心より御冥福をお祈りいたします。
その後、民主党府連事務所に行って議員ファーラムの参加者をどうするかなど相談。
また議員団室でパーソナルサポート事業のことなど担当部長から説明を受ける。
そして、5日の本会議で代表質問を控えて、ストップウオッチ片手に、原稿を読み上げてみる。ぼくの持ち時間は25分。いつものことながら制限時間を大幅にオーバー。全然時間がたらないやないか。字数で言えば7500字が妥当なのだが、8千字も書いているからこらアカン。大胆に削除をしないかん。また本会議場に持ち込む東北視察時の写真をコピーする作業などでバタバタ。
夜は、剣鉾の練習に。吉田神社境内の木立の間からお月さんが澄んだ秋空に見えるし、秋の星座が夜空に輝く下で、剣鉾を差すが、足の運びがうまく行かず鈴が鳴らない。子ども剣鉾を差す児童たちは上達が早いなあ。
●10月2日(日)
<運動会回り、前原議員も一緒に>
スポーツの秋。左京区は各学区での区民運動会が8箇所で開催される日。まずは地元の錦林小学校グランドでの岡崎学区の運動会に行き、来賓で紹介してもらう。
直ぐに退出して二条駅前での白杖安全デーに。ライトハウスなど視覚障がい者のみなさんが年に一回のパレードをされる日。中京区の府市会議員らを中心に教育福祉委員会の委員としてぼくも参加。
それから再び運動会回り。第三錦林小学校では錦林東山学区では、南禅寺の若い坊さんたちも参加。知人から街灯の設置の要望も聞く。養徳学区は高野中学校グランド。某保育園園長さんと暫し懇談。松ヶ崎では、島内研府会議員が体育振興委員としてがんばっていたよ。
それから一路367号線で大原へ。ちょうど昼時だったので校長室で左京区長らと一緒に弁当と豚汁をご馳走になる。自治連会長さんらと子育て施設のことで色々とお話をお聞きする。午後の部が始ったら前原議員が登場。その後、前原議員に同行して岩倉明徳と岩倉南の運動会を一緒に回る。
そしてわが地元は第四錦林小学校での吉田学区の運動会にたどり着いてのは、午後3時前だった。タイ釣り競争に出たが、眼が悪くなったのか、針が通らず入賞できず。前原議員は、そこかしこで記念撮影。地元左京での人気は高い。
そして恒例の抽選会では、各種団体長さんらとくじを引く役。お米や果物ものなど地元の商店が寄付されたものが景品。自転車2台が最も高価かな商品かな。今年は好天に恵まれて、いずれの会場も多くの区民の参加で盛り上がっていた。
夜は、前原後援会の重鎮、郷野さんの奥さん、秀子さんのお通夜。享年63歳。前原議員は立礼され、後援会のメンバーも多数弔問に。ぼくも親しくさせていただいていた。心より御冥福をお祈りします。
●10月1日(土)
<2区総支部 常任幹事会>
昼、久しぶりに民主党2区総支部の常任幹事会。民主党政務会長の前原誠司議員が総支部長。ぼくは幹事長。公務多忙なところ出席。
冒頭、代表選挙の顛末について多少裏話も交えて報告。8月の盆明けから色々と動きがあって、出馬を決めたいうこと。演説がお詫びから始まったことが辛かったこと、今後は、野田首相を支えて民主党の政策調査会長の重責を担い、全員野球でがんばることなど報告。明るい表情が印象的。
その後、ぼくが口述して斎藤秘書が書き上げた春の選挙総括案について提案して多少の議論。粛々、淡々と終わったが、ほんまにこの1年、民主党や前原議員や候補者擁立のことで色々とあったなあ、というのが実感。なお2区の大会を12月に開催することも決定した。
午後は、十二提灯子ども神輿の案内をもって町内会長さん宅などを回る。また吉田神社の第二鳥居前に新築なった大元講社の社務所には剣鉾の飾りつけが終わる。民俗文化総合活性化プロジェクトチームのメンバーも熱心に調査に来てメモや映像で記録。いよいよ秋の祭りももうすぐ。夜は、相談ごと一件。
●10月31日(月)
<11年度決算を認定、地域コミュニティ条例修正可決>
長かった9月定例市会の会期末の本会議。付託されていた議案についての審議の各委員長報告があり、表決の時は立ったり座ったりで、ぼっとしてられない。
地域コミュニティー活性化条例は、2個の付帯決議をつけて修正案が可決された。共産党とみんな無所属の会が反対。
22年度一般会計歳入歳出決算は、各会派が次々に討論に立つ。わが議員団からは、青木芳香議員とデビュー戦の松下真蔵議員が、公営企業会計について決算を認定する立場で落ち着いて討論に立つ。共産党は一般会計決算など認定しなかったのもあり、また付す意見についても起立表決もあってややこしい。
主な「付す意見」は、小規模低コストバイオガス技術の実証、宝ヶ池球技場の芝の張替え、区役所の宿日直嘱託職員の定年制の適用、京都市都市整備公社による駐車場経営の効率化、防災危機管理室の強化、西京区の配水管の更新計画、地下鉄ホームの転落防止柵の設置の検討などであった。
<意見書は>
それから政府に出す「意見書」は、29日の市会運営委員会での決定どおり、全会派賛成して可決されたものもあれば、起立表決で可決されたものもあり、民主として政府与党として賛成しないものもありで実にややこしい。
「子ども・子育て新システムの撤回を求める意見書には山本ひろふみ議員が野次をものともせずに反対討論。今後、保育園関係者からまあ色々と苦情が言われるかな。
また「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書は民主のみ反対して可決されたのでした。
午後2時前に閉会宣告。本会議終了後、市長・副市長らが各会派に挨拶に来て、長かった市会定例会もようやく幕。
<左京西部いきいき市民活動センターにて>
4時頃、元養正隣保館の建物が、この4月からは、左京西部いきいき市民活動センターと名称が変わり、劇研という団体が指定管理者になって運営され始めているが、「わたしの来た道、そして今~メッセージと写真展~」の最終日ということで見に行きスタッフのメンバーと懇談。
ぼくの知り合いの顔もあり、写真と苦労したこと、幸せに思ったことなど、それぞれのインタビューが短く書かれている。高齢者と若い世代との交流を目指しての企画だそうで、地元のまちつくりの会と協働して、野菜市なども始めているという。ええ感じや。この活動センターは、わが友人の演劇集団「笑いの内閣」も稽古場として活用しているようで、演劇や文化の発信の拠点になればいいなあ。長年同和行政のあり方について発言してきたぼくは、時代は大きく変わったと思うし、ここから何かが新しく始ることを期待したい。スタッフのみなさん、がんばりや!
夜は、長かった市会も終わり、議員団の打ち上げ。11月14日に予定している事業仕分けに参加してもらう、元議員の安孫子和子さんや山本恵に藤川剛君も合流して、市長も顔を見せてくれて大いに盛り上がった。
●10月30日(日)
<秋の日曜日はイベント回り>
朝10時過ぎ、近衛中学校の南にある吉田学園のオータムフェスティバルに。今年で7回目ぐらいかな。近衛中学校の吹奏楽部の演奏でオープニング。バザーや第四錦林小学校児童のお茶席などもあり、地域と障がい者との交流の場。
それから吉田山は宗忠神社の世界連邦運動協会京都支部秋の講演会に。「政宗公に学ぶ仙台藩の伊達家の心」と題して、伊達家34世・伊達泰宗さんの講演。お公家さんのおっとりした話し方にいささか驚いた。NHK大河ドラマの時代考証のことなども興味深かった。
途中で退出して、四条室町の京都芸術センターに。国民文化祭の行事の一つとして、ちょっと小雨が降りそうだったが、一乗寺は八大神社の剣鉾が披露された。粟田神社や大豊神社の剣鉾のメンバーが集まり応援に。柿阪君は二日続き。タフやな。ギャラリーが少なかったのがちょっと残念でした。
それから、平安女学院での京都SEELフェアに。今年も雨模様でした。京都府生活衛生営業指導センターと大学の理事長でもある山岡景一郎さんが奮闘。学生たちの出店とクリーニングや麺類、寿司や喫茶などの組合の模擬店もあり、住みよい京都をつくる婦人の会もバザーで出展。偶然にも市長も駆けつけたときに遭遇して舞台で挨拶する市長とともにぼくも一言ご挨拶。
小雨降る中、檀王法林寺での沖縄県人会のフェスティバルで沖縄ソバを食べて、
「みやこめっせ」での3R推進全国大会に。3Rとは、Reduce(ゴミをださない )Reuse(繰り返し使う) Recycle(再び利用する)ということで、フロアでは環境諸団体がブースを出し、B級グルメコーナーやタレント掛け合いもあり、地下では環境フォーラムとして、産業廃棄物の処理やリサイクル資源の展示など。課長らが子どもたちの双六で頑張っていた。秋の日曜日は行事三昧。
●10月29日(土)
<国民文化祭、オープニングパレードで剣鉾を差す>
朝8時前に吉田神社は第二鳥居前の大元講社の社務所に。今日は国民文化祭オープニングパレードの日。
パレードの先頭を第四錦林小学校の児童のこども剣鉾とともに、吉田剣鉾保存会も一緒に歩くということでテンヤワンヤ。法被に着替え、草履を履いて、トラックに剣鉾を積み込んで神官に簡単にお払いをしてもらって、いざパレードのスタート地点に出発。元城巽中学校の今は京都堀川音楽高校の校庭が待機場。
秋晴れの絶好のパレード日和。10時半には御池通は西洞院のスタート地点にスタンバイ。11時前、本隊のパレードが出発する前に子ども剣鉾を立ち上げて、わが吉田剣鉾保存会のメンバーによる大人の剣鉾3基も雲ひとつない秋晴れの下、出発。ぼくは「扇」という剣鉾を差すチーム。
烏丸通を過ぎて、ロイヤルボックスの横には市長と知事が手を振ってくれているのが眼に入ったが、皇太子さんは着席せず無人、ロイヤルボックスを過ぎたところから少しバックして待機。
ロイヤルボックスに皇太子さんが着席されたところで、第四錦林小学校児童の子ども剣鉾が巡幸し、そしてわが吉田剣鉾保存会の高校生による剣鉾が3基、雲ひとつない秋空に差されたのだ。ぼくもその後ヨタヨタしながら差して、観客席の知人らから声をかけてもらった。
差し終わってロイヤルボックス席に頭を下げると、皇太子さんが会釈をしていただいたのが見えた。(後日談だが、皇太子さんの後に座っていた市長が剣鉾のことを説明してくれていたという)。
パレードは吹奏楽のマーチングパレードなど3千人が行進。その先頭を子どもたちが元気よく市役所前広場まで歩ききった。名誉あることでした。ぼくも陽射しが眩しくて、よろよろしながらだったが、剣鉾の師匠、柿阪君の指示に従って無事に何箇所かで差すことができた。いやはや疲れました。
<鴨沂会 教養講座「京都のゴミの話」>
午後1時過ぎには着替えて鴨沂会館に。社団法人京都鴨沂会の教養講座。ぼくが司会をして、エコロジーセンター所長の高月紘先生が「京都のゴミの話」で講演。高月先生は鴨沂高校12期生で、京都市廃棄物減量等審議会会長として、京都の先進的なゴミ問題の取り組みを進めてきていただいた。家庭ごみの組成を調べたこと、レジ袋や家庭ごみの有料化のこと、また原発のことなど、ペンネーム「ハイヌーン」として環境マンガ
も描かれるが、マンガも随時見せながら、お話いただいた。この間の京都市のごみ問題の施策の流れについて改めて勉強する機会になりぼくにも有意義でした。
<リラ亭・カリン亭同窓会>
4時前には「リラ亭・カリン亭同窓会」に。「リラ亭」は三条河原町を下がり、二筋目か東に入った小さなショットバー。20代後半からぼくが呑んだくれていたところ。加藤登紀子さんの「時代遅れの酒場」の舞台。マスターの木村さんが亡くなった後、今は福知山の山村で民宿をしている長谷さんが10年ほどカリン亭として続いていた。店が閉まってもう10年。
冊子「こぺる」の発行者藤田敬一さんらの呼びかけて同窓会が開催されたのだ。当時の常連客、小西桂氏や高槻の市会議員だった岡本さんらと久しぶりに一献傾けた。
それから国民文化祭のパレードを無事に巡幸し終えた吉田剣鉾保存会のメンバーの直会でワイワイして、さらに岡崎公園での「あかりとアートのプロムナード」を見に行く。美術館前は、まあまあの人出。全体的には寂しいな。ライフスタイルカフェで犬の散歩中の知人とホットラムを飲んで懇談。長い一日でした!
●10月28日(金)
<討論結了と意見書のこと>
議員会も3日目。昼前から意見書調整を精力的に進める。文言訂正や対案が出されたものもあれば、取り下げされたものもあったり色々と駆け引きがあったが、
結果は、「子宮頚がんワクチンなど定期接種に関し早期に国の制度支給確立を求める意見書」、「京町家の維持・保全に関する意見書」、「学校施設の防災機能向上のための新たな制度創設を求める意見書」、「大規模災害時に備えた公立学校教職員派遣制度の創設を求める意見書」、「受診時定額負担の導入に反対する意見書」は、各会派賛成して可決されることに。「エネルギー政策の転換の推進を求める意見書」は共産のみ反対で可決されることに、「原子力発電からの脱却を求める意見書」は共産のみ賛成で否決されることに。「年金受給資格期間の短縮を求める意見書」は、自、共、公、京都党賛成で民主は反対。「電力多消費型経済からの転換を求める意見書」は、自民、公明、民主、共産が賛成。京都とみんなは反対。「円高・デフレ克服する経済対策を求める意見書」は、自民、共産、民主、公明、京都、みんなが全議員賛成。「こども・子育て新システムの撤回を求める意見書」は 自、共、公、京都、みんなが賛成。民主は反対。「環太平洋パートナーシップ(TPP)への参加に関する意見書」は、民主のみ反対ということで意見書の対応が決まった。
これらの意見書の調整が終わり、また各会派から出されてきた付帯決議などが検討されて、ようやく4時過ぎから各常任委員会から始って討論結了委員会が開催されて、決算特別委員会は本会議場にて討論結了の委員会が病欠の議員を除いて全員の議員が出席して開かれた。
付帯決議や「付す意見」を巡って調整に時間がかかったが、その後、明日の本会議で討論に立つ議員名が表明され、本会議日程が決定された市会運営委員会が開催されたのは、午後9時前だった。たいして紛糾しなかったので、まあこんなものかな。
長い1日だった。
残っていた同僚議員らと「世界のやまちゃん」の手羽先で一献傾けて帰宅。
定例市会会期末、意見書調整役。10月25日ー27日
●10月27日(木)
<意見書の調整役>
10時から議員会。昨日夕方に自民が5本、共産が8本、公明が3本の意見書(案)が提出されてきた。早速、その意見書案を読み、対応を決めていく作業。山岸副団長が進行役。民主党政府への批判が文面に濃いものや反対というタイトルには賛成できないなあ、と議論を聞きながら思う。ぼくと山本ひろふみ議員が他会派との調整役。午後、精力的に自民、共産、公明、京都党、みんな無所属の会の代表が集まって意見書の調整役。山本議員に発言は任せておいて、ここぞ、というという時に長老?として意見を述べることにしている。
また議員会では、決算は認定することを決定して付託された各議案については、地域コミュニティー活性化条例は、いわゆる宅地開発に係わる事業者へのことを入れる修正案を出す方向で調整が始った。
<岡崎「あかりとアートのプロムナード」>
夕方6時前に岡崎の美術館前に。今年がはじめての企画「あかりとアートのプロムナード」のオープニングセレモニー。美術館前にたたずみながらどんなものかな、と思いながら待機。すると音楽が流れて、夕闇に浮かぶ美術館の外壁に「プロジェクションマッピング」というのだそうだが、建物の形状に合わせてデザインされて多彩な色が浮かび上がり舞う。これは見ごたえはある。暫し秋の夜を楽しむ。
周辺では大鳥居がライトアップされて、また岡崎中学生による行灯が展示されたりそれなりに工夫はされているが、観客はパラパラ。ライフスタイルカフェでホットワインを飲んで温まる。
<国民文化祭、市会議員は招待されず>
そして吉田神社境内での剣鉾の練習に。明日は討論結了の委員会が遅くなりそうなので、ぼくは今日で最後の練習になるので気合を入れて剣鉾を差す。
ところで、国民文化祭のオープニングパレードに、市会議員は各会派の団長らが招待されただけで、案内状も来ていないことが判明。くらし環境委員会委員長の時に実行委員会の立ち上げにも行っているのになんで呼ばれへんのや。なにが府市協調や!と主催する京都府庁の担当局長に抗議の電話をする。自民党市会議員団でも怒りが渦巻いていたらしい。美術館前のセレモニーの時に市長にそのことを伝えたら、曰く、遺憾なことです、と市長。ほんまやで。
●10月26日(水)
<
定例市会もいよいよ会期末を控えて各会派議員会。今後の日程など報告されて、付託されていた議案と決算について審議状況や問題点について各委員会所属の議員から報告。
地域コミュニティー活性化推進条例については、文化市民局を呼び込んで改めて詳細な説明を聞き質疑をする。要は、マンション住民などに地域の自治会加入などの促進を図る条例、地域住民の絆を深めるのも大事なことだと思うが、ぼくは強制的なものにならないようにすることも大事だと考えている。賛成はするが、気分的には率先促進派ではないのだよ。
また政府に対する意見書は、なにしろ政府与党になるとそう簡単に出せないなあ。議員団としては、意見書は出さないことに。
<連合京都議員フォーラム>
午後4時からは連合京都議員フォーラムの総会に。ぼくは事務局次長ということで幹事席に座る。活動報告と活動方針案が提示されて粛々と議事が進む。
研修会は、講師に中沢孝夫福井県立大学特任教授が「グローバル化と中小企業(京都の伝統産業と先端技術)」と題して講演。京都の2、3の企業の例を出して、グローバル化時代にどのように中小企業を発展させるか、海外展開する意義と人材育成のことなど、お話は上手。高卒で郵便局勤務の後、全逓組合本部勤務をして立教大学入学という経歴の持ち主。
その後の懇談会は、飲むのや挨拶は、ほどほどにして剣鉾の練習へ。3人がチームとなって一本の鉾を巡幸するので、鉾を立て、受け渡しのタイミングなどの実践練習。秋の夜空を見上げながら、冷?汗をかく。
●10月25日(火)
市会の常任委員会は、まちづくり委員会と交通水道消防委員会、ぼくは出なくてもいいので、11月7・8日に開催される民主党本部主催議員ファーラムの参加者の調整など、事務所でなんやかんやの雑務。
午後、鴨沂高校を今年卒業した佐々木祐君が北区役所で仕事をしているので同窓会報を持っていく。大森区長も在室していたので雲ヶ畑のバス路線廃止のことなどで懇談。
夜は、国民文化祭のオープニングパレードが近づいてきたので剣鉾の練習を再開。子どもたちも頑張り始めた。3千人ほどのマーチングバンドの行進の先頭を第四錦林小学校の子ども剣鉾が先頭を歩くことになり、吉田剣鉾保存会も一緒に巡幸するのだ。皇太子さんも臨席されるということで、緊張するかな。
閑話休題。プロ野球のセリーグもいつの間にか終わって、今年は中日が優勝。優勝しても落合監督は辞めたが、Aクラス入りできなかった阪神の真弓監督も辞めて和田コーチが昇格するらしい。横浜ベイスターズは球団の売却で右往左往しているようで、プロ野球も面白くなくなったなあ。
時代祭りと教育福祉委員会 10月23日・24日
●10月24日(月)
<教育福祉委員会>
会期中の常任委員会開催の日、10時から教育福祉委員会。委員会に付託されていた保健福祉局の議案、障害者自立支援法施行に係わる知的障害者更生施設大原野杜の名称やサービス内容の変更など条例の改正など。説明の後、簡単な質疑。
また共産党の議員が紹介議員になっている請願、小学生卒業までの子どもの医療費の無料化と伏見区淀の学童保育所設置に請願2件は留保。一般質問では、保育行政、生活保護、食品の放射線量検査、介護付き住宅制度のことについて質疑があった。
教育委員会の付託議案はなく、一般質問。各委員は、教科書採択問題、給食の放射性物質の検査、大規模中学校のこと、柔道教育の安全性などについて質疑があった。
ぼくは、文科省の「放射線について考えてみよう」という副読本が、原発事故のことに言及せずに、花の「すいれん」から放射線も出ていて、キューリー夫人やレントゲンの発見云々のことなが書かれていて、被爆による子どもたちの健康被害を心配している母親たちの心配など関係ないようなことを副読本として発行しされたことを批判。民主党議員が文部科学大臣だが、抗議をしたいね。
また教育制度の今後のあり方と改善方策について検討を進めるということで、京都市・乙訓郡公立高等学校教育制度に係る懇談会が発足するということで、総合選抜制度廃止の問題などを指摘。これからも高校制度のことについては論議の行方を見守りたい。
そして答弁は求めなかったが、国民文化祭のオープニングパレードで第四錦林小学校の児童たちが子ども剣鉾を差してパレードの先頭を歩くので、ぜひ見に来て欲しいと教育委員会の関係者にアピールをして質問を終えた。
夜は、立ち退き問題を巡る急な相談ごとが1件。
●10月23日(日)
<時代祭りを歩く>
昨夜の雨も止んで晴天の朝。1日延期になった時代祭り。地元吉田の神楽岡社の祭りなど行事もあったが、第七社ということで装束に着替えて、朝、8時前に平安神宮に。例によって深緑の装束を着付けてもらう。
吉田は平安講社第七社、9時前、平安神宮から御鳳輦(「ごほうれん」の前を歩いて、丸太町通を西に行って御所は堺町御門から入場。神事が終わって行列の出発は、正午なのだが、第7社は最後の神幸列の最後のほう。弁当を食べたり、一緒に歩く行列のメンバーや、白川女の列に参加している高校時代の同級生の細川寿美枝さんや、また馬車に載る副議長の安井議員と喋ったりして時間を過ごす。
3時間ほど待機して、ようやく1時半頃になって、雨が降りそうな雲行きの元、出発。烏丸から御池へ、馬糞に気をつけながら履きなれない草履で歩く。御所や御池通の有料観客席は空席が目立つ。延期になったこともあり、人出が少ないかな。途中雨がパラパラと降りかけたが、なんとか市役所前から三条通を東へ行って神宮道から大鳥居をくぐって無事に平安神宮に戻ったのは4時前。
一緒に歩いた吉田の長老らとコーヒーで直会。副議長で先頭の馬車に乗ったのは5年前、神幸列の前列の供奉として参加し始めてちょうど4年か。少しは慣れたが、草履で歩くのは疲れるな。
夜は、わがカルチャーガーデン吉田の森でイラスト展をしていた斉藤尚さんのお母さんとお兄さんが名古屋から来て、この12月に結婚式を挙げるということで、「炎の火」での両家の会食中に乱入。尚さんの結婚相手の新郎の親父、斉藤氏とはぼくが学生時代に大丸の配達のバイトをしている時、郵便配達をしていたので、配達先がわからんときはよく教えてもらった。また消防団でもよく会っていた。面白い縁だよね。
決算委員会 本会議場で総括質疑 10月19日ー22日
●10月22日(土)
<時代祭り、雨で延期>
朝は雨。時代祭りは延期。昼前までゆっくり。午後は、十二提灯の会計やメモを頼りに「ひとくち日記」の打ち込みなど雑務をこなす。
10日ほど前から事務所一階のカルチャーガーデン「吉田の森」での斉藤尚ちゃんの可愛い動物のイラストと舞妓さんの花飾りの絵の個展は、明日が最終日。友達も見に来ていて盛り上がっていた。
<八神社と日吉神社の宵宮>
夕方は、雨の中、銀閣寺の北側にある八神社の宵宮に。境内にブルーシートを張っての夜店。地元のみなさんがうどんやから揚げ、みたらし団子など雨に濡れながら奮闘。知人らにご挨拶。
それから錦林車庫の西にある日吉神社の宵宮に。雨で役員さんたちはビショ濡れになりながら、ビンゴゲームなど準備。ここの串かつは美味いよ。
帰途、以前に路地奥の街灯設置について要望を受けていたので町内会長さんと現場を見に行く。土木事務所にいちど相談に行こう。さて明日は晴れるかな。
時代祭りを優先することにしたが、神楽岡や日吉神社を見学に行けないのは残念やな。
<タイの大洪水と映画「田舎の先生」>
ニュースは、連日タイの大洪水。日本の企業団地が水没し、首都バンコクも浸水になるという。
ぼくはタイに行ったことはないが、30年ほど前に、京都に来ていた留学生と一緒にタイの映画「田舎の先生」の初上映運動をイタリア会館でしたことがある。クロントイスラムの天使と呼ばれたプラティープさんも参加してくれて会場は満員だった。
タイ東北部の熱帯林の伐採に反対して先生が立ち上がるというストーリーだったが、降り続いた大雨の影響もあるのだろうが、熱帯林の伐採や開発の影響がきっとあるのだと思う。タイの人々の暮らしはこの先どうなるのだろう。
●10月21日(金)
<決算委員会総括質疑 2日目>
朝刊に西京区で水道管が破裂して断水や濁水の事故。夏にも大きな水道管が破裂してガスが止まったという大きな事故が西京区であったが、地下鉄やバスの事故がよく委員会の直前に起こり、冒頭から市長がお詫びをする、というパターン。普通決算特別委員会総括質疑の2日目もこのお詫びから始った。
自民、共産、民主、公明の順で昨日に続いて市長と3人の副市長及び水道局管理者に質疑。民主のトップバッターは中野君で山本君、デビュー戦の片桐君、そして天方君と4人が、路地の再生、防災訓練、三山の保全、スポーツ施設のことなど質疑。
ぼくは睡魔に襲われながらもメモをとる。夕方6時過ぎまで合計21人議員が20分の制限時間で、次々に10年度決算に係わり、様々な行政課題について質疑。
ベテラン議員は、メモを読むことなく市長らと臨機応変にやり取りをするが、新人議員は緊張気味やね。時には野次も飛び、本会議場での総括質疑は、答弁する市長らはたいへんだが、議会の活性化にもなっていい感じ。インターネットで録画中継されているのでぜひご覧下さい。2日間座り続けて腰が痛くなった。
<鴨沂高校同窓会理事会>
夜は、鴨沂高校理事会。30人ほどの理事さんが集まってくれた。
2期6年間ぼくは会長を務めたが、今回の総会で退任。退任のご挨拶。理事長の山崎君、事務局の金子さん、ホームページを作成してくれた太田先輩には特に感謝。新会長に8期の上野民夫さんが選任された。その後、11月20日予定している総会の次第などの打ち合わせ。夜は雨。明日の時代祭りは延期かな。
ニュースは、リビアのカダフィ大佐死亡、血まみれの映像が流れる。42年に及ぶ独裁体制に幕。
●10月20日(木)
<本会議場で決算委員会 総括質疑>
10時から決算特別委員会の総括質疑。三つの分科会に分かれて審議してきたが、今日は69人全員(欠席者は1人)が本会議場に揃って、市長と3人の副市長との質疑。 この試みは、不祥事での臨時市会以来かな、画期的なことで、傍聴もできるようになった。自民、共産、民主、公明の順番で、持ち時間は答弁も入れて一人20分。
ぼくは午後に、項目だけのメモをもって12番目に登壇。
本会議場で決算を質疑することと今年から始ったパソコンによる書類調査の意義を語り、局別審議を踏まえての質疑。都市計画、建設局の入札制度の改善と公契約条例の制定の意義について、さらに障害者就労支援のこと、高齢者の介護予防のためにも街区公園が「すこやか公園」として再整備されること。そして、福島県からの避難者の市営住宅などの滞在延長と支援、原発問題については、午前中に市長選挙を意識して共産党議員が、市長とやりあっていたので、一言ぼくの考え方を言う。
常々、総括質疑では、本会議の代表質問と違って、自由闊達に議論をしたいと思って質疑をするが、さてどうやったか?京都市会ホームページからインターネットで録画画像が見れるので、ぜひ一度見てやってください。
各委員は、決算審議として福祉や歩くまち、環境、防災、保育行政、地下鉄と市バス、ごみ減量や観光、介護保険など市政の課題についてそれぞれの視点で質疑が行われた。最後のほうで京都党の某新人議員さんが、火災件数が捏造されていると、顔に似合わず、えらいキツイ言い方をするものだから議場はちょっと騒然。本会議とはまた違う緊張感があった1日。午後6時過ぎまでみっちり。答弁する市長らはたいへんやね。
<連合京都市内地協と議員懇談会>
夜は、連合京都市内地協と議員団の懇談会。ぼくが一応呼びかけ人で進行を指示。労組役員と市内選出の府会議員と市会議員が集い、2012年度京都市政策・制度要請(案)について報告があり、議員と意見交換。
タクシーやバスの運転手さんの苦労、水道事故のこと、観光振興のこと、公契約条例のこと、エネルギー政策のことなど2時間ほどの懇談会であったけれど、有意義であった思う。
●10月19日(水)
<委員会は中休み、マサホ号廃車に>
明日の普通決算特別委員会の総括質疑を控えて市長らの勉強会ということで委員会は中休み。
朝、新しい軽貨物車が搬入。前のわがポンコツ宣伝カーマサホ号は16年間付き合ってくれた愛車。でも、いたるところに傷だらけで、冷房はないし天井の断熱マットは破れて、夏はサウナ状態。急な坂ではアエギあえぎでもう限界。中古車の出物があったので代えることにした。近所を試運転。4駆なので吉田山の急坂もらくらく。
久しぶりに事務所にて送付されてきた封筒や書類を見る。またコムページの牧野君と市民参加型コミュニティサイトの打ち合わせ。
<11月のバス研修旅行会は若狭へ>
午後に、明星観光サービスの西村君に来てもらって、秋の研修旅行会の日程や行き先について打ち合わせ。今回のテーマは脱原発依存社会を考える、ということで若狭に行くことにした。日時は11月27日(日)午前8時30分東一条出発、熊川の宿場町を散策後、食事をして、若狭は古刹、明通寺に参拝して、長年原発問題に取組んでこられてきたご住職の中島哲演さんの講話をお聞きしたいと考えている。
中島住職とは、30年ほど前、ぼくが「月刊地域闘争」の編集をしているとき原稿を書いてもらったことがあったので早速電話で連絡をしたところ引き受けていただいた次第。その後、美浜原発のPRセンターにも立ち寄り、海鮮物産展にも寄って帰るコース。食事つきで参加費は8千円。先着40名様です。
午後3時過ぎに久しぶりにわが鴨沂高校に。山岸校長先生らと暫し同窓会総会のことやスタンウエイのピアノのことなど積もる話。同窓会の総会は、11月20日(日)午後4時からウエスティン都ホテルで開催します。同窓生のみなさん、ぜひ来てや。
夜は、相談ごと一件。それから明日の総括質疑に向けて、局別審議のメモを見ながら、市長とのやり取りをイメージしながらメモを作る。
市会報告会と市会改革推進委員会 10月17日・18日
●10月18日(火)
<市会改革推進委員会>
普通決算特別委員会は昨日で終わったが、午前10時から市会改革推進委員会が開催される。各会派代表の20人の委員が集っての委員会。議員同士の議論は面白いよ。ぼくは古参議員として時には過去のことなど披露しながら適時意見を述べることにしている。
冒頭に北九州市議会の議会基本条例について報告されたが、伝統ある自治のまちとしての京都市会の特徴を生かした条例にしないといけないよ。その後、開かれた市会(市民に身近な市会)ということで、本会議場での一問一答の質疑の可能性や代表質問の事前公表、ないし質問要旨の配布についての議論。(この本会議から質問項目については傍聴者や議員に配布されるようになったので大きな前進はした)。また「市会だより」での議員個人の賛否態度の公表は結論出ず、でひとまず打ち切り。常任委員会のネット中継などは費用のこともあるので今後の課題。議会基本条例については共産党がイマイチ乗り気ではないみたいで、時間がかかりそうやね。
<「恒河紗」と福島美枝子さん>
委員会終了後、青年たちの居場所づくりをしている「恒河紗」の福島美枝子女史らと懇談。内閣府のパーソナルサポートや厚生労働省の貧困・困窮者への「絆」再生事業のことなど京都市の担当者を交えての懇談。パワーのある人で、もう長い付き合い。ぼくが敬愛する哲学者の鶴見俊輔さんと 『 本音を聴く力―中学生は何を考えているのか』(同朋舎)も出版している。何事にも一所懸命なのだ。
<京大総合博物館 エジプト考古展>
夕方は京大総合博物館に。エジプト考古展の内覧会というより終わった後の懇親会に。大野館長と親しくなったので吉田のチェルキオの会のメンバーらと合流。12月18日まで開催中。博物館のショップを運営しているのがアクティブKeiのメンバー。一乗寺は「てぃんがーら」の地ビールを飲みながら、大野館長や、わが鴨沂高校時代同級生でわが後援会幹事長の辻村哲夫君と、今は京大の副理事で生存圏研究所教授になっている川井秀一君とワイワイ。
その後は、銀閣寺交差点の「すいれん」の1周年。今は亡き上倉哲郎元市会議員のお孫さんの吉継君が頑張っている。彼は剣鉾も差すので、粟田の園さんと大豊の山田さんら剣鉾仲間もお祝いに駆けつけていた。
飲んだ勢いで、近くの「黄昏亭」にも1年ぶりかな、立寄る。ちょっと酔っ払いました。
●10月17日(月)
<京都市立病院決算審議>
10時から普通決算特別委員会の6日目。第2分科会は京都市立病院の10年度の決算。この4月から京都市立病院は独立法人化されて、京北病院とともに「地方独立行政法人京都市立病院機構」として新しい体制で運営されることになった。独立法人化を巡っては色々と議論をしたが、左京区に住んでいると西大路五条の市立病院にお見舞いに行く機会もほとんどないなあ。
PFI方式で北館の建て替えも進んでいるとのこと、各会派の委員は、決算とともに救急患者の受け入れ体制、院内保育園、政策医療や地域連携医療の取り組み、インシデントやアクシデントの対応などについて、また京北病院の医師確保のことなど質疑が交わされた。わが会派からは片桐、中野議員とともに、珍しく宮本議員も質疑立った。
いずれにせよ、今後も自治体病院としての役割をしっかりと果たして欲しい。これにて普通決算特別委員会の局別質疑はお終い。ぼくはメモをとりながら、今夜開催する市会報告会のレジメ作り。
なお昼休の時、食事をしながら事業仕分けの選定について議員会。
<鈴木マサホ 市会報告会>
夕方7時から久しぶりに事務所で市政報告会。たいして宣伝もしなかったけれど15人ほどの人が参加していただく。9月中旬に東北視察した際のスライドをパソコンで見せて、女川や石巻、南三陸町、気仙沼など被災地の現状を報告。
特に原発事故による影響について福島市のことやとりわけ飯館村でのことを詳細に、そして東北視察の「ひとくち日記」と10月5日の本会議での代表質問の原稿を配布して、そのやり取りなどを報告。
太陽光発電の里親制度について提案してくれた阪東嘉弘君も治療も一段落して退院したということで、顔を見せてくれて嬉しかったよ。
そして驚いたことに、わが後援会長の柿阪正夫さんは染色関係の設備製作の会社なのだが、なんと!ぼくが福島で飯館村に一緒に行った安彦染工場の安彦雅祐さんと知り合いだった。設備を納品しに行ったこともあるということで、ほんまにびっくりしたなあ!不思議な人の縁を思う。松田明さん、田頭道登さんの御冥福を
10月15日・16日
●10月16日(日)
<運動会も最後の日曜日>
運動会シーズンもいよいよ最後。この秋は雨天中止になることもなく各学区運動会が開催されて良かった。まずは錦林小学校での聖護院学区の運動会。ぼくも地元でもあり、多くの知人、友人から声をかけていただいた。前原議員も参上。まめやなあ。
それから北白川の運動会に。11時半頃に着いたら午前の競技が終わる寸前。地元の体育振興会役員として隠塚議員がハッスル。美味しいうどんをご馳走になる。感謝でした。この秋は16箇所ほど回ったかな。
<松田明さんの告別式>
昼過ぎ、松田明さんの告別式。社会党時代の知人も何人か列席していて挨拶。西田輝雄元市会議員にも久しぶりに出会った。お元気そうでした。御見送りをする。松田さん、色々とありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
午後、就職のことで相談ごと一件。
<デモに参加>
午後4時過ぎ河原町へ。第5回反戦・反貧困・反差別共同行動のデモに遭遇。もちろん今年のメインスローガンは脱原発。かつての新左翼の活動家たちのオッサンらが中心になって円山音楽堂で集会をしてデモをするようになって今年で5回目かな。
今年はドイツの緑の党の連邦議員が参加した。昔とった杵柄、ぼくはデモは大好きなので自転車を押して最後尾を三条河原町まで歩く。デモの参加者は600人ぐらいかな。このご時世、まあ賑やかなデモだろう。
<田頭道登さんを偲ぶ会>
夕方は、田頭道登さんを偲ぶ会。同志社の神学部の関係者ら7人ほどと奥さんと息子さんや娘さんを囲むささやかな会。田頭さんは、若い時に1960年代半ばに東京は山谷に入って色々と活動をしていて、フォークの神様と当時呼ばれた岡林信康さんらとの出会いがあり、また高石友也さんらの七人の会などにも関係していた人。ぼくは1970年にキューバに砂糖キビ刈りに行ったが、そのときの仲間。
この6月13日に逝去された。79歳だった。キューバでの思い出や、4年前かな、チェ・ゲバラの娘さん、アレイダ・ゲバラさんを京都に呼んで集会をしたときの田頭さんの思い出などをぼくは語った。アディオス タガチーラ!
●10月15日(土)
<事業仕分けの準備>
朝8時過ぎ、11月14日に民主・都みらい議員団で予定している「事業仕分け」のことで担当の議員と議員団室で早朝の会議。天方議員が張り切っている。担当のメンバーから対象に選ばれた事務事業の項目について協議。補助金関係などの項目は、歴史的な背景のあるものや関係する議員もいることなど、政治的な判断も求められるので色々とアドバイス。
<自治記念式典>
午前10時からは京都会館で京都市自治記念式典。明治31年に「市制特例」が廃止されて市役所が開庁した日。それから113年だという。
鴨沂高校の大先輩の画家上村淳之さんら3人が特別功労賞。有効者表彰は、5期20年市会議員を務めたわが議員団の安井勉議員、自民は現職の加藤誠司議員に、引退された田中セツ子、巻野渡元議員、そして共産は井坂博文議員が受賞。ぼくは4年前に表彰してもらった。
京都市政の発展寄与されたということで、基本計画策定にかかわった人、市政協力委員や各種団体に企業、また地域の安心安全ネットワークなどで頑張っている人や団体そして篤志家などが表彰された。1439人、608団体に及ぶ。もちろん左京区では何人かのぼくの知人も表彰された人や団体もいる。おめでとうございました。
<時代祭り 参役宣状授与式>
午後、小雨模様の平安神宮に。時代祭りを22日に控えて、時代祭りに参加する人に対して、参役宣状授与式が執り行われる。ぼくは「神幸列供奉」ということで「宣状」を貰う。それぞれの時代風俗の行列の最後のほうに左京区の南部の学区の人たちの第七社の一員として歩くのだ。朝、7時過ぎに平安神宮で着替えして御所に行ってぼくらの行列が出るのは、最後の方で午後1時ごろかな。
夕方5時前、ホテル平安の森での京都市学校職員労働組合の懇親会。
退職された方々が久しぶりに集い、現職の組合員さんたちとの懇親会。女性の役員さんが頑張っていたよ。
<松田明さんのお通夜>
夜は、ゼスト御池は沖縄物産展の店主、松田明さんのお通夜。松田さんは、社会党の衆議院議員であった今は亡き竹村幸雄さんの秘書さんで大きな体でまた世話好きな人だった。
またこの10年ほど前からか、泡盛同好会を結成して、毎年錦秋の頃にホテルで泡盛を飲み、琉球舞踊や民謡を楽しむ会を主宰されていた。確か名誉会長は門川市長だ。2年ほど前には、闘病生活中にも係わらず来ておられ、その後、快復されて元気な姿でぼくの選挙の応援もしてもらっていた。ゼスト御池を盛り上げようと一生懸命だった。享年71歳。
決算委員会が続きます。10月13日・14日
<お知らせ>
10月20日(木)21日(水)午前10時から午後6時頃まで
京都市会決算委員会の総括質疑が本会議場で行われます。
今回初めての試みです。インターネット中継されます。
もちろん傍聴もできます。ぜひご覧下さい。
ぼくは20日の午後に質疑に立つ予定です。
●10月14日(金)
<決算委員会 建設局に質疑>
普通決算特別委員会は5日目。第二分科会は建設局との質疑。ぼくは11番目のバッター。
最初はローカルな左京の話題として、ニの瀬バイパストンネル、北泉橋の進捗状況、20年ほどの工期期間があって完成した白川の今出川分水路の効果について、また公園整備に関して、高齢者の居場所作りと介護予防のための「すこやか公園」づくりについて、そして都市計画局でも審議した総合評価方式による入札制度と公契約条例の制定について、また斜め久世橋線の開通による京都高速道路と新十条トンネルも利用者状況と料金の低額化、さらに今後の計画されている3路線の今後について質疑。
各委員は、道路整備、駐輪場、放置自転車対策、公園、高速道路、橋の耐震、アセットマネジメント、街路樹剪定、放置自動車、電線地中化、災害対策などの質疑があった。
<駱駝館や「YAMATOYA」>
夜は、北山は焼肉店「南山」にて、岩手県の短角牛を食べながら、某新聞社の元支局長とぼくの青春時代の駱駝館や米軍の脱走兵援助のことや京都イングリッシュセンター時代を知っている女史らと秋の夜長のひととき。二次会はぼくもたまに行く、作家五木寛之さんも行っていた熊野神社近くのジャズ喫茶「YAMATOYA」。高野悦子さんの「20歳の原点」なども話題になって、しばし青春時代にフラッシュバック。思わぬところでぼくの青春時代を覚えている人と再会して、わいわいするのもええなあ。
●10月13日(木)
<決算委員会 都市計画局に質疑>
決算特別委員会の4日目。都市計画局との審議。16人の委員が質問に立つ。
ぼくは、都市計画局長に門川市政の4年間、特に22年度の主な施策の評価などから始まり、書類調査で見つけた市営住宅の家賃滞納者に対する明け渡し請求に関わることを聞く。かつては市会での議決案件になっていたが今は市長専決事案になっているが、
弁護士費用のこと、また同じく書類調査で分かったことだが、各市営住宅などの公共工事に関わる入札業者の一覧が検索して分かったことを説明して入札制度のあり方について質疑し、公契約条例制定の必要性について要望。
また同和行政終結後の在り方でも答申されていた崇仁地区のまちづくりや、福島から避難されてきた市営住宅などの在住者についての長期滞在について要望。20分ちょっとの持ち時間はあっという間に過ぎた。
各委員は、狭隘道路整備事業や 京町家のこと、歩くまちと交通政策、住宅の耐震化、市営住宅の空き家対策、京都駅南口、景観政策、駐車場運意など多岐に渡って質疑。
<今枝団長らと>
夜は、「藤吉」で民主党政令指定都市協議会の総会のお疲れさん会を兼ねて、今枝団長と山岸副団長、隠塚理事と懇談。「藤吉」はもう20年ほどの付き合い。ランチタイムの定食は、とろろご飯と造りなど惣菜満載で800円。行く価値ありですよ。そして鯨のハリハリ鍋が自慢。久しぶりに鯨を食べた。美味かった!!話題は、もちろん市長選挙。4年前はぼくが民主党の責任者で苦労したことなど踏まえて、作戦会議。
お祭りで剣鉾を差す。10月9日ー12日
<お知らせ>
本日17日(月曜日)午後7時から鈴木マサホ市会報告会を開催します。
代表質問のこと、東北視察のことなど話します、お気軽にお越し下さい。
また10月20日(水)21日(木)は、京都市会の決算特別委員会の総括質疑。
今回から本会議場で開催されます。
傍聴も可能ですし、インターネット中継もありますよ
ぼくももちろん質問に立ちますよ!
●10月12日(水)
<教育委員会と質疑>
決算特別委員会の局別質疑は教育委員会。ぼくの質疑は午後3時前。
保健福祉局との質疑で、門川マニフェストのひとつ、子育て世代活動支援センター設置について、教育委員会に聞いてください、というような要領を得ない素気無い答弁だったので、教育委員次長と、ちょっとしつこく質疑。
予定していた京都府の所有物件に建設予定だったらしいが、調整ができず、結局伏見区の青少年活動センターの食堂を候補地にして取り掛かるという。予想していたのとちょっと違うなあ、というのがぼくの感想。
それから過日、京都新聞に京都府教育委員会が高校のあり方を巡って総合選抜制の見直しについて検討するということを発表していたので、わが鴨沂高校時代は、蜷川知事時代だが、小学区制、男女共学、総合制の京都特有の高校3原則のもとに高校教育があったことを踏まえて、総合選抜制による学校格差が生じることなど問題点などを指摘。また高桑教育長には就任4年ということで、京都の教育はどう考えるのか、という質問。
他の委員からは、いじめや不登校児童対策、学力向上、図書館、総合育成教育、伝統文化教育、防災教育、学校の耐震化、教員のメンタルヘルス、教員の評価制度などについて質疑があった。
夜は、事務所にてわが後援会の主だったメンバーに集まってもらって、バス研修旅行会の行き先などを決める。日時は11月27日(日)。行き先は、福井県は若狭地方ということで原発も見学できたらという、予定になった。参加希望の方はご連絡下さい。先着40人ですよ。会費は8千円。
会議の後は、明日の都市計画局との質疑の準備。
●10月11日(火)
<保健福祉局と質疑>
3日連続の祭りで疲れてちょっとバテ気味。普通決算特別委員会第二分科会は、保健福祉局の2日目。民主・都みらい議員団のトップバッターで質疑に立つ。
昨日見に行った産業界館内の「はあとフレンヅストア」の場所が分かりにくいと苦言を述べて、局長に大きな予算と多くの職員を抱える保健福祉局として、門川マニフェストのこの4年間の進捗状況などのついて問う。
そして障害者の就業支援について、とりわけ障害者就労支援推進会議の取組状況や職場実習チャレンジ雇用推進事業の市役所や障害者法定雇用率達成企業の現状など雇用問題について部長とラリー。また精神障害者の施設設置の受け入れについては地域住民の反対運動がかつてはよくあったが、近年の状況を聞く。
そして市バス・地下鉄の福祉乗車証の磁気カード化について今後検討するよう質疑をする。
各委員は、高齢者福祉や生活保護、介護予防、高齢者や児童虐待、エイズ、児童館など様々な課題について質疑。午後6時前まで活発な質疑があった。答弁する部長はたいへんだよ。
夜は、空間創研の吉田昌弘さんと一献。ランドスケープ協会の重鎮で公園づくりの専門家。京都の造園業のレベルの高さの話などで盛り上がる。
されど酔っ払うことなく、早めに切り上げて事務所に戻って、明日の教育委員会との質疑のメモづくり。
●10月10日(月)
<浄楽学区の運動会と粟田神社のお祭り>
いささかぐったり。されど10時過ぎには、第三錦林小学校での浄楽学区の区民運動会。今までは南田公園で開催されていたが、広いグランドで学区民が綱引きなどで親睦とスポーツの秋を満喫。多くの知人らにご挨拶。
昼すぎ、わが剣鉾の師匠たちの晴れ姿を見学に三条通は粟田神社のお祭りに。京都造形大学生の「大燈篭」の山車も賑やかに行進して、神輿も大勢の担ぎ手の中には、府市会議員も2,3人。昨年から文化庁の委託を受けて剣鉾の調査が始ったが、調査チームも熱心に映像やメモをとって随行。
<民主党の研修会>
最初だけ見学して、こんな祭りのときに、研修会なんかするなよ、と思いながら、自転車で京都駅前のホテルまで走る。総務省の新田一郎企画官が「地域主権改革と大都市制度の動向」と題して講演。地方分権推進の流れや民主党政権になってからの成果などの話。野田新首相は、イマイチ地域主権に熱心ではないようなコメントもあり、ちょっと気になるなあ。大都市制度の改革については、大阪や横浜は熱心らしいが、わが京都市では議論がそれほど進んでいない。粟田の祭りのことが気になっていたので、途中退席。
<産業会館の「はあとフレンズストア」>
帰途、四条烏丸の産業会館に先週オープンした授産施設で作られた商品を販売する「はあとフレンズストア」を見学に行くが、会館の正面に案内表示もないのはいかんよ。月曜日は定休日でした。残念でした。
<勇壮な剣鉾>
4時前には東山三条界隈で再び祭りを見学。粟田神社の剣鉾のみなさん、八大神社や大豊神社の剣鉾の差し手とともに、わが吉田の柿阪、河村君は、二日続きでちょっとバテ気味かな。古川町商店街など狭い路地でも電線の間を見事に差す技は凄いよ。各家の頭屋飾りも立派。神宮道では大鳥居をバックに6基の剣鉾を差したのは壮観だった。ご苦労様でした。
夜はしんどかったけれど事務所で明日の保健福祉局との質疑の為のメモを作る。
●10月9日(日)
<運動会回り>
運動会とお祭り日和。陽射しがまぶしい。まずは錦林小学校での川東学区の運動会。小さな学区だが、体育振興委員さんらが一生懸命。ラジオ体操をして養正学区の運動会にも顔を出して、それぞれ来賓紹介してもらう。
<吉田今宮まつり、剣鉾を差す>
それから急いで吉田は今宮社の神幸祭に。ハッピに着替えて草鞋を履いて気合を入れる。まさに祭り日和。神輿の前に3本の剣鉾が参道に並ぶ。ぼくは新松鉾のチーム。神輿の担ぎ手には京大学生らも参加して、多くの担ぎ手で担ぎ上げられる。
京大時計台前では、副学長さんらが、迎えてくれる。今年で4回目かな。うれしいことですよ。ぼくも剣鉾を差す。剣先から神さんが降臨したよ。本町から百万遍交差点では3本の剣鉾が勇壮に立った。松井酒造前がお旅所。2,3年前か、酒蔵を復活されて醸造され始めた。まさに吉田の地酒。冨士千歳は美味いよ。お神酒を頂いて元気が出る。第四錦林小学校前では、保護者やご近所の人の声援で和太鼓と子ども剣鉾の子どもたちが大奮闘。
昼食の後、吉田は東部へ。近衛広場では、ぼくも剣鉾を差すが、太陽の光がまぶしくてヨタヨタとしてしまった。
<十二提灯と子ども剣鉾>
午後3時過ぎ、ぼくは祭り本体から離れてファミリーマート前から、こども剣鉾を先頭に十二提灯と子ども神輿を巡幸。マイクを持って先頭でわっしょいわっしょい。吉田の子どもたちが80人ほど参加してくれて、第四錦林小学校の先生方の協力もありにぎやかに巡幸できた。子どもたちと三本締め。
十二提灯を倉庫にしまい込んで、夕闇迫るとき、今宮社前で神輿の巡幸も無事に終わり、神輿から神さんが社に帰る儀式、還幸祭。夕焼けがきれいやった。
直会(なおらい)では、行列を歩いた役員さんたち、神輿グループ、剣鉾グループ、夜店手伝いの女性グループ、それに京大学生らと和気あいあいと豪華な二段弁当で乾杯。もうぐったり。3日続きで飲むとさすがにこたえる。9時過ぎには帰宅してバタンキュー。
決算委員会と吉田の祭りが始る 10月6日ー8日
●10月8日(土)
ちょっと二日酔い気味。若い者と付き合って深酒するといかんね。
朝9時過ぎ、京都水道労組定期大会に。松田委員長は挨拶で、戦後まもなく発足した全水道は綱領で「社会主義」を目指していたことも披露。妙に新鮮な言葉を聴いたよ!来賓紹介も待たずに、挨拶を聞いて退出。
地元に戻って祖霊社にて、十二提灯とこども神輿の飾りつけ。世話役の1人がダウンされて心配したが、なんとか飾りつけも終わる。
<民主党京都府連常任幹事会>
午後は、民主党京都府連の選挙対策委員会。亀岡市長選挙に栗山現市長を推薦することを決定。亀岡の政治状況はようわからんよ。常任幹事会は、淡々と進行。ギリシャの視察から帰ってきた泉ケンタ議員はストライキの前日に飛び立って帰ってこれたらしい。ギリシャの金融危機がヨーロッパや日本にどう波及するのか。ぼくは11月に開催される自治体議員フォーラムの募集などについて報告して退出。
<十二提灯子ども神輿の巡幸>
3時前には吉田神社に。今宮社で神官に祝詞を上げてもらい、子どもたちと神妙に玉串奉天。世話役の大人が12人ほど。十二提灯と子ども神輿を二つのコースで吉田は本町、上大路、中大路、二本松、近衛、下大路を巡幸。幼児のたくさん参加してくれて、また子ども剣鉾も先頭を歩いてくれた。70人ほどの子どもたちが参加してくれた。
所々では子どもたちのジュースなどのためにローソク代としてご寄付をいただく。感謝です。去年は雨で中止したので、運営費も底を付いていた。好天の元、5時過ぎに無事に巡幸を終えてほっとした。
<吉田の夜店>
夜は参道での夜店の手伝い。今宮会の福井一家のお世話で準備ができる。ありがたいこと。奥さんらが焼きそば、みたらし、綿菓子にフランクフルトなど店をして、輪投げやスパーボールのコーナーも子どもたちで大賑わい。和太鼓も鳴り響き、昔の縁日の楽しさで、吉田の住民の交流の場が9時過ぎまで。
テント片付けなどして10時を過ぎて、また神輿横にてみんなで一献。京大と吉田の地域連携を図ってくれた京大職員だった人が転勤先からわざわざ駆けつけてくれたのはうれしいね。祭りの前夜、遅くまでワイワイ。
●10月7日(金)
<決算委員会 保健福祉局と>
今日から3つの分科会に分かれて10年度決算についての審議する決算特別委員会が開催。ぼくは保健福祉、教育委員会、都市計画、建設局、市立病院を所管する第2分科会。
1日目は保健福祉局。22年度京都市各会計歳入歳出決算・事項別明細書実質収支に関する調書で説明の後、自民、共産、民主、公明の順番で各委員20分から30分の時間で質疑。
ぼくは民主2番目で質疑。冒頭に保健福祉局長に門川市政になってからの保健福祉局の運営とこの間の総括を求め、10年2月市会で議論した食の安心・安全条例のこと。また昨年4月から1保健所、11保健センターになったが、その効果と課題について。また門川マニフェストに掲げられた「子育て世代活動センター」の設置が、検証した結果ゼロ点だったので、その進捗状況、考え方について質疑するが、歯切れが悪い、ようわからん答弁。結局、教育委員会に所管が移り、青少年科学センターで云々と答弁があり、こら話にならんな、と思う。
各委員は、生活保護の不正受給者対策、保育行政、児童虐待、高齢者福祉、国保問題など色々な視点で質疑。印象に残ったのは、幼児二人乗り自転車の貸し出し事業が予想に反して利用者が少なかったこと。午後6時前まで質疑された。
<剣鉾の練習、もうすぐお祭り>
夜は、剣鉾の練習。昨夜に続いて立ち上げる練習。日曜日が本番だ。
吉田今宮社では、今朝神輿が出されて参道には夜店のテントが張られた。剣鉾の練習の後、神輿横のテントで今宮会や和太鼓グループのメンバーらと一杯飲み。この20年、祭り前夜の風景。
●10月6日(木)
<決算委員会の書類調査をパソコンで>
10時から決算委員会は書類調査。今までは委員会室に山ほどの書類が積み上げられていたが、今回から新しい会計ソフトができたので、パソコンが机の上に並べられての調査。いささかとまどう。これも会計システムができたことで可能になった。
もちろん個人情報保護の関係で、個人名は出てないが、各局各課で検索すると一覧が出てくるシステム。入札業者など検索すると一覧が見れることになるので、なかなか興味深い。もっともパソコンアレルギーの議員は手を出せないかな。午後3時までみっちり調査。色々と興味ある支出項目があり、委員会質疑に活用できそう。
<在日無年金問題のことで懇談会>
散会後、「在日無年金問題の解決をめざす会・京都」のメンバーらと外国籍市民重度障害者・高齢者特別給付金についての勉強会。
在日の一部障害者及び高齢者が、国の制度上の問題のために、年金が受給されず、京都市では、こうした人々への救済策として「外国籍市民重度障害者特別給付金」と「外国籍市民高齢者特別給付金」を支給しているが、まだまだ不十分。わが先輩の仲尾宏さんが歴史的背景などを説明。手話通訳を交えて当事者の方らと自民は椋田、共産井上、公明は国本議員と一緒に懇談。
夜は、剣鉾の練習。日曜日の神幸祭を控えて、最後の追い込み。30キロほどある剣鉾を3人がチームとなって立ち上げる練習の繰り返し。息が合わないと倒すことになるので、真剣勝負。難しいよ。子どもたちも元気に練習。晴れたらいいな。
本会議で代表質問 10月4・5日
●10月5日(水)
<本会議で代表質問>
テレビ中継のある代表質問の本会議の二日目。ぼくが民主・都みらい市会議員団を代表してのトップバッター。このところ2年に一回は代表質問に立つがそれなりに緊張しているよ。
門川市政誕生以来の時代の変化、マニフェストの進捗状況を「刷新」「環境」などの分野で述べて「まあ及第点」と評価をして、梅小路水族館のことにも触れた。そして、東北視察の写真を見せながら、原発のこと。25年前のチェルノブイリ原発事故後、1988年昭和63年に代表質問でぼくが原発問題について質疑したこと、また福島は飯館村を訪問したことにふれながら、知事と市長の懇談会で議論された原子力防災対策や久多にモニタリング計が設置されることなどに言及、さらに過日伏見区役所で福島からの避難者の集いでのことを述べて、避難者支援と原発事故対策について市長に問いただす。ぼくはヒバク2世であり、原点に戻って、脱原発依存社会を目指して行動するこもと表明した。
その後、NPO自習ネット英語広場の主宰者阪東嘉昭君の提案である太陽光発電の里親制度と伏見水垂地域でのメガソーラーの計画のこと、また岡崎地域活性化の今後と京都会館再整備にことについて質問して、公契約条例の制定を要望して、最後の1分で国民文化祭のオープニングパレードで第四錦林小学校の児童たちの子ども剣鉾が先頭を歩くことを紹介したらちょうど時間のベルがなった。途中原稿をカットしてなんとか納まったのだ。
以下、民主からは、副団長の山岸君とデビュー戦の片桐君が登壇、公明党は、久保、吉田、大道議員が、京都党は、村山、佐々木議員が15分づつ。みんな無所属の清水さんも初登壇。初々しくてよろしいがな。
これらの模様は京都市会のホープページでインターネット録画中継されているのでぜひご覧下さい。
なお蛇足ですが、東北視察以来はやしていた髭もほぼ1ヶ月。髭のままで登壇して、わが髭の今枝団長から冷やかされたが、クリスマスイブまではこのままの髭面でいようと思う。
夜は、伏見の大手筋近くにある授産施設「福祉工房P&P」の理事会。分室もできてほぼ順調に進んでいるようで安心した。その後、脱原発運動に取組んでいる友人と会食、その後、叡電元田中にある魚屋のあと串かつ屋が開店6周年ということで、本会議の代表質問も終わってほっと一息、一献傾ける。
●10月4日(火)
<本会議>
今日と明日はテレビ中継のある本会議。先の市会改革推進委員会で合意した各質問者の質問項目が傍聴者や席上にも配布された。初めてのこと。分かりやすい議会ということで一歩前進かな。
自民から順番で代表質問。自民は、この5月に団長に就任した津田大三議員がトップバッター。親父さんは冒頭に俳句を詠まれたが彼もそれを踏襲。以下、次期衆議院候補になって張り切っている田中英之議員、この春当選した桜井君が緊張気味に登壇し、8期目の冨議員は慣れたもの。
共産党は、井坂、岩橋、北山議員が登壇。来年2月に市長選挙を控えて門川市政の検証や原発事故をめぐる防災対策、また自然エネルギーの普及などそれぞれの立場での発言が目立った。傍聴席には、原発問題で幼児を連れた母親たちが何人か来ていた。
某議員の質問に答弁漏れがあったとかで、多少議場はざわめいたが、テレビ中継もあるということでその場では、粛々と議事は進行した。それほど野次も飛び交うことなく淡々と終わった。
市長は、出馬表明をすることもなく、残された任期をがんばるということや。11月市会で表明するのかな。
夜は、剣鉾の練習にちょっとだけ顔を出すが、明日の質問を控えて、原稿を読み上げて時間内に収まるように原稿を点検。されど時間切り切りやな。まあなんとかなるやろう。
補正予算可決、運動会回り 10月1日ー3日
●10月3日(月)
<本会議 補正予算を可決>
10時から本会議。普通予算特別委員会の委員長から質疑された項目についての委員長報告があり、付帯決議を3個つけて、全員賛成ということなので簡易表決で補正予算は可決された。討論はどの会派もなしで、粛々と散会。
その後議員会。青木芳香議員が頑張って作業を進めてくれた門川マニフェストの124項目の評価について、議員団としての点検。サッカースタジアム建設など着手もできなかったゼロ点の項目もあるが、環境、教育の分野で進んだものも多く概ね努力もされてきたので概ね70点後半かな。
午後1時からは郷野秀子さんの告別式。郷野さんが秀子さんと出会ったのは高校時代とのこと。出会って46年。仲良きご夫婦でおられたのに、参列者から涙。お見送りをする。心より御冥福をお祈りいたします。
その後、民主党府連事務所に行って議員ファーラムの参加者をどうするかなど相談。
また議員団室でパーソナルサポート事業のことなど担当部長から説明を受ける。
そして、5日の本会議で代表質問を控えて、ストップウオッチ片手に、原稿を読み上げてみる。ぼくの持ち時間は25分。いつものことながら制限時間を大幅にオーバー。全然時間がたらないやないか。字数で言えば7500字が妥当なのだが、8千字も書いているからこらアカン。大胆に削除をしないかん。また本会議場に持ち込む東北視察時の写真をコピーする作業などでバタバタ。
夜は、剣鉾の練習に。吉田神社境内の木立の間からお月さんが澄んだ秋空に見えるし、秋の星座が夜空に輝く下で、剣鉾を差すが、足の運びがうまく行かず鈴が鳴らない。子ども剣鉾を差す児童たちは上達が早いなあ。
●10月2日(日)
<運動会回り、前原議員も一緒に>
スポーツの秋。左京区は各学区での区民運動会が8箇所で開催される日。まずは地元の錦林小学校グランドでの岡崎学区の運動会に行き、来賓で紹介してもらう。
直ぐに退出して二条駅前での白杖安全デーに。ライトハウスなど視覚障がい者のみなさんが年に一回のパレードをされる日。中京区の府市会議員らを中心に教育福祉委員会の委員としてぼくも参加。
それから再び運動会回り。第三錦林小学校では錦林東山学区では、南禅寺の若い坊さんたちも参加。知人から街灯の設置の要望も聞く。養徳学区は高野中学校グランド。某保育園園長さんと暫し懇談。松ヶ崎では、島内研府会議員が体育振興委員としてがんばっていたよ。
それから一路367号線で大原へ。ちょうど昼時だったので校長室で左京区長らと一緒に弁当と豚汁をご馳走になる。自治連会長さんらと子育て施設のことで色々とお話をお聞きする。午後の部が始ったら前原議員が登場。その後、前原議員に同行して岩倉明徳と岩倉南の運動会を一緒に回る。
そしてわが地元は第四錦林小学校での吉田学区の運動会にたどり着いてのは、午後3時前だった。タイ釣り競争に出たが、眼が悪くなったのか、針が通らず入賞できず。前原議員は、そこかしこで記念撮影。地元左京での人気は高い。
そして恒例の抽選会では、各種団体長さんらとくじを引く役。お米や果物ものなど地元の商店が寄付されたものが景品。自転車2台が最も高価かな商品かな。今年は好天に恵まれて、いずれの会場も多くの区民の参加で盛り上がっていた。
夜は、前原後援会の重鎮、郷野さんの奥さん、秀子さんのお通夜。享年63歳。前原議員は立礼され、後援会のメンバーも多数弔問に。ぼくも親しくさせていただいていた。心より御冥福をお祈りします。
●10月1日(土)
<2区総支部 常任幹事会>
昼、久しぶりに民主党2区総支部の常任幹事会。民主党政務会長の前原誠司議員が総支部長。ぼくは幹事長。公務多忙なところ出席。
冒頭、代表選挙の顛末について多少裏話も交えて報告。8月の盆明けから色々と動きがあって、出馬を決めたいうこと。演説がお詫びから始まったことが辛かったこと、今後は、野田首相を支えて民主党の政策調査会長の重責を担い、全員野球でがんばることなど報告。明るい表情が印象的。
その後、ぼくが口述して斎藤秘書が書き上げた春の選挙総括案について提案して多少の議論。粛々、淡々と終わったが、ほんまにこの1年、民主党や前原議員や候補者擁立のことで色々とあったなあ、というのが実感。なお2区の大会を12月に開催することも決定した。
午後は、十二提灯子ども神輿の案内をもって町内会長さん宅などを回る。また吉田神社の第二鳥居前に新築なった大元講社の社務所には剣鉾の飾りつけが終わる。民俗文化総合活性化プロジェクトチームのメンバーも熱心に調査に来てメモや映像で記録。いよいよ秋の祭りももうすぐ。夜は、相談ごと一件。