 |
鈴木マサホひとくち日記 |
文字サイズを変える |
  |
|
2012年回顧
●12月31日(火)
大晦日。事務所の整理を継続。なんとか綺麗になったかなあ。事務所でパソコンに向かったら、画面が出ない!
高橋さんに来てもらってなんとかなったが、ウイルスに攻撃されて困ったのは4年ほど前の歳末だったか、悪夢が蘇ったよ。ともあれたいしたこともなくてよかった。
午後3時には吉田神社での大祓祭に。澤井宮司さんらの「大祓詞」を参列者一同声を上げて読み、今年一年の罪やけがれを清める儀式。
大晦日は久しぶりに奄美から帰ってきた愚息と一献交わすかな。
みなさん、いい正月をお迎えください!
●12月30日(日)
<2012年 回顧>
午後に事務所に出てきて資料の整理など。今年の回顧録を書き始める。
新年早々、市長選挙の始まり。1月22日が告示だった。4年前は民主党の責任者として選挙事務所に詰めていたが、今回は比較的楽だった。それにしても4年に一度の寒い時の市長選挙はいやになるよ。節分が終わった2月5日が投票日で門川市長再選。おめでとうさん。
2月末には予算市会が始まり会期末は3月末まで。被災地のがれき受け入れ問題で本会議場は傍聴者の野次で騒然。
月末には、議員団で仙台、宇都宮、東京などを視察。
4月14日から19日まで、ベトナムはフエ市での世界歴史都市会議に参加すべく、佛教大学の学生さんたちや安孫子和子、山本恵くんらと一緒の市民ツアーで初めてのベトナムを訪問。
ホーチミンからダナン、ホイアン、そしてフエでの世界歴史都市会議への参加と子どもの家等への訪問、そしてホーチミンでは、ベトナム戦争の博物館など視察。ベトナム戦争から40年か、感慨深かった旅。
5月中旬は5月市会定例会。大飯原発の再稼働や電力不足が話題に。
全国市議会議長会から在職25年表彰も受けた。思えば遠くまで来たものです。感謝。
6月は、議員団で長野、新潟を視察。
8月5日は、ウエスティン都ホテルで議員在職25年記念の夏の市政懇談会を開催。多くの方にご参加いただきました。ありがとうございました。
また8月7日から9日まで、教育福祉委員会の視察で福岡、広島を視察。
8月17日には、関西広域連合議会議員の選挙をすることが目的で臨時市会が開催、井上与一郎前議長を全会派賛成して選任。
8月末には、京丹後市で京都自治体議員ネットワークの研修会。
さらに仙台市での民主党政令指定都市政策協議会の研修会にも参加。帰途、仙台の沿岸部から南相馬市、飯館村を経由福島市まで、レンタカーで視察。忘れてはならない記憶として、ほぼ1年ぶりに被災地の現状と原発事故後の状況を垣間見ました。
9月中旬からは定例市会が10月末まで続き、決算審議。
吉田今宮社の神幸祭では名誉ある宝剣を持って巡幸しました。
10月30日から11月2日まで、韓国の孤児の母、田内千鶴子さん生誕100周年を記念した「世界孤児の日」制定大会に参加すべく、木浦を訪問。京都市のパートナーシティ、晋州市にも市長のメッセージを携えて訪問。市民交流を図ってきました。
11月26日から始まった11月市会定例会では1年ぶりに本会議で代表質問。
民主党政権の3年余の成果について少し触れて、総合支援教育や障害者施策について20分演説をしました。
そして市会は休会に入り、「近いうち」と言われてきた総選挙に突入。前原誠司議員の選挙対策本部に入って右往左往。 前原議員は7期目の当選を果たすも民主党は大惨敗。自民圧勝!陽はまた昇るのか!
そして再開になった11月市会では、清酒条例が制定。
この1年、市会においては教育福祉委員会と市会改革推進委員会に所属して色々と議論をしてきました。市会改革もまあぼちぼち進んでるかな。
この1年、風邪もひくこともなく怪我もなく、家族も元気で何より。感謝。
来年は64歳。元気にがんばろう!
●12月29日(土)
年の瀬の土曜日。
昼前、教育委員会生涯学習部長など歴任。市役所を退職後、愛媛県は愛南町で田舎暮らしを始められた大森寿人さんが事務所に来所。百万遍で昼飯を食べながら色々な話を伺う。都市と田舎の格差や猪の捕獲の話や猿との格闘など面白い話。そして宇和島南の「へんろ道を世界遺産にしよう」と頑張っておられるとか。お元気で何よりです。
また来客はコムページの牧野君も。左京ライフのリニュアルをしないかんな。
その後、年の瀬の仕事は、毎年のごとく、事務所の資料の整理
そして夜は、経糸の会の事務局の杉村さん宅での恒例の餅つき。ぼくが行った時には終わっていて、夫妻の故郷の静岡おでんで飲む。来年6月8日(土)の午後、京都コンサートホールにて第14回「ヒューマンふれあいコンサート」を開催予定。今年は、中国人の歌手、李広宏さんが心の歌を唄う。
市会閉会!消防団回り
●12月28日(金)
午前中事務所は千客万来。年明けから吉田の西部で下水工事をする請負業者が挨拶に。1年余かけて工事をする予定だが、祭りの時に神輿の巡行もあるのでそのときの対応や説明にいってほしいところなどアドバイス。
また過日開催された不登校セミナーの主催者の瀬尾大君も来所。京大構内のレストランで総長カレーを食べながら、不登校問題について懇談。全国で6千件の相談があるとか、また私立高校での不登校生徒は増えていることや、親の職種が教員、医者、裁判官と検事などの家庭の子どもたちの相談が多いということを知る。親の期待が大きい家庭の子どもたちは、そのなるのかあ。悩んでおられるみなさん、連絡いただければ紹介しますよ。
また11月に国際交流会館で福祉まつりを主宰した京彩都の石井さん。来年には障碍者の絵画展を開催したらどうやろか、という相談ごとも。さらに吉田神葬墓地のことで友人の測量士さんや選挙結果について某氏が訪ねてきたりで、喋りづめ。
その後、京大病院に友人の見舞いに。前原選挙の時から手術をするといって言っていた彼だが、手術も成功して、ベッドから起きて話せる状態にはなっていた。数少ない難病らしいが快復を祈るのみ。
それから今年最後に吉田歯科でゴリゴリしてもらい、その後は北大路の某歯科医を訪問。ビルの建物の屋外広告物、看板の届出がされていないということで京都市の都市計画局から文書が来たがどう対応したらいいのか、という相談。この間の屋外広告物の京都市の政策について説明。年明けに担当者と協議をしてみよう。
なお嘉田滋賀県知事が小沢一郎と立ち上げた「未来」が分裂。成田離婚。嘉田知事も滋賀県政が暇なのか、近畿では有名かもしれないが、全国政治に打って出て失敗でしたな。小沢グループは、生活の党を結成するとか、ようわからんよ。
●12月27日(木)
<今年最後の市会改革推進委員会>
定例市会は閉会したけれど、10時から今年最後の市会改革推進委員会。
民主主義は時間がかかるのだ。委員長は前向きに色々と提案するが、議会報告会の開催にしても定数問題や議員報酬問題で第3者委員会の設置にしても各会派からああでもない、こうでもないとなかなか合意に達しない。革新を名乗る某会派
は保守派で、また若い議員がメンバーの某会派も意外と前向きではないのが残念。
第3者委員会の設置については、正副委員長で再度協議して欲しいとぼくも発言。議会基本条例の制定や議員定数の在り方など来年度の大きな宿題。
されど新たな試みとして、1月18日開催の市会改革推進委員会で
市民の直接傍聴をすることを決定したことは画期的だ。9時から受付開始で、先着10名のみで試行します。ぜひ傍聴に来てや!
これにて今年の市会の委員会もすべて終了。議員団の机の上に山ほど溜まった資料など整理して、仕事納め。
午後は、事務所にて雑務。
<消防団回り 3日目>
夜7時過ぎから歳末警戒中の消防分団回りの3日目。消防団長、消防署長、区長と一緒に府市会議員も同行して養正、浄楽、錦林東山、岡崎、聖護院、川東、新洞、そして第四錦林小学校横の地元吉田消防分団を友人の運転してもらって回る。比較的暖かくて助かった。
この日の夕刻、新洞学区の駐車場で車の火災が発生したらしく、左京の火災件数も35件になった。残念です。
思えば、市会議員になってから25年余。毎年歳末警戒にぼくも回っているが、昔はみかん箱を持っていたり、また器具庫では団員さんたちが飲酒をしていたりしていたが、それも昔の話。団員さんたちの活動に心から感謝。ご苦労さんです。 今年の消防団回りもこれにて打ち止め。元田中叡電前の「さかなやのあとの串カツや」で。熱燗で友人と乾杯。ありがとう!
●12月26日(水)
<本会議、清酒条例を可決!>
11月市会定例会の会期末の本会議。11月26日に始まった11月市会定例会は12月3日から衆議院選挙で休会して12月17日から再開されるという変則的な日程だったが、ようやく会期末を迎えた。
冒頭、まちづくり委員会で採択された左京区高野の遊技場建設の指導の請願は全員の議員が賛成して採択!以降、予算特別委員会で質疑された補正予算は原案可決。経済総務委員会で議論された「みやこめっせ」の指定管理者など簡易評決。
で、
問題の清酒条例は、修正案を可決して、付帯決議を付す。全会派賛成ということで、簡易評決になったが、某議員はどういうわけか、腹でも痛くなったのかな、居なかったようだ。
なお消防学校跡地の不動産の処分の議案については採決の際、清水議員は除斥。
以後、くらし環境委員会では、神川出張所の移転の議案など、教育福祉委員会では、八瀬小学校の工事契約議案などの審議について委員長報告が行われ、淡々と付託されていた議案は可決、なお共産党は、教職員の給与削減の条例には反対したが多数で可決。まちづくり委員会では、醍醐の施設の指定管理者の議案など原案可決。
教育委員には秋道智弥氏を任命。共産は反対。
そして意見書は、共産党から提出された「妊婦健診及びヒブワクチン等への公費助成継続を求める意見書」と自民党提案の「北朝鮮の弾道ミサイル発射に抗議し、拉致問題の一刻も早い解決を求める意見書」を全会派賛成して可決。
紛糾することなく淡々と終わり閉会宣言!市長等が各会派の部屋に挨拶に来て、その後、議員団全員集まって市役所前と本会議場で記念写真。終わった、終わった!
<スポーツの殿堂表彰式>
午後は、京都市コンサートホールでの京都市ゆかりのスポーツ選手の功績をたたえる「京都スポーツの殿堂」の表彰式と京都市スポーツ賞の表彰式。
殿堂入りは、伏見工高ラグビー部総監督の山口良治さんと、シンクロナイズドスイミングの五輪銅メダリストの奥野史子さん。山口先生はちょっと涙目でした。奥野さんは、欠席されビデオメッセージ。夫の北京オリンピック銅メダリストの朝原宣治さんはすでに殿堂入り。夫婦揃っての殿堂入りはもちろん初めて、おめでとうございます。
なお今年オリンピックに出場したり全国大会で活躍した大学や高校、社会人など選手たちの市スポーツ賞の表彰も。栄誉賞4人、特別賞11人、特別対象の14人と2団体、大賞の47人と15団体。わが母校の同志社は何人かの選手が表彰されよかった!鴨沂高校はありませんでした。
<消防分団回り 2日目>
夜は、消防分団回り2日目。小雪が舞い北の方の道は心配やということで友人のスタッドレスの車に同乗。修二から修学院、上高野から八瀬に。橋梁にある温度計はマイナス1度。来年左京区を代表して総合査閲に出場する大原は気合がはいっているなあ。江文峠も凍結はしていなくて無事に静原から鞍馬へ。鞍馬では深々と冷えて小雪が舞う中の激励。頭髪が薄いと心底冷たく感じるよ!最後は市原野で終わり。
来年はジャンボタクシーで呉越同舟、府市会議員一緒に回わりませんか、と。國本議員から提案。ええアイデアや、ぜひそうしたいなあ。帰宅して風呂に入ってようやく人心地。
ニュースは、安倍新内閣の発表。昔の名前で出ている人がチラホラ。党人事は女性陣を抜擢したが、ケンカせんとやらはりますのやろか?
●12月25日(火)
<議員会 清酒条例で議論>
師走の連休明けに議員会を10時から開催。明日が会期末の本会議などで討論結了の委員会を控えて最後の議論。意見書を巡って調整が続く。
一方で問題の清酒条例。原案文にあった清酒「を利用した乾杯」の文言が削除された修正案が出てきたり公明からは、付帯決議も出されてきた。共産は賛成するとういことでさて、民主はどうするのか。市長も条例制定を願っているとの報告もあり、積極的ではないけれど、賛成しようかいな、ということに決定した。
意見書の調整も終わり、清酒条例の各会派の態度も決まったので、3時から各常任委員会が、4時前には本会議場で予算特別委員会が開催されて討論結了。思っていたより早く終わってよかった。
<民主党代表に 海江田万里氏>
なお議員団室で待機中、民主党の代表選挙のテレビ中継が流れるが、見る気にもなれない。今回はわが2区総支部長の前原議員も沈黙し、馬淵議員と海江田議員が立候補。熱気のない中で海江田議員が代表に。「万里休す!やな」というのがぼくの感想。「粉骨砕身」民主党の再建なるのかなあ?幹事長は細野豪志さん。若手ではピカ一みたいだけれど参議院選挙を仕切れるのか期待したい。
夕方、サボっていた吉田歯科へ。被せていたものが取れたので簡単な治療を受ける。
<消防分団回りを始める>
そして夜は、友人に車を運転してもらって、毎年恒例の消防分団回りの第一日目。梅景左京消防団長、石田左京消防署長、高城左京区長の激励巡視に、左京の府市会議員が同行。北白川から、養徳、松ヶ崎、葵、下鴨、岩倉南、明徳、岩倉北の8か所の分団を回る。
今年の特徴は、各分団に発電機で点灯するLEDの白い円盤状の灯光器が配置されて明るくなったこと、そして進行係を各分団員が務めたこと。そして昨年より火災件数が15件増加して34件で焼死者も5人おられたとのことで、年内を無火災で過ごせるようにという訓示。寒かった!消防団や自主防災会のみなさん、ご苦労さんです。
市会再開!
●12月24日(月)
<重苦しい民主党府連常任幹事会>、
振替休日のクリスマスイブ。10時半から京都駅近くのホテルで選挙戦後、最初の民主党京都府連常任幹事会。
小選挙区で勝った山井会長と前原議員、比例区で復活した泉ケンタ議員、落選した北神、小原舞さんに祐野恵さんに、松井孝治、福山参議院議員がそれぞれ挨拶。京都はかろうじて踏みとどまったものの重苦しい雰囲気。
それぞれ反省の弁や今後もがんばると決意を述べるが、脱力感があるなあ。唯一の和みは、宇治市長選挙で当選した山本正元府会議員が当選御礼の挨拶をしたこと。
選挙総括をどうするか、またメゲナイで来年の夏の参議院選挙に向けての池坊美佳さんの選挙の取り組みをどうするか、そして定期大会に向けての準備などを協議。うつむいてないで前に進むしかないが、展望は開けるのかな。
その後、前原議員らと代表選挙のことや今後の政局の動き、また選挙のときの諸々の案件についてしばし懇談、
午後は、下鴨の理髪店「チョキチョキ」に。病気闘病中の店主を励ます意味もありチャリティー・コンサート。わが下大路町在住の田中愛子さんがボサノバを唄う。狭い会場は超満員だったが、外は寒い寒い。
<クリスマス パーティ>
夕方、大木工務店はお客さん感謝の集い・クリスマスパーティ。
eRikaさんのバイオリンと長山梨絵さんピアノの演奏に寺田バレエのカンカンが最高に盛り上がり、江藤ゆう子さんのボーカルで演奏など盛りだくさん。ぼくは去年に続いてサンタクロースの服を着て子どもたちにプレゼントを渡す役。メリークリスマス。楽しいひと時でした。
●12月23日(日)
久しぶりにゆっくりした日曜日の朝、NHKで将棋を見る。
午後、冬の始まりの高校男子駅伝をテレビで見ながら、御所を過ぎたところで家を出て東山の近衛で応援。仙台育英高から移籍した?選手がほとんどの豊川高校がトップを走る。強いのは当然やろ。わが京都は常連の洛南高校ではなくて公立の桂高校!一区から最後の方を走っていたが、健闘したよ。
応援した後、京大病院に剣鉾仲間を見舞い。元気な剣鉾差しが難病にかかって今後の仕事のことなど相談を受ける。もうすぐ退院できるとかで快復を祈るのみ。
その後、久しぶりに嵯峨野の介護付きマンションで暮らしている両親を訪ねる。ちょっとマダラ症候群の親父も元気。お袋は、難聴になっていて大きな声で話さないといけないが、まあ仲良く暮らしているようで安心、それからお袋とある病院に叔父さんを見舞いに。倒れて10年程経つ。喋れないが、手を握り喜んでくれた様子。さてぼくはこれからどんなふうに老いていくのだろうか、と帰途ふと思う。久しぶりに家で松本清張のドラマを見ながら晩酌。
●12月22日(土)
<学校管理用務員の防災研修会に>
朝9時過ぎに三条京阪の元有済小学校の体育館での京都市学校用務研究会主催の「防災研修」に。京都市の学校管理用務員さんたちの組合、京都市学校職員労組のメンバーが中心、委員長も書記長も研究会の会長も女性たち。
寒い中100人ほどの組合員や教員らが「京都市避難所運営マニュアルについて」防災危機管理室の担当者から講演を熱心に聞いた後、AEDや人形を使った救命講習やジャッキなどの機材を使っての防災訓練に防災クロスロードとしてワークショップ。食料が足らなかったらどう配分するかとかこれがなかなか興味深い。
また段ボールなどを活用したトイレなども展示されていて、学校が避難所になった時の管理用務員のすべきことなど考え実施する研修会。準備してきたみなさんご苦労さんでした。
その後、「みやこめっせ」での「やんちゃフェスタ」と「エコまちフェスタ」に。「やんちゃフェスタ」は、児童館学童連盟など各種団体がブースや出して、舞台ではドナルドショーなどがあって空模様がイマイチだったけれど子供用の消防服や市バスの運転手の制服を着て喜ぶ子供たちで賑わっていた。エコまちフェスタは、各区役所にあるエコまちステーションの職員らが知恵を絞って子供服のフリーマーケットやゆるきゃらのエコちゃんも登場しての企画。
午後は、ラーメン店開店のことで友人から相談ごと。色々とありますよ。
その後、この間、多忙でできなかった10月に巡行した十二提灯こども神輿の決算など雑務。多くのローソク代をいただいて今年も繰越金ができてよかった!またメモを見ながら選挙戦の「ひとくち日記」の打ち込み。
まあいろんなことがあったなあ。
で、安倍自民党意気軒昂、組閣に向けて人事が始まり、わが民主、壊滅状況のなかで代表選挙を巡って右往左往。
●12月21日(金)
朝10時から議員会。伏見の消防学校跡地が某福祉法人に売却されることになるのだが、今後の展望などについて議員から質疑。
また市庁舎再整備に係わり、要は今は駐車場になっている消防庁舎横の土地に議会棟を建設するか、今の本庁舎内の本会議場を改築するか、どうかの選択。民主としては、後者が適当というのが判断。
また昨夕提案された自民からの、北朝鮮のミサイル発射と拉致問題の解決を求める意見書と、共産からはワクチンの公費助成継続、生活保護費の引き下げをしないこと、小選挙区制の廃止の3本の意見書について議論。意見書調整の担当の議員から随時報告を受けながら方向性を決めて行く。
そして問題は清酒条例だ!ああでもない、こうでもないと議論が続くが、会派としての態度がまとまらないまま週明けに結論を出すことに。進行役の中野副団長も往生してはります。
夕方は大原へ。歳末を控えて各消防分団の激励に市長と正副議長が激励巡視に。来年の総合査閲に出場する分団に対して正副議長とまちづくり委員会委員長の選出されている行政区の消防団を回るのが慣例。今年は左京と伏見と西京の三か所の消防団が対象となった。
大原消防分団は多くの分団員さんがいて来年の優勝候補の一角。日頃は着物姿の門川市長も消防の制服を着ると、見慣れないこともあってイマイチ似合わんなあ。左京選出の府市会議員も駆けつけて来賓で紹介してもらい、地元の自治会の各種団体長さんや各消防分団長らが見守る中、市長と議長が激励の挨拶。もう歳末やね。大原の夜は寒かった!
●12月20日(木)
11月市会定例会の会期末を控えて各会派は10時から議員会を開催。今後の日程など色々と報告があり、選挙後の休会明けから始まった予算委員会のメンバーから補正予算の審議状況と問題点を、各常任委員会での議案の審議の問題点などを各所属の委員から報告を受けて、各議案に対する会派としての態度を決めて行く。補正予算はさほど大きな問題点はないが、伏見の消防学校跡地の売却のことはちょっと担当局と質疑をしたいとの表明も。意見書と決議については民主としては提案しないことに。
問題は、自民党提案の「京都市清酒の普及の促進に関する条例」について。条例の趣旨は、「第一条 日本酒の普及を通して日本文化の理解を深めること、 第二条 京都市、生産者は日本酒の普及、日本酒で乾杯することの普及に努力すること、第三条 市民は京都市、生産者の取組に協力するように努めること」という簡単な条例。
なんで条例化をしないかんのか、という疑問もある。また断酒している人や飲めない人に対しての考慮もしないといけないし、すでにある京都市伝統産業活性化推進条例との整合性、73品目ある京都市の伝統産業の中で、なぜ日本酒のみを対象にして条例化するのかや、理念条例に意味があるのかなどの議論が交わされる。
酒好きのぼくは条例化まですることはないと考えているが、まあ話題性もあるし、どっちでもいいかな、と発言。伏見の酒造組合が制定を求めているらしいが、その伏見選出の3人の議員の中で1人反対派がいるのが解せないよ。ともあれ喧々諤々。なお提案した自民党の某議員、一滴も飲まないのに過日の本会議で提案説明をして、経済総務委員会でも委員同士の議論に答弁をしていたというから不思議なものだ。
ともあれわが民主・都みらい議員団としては積極的に大賛成だという雰囲気はないなあ。なんやかんやで夕方まで議員会。
午後6時から教育文化センターで、高野のパチンコ店出店計画についての「まちづくり説明会」。開会時間にちょっと遅れて行ったが会場はほぼ満員。300人程かな。出店を計画しているホテルパートナーズと設計事務所アクシスの面々が壇上に座り計画の概略を説明した後、会場に詰めかけた近隣住民との質疑。カナート洛北ができるときも大問題だったが、道を隔て閑静な住宅地になんでパチンコ店やね、と8月に最初に知ったときはぼくは驚いた。反対運動が起こって当然だ。
昨日の京都市会まちづくり委員会で採択された請願に書かれているとおり、住環境の悪化や交通問題、解体時の問題などがあり、会場からは住民がそれぞれマイクを握って質問や反対の声を上げる。
今回の説明会は、京都市のまちづくり条例に従っての説明会なのだが、のらりくらり、或いは、計画を何としても進めようとしている事業者に対してぼくも業を煮やして「請願が京都市会委員会で全委員が賛成して採択したことの重みをどう考えるのか!」とマイクを握って発言。この1回の説明会で終わらそうとしている事業者のしたたかさにも怒りを覚えるよ。ともあれ、このパチンコ店反対運動が始まったところ。住民のみなさんは粘り強く反対運動をしてほしい。住民運動は、おおらかに楽しくやるのが鉄則ですよ!もちろん応援しますよ。
説明会は9時半頃まで続いたそうだが、最後までいられなかったのが残念。40年来の友人、デビッド・クビアックのパーティに。1970年前後か、若王子で「ふん」なるロック喫茶?みたいなことをしていたヒッピー?だったアメリカ人。環境問題の映像を作ったり、インドとアメリカと日本を行ったり来たり、市民運動が好きな不思議な友人。明日は、マヤ歴で終末の日とか、また京都を離れてインドに行くとかでパーティ。ワインを飲みながらワイワイ。
●12月19日(水)
午前中爆睡!午後、議員団室に。まちづくり委員会では、ちょうど議長の大西議員を覗いた8人の左京選出議員が全員紹介議員になった「ホテルアバンシェル京都跡地へのパチンコ店新設計画の見直し及び、解体について近隣住民への十分な情報開示と説明を求める請願書」についての請願が審議され始めたところ。
モニター室には住民のみなさんも来られていてぼくもテレビで傍聴。隠塚副委員長と共産党の左京選出の議員が趣旨説明。議員同士で多少のやり取りがあった後、都市計画局の担当部長から事業者からの相談内容や計画、また今後のまちづくり条例などの手続きのことなど補足説明のあと質疑。そして請願の採択について図られたところ各会派が採択に賛成の表明。わが同僚の某委員、賛成はしたものの何を言ってるのか、わけが分からん発言。ともあれ請願は委員会で採択されてよかった!
以下、採択された請願全文を記録として張り付けておく。
「ホテルアバンシェル京都跡地へのパチンコ店新設計画の見直し及び、解体について近隣住民への十分な情報開示と説明を求める請願書」
【請願趣旨】
ホテルアバンシェル京都(京都市左京区高野西開町/カナート洛北店東隣)を取り壊し、跡地にパチンコ店を新設するとの計画が、施主である株式会社ホテルパートナーズによって公表されました。パチンコ店建設予定地は、法律上(京都府・市条例含む)の規制対象にならないようですが、当地は、①法律上パチンコ店の建設ができない住居地域に隣接している。②小・中学生の通学路、保育園児の散歩コース、歴史的にも由緒ある大原街道に面している。③西開児童公園に隣接している。④幹線道に面していない等、パチンコ店の出店には不適切な場所です。強引に計画が実施されるようなことになれば、近隣の生活環境への影響、青少年の健全育成の阻害、交通渋滞及び事故の増加等がもたらされる恐れがあります。このような理由で、私たちは当地へのパチンコ店新設計画に強く反対し、計画の見直しを求めるものであります。
更に、この計画によって2013年春には現存のホテル建物が解体されることになりますが、当該建造物については、住宅地に密接した立地という環境の中で、解体工事によって引き起こされる粉じんと騒音による被害の発生、更に大量の産業廃棄物の搬出に伴う交通安全上の問題の発生が危惧されます。また、当該建築物の解体に当たっては、アスベストが使用されている疑いもあり、地域住民への健康被害も懸念されるところです。よって、建物の解体が、住宅地に隣接した場所で行われるという状況に鑑み、京都市におかれましては、施主及び施工業者に対して、解体工事に先立って近隣住民への納得の行く説明を行い、近隣住民が安心して日常生活をおくれるよう最大限の配慮をするべく指導いただくことを求めるものであります。
このような理由で、私たちは当地へのパチンコ店新設について反対・計画の見直しを要望していますので、京都市会に対しまして、以下のような請願をいたします。
【請願項目】
①ホテルアバンシェル京都跡地へのパチンコ店新設計画について、施主であるホテルパートナーズに対し、計画の見直しと隣接・近接住民への十分な説明及び完全な合意がなされるよう指導を行うこと。
②ホテルアバンシェル京都建物解体にあたり、住民への事前説明や住民の理解のない解体工事が行われないよう指導すること。
③解体工事に当たっては、解体時の粉じんと騒音の防止について、地域住民の生活環境への悪化を及ぼさないための施策に対し指導を行うこと。
④産業廃棄物の搬出にかかり、搬出車両からの粉じん等の飛散防止に対し、指導を行うこと。
⑤解体工事・産業廃棄物の搬出にかかる工事車両・運搬車両について、地域の交通事情にも鑑み、交通安全の確保を行うため、保安誘導員の配置に対し、十分な指導を行うこと。
⑥解体工事・産業廃棄物の搬出にかかる工事車両・運搬車両について、地域の交通事情にも鑑み交通安全の確保を行うため、大型車両の使用について控えるよう、指導を行うこと。
⑦アスベストの調査及び、飛散防止の為の施策と検証体制について指導を行うこと。
高野パチンコ店建設反対住民連絡協議会*
<*構成団体> 西開町北部町内会、下西開町町内会、東大路高野第1住宅管理組合・町内会、東大路高野第2住宅管理組合・自治会
東大路高野第3住宅管理組合、高野川ハイツ管理組合、デ・リード北大路管理組合、ネバーランド京都下鴨東管理組合。◎本請願については、養徳学区各種団体長会も賛同いただいています。
以上です。
この請願が全会派賛成して委員会で採択されたことは大きな意味があると思っている。ちょうど明日、まちづくり条例に従って事業者が住民説明会を開催することになっているのでよりタイムリーだった。
その後、下京区はマンション建設工事に係わり、騒音に悩まされているという市民からの相談ごと。彼の亡くなった親父さんが知人だった。一緒に現場を見に行くが一市会議員としての妙案はない感じ。役にたてないなあ。
夕方は、とある会の忘年会があったが、元気がなく欠席。
韓国では初めての女性大統領、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の娘、朴槿恵(パク・クネ)さんが当選。右傾化する自民党安倍政権との関係がどうなるのか、いささか不安だね。
●12月18日(火)
10時から11月市会定例会に付託されていた議案を審議するべく3つの常任委員会が開催。
教育福祉委員は、地域主権一括法の施行に伴い、福祉施設など従うべき基準、標準、参酌すべき基準があり、各自治体が独自に、施設の人員、設備、運営の基準などを決めることができるということになってそのための条例改正。また伏見の児童館などの運営をする指定管理者についての審議も。元市会議員の砂川さんの法人も児童館の運営者とする議案もあった。
理事者報告は、「市営保育所の今後あり方に関する基本針 」に基づく3か所の単独乳児 保育所の移管先法人等及び南区の移管対象予定保育所選結果について説明があったが、某法人には、選定委員会委員の中に反対意見もあり課題が多いのでぼくも質疑をする。
また、エイズ対策基本方針に関する市民意見の募集や京都市斎場のあり方につい ての提言へ市民意見募集の報告もあった。
請願審査では、共産党が紹介議員の 保育及び学童施策の拡充、妊婦健診及びヒブワクチン等への公費助成継続要請、生活保護基準の引下げ反対要請についてはいずれも留保。その後、簡単に一般質問もあったが、保健福祉局との審議も午後までかかる。
教育委員会からは、京都市立八瀬小学校増築工事請負契約の締結についてと京都市教職員の給与等に関する条例一部を改正。八瀬小学校工事請負契約の締結は、5億4千万円で吉村建設工業株式会社が請負業者。中庭をロの字型に囲むように校舎を配置、八瀬舞台としてのステージも活用できるという。児童数は現在57人。国道を横断することになるので安全対策など左京の議員が質疑。
報告案件は、伏見工業高校と洛陽工業高校の統合再編に係る「京都市立工業高校将来構想委員会中間まとめ」に係る意見募集の結果ついての説明と「京都市・乙訓地域公立高等学校の新しい教育制度(案)」に係る市民意見の募集結果も。
請願については、高校教育制度案の拙速な導入反対、選択制中学校給食の見直しについては留保。東山の小中一貫校における通学方針の撤回等の陳情についても質疑がありました。終わったのは5時を回っていた。疲れました。
●12月17日(月)
戦いすんで民主党は日が暮れて、野田総理は辞任を表明。荒野に墓標が立ち並ぶ。自民党の一人勝ち。浮動票は維新に流れた。新聞を読む気にもならないし、テレビも見る気にはなれない朝。
疲れ切っていたが、前原議員が朝の街頭演説をするというので出町柳駅へ。まだ現職の大臣ということでSPも警護について事務所スタッフが見守る中、粛々と初心に戻って通勤者にお礼の挨拶。胸中はいかに。陽はまた昇ってほしいなあ。
重い足取りで市役所に。休会していた京都市会も補正予算を審議するべく予算特別委員会第2小委員会が開会。
まずは、保健福祉局の 保育所への耐震アドバイザー派遣事業や民間保育所整備助成、介護基盤整備助成、小規模保育事業等開設準備などについての説明があり審議。建設局からは、河川浸水対策緊急事業と土木災害復旧事業の補正予算。各委員は選挙で疲れていることもあり、淡々と質疑は終わった。ぼくは睡魔に襲われながらぼーとしながら審議を聴いていた。散会後、議員団室でしばしうたた寝。なにもする元気なし。
夕方、左京区役所の会議室で京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会の実行委員会に。スポーツ少年団の指導者や小学校のバレーボールクラブの先生らが集い、来年3月に予定している大会の打ち合わせ。ぼくはこの7月に会長になったので閉会の辞を述べる。10人を切る小さなライオンズクラブだが、今度で16回目の大会。唯一のアクティヴィティとして子どもたちの元気なプレーを楽しみに開催している。熱心な指導者のみなさんに脱帽。
ところで左京の比例区の投票結果は自民16、351。維新15、111。民主14、128。共産11,352。未来5,620。みんな5,321。公明4.397。社民2,079という結果でした。まいったなあ!
次の府市会議員選挙でどういうふうになるのか、心配やな
。
前原候補当選、されど民主惨敗
●12月16日(日)
<投票日>
疲れました。目覚めたのは昼前。昼過ぎカミサンと近衛中学校の投票所に。天気も良くてそれほど寒くはなし。
今までは受付に各町内の人が座っていたが、随分簡素化されて葉書を見せて生年月日を言えば、受付が終わり、投票用紙をもらって記入。もちろん民主党と前原誠司と書いたよ。裁判官のマルペケのことは内緒にしておこう。町内の友人の立会人らに挨拶をして投票を終えました。
選挙事務所には午後に2時ごろに行って、放送局の取材陣と打ち合わせ。わが陣営の当確は早く出そうだという情報。テレビカメラが4台設置され、椅子が50脚ほど並べられて各後援会の会長らの座席も指定されるなど準備万端。
ぼくもテレビに映りそうなので、急遽、行きつけの「ひげ床」へ。数か月ぶりか。整髪中ほとんど居眠りをしていたよ。そしていつものようにマッサージ、いやはや感謝。
<陽はまた昇るl>
7時過ぎには再び選挙事務所に。運動員や後援会の役員さんに支持者が詰めかけていつものように8時からテレビ中継に見入る。投票が終わり開票は全くされていないのに、自民党の当確が次から次へと決まっていき300議席を超える勢いだとか。溜息ばかり。
されどわが前原候補、ぼくが思っていたより早くNHKが当確を流して安堵の拍手。家で待機していた候補者が登場。万来の拍手で迎えられ万歳!候補者は心なしか、万歳をしなかったかな。ぼくも心からの万歳をできず。勝ってよかった、ほっとしたというのが実感で、民主党の候補者が軒並み落選をしているので喜べず。
ぼくは議員団を代表して「陽はまた昇る!民主党の出直しの先頭に立って欲しい」と短い挨拶。テレビインタビューにも前原議員は緊張してこわばった様子でのやり取り。うれしさもなかばだろう。ともあれわが陣営は勝利したのは間違いなく、セレモニーが終わり、記者たちのぶら下がり取材を受けた後、山科事務所へ。
山科後援会の人らに囲まれてようやく安堵の顔をした前原議員が印象的だった。ぼくもみなさんにお礼を言ってから選挙事務所に戻り、スタッフと他の候補者の戦況を見る。
5区の小原舞ちゃんは、やはりだめで、4区では田中市議がトップで北神議員は届かず。山井議員は接戦、最後に勝ち切ったがハラハラや。泉ケンタは小選挙区では惜敗。比例復活でなんとか首の皮一枚でつながった。よかった、よかった。
京都は、逆風下なんとか踏みとどまったかな。大阪は壊滅や、同志社の総合政策科学研究科の同窓の滋賀の田島一成君も再選されず。もうがっくり。民主党に暴風雨が吹いたな。ここから立ち直れるのか。
なお宇治市長選挙で、自民党候補を打ち破って山本正府会議員が当選したのは、喜ばしいこと!
山本市長、がんばってや!
選挙戦 ラスト2日
●12月15日(土)
<山科駅前で朝立ち>
選挙戦も最後の一日。ちょっと二日酔い気味。最後の朝立ちは山科駅前。それほど寒くはなくてほっとした。朝3時過ぎから島内研君らが場所取りに来ていたらしい。乗降客に声をからして最後のお願い。候補者は、3区と宇治に応援に行った後、滋賀県の候補者の応援にも行くとか。
選挙車を見送った後は、地元の聖護院学区を残ったビラを2時間ほどかけて撒く。
<ラストサタデー作戦>
そして、午後はラストサタデー作戦。午後3時前に四条京阪に前原後援会のメンバーや各議員の後援会10人づつほどのメンバーが集まる。ふと南座を見上げると京都の師走の風物詩、顔見世の「まねき」が上がってるではないか、もう歳末やんか。歳末の人出の中、四条のアーケード街を祇園石段下まで「民主党を、前原誠司をよろしく」とのぼり旗を持って練り歩く。選挙戦最後のいつもの光景。
そして、四条中学校前に止めた民主党府連の大型宣伝カーの上に登って演説会。学生ボランティアでがんばった京大生が緊張しながらアピールをして、ぼくも議員団の代表として演説。続いて、福山哲郎参議院議員、細田連合京都会長がマイクを握って最後に前原候補が最後のお願い。
後援会や労組のメンバーなど300人程か、観光客らしき通行人は立ち止まるが、政権交代の時の熱気はないなあ。陽がが落ちるのは早い。
その後、左京の議員が3人選挙車に、ぼくは先導車に乗り込み左京南部を最後のお願いに回り、午後6時からは候補者本人が乗り込んでマイクを握る。
現職の大臣なので警護のSPを乗せた車が選挙車の後に付き、行く先々で手を振ってくれる人がいると選挙車は止まって候補者は車を降りて握手に走る。それについて小雨模様で暗いなかで、警護のSPさんもボランティアの学生も走り、たいへんだアー。
下鴨から一乗寺、修学院から上高野から地元の山端を走る、走る。前原候補本人の声なので飛び出て来る人も多い。そして最後のスポットは修学院駅前の事務所で候補者はなんとしても勝たしてほしいと訴えて、ちょうど午後8時、選挙事務所前でマイク納め。
厳しかった選挙戦も終わりスタッフや後援会、運動員一同、拍手で労う。最後の選対会議は、明日の投票日、追い出しの電話作戦を夕方まですることや当確が打たれた時のセレモニーのことなど決める。
さて、票読みはどうか、新聞記者らの当選は間違いないという情報を言ってくれるが、郵政選挙のときの山科と東山で負けたという悪夢もある。前回は10万票の大台に乗ったが、逆風下、目標の8万票に届くかどうか、期日前の投票も前回より落ちているし、寒いし投票率は落ちるだろうから、なんとか7万票を超えるかどうかというところ。それにしても民主党は何議席とることができるのだろうか?100は切るのは間違いなさそう。えらいこっちゃで。
ともあれ明日は審判を待つのみ。事務所を出たのは11時を過ぎていた。
スタッフとしてがんばった某君と近所のラーメン屋でおでんと餃子で乾杯して、久しぶりに近くのスナックでカラオケを歌って憂さ晴らし!終わった、終わった!
●12月14日(金)
<出町柳駅で朝立ち>
選挙戦も残すところあと2日。左京での最後の朝立ちは出町柳駅。社民党の候補者も来ている、ビラを配っている人を見ると社会党時代の知った顔が2、3人。土井たか子委員長時代の社会党がなつかしいね。みんな歳を重ねたね。老兵が頑張ってるが、時代は終わった。
わが前原陣営は一昨日の激が効いたのか、赤と白のジャンパーを着込んだ前原後援会のメンバーに気合が入ったのか、集まった人も多い。ようやく選挙も終盤になって、通勤するドライバーもクラクションを鳴らす人や手を振ってくれる人も多くなってきた感じかな。
隠塚議員と選挙車に乗り込み、岩倉、八瀬、大原など最後のお願いに。寒い寒い。市原野の交差点などでスポット演説をして、上高野、修学院では今夜の個人演説会の呼び込みを車上からマイクで訴える。午後2時まで乗るとさすがにぐったり。
されど元気を出して、わが地元の吉田、岡崎周辺のビラ撒きに。およそ3時間、自分でビラを撒くのも選挙の常識。知り合いに会うとご苦労さんと声をかけてくれる人と「民主党、あきまへんがな」と冷やかず人も多くてえらいこっちゃ。政権交代に期待していた人たちが多かっただけに、迷走や小沢グループとの内紛やマニフェストが実現できなかったことなど、政治不信が重なり世論は、離れてしまったのを実感。冷や汗を流しながら今日予定していたビラまきを貫徹。
<修学院小学校で個人演説会>
夕方、選挙事務所に立ち寄ってから前原候補の卒業した地元の個人演説会場の修学院小学校に。設営の準備もほぼ終わっていたが、マイクの調子がイマイチ。開会は7時半からだったが、7時を過ぎても閑散としている。ヤバいな、寒いし出足が遅いのかな、といささか心配していたが、開会直前には、なんとか会場はほぼ満員になった。といっても前回の熱気はない感じ。
北岡府議の司会で始まり、元左京医師会の藤田先生と元左京税理士会長村中平治さんらが弁士に立ち、青木よしか議員の旦那の山本敏明連合京都副会長は点字広報を示しながら味のある応援の弁。ぼくももちろん応援弁士に立ったが、ふと鳩山さんや菅さんなどもかつては前原候補の応援弁士としてこの会場に来ていたことを思い出していた。
山科は陵ヶ岡小学校、東山は元東山小学校での演説会を終えて登場した前原候補は、演説中にちょっと感極まったところも。そして最後は九谷事務局長のガンバローコールでお開き。なんとか抜け出したか。
帰途、吉田は万里小路にある「むらや」というおもろい飲み屋で泡盛を飲んで一息。
選挙戦終盤戦
●12月13日(木)
<東山三条で朝立ち>
朝7時過ぎ、東山三条の交差点での朝立ちに。東山の中野洋一議員と彼の応援団や前原東山後援会のメンバーらが
交差点の角に立ち熱心にビラを撒いたり前原をよろしくと声をかけ続ける。11月末にはノロウイルスでダウンしていた中野議員だが、見事に回復して選挙戦が始まってから連日毎朝、東山のメンバーと独自に東山の各所で朝立ちを展開してきたのだ。スゴイねえ、ようがんばるよ!
その後、ぼくの事務所に戻って届いていた郵送物の整理などの雑務。カミさんととともにボランティアで電話作戦を頑張ってくれている友人に感謝。今回は民主党にいれない、とガチャンと電話を切る人も多いようで悪戦苦闘の様子。
午後前原選挙事務所に。頭の痛い問題を抱えながら明日の演説会の弁士のことや最終日の候補者の日程など調整。時間が過ぎるのが早い。
午後8時からは山科事務所での選対会議。道中、とある病院に友人の見舞いに。快復を祈るのみ。
選対会議では、最後の土曜日の桃太郎作戦の確認など。選挙戦も残すところあと2日。やれることはすべてやり切ろうと余ったビラの配布をすることも決める。得票の目標は大雑把に左京4万、山科3万、東山1万を掲げるが、ちょっと難しいやろう。山科もそれほど差がついているとは思えない。
●12月12日(水)
<銀閣寺交差点で朝立ち>
朝の街頭行動は銀閣寺交差点、7時からなのだが遅れて参上。前原浄楽後援会のメンバーやわが応援団の柿阪会長らも仕事へ行く前に立ち寄ってくれる。感謝。愛里夫人や左京の府市会議員が手を振りながら朝の挨拶。手を振ってくれるドライバーもちょっと増えてきたかな。
島内府議と選挙車に乗り込み京大生が行きかう百万遍で朝のスポット演説。京大卒業の前原誠司をよろしくとアピールすれど反応悪し。下鴨や松ヶ崎、養正地区を回り下車。
<中央市場85周年記念式典>
中央市場85周年記念の式典に参加。ぼくは2度目の選挙に落選して当選するまでの4年間、中央市場は塩干部のヤマヤスこと山本水産で仕事をしていた。現在の水産棟ができる直前だった。
朝4時に起きて最初はチャリンコで通い、免許を取ってからは、中古車を購入した。30年前のこと。手鉤をもってデッチ車を引きモートラに乗って場内を走り回り、府内のスーパーなど保冷車で配達をしていた。市場も活気があってぼくも元気だったなあ。ぼくにとっては思い出の原点のところでもある。色々なことを思い出しながら、式典に参加したが、眠たい。市長の挨拶のときなど居眠りをしてた。永年勤続の職員さんたちの表彰式なども。
レセプションには参加せずに、前原選挙事務所に。
忙中閑あり。途中、出町の文化交流センター京都画廊に立ち寄り在日の画家、金愛子さんの個展に立ち寄る。修学院の曼殊院近くの風景を描いた作品はいいねえ。大原の里の駅に飾ってある早春の大原の風景画もぼくは好きな作品。
午後、前原選挙事務所では、九谷幹事長の呼びかけで前原後援会の連合会の役員会。医者、歯医者、獣医師、薬剤師、婦人部らの各後援会、各行政区の後援会の役員さんらが結集して状況分析。
ぼくは議員団の代表をして、候補者本人がいなくて民主党の逆風下で厳しい選挙であり、比例復活で相手候補を当選させないためにも火事場のクソ力を出してほしいと力説。14日の地元修学院での個人演説会への参加と電話戦術の徹底することを確認。熱血漢の九谷幹事長もいささか興奮気味。危機感を煽る。
夕方は、前から招待を受けていた韓国民団婦人会の送年会に。この10月末に田内千鶴子生誕100周年記念、「孤児の日」制定大会に婦人会会長らとご一緒したメンバーと再会。韓国大統領選挙も最中で、さて女性大統領が誕生するのかな。またニュースでは北朝鮮がミサイルを発射したとかで、緊張感もある中、冒頭の式典だけに参加、乾杯だけして退出。
8時からは選対会議。いよいよ終盤を迎えて、ラストサタデー作戦の打ち合わせ。夕暮れを迎える前に恒例の祇園石段下で行うことにしてその段取りなどを決める。
帰途、叡電元田中にある「さかなやのあとの串カツや」に久しぶりに立ち寄り焼酎で息抜き。残念ことに7年がんばってきた串カツ屋さんだが、来年春には店を閉じるという。また行く店がなくなるのは寂しいよ。みなさん、ぜひ足を運んでください!
●12月11日(火)
<洛北交差点で朝立ち>
朝6時半ごろ起床。眠たいよ!7時半頃、洛北交差点での朝立ちに。比叡山と北山はうっすら雪景色。足や背中に腰に腹にホカロンを張り付けるが深々と体が冷え込んでくる。候補者はいないので愛里夫人が寒さをものともせずに頑張りました。午前8時になってしばしスポット演説。
北岡ちはる府会議員と選挙車に乗り込み、岩倉方面に。幡枝や実相院界隈、村松団地、長谷など北岡府議の地元を回り、ところどころではスポット演説をして、伴走車で同行してくれている運動員がビラを周辺の住宅に配る。彼女のマイクはプロ顔負けで天下一品。相変わらず、よう動かはります。昼過ぎ、彼女はこれから舞鶴の小原舞ちゃんの応援に行くとかで下車、ぼくは2時まで上高野など候補者になり代わってマイクを握る。
閑話休題。ぼくは30歳の時に選挙に挑戦して3回目で社会党推薦で初当選したのは1987年。以降、自分自身の選挙が6回、衆議院選挙、参議院選挙、市長選挙に知事選挙と何回選挙をやってきたかなあと、ふと考えたが、もう数え切れんね。飽きもせんと我ながらようやってるよね。
午後3時頃から選挙事務所に読売以外のNHK、MBS、朝日放送に関西テレビの記者と技術スタッフが集結。開票日の夜、民主党の顔の一人だから、全国中継をするとかで打ち合わせ。カメラを置く場所、お立ち台や椅子を置く場所、そして進行について要望を聴きながら調整。
NHKは、だるまの眼入れは放送できないとのこと。屋上にはアンテナの設置もして中継車も来るらしい。なにやら大騒動やね。当確が早く出そうだと彼らはいうが、それにしても選挙車で街頭に出ると小泉郵政選挙の時以上に逆風を感じているので、最後までもつれそうだ思っている。
その後、色々と悩ましい問題が二つ起こり、そのために右往左往。
夜の選対会議には、選対顧問の細田連合会長が来て、他の選挙区の状況などの説明もあり、どこも苦戦、決して前原候補も安泰ではないので危機感を持とうと激が飛ぶ。
寒い選挙戦中盤戦
●12月10日(月)
朝の街頭行動は山科の一号線の旧東急イン前、山科のメンバーに任しておいて参加せず。選挙車は、山科と東山を回るのでぼくは乗らなくていいので今日は楽な日。選挙事務所にて随時各担当者から報告を受けたり、新聞折り込みのことや、また個人演説会の弁士の調整をしたり、相談に乗ったり、なんやかんやで事務所内をウロウロ。
ビラの証紙貼りをお願いしていたテンダーハウスに仕上げてもらったビラを取りも行く。
午後8時からは定例の選対会議を開催して点検。
問題は、選挙葉書の出し方のこと。公職選挙法に乗っ取り、5万5千通の選挙葉書が出せることになっていて、第一弾はすでに選挙が始まって直後に発送したが、その後も応援者や諸団体から持ち込まれた推薦葉書を後援会の人たちが黙々とカルタ取りをして、整理をされてきたが、さて最後にどの地域に何枚出すかの決断を迫られていた。
14日に開催する個人演説会の案内も書かれているで深夜遅くまで担当者とああでもないこうでもないと作業。黙々とカルタ取りをしたみなさんや担当者に感謝。
●12月9日(日)
<三条京阪で桃太郎作戦>
選挙戦が始まって最初の日曜日。午前中はちょっとゆっくり。昼前、選挙事務所にて桃太郎作戦の最終打ち合わせ。仁王門などから前原後援会や各府市会議員後援会のメンバーがいくつかのコースに分かれて三条京阪まで桃太郎作戦。三条京阪には相手陣営候補の事務所があるところ。
交差点角にシンボルカラーの赤と白の旗を立てて民主党の大きな宣伝カーが来て松井孝治参議院議員と細田連合会長らが車上からアピール。ぼくも車上に登って短いスピーチ。赤ジャンパーの後援会のメンバーら100人ほどがもちろん注目してくれているが通行人で立ち止まる人はいないなあ。
演説が終わって、相手陣営のところにお騒がせしましたと挨拶に。仁義は切っておかんといかんよね。
それから河原町三条での1区ゆうの恵候補の街頭行動を応援に。右翼のデモが通り終わってから松井議員らがアピール。ゆうの候補は女性の立場で政策を真面目に訴えていた。1区の田中府会議員や平井府議らががんばっていたが、
通行人の反応はないなあ。厳しい選挙戦。
3区の泉ケンタ君、6区の山井議員も接戦という情報。4区は候補者が乱立して、市議だった自民の田中候補がリードしていて北神候補は苦戦の様子。5区の小原舞ちゃんは、谷垣前総裁の強固な地盤で地道に地域活動を続けてきているが、厳しいやろな。
わが2区も安穏としてられない。候補者が地元にいない日が続き、街頭での反応を見ていれば、長年の選挙をやってきたぼくの皮膚感覚でわかる。前原後援会の奮起を促して、電話でのお願いを徹底しないとヤバイよ。
夜の選対会議では、今後の日程などを確認しながら、引き締めを図る。
●12月8日(土)
<選挙車で大原、鞍馬へ 寒い寒い>
今朝の朝立ちは左京の花園橋。早起きをして花園橋へ行くと大原や岩倉からのドライバーに前原候補自ら手を振りながら朝の挨拶。これが前原議員の原点。前原後援会の20人ほどのメンバーが赤と白のジャンパーを着て周りで応援。クラクションを鳴らしてくれる人もいてちょっと元気になる。
候補者は午前中名古屋の候補者、午後は京都5区の小原舞ちゃんの応援に行くとで、京都駅に。
選挙車にウグイス嬢とともに隠塚議員とぼくが乗り込み岩倉から一路、八瀬、大原は小出石まで流し江文峠を越えて静原へ抜けて二ノ瀬から鞍馬へ。スポット演説をしていると鞍馬駅近くの応援団が差し入れあり。うれしいね。紅葉で賑わった貴船もシーズンも終わり、氷雨が降り、手はかじかみ寒い寒い。交互にマイクを握るが寒さで声も出んよ。スポット演説を市原野や岩倉でしてぼくは昼前には下車。
<不登校解決セミナー>
1時前には京都アスニ―に。前から約束していた社団法人「不登校支援センター」主催の「不登校解決セミナーIN京都」に。この春にぼくのブログ日記を見てメンバーが訪ねて来てくれて、色々と相談に乗ってきたのだ。30代半ばの支援センターの瀬尾大理事長が、積極的な不登校解決の手法とは、と題して講演の後、不登校を克服した女子学生がその経験を語る。
そして、桶谷守京都教育大学教育支援センター教授と原清治佛教大学教育学部長とともにぼくもシンポジウムの一員として、冒頭に10分ほど、30年ほど前に出会った少年のことやフリースクールの役割など喋る。選挙戦で事前の勉強がほとんど出来なかったのでちょっと残念。会場には久しぶりに会う友人の教員や不登校問題に関わっている関係者ら100人ほどの参加者。桶谷先生は自らの不登校の経験を語り、原先生は教育研究者として色々なエピソードを交えながらのお話。大学生が便所の中で弁当を食べているという話を聞いて驚いた。
散会後、花の1区の民主党の候補者ゆうの恵事務所に。某労組の委員長らが事務所に詰めていたので戦況など聞く。祐野さんは、長岡京市会議員を辞しての立候補。準備時間もほとんどないのに、選挙活動に突入。民主党の逆風下、よう決断したよ。演説も上手だし33歳の若さでガッツもあるし可愛いし、ええ候補者や。がんばれよ!
そやけどしんどいなあ。
午後8時からは前原選挙事務所で選対会議。いつものように進行係。特に明日の日曜日の桃太郎作戦のことなど打ち合わせ。終わってから割り勘で!若い事務所スタッフと焼肉屋とラーメン屋をハシゴで充電。
●12月7日(金)
選挙戦4日目。9時過ぎ前原選挙事務所に。16日の開票時にテレビ中継をしたいと大阪の某放送局から連絡があり打ち合わせ。民主党の顔として、また大臣としてその当確が注目されている選挙事務所なのだな、と思いながら気を引き締めながら打ち合わせ。
その後、携帯電話で友人らに今晩の近衛中学校での演説会への参加を呼び掛けて、また演説会の段取りなどを打ち合わせして、午後2時には候補者の代わりに選挙車に乗り込む。
吉田の近衛中学校周辺でマイクを握って演説会の案内をした後、山科へ。選挙の時しか山科には行かないが、高度成長時代に宅地開発されたところが多くて、道路も狭いところを右往左往しながら今夜の山科での演説会場である大宅小学校周辺を呼び込み。そして山科西友前では、久しぶりに京都に戻ってきた前原候補が府連の大型宣伝カー「ダッシュ号」にて松下議員らと街頭演説。後援会関係者が街頭に集合して盛り上げるが、立ち止まって見る通行人の姿は前回に比べて少ないなあ。正直、山科で勝てるかどうかちょっと不安だよ。
山科事務所で後援会のメンバーと握手を交わしたのち、選挙車に候補者が乗るとマイクを握って「前原本人です」とアピールするとすれ違うドライバーが手を振り、わざわざ出て人も。えらい違いや!山科団地では、2回ほど候補者本人がスポット演説をするとあちこちから窓を開けて手を振ってくれる人もいて、さすがの人気や。
渋谷街道では候補者は車から降りて握手作戦。これが前原候補の真骨頂。元気だよ。ウグイス嬢も付いていくのがたいへん。汗ぐっしょりでした。1時間弱、候補者自らマイクを持ち必死のお願い。彼は途中で下車して、1時間ほど左京南部をぼくが選挙車で代わりにマイクを持つが反応はほとんどなし。さみしいなあ。
5時過ぎだったか、友人から「宮城県沖で地震や、津波警報が出てるぞ!演説会するのか?」と電話。「ええ!」と悪夢が蘇る。夕闇の中、熊野神社前交差点でのスポット演説の時、地震の情報を気にしながら演説会場の近衛中学校に。
<近衛中学校で個人演説会>
前原後援会やぼくの後援会のメンバーが垂れ幕を付けたり椅子を出したりの作業。6時過ぎには設営も終わり、さて何人ぐらいの参加者に来てもらえるだろうか?
3年前は400人を超える参加者で超満員で高揚感があったが、さて今日は寒いし民主党も人気がないし200人ぐらいかな、と不安。
されど開会時には労組動員もほとんどない中、ほぼ300人の人で準備していた椅子がわが地元の吉田や聖護院の人たちも多く来ていただいてほぼ満席になった。感謝です。
北岡ちはる府会議員の司会で開会。弁士は細田連合京都会長や泉殿町在住の関野正美さんが宅建協会の役員として民主党政権の住宅政策の成果を披露。小林後援会会長が演説した後、ぼくが応援弁士で5分ほど喋っていたら候補者本人が登場。前座は直ぐに演説をストップして候補者にバトンタッチ。前原候補は、反省の弁を述べながらも民主党政権の成果を述べて、改革を進めたいと熱弁。
最後は島内研君がガンバローコールをしてお開き。選挙中個人演説会の開催は2日間、6か所だけ。まずはぼくが責任者の会場は70点ぐらいかな。ほっと一息や。
選対会議は午後9時から山科事務所で。この日元白川小学校での演説会は連合京都が中心になって開催されたが300人、そして山科は大宅小学校での400人の参加者で山科後援会のメンバーは意気軒昂。ちょっと元気になったかな。帰宅は11時を過ぎていた。
いざ出陣 選挙戦序盤
●12月6日(木)
選挙戦3日目。昼前、会場担当者と京都府警の担当者と近衛中学校に。前原候補は現職の大臣ということでSPが警護に当たっているが、演説会場においてももしもの場合を考えて警備上の問題があり、どういう動線で会場内に入るかとか、前列を後援会の人に座ってもらうようにするとか、色々と指摘を受ける。
また合間を見て、携帯電話でわが友人らに明日の演説会に足を運んでもらうように電話作戦。
京都市会は、12月3日から休会になったが京都府議会は休会にはならないので、府会議員は午後の選挙車に乗れない状態。ぼくが午後2時から前原候補者の代わりに選挙車に乗り込む。靴下と肩、腰にホカロンを張り付けて乗車するが寒風が吹き寒いよ!2月の市長選挙も寒いが、まだ体が寒さに慣れていないので余計寒さが応える。ウグイス嬢たちも寒さ対策がたいへんだ。
下鴨、松ヶ崎、高野一円を回り、高木町の生協前と夕暮れ時のイズミヤ前、またカナート洛北前でスポット演説。前原後援会のメンバーが赤いジャンパーを着てそれぞれ待ち受けてくれていて元気になるが、時には、通行人で中指を立ててきつい眼差しで去って行く人も。民主党に寒い風が吹き付けているなあ。
その後、暗くなった吉田や聖護院、新洞学区などをひたすらマイクを握って、明日の近衛中学校での演説会場への呼び込みをする。凍えそう!熱燗が飲みたいよ!
冷え切った体で選挙事務所に戻ると事務所前にはスタッフや後援会のメンバーが迎えてくれてようやく一息。選対会議の進行は、隠塚議員に任して体が温まるのをぼーとしながら待つ。明日の演説会の弁士などを決め、また9日の日曜日のサンデー作戦など提案。
帰宅して風呂に入ってようやく体が温まった。自分の選挙のときは別にして寒い時の選挙はほんまに堪忍して欲しいよ!
●12月5日(水)
選挙戦2日目。今回の総選挙は、民主、自民、公明、共産、社民、国民新党、維新、未来、みんな、大地、新党日本、新党改革のなんと12の政党・政治団体による選挙戦。2大政党制は終わったみたいで、傍観者的に見れば、凋落傾向のわが民主がどこで踏みとどまるか、復調する自民は、公明と組んでどこまで議席数を伸ばすか。そして橋元・石原の維新台風が関西を中心に吹き荒れるのか、嘉田知事と組んだ小沢グループの未来がどうなるか、関東で「みんな」がどこまで行くのかが、見どころか。
昼、民主党京都府連の大きな宣伝カー「ダッシュ号」に乗り込んで、いざ街頭へ。およそ2時間、左京区の幹線道路をマイクを握って走る。「コンクリートから人へ、と高校授業料の無償化など実現してきた民主党です。前原誠司をどうぞよそしく!」と街を歩く人やドライバーに訴えるが、反応は鈍い。3年前の選挙では、クラクションを鳴らして手を振ってくれる人がたくさんいたが、あかんなあ。師走の冷たい世間の風が身に染みるよ。
<ヒューマンライツコンサート>
夕方、忙中閑あり、蹴上の京都市国際交流会館へ。左京区民ふれあい事業実行委員会主催の「心のふれあいみんなの広場―ヒューマンライツコンサート」に。どういうわけか、ぼくのカミサンが部会長ということで挨拶。司会は吉田女性会会長の澤井さん。
「音楽は人権をどう表現するのか」と題して、アンサンブルサビーナの女性演奏者たちが奏でる曲を龍谷大学で人権論を講義されている松本城洲夫氏が解説するという手法。福沢諭吉のこと、ヒューマンライツの意味、ベネチアの「ピエタ院」とビバルディの作曲の「四季」のこと、「フィガロの結婚」とフランス市民革命のこと、「ハンガリー舞曲」とジプシーと呼ばれたロマの人々のことなど、時代背景や作曲家が曲に込めた意味を解説して、演奏された。いやはやそうだったのか、と思いながら聴きました。ええ企画でしたよ。
残念ながら途中で退席して、前原選挙事務所に戻り8時から選対会議。進行役をつとめながら、今日の行動での反省や明日の日程など確認。そして、ダッシュ号に乗ったときの街の反応を喋る。
要は、郵政民営化で小泉旋風が吹き荒れた時の2005年の選挙以上に厳しいということ。前原後援会の動きもイマイチだし、電話作戦を徹底してやり抜かないといけないと訴える。わが鈴木事務所では、7日の近衛中学校での個人演説会への参加の呼びかけを電話でするが、前回と違って反応が悪いという。えらいこっちゃ!
●12月4日(火)
<いざ出陣式>
朝8時前、白川通は修学院バス停前の前原選挙事務所に。前原後援会のメンバーらが中心に200人ほどの応援団が見守る中出陣式。届出番号は3番。比叡山から冷たい風が吹き抜けるなか、前原候補は選挙車に乗り出発。予定では30分ほど乗車した後、京都駅から兵庫、鳥取の民主党の候補者の応援に行くという予定。前回もそうだったが、候補者が京都にいるのは数日間だけ。
候補者に代わって府市会議員が選挙車に乗り、先頭に立って街頭で訴えることになるのだが、厳しい選挙戦だ。
選挙車を見送った後、事務所にて来客の応対やビラに証紙を貼ってもらうべく福祉施設などへ手配など諸々の事務作業も。
午後1時からは山科ヒカリヤ前での山科事務所での出陣式。候補者はいないが愛里夫人が決意表明。30人ほどの山科の応援団が結集して出陣式。しばし山科の前原後援会の役員さんたちと協議して、修学院の事務所に戻り、諸般の打ち合わせ。
ぼくが責任者として開催する近衛中学校や最終の修学院小学校は確保できたが、山科は予定していた会場が相手候補と抽選になり別会場の設定することになった。それに合して選挙葉書の発送の準備も後援会の人の人海戦術でなんとか目途が付いて一息。
そして、2区に届け出た候補者は、民主が前原、自民が上中、共産が原、そして社民の佐藤の4人の立候補が確定。結局未来のなんとかさんは届け出をしなかったらしい。要は、自民とのガチンコ勝負。負ける訳にはいかんのだよ。
午後8時、寒空の下、選挙車が帰ってきたのを出迎えて、また山科事務所と東山の中野洋一議員らのグループも来て、30人程のメンバーが揃い選対会議。小林祥一前原後援会連合会長が本部長と九谷事務長の挨拶のあと、ぼくが進行役となって今日の行動の感想や各部門からの報告を受け、明日の日程の確認などをする。わが陣営は、まずまずの滑り出しか。それでも帰宅したのは12時を過ぎていた。
選挙戦前夜
●12月3日(月)
午前中は事務所で雑務。昼過ぎ、前原議員にも立ち寄ってもらって某氏とあることで協議。
午後は、前原選挙事務所にて打合せなどで右往左往。 某新党で女性が立候補するとか、しないとか、ええ加減な人もいるものだ。選挙管理委員会も大変だ。
今回の前原選挙は、ぼくは議員団の代表として前原選対の副事務長ということで、前原後援会幹事長の九谷さんと色々と相談しながら選対会議を進行する役回り。随時会議を開きながら出陣式の準備や街頭行動の日程、公営掲示板などポスター貼りのこと、選挙葉書の集約、演説会会場の確定など準備が終わったのは、深夜。
色々と調整をしないといけないことが次から次に起こり苦労するよ。
逆風のなかでの民主党存亡を賭ける選挙、まずは全力でがんばるのみ。
●12月2日(日)
午前中、事務所で雑務。某議員から相談ごと。色々と調整をしないかんことがあって苦労するよ。
昼過ぎ、京都造形芸術大学の春秋座に。同志社などの学生諸君が準備を進めてきた環境問題などを考える「未来エキスポ」に。アイトワの森孝之さんらに挨拶だけして、市長のスピーチを途中まで聞いて退席。
午後は「みやこめっせ」で、第2回前原総合選対会議。前原後援会の各役員さんや2区の自治体議員団に連合京都のメンバーが集まり色々と確認。風が厳しいことを述べて気合合わせ。
それから民主党政策フォーラムと名付けて決起集会を開催。松井孝治参議院議員に池坊美佳さんをゲストに前原議員がこの間の民主党政権の成果を訴え、厳しい選挙だけれどがんばると決意表明。熱気はイマイチだけれど広い会場もほぼ埋まり800人の参加者。
夜は山科事務所に行き山科後援会のメンバーに檄を飛ばす。その後、某夫妻と遅くまで懇談。色々とあるんだよ!
●12月1日(土)
今日から師走。小雨模様の週末、代表質問も終わり、ほっと一息と言いたいところだが、午前中選挙に向けて本番体制づくりのため前原事務所 で選対会議へ向けて打合せ。
昼前、同志社大学新町校舎での「環境と文化・京都会議―多文化・多世代共生社会を拓く」に参加。主催は京都生涯教育研究所。所長の冨士谷あつ子さんは鴨沂高校の大先輩で女性学の先駆者でパワフルな人。遅れていったら元アナウンサーの下重暁子さんが「3・11と女性」というテーマ で講演中。経済第一主義や電気で便利になった社会のあり方について、便器やパリでの経験など交えながらお話されていた。分科会にも参加したかったが途中退席。
午後、小雨の中、自転車で南禅寺に。紅葉を見に観光客で境内はごったがえしていた。世界連邦運動協議会京都支部の勉強会に伺い関係者にご挨拶。女性映画監督のリンダ・ボーグランド女史が「私の中の日本と世界」と題して講演。彼女は、日本映画の英語字幕を書く人で映画「アンポ」の監督。聞きたかったなあ!
午後4時過ぎから前原事務所で選挙対策会議。3階建ての大きな事務所なので会議もやりやすい。明日の総決起集会である政策フォーラム段取りや今後の日程の確認、書類の準備状況。演説会の予定など諸々の打合せ。連合京都から派遣された労組のスタッフもそろってきていよいよ選挙モード。
|
鈴木マサホ事務所
〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町17-1 鈴木文化会館2F tel:
075-761-5537(代) fax: 075-761-5591 |
Copyright ©2001-2010 Masaho SUZUKI All Rights Reserved |
|