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       鈴木マサホひとくち日記 
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2013年03月

                 


桜満開!   3月28日ー31日

2013年04月01日 | 日記
●3月31日(日)

    <宝ヶ池球技場の人工芝改修工事完成式>

 午前中小雨模様だったが、昼前雨も上がり、チャリンコで宝ヶ池球技場に向かう。高野川から松ヶ崎の疏水の桜満開!春らんまん!気分もうきうき。
 1時から宝ヶ池球技場の人工芝改修工事完成式。昭和62年に京都国体のために開設したこの球技場は、京都のラグビーやアメフト、サッカーのメッカ。人工芝に変えられて17年、摩耗してきたので張替工事が昨年から行われてきた。スポーツ振興基金の3千万円を入れて、1億4千万円で完成。くらし環境委員会と左京選出の議員に京都のラグビー、サッカー、アメフトの関係者、そして子供たちが集い、甦った緑の人工芝のグランドで竣工式と子どもたちによるキックオフ!左京区民念願の体育館の建設も新年度予算では調査費もついた。市民に喜ばれるスポーツ公園になってほしいね。

 その後、6月8日に開催する「ヒューマンふれあいコンサート」は、中国人の李広宏さんを招いてのコンサートだが、彼と親しい山科の方に協力のお願いに経糸の会の事務局長の杉村伸爾さんと訪ねる。
 みなさん、ぜひご協力のほどよろしくお願いします。チケットは3千円。収益は、福祉施設に寄付をします。

    <高野パチンコ店 説明会> 

 夜は、教育文化センターで2回目の高野パチンコ店出店に伴い、京都市中高層建築物等の建築等に係る住環境の保全及び形成に関する条例による説明会。
 設計事務所とホテルパートナーという業者と高野パチンコ店建設反対住民連絡協議会のメンバーを中心に住民とのやりとり。5階建ての700台の大型駐車場の設置したパチンコ店の計画。おおまかな建物の設計図面と模型も示されたが、良好な住環境の道路を一本隔てたところにデカい5階建ての威圧感のある建物ができるのだ。けしからんよ!そのゴリ押しの姿勢には怒りを覚える。これからまだまだやり取りは続く。粘り強い住民運動が必要。左京選出の議員としてできることはしたい。
 その後、テレビを見ながら晩酌。阪神タイガースの希望の星、高卒ルーキー藤浪晋太郎投手が熱投。7三振を奪うも敗戦投手。しっかり打ったらんかい!
 これからが楽しみ。
 今日で三月はおしまい。もう4月や!気合を入れてがんばろう!


●3月30日(土)

     <吉田山 大元宮の幽斎桜>

 ええ天気!昼前、我が家近くの真如堂から宗忠神社、竹中稲荷、吉田山山頂、大元宮を散歩。桜咲き、春風が気持ちいい。大元宮の枝垂れ桜も満開だあ!
 この桜は幽斎桜と名付けられているが、この由来を記しておきましょう。わが後援会会長の柿阪正夫さんが、あるときラジオで、舞鶴は吉田地区の瑠璃寺にある桜が、わが京都の吉田から細川幽斎が移植したとかというニュースを聞かれて、舞鶴へ飛んで行かれたのは、平成14年か15年のこと。吉田地区は高田舞鶴市議の地盤でぼくも親しく、ぼくも瑠璃寺へ見学に行ったこともある。色々ないきさつがあり、京都府の緑化センター?などの協力を得て、吉田の大元宮に里帰りして、植えられたのが平成16年の2月のこと。細川護煕元首相が命名者。剣鉾保存会会長の造園業の津田正之さんの手入れもあり9年。見事に咲きました!
 吉田山の里山を再生する会が植えてきた桜もあと10年たてば見事に花を咲かせるでしょう!


 
 この間、苦戦していた花粉症も峠を過ぎたのか、山頂で京都の街を見ながら吸う煙草も美味い!

     <わかば会> 

 午後は、市原野は二ノ瀬の手前にある知的障がい者の入所支援施設「わかば会」に。ちょっとしたご縁があって、ぼくも理事の一員。
 施設がオープンしたのは6年前か。永井實先生の後を継いで、スタッフとともに、小谷理事長が熱い想いで、色々な困難を乗り越えて運営されてきた。現在利用者は40人とかで順調に進んでいる様子。
 今後の事業計画などが示されて承認。山裾にはてづくりの東屋も建設されて、自然に親しみながら利用者が快適に暮らせる施設を目指しているよ。スタッフのみなさん、がんばってね!

 夕方は、円山公園内のすき焼き屋で大木工務店のメンバーらとすき焼きを食べながら花見の宴。暫しカラオケ大会を聞いた後、退席。

     <「こぺる」終刊>

 小冊子「こぺる」終刊記念の集いに。発行人は、部落問題に真正面から向き合ってこられた藤田敬一さん。「同和はこわい考」が出版されたのは1987年のこと。偶然にもぼくが市会議員に当選したとき。我が家近くの楽友会館で開催された「部落問題全国交流会」に参加し、その後も交流会には参加して、時には報告者となって議論をしてきた。京都部落史研究所版『こぺる』の廃刊後、藤田さんが編集者となって93年に復刊。次のような思いが書かれている。
 「個々人の思索と実践の中から生み出される問題意識をふまえ、部落差別を核心にすえつつ、『人間と差別』をテーマに、現代の文化情況にも踏み込んだ誌面づくりに努めるつもりです。/書く人・作る人・読む人という分業を前提にしたやり方ではなく、読者の、読者による『こぺる』として、差別に関心を寄せる人びと、差別をめぐる息苦しい情況に少しでも風穴をあけようとしている人びとと共に、開かれた論議の場にしてゆきたいと思っております。」
 以来20年間に渡って発行されてきたが、この3月号をもって終刊となった。

 ぼくが、藤田さんと京都会館別館で「同和行政と制度疲労」と題して公開討論をしたのは1995年だったか、市職員や運動団体、市民など300人ほどの参加者で満員になり、同和行政の在り方に大きな波紋を投げかけた。また「こぺる」に寄稿したのは96年だったか。あれから15年を過ぎて京都市の同和行政は終止符を打った。藤田さんから学んだことがぼくの原動力となった。今後も「志」だけは、ぼくも持続したいと思う。藤田さん、ご苦労さんでした。
 なお昨年「こぺる」に寄稿すべく京都の同和行政に向き会ってきたことを書いたが、日の目を見なかった。冊子にしたのでぜひお読みください。

 散会後、わざわざ福知山から参加した今はない「かりん亭」のマスター長谷さんらと一献。木屋町は桜満開で大賑わいだった。 



●3月29日(金)

    <近衛広場 公園体操>

 毎週金曜日は朝9時半から近くの近衛広場で公園体操。桜満開、春風に吹かれて、この日曜日の朝粥の会でお話していただいた中川長重さんがリーダーとなっていつものように40人ほどの高齢者が元気よく公園体操。始まってちょうど1年とのこと。この公園体操が近所の人の健康の秘訣。ぼくも写真を撮りながら久しぶりに体を動かす。そして最後は、「今日の日はさようなら」を民生委員さんの指導で手話で唄う。
 
 昼過ぎ、某新聞記者が来所。池坊美佳さんが参議院選挙の出馬を辞退したことで、後任はどうなるか、或いは、民主党はどうなるか、などなど意見交換。民主党も参議院候補の選出も先行きは、不透明。ほんま、どないなるんやろな?

 午後は、この間さぼっていた日記書き。

    <星川副市長の退庁式>

 午後5時には、市役所前広場に。星川茂一副市長の退庁式、2期8年の副市長の在職、多くの職員が広場を埋めて、門川市長と大西議長からそれぞれ送別の辞が述べられて、花束贈呈の後、万感の思いで星川副市長が挨拶。多くの人の前で話すのは苦手だとご本人。誠実で公平な判断をする人というのがぼくの印象。
 星川さんは、1972年京大卒業後、京都市に奉職。教育委員会では学校統合問題などを、その後、総合企画局長、収入役を歴任。多くの職員にも慕われていた人。
 なんといってもぼくと誕生日が一日違い。1949年(昭和24年)1月13日で星川副市長が確か1月12日。元教育長の高桑三男氏が1月17日だったか、3人で誕生会などと称して、たまに呑みながらわいわい喋っていた。64歳。同年代が卒業するのは、寂しいよ。ご苦労さんでした。ちょっと落ち着かれたらまた飲みましょう!

 夜は、京都高野川ライオンズクラブの例会で珍しく祇園に出る。円山公園の夜桜見物の人で大賑わい。 


●3月28日(木)

10時過ぎ近くのぼくの息子もお世話になった吉田幼稚園に。法人の理事長は吉田神社の澤井宮司さん。氏子講社長の福井晟さんに近くの住む日本画家清水信行くんらが役員。金桝園長から現状報告があり、25年度予算案についての説明など。園舎も建て替えられて自然の中の幼稚園ということで200人を超える園児がいる人気の幼稚園ですよ。

    <人権擁護 相談日>

 桜咲く鴨川は荒神橋の西にある京都地方法務局へ。昨年来、京都市会選出の人権擁護委員を拝命。今日は久しぶりの電話相談の担当日。いささか緊張しながら電話を待ち受ける。
 昼休みには、荒神口を下がったところの「よしなが」で定食を食す。去年秋にリニュアルして以来。だしまき卵がついたボリューム満点のカキフライが美味かった!
 午前中に1本、午後に2本の電話相談。守秘義務があり内容を書くことはできないが、それぞれ20分ほど電話でお話をお聞きする。お役にたったかな?午後4時まで待機。パワハラ、セクハラ、人権侵害など相談は、075-231-2001京都地方法務局までお電話ください。

 夕方、某住宅建設会社の知人がアパート建設について相談ごと一件。4月になってから担当者と話をしてみようと思う。

 午後6時前からは、吉田神社の総代会に。京つけもの「大安」の大角正幸社長や瓢亭の高橋英一さん、そして氏子講社長の福井晟さんや地元の常任役員が揃い、25年度予算案などの説明を受ける。この2月の節分は暖かいこともあり多くの参拝客があり、よかった!直会は、清酒で乾杯。洛中で最も古い蔵元は、吉田の松井酒造。社長の松井八束穂さんと親しく盃を交わす。

 上機嫌で事務所に戻ると高野公団住宅の知人から電話。ホテルアバンシェル跡のパチンコ店出店問題で中高層条例による説明会が開催中とのこと。8時過ぎ会場へ走る。業者と設計事務所が壇上に座り、50人ほどの住民との質疑応答の最中。駐車場と交通渋滞の問題、日照権の問題、騒音の問題など色々な視点で住民が訴えるが、のれんに腕押し。
 ぼくが予想していたより、業者の開発進行のペースが速い。強引なやり方に怒りを覚える。

議員団他都市調査で豊田、浜松、鎌倉、横浜へ

2013年03月30日 | 日記
●3月27日(水)

   <鎌倉市の交通政策の取り組みは>

 8時のこだまで静岡駅発、小田原で下車して東海道線で大船駅で降りるところをぼくと今枝団長は居眠りをしていて乗り過ごして気づいたら戸塚。慌てて大船駅に引き返して、若い議員らに冷やかされるが、横須賀線で、いざ鎌倉へ!小雨ふる駅前の鎌倉市役所に。
 担当者から鎌倉の交通政策について説明を受ける。鎌倉市は、人口17万人、年間訪れる観光客はなんと1700万人だという。海に面し三方は山に囲まれて、道路が狭いうえ、観光客が多数詰めかけて交通渋滞の解消が以前から大きな課題。行楽シーズンやアジサイの季節など 「特異日」と呼ばれる、車が動かない状態に陥ってしまう日が年間で20日くらいあるとのこと。
 パーク&ライドなどの取組など交通問題に取り組んだのは15年ほど前か。ぼくは、その頃、交通政策の視察で鎌倉を訪れているが、その頃、平成13年からパークアンドライドは実施されているが、ロードプライシングも、山を越えて入れる道の9つの地点で課金をしようと検討されたが、商業者等の強い反対があり、結局議論は凍結されてしまったという。
 再び、鎌倉市の交通政策を検討する中で、再びロードプライシングの議論がはじまりそうである、とのこと。特に今回は商業者はもちろんのこと市民とも協力していただきながら議論を丁寧に積み重ねられるだろうが、担当者曰く、最後は市長の決断にかかっている。この2月にロードプライシングを海外視察に行ってきた同僚議員が熱心に質問をしていましたよ。
 雨だというのに観光客は多いなあ。

   <横浜サイエンスフロンティア高校を視察>

 昼食後、横浜駅に出て鶴見線に乗り換えて鶴見小野駅で下車。京都市では洛陽工業と伏見工業の統合再編が検討されているので、市立横浜サイエンスフロンティア高校を視察。この高校は従来からあった鶴見工業高校の見直しが議論される中で、当時の中田市長の一声で、工業高校ではなくサイエンスに特化した高校を作ろうという結論にいたり、「先端科学技術の知識を活用して世界で幅広く活躍する人間」育成のテーマのもと、大学や、民間企業、民間の研究施設などと連携をし、平成21年4月に開校した新しい学校。
 広々とした立派な建物。理科教育を95分授業など新しい取組が行われている他、表現力やコミュニケーション能力、英語力を高めるための国際交流などにも熱心に取り組んでいる。校内を見学、鶏が飼われているのにはびっくりしたなあ。実験機器も立派。東大や慶応、横浜市大の科学系の先生方も熱心に支援されているとのこと。
 鶴見川やレインボーブリッジを見れる屋上には、天体望遠鏡も設置されていて、一番人気のクラブは天文部だとか。見晴らしのいいサロンスペースもあり、常任スーパーアドバイザーの和田昭允(わだあきよし)東大名誉教授らと直接対話する機会もあるという。生徒たちは、科学系オリンピックでも優秀な成績を収めてその教育効果は十分に上がっているようでした。

 5時前横浜市は関内近くのホテルに同僚たちは投宿。晩飯は、もちろん中華。ホテル近くのフカヒレがリーズナブルに食べれるところで一緒に食事をして、ひとり9時前の新幹線に飛び乗って帰京。終バスは出た後だったが、地下鉄とタクシーで帰宅したのは、12時前でした。ちょっと疲れ気味や。


●3月26日(火)

    <豊田市エコフルタウンを視察>

 民主・都みらい市会議員団の他都市調査。朝8時前の新幹線で名古屋経由名鉄に乗って豊田市へ。世界のトヨタの企業城下町。人口は40万余。駅前の道路はすべて電線地中化されている。 豊田市は環境モデル都市に選定されていてスマートシティの実証実験の認定を受けていて、昨年オープンしたエコフルタウンなる低炭素社会モデル地区を視察。
 ガイド嬢が紹介のビデオを見せながら施設内を案内してくれる。太陽光発電の設置はもちろんのこと、施設の外壁は苔で緑化されているのも興味深い。館内には、色々と最新の機器を取り入れて、いかに環境に負荷の少ないまちを目指すかゲーム感覚で子どもたちにもわかるように工夫されている。
 電気自動車の充電器や水素ガスの充填施設、それに、HEMS(ホームエネルギーマネジメントシステム)という最新機器が設置されトヨタホームが建てたモデルハウスを見学。「おいでんバス」なるコミュニティバスも走らすなど面白い交通政策も取り入れている。いずれは広大な駐車場に緑化地域を作るらしい。地元企業の協力があってこその施設だね。

    <アクトシティ浜松を視察>

 駅前で昼食後、愛知環状鉄道に乗って岡崎経由東海道線に乗り換えて豊橋から今度はこだまで浜松へ。浜松は駅前の45階で200mを超える高層ビルの横にあるアクトシティ浜松を見学。バブル期後半に再開発されたところで、大ホール、中ホール、大展示場、ホテル、オフィス、ショップが一体となった超大型施設。
 大ホールは2300人規模のホールだが、4面もとれる巨大な舞台には驚いた。奈落の底を見たら4階か5階のビルの屋上から見るような光景。浜松はカワイやヤマハなど楽器のメーカーも多く幼少期から音楽教育も盛んで、高校の吹奏楽などは凄いらしい。稼働率も高いし、立地条件もいいので有名なオーケストラの演奏会も盛況でオペラも歌舞伎もできる。
 中ホールは、京都コンサートホールのように正面にはパイプオルガンも設置されている。展示場は、みやこメッセの2倍ぐらいはありそう。この夏はとある催しがキャンセルになって厳しい運営らしい。そして向かいにある楽器博物館も見学。古いピアノやバイオリンなど貴重な楽器はもとより、アフリカ、南アメリカ、アジアの各種楽器も展示されていて壮観ですよ。同志社と学生時代に交流のあったという立教大学出身の浜松市文化振興財団の事務長さんが丁寧に説明をしていただいた。ありがとうございました。

    <静岡の夜>

 浜松からはこだまに乗って宿泊地の静岡へ。ホテル投宿後、居酒屋で静岡名物おでんと「はんぺん」のフライを食した後、同僚議員と別れて駅前で同志社入学時のクラスが同じでキューバにも一緒に行ったナベさんと後輩の多田君に会い、いかやカツオの新鮮な刺身を堪能。わさび巻は辛かった!ご馳走さんでした!持つべきものは友。ナベさん、ちょっと痩せろよ!
 なお静岡では、市会議員選挙が24日にあったとこで、わが友人の松谷清君が、緑の党で中位当選したとのこと、おめでとう!お互いしぶといね。その後、ホテルでワールドカップのヨルダン戦を観戦。遠藤選手がPKを外したのは痛恨だろう!

あわただしい週末と市会改革推進委員会  3月23日ー25日

2013年03月29日 | 日記
●3月25日(月)

 昨日飲み過ぎて二日酔い気味で、花粉症もきつくて民主党2区総支部で行う山科での街頭行動には立ち上がれず。サボる。
 されど9時には錦林小学校に。京都市学校職員労働組合の植田委員長らが進めている飛び出し防止の看板を作るために広告美術組合の今井氏に来てもらって、どうしたら簡易に作れるか指南をしてもらう時間。看板作りも難しいなあ。今井さん、ありがとう!

   <24年度最後の市会改革推進委員会>

 10時からは今年度最後の市会改革推進委員会。今日の傍聴者は二人。これまで議論をしてきた「議会基本条例(骨子案)」について検討委員会で議論されたことについて報告があり、順次議論をしていく。

 大きな課題は、弾力的な会期設定について。現在、京都市会では2月、5月、9月、11月の4会期制で、閉会中も月2回の各常任委員会を開催しているが、会期外で訴えの提起など市長専決処分も行われることがあり、通年制ないし一会期制を導入すると、議会の招集を議長が行うようになり専決処分をしなくて議会で決定されることになる。現在、京都市会では、6月から8月の3ヶ月間本会議が開かれていないので、大型の補正予算や重大な請願などの案件が出てきた場合、本会議が開催できない状況にある。で、どうするか、議会の活性化も含めて最後の判断はこれからの議論。民主の主張は今のところ、一会期制が主張しています。
また代表質問における一問一答制の導入ないしは分割制についても議論。よりわかりやすい議会にるとということでいずれの会派からも賛同の意向がしめされたため、今後、そのルール作りなどをしたうえで、本格的に実施されることとなります。
また委員会のインターネット中継をすることで費用の試算が示され、前向きに実施する方向に。4月からは、各会派の代表の委員も変わるが、ぼくは残留して更なる改革を進めるために頑張りたい。

 その後、ユイハート福祉まつりの協力券を持って関係者にお願いに。また左京土木事務所でどぶ板のお願いなど。明日から議員団での視察なので、夜は事務所で雑務。


●3月24日(日)

    <朝粥の会 中川長重さんの健康の話>

 毎月第4日曜日は、わが事務所において、吉田文化サロンと称して「朝粥の会」。今日で第34回目。今日のゲストは、毎週金曜日の朝、近衛広場での公園体操のリーダーの中川長重さん。「健康づくりー頭と体の体操」について話題提供。退職後、体操を始めたきっかけや公園体操のリーダーとなったいきさつやその楽しさ、或いは健康の秘訣など面白く話していただきました。ぼくは最後まで聞くことはできなかったが、公園体操に参加している近所の人たちが熱心に聞いておられました。

    <フォーラム「フランスに学ぶ少子社会からの脱却」>

 10時過ぎには、丹波口の京都産業大学 むすびわざ館ホールでのフォーラム「フランスに学ぶ少子社会からの脱却― ジェンダー平等の視点から ―」に。
 主催は、NPO法人京都生涯教育研究所。主宰者の富士谷あつ子さんが、「日本における出生率の推移とジェンダー問題―政策提言に向けて」と題して報告。その後、「日本のカップルの家庭と仕事の両立における課題―フランスとの比較から」として藤野敦子(京都産業大学准教授)さんが、さらに「E Uの連携とフランス、連携なきアジアの中の日本」について吉川佳英子(京都造形芸術大学准教授)さんが報告。コーディネーターは、ぼくも親しい伊藤公雄(京都大学大学院教授)氏。日本の家族制度のこと、人口減少と少子化のこと、フランスの少子化克服の道、フランスのカップルの在り方、東南アジアの家族のことなど多岐にわたる興味ある報告。連合京都のメンバーも参加、

 冨士谷さんから指名されてぼくも発言する機会があり、ぼくの学生時代のウイマンズリブと学生運動、或いは、ワークライフバランスがようやく言われ始めたことや京都市の男女共同参画の取り組みや児童福祉のこと、それに京都市が婚活パーティをしていることとひとりの若い議員がその婚活で結婚したことを披露。フランスからきていた研究者の人も興味深そうに聞いてくれてましたよ。それにしても冨士谷さんは元気や!

 帰途、京都文化博物館に立ち寄り「日本画、こころの京都」展を見る。京都出身の画家や京都を描いた日本画の数々。京都府が主催なので、市内だけではなくて北は丹後、南は山城の風景などもあり、新鮮だった。京都の生んだ画家たちの中に、わが吉田は上大路町在住で小中校の1年後輩で京都芸大卒の清水信行君の緑の大文字山を背景に黒谷の塔などを描いた「古都清信」は素晴らしかったよ!

    <角替豊元府会議員と大島市会事務局長の話>

 その後、「新羅」で出会う人々の集いに。
 ゲストスピーカーは、2年前に勇退したわが友、角替豊元府会議員が、24年間の議員活動で経験したことを喋る。高校時代のこと、公明党の職員から府会議員になっての活動のこと。どぶ板活動や議会の役割や議員としての仕事のことなど、いつもは飲みながらワイワイやっているが、きっちりとした文章を書きあげてきて、真っ向勝負だった。まさに24年間を総括するいい話だったよ!これからもお互い元気でがんばろう!
 そしてこの3月で定年退職する大島仁市会事務局長が、京都市会のことを色々と解説。なぜ市議会と言わずに「市会」というのか、第一回の京都市会はどこで開催されたのか、そして議会と首長の二元代表制のことなどを、裏話なしの大島節。過日の市会本会議が最後になったが、議場を見渡しているとウルウルとなったという。大学卒業後、新採の職場が隣保館から始まり、景観条例のときは大活躍でした。お疲れさんでした。また飲みましょかいな。

 夕方、廣海緑造君のお通夜に。マッサージ師のお母さんと出会ったのはもう30年ほど前かな。訃報を聞いたときは言葉が出なかった。確か、彼は自転車屋で仕事をしていたことがあった。弟君が反原発運動でがんばっていてベクレル食堂を開店したことを聞いていた。突然の心臓発作で倒れたという。多くの友人らが献花。打ちひしがれたお母さんに声をかけることもできなかった。享年51歳だとか。愛用していた自転車が飾ってあった。心よりご冥福をお祈りいたします。

 その後、地元は吉田神社参道前のチェルキオにて2か月に一度のサロン「チェルキオの会」に。中尾写真館の中尾勇さんを中心に地元の友人らが集いワイワイ。
 帰途、上大路町にオープンしたての「チッパー」という居酒屋さんを訪ねる。イラストレータ―の齊藤尚子さんの結婚式で出会っていて、近くに住む可愛い大住亜耶ちゃんがオーナー。おっさん連中がなだれ込んできてびっくりさせたかな。
10人ほどが入ったら満員のカウンターだけの小さな店だが、これからたまに行くことにしよう。 


●3月23日(土)

 昼過ぎチャリンコで蹴上の京都市国際交流会館に。茶室で開催されている経糸の会の杉村伸爾さんが所属している日本伝統産業染織工芸協会の作品展に。「一衣帯水」というテーマで着物や帯の「トレーサビリティサー(生産加工履歴)」を公開している各社が着物や帯を甦らせて、国際理解にも努めようという展示会。傘やバッグに着物地を再生させて、実用化した作品の展示会。こんな風になるのかと、ちょっと驚きました。

 そして向かいの疏水記念館の下の水路で行われていた京都市立伏見工業高等学校の生徒が開発した「螺旋型マイクロ水力発電」を用いた実証実験を見に行く。赤と青の2台の螺旋状の簡単なファンを回転させて、電力を起こそうという取組。少水力発電というものでしょう。京都の近代化に疏水が果たした役割を、今また伏見工の生徒によって甦るのです。共産党の議員さんとすれ違いました。インクラインの桜もつぼみ膨らみ、もう春ですね。

     <新洞小学校 閉校式典>

 午後2時過ぎには、左京区のもっとも南部にある新洞小学校の閉校式典に。明治2年に上京第33番小学校として開校したそうで143年の歴史のある小学校。この4月から子供たちは錦林小学校に通うことになる。松下校長先生や守本自治連会長の万感の思いを込めたご挨拶があり、藤井照源住職が歴史を説明。
 そして地元の関係者らが舞台に上がって「ふるさと」などの大合唱。学校が閉校になるということは、卒業生や地元の人たちには、つらいだろうな。でも子どもたちのことを考えたら、その選択が正しいということなのだろう。学区の区民運動会などはもちろん開催されるし、学校跡地が地元住民の交流の場であり続けることを願う。

     <京都鴨沂会>

 その後。鴨沂会の評議員会に遅れて参加。議事はほとんど終わりかけていたが、この4年ほどかけて進められてきた公益法人化がようやく認められて、新しい団体として再出発することになる。事業計画など諸々の報告。この鴨沂会は、明治5年にできた我が国最初の女学校「新英学校及び女紅場」が前身で、今を時めく新島八重さんが勤務していたという。明治20年には同窓会として鴨沂会が創設され、明治37年に京都府立第一高等女学校となった。女優の山本富士子さんは卒業生にひとり。ぼくもお袋も叔母さんも最後の頃の卒業生かな。
 そして昭和23年には新制の「鴨沂高校」となり、東の日比谷、西の鴨沂と言われた時代もあった。ぼくが卒業したのは、1967年。沢田研二さんは中退です。ともあれ、鴨沂会は、同窓会としてはなくて、高校生への奨学金の支給など公益的な活動を今後もしていくことになります。

 夜は、久しぶりに何も予定がなかった週末の夜。雑務をしてゆっくり家でくつろぐ。

2月市会 閉会!  3月20日ー22日

2013年03月25日 | 日記
●3月22日(金)

    <会期末の本会議 25年度予算など可決>

 今朝、未明まで討論結了の委員会や市会運営委員会が続いたので、本会議は午前11時から開会。議員も市会事務局も眠たそう。
 始まりは、教育福祉委員会で不採択にした請願について、共産党の議員が討論に立ち、その後、予算特別委員長が審議された内容について30分ほど報告。そして、賛成の理由や要望、また反対の理由など討論になんと11人が登壇!活発な議論が行われることは議会の活性化にもなっていいですな。途中、1時から昼食タイムでわずか30分間の休憩。

 以降、各議案や付帯決議について起立表決になるのが多くて、立ったり座ったままでいたりで、もう忙しい。
 可決した主な議案は、予算関係だが、一般会計予算は、もちろん共産は反対、京都党も反対してちょっとした驚いたが、賛成多数で可決。
 国民健康保険、介護保険、後期高齢者医療特別会計は共産反対したが可決。地域水道、中央卸売市場第一市場特別会計、雇用対策事業特別会計など、その他の特別会計は、付帯決議がついたのもあるが共産も賛成して可決。
 料金の改定が行われる水道事業特別会計は、共産反対で、付帯決議もついたが可決。自動車運送事業、高速鉄道事業、公共下水道事会計も可決。
 
 問題の京都市職員厚生会条例の全部を改正する条例の制定については、原案では「交付するものとする」とあるのを交付しない選択もあり得るとし、「交付することができる」とした修正案をわが議員団と共産は賛成せず、自民、公明、京都党で賛成多数で可決され、補助金1億2400万円の支出を1年間は凍結し、児童館などの利用料値上げに活用し、値上げを先送りする付帯決議も可決されたのでした。

 また文化会館、美術館、宝が池公園運動場、体育館など利用料は共産反対したが可決。京都市職員定数の削減、京都市職員給与カットも共産反対したが、これも可決。その他の委員会に付託されていた議案はいずれも原案可決。

 そして、星川副市長の後任人事に、教育委員会出身で、右京区区長になってこの3年?がんばっていた藤田裕之区長が抜擢された。ちょっと驚き。明るい性格でよう動く人物だが、市政全般の勉強をしっかりして、門川市長の補佐役としてこれからがんばってね!挨拶にも思いが入ってたよ。1949年1月生まれのぼくと誕生日がほぼ一緒の星川副市長の退任はさみしいな。お疲れさんでした。
 その他、吉川哲朗弁護士ら固定資産評価審査委員会委員に選任。教育長には生田義久氏の再任。京都府公安委員会委員や人権擁護委員も選任。議員提案で、市会議員の議員報酬を10%カット。トホホ。

 そして、意見書は、「我が国の優れた国民皆保険制度の恒久的堅持」、「 ブラッドパッチ療法の保険適用及び脳脊髄液減少症の診断・治療の推進」、「患者数が特に少ない希少疾病用医薬品(ウルトラ・オーファンドラッグ)の開発促進・支援のための法整備等」、「生活保護基準の見直しに関する意見書」、「東日本大震災の被災者への住宅支援等」、「中小企業の再生・活性化策の充実・強化」、「次代を担う若者世代支援策を求める意見書」、「TPP協定交渉を慎重に進めること」の意見書を可決。共産の議員が次々に討論に立ち、時間がかかるよ。

 議長から散会宣告がされたのは3時前!長かった2月市会定例会もこれにて大団円。

 なお保育料は4月から平均約900円アップする。美術館、文化会館、宝が池公園運動施設、ウィングス京都の使用料もアップし、清水坂など4カ所の観光駐車場も、自家用車と自動二輪車は200円アップする。
 老朽化している水道管の取り換え工事のペースを上げる財源確保のために上下水道料金も10月分から平均的な家庭で月約160円の値上がりになります。12年ぶりの値上げです。ご容赦ください。

 それから、各常任委員会の所属も正式に決まったが、ぼくはこの4月から「くらし環境委員会」に所属することになりました。文化市民局と環境政策局が所管です。気分を変えてがんばろう!

 夕方、予約していた吉田デンタルクリニックなんとか間に合い治療を受けてほっと一息。夜は事務所で雑務。ちょっと疲れたなあ。探偵ナイトスクープを見て就寝。


●3月21日(木)

 今日は小学校の卒業式。しかし、市会の会期末を控えて議員会が10時から開催されることになったので、9時半頃校区の錦林小学校に行き、定年退職される山本早苗校長に挨拶。嬉しかったのは、先の高野川ライオンズクラブ杯左京小学生学生バレーボール大会でがんばった男子児童がぼくを見つけて、ありがとうございましたと声をかけてくれたこと。卒業おめでとう!わが子どもたちが卒業したのは、20年ほど前か。

 10時から議員会。意見書の調整もさることながら、保育料や水道料金の改定問題、そして大きな焦点になってきた職員厚生会への補助金問題もあり、こら深夜までかかるで。

 ということで、昼過ぎ、伏見の葬祭場へ。馬淵幽明こと和芳氏の告別式。多くの友に見送られて、旅立った。享年64歳。心よりご冥福をお祈りします。

 議員団室に戻ったのは3時前、意見書の調整もそれなりに進んでいるようだが、職員厚生会補助金問題は、修正案も出されてきているので、断続的に議員会を開催しながら、会派内の意見を取りまとめの議論も時間がかかるし、予算案などに付ける付帯決議の作成や賛成討論の原稿の下書きを書く作業しながら様子を見守る。
 夕方、膠着状態に陥り、久しぶりに「とん慢」の弁当を食す。
 
 そして動きは始めたのは、深夜になってから。討論結了の常任委員会、教育福祉委員会が開催されたのは、なんと!午前1時40分!付託されていた京都市児童療育センターの一部の指定管理者の指定など3件の議案は各会派賛成の態度表明してまずは一件落着。
 続いて、本会議場での討論結了の予算特別委員会はなんと午前2時!みなさんぐったりとお疲れの様子。
 議案への態度表明は、共産と京都党は予算案に反対の態度表明も、多数で可決に。全会派一致、もしくは賛成多数で可決した議案がほとんど。
 「京都市職員厚生会条例の全部を改正する条例の制定について」、厚生事業への補助金問題については、公明党が提案をした修正案を自民、公明らの多数で、可決へ。その後、各会派の代表が付帯決議の調整を終えるのを待って報告を受けたのが、もう午前3時前だった。その後、ぼくは出なくていい市会運営委員会が開催されるのは午前5時頃だろうね。
 ぼくが帰宅したのは3時過ぎ。市会事務局は徹夜だね。7、8年ぶりかな。いやはや疲れました。


●3月20日(水)

 雨の彼岸。午後、吉田神社参道は第二鳥居の北にある祖霊社にて雨模様の中での大元講社の春の大祭。吉田神葬墓地と神楽岡墓地に埋葬されているご先祖さんの霊を敬う神事。100人ほどの参列者。祝詞があげられ玉串奉天。毎年、春と秋の彼岸に行われる。とある方からご寄付いただいた灯篭が立派に建立された。その後、役員が集い、諸々の案件について協議。

    <馬淵幽明 逝去>

 夕方、伏見の葬祭場へ。書家、馬淵幽明こと和芳氏のお通夜。ぼくとまさに同世代。同志社時代、40年余前の出会い。彼と親交が深かった元府会議員の角替豊君がお別れの言葉。駱駝館や「市民センター左京」の時代を共に過ごしたメンバーや書道の関係者や飲み友達などたくさんの参列者が献花。
 先週見舞いに行ったのが最後のお別れになってしました。落涙。自由に生きて、家族や多くの友に見送られて旅立ってしまった。浅川マキとキャロルキングの唄が流れて、彼の書が飾られていた。心よりご冥福をお祈りします。

 午後9時過ぎには祇園会館のMOJO-WESTに。E.YAZAWA TRIBUTE ACT 2013「YAZAWA NIGHT Ⅴ」というライブ。熱狂的な矢沢永吉ファンのばんばひろつぐさんがリーダー?のバンド演奏。赤と白のDURANDALタオルも作って気合が入った演奏。ぼくは矢沢永吉を聞いたことがあまりないが、盛り上がりアンコールも。自然とぼくも手を叩いてたよ!ばんばひろつぐさんは、前原後援会のメンバーで府会議員島内研君の後援会の重鎮。そのパワーに脱帽!

池坊美佳さん出馬辞退・2月市会も大詰め 3月17日ー19日

2013年03月23日 | 日記
●3月19日(火)

    <議員会2日目 さて意見書、決議は?>、

 議員会の二日目。まずは、昨夕、自民から2本、共産から3本、公明から6本の意見書案が、決議案は共産から1本、京都党から3本出されてきているので、これらを読んで問題点などを議論しておいて、意見書調整役の山本と片桐君に託して随時報告を受けることに。一方、予算案や議案については、賛成することを決めて、付帯決議を付けるかどうか議論もしないかんし、討論の原稿づくりなど担当を決めて作業を進める。
 また厚生会事業への補助金問題では、自民、公明からは修正案も出されてきて、色々と調整が行われているようだが、議員団の中でも議論が割れている。6時前まで断続的に議員会。ともあれ、意見書書調整も時間がかかっているので、休み明けの木曜日の討論結了の委員会開催は深夜になるかな。

    <左京区の選挙管理委員の推薦を巡って>

 なお正午からは、左京区選出の議員会を開催。高城区長の挨拶の後、ぼくが最長老ということで座長になって左京区の選挙管理委員の選出についての会議。
 4人の委員については、会派の順番で自民、共産、民主、そして公明の順で推薦することに。補充員については京都党、自民、共産、民主の順で推薦することに決める。さて誰を推薦しようかな。

    <藤川剛君を励ます会>

 夜は、藤川剛君を励ます会。2年前の市会議員選挙で惜敗して以降、捲土重来を期して、朝の街頭演説や地域や民主党の活動を頑張っている。わが民主の議員団に府会議員に連合京都から細田会長や副会長ら役員、彼の出身組合の自治労市職の橋元委員長ら仲間の役員、そして山科の前原後援会のみなさんに、門川市長の名代で塚本副市長らが激励に。
 厳しい日々が続くけれど、地元でしっかりと根を張ってがんばって!

 散会後、わが飲み友達の音楽家労組の代表だったトロンボーン奏者、間憲司氏と一献。お互い元気でがんばろうね!
 
 帰途、熊野神社は、40周年を迎えてリニューアルオープンしたジャズ喫茶「YAMATOYA」に立ち寄る。昔の面影を残してええ感じ。ライブが終わった後で賑やかな雰囲気だった。

●3月18日(月)

    <2月市会も大詰め、議員会が開催>  

 京都市会2月定例市会も22日の会期末を控えて大詰め。各会派は10時から議員会を開催して、予算案や各議案の賛否、また意見書や決議について決めて行く。
 わが民主では、張りきりボーイの中野洋一副団長が進行役。今後の日程や、次年度の委員会の構成、市会改革推進委員会での審議状況、議員団人事や5月市会の代表質問のバッターを決めるなど諸々の案件を処理。
 意見書については、民主として「東日本大震災の被災者への住宅支援などに関する意見書」を提出することに。また各委員会に付託されていた議案について、各委員会の審議状況について報告が各所属の委員からあり、問題のない議案については粛々と賛成の態度決定。
 また予算案については、各分科会での審議状況の報告があり、問題があるものについて整理して担当局を呼びこんで説明を受けて疑問点を問いただしたり、バタバタと時間が過ぎていく。
 上下水道料金、保育料や運動施設の使用料の料金改定もあるが、職員厚生事業への補助金支出問題が大きな争点になりそう。本会議前日の21日の夜は、調整に遅くまでかかりそうやな。議員会は午後5時に散会。

 ぼくは予約を入れていたので急いで吉田デンタルクリニックへ。奥歯にブリッジをはめるということで、口を広げて悪戦苦闘。もうマイッタ!

 夜は、吉田神社参集殿で吉田氏子講社の理事会。昨年度の決算報告など。過日の常任役員会の時と同様に、ぼくは監査報告。淡々と議事は進行。5月12日は講社大祭が予定されている。近衛中学校の吹奏楽やジャズバンド、琴や和太鼓の演奏に、ぼくも参加する剣鉾の披露など村の鎮守の賑やかな祭りです。

 終わってから、カミさんと叡電元田中の「さかなやのあとの串カツ屋」で晩飯。残念ながら20日に閉店するということでマスターに挨拶。7年余、ご苦労さんでした。

●3月17日(日)

    <チェルノブイリ・フクシマの集い>

 午後、「チェルノブイリ・フクシマの集い」に。実行委員会代表の佐伯昌和さんは、もう30年以上?前から京都反原発めだかの学校を主宰してきている。また福島原発告訴団の京都の石田紀郎さんは、市民環境研究所で市民運動に長年取り組んできた。
 彼らの話と「福島 六ヶ所 未来への伝言」という島田恵監督のプロモーションビデオの上映の後、福島県いわき市の市会議員佐藤和良さんがスライドを使いながら講演。
 福島第一原発事故から2年。会場は300人ほどの参加者で満員。4月20日(土)は、ぼくの市政報告会で、当時、内閣官房副長官として東日本大震災と原発事故に奔走した福山哲郎参議院議員を招いて、どんな事態が起きていたのか、話してもらう予定です。脱原発依存社会をどうつくるのか、避難されている人々をどう支援するのか、そして今なお危険な福島原発の廃炉と大飯原発の再稼働停止やエネルギー問題にどう取り組むのか、あまりにも課題は大きい。ぼく自身も原点に戻って考え、行動をしたいと思う。

   <重苦しい民主党京都府連> 

 午後4時からは、民主党府連常任幹事会。参議院候補池坊美佳さんの出馬辞退の報道を受けて山井会長は、冒頭に京都の民主党にとっても危機的な状況だと挨拶。重苦しい雰囲気の中での会議。

 報告案件などは淡々と進み、ぼくも自治体議員ネットワーク代表として過日開催された地方自治体議員フォーラム全国世話人会でぼくが副代表を拝命したことや総会の日程など報告。

 協議事項として、わが2区総支部から申し立てをしていた豊田府会議員の除籍処分について倫理委員会が開催されて、記者会見での民主党批判など、許容を超える発言があり、「除籍処分について妥当と判断する」という答申があったことが報告されて、常任委員会としての判断を仰ぐことになった。ぼくは当該議員が所属する2区総支部幹事長として、この間の経過報告と問題解決のために相談に乗ってきた者として残念な結果になったことなど説明。常任委員会では満場一致でこの答申を受けて除籍処分を決定した。堪忍袋の緒が切れたのだよ!

 そして池坊美佳さんの出馬辞退の申し出については、山井会長からこの間の経過と本人との面談のことなど報告。
 2月9日の民主党大会の後、顔を見かけなくなっていたが、体調不良で入院とのこと。健康上の理由で辞退することになって、民主党や連合京都のみなさんに申し訳ない気持ちで一杯ですと、ご本人の弁と、山井会長が報告。

 まあ、色々とぼくも思うところがあるが、肉体的も精神的にもタフでなかったら選挙は戦えないよ。とりわけ民主党の逆風下、やっぱり御嬢さんには無理でしたね。
 で、7月の参議院選挙まで時間もないのに、これから候補者探しはどうなるのか、これまた難題や。火中の栗を拾う奇特な人は出てくるのか!そして府内一円に貼られたポスターを取り外さないけないし、もうたいへん。
 それから5月末を目途に党員・サポーター登録をお願いすることになるが、これも気が重いなあ。気力を振り絞って、お願いするしかないなあ。ともあれ、ここは踏ん張りどころ。

    <経糸の会 実行委員会>

 夜は、6月8日(土)に開催する経糸の会の「ヒューマンふれあいコンサート」の第一回実行委員会。2年ぶりの開催になるが、50人程のメンバーが集まる。今回は李広宏さんがゲストで京都市コンサートホールでの開催。事務局の杉村伸爾さんから準備状況などの説明があり、ポスターやチケットもできて、さあ本格的に成功へ向けてがんばろう!ご協力のほどよろしくお願いします。

総括質疑と教育福祉委員会  3月12日ー16日 

2013年03月22日 | 日記
●3月16日(土)

    <「古都さんぽ~洛北」>

 昼前、とある友人が相談ごと。酸素ボンベを付けての生活のことや労災のことや年金のことなど。早く元気になって剣鉾を差してほしいよ!

 また左京地域を中心に、歴史・文化の観光ガイドツアーを企画、実施している「古都さんぽ~洛北」の井上さん来所。新しい観光ツアーガイドを企画しているということで相談ごと。
 ◎実相院・三宅八幡・連華寺・瑠璃光院コース、◎曼殊院・圓光寺・詩仙堂・金福寺コース、◎金地院・南禅寺・永観堂・銀閣寺コース、◎鞍馬・貴船コース、◎大原・三千院コース、◎南禅寺・無鄰庵・平安神宮コース、◎青連院・法観寺・八坂神社コースなど企画中。
 ツアーガイドさんも募集中。お客様の満足を第一に考え思い出に残る楽しい笑顔溢れるツアーを目指しているそうです。 問い合わせは、電話708-7272「古都さんぽ~洛北」井上さんまで。

 また事務所の来客は、近くの錦林小学校の山本早苗校長先生らが、退職や異動のご挨拶に来ていただく。ご苦労様でした。また新任の先生方、よろしくお願いします。

    <「東山花灯路」>

 夕方、ブラブラと円山公園へ。京都の春の新しい観光資源「東山花灯路」開催中で、青蓮院ではライトアップ、知恩院では、山門に光の映像を映し出す「プロジェクションマッピング」とかいうイベントを見ようと多くの人。
 円山公園では行燈が並び、あちこちでいけばな展。幽玄な世界を醸し出してます。10年程前に始まったが今では春の風物詩になり百万人の人出がある。

 7時からは、2区総支部の懇談会。前原誠司議員を囲みながら後援会、連合京都の関係者、そして2区の府市会議員らが集いワイワイ。カラオケにも行き日頃の憂さを発散!


●3月15日(金)

     <近衛中学校 卒業式>

 朝、わが母校は地元の近衛中学校の卒業式。106人の卒業生。この1年、近衛中学校はいろいろな事で話題になったと聞くが、卒業式は粛々と進行。卒業生のみなさん、おめでとう!
 ぼくが卒業したのは1964年東京オリンピックの年やった。50年前のことか。1クラス50人で17クラスだった。プレハブ教室やったなあ。「蛍の光」と「桜散る頃」の合唱が感動的でした。

 午後、辻左京副区長が來所。来週予定している左京の選挙管理委員を選任するために左京区選出の議員会を開催することになっているのだが、その打ち合わせ。ぼくが 最年長なので座長を務めることになった。

     <京つけもの大安>

 午後4時からは、京都駅のホテルで京つけもの「大安」恒例の「仕事はじめ会」祇園の舞妓さんが賑やかに祝舞。社長の大角正幸さんが挨拶の後、某銀行の役員さんが経済状況など喋って乾杯。わが祖父、鈴木増次郎と創業者の大角安冶郎さんが兄弟。
 
     <馬淵幽明君を見舞う>

 その後、京都駅から久しぶりに奈良線に乗って六地蔵駅に。20分ぐらいか、単線で途中、待ち時間もあったが思っていたより早い。近くの病院に、大学時代からの飲み友達、書家の馬渕幽明(和芳)君を見舞う。
 去年の夏に倒れて以降闘病生活を送っていて、元気な時の面影は髭だけ。やつれていた。奥さんや娘さんらに囲まれて、10分ほど思い出話。酒をこよなく愛し、自由に生きてきた奴。同志社のキャンパスで出会ったのは1970年過ぎかな。ゲリラやリラ亭でいつも飲んでいたなあ。市民センター左京でも書道教室もしていたし、カレー屋もしていたことがあった。色々な思い出がよみがえる。


●3月14日(木)

     <教育福祉委員会 夜9時まで>

 予算特別委員会も昨日で終わり、今日と明日は付託された議案審議や請願審査のための各常任委員会が開催。
 10時から教育福祉委員会。報告案件などたくさんの審議内容があり、夜の7時ごろになるかなと覚悟。保健福祉局から。
 冒頭、請願者から趣旨説明したいと申し入れがあったが、紹介議員が説明をすることで十分ということで、趣旨説明はなし。そして委員会付託されていた案件、社会福祉奨学金、障害保健福祉施策の関係法律が変わったので条例の整理、児童療育センターの一部の指定管理者の選定については淡々と質疑。
 次いで、理事者報告は、 福祉避難所運営ガイドラインの策定について。 高齢者や障害者など要援護者に対して、市内163ヶ所の高齢者施設、福祉施設を事前指定して、平常時の取り組みや災害時の取り組みなどガイド ラインを策定。
 また、洛西ふれあいの里保養研修センターの今後のあり方に関する基本方針(案)関する意見募集と 京都市立看護短期大学の閉学及び教育資源の承継についての報告も。それぞれぼくも意見を述べる。
 続いて、いずれも共産議員が紹介議員の請願の審査では、今年度の最後の委員会ということで一定の結論を出そうということ。ついては、議員同士の議論や局へも 質疑の結果、保育及び学童保育施策の拡充、生活保護基準の引き下げ反対の要請、民間保育園の保育士のなどの処遇改善は不採択。児童館及び学童保育所におけ る職員の処遇改善については審議未了。学童クラブ利用料値上げの取り下げ、保育料の値上げ撤回、保育料の値上げ中止など5件は、予算審議との兼ね合いもあ り、留保という結論。
 請願審査が終わったのは、夕方6時前。それから、一般質問として共産党の議員からリハビリセンターの見直し、市営保育所の民間移管な ど質疑。

 午後7時から教育委員会との質疑。冒頭「小学校における水泳指導の手引き(案)」及び「小学校の水道指導における安全管理指針(案)」が作成されたので報告と質疑。
 昨年7月に養徳小学校でプールにて1年生の児童がなくなるという悲しい痛ましい事故があり、二度とこのような事故を繰り 返さないように「手引き」と「指導指針」が作成されたのだ。事故の原因そのもの、空白の5分間については原因を特定できなかったが、高めた要因として「水位の管理」「監視と指導のあり方」「ビート板の使用方法」に大きな課題であると指摘。各委員から質疑。二度と悲しい事故が起きないようにプールの授業については細心の注意が必要。
 請願審査は、これも共産党の議員が紹介議員の新しい高校教育制度案の拙速な導入反対、教育条件の改善は不採択に。選択性中学校給食の見直しは、請願者が取り 下げの意向があるということで留保。その後、共産の一般質問もあり、終わったのは、なんと!午後9時前!参った!いやあ、疲れたよ!
 その後、民主党京都府連の会議がとあるところで開催されていたので行ったらすでに会議は終わっていた。されど紹興酒を飲んでほっと一息。


●3月13日(水)

   <予算特別委員会の総括質疑の2日目> 

 10時から本会議場で予算特別委員会の総括質疑の2日目。
 ぼくは民主の最後の4人目で全体では16番目に登壇。メモを一枚だけ持ってマイクを持つが花粉症でテンションが上がらない。
 されどまずは、高野はホテルアバンシェル跡のパチンコ出店計画について。昨年夏に計画が浮上して以来の経過や請願採択の重みや、近隣商業地域だが、近くには病院や図書館もあり、向かいは閑静な住宅地で公園もある。解体作業にも着手されていることなどに触れて、行政の立場を超えて、市長としての見解を問う。なんとか計画をストップさせる術はないのか、それが大きな宿題だ。
 持ち時間はわずか20分なので、市立看護短期大学の閉校のことと教育資源の承継ということで今後は学校法人育英館が来春開校を目指すが、その確認。また高齢者福祉の在り方と障害者福祉施策について、とりわけ障害者優先調達推進法について事業所としての京都市としての取組の推進を求め、さらに左京区役所跡地が京大の研究施設になることの評価と南側駐車場跡地の公共団体への活用を要望。(インターネットで録画中継を見てください)

 各委員は、保育料や上下水道料金の改定問題、厚生会への出資のこと、原子力防災、火災件数、二条城、通学路の安全対策、梅小路公園、リサイクル、農林業の振興、再生エネルギー、体罰問題、経済活性化の取組など。それから、京都マラソンを完走したわが議員団の中野洋一君だけではなく、途中まで走った議員もいて京都マラソンの成果を問う質疑など。
 10時から始まった委員会は午後6時を過ぎてようやく散会。鼻はムズムズ、咳はでるは、腰も痛いし花粉症で憂鬱な一日。
 その後、離婚して母子家庭となり児童手当や医療費のことなど相談ごと一件。その後、韓国料理の「しんら」で一服。スペインの片田舎からきた青年と片言のスペイン語でわいわい。


●3月12日(火)

    <予算特別委員会の総括質疑の1日目>

 2月市会定例会も終盤。今日と明日は予算特別委員会の総括質疑の1日目。
 本会議場に全員の議員が集まる。向かって正面の右側に市長と三人の副市長と交通局管理者が着席。そしていつもは市会事務局が座っている左側には、予算特別委員会の各分科会の主査が座り、繁委員長が進行役。持ち時間はおおむね各自20分。自民、共産、民主、公明の順番で随時登壇して市長席に向かって質疑。質問者は22人。
 民主からは隠塚、山本、片桐、小林議員が質疑に立つ。午前中は、市長自らが答弁するのが通例。事前に質問項目について通行しているが、本会議とは違った緊張感がある。

 予算編成の在り方やもちろんこの市会の大きな課題である保育料や学童クラブの利用料の改定など子育て施策、また東日本大震災からちょうど2年ということで、避難者の住宅やエネルギー政策のことも多く質疑もされた。
 そして京都市政の諸課題として、橋梁の耐震化、歩くまちロードプライシング、駅のバリアフリー、屋外広告物対策、動物愛護センター、市立浴場、ごみ減量、交通政策、大学政策、マラソン、京都創生、防災・減災、住宅用火災警報機の設置、生活保護、そしてまちづくり条例とパチンコ店出店問題、さらに職員厚生会の在り方なども議論された。
 市長は時には、共産党の議員の質問に対して反論することもあり、場内がざわついたりもする。市バスと地下鉄の経営もなんとか上向きになってきているので交通局に関する質疑は少ないかな。午後6時過ぎまでみっちりと審議。

 解散後、四条河原町の画廊「マロニエ」に立ち寄る。「ほんやら洞」と「八文字屋」の店主で、40年来の付き合いの写真家、甲斐扶佐義君の「赤ゲット外遊記フランス篇」に。パリの下町の写真もいいよ!

 それから市役所近くの葬祭場に立ち寄り、亡くなった近所の知人のご焼香に。心よりご冥福をお祈りいたします。

 ところで、京都新聞夕刊には、参議院京都選挙区の民主党の候補者、池坊美佳さんが体調を崩して出馬断念の意向を党府連幹部らに伝えていたことが12日分かった、という記事。2月9日の府連大会では元気にあいさつしていたが、残念や。京都の民主党にとっては大きな痛手。どう善後策がとられるのか。17日の会議で正式に報告があるのだろう。

京都マラソンと東日本大震災から2年 3月8日ー11日

2013年03月17日 | 日記
●3月11日(月)

    <東日本大震災から2年>

 東日本大震災から満2年、その時、市会開会中で市役所の議員団室で地震の揺れを感じました。そしてテレビで津波が人々を襲うのを見ていました。忘れてはならない記憶です。鎮魂の一日です。
 当時は、4月の選挙に向けて銀閣寺に事務所を構えて、準備を進めているときでした。
 ひとくち日記に次のように書いています。
 
 「朝6時半に起床。寒い。高野川の寒風に吹かれながら花園橋で街頭行動。上高野の友人らもビラ撒きなどの応援に。感謝。10時から議員会。選挙前なので議員会も2日間の日程しかない。早速、予算など議案について各委員会の審議状況が報告されて、問題点など点検。また意見書については、議員団として提出しないことに。さらに理事から費用弁償の廃止や議員報酬の削減のことで他会派の動向が報告される。また共産、公明から提出された意見書について検討。また国民健康保険特別会計のことで理事者から改めて説明を受ける。
 そんなことで色々と議論していたら、午後2時45分頃、「お!地震や」という声。蛍光灯が揺れている。直ぐにテレビをつける。宮城県沖でかなりの強い地震のようだ。3時には津波が来るという警報。暫くしてテレビ画面では港に津波が押し寄せてくる映像が映る。議員団室は騒然。船が漂い、トラックが津波に流され、畑を進んでいく津波に恐怖。なんということだ!
 されど夕方には、連合京都の春季生活闘争勝利・統一地方選挙勝利総決起集会で円山野外音楽堂へ。デモは中止。最後に連合推薦の民主党の府市会議員候補が全員壇上に並びガンバロー!
 帰ってテレビでニュースを見守る。惨状に言葉もない。福島原発が心配」。
 
 その後、ぼくが、被災地を訪れたのは秋になってからでした。
 あれから2年、忘れてはならない記憶です。

 色々とことを思いながら、終日事務所で雑務。夕方、浄土寺の吉田デンタルクリニックで、歯の治療を受ける。麻酔をしてもらって、歯にブリッジを被せる治療。きつかった!
 夜は、吉田氏子講社の常任役員会。5月に開催される氏子講社大祭のことや会計報告、ぼくは監査として監査報告も。節分も終わり、次の祭事は講社大祭、剣鉾の練習も始めよう!


●3月10日(日)

    <京都マラソン、中野洋一議員完走!>

 今日は第2回京都マラソンの日。昨日の好天気から一転、小雨模様で寒い!10時過ぎ、ゴールの平安神宮前に。西京極をスタートして金閣寺から宝ヶ池、鴨川河川敷を通ってのコース。参加選手は1万5千人。市役所職員は総動員で、各種市民団体や企業そして市民のボランティアなどが1万4千人。いわば京都市民が総結集して都大路を走るランナーを迎え応援するマラソン。
 ゴールには門川市長と昨年デビューした「どすえちゃん」が先頭選手を待ちうけている。放送ブースでは千葉真子さんらが実況。2時間20分ほどでトップの選手が飛び込んできた。それから正午を過ぎると風も強くなり雨も本降りになる中、続々と市民ランナーが駆け込んでくる。雨の中、寒いし最悪のコンディションにも関わらず、ランナーはめげることなくよう走るなあ!ぼくなんかとても真似ができないよ。
 「みやこめっせ」では、宮城、岩手、福島県人会、そして京都のレストラン店がブースを出していたので、福島は「浪江焼きそば」を食べて腹ごしらえ。また二条道では、岡崎や吉田の女性会のメンバーがびしょ濡れになりながらゴールした選手たちに荷物を引き渡すボランティア。風邪をひかないようにと心配したよ。ほんまに選手もボランティも寒いのに大変。 風も強くなり、雨も強くなるにもかかわらず選手たちは黙々と走る。わが同僚の中野洋一議員は、まだかいな、と探しながら丸太町通を西へ。ちょうど熊野神社交差点で奇跡の遭遇。市会事務局のTシャツを着て、確かにがんばってました!立派なもんや!
 怪我人もなく大きな交通渋滞もなく無事に終わったようです。みなさんほんまにお疲れさんでした!

 夜は、わが事務所で昨年秋に巡幸した十二提灯こども神輿の反省会を兼ねた直会(なおらい)。ぼくが世話人代表でもあり、巡幸後バタバタとして年も明けて節分も過ぎてからの反省会になった。ご近所の世話人のメンバー15人ほどが集まり、ぼくが会計報告をして、それぞれから反省や改善すべきことが提案されて、その後はワイワイ。今年は10月12日の土曜日が巡幸の日になる。子どもたちのためにがんばろう!


●3月9日(土)

    <民主党全国自治体議員フォーラムの全国世話人会 副代表に>

 朝、新幹線で東京へ。地下鉄で閑散とした国会近くの民主党本部へ。暑い!夏日か。政権党のときは、本部にいつ行っても警察官がものものしく警備をしていたが、2、3人がのんびり警備中、野党になるとこんなものか。

 午後1時から、民主党全国自治体議員フォーラムの全国世話人会。最初の挨拶は組織委員長の玉置一弥参議院議員。民主党京都府連ではあまり顔をみないけれど、繰上げ当選されたのでしたね。いつから組織委員長やね、と正直驚きましたが、お元気で何よりです。
 衆議院選挙の大敗後、また大会後初めての世話人会であったが、それほど紛糾することなく、議題はこの5月に総会と研修会を開催することを決めて、講師やテーマのことなど意見聴取。
 その後、近畿ブロックの代表が集まり、この11月に京都で研修会を開催することを打ち合わせ。そして、ブロック代表世話人会を開催して代表の草加市議11期の新井貞夫議員が勇退を表明されてその後任の新代表に東北ブロックの宮城県は気仙沼が選挙区の11期内海大県議が、そして次に期数が多かった不肖、ぼくが7期目で副代表になった。馬齢を重ねると、こんな役を拝命することになるのかな。
 2年先には統一自治体選挙が行われるが、さて、そのとき民主党はどうなってるのか、いささか不安やね。党の看板や風を当てにしないで、地道に地域で活動をすることが必要です。がんばろう!

 会議終了後、天気もいいので有楽町をぶらぶら、久しぶりにパチンコで勝ち気分よく帰京。


●3月8日(金)  

 花粉症か、憂鬱。
 午前中、来客はぼくと同世代の在日韓国人と長年教員として「全国在日外国人教育研究集会・全外教」の中心メンバーである松下さん。京都大会が開催されたのは、1993年だったか、外国人教育基本方針なども策定されて、以降、現在京都市内では、民族のルーツを大事 にした多文化教育もそれなりに取り組まれてきている。高校などにおけるハングル講座や同好会サークル開設の可能性などについて相談。

 午後は、コムペイジの牧野君、久しぶりに来所。左京ライフの今後の方向性など相談。色々な左京でのイベント情報を知らせてください!また前原事務所の齊藤君らも来所。諸々のこと、打ち合わせ。

   <連合京都 春闘激励!>

 夜は、三条河原町交差点へ。毎年この時期は、連合京都の春季生活闘争・春闘で円山公園野外音楽堂で決起集会が開催されて、その後市役所前までデモ行進。民主党京都府連として大きな宣伝カーを三条河原町に止めて、行進するデモ隊に激励のエールを送る。寒くはないが、ぼくの気分はイマイチ、若い議員らがマイクを握って随時アピール。

 デモの解散後、京都市学校職員労組の植田委員長らと懇談。学校の車の通行量の多い道路に子どもたちの飛び出しをドライバーに喚起すべく、管理用務員で男児と女児の着物姿のマンガ形式の看板を作る話。作業的に難しいところがあるというので、広告業の専門家にアドバイスをしてもらおうとアドバイス。色々な相談ごとがありますよ。

予算特別委員会 局別審議終わる 3月4日ー7日

2013年03月11日 | 日記
●3月7日(木)

    <花粉症か?>

 予算特別委員会は第一分科会のみが開催。ぼくはオフ。委員会局別審議が終わって気が緩んだのか、花粉症か、風邪気味か、体調がイマイチ。鼻がズルズル、モゾモゾし始める。この2、3年どうもなかったが、久しぶりに来たか!ちょっと憂鬱だね。

 昼過ぎ、事務所近くにオープンした自転車屋「明雅屋」に立ち寄り、中古自転車を買う。なんと9000円!3週間ほど前、事務所前に置いてあったママチャリが無くなって困っていた。店主と自転車談義をしながら整備をしてもらう。三段変速で乗り心地もよさそう。また走るで!


   <動物園 ゾウ舎ができたのはいつ?> 

 午後、ボーイスカウトで知り合いの津田繁さんと動物園に。彼は津田甚建設の5代目?の社長。100年ほど前に津田甚建設が創設されて、先代が大正から昭和初期に建てた建物のことを調べている。
 実は、京都市動物園のゾウ舎がその一つだそうで、秋久副園長と面談。大正12年に建設されていて、阪神大震災で外壁など補修したらしいが、当時の原型のまま。
 昔の動物園の写真を探していてくれいた。写真を見ると当時、インド人が飼育の指導をしていた。再整備が進む園内をゾウ舎に向かう。園庭も当時のまま。裏側にはエンブレムも付いていた。再整備計画に基づいて3年先にはゾウ舎も改築されるようで、ええタイミングでした。近々に建物の写真をとって、社史100年の記録にとどめたいと津田繁さん。
 市役所の西庁舎や同志社の啓明館もそうだという。興味深い話。なお動物園の改修が進んでいる「アフリカの草原」は、4月6日に開園するらしい。キリンやシマウマが見れるかな?

 夜は、安孫子和子宅に。昨年4月に世界歴史都市会議に市民ツアーで一緒に行った佛教大学の学生諸君のうち5人が集まり、就職も決まり送別会。同行した悪友、山本恵も一緒にワイワイ。サラリーマンや教員になる彼らにとっても世界歴史都市会議で報告をしたことや若い学生たちの交流できたことは良き青春の思い出で、またいい旅であったようだ。
 これから社会人としてがんばりや!和子さん、手料理でおもてなしをしていただいて感謝。カニ鍋が美味しかった!お元気で何よりです。



●3月6日(水)

   <予算特別委員会 5日目 教育委員会と>

 予算特別委員会5日目、教育委員会との質疑。予算の説明があった後、各委員が質疑に立つ。
 自民党の中村議員は、昨日の保健福祉局との質疑で某新人議員に不適切な発言があったと、議事録削除と謝罪を求める議事進行。この某議員、二日連続で不適切発言をして、他の委員からヒンシュクをかっている。本人がどう対処するのか、今後注目だあ!また、別の某新人議員、委員会をこの間休んでいるが、いかがなものか。ぼくは26年間、病欠したことはないなあ。

 各委員は、いじめや体罰問題、中学校給食、高校改革、読書活動、食育、いじめ、不登校、スクールカウンセラーの拡充、学校図書館、教員の超勤、メンタルヘルス、野外体験長期教室、道徳教育、君が代、京都市歌、規範意識、御所南小学校、英語教育、学校トイレ洋式化、交通安全教室、就学援助などそれぞれの視点で質疑。
 
 民主からは隠塚、山本、それに宮本議員が委員会では例によって高邁な質疑を初めてしたので、全体で15番目、ぼくの持ち時間はわずか10分。
 先日視察に行った上京区は翔鸞小学校での給食試食と洛陽工業高校の視察の感想。そして、この4月に錦林小学校と新洞小学校が統合するのでその事業に4100万円予算が付いているので、その内容。教室や廊下、トイレの改修、黒板の付け替えなどが行われるという。また新洞小学校児童の登校時の通学の安全対策なども要望。
 そして、11月市会本会議での代表質問をフォローする意味で、障害のある幼児、児童。生徒の教育の推進に関わり7億円の予算がついているので、関連して白河と鳴滝総合支援学校の卒業生の進路、企業に就職した生徒、大学進学した生徒、福祉施設に行く生徒の人数などを聞き、また切れ目のない支援充実のための就学支援シートの活用と、4月5日に開校する白河総合支援学校東山分校の開設準備状況と地域とのコミュニケーションの大切さを言う。

 なお昼休み時間、KOALA(都市創生交通ネットワーク)理事長の森五宏さんと会食しながら、京都や大阪の都市交通の在り方や「歩くまち京都」の取組、交通バリアフリーのことなど談義。民間の立場から色々と提言をされている人。勉強になりますよ。



●3月5日(火)

     <予算特別委員会4日目 保健福祉局2日目>

 予算特別委員会4日目、保健福祉局とは2日目。
 4人目のバッターで、高齢者福祉について絞って質疑。来年にはぼく自身が前期高齢者にり、祖母は家で5年間寝たきりであったことなど披歴しながら、介護保険制度が始まって13年、介護の世話にならず、ぴんぴんコロリといきたいと話をして、高齢者福祉の予算について質疑。
 新規の事業として介護基盤整備事業特養一か所、地域密着型特養一か所、小規模多機能型居宅介護拠点 建設助成、認知症高齢者グループホーム 2か所、認知症総合支援事業に総額5億79百万。高齢者福祉費の総額は445億円、介護保健特別会計繰り出し金165億円、介護保健事業特別会計1120億円、後期高齢者医療特別会計168億円、一般会計から30億の繰り入金。
 京都市の人口は、65歳から74歳で17万人、74歳以上16万で合計35万人、高齢化率23パーセントだと薀蓄を傾けた上で、第5期京都市民長寿すこやかプランのこと、地域の絆でつながり、幸福を実感できる高齢期をみんなの力で、住みなれた地域で いきいき健やかに暮らせる健康長寿のまち京都をどうつくるか、地域包括ケアのこと、近衛広場など左京では14か所で行われている公園体操のことなど質疑。

 そして、この春、定年退職を迎える壁純一郎介護医療担当部長に感想を求める。ええ答弁で、またねぎらいの気持ちを込めて委員みんなが拍手!

 他の委員は、児童虐待、認知症、生活保護、適正化、警察との連携  不正受給者対策、水道料金と福祉、PM2.5の健康被害、中央斎場再整備、市営墓地、動物愛護センター、父子家庭への拡充などについて午後6時まで質疑。腰が痛いよ!
 夜、明日の教育委員会との質疑のために簡単なメモづくり。


●3月4日(月)

    <予算特別委員会3日目 保健福祉局1日目>

 予算特別委員会3日目、第二分科会は保健福祉局の1日目。16人が挙手。
 保健福祉局の予算は一般会計の37%を占めて2716億9300万円。それに1508億円の国民健康保険事業特別会計や、1120億円の介護保険事業特別会計、168億円の後期高齢者医療特別会計、8810万円の雇用対策事業特別会計など、総額2842億円の特別会計。
 今回は保育料と学童保育料の改定が大きな話題。保育料については月平均900円、学童クラブについては平均565円の料金改定。その分障がいを持った子どもの保育や発達障害の早期発見などが充実されたり、学童クラブでも土曜日、夏休み期間の開始時間が30分前倒しされ、8:00からに延長をされる。室町と船岡の市営保育所の廃止について共産は異論。また、生活保護の不正受給対策や認知症対策、介護保険制度などにも質疑が多い。

 ぼくは、過日の市立病院新館竣工式に触れながら、市立看護短期大学廃止のその後のこと。留年していた2人の学生が無事に卒業したのでこれでようやく廃校になり、学校法人育英館が文科省の認可手続きを進めていて新たに看護学校を開校することになる。まあ色々とありましたが、ようやく目途がついたかな。
 そして、昨年11月市会で質疑をした障害者福祉の諸施策について、障害者雇用促進アドバイザー、障害者地域生活支援センターと基幹相談支援センターの役割や障害者優先調達推進法の施行を受けて、事業所としての市役所の取り組みなどを質疑した。

 最後の方で某新人議員の発言について、議事録削除の議事進行の動議もありちょっと紛糾。6時過ぎまでみっちり審議。
 夜は、明日の質疑のために資料読み。

左京小学生バレーボール大会 3月1日ー3日

2013年03月05日 | 日記
●3月3日(日)

    <吉田山に桜を植えよう!>

 9時前、吉田神社の参集殿に。吉田山に桜を植えよう!「吉田山の里山を再生する会」の活動日。東ロータリークラブや吉田氏子講社、剣鉾保存会、ボーイスカウト、京大の深町加津枝さんや第四錦林小学校の児童らが山頂近くで桜を植樹。ことしで4年目ぐらいかな。
 以前は木々が茂っていたが山頂公園の西斜面もこの間、伐採がされて京都の街が眺望できるように明るくなり、そこに桜を植える作業。

    <洛北福祉まつり>

 ぼくは友人らに挨拶だけして、宝ヶ池の子ども体育館に。京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学生バレーボール大会の二日目。可愛い4年生のゲームを少しだけして見学して、11時過ぎには、市原野小学校での第4回洛北福祉まつりに。
 ちょうど開会式の最中、市原野など洛北地域の8学区の社会福祉協議会が主催し、地元の市原寮など福祉施設が協力し合ったイベント。市原野小学校の児童の太鼓やコーラス、おやじバンドなど多彩な催し。「支えあおう私たちの命」とみんなが集まるのもこれが京都の地域力。鹿カレーを食べたかったが、売り切れでした。また市原伝承の「鬼童丸」の影絵も見たかったが、時間がなくて残念。
 
    <市民協働発電所とは>

 松ヶ崎駅から地下鉄で京都駅はキャンパスプラザでの「京都・市民協働・発電所」の開設セミナーに。1昨年の10月の本会議で市民協働発電制度について提案をしたこともあり、勉強をしに行く。「市民出資でつくる京都の未来と再生可能エネルギー」と題して気候ネットワークの田浦氏が講演して、その制度について伊東君が説明も。
 この制度は、「市民エネルギー京都」が山科まち美化事務所と京北の道の駅に、「びっくりエコ発電所」が西京高校に太陽光発電を市民の出資で設置して、発電した電力を電力会社に売却、その収入を出資者に還元しようという試み。それぞれ一口10万円。「市民が主役のエネルギー創造」に向けてぜひみなさん協力したらどうでしょうか?

     <左京小学生バレーボール大会決勝戦>

 3時前にこども体育館に戻る。決勝戦が行われている。京都新聞運動部の記者さんも取材に来てくれて感謝。
 4年の優勝は 孔雀smile、2位修学院第二スポーツ少年団、3位 松ヶ崎リトルと下鴨小学校4年、敢闘賞は吉田スマイルキッズと北白川リトルスターズ。
 5年は、優勝錦林VBCジュニア、2位 明徳、3位 下鴨5年Aと上高野5年。敢闘賞 岩倉南5年生。
 6年は、優勝が錦林VBC女子、2位孔雀わっしょいず、そして3位に錦林VBC男子と松ヶ崎パワーズ。敢闘賞は修二6年。
 ライオンズクラブ会長ということで、ぼくが、市長、教育長、京都新聞社のそれぞれの表彰状、そしてメダルを渡す役。感謝の言葉を市原野の女子生徒が述べてくれてうれしかったよ。指導者のみなさんお疲れさんでした。子どもたち、ありがとう!また来年の3月のこの大会に向けてがんばってね!


●3月2日(土)

     <京都高野川ライオンズクラブ杯バレーボール大会の開会式> 

 夕べは久しぶりに痛飲したので二日酔い気味。昨夜は雨模様だったが、晴れてよかった!
 朝9時前、宝ヶ池のこども体育館に。京都高野川ライオンズクラブ杯バレーボール大会の開会式。今年で16回目だ。今までは修学院第二小学校の金管バンドに華を添えてもらっていたが、今年からはなくなりCDで行進曲が流れる中、左京の小学校とスポーツ少年団16団体、4年生は11チーム、5年生は12チーム、6年生は18チーム合計41チームが入場行進。4年生チームには2年や3年の低学年の児童もいて可愛いよ。今年は、ぼくがライオンズクラブの会長なので挨拶する。
 この大会は、各小学校の部活の先生やスポーツ少年団の指導者や保護者のみなさんが熱心にされているので開会できるし、こどもたちは、この大会を目指して練習に励んでいるという。止める訳にはいかないよ。開会式後、各チームは修学院、明徳、錦林小学校の体育館に移動してそれぞれ予選のリーグ戦。こども体育館では二つのコートに別れて6年生のリーグ戦。途中、昼食で抜けたが、4時過ぎまで観戦。保護者のみなさんの応援も力が入るね。それにしてもサーブやスパイクを打つのを見ていると6年生と思えない児童もいるしびっくり。

 午後5時から吉田神社で吉田氏子講社の会計監査。地元吉田の住民が講社員で、その寄付で春の講社大祭や秋の神幸祭が催されるのだ。もうひとりの監査役と一緒に担当者から説明を受けながら通帳と領収書を貼りつけた出金伝票を確認。きっちりとしてありました。
 
 夕方、事務所へ保育園の保護者会の役員をしている若い友人が来所。保育料の改定問題について懇談。ひとり当たり月額900円の負担が増えるのだが、その増収分で障害児保育の充実や職員の加配や処遇改善のためにプール制の増、また入所児童の増額に回すという方針を説明。それなりに彼は理解をしてくれる。また仕事として、まち美化事務所で、民間の清掃会社員として家庭ごみの収集をしている現場の話も聞く。色々とたいへんだが、がんばってよ。


●3月1日(金)

     <予算特別委員会2日目 建設局と質疑>

 予算特別委員会2日目。建設局との審議。局から土木費についての説明の後、順番に質疑。今日は共産党がトップバッター。
 ぼくは午後3時の休憩後に質疑。清水坂、銀閣寺、嵐山、高雄の観光駐車場の料金改定問題。昭和63年から据え置きされていたが、近隣の実勢価格に合わして、自動二輪が200円から400円、乗用車が800円から1000円に。観光バスとタクシーはそのまま。高雄では紅葉シーズンの時期に合わして市長の告示で料金を徴収する条例の改正案。これらの観光駐車場の1年間の収入は4億4千万。今後の管理のあり方など質疑。
 
 また土地開発公社の塩漬け土地として記事が載った北山は大見公園計画について久しぶりに質疑。この間、他の公園など都市計画決定施設について見直しの市民意見の募集が行われているが、大見公園については、計画決定については存続という案が示されている。30年余前の計画発表からこれまでのこの間の長い経過をダイジェ ストに言って現状の見解を求める。将来、どうするか、もういちど原点に戻って考え、地元の関係者らと地域再生に活用できるようにアイデアを練りたいと思う。  
 さらに、わが地元の吉田山の里山再生で桜の植樹を行っていることを紹介して、新規事業の宝ヶ池公園での新景観創造事業、桜の植樹についてその計画の概要の説明を求める。25年度は調査測量に300万円の予算がつき、26年に設計、27年から園路整備をして、市民との協働植樹という計画。市民参加でやることが大事だと力説。

 同じく、また、花と緑あふれるまちづくりー緑視環境向上プロジェクトについても地元近衛広場での街路樹サポーターとして草引きをしていることを紹介して、1億6700万円の予算が付いている街路樹整備事業―道路の森づくりの今後について質疑。街路樹サポーターには66団体1400人が登録しているそうだ。時間切れだったが最後に丸太町通の更なる改修を早口で要望。

 各議員は、道路維持補修、区画整理、私道舗装助成、放置自転車、公園、災害対策、四条通り歩道拡幅、梅小路公園と鉄道博物館、銀閣寺道電線地中化、北泉橋、御所周辺の歩道整備、通学路の安全対策 橋梁健全化、水共生プランなど質疑。各行政区の要望事項なども多くありました。終わったのは、午後6時を回っていた。

夜は、去る12月三条京阪の元有済小学校の体育館での京都市学校用務研究会主催の「防災研修」が開催されたが、京都市学校職員労組の女性役員さんや関係者とのご苦労さん会を百万遍の居酒屋でワイワイ。災害時の避難所にもなる学校の在り方など議論もして、飛び出し防止の看板を各小学校に作るなど管理用務員さんはがんばってるよ。久しぶりにカラオケも行きました。




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