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       鈴木マサホひとくち日記 
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2002年3月

                 



●3月1日
金 弥生3月、花粉症で鼻が詰まってしんどい。

本会議。午前中、わが民主・都みらい市会議員団を代表して山口幸秀団長が、財政問題や基本計画の推進など市長の基本姿勢を問い、IT自治体づくりや財務会計システムの入札問題、西京極プールやスポーツ振興策について伏見工ラグビー部総監督の山口良治スポーツ政策監に答弁を求め、また温暖化防止対策や学校5日制の諸問題について質問。山科駅バリアフリー問題については時間がなく駆け足の質問になった。ところが、当局側の答弁時間がオーバーするという問題が発生、急遽、各会派理事が本会議中別室に集まり、対策を協議。事なきを得た。続いて今枝議員は、人事制度のあり方や市役所ライトアップの提案、観光対策や成人式のあり方、崇仁まちづくり計画、童話や童謡の活用など、今枝節というべきウィットに富んだ楽しい質問。

午後は、公明党の竹内、大道両議員の質問のあと、各予算関連議案などを委員会付託する動議が出され、請願審査結果については、迎賓館建設と羽束師仮設橋に関して共産党議員が討論に立つ。さらに13年度補正予算については、普通・公営企業予算特別委員会委員長が委員会の審議状況の委員長報告をして、共産党議員が討論に立った後、原案を可決。2日間にわたる本会議は終わった。

夕方、円山音楽堂で連合京都主催の2002春季生活闘争・知事選勝利総決起集会。会場はほぼ満員。民主党の国会・府市会議員が壇上に並ぶ。そしてデモに出発。インターンの常盤さんも恥ずかしげに初めてのデモ経験。三条河原町でデモ参加者を激励。


●3月2 土 友人の弁護士がマンション建設問題で相談に来訪。「京都市中高層建築物などの建築に係る住環境の保全及び形成に関する条例」や請願のやり方などについて説明。

午後は国際会館で山田啓二君を励ます活力京都総決起大会。会場はロービーにまで人が溢れる盛況、ビデオを流したり、市田ひろみさんや片山鳥取県知事も応援に。途中で抜けて、昨日火災に会った下鴨の知人を火事見舞い。その足で、在日韓国・朝鮮人教育セミナーに。京大人文研の水野直樹さんが「中学校社会科教科書における在日韓国朝鮮人関係記述の検討」と題して講演。


●3月3 日 左京区文化フエスティバルが京都会館第2ホールで。和太鼓の演奏や舞踊やコーラスにフラダンスに芝居など左京区民が舞台に登場、楽しく鑑賞。

その後、議員団室にて、市役所前恒例のフリーマーケットを横目に見ながら、議員団ニュースの作成と明日から始まる普通予算委員会各局質疑のため、予算書や資料を読み質疑のためのメモ作り。


●3月4 月 予算委員会が今日から始まる。公営企業予算委員会と普通予算委員会は二つの分科会に分かれて行われる。ぼくは第2分科会の所属。

今日は文化市民局。自民、共産の議員に続いて3番バッター。持ち時間は30分。外国人登録原票開示問題で心を痛めていた一人の若い市職員が亡くなったことを聞いていたので、彼の死のことに触れ、二条城などのホームページの問題、さらに収入役の水平社80周年の記念集会の参加について意見を述べ、主に、「特別施策としての同和対策事業の終結とその後の取り組み」について、この10年間の取り組みを述べ、質疑を交わす。また埋蔵文化研究所や深泥が池の保全問題や分区合区問題などにも触れる。

午後、委員会を抜けて若い市職員の告別式に参列。やりきれない。委員会ではイベントの見直しや市民スポーツの振興など各委員が質疑、5時過ぎまで続く。夜は、代表質問も終わりこれから委員会が続くので議員団の懇談会。


●3月5 火 予算委員会2日目。教育委員会と質疑。西京高校のエンタープライジング学科の新設について、ネーミングとどんな学科なのか分かりにくい、と質疑。スタートレックのエンタープライズ号や佐世保のエンプラ闘争のことまで言ったので大笑い。また僕自身の小学校時代を思い出しながら「教育改革元年」というが、どういう教育を目指すのかを戦後生まれの教育長と質疑。また学習障害児(LD)のことに触れながら障害児教育や同和教育、外国人教育についても質疑をした。

他の委員からは、この4月から学校5日制になることや新学習指導要領、中学校給食や環境教育、教科書問題など多岐にわたって6時前まで質疑が交わされた。

夜は、通夜に出席、そして、事務所ではパソコンのリニュアルで薮木さんと友人が大奮闘。ぼくにはわからんIT会話が続く。わが事務所の高度情報化も進むが、追いつくのにたいへんだ!


●3月6 水 予算委員会3日目。総合企画局と質疑。わがホームページの「ひとくち日誌」の宣伝をして、京都市情報館の市長の動きの充実を求め、過日の委員会での他都市調査のことを踏まえ、高度情報化への取り組み、さらに市民参加推進条例や市民活動支援センターのあり方や御池通のシンボルゾーンの感想、政策評価システムなどについて質疑をする。

他の議員からは、基本計画の推進プランと財政非常事態問題、大学問題、迎賓館建設問題、建都1200年協会のあり方、電子市役所問題など議論がされた。

夜は、自治労教育支部の初代支部長の岩本君が文部科学省に派遣されるので、激励会に参加。若い職員がハツラツとしていて楽しい会だった。


●3月7 木
予算委員会4日目。総務局と質疑。公告式条例の改正(京都市公報の廃止)問題や「内なる国際化」である外国籍市民懇話会や留学生問題、さらに緊急雇用対策事業のフィールドミュジーアム情報提供システムのことなど質疑。

他の議員からは、主に外郭団体のあり方や市政改革、薬物使用などの不祥事根絶対策、庁内活性化、職員給与カット問題など議論される。

昼の時間は議員会、主に知事選挙のこと。中京区のリクルートマンション建設問題で相談ごと1件、また吉田山宅地造成問題で要望1件。夜は、市役所OBの友人と懇親会。


●3月8 金 予算委員会5日目。会計室では、収入役が水平社創立80周年記念集会に市長代理で参加のために過日の本会議を欠席したことを共産党の議員が質疑をするが、会計室の予算とも関係のない質問で、ええかげんにせえや!と思いながら議事進行をかけようと思ったが、収入役がきっちりした答弁をされたので、手を下ろした。

理財局では、緊急雇用対策事業や「財政事情」の作成および公表に関する条例の改正問題や市が差し押さえた物件の公売の状況、入札の透明性などについて質疑。

他の議員からは、ペイオフ対策、市税の落ち込み、財政非常事態の周知、行政コスト計算書作成などについて議論があった。夕方教育相談問題で関係者と協議。

夜は、奈良女子大教授、地方財政情報館のホームページの主宰者澤井勝さん宅を訪問。この5月に開講を予定しているわが自治体学校の設立について知恵をもらいに。土曜講座と銘打って準備を進める決意。


●3月9 土 民主党京都府連の常任幹事会。国会情勢や鈴木宗男問題で前原議員や福山議員から報告。知事選挙の日程や民主党サポーター拡大問題、そして来年の春の統一地方選挙の公認問題など協議。もう1年でまたまた選挙や!えらいこっちゃ!のんびり構えてはいられないよ!


●3月10 日 第9回京都シティハーフマラソンを見に岡崎公園に。好天に恵まれ海外招待選手や市民ランナー6000人を超える参加者。男子はハヌーチ選手、女子はヌデレバ選手が優勝。何人かの知人が完走した。吉川病院に日和さんを見舞いに。元気そうになられていたので、少し安心した。午後は、「京都いのちの電話」20周年記念祝賀会。交遊亭楽笑さんの手話落語に感動。夕方、散髪に。 


●3月11 月 予算委員会6日目。産業観光局。民主都みらい議員団の3番バッターでわずか4分間の持ち時間.宇多野ユースホステルの改築問題、伝統産業振興館の開設、緊急雇用対策の窓口設置問題を手短に要望。

他の議員からは、スパーテクノシティ構想、京野菜、観光振興対策、商店街活性化、制度融資、伝統産業や着物着用の推進など午後6時まで質疑された。予算委員会の局別審議もこれで終了。夜は、他会派の議員と四方山話。


●3月12 火 今日は、公営企業予算特別委員会の総括質疑ということで、ぼくは委員会はお休み。同僚の議員が質問をしているときに少しだけ傍聴。議員定数問題も大詰めに近づいてきたので、個別に関係議員から意見聴取。色々と気を使うで。

またインターンの常盤さんを伴って、遅くなったが議員団ニュース19号を庁内配布。彼女は迷路のような狭い庁舎に唖然という感じ。夜は、昨秋のインターンの岡田君らと懇談。若い諸君と話すのは、楽しいよ!


●3月13 水 議員会。定数問題をめぐって、各会派の動向を報告したり、削減対象区の当該議員から意見を聴取したり、大詰めを迎えて会派内の方向性を決める。ぼくは議員定数等特別委員会の委員でまた理事という立場で、会派内の事情も考えながら、他会派との調整にも動かなければならないので、もうたいへん!その他明日の予算委員会総括質疑の順番などを決める。

夕方、某府会議員と相談を受けていた教育問題で協議。夕方、入院していた日和さんの状態が急変したということで見舞いに。集中治療室で会話もままならず。看護婦さんから危ないと言われショック。


●3月14 木
普通予算特別委員会の総括質疑。第1分科会第2分科会の委員が一同に揃い、市長と3人の副市長と質疑。自民、共産、民主、公明の順で、持ち時間はひとり20分。

ぼくは、全体の最後から2番目、6時を過ぎてからの発言。持ち時間はわずか9分。特別施策としての同和対策事業の終結とその後の取り組みについて、同和問題懇談会の意見具申からの、この10年のぼくの議会での発言を振り返りながら、終結を感慨深く受け止め、今後の人権文化の構築をどうするのか、市長に答弁を求めた。ほんとに短い時間であったが、市長に率直な思いを述べてもらって、よかったと思う。今後、京都市は、「同和行政」いう自縛から、いかに解き放たれるのか見守りたいし、また運動団体にもぼくは市民に共感を呼ぶ、運動への改革を求めて率直に本音の意見を述べて行きたいと思っている。

総括質疑では、各委員から、財政非常事態問題、イベントの見直し、経済対策、市民とのパートナーシップ、外郭団体のあり方、府との二重行政、観光行政、入札制度、農業、基本計画、学校5日制、大学問題、介護保険、学童クラブのあり方、など新年度予算や京都市の諸課題について、質疑があった。なかには、そんな質問を総括質疑でするなよと!言いたくなるような質問もあったが、紛糾することもなく、6時過ぎに淡々と終わった。この夜、ほんとは新日本プロレスを西京極体育館に見に行くつもりをしていたのだが、定数問題などの解決をめぐって、山口団長らと作戦会議。

そうこうしていたら、日和さんが危篤だと連絡が入り、吉川病院に走る。11時52分、ご家族や友人に見守られて息を引き取られた。日和正一さん、享年71歳。肝硬変での死。わが事務所でいつも発送作業や墨字を書いてもらっていたかけがえのないわが応援団の一人。


●3月15 金 日和さん、病院から上大路の自宅に無言の帰宅。葬儀屋さんや家族と打ち合わせなど未明まで。午前中、告別式の日程などを決める。友人たちに連絡。

午後議員会。会期末の日程の確認やもちろん定数問題を協議、各会派の動向などを報告。19日の特別委員会で見通しをつけて、この3月末に決めたいと思っているのだが、なかなか調整がつかないのが現状。今は書けないけれど、大阪府議会のように見送るようなことはしたくない。粘り強く折衝したい。

夜は、日和さん宅で親しい友人が集って、日和さんが大好きだったビールを飲みながら弔い。


●3月16 土 日和さん宅で、諸々の打ち合わせ。午後事務所で雑務。わが事務所で缶ビールを飲みながら黙々と作業されていた日和さんを思い出し、仕事も手につかず、無念の思い。夜、通夜の立礼に立つ。ご親戚、ご近所の方やお友達や体育振興会のメンバーなど日和さんの人徳で、多くの参列者。深夜まで友人たちビールを飲みながら弔い。


●3月17 日 快晴、告別式に200人の参列者。葬儀委員長ということで、喪主の娘さんに代わって挨拶をさせてもらう。斎場まで同行し最後のお別れ、そして、夕方、初七日。故人を偲びビールを飲む。がっくりきた。


●3月18 月 厚生委員会。保健福祉局とは、委員会に付託されていた保育所の統合の議案などについて審議、また「難病患者療養実態調査」の報告と「京都市民健康づくりプラン」の説明があり、質疑が行われる。その後、「乳幼児医療助成制度の拡充」の請願は審議未了に。さらに学童クラブの有料化問題などについても質疑が行われる。環境局からは、まち美化職員が恐喝事件で逮捕されたことで陳謝があり、竹田駅の公衆トイレの設置の請願は審議未了に。また東部山間埋立地のことなどで質疑が行われた。

午後4時から議員会。明日の議員定数等特別委員会の開催を控えて、経過や他会派の動向などを報告。また与党関係者が集まって、押したり引いたりの調整で神経戦。

夜、連合京都の洛東地協の総会に遅れて参加、それから「同和はこわい考」の著者、藤田敬一さんらの退職を祝う会。もうフラフラ。


●3月19 火 午前10時から議員定数等特別委員会が開催。KBS京都テレビのカメラが回り、新聞記者も傍聴席に詰め掛ける中で開会、各会派から順番に定数問題で考え方を披瀝。自民は一増5減案を、共産は72名のまま、そして、民主は、ぼくが代表して1増3減ないし、1増4減案を提案、公明は、西京1増、東山、中京、北区の3減を主張、物別れに終わり、収拾策として、正副委員長会議が行われ、いったん休憩に。

会期末を控えて、理事会が開かれ、各委員会の委員長から審議状況の報告があり、今後の日程を決め、理事者からは包括外部監査契約の締結の追加議案が示された。

議員会では、定数問題についての会派の考え方を最終的に決めるべく、当該区の議員と協議をしたりで「落しどころ」を考えつつ、慎重に調整を図る。議員団としては、最終的に西京1増、下京、東山、中京、北区を減の案で臨むことに決める。一方、議員定数等特別委員会の委員として、また理事として与党の関係議員と様々な調整で右往左往。水面下でのこともあり、神経を使う。

そうこうしているうちに日が暮れて、夜の午後10時頃、ようやく委員会が再開されて、再度、意見を表明。自民、共産、公明は、午前中のままで、民主だけは1増4減案を最終意見とした。従って、与党3派は、結局まとまらずも、今議会中に合意形成を図ることで一致したことを確認して、ようやく閉会。疲れた!


●3月20 水 京都新聞には、「京都市会、4減ないし3減か」と記事が載る。

議員会では、定数問題の報告と今後の見通しを協議した後、会期末を控えて、各議案の態度を決めるべく、各委員会の審議状況の報告を各議員から報告を受けて、各14年度予算案や議案について、慎重に審議、会派としての態度を決める。付帯決議をつけて賛成する方向に。また地方自治法弟99条による意見書の提出に向けて、議員団として、連合京都から要請のあった「雇用の安定と創出を求める意見書」を提案することに決める。また新年度の常任委員会や特別委員会のあり方をめぐっても協議。特別委員会は4委員会作ることを会派として確認する。

議員会での協議を見守りつつ、ぼくは他会派の理事と意見の調整などでウロウロ。22日(金)に再度協議することにして、議員会は、夕方散会した。さらに議員団の議事録の発行に向けて校正、写真の貼り付けなどの作業。


●3月21 木
知事選挙の告示。JAの会長で八木町長の中川氏が元参議院議員の笹野貞子さんとタッグマッチを組んで立候補を表明して、風雲急を告げる。自民、公明、民主、社民の推す元副知事山田啓二候補と共産党の森川氏の三つ巴の対決に。山田候補の出陣式に。時の人、野中さんには、記者が群がる。山田候補は、若さと行動力と地方自治のプロであることを訴えることになる。500人ほどの参加者。

同志社大学大学院総合政策科学研究科の学位授与式に同窓会総政会の副会長として出席。偶然インターネットで選挙のやり方について相談のあった群馬県の富岡市の麻屋商店の茂原さんにお願いしたオリジナルラベルのワインを記念品として修了生に手渡した。結婚式の引き出物などにもいいものですよ!

午後は、桜がチラホラ咲き始めた吉田神社は祖霊社の春の大祭。わが鈴木家の先祖が祀ってある。我が家は吉田神道なのだ。親父に代わって昨年から参加するようになり、大元講社の役員の皆さんのお手伝い。コップ酒が心地よくまわった。

夜10時、北岡府会議員と北山ラーメンてっちゃんに。マスターから色々とお話を伺う。美味しいラーメンだよ!


●3月22 金 10時から議員会。2月市会定例会も26日の会期末を控えて大詰め。一般会計予算案にひとつの付帯決議を、交通事業にひとつの付帯決議をつけて、またその他の各議案について、賛成することを確認。また他会派から提出された意見書や付帯決議について、調整にあたっている石黒議員から経過を聞きながら議論。毎回の定例市会の会期末のパターン。一応各議員には6時頃まで禁足令。

理事会では、中谷副市長が退任して、後任に松井収入役が、収入役の後任に不室総務局長が就任するという人事案件の追加議案の提案。中谷副市長、ご苦労さんでした。

この日は、理事として、特別委員会の持ち方について他会派の理事とチョウチョウハッシの議論。ぼくは、今まで通り、今期と同様に4つの特別委員会を設置するよう、他の政令指定都市の状況を踏まえつつ、京都市政の課題を議論するために特別委員会の設置を主張するが、自民、公明とは、合意に達せず、調整に時間がかかる。延々日が暮れて夜の10時過ぎまで粘るが、常任委員会の活性化を図ることを条件に白旗をあげる。ギブアップだ!4月からは特別委員会を設置しないことで合意する。さらに副議長の問題や懸案の定数削減問題なども抱えて、神経を使い果たし、ほんまにぐったり。深夜、団長ら同僚の議員と焼肉を食ってエネルギーを補給。


●3月23 土 午前中、立ち上がれず。春眠暁を覚えず。大宮大橋の完成式典をサボる。午後、ぼーとしながら雑務。「ひとくち日誌」の打ち込みや手紙や資料の整理など。東九条の住環境整備について相談ごと1件。会期末まであと3日、前に進むしかないのだ。そやけど、だいぶ疲れてきたよ!


●3月24 日 左京医師会と地域ケア連絡協議会つどい実行委員会主催の「左京区高齢者の保健・医療・福祉をみんなで考えるつどい」に参加。サブタイトルが「もの忘れ 心配していませんかーいつまでも元気に暮らしたい」。毎年のこの集いは、色々と学ぶことが多い。1部は、「もの忘れ、それとも痴ほう?」と題して専門医の方が、痴ほうの症状や付き合い方を語られ、2部では、痴ほうのある方の暮らしと介護保険と題して、お芝居風に各専門家がスライドを使いながらその役割を紹介された。おばあさん役はぼくの高校時代の同級生だった。

それからNPO法人環境安全センター設立記念の「廃棄物処理のこれからを考える」シンポジウムに遅れて参加。高月先生らが今後の循環共生型社会のありようについて討論。この10年で廃棄物処理の考え方が大きく変わってきた。京都市も様々な試みをしているが、まだまだ課題は大きい。


●3月25 月 10時から議員会。会期末の本会議を明日に控えて、2月市会定例会もいよいよ大詰め。議案に対する態度や意見書や付帯決議の調整などが、議員団内部や他会派との間で行われ、また常任委員会の所属や議員団の役員人事などが行われる。ぼくは新年度も厚生委員会の委員と理事も留任することになった。

その間、梅林副議長の辞任の手続きやまた最大の懸案である議員定数問題の条例化に向けての最後の詰めを与党の理事らで神経を使いながら断続的に協議。

予定より1時間ほど遅れたが、午後3時頃から各常任委員会、普通・公営企業予算特別委員会が順次開催され、付託されていた各議案についての各会派が態度を表明した。これを「討論結了」という。

そして、夕方5時過ぎ、新聞記者も傍聴するなかで理事会が開かれ、議員定数条例を自民、民主、公明が一致して、1増4減案を、つまり、西京区を1増、下京・東山・中京・北区をそれぞれ1減する条例を提出することが報告された!これで、正式に議員定数問題に決着がついたことになるのだ。

さらに2時間後の7時過ぎ、市会運営委員会が開催され、共産党の議員が何人かが討論に立つことなどが表明されて、明日の本会議の日程や順序が決められた。これでいつもの市会ならお終いなのだが、ところがどっこい理事として、もう一仕事。明日の本会議での議員定数条例の提案説明を自民党の田中せつ子議員にしてもらうことになり、その経過や定数削減の考え方などを表明する提案説明の文言の調整を図るための協議を夜の10時過ぎまで。ようやく終わった。ほんまに疲れた!

 一杯飲んで帰宅して深夜ぼーとテレビを見ていたら社民党の辻元議員問題。彼女が初当選したときは応援していたので、複雑な気分。


●3月26 火 2月市会定例会の会期末、10時から本会議。

梅林副議長が退任挨拶。続いて投票で副議長に公明党の高嶋弘恵議員が当選。磯辺議長との女性コンビは政令指定都市では初めて。続いて請願審査結果について。左京区の久多と花背の簡易水道の早期設置を採択。共産党が紹介議員の教育条件の整備・充実は不採択。共産、自民の議員が討論に立ち野次合戦。トイレをきれいにせえ!というような請願で党勢拡大を図るようなことをするのはいかがなものかと思う。羽束師橋仮橋の存続は不採択。松ヶ崎泉川分水路公共下水道工事の強行反対は不採択。

以下、普通予算特別委員会、公営企業予算特別委員会の審議結果をそれぞれの委員長から報告、またそれに対して共産党議員が討論に立つが、各予算案については付帯決議を付け賛成多数で可決。その後も付託されていた議案について、各常任委員長から報告があり、いずれも賛成で原案可決。副市長に収入役の松井珍男子さんが、収入役に不室総務局長が選任、監査委員には、自民の高橋議員とわが民主の宮本徹議員が選任された。

正午を過ぎて、いよいよ「市会議員の定数及び各選挙区において選挙すべき市会議員の数に関する条例の制定」について田中セツ子議員が提案説明に立ち、共産党議員は反対討論に立つ。そして起立して表決。 「私たちは誇りを持って自らの手により、本日ここに提案する」と田中議員。ぼくにとっても感慨無量である。

その後地方自治法第99条の規定により、「雇用の安定と創出を求める意見書」、「小児救急医療制度の充実・強化を求める意見書」、「多発する食肉偽装事件などの徹底解明と食品表示制度改善・強化を求める意見書」、「ワークシェアリング等積極的な雇用対策の確立を求める意見書」を採択した。

本会議が終わったのは、午後1時を過ぎていた。腹が減ったよ!その後、議員団室には、市長、副市長らが挨拶に。また理事会では、5月市会定例会の日程案が示される。そしてようやくほっと一息、昼食を食べたのは午後2時を回っていた。ようやく2月市会がおわりほっと一息。夕方は、鴨沂高校同期のお父さんの画家故由里明さんの回顧展のレセプションに。ワインが美味かった。


●3月27 水 ぼーと一日過ごす。気だるい一日。何もする気が起こらない。久しぶりに家でゴロゴロ。おおざっぱな性格の僕でも今回の市会は、定数問題でほんまに疲れたよ。夕方、街に出て理財局のメンバーらとワイワイと。その足でまた1軒寄って痛飲。久しぶりの午前様。


●3月28 木
伏見区は、わが同僚の砂川議員が理事長の社会福祉法人フジの会の精神障害者福祉ホーム「ひびあらた」・砂川四郎記念ホールの竣工式。文化活動の拠点となるホールと精神障害のハンディを抱えつつ地域社会への参加と生活を目指すという砂川議員の夢が実った素晴らしい施設。

午後、議員団室で民主・都みらい議員団が結成されてからの3年間の各議員の本会議での質問議事録の発行に向けて最後の追い込み。タイトルを「京都からKYOTOの未来へ」と薮木さんが付けてくれた。近日出版!夜は、与党会派の理事が集って、ご苦労さん会。闘い済んで仲良く夜桜見物。


●3月29 金
市会運営委員・委員長会議。議会費の説明や特別委員会を設置しなくなったので、常任委員会の活性化を図るために今後の運営方法などを協議。午後議員団ニュース20号の編集の準備を始める。また中谷副市長と森脇史郎上下水道管理者の退庁式。またこの春退職される職員さんらが挨拶に。みなさんご苦労さんでした。この日、局長、部長級ら幹部職員の異動の内示の日。

夕方、小雨振る中、知事選挙候補の山田啓二候補の選挙車が左京区に入ったので、他の会派の府市会議員と伴走車に乗って手振り。初めての乗車。まだ気合が入らない。夜は、制度融資のことで相談ごと1件。


●3月30 土
知事候補、山田啓二事務所の事務所当番。出陣式以来の事務所。参議院議員の舛添要一さんが事務所に陣中見舞いに、インターンの常盤さんと記念写真。昼には連合京都傘下の組合役員さんらが集まって決起集会。

午後、山田候補必勝を期して、寺町通を緑のノボリとメガホンを持って四条河原町まで「山田をよろしく!」とグリーンローラー作戦を自治労市職のメンバーと。四条京阪でビラまき、観光客ばかり。また四条河原町では、荒巻知事が応援弁士の街頭演説に各政党や労組員が結集。ぼくもようやく知事選挙モードになってきた。


●3月31 日
昼前、高野イズミヤ前で、ビラ配り。そこへ荒巻知事と北川三重県知事が応援に駆けつけ、山田啓二候補も気合の入った演説。北川三重県知事は、行政評価システムの導入など自治体の構造改革を先駆的に進めてきた人。ぼくも数年前、三重県庁を訪問してその取り組みを担当者から聞かしてもらったことがある。さらに応援弁士にタレントの和泉修さん、同志社大学院の総合政策科学研究科に在籍しているとのことで、ぼくの後輩になり、同窓会の副会長ですと、名刺交換。その後、荒巻、北川知事さんも選挙車に乗って左京を回る。途中公園の公衆トイレで荒巻知事さんと山田候補と連れション。臭い仲になりました。岡崎公園は桜満開。由里明回顧展をのぞく。


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