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鈴木マサホひとくち日記 |
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●12月 1日 (日)
今日から師走。1年は早い。
朝一番、左京区は下鴨中学校グランドでの左京総合防災訓練。葵、下鴨、松ヶ崎学区の自主防災会と消防団の人たちを中心に、区役所、医師会、水道局、関西電力、京都府警、大阪ガスなど関係者が訓練。ヘリコプターも飛び消防車の放水や府警のバイク部隊が活躍。寒い中ご苦労さん。
午後、社会福祉法人西陣会「京都市民福祉センター」の創立40周年の記念会。20数年前、西陣市民センターの時代、ぼくはこのセンターで友人たちと中学生相手の塾を手伝っていたのだ。その頃教えていた子供たちも今や40歳を越えている。西陣の地域でかっては青年たちを中心とした活動が行われていたが、今では児童館、障害児の家庭療育援助グループ、老人配食サービス、障害者自立援助グループと多彩な活動を繰り広げ、ぼくは賛助会員。理事長の同志社神学部の深田未来生先生をはじめ友人たちと久しぶりに会う。楽しい会だった。
夜は、わが民主・都みらい議員団の重鎮、宇都宮壮一議員を励ます会。右京区の後援会の方が中心で、500人の盛大なパーティ。チェアガールの若さ溢れるダンスやカラオケ大会もあって盛り上がった。
事務所に帰って、明日の委員会で審議する建設局のホームページをチェック、質問メモを作る。
●12月 2日 (月)
普通決算特別委員会。局別審議の最終日は建設局。
ぼくは、各課のホームページの評価、公共事業再評価システム、路上工事縮減対策、公共工事コスト縮減の取り組み、来春予定されている世界水フォーラム、そして、京都北山の自然を守れと議員になる前から反対運動に取り組み、議員になってからも徹底的に論議をして計画の凍結がされ、地元住民と学識経験者での検討委員会が設置され、今も話し合いが続けられている大見総合公園計画、北部周辺整備事業について質疑をする。委員会の主な議論は、新十条トンネルの開通時期や放置自転車対策、高速道路問題など。
夕方、文化問題に取り組んでいるNPOの方が来られ、12月14日に予定されている文化政策についての議員を囲んでのシンポジウムの打ち合せ。夜は、若い職員3人と食事。帰途、仁王門通の京都マッサージに立ち寄り大野先生と懇談。コップ酒を飲み交わしフラフラ。
●12月 3日 (火)
久しぶりに二日酔い。
今日は、普通決算特別委員会の書類調査。市会第2会議室には、各局の各項目別に領収証や支出命令書が綴じられた書類が市会第2会議室のテーブルの上には山のように積み上げられての書類調査。備品の購入やタクシーチケットの清算書や出張旅費などすべての書類が調査できることになっている。あまりにその膨大な書類の量に圧倒されるが、市民の税金、公金が適正に処理されているか、チェック出来るようになっている。ぼくも所々の書類を見て、疑問点があるところは担当者に説明を求める。今回は、部落解放同盟各支部への助成に係わる事業実施報告書も出されていて、その実態が明らかにされ、そのあり方については大きな論議を呼ぶだろう。
終了後、議員会。新年度に向けての予算要望づくり。宇都宮議員がその案を作り、また各議員が地元の要望などを出して、まとめることにする。財政非常事態宣言下のもと、巨額の投資が必要な箱物の新設などは、控える方向。市民の陳情は、定時制高校の定員削減に反対するグループ。
民主党鳩山代表、辞任を表明。この間の騒動には、あきれて言う言葉がない。敢えて言うと「アホや」としか言いようがない。ほんまにええ加減にしてほしい!
●12月 4日 (水)
今日は、普通決算特別委員会はお休み。各分科会の報告書がまとめられ、明日の総括質疑に向けて理事者側は勉強会を開き、市長と副市長が答弁の準備をする日。
午前中、久しぶりに事務所で雑務。来春の4月に向けて開設する新事務所の鍵の受け渡しを家主さんと。場所は熊野神社の交差点西角の最高の場所。事務所のレイアウトなどを考える。年明けに事務所開きをしたいと思う。
昼から議員団室で、この間の普通決算特別委員会第2分科会におけるぼく自身が各局と質疑してきた項目を整理する作業。議事担当の幹部が質問に項目について何を論議するのか、聞きに来る。
夜は、質問メモづくり。自民、共産、民主,公明の順で各委員は20分の持ち時間。10時から夕方6時頃までおよそ20人近い議員が質疑をすることになる。モニターテレビでそのやりとりは見れますよ。いちど見に来てください。
●12月 5日 (木)
普通決算特別委員会。総括質疑の日。第1、第2分科会の委員が全員そろい、市長と3人の副市長が着席して、午前10時に始まる。
自民党の持ち時間は132分、共産党は109分、わが民主は78分、公明は61分の持ち時間で一人の委員は、答弁時間を含めて20分という約束。自民、共産,公明、民主の順で後はドント方式で順番が決まっている。この総括質疑では、決算審議ということで、分科会での質疑を中心に、市政に関してあらゆる分野で質疑をできる。
冒頭から、先日住民訴訟において裁判所の調査で明らかになった同和運動団体への補助金の使途とカラ事業や参加人数の水増しがされていたことが各委員から大きく取り上げられ、委員会は緊張した雰囲気。
ぼくは午後3時に12番目のバッターで質疑に立つ。
「自縛からの脱却を」と、「同和行政の制度疲労」について本会議の代表質問に立ったのは96年のことで、同和問題懇談会の委員としても意見具申を出したが、この実態には愕然としたこと、また調査委員会が昨日設置されたが、事実の究明に当たるように意見を述べた。
その後限られた時間であったが、第2分科会で局別審議をしてきたテーマを総括して、ホームページの充実、ゴミ分別収集の推進、市原野の東部クリーンセンターの地元との公害防止協定の締結、介護保険計画中間報告の説明会における市民意見と保険料値上げの抑制、交通バリアフリーの実現、また北白川半鐘山の開発を巡ってユネスコの世界遺産のバッファゾーンにあることでの歴史的風土特別保存地区の指定ないし緑地保全の可能性について、また公共事業評価システム、公共工事コスト縮減などについて慌しく質疑をした。議事録はそのうち印刷されるので、ぜひ見てほしい。
委員会中、普段はぼくは質疑を聞きながらメモをとっているが、今日は、居眠りをしている若手の同僚議員に注意をしたり、議員団の予算要望の印刷について協議をしたりで、アタフタ。
で、「子供たちは牛を知らない、花背山の家に牛を飼ったらどうか」という左京区の某長老議員の質問は笑いを誘う。この長老議員、いつも突拍子もない楽しい話をするので、雰囲気は和むが呆気にとられる。
結局、自民党は7人、共産党は6人、民主は4人、公明は4人が質疑に立ち、最後に京21の議員が7分間喋って委員会が終わったのは午後6時を過ぎていた。これで11月市会定例会も大きな山場を越した。会期末は、同和運動団体の補助金問題でどういう展開になるか予測がつかない。また深夜になるのだろうか?
その後事務所でひとくち日誌の打ち込みと、明日は、補正予算を審議する普通予算特別委員会が開会されるので、その資料読みと質問メモ作り。
●12月 6日 (金)
今日は、14年度補正予算を審議する普通予算特別委員会が二つの分科会に分かれて開会。今回の補正予算は、国の認証による道路や公園整備などの公共事業、保育所運営、来春の府市会議員選挙に要する経費など、128億円の補正。
ぼくの属する第2分科会では、保健福祉局、都市計画局、建設局、消防局の順番で説明とそれぞれ質疑。
保健福祉局とは、介護サービス支援の減額措置や看護短期大学の入学料の改定の議案についてぼくは質疑。生活保護扶助費のことや右京区に予定されていた老健施設の建設計画の中止問題が話題に。
都市計画局とは、古都保存地区の買い上げについての補正予算があり、ぼくは関連して北白川半鐘山のことをしつこく質疑。建設局は、道路特別整備事業や重要幹線街路整備などに71億円の補正。ぼくは宝が池公園の整備や資料の出し方について注文をつける。消防局は消防団員の退職報償金の補正。
委員会の終了後、住民基本台帳のネット化問題で、市民グル-プと懇談。個人情報の保護をどうするのか、国民総背番号制をどう考えるのか、課題は大きい。
夜は、議員団室でぼくの隣に座っている同僚の西京区の天方晶英議員の励ます会。スポーツ万能の天方議員は実はこの秋、体調不良で入院されて心配をしていたのだが、日に日に快復なって元気ハツラツ。頑張ってください。
カンツオーネもあり、楽しいパーティ。
●12月 7日 (土)
久しぶりにゆっくりした土曜日。昼には、熊野神社角の新事務所のことで事務所スタッフとレイアウトなど打ち合せ。12月20日過ぎには引っ越す予定。(2003年4月まで)。素敵な事務所ですよ。城は出来た。頑張るで!
午後、北山ラーメン「てっちゃん」で、府会議員北岡ちはるとぼくと喋る会の第2回目。マスターとご家族もいれて10人ほどの集まり。歩道の段差で車椅子の通行が困難こととバリアフリーのこと。京北町の合併問題、タバコのポイ捨てと美化推進条例のこと、放置自転車のこと、宝ヶ池公園のこと、河原町のギンギン族と警察の取り締まりのことなど多岐にわたって話が弾む。市民の色々な声を聞けて勉強になる。
夜は久しぶりに家でゆっくり、テレビでKIグランプリを見る。ぼくはプロレスフリークだが、プライドやKIなど格闘技もよく見る。今年の格闘技界の話題は、なんといってもビースト・ボブ・サップの登場。ホーストとの壮絶な打ち合いは凄かった!手首を骨折して棄権したのは残念。プロモーターの石井館長は脱税容疑で問題になっているらしい。
●12月 8日 (日)
何も行事のない日曜日の朝、テレビのサンデープロジェクトで民主党の代表選挙に出馬する岡田さんと菅さんが討論をしていたが、興味もなく教育テレビで将棋を見る。最近、将棋をすることはまれだが、実はヘボ将棋はする。
この秋、民主党京都府連の会長に就任した福山哲郎参議院議員の「テツローが翔びつづけている!」のパーティに参加。新聞記者の岸井成格さんの話や矢吹紫帆さんのシンセサイザー演奏など、盛りだくさん。民主党の代表選挙についてどう発言をするか注目していたが、ともかくまとまって欲しいという思いは伝わった.来春の選挙の各候補者が紹介されて、副幹事長として福山会長を支えていきたいと一言挨拶をする。参加者は800人ほど。会場は超満員。若い福山参議院を応援しようとする応援団の熱気があった。終了後、マンション管理問題に取り組んでいる友人と久しぶりに一献傾ける。
●12月 9日 (月)
付託された議案などを審議する常任委員会の開催日。今日は、文教、総務、交通水道委員会が開催され、ぼくの所属する厚生委員会は明日なので、ぼくは久しぶりに空き日。
新事務所の駐車場の確保や雑務。また18日に予定しているシンポジウムの案内を持って左京の組合などを廻る。また地元で相談を受けていた問題の解決や説明に何人かの人々と会う。
夕方、副市長らと会期末を控えて懇談。ブラブラ歩いて事務所まで帰り、事務所でシンポジウム案内のメールニュースを打つ。
●12月10日 (火)
厚生委員会。
今日の議題は、付託されていた議案の審議。環境局とは右京まち美化事務所の移転に伴う新築工事の請負契約の締結。地元住民の反対もあり予断は許されないが、地下鉄西伸に伴い必要な事務所移転になる。一般質問では「KES環境マネージメントシステム」のことが話題に。
保健福祉局とは、議案の市原野などの設置される児童館及び学童保育所の設置について、また知的障害者授産施設分園の設置の議案が説明され簡単な質疑。また京都民医連中央病院の細菌検査虚偽報告も行われ、請願審査については、すべて留保。
昼には、理事会が開会され、各委員会の委員長から審議状況を聞き、今後の日程を決定。また当局から、人事案件や職員の給与条例の改正案などの追加議案の説明。
午後は、京都市保育園連盟らと厚生委員会委員の懇談会。延長保育や障害児保育の充実など要望を超党派でお聞きする。
また東北部クリーンセンタの公害防止協定 を地元市原野の自治連合会の会長さんらと市長が締結。計画の発表以来、地元の反対運動も激しく、また京都市も未明の着工など様々な軋轢があった。ぼくも説明会に行き、また地元の皆さんの要望もよく聞いたが、昨年4月に稼動したクリーンセンターの安全性の問題についても様々なやりとりがあったと聞くが、ようやく公害防止協定が締結されたのだ。地元の皆さんはもとより、また環境局職員の苦労もたいへんであった。感慨無量な思いでそのやりとりを見学させてもらった。
夜は、自治労京都市職員労組組合と協力関係の締結書を結ぶ会。自治体政策など今後、企画立案するにあたって協議をしていこうという内容。
民主党の代表に菅直人さんが就任。市民派としては長い付き合いのある菅さんが代表になってよかったと思う。これで民主党も少しは奈落から浮上するであろう。来年の春まではゴタゴタはやめてほしい。頼みまっせ!
●12月11日 (水)
京都市中央卸売市場第一市場開設75周年記念式典。
京都の中央市場は昭和2年日本で最初に開設され、75周年を迎えた。京都市民の台所として長い歴史を持つ。ぼくは2回目の選挙に負けた後、34歳から初当選を果たす38歳まで中央市場の水産部は塩干の仲買「山安」で毎朝4時過ぎから働いていたので、感慨深く、知り合いも多い。デッチ車を引きモートラに乗り、塩鮭など水産加工品を運んでいた。時には府下のスーパーに保冷車に乗って配達もしていた。体力的には最も力があった。あの頃は市場も活気があった。
今ではスーパーなど量販店に押されて、小売商が潰れ、中央市場を通さない場外流通が盛んになり、また不景気と消費者の魚離れで、店をたたんだ仲買も多い。しかし、これからも市民に安全な食品の供給と効率的な流通の要としての中央市場の役割は、大きいが、業界と開設者の京都市が知恵を出す時だ。
夕方、中央市場出身の先輩のヒゲの今枝徳蔵議員のちゃんこ「横綱」で議員団の忘年会。カニやトロや河豚など徳さんの包丁による美味しいものをたらふく食べた。
●12月12日 (木)
11月市会定例会も会期末を控えて議員会。
昼前、京都市長に議員団の15年度予算要望書を手渡す。財政非常事態のおり、箱物の建設や新規の大きな公共事業を要望することなく、いかに市民生活を守っていくのかに知恵を絞った項目で要望する。団長らとその後市政記者クラブで簡単な会見。
議員会では、意見書や決議の提出についての議論。同和運動団体への補助金問題で、担当局を呼んでその調査の経過の説明を受ける。また左京区選出の中村十一議員が予想どうり、民主・都みらい議員団からの離脱を表明。京都21市会議員クラブに会派を変更すると表明。
夜は、熊野神社でミニ市政報告会。この市会の様子を報告し、また来春の選挙情勢や今後の活動についてわが応援団のみなさんと意見交換。
●12月13日 (金)
昨日に続いて議員会。
この市会に提出されていた各議案についての問題点を議論し議案への態度を決めるべく、各委員会の報告を受けて、また議案をひとつづつ審査して賛成かどうかを図る。13年度一般会計決算は認定することに。また他の議案については、大きな問題もなく賛成をすることに。
また各会派から提出されてきた意見書については、それぞれ吟味して市会運営委員の小林議員が他会派との調整に当たってもらい、随時報告を聞く。同和運動団体への補助金問題は、決議をあげることに。ぼくは理事として他会派の理事と随時意見交換。この間の市会は、意見書や巡って深夜まで紛糾してきたが、この市会はすーっと行きそう。もめることはないやろ。
来春の市会議員選挙に立候補する議員の写真撮影が各新聞社、放送局のカメラマンによって行われる。いよいよ選挙モード。写真写りがいいように頭髪を整え久しぶりに三つ揃えを着たので同僚はびっくり。
夜は、1987年、清水達也府会議員とともに初当選した時から4年間開設していた「市民センター・左京」のメンバーが集まり同窓会。古本屋の店主、イベントプロデユサー、生協運動のリーダーとその後の人生も多様。最も市民運動も社会党が元気な時で、大暴れしていた。友情を確認、痛飲した。
●12月14日 (土)
民主党京都府連常任幹事会。11月の大会以来の新役員での常任幹事会。菅さんが代表になり新しい執行部が発足したこともあり、ほっとしたムード。されど熊谷某氏らの離党騒動が報告され、また暗雲が立ちこめるのか?各役員の確定と城陽市市会議員選挙の新人候補の公認など決定。
夕方、NPO法人「アートプラン・まぜまぜ」主催の「文化芸術振興基本法を知るための連続講座」<パネルディスカッション「文化政策のゆくえ」に参加。パネラーは、ぼくと自民党の国枝市議、共産党の山本市議、公明党の角替府議の4人。参加者は20人ほど。議員というのは、われがわれがと喋りたがりが多いが、久しぶりに文化談論ができて楽しかった。自治体である京都市にとって文化芸術振興の役割は大きいし、文化国家をめざすことも大事だが、政府や政党が文化に口を出し始めるとろくなことはないとぼくは思っている。その後友人たちと忘年会。
●12月15日 (日)
北岡ちはる府会議員のお父さん、重男さん(享年83歳)の告別式。前日まで診療をされていたそうだが、急性心不全で亡くなった、暖かい日曜日で山田知事や議員、ロータリーの人など700人近い参列者。民主党の国会議員や府会議員とともに立礼をする。
半鐘山と北白川を守る会主催のシンポジウム「古都の世界遺産が危ないー銀閣寺バッファゾーン半鐘山の保全を考える」に参加。ユネスコの世界遺産と緑地保全や古都保存のことがテーマ。開発計画が発表されてもうすぐ5年。長い付き合いになった。市民の思いを大事になんとか、保存できないものか。
夜は、中村百合さんのチェンバロの夕べ。たまには室内楽を聞くのもいいものだ。
●12月16日 (月)
会期末を明日に控えて、10時から議員会。意見書や決議を巡って先週末から調整が続いてきたが、今回の市会はさほどもめることなく順調に進む。随時議員会が開かれ、意見書や決議の調整状況を聞き、対応を決めていく。議員は禁足令。
午後になって、付託されていた議案に対して各会派が態度を表明する場である討論結了の各委員会も予定より少し遅れたが、順次開催され、午後5時過ぎには市会運営委員会も開催され、明日の本会議の日程なども決まり、すべて終了した。
2月市会は議員定数是正問題で、5月市会は有事法制を巡る意見書で、9月市会は京都民医連中央病院検査虚偽報告に関する決議で、毎回深夜まで紛糾したが、今回はもめることなく、理事として他会派との折衝で神経を使うこともなく拍子抜け。これで普通なのだ。でもちょっとぐらいもめたら面白いのに、というと不謹慎か!
夜は、某新聞社の若い記者らと一献傾ける。
●12月17日 (火)
11月市会定例会の会期末の本会議。開会前に議員会。昨日の市会運営委員会で決めた本会議の日程を説明。
予定通り10時に本会議は開会。少人数教育等の拡充の請願を全会派一致で採択。その後、各委員会の委員長が順番に委員長報告に立ち、委員会に付託されていた議案、14年度補正予算、市税条例の一部改正、児童館のなどの設置、職住共存特別用途地区建築条例の制定など淡々と可決する。13年度一般会計歳入歳出決算には、共産党の議員が討論に立ち多少の野次が飛ぶが、静かなもの。共産党は、13年度一般会計や国保会計については認定せずで、職員給与条例の一部改正なども反対。意見書については、共産党の議員が討論に立つが、粛々と議事は進行した。最後に「運動団体支部補助金虚偽報告の徹底糾明と同和行政完全終結を求める決議」を全会派で可決して29日間にわたった11月市会定例会も終了した。終了後の理事会では、2月市会定例会の日程案などを決める。
午後、この冬の全国大会にダブル出場を決めた伏見工業高校のラグビー部とサッカー部が市長を表敬訪問。市役所前広場で激励会。がんばれよ!
市会も終わり、いらなくなった資料の整理など。ほっと一息だ。
●12月18日 (水)
夕方、京大会館でぼくがコーディネートするシンポジウム<今、考える左京のまちづくり~まちの明日を考え、語り、創るつどい~>。
朝から参加者に配布する資料作り。介護保険制度やゴミ減量の資料、また左京区の基本計画や市会報告としてこの間の「ひとくち日誌」のコピーなど準備作業。
そして、シンポジウムは60人ほどのご参加をいただいて、NHKの朝の番組「ほっとモーニング」で放映された今西さんら聖護院学区のゴミ減量の取り組みのビデオを会場に流して、開会。
パネラーは、宮田さよ子さん(日本いのちの花協会代表)、澤井勝さん(奈良女子大学生活環境学部教授)、今西恒子さん(左京保健協議会会長、聖護院ごみ減量推進会議会長)の3人。地域でごみ減量や介護に取り組んでいる今西さんと宮田さんの実践の話は迫力があった。また地方自治の研究者としての澤井教授の話は、地方自治体の財政問題や自治体のあり方について提言もあり、うまく話が噛みあい、主宰者として勉強になった。録音しているのでいずれ活字にしたいなあ。パネラーの皆さん、ご参加いただいた皆さん、ありがとう。
●12月19日 (木)
11月市会定例会もシンポジウムも終わり、ほっと一息。快い疲れ。
新事務所に電話を引かなければならないのでNTTの営業所に行ったり、家の増築問題の相談ごとで友人に会ったりでウロウロ。
事務所では、郵便物の整理や送られてきた新年会や賀詞交歓会、また組合の旗開きの案内などの日程を新しい手帳に書き込む。同じ時間帯に重なったり、一日4ヶ所もあったりで毎年のことながらゾットとする。肝臓が持つかいな?
夜は、事業系のゴミのリサイクルをしている緑の会のメンバーと忘年会。
12月20日 (金)
地元の元電気屋さんの友人にわが愛車にスピーカをつけてもらうべくお願いをする。街頭宣伝をもうすぐ始めるぞ!
昼すぎ、ドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」の女性監督山崎博子さんが京都に来たので、フレンズワールドカレッジで映画を勉強をしようとしている米国人の女子学生らとお好み焼きを食べながら、久しぶりに京都弁の英語で映画談議。最近は、映画館へ行くことはほとんどないが、学生時代はよく見に行ったものだ。「スケアクロウ」は好きだった映画のひとつ。最近はテレビで娯楽アクション映画ばかり。
午後は、議員団室で議員団ニュース26号の作成。この市会は平穏に終わったので、顛末記もなしで、意見書や決議を貼り付けるのが中心。中村議員が議員団を離脱したことについて「すっきりした」と書こうと思ったが、やめといた。ともかくこれで26号になった。週明けには庁内を配布するつもり。
夜は、来春の決戦に向けて事務所スタッフの忘年会を韓国料理の店「新羅」で焼肉を食べて気勢を上げる。
●12月21日 (土)
雨模様の土曜日。妹分の北岡ちはる府会議員に連れられて、告別式に一箇所。
「ストップザ温暖化京都市民会議ー北ブロック会議」に遅れて参加。円卓会議風で、小学校での取り組みや自転車タクシー(ベロタクシー)、環境体験学習の実践や生ゴミたい肥づくり、廃食油の回収や低公害車の導入など様々な市民の取り組みが報告されて、ぼくが行った時は、その報告が終わり総括的な話がされている時であった。環境問題に取り組む市民は随分多くなってきたと思う。地球温暖化防止という大きな課題に一人一人の市民がどう実践するのか。また自治体の役割は、どうあるべきか、色々と勉強になる。2月22日にはシルクホールで市民会議宣言が採択される予定。
夕方、京都市埋蔵文化財研究所労組、京都ユースホステル協会職員組合、京都市交響楽団音楽家労組の3組合が京都市関連労働組合連絡会を結成したのでその発足式。いずれも文化首都京都を担っている大切な仕事。友人たちも多く、激励の弁。
その後、高野川ライオンズクラブの例会に久しぶりにカミさんと参加。少人数でアットホームでくつろぐ。
12月29日 12月22日(日)~29日(日)分掲載
●12月22日 (日)
昼は、祖父が創業し弟が経営している鈴木マイクロ研究所の会議。IT時代の経営をどうしていくのかを議論。
夕方は、わが議員活動15周年のパーティに友情出演をしてもらったリファダンススクールアリランの10周年記念パーティ。韓国の民族舞踊やダンスや歌など賑やかな出し物。娘さんがプロの歌手を目指している。
●12月23日 (月)
連休。新事務所に電話回線を引いてもらう。年明けにはオープンする。昼、埋蔵文化財研究所の労組の関係者が来所。財政難で経営の危機にある埋蔵文化研究所の存続のために労働組合としても様々な提案をすることで、難局を乗り越えたいという。彼らとの付き合いも10年をこえる。応援したい。
忙中閑あり、昼下がり、友人の家でピアノのホームコンサート。1939年にドイツで製作されたというグロトリアン・シュタインブエッグという由緒あるピアノを久下真理さんが演奏。たまに音楽を聞くと心が癒される。またワインを飲みながら友人たちと歓談。
夜は事務所にこもって市民派議員レポート新春版の原稿書きや事務所の資料の整理。
●12月24日 (火)
連休明け、11月市会定例会の報告である議員団ニュース26号を年末の挨拶がてら、市役所内の組合や各局に配布。
京都市役所は本庁舎に西庁舎に北庁舎に消防庁舎があり、周辺のビルに間借りしている課もあり、市役所機能としては政令指定都市で最低だろう。各局の部屋の中を歩くのも至難の業。ぼくの机の上もひどいものだが、書類がいたるところに山積みされていて執務環境は最悪。
京都市役所は昭和の初期に建設されているのだが、老朽化して狭隘で、数年前に新庁舎整備問題について審議会が設立され(ぼくも委員だった)議論をしてきたが、財政難もあり積立金もなくなって目途も立たない状況。なんとかしなアカンで。
夜は、クリスマスイブにもかかわらず、事務所で雑務。
●12月25日 (水)
左京区は北部の静原の特別養護老人ホーム静原寮の増築竣工式。定員50人が増床された。松井副市長、議長、副議長に厚生委員会の委員や地元左京区選出の議員が来賓で紹介される。
夕方、日韓合作映画映画「白神渡海」上映実行委員会のスタッフのお疲れさん会。仲尾宏さんの快復祝いも兼ねて学生時代からの友人角替府会議員らと鍋を囲む。上映実行委員会を立ち上げたのは、京都で撮影が行われた昨年の夏のこと。以来、1年半。紆余曲折色々とあってこの春に映画は完成したが、それからも色々とあって実際に準備にかかり始めたのは9月の初旬。多くの方に協賛、ご支援いただいてこの11月16日に日韓市民交流年ー京都ジャパンコリアフエスティバルと銘うって上映することが出来た。来ていただいた方、賛同していただいたみなさんに感謝。これで、映画「白神渡海」のことはすべて終わった!
●12月26日 (木)
朝、大文字山は雪化粧。午前中、用事でおふくろと四条に出ると騒然としている。事件発生!四条烏丸の京都中央信用金庫に人質とともに男が篭城。テレビ局の中継者は来る、ヘリコプターは飛ぶの大騒ぎ。野次馬気分で暫し見物。バブルがはじけて、不況が長引き人心が荒廃してきた。
午後、事務所設営のことなど打ち合わせ。また議員団室では資料が山積みになっているぼくの机やロッカーの資料を整理、いらなくなった資料を捨てる。これで、議員団室では仕事納め。
夜は歳末警戒にがんばっている消防団を激励に回り始める。この時期のぼくの恒例の仕事。養正、北白川、浄楽、東山錦林、聖護院、川東、新洞、吉田、養徳分団を左京区長らと前後して回る。消防団のみなさんは仕事の後、25日から30日まで地域を巡回する。最後に行った養徳消防分団ではいつもおいしいうどんをご馳走になる。今年の左京区の火災の件数は29件。昨年より2件多いとのこと。ほんまにご苦労さんです。
●12月27日 (金)
朝、友人に連れられて、小雪が舞う滋賀県は坂本の比叡山麓の南善坊に。比叡山の千日回峰行を達成された光永覚道阿闍梨さんに初めてお会いする。荘厳なお堂には雪が積もり、琵琶湖が見渡せる。お茶をいただきながら、様々なお話をうかがい、パワーをいただいた。
夜、左京区は北部の消防分団回り。雪のちらつく市原野、鞍馬、静原、大原、八瀬、上高野、修学院を回る。江文峠では5cmほどの積雪。妹分の北岡ちはる府会議員と回ったが、途中彼女は溝にハマッテ、リタイヤ。大したことはなかってよかった。寒かった!
●12月28日 (土)
相談ごと2件。不登校の子供たちのためにフリースクールの開設の話と貸家の家賃滞納のことなど。熊野神社の新事務所にパソコンなどの必要な備品の引越しの作業も一段落。
夜は、消防分団回りの3日目。葵、松ヶ崎、岩倉北、岩倉南、明徳、修学院第2消防分団を回る。松ヶ崎では美味しいうどんをいただいて暖まった。
帰途、一乗寺の喫茶「のん」に立ち寄るとライブ中、マスターが自作の詩を歌っていたのには驚いた。精華大学の女子学生の歌もよかった。1月19日(日)には、わが友人の豊田勇造のコンサートもあるよ。
●12月29日 (日)
百万編の事務所と熊野の新事務所を行ったり来たり。午後、行きつけの「ひげ床」で散髪。肩を揉んでもらうのが至福のとき。若い時は黒髪が山ほどあったのに、ほんまに寂しくなった。
夜は、環境問題や平和運動などに取り組んでいる市民運動の交流パーティー。新社会党や社民党に共産党の議員も何人かいて呉越同舟。水と緑の会のメンバーなど久しぶりに会う友人と談笑。そやけど平均年齢が高くなったよ。
それから次に立命全共闘世代の忘年会。八幡市の上谷耕造議員、高槻市の岡本嗣郎議員も参加。みんなおっさんになった。2次会にも行って痛飲。
●12月30日 (月)
久しぶりの二日酔い。百万遍の事務所の掃除。色々な資料などに目をとうして、いらないものは捨てる作業。
99年の秋に自死した北沢恒彦さんの遺稿集「隠された地図」の子息の黒川創がまとめた年譜を読む。北沢さんは、ぼくが鴨沂高校在学中からその伝説を聞いていた人で、1960年代後半の京都ベ平連のデモで出会い、1968年夏の京都国際会議場での「反戦と変革に関する国際会議」では、事務局としてぼくは彼にこき使われた思い出がある。以降、「家の会」や「思想の科学」や「山脈の会」や岩国の反戦喫茶「ほびっと」など、色々なところで一緒だった。自死される直前、百万遍の交差点で偶然あったのが最後の別れだった。あれから3年余。
夜10時前、地元の吉田消防分団へ。左京消防署長と消防団長が激励の巡視に。地元の自主防災会のみなさんも激励に。女性消防団員のみなさんから温かいにゅう麺をいただく。その後、もうひとつの地元の聖護院消防分団を訪問し、打ち上げに合流。お疲れさんでした。この1年の京都市内の火災件数は328件、左京区は29件だった。
●12月31日 (火)
熊野の事務所でパソコンに向かうがドリームウエーバーが稼動しないので元インターンの学生に来てもらって設定をしてもらう。
その後、パソコンに向かって市民派議員レポートの新春版を年明けに発送するべく住所録のチェック。この1年藤本敏夫さんや「山脈の会」の白鳥邦夫さん、そしてわが地元の応援団の日和正一さんら亡くなった諸先輩が何人かおられる。残念だ。ご冥福を。
夜は、テレビで「猪木ボンバイエ」を見る。ビースト・ボブ・サップの試合は、もうちょっと高山に反撃して欲しかったと思うが、壮絶だった。
紅白を見て、年越し蕎麦を食べて近くの真如堂へ。81回目の除夜の鐘を撞く。その足で吉田神社へ初詣。5期目の当選を祈願!来年もがんばろう!帰宅したら午前1時をまわっていた。
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