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鈴木マサホひとくち日記 |
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●1月 1日 (水)
元旦の朝、吉田神社の歳旦祭に出席する予定が起き上がれず。
昼前、家族で白味噌の雑煮でお祝い。デカイ頭芋には、いつも難儀するよ。
午後、友人・知人からいただいた年賀状に目を通す。およそ600通。それぞれの消息を知ることが出来てうれしい。ぼくは、年賀状代わりに市民派議員レポート新春版を週明けに発送する予定。
パープルサンガが全国優勝!快挙だね。夕方、二人の弟家族もやってきて、親父とお袋もそろって正月の宴。娘や姪とトランプをして遊ぶ。大正8年生まれのオヤジも大正15年生まれのお袋も元気で何より。
●1月 2日 (木)
従姉夫妻と昨年結婚した長男夫婦がわが祖母の墓参りを兼ねて来宅。祖母が亡くなって17年。痴呆で5年間ほど寝たっきりだったが、ぼくはおばあちゃん子だった。
従姉夫妻は仕事でヨーロッパ生活が長かったが、スペインはバルセロナでの世界歴史都市会議に参加した初めての海外視察の途中、ブリュッセルに立ち寄ったのはもう10年前のこと。当時の市長は田邊朋之さんで歴史都市会議の議長をされたが、昨年末に田邊さんは亡くなられた。ご冥福を。ベルリン、ケルン、パリ、バルセロナなどを一人で歩いたヨーロッパ視察記を今は廃刊になった「現代人」に書いた。そのことを思い出した。
夕方事務所にて「ひとくち日誌」の打ち込みやメールでの年賀状を拝読。メールをいただいたみなさん、ありがとう。
●1月 3日 (金)
午前中、みぞれ模様、吉田氏子講社の新年の理事会。わが家は代々吉田の氏子でお墓は吉田神葬墓地にある。講社長の鈴鹿隆男さんは、ナカニシヤ出版から「吉田探訪誌」を出版されているが、労作である。年頭に当たってのご挨拶は、いつも含蓄に富んでいる。
ぼくは、地元の長老のみなさんに新年のご挨拶、「選挙、がんばってくれよ」と言われて嬉しい。前回ぐらいから地元のみなさんに応援してもらえるようになった。
昼過ぎ、フリースクールを設立しようとされている方のお宅にうかがい、おせち料理をいただきながら、退職された先生方らと教育談議。不登校の子供たちに居場所を作りたいと夢をもっておられる。協力をするつもり。
夜は、近くに住む鴨沂高校の同窓生、西川兄弟と近くのお好み焼きやで一献傾ける。高校時代の思い出話や友人たちのことや京都の景観・開発問題など話題は尽きない。正月の三が日は、ゆったりと時間が流れた。
●1月 4日 (土)
昼前から熊野の事務所にこもって、パソコンに向かう。市民派議員レポート新春版を送る準備のために住所チェックを継続。本を読む時やパソコンに向かう時は、20代から乱視で最近はとみに老眼も進んできてメガネをかけているのだが、ほんまに疲れる。そやけど便利になった。最初の選挙の時はカードを作って一枚一枚確認しながらやっていたもの。パソコンに住所を打ち込む作業を手伝ってくれるボランティア募集します。
新年、新事務所の最初の来客は、東山区からこの4月に初挑戦するホープ、中野洋一くん。彼は、前原衆議院議員の秘書を6年やってきた好青年。ママチャリの前に大きな顔のポスターを貼って東山区内で街頭演説を展開中。あのひたむきさが奇跡を起こしそう。東山の皆さん、応援してや。
深夜、新日本プロレスの東京ドーム大会を見る。新日本プロレス、愛と憎しみの30年、若かりし頃の猪木の勇姿に、ぼくもパワーがみなぎる。
●1月 5日 (日)
中央市場第一市場の初市式。
開式の前に水産棟や関連棟を歩いて知人たちに新年のご挨拶。ぼくは2度目の選挙に惨敗した後、初当選するまでの4年間、30代半ばに毎朝4時過ぎから昼過ぎまで中央市場で働いていた。モートラに乗ってデッチ車を引いてトロ箱を運んでいた。
初市式では、桝本市長の挨拶があり、自民党の野中議員やわが民主党の福山・松井議員も出席。市民の台所を守る中央市場の役割は大きいが、量販店の進出と魚離れとデフレで廃業した仲買も多い。寂しくなった。
午後、四条河原町で民主党京都府連のスタートダッシュ街頭演説。京都から「反転攻勢」をかけるのだと福山、前原、松井、山井の若い国会議員が演説。昨年秋からぼくは副幹事長という立場になったので、寒いけれどビラ撒き。「冬来たりならば春遠からじ(?)」。負けへんで!正月休みも今日でお終い。
●1月 6日 (月)
仕事始め。今日から街頭演説を始める。
朝7時過ぎに起床、薄っすらと雪化粧。道路は凍てついている。寒い朝の街頭演説は、午前8時まずは熊野神社の交差点に立つ。大文字山が雪化粧で綺麗。この16年間の京都市政の変遷と今後の課題、環境問題や福祉の問題などおよそ30分近く演説。マイクを持つ手がかじかむ。出勤途中の知人たちや見知らぬ人が手を振っていただけると元気が出る。それから百万遍の交差点でも9時前まで大学問題を中心に演説。車のクラクションを鳴らして応援してくれる人もあり元気が出る。これから4月に向けて1月は週3回は朝の街頭に立つぞ。近隣の人には迷惑をかけるがご容赦を。
事務所スタッフのN君も今日から出勤。打ち合わせなど。また支持者名簿を最終チェックして市民派議員レポートの発送準備にかかる。相談ごとは、融資のことなど。
4月に向けて待ったなし。気合が入ってきたぞ。新事務所にぜひお立ち寄りください。
●1月 7日 (火)
早朝街頭演説の2日目。左京区の唯一のターミナル出町柳駅に立つ。
共産党の学生がマイクを持って演説をしていたが、意に介さずぼくもかじかむ手にマイクを持って、今朝のテーマは市会改革。この16年間、いかに市民に開かれた市会にするべく奮闘をしてきたか、またこれからの課題について30分演説。出勤途上のバスの中から手を振ってくれる人がいるとうれしくなる。
10時から左京区役所で左京区民賀詞交歓会。区長を始め区役所幹部、市政協力委員さんや各種団体の方々が集まり、尺八や琴の演奏、未生流の家元が生けられた花の紹介や日本舞踊などの催しとともに、府市会議員が紹介してもらえ、昆布茶で懇談。散会後、区役所の各課を歩いて職員さんたちにも新年のご挨拶。
午後は、新事務所の机や椅子を借りるべく知人宅に。
夕方から夜にかけてぼくは昨秋来、民主党京都府連の副幹事長ということで四役会に出席。福山、前原、山井、松井ら国会議員諸氏らとこの間の中央の動向や統一自治体選挙に向けての情勢分析など。いずれの候補も健闘しているが、もっとがんばらなアカンで。必死で頑張ったものだけが生き残れるのだ。
●1月 8日 (水)
早朝街頭演説の3日目は、高野の交差点で。今日のテーマは京都市の財政問題。財政非常事態宣言下の厳しい状況と国の財源委譲の問題など30分喋る。
午前中は、北岡ちはる府会議員の紹介でキングレコードの歌手、小宮恵子さんに会いご機嫌。彼女は、昨年、清水と東福寺、嵐山を舞台にした「京都紅化粧」という新曲を吹き込まれたので、そのプロモーションで、京都に来られた。産業観光局長や観光部長に面談。また京都会館の観光協会や友人のイベントプロデユサー、アクティブKの山本恵を紹介。
午後は、同時刻に催しが3箇所。京都水道労組の旗開き、自民党の国会議員諸氏らも一緒に歯科医師会の新年互礼会、厚生委員ということで京都市社会福祉大会にも顔を出す。到着したら来賓紹介の時、友人が表彰されていて再会を喜ぶ。
また「市長への手紙」の対応や生活保護世帯の家賃滞納問題について担当者と協議、
夜は自治労府本部の旗開き。民主党の府市町村議員候補者が勢ぞろいで一言挨拶をさせてもらう。舞台一杯に並ぶとなかなかのだ。
●1月 9日 (木)
早朝街頭演説の4日目、三日坊主にならなかったよ。百万遍の交差点で、環境問題について喋る。この16年間で京都市の環境行政は変わってきた。ごみ減量、分別リサイクル、また地球温暖化防止のことなど、30分の演説。
午前中、新事務所で雑務。借りてきた机などもそろい、事務所らしくなってきた。
昼一番、銀閣寺前の哲学の道の桜が伐採されているいう連絡で走る。道路に伸びてきた枝を安全対策のために水道局の指示で業者が剪定をしていた。桜の名所でもあり、説明もなくされた様子で怒っておられた。ちょっとやりすぎだという思い。担当者に電話をして事情を聞く。
夕方、新事務所の開設をしたので、ご近所へご挨拶に回りはじめる。
夜はわが応援団の自治労市職労の旗開き。桝本市長も挨拶に。連合京都の副会長は、この間の不祥事問題でお詫びの挨拶。立食パーティなので疲れるが、組合員さんたちと懇談。親しいメンバーと2次会。早朝から深夜まで我ながらようやるよ。タフでなかったらつとまらん。
●1月10日 (金)
なんと5日間連続で早朝街宣,本番並やで。三条京阪の自転車預かり所のおばさんとは顔見知り、もう4年ですか、えらい貫禄がつきましたね、と言われる。テーマは情報公開やパブリックコメント、市民参加と行政改革など京都市の自治体のあり方について演説。
午前中、韓国民団新春年賀交歓会。日韓合作映画「白神渡海」の上映でお世話になった方々にご挨拶。各政党の議員も参加して舞台で紹介をしてもらう。「クァセ アンニョハシムニカ」と韓国語であいさつをさせてもらう。
昼、335‐C地区2R1Zの新春合同例会。ぼくの属している京都高野川ライオンズクラブは少人数のメンバーで気楽におつきあいをしている。
議員団室では、水道局幹部と銀閣寺前の桜の伐採問題で説明を聞く。老木になって倒木の恐れがあり危険だということでの剪定だが、説明不足とちょっと切り過ぎだとぼくの考えを述べて善処を求める。また議員団ニュースの合本を出版する作業の準備。
夕方から夜にかけては自治労下京支部、自治労東山支部、そして情報労連の旗開きを掛け持ち。下京支部では抽選で景品が当たる。新年早々縁起がええぞ!といっても持っては帰らずに、もういちど景品になった。
●1月11日 (土)
朝、新年恒例の京都市消防出初式が岡崎公園で。雲ひとつない好天に恵まれ暖かくてよかった。市長、知事、市会議長らの挨拶、車両部隊、各区の消防署員、各消防分団、自主防災会のみなさんの行進に続き、少年や幼年消防クラブの子供たちも可愛いく行進、またカラーガード隊の演技にヘリコプターも上空を旋回しての訓練や大型ハシゴ車による一斉放水は見もの。京都市の火災件数は大都市で最も少ない。
昼は、議員団の初顔合わせ。散会後,山口団長ほか同僚に新事務所に来てもらう。最初のお客さん。
その後、伏見の砂川ゆうし議員を励ます新春のつどい。
さらに部落解放同盟京都市協議会の荊冠旗開きに。11月市会で補助金の使用を巡って市会決議をあげたが、当事者としてどう対応するのか、ぼくは注目をしていた。調査委員会を作って真相を明らかにするという。人権派として市民に共感を呼ぶ人権運動に出直すことをぼくは切に願っている。
夕方事務所で新年初めての選挙対策会議。事務所スタッフや地元の応援団の人、また推薦をしてくれた組合のメンバーなど参集してもらえる。今後の日程や選挙情勢など。いよいよ本番に向けてのスタート。
夜は環境交流パーティに参加。法然院の梶田住職や水と緑を守る会のメンバーらと懇談。高齢化が進んでいる。
●1月12日 (日)
午前中、吉田神社は大元宮で両大神宮(外宮・内宮)の本殿遷座報告祭に大元講社の一員として長老の皆さんらと参拝。大元宮には全国の神さんが祀ってある。2月2、3日の節分祭には、ぼくもお世話でウロウロしています。吉田の節分祭にぜひご参拝ください。
昼、女子駅伝の日、熊野神社の新事務所前で応援、テレビ中継に写らんかなと思いながら旗を振る。京都代表は惜しくも2位。
その後、京都会館での京都市少年合唱団の修了演奏会。わが娘が中学生時代にお世話になり、保護者会結成に努力をさせてもらった。点字を読みながらの修了生代表の挨拶に会場は涙。感動的な修了式であった。
それから母と学生の会の国際女子留学生センターの館長であった山本公子さんの1周忌で偲ぶ会に。20数年前に京都イングリッシュセンターで仕事をしている時に、留学生問題の調査をして以来の付き合いだった。1年前に亡くなった。ご冥福を。
夜は聖護院消防分団の出初式。消防団員のみなさんの表彰式と聖護院学区の各種団体のみなさんの新年会。新事務所を聖護院学区に設けさせてもらうのでご挨拶。2次会にも参加。
●1月13日 (月)
わが54歳の誕生日。馬齢を重ね、ええおっさんになった。目出たくもなし。午前中爆睡。
昼、恒例の須賀神社での聖護院学区のもちつき大会。50肩でいまだ杵は持てず、美味しいつきたてのお餅をご馳走になる。
事務所近くの岡崎公園の「みやこメッセ」での京都市の成人式を見学に。着物を着飾り白いショールを羽織った女の子や髪型に個性的な男の子が京都会館前にたむろ。ひとり酔っ払った新成人が道路上でひっくり返っていたが、乱闘事件もなく無事に終わった。友人の娘と記念写真。教育委員会やボランティアのみなさん、ご苦労さんでした。ぼくの成人式はなにも記憶がない。デモばっかりの20歳だった。
夜,地元吉田の学区民新年の集い。共産党の議員らと呉越同舟、同席で鍋を囲む。地元の学校の校長先生や各種団体、町内会長さんら60人ほどの集まり。ビールを持って注ぎに回りご挨拶。
●1月14日 (火)
連休明けの朝、街頭演説は熊野神社で。今日は、長寿社会問題。厚生委員会での議論を踏まえて、高齢化社会を向かえて介護保険制度のことといかに住み慣れた街で安心して暮らせるまちづくりをするか演説。
事務所近くの喫茶店でモーニングサービスで朝食をとってから、地元吉田を新春サロンのお知らせを持って、わが支持者宅を自転車で回り始めるが時雨模様で肌寒い。学生時代のアルバイトで大丸の配達をしたことがあるが、そのときのことを思い出す。お留守のところはメモを残して、またご在宅のところは、久しぶりですね、頑張ってくださいと声を掛けられて、また勇んで次に向かう。
1年前に不慮の事故で亡くなった高校時代の同級生宅ではお線香をあげて冥福を祈る。
夕方、議員団室で明日の厚生委員会の段取りなどを聞く。夜、事務所で資料に目を通し、明日の厚生委員会の質問メモづくり。
●1月15日 (水)
朝、雪が降る。真っ白になりながらメゲズニ街頭演説は百万遍で。阪神淡路大震災の教訓から防災対策について演説。3年前には建設消防委員会の委員長をしていたので、地震対策や防災について消防局のみなさんから色々と学び議論をしてきた。左京区内には花折断層もあり危険地帯。17日の早朝には、鴨川で訓練もある。見学に行くつもりだ。
年明け最初の厚生委員会。
環境局とは、東北部クリーンセンターの公害防止協定についてと昨年末に参加したストップ・ザ・温暖化京都市民会議ブロック会議の成果などを質疑。
保健福祉局からは、京都民医連中央病院における細菌検査虚偽報告に係わる立ち入り検査などの実施状況、京都市高齢者保健福祉計画・介護保健福祉事業計画の検討状況について報告があり、質疑。
請願審査では、乳幼児医療制度の充実、介護保健制度の改善などの請願は留保。
「アレルギー疾患を持つ子供たちへの対策の充実」の陳情には、共産党、自民党の議員とぼくが発言。10年前の医者出身の田邊市長の時代にアトピー対策について本会議で取り上げたのは、僕が初めて。今回の陳情を受けて、特に保育所においての対応状況が分かる資料やアレルギー児の実態調査、アレルギーや除去食に対する正しい知識の啓発などで質疑をした。アナフイラキシー・ショックの子供たちへの対応も大きな課題だ。「できることから始めたい」という答弁があった。保護者の願いを聞き入れてしっかり対策を練ってほしい。
夕方は、自治労南支部、自治労建設支部の旗開きを掛け持ち。自治労建設支部の集いでは組合員さんや建設局、都市計画局の幹部も来賓で来られていて、色々と楽しく懇談。深夜、新春レポートの発送の準備と民主党京都府連の統一地方選挙に向けての政策のメモを書く作業で、未明まで。
●1月16日 (木)
朝、起きれず。朝の街頭演説はサボル。ちょっとゆっくりして雑務。
事務所では、かみさんやスタッフが封筒詰の作業。ボランティアでお手伝いしていただける方、ぜひ事務所に来て下さい。昼から、地元吉田を挨拶回り、また区役所で市民相談を受けていたことで担当者と懇談。
この正月に亡くなった松井孝治参議院議員のお兄さんの告別式。多くの参列者。51歳の若さで逝去された。
夕方、自治労上京支部、自治労経済支部の旗開き。参加者の中に同級生の娘さんがおられてびっくり。その後、議員レポート新春版の発送作業の追い込み。プリンターの調子が悪くスタッフは悪戦苦闘。メールニュースの発送も始める。
●1月17日 (金)
阪神淡路大震災から8年。
凍てついた寒い朝、7時から鴨川は北山橋付近の堤防で左京区と北区の消防団の震災特別消防訓練。少し寝坊したので終わりがけだったが、消防団の皆さんを激励に回る。あの大惨事から8年、記憶は風化しつつあるが、市民の生活を守るための地震に備える防災対策は、自治体の責務でもある。
終了後、北山駅で30分間、地震・防災対策をテーマに街頭演説。知り合いの個人タクシーの運転手さんや出勤途中の知人に声をかけてもらえると嬉しいで。
市民相談ごとは3件、宅地開発、西京極のアクアリーナのスケート場の団体使用の問題、銀閣寺の関雪桜の伐採問題。西京極にプールが昨年オープンした。冬やスケート場になっているのでぜひ行ってください。合間に地元を回る。
夕方は、自治労市職の支部の組合の旗開きが同時に4箇所。山科支部は山科ブライトンホテル、左京支部は京都ホテル、衛生支部は国際ホテル、北支部はプリンセスホテル。衛生支部には桝本市長の似顔絵のポスター。450人の参加者で大盛況。4つのホテルをハシゴしたが、ゆっくり食べることもなく(もうパーティ食には飽きた!)、近所の食堂でお茶漬けを食べてやっと落ち着いた。事務所ではスタッフ会議と発送作業が深夜まで。
●1月18日 (土)
昨夜、事務所で「ひとくち日誌」を書いて、市民派議員レポート新春版の発送作業とメールニュースを送る作業を黙々と一人でやっていたら結局夜が明け、完全徹夜。朝風呂に入って、新幹線で久しぶりの東京へ。
2003年度の民主党定期大会に京都府連自治体議員代表者として特別代議員の資格で参加。
民主党はこの間ゴタゴタが続いたが、菅直人代表・岡田幹事長体制になってようやく落ち着いた感じ。菅代表は、経済・雇用対策を中心に所信を述べ、原点に戻って「反転攻勢」に打って出ると決意表明。来賓挨拶で自由党の藤井幹事長、土井たか子委員長、笹森連合会長らが挨拶。藤井幹事長の話が一番面白かった。土井委員長の演説を聞いたのはほんまに久しぶりやな。お元気そうで何より。岡田幹事長は、朴訥な喋り方で、それなりに好感は持てたが派手さがない人や。京都府連の坂田幹事長ら6人の代議員が質問ないし意見表明をしたが、ともかくしっかり頼むで。中央の国会議員のゴタゴタが我々統一地方選挙の候補者に直撃するのだ。ほんまに政権交代を目指すのなら、我々自治体議員の声も聞けよ!
●1月19日 (日)
ホテルで昼までひたすら寝る。
まわりを気にすることもなく、群集の中の孤独を楽しみながら昼下がりの新宿をぶらつく。
学生時代、新宿には10・21国際反戦デーやフォークゲリラやベ平連のデモに参加してよく行ったものだ。あれから30年余、都庁をはじめ高層ビルが立ち並び風景は一変したが、雑踏は変わっていない。このまま新宿の闇に消えようかと思ったり、東京ドームにプロレスを見に行こうとも思ったが、自由気ままにもイカズ、夕方の新幹線で帰京。ちょっとした息抜きになった東京行きでした。
●1月20日 (月)
朝の街頭演説は百万遍で民主党大会の報告と経済・雇用問題。
午前中、近所を新春サロンの案内を持って挨拶回り。
昼、時の人、ノーベル化学賞を受賞された島津製作所の田中耕一さんが社長とともに市役所に。京都市民市民栄誉賞の表彰式。各新聞社やテレビカメラが入って、市役所前広場や第一応接室は大騒ぎ。議員団理事ということで議長や各会派の団長、財政総務委員会委員らとともに同席。市長から表彰・記念品の贈呈の後、田中さんは、「何も聞いていなかったもので」と首をかしげながらも素敵な挨拶をされた。京都に明るい話題を提供していただいた。握手もしたよ。
その後、自民党の長老議員の呼びかけによるスカウト振興議員連盟の準備会。息子が小学校時代にボーイスカウト24団にお世話になった。デンダッドも経験したし、今は育成会の会員。で、ぼくは副会長ということになった。
議員会では、諸般の報告、また教育委員会から府の教育委員会が提案した洛北高校の中学校設立問題について経過報告を聞く。府教委は何を考えてるのか、不可解だ。その後、本会議場で12人の議員団で写真撮影。議員団ニュースの合本縮刷版を発行の予定。
夕方「住みよい京都をつくる婦人の会」の懇談会。35年前の富井市長の時代に結成されたこの会は、高齢化が進んでいるが、元気に環境問題など市政の発展に取り組まれている。各区の幹部も来られていて挨拶。
●1月21日 (火)
予定していた朝の街頭演説の交差点に行くと自民党の若い府会議員候補が、次のところでは共産党の府会議員が頑張っていたので、急遽、北山駅前で京都の観光政策と交通問題について演説。わざわざ車を止めて「がんばってや」と声をかけてくれる人も。うれしいね。
昼前には自民党の長老も珍しくマイクを持ってわが事務所横で演説したので冷やかしに行く。もう本番並や。
今日は、特に委員会も行事もなかったので、支持者宅に市民派議員レポート新春版を配布しながらのご挨拶の一日。久しぶりに顔を会わせる人も。自然食品の店「菜の花」では多少喋りこむ。また途中、相談ごとは歴史ある旧家の屋敷の保存についてや養護学校の入学、また食堂の経営が行き詰まってどうしたらよいかという話。
ところで、昨日、横綱貴乃花が引退のニュースが駆け巡ったが、貴乃花の土俵人生はちょうど15年だった。考えてみれば、ぼくが初当選した翌年に角界入りをしている。30歳で引退というのだから驚く。ぼくは寺尾関のようにまだまだ粘るで。ひとつの時代が終わった。大相撲はこれからどないなるのや。
●1月22日 (水)
朝の街頭演説、まず高野の交差点では、教育問題について喋り、また京都大学前の東一条では、大学と京都市の連携の問題について語る。毎回テーマを決めて話しているが、日頃ぼくの考えていることを整理するにもいい機会だ。こんなテーマで演説したらええで、というアドバイスがあればメールで投稿してください。
その後は、市民派議員レポートをもってひたすら支持者宅周り。何軒回ったかは企業秘密だ!わが師の一人である京大名誉教授、飯沼二郎先生宅に半年振りにお邪魔する。昨年は体調を崩されていて心配をしていたが、随分元気になられた様子。ほっとした。ポスターを貼らしてもらう。
昼は、わがホームページのリニュアルをしてもらっている立命館大学の大学院生と昼食。近日中にわが15年の活動の記録のビデオがホームページに載る予定。お楽しみに。
夜は、自治労中京支部と自治労公室支部の新年の集い。公室支部には、歴史資料館や京都芸術大学を含む総務局、総合企画局、市会事務局、監査事務局、選挙管理委員会、人事委員会、会計室のメンバーが揃い、市政の色々なことを話せるチャンス。若い職員やまた理事者の皆さんと懇談。
●1月23日 (木)
朝、目覚めたら雨。天の恵みか?濡れて風邪をひいたら元も子もないので街頭演説は中止!1時間ほど寝坊。
昼前からひたすら支持者宅周り。もうあれから16年です、と行く先々でご挨拶。亡くなった方が二人おられて愕然とする。また昨年亡くなった方のお宅ではお線香をあげさしてもらう。
地域を回る、これは市会議員にとって怠ってはいけないことだ。挨拶がてら様々な相談ごとや市政に関しての要望、ご意見を聞く機会。いわば市政相談の御用聞きみたいなもの。私道の舗装や融資、児童館の設置、、また市バスの系統の改善を求められたり、様々な市民要望を聞きながら、歩いている。
夜は、ゴミ収集や道路管理や公園管理の公共市民サービスを担っている京都市の現業職員さんたちの組合、自治労現業評議会の新年の集い。ビンゴゲームで盛り上がる。
●1月24日 (金)
朝の街宣は、京阪丸太町駅。北山が雪化粧して鴨川を吹き抜ける風が冷たい。テーマは同和行政とこの間市会でも決議をあげた運動団体の補助金の不正使用について、また外国籍市民施策のことも触れて人権文化の構築について喋る。
10時過ぎから挨拶回り。岩倉では雪が舞う。わが師、哲学者の鶴見俊輔先生宅にも立ち寄って選挙葉書の推薦人になっていただくことをお願いし了解してもらう。先生に出会って35年。
事務所ではスタッフが明日の新春サロンの会場つくりで右往左往。
夜は同じ時間帯に解放同盟錦林支部、京交を育てる会、府本部現業評議会、解放同盟田中支部の新年の集いを回る。同盟の荊冠旗びらきでは、今回の補助金不正使用問題について言及して、友人として市民に共感を呼ぶ運動への再出発を訴える。
1月25日 (土)
恒例の新春サロンの日。
午前中、屋根に残雪が残る市原野へ。市原野児童館の開設記念式典に参加。東北部クリーンセンターが稼動したことによる地元への便益施設として消防団の器具庫と合築の地域コミュニティーセンターの施設を兼ねて地元住民待望の児童館がオープンした。日当たりも良く広場も大きく子供たちも喜ぶことだろう。2階にはクリーンセンターから排出されるガスの大気汚染の測定のための観測機器が設置してあってデータ-を取れるようになっている。公害防止協定に基づいて今後は地元住民の健康調査なども実施されることに。
午後2時から、熊野の新しい事務所で「鈴木マサホと21世紀の京都を語ろう!新事務所のお披露目を兼ねて恒例の新春サロン」を開催。
2時過ぎには桝本市長自らご参加いただいて乾杯をお願いする。30席の椅子席を用意したが、開始時から立錐の余地もない超満員の賑わい。地元聖護院、吉田のみなさんをはじめ左京区在住の支持者の皆さん、労働組合、市民運動、市会で議論をしている市役所の幹部の友人、遠くは三重県からソプラノ歌手の渡辺千賀子さんら、人の出入りは切れることなく、なんと200人の友人たちが狭い事務所での新春サロンにご参加いただいた。
入れない人もいたし、ゆっくりしていただけなくて申し訳なかった。終わったのが午後8時。6時間に及ぶマラソン・サロンでした。ご参加いただいたみなさん、またスタッフのみなさん、ありがとう。
●1月26日 (日)
今日は、日曜日、早朝街宣もなし。昨日の新春サロンの心地よいよい疲れで昼まで寝る。
昼過ぎ、ボーイスカウト24団の創設者の村島文ニさんの告別式で平安女学院の教会に。長男がボーイスカウト24団のカブスカウトでお世話になってぼくはデンダッドもしたこともあり、今は育成会の会員。村島さんの「ひとつ笑おうか!」と大いにみんなで笑うのを思い出しながら献花をした。
次に、「人民の星」の新年の集い。毎年夏に「原爆展」を開催し「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を一緒に歩いた友人たちや劇団「はぐるま座」の人たちと一緒に「インターナショナル」を久しぶりに歌う。
夜は、同じ時刻に、前原誠司衆議院議員の後援会新年会と浄楽消防分団の出初式。前原衆議院議員の後援会の新年の集いには千人を越える参加者。民主党の国府市町村会議員候補が勢ぞろいで紹介してもらう。小宮悦子参議院議員もご参加されて賑わう。ぼくは左京区の後援会の皆さんのテーブルを回ってご挨拶。 千人を越える参加者のパーティは壮観だ。
●1月27日 (月)
朝の街宣は洛北高校前。穏やかな朝、市バス地下鉄など京都市の交通政策と上下水道事業のあり方について演説。ぼくは京都市政全般に政策を提言できる議員でありたいと思っているので、委員会の所属にはこだわっていない。この16年間、各委員会での質疑や本会議での代表質問で勉強してきた政策をこれからも生かして行きたいと思っている。
午後市役所に。自民党の長老議員の呼びかけで発足することになった「京都市会スカウト振興議員連盟」の結成式。長男が24団のカブスカウトでお世話になり、ぼくは今も育成会の会員としてボーイスカウト24団に係わっているので参加することにしたのだ。ボーイスカウトやガールスカウトの連盟の代表者も参加され、教育委員会も交えて、自民、公明、民主の有志の議員が集まり、副会長に就任した。
その後、風致行政について担当者と協議。夜は、某組合の幹部の方と懇談。
●1月28日 (火)
朝の街宣はホームグランドの百万遍で、市会のあり方と少子化対策と保育行政についてついて演説。
午前中は、人生相談。昼はわがポスターのデザインをしてくれた造形芸術大学の学生さんと昼食。
午後は、風致保全課の担当者と市民との協議に同席。京都は、歴史都市として風致行政が確立されてきたが、和風建築のあり方とタイルの張り方について延々と協議。欧米風の建築物を希望する市民と和風建築を推進する京都の風致行政との兼ね合いはタイルの色の問題でも議論になる。
夜は、留学生の問題について相談を受ける。1978年、今から25年前、ぼくは仲尾宏さんのもと京都イングリッシュセンターのスタッフとして,京都で初めて民間研究機関として留学生にアンケート調査をし、国際交流を考えるシンポジウムを開いた。テレビにも出た。当時の留学生は300人。今はその10倍の3000人。当時の資料は、今も読み応えがあるよ。コピーありますので、ご希望の方はご連絡を。
●1月29日 (水)
今冬一番寒い日、出町柳で街頭演説。路面は凍結し、転倒する自転車やバイクが何台も。テーマは自治体のあり方、市民参加や情報公開、パブリックコメント制度や行政評価システムや住民投票について。
厚生委員会の視察で、西京区は桂川園を視察。高齢者と障害者の施設として公設民営の運営。近くの小中学校や地域との交流が活発なところ。入所者のお年寄りの様子や風呂場などを見学。
午後、某組合に協定書を持って行く。夜は、事務所で選挙対策会議。いよいよ4月の本番に向けて気合が入ってきた。選挙情勢や今後の日程や諸課題について議論。地元や組合の応援団の人たちと議論。4年前は最下位だったので、今度はなんとしてもAクラスでの当選が目標だ。がんばるぞ!
●1月30日 (木)
今日も寒い朝、熊野神社で街頭演説。話題は、わが生まれ育った左京区のこと。大学も多い学問と文化のまち、自然環境が豊かで、地域コミュニティーも活発な左京区の今後の課題など様々な観点で演説。
昼は、富井市政の時代に発足した「住みよい京都をつくる婦人の会左京支部」の新年の集い。支部長の野口寿美子さんはなんと90歳。今も元気!元気!その元気さには驚く。娘さんはディレクターの和田勉さんの奥さんでデザイナーの和田エミさん。
午後は、山井和則衆議院議員と次回の衆議院選挙にあの野中さんに対抗して立候補予定の北神圭郎さんらと民主党京都の統一地方選挙政策の協議。続いて民主党京都府連の四役会議、南区の府会議員候補にわが友人、アクティブKの山本恵君を推薦することを決定!彼とは30年来のわが悪友、友人のみんな、応援してやってや!ケイ、がんばれよ!
夜は、連合京都、再出発の旗開き。「きょうと連合」の不祥事はあったが、働くものの権利や雇用を守るために一から出直しだ!しっかりたのむで!それから若さが一杯の自治労教育支部の旗開き。さらに民主党2区総支部の幹事会。選挙状況や取り組みの方向性を相談。その後、山科区の府会議員候補、井上隆夫さんを励ます。
●1月31日 (金)
東山仁王門で朝の街頭演説。経済と観光政策について喋る。先の見えない不況からどう脱出するのか。小泉政府の失政で、責任は重大だ!
左京土木事務所に簡易舗装用のアスファルトを取りに走り、北白川の友人宅に運ぶ。私道にあいた穴を埋めるには、この方法しかない。これぞまさにドブ板議員。
午後、議員団室で、近日中に発行予定の「民主・都みらい議員団ニュース合本」の編集作業。
夜は、自治労清掃支部の旗開き。各まち美化事務所の組合員さんら若いメンバーで活気がある。冒頭に組合員3人による「ゴスペル」のコーラスがあり感動。環境・ごみ行政の先端に立つ彼らの役割は大きい。みんながんばってや!
それから西京区役所の自治労の旗開きで挨拶だけして、次に、埋蔵文化財研究所労組の学習会の後の交流会に。学習会のパネラーだった新聞記者さんらも参加していて、今後の埋蔵文化の活用などについて盛り上がる。
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