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       鈴木マサホひとくち日記 
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2003年4月

                 



●4月 1日(火)
今日から4月。朝の街頭演説は、国道367号線に面して宝ヶ池のところで演説はしないで朝のご挨拶。

午前中、新しく設立された市民環境研究所の石田紀郎さんらにご挨拶。午後、ある労働組合の幹部と一緒に左京区の組合員宅を挨拶廻り。夕方は市原で宣伝カーの中から、夜の市政報告会の案内をマイクを持ってする。

午後8時から市原の神宮寺で北岡ちはる府会議員をゲストに「市政報告会」。東北部クリーンセンターの建設に係わり、自治連の役員の参加者から忌憚のないご意見をお聞きし、議員の役割を痛切に反省する場になった。これで3月12日の熊野神社から、岩倉、静原、下鴨、吉田(2箇所)、大原、市原と結局8箇所で報告会を開催することができた。それぞれの地域の諸課題について学ぶことが出来て有意義だった。


●4月 2日(水)
松ヶ崎の簡易保険事務センター前で、朝の街宣。組合の役員の方が激励に来ていただける。事務所には人事異動になった市役所の幹部が異動の挨拶に来られる。そして本番を控えて事務所でスタッフと色々なことを打ち合せ。スタッフは今まで貼っていたポスターを取り外しに回ったり、4000枚出せる推薦ハガキの出し方(府会候補は8000枚)や、選挙届け出書類の確認をしたり、演説会の日程や応援弁士の確定など選挙に向けて諸準備であたふた。プロ野球やメジャーリーグも開幕したが、我関せず。

夜は疲れもピークに達していたので、近くの整体院で体をほぐしてもらう。


●4月 3日(木)
朝の街頭演説は地下鉄松ヶ崎駅、妙法の山の木々も芽を吹き始めた。1月6日から始めた朝の街頭での市政報告も今朝が最後、春の風が嬉しい。明日からいよいよ選挙本番、新聞記者の取材や陣中見舞いに来ていただく友人との応対など、右往左往。事務所も盛り上がってきた。

出陣式のスケジュールや公営掲示板のポスター貼り部隊や諸々の選挙グッズの確認、ウグイスさんや選挙車の運転手さんの調整などつめることは多くある。ここまで準備してくれた事務所スタッフに感謝。明日からは街頭で訴えるのみ。早めに帰宅して就寝。


●4月 4日(金)
京都市会選挙告示。曇天、出陣式が9時から。地元の支持者や労働組合の友人ら80人の駆けつけていただく。中原さんらの出陣太鼓。わが後援会会長の柿阪正夫元吉田体育振興会会長や前原衆議院議員の激励の挨拶を受け、いざ出発。毎日新聞の取材もあり熊野神社横の桜の下で第1声。地元の吉田、聖護院を中心に浄楽、岡崎、新洞、川東、松ヶ崎を回る。

昼前から小雨模様、街頭スポット演説を百万遍や観光客で賑わう銀閣寺交差点、また夕方は簡易保険事務センター前でスポット演説、夜は7時から松ヶ崎のアピカルイン京都で、最初の個人演説会、参加者はなんと110人!!前原衆議院議員、松井副市長、松井孝治参議院議員に、北岡ちはる府会議員候補が応援弁士に。その後、岩倉の西村宅の北岡ちはる個人演説会に応援弁士で参加。50人の聴衆の前で応援の弁。幸先よし。


●4月 5日(土)
終日小雨模様で寒い。銀閣寺の哲学の道の桜は満開。福山参議院議員も応援に駆けつけてくれて、銀閣寺前で応援の弁。選挙車でマイクを持ちながら『市民パワーを市政に!4期16年の実績のある民主党の鈴木、鈴木マサホを宜しくお願いします』と養正、養徳学区などを廻る。

夕方には前原議員が選挙車に同乗してくれて下鴨、葵、松ヶ崎を廻る。夜は7時から錦林車庫東の日吉神社の参集殿にて個人演説会。高校時代の同級生や前原後援会のメンバーなど30人のご参加をいただく。


●4月 6日(日)
快晴の日曜日、春爛漫。選挙の春。花見客で賑わう銀閣寺前の哲学の道で青いジャンパーを着込んだわが陣営スッタフも結集しKBS京都と朝日新聞の取材を受ける。一乗寺、岩倉周辺を廻る。岩倉の府営住宅でボヤ騒ぎ。

午後、わが陣営10人ほどのメンバーで青い旗を立てて高野イズミヤ前、百万遍交差点などでスポット演説。夕方は岩倉周辺を演説会の呼び込み。花園公民館では20人の参加者で演説会。地元岩倉の西村清三さんらが応援弁士。


●4月 7日(月)
早朝、7時過ぎに事務所に行くと事務所前のガードレールが歪み、街灯が倒れかかっている。熊野神社前の交差点で事故があった。車が事務所前に突っ込んだ様子。事務所のドアのガラスにもひびが入っていてびっくり!ガードレールや街灯がなかったらえらいことだった。

メゲズニ朝の街宣は、熊野神社前で。手を振ってくれる人、クラクションで激励の合図を送ってくれる人など、うれしい反応で元気が出る。事故対策で警察を呼んで被害を申告したり、倒れかけた街灯のことで地元の人と相談したり。

その後、今日は一路北部へ。八瀬を通り抜け、大原は三千院と寂光院周辺を廻る。桜は蕾膨らむ程度。観光客の皆さんにはうるさくして申し訳ないが、これも選挙。お許しを。天気がいいので小出石から急峻な峠を越えて百井まで足を伸ばす。北山山中にあるのどかな山村。そしてまた大原を経由して静原へ。地域水道敷設のことなどを演説して、次は貴船に。地域水道のことで色々と相談に乗ってきたこともあって、知人が増えて、多くの方々がわざわざ玄関から出てきていただいて、激励をしていただける。なかにはコーヒーの差し入れもいただける。鞍馬でも同様に多くの方から手を振ってもらえる。元気百倍。

夕方7時から田中神社で演説会。応援弁士は、同志社の田中真人さんと精華大学の板倉豊さん。参加者は15人。途中で抜けてアピカルインでの北岡ちはる府会候補の演説会に応援弁士に走る。妹分のちはるちゃんをよろしくと訴え、ご参加いただいたみなさんに並んでご挨拶。


●4月 8日(火)
小雨模様。朝7時過ぎから百万遍交差点で手を振って出勤されるドライバーやバスの乗客に向かって手を振る。8時からはマイクを持って訴える。京大の新入生たちが初々しい。

今日は、雨の中、いややなと思いながらも予定通り、一路花背峠を越えて左京区の最北部へ。左京区の面積は大阪市と変わらない広さ。峠の手前では大雨。ガスがかかる。それでも車の中から「鈴木が立候補のご挨拶にうかがいました」とマイクを持ちながらゆっくり走る。杉の木立には残雪が残っている能見峠を越えて久多へ。ともかく集落を一回り。広河原にも立ち寄り、帰途も同じ道を通って花背峠を越えて鞍馬に着くと晴れて、ほっとする。鞍馬ではスポット演説。

事務所に戻ってきたのは4時頃。ほんまに左京区は広いよ。夜は、東山仁王門の満足稲荷社で演説会。新洞、川東学区の方などに来ていただいて会場は40人ほど。仁王門繁栄会の大野先生が応援弁士。またその足で、下鴨参集殿での北岡府会候補の演説会に走る。9時過ぎからは事務所にて拡大選対会議。情勢分析と後半戦の闘い方を議論。気持ちを引き締めて最後の最後までがんばろう!


●4月 9日(水)
寒い朝、出町柳駅前で朝の街頭行動をする予定が他の候補者に先に取られていたので、急遽百万遍でやった後,御池大橋にて演説。出勤途中の市の職員さんらから激励の声をかけていただき感謝。

その後、桜満開の一乗寺、修学院学区を重点的に廻る。今日のウグイス嬢は明星観光の若いバスガイドさんたち。午後、地元で告別式に参列後、下鴨、葵、松ヶ崎学区を重点的に廻る。松ヶ崎の疏水の桜がひときわ美しい。手を振ってくれる人、多し。

夜は、高野の仕出屋さんの「さのや」さんで演説会。元府会議員の清水達也さん、元京大教授の石田紀郎さんが応援弁士。20人の参加者。8時過ぎには岩倉三宅町集会所での北岡演説会に。


●4月10日(木)
選挙戦もいよいよ終盤。朝、某組合の友人が早朝の5時過ぎから場所取りをしてくれたお陰で出町柳駅で街頭行動。鞍馬や八瀬からの叡山電車が到着するたびに、「おはようございます。鈴木です」とご挨拶。25歳の候補者、村山君と呉越同舟。

9時過ぎには松井孝治参議院議員も応援に駆けつけてくれて百万遍交差点と北山駅で演説をしてくれる。彼は候補者並に声ががらがらになっていた。その後、上高野、修学院をこまめに廻る。

下鴨では、細い路地に入ってしまって、選挙車の看板が民家のトユを壊す。この程度のトラブルは毎回の選挙である。後日、修理をさせてもらうことに。

夕方は、地元の吉田を演説会の呼び込みを兼ねて必死。そして、東一条の日本イタリア会館での最大の演説会。会場には地元の吉田をはじめ支持者のみなさんが250人にご来場いただき満員の聴衆で熱気。意気あがる。応援弁士は、福山哲郎参議院議員、前原誠司衆議院議員、京都造形芸術大学客員教授の仲尾宏さん、それに30年来の友人、新大宮商店街で薬屋をしながら歌いつづけているフォークシンガーの古川豪が歌ってくれる。そして北岡ちはる府会候補が演説中にぼくが入場!多くのみなさんに支えらて感激。いささか興奮をして、当選へ向けてのご支援をお願いする。柿阪正夫後援会長の最後のご挨拶にジーンとなる。負けてなるものか!出口で参加者のみなさんにお礼のご挨拶。


●4月11日(金)
季節も春。地下鉄北山駅で朝の街頭行動。クラクションを鳴らして応援していただける方もずいぶん増えた。1月に始めた時は、寒風にさらされながら。1人で立って演説をしていたが、選挙が始まってからは事務所スタッフのメンバーが4人ほど青いジャンパーを着て横で一緒に居てくれると嬉しいものだ。インターンのN君も連日付き合ってくれる。ありがとう。

午前中は、市原、岩倉、松ヶ崎を、午後は、浄楽、岡崎学区などこまめに廻る。

夜は下鴨のマクリン幼稚園で演説会。元市会議員、故太田光子さんのご主人、同志社大学元教授太田雅夫さんと精華大学の板倉豊さんが応援弁士。会場はほぼ満員の30人の聴衆。ありがたい。その後、北岡府会候補の上一乗寺集会所での演説会で応援の弁。この間、北岡、鈴木コンビは「どらえもん兄妹」で東奔西走だった。

演説会の後も9時過ぎから10時30分まで出町柳駅で夜立ち。「お仕事ご苦労さんでした。鈴木です。北岡です。」とご挨拶。仕事帰りの数人の知人が声をかけてくれる。


●4月12日(土)
いよいよ選挙戦もラスト。熊野神社前交差点で朝の7時から北岡府会候補と応援団のみなさんら10人ほどと一緒に最後のお願いのご挨拶。午前中は、小雨模様の大原、静原、鞍馬、貴船、市原を気合を込めて、かすれた声で最後のお願いで走る。

午後は雨も上がり、2時過ぎにから熊野神社前に終結してくれた地元の友人、労働組合の友人ら40人が聖護院と吉田を4班に分かれて桃太郎作戦。午後4時には百万遍交差点に再結集して、民主党の大きな宣伝カーで北岡、鈴木で街頭演説。ご近所の人や車から下りて演説を聞いてくれる人らも多数。

夕方5時、修学院駅の前原衆議院議員事務所前で、民主党政談演説会。前原議員の挨拶の後、北岡、鈴木、おんづか候補3人が訴え。前原後援会や各陣営が結集し、盛り上がる。

選挙戦も残すところ3時間。ひたすら選挙車のマイクを握って、「ありがとうございました。最後の最後までのご支援をよろしく」と新洞、聖護院、岡崎、吉田を走る。ウグイス嬢のKさんらも必死の声。ようやってくれた!

そして、午後8時5分前に熊野神社の事務所に着いてご近所の方々にマイクでお騒がせしたことをお詫びし、神社境内での最後の演説会に飛び込む。聖護院の事務所近辺の方や労組の友人たちに事務所スタッフらなんと80人の参加者。

その勢いで交差点でスタッフら10人ほどで夜10時までご挨拶。悔いのない闘いができた。勝利を確信する!


●4月13日(日)
投票日。久しぶりにゆっくり寝る。ええ天気や!午前11時すぎ、カミさんと近衛中学体育館の投票所に。地元のみなさんが労いの声をかけていただき感謝。もちろん、市会は鈴木、府会は北岡と書いて投票する。

その後、事務所にてお世話になった方々にお礼と投票に行っていただきましたかと電話。わが陣営は、どこかの政党と違って送迎の車まで出して、強引に投票所に行ってもらうようなことはしない。投票率の動向が気にかかるが、前回より3㌫ほど低いのが気にかかるが、いまさらジタバタしても仕方がない。

午後8時に投票所は閉まり、事務所に続々と支持者の皆さんが詰めかけて来られる。左京区役所での開票は9時20分から。広い事務所も50人ほどで超満員。京都新聞の記者も来所の中、KBS京都放送のテレビ中継は10時から。

開票所に行ってくれていたスタッフから10時30分の速報で泡沫の候補者を1人を除いて1000票で横一線。11時の速報で、1人は4000票、ぼくを含めて7人が3500票で並び、3000票が3人、定員は9人。まだ安心は出来ない。他の行政区は結了になりまた民主党の若手の府会候補が続々と当確を決めていくなか、有権者と候補者が多い左京区と伏見区は遅い。11時30分の速報は、6500票が2人、6000票が1人、5500票が1人、5000票がぼくも入れて4人並び、4500票が1人、4000票が1人、3500票が1人、事務所では歓声。しかし、最後まで安心できないということで、万歳はお預け。

結了を今か今かと待っていると12時、KBS京都の記者から、「当選したよ!」と携帯に連絡が入る。「やった!」「よかった!」事務所は歓声の渦。

5384票で、9人中の6位当選。今まで選挙で最高の得票!

後援会、スタッフのみんなと万歳!深夜だというのにテレビで当選を聞いたみなさんが続々と駆けつけていただき、また電話がひきりなしに。深夜2時前一段落したところで、北岡事務所、おんづか事務所にもエールを交換しに。帰宅したのは午前3時前。興奮さめやらず、テレビをつけたら新日本プロレスの中継。ぼーとしながら焼酎を飲んで見る。寝たのは4時前だった。


●4月14日(月)
ゆっくり寝たい!しかし、朝7時過ぎに柿阪後援会長らと熊野神社交差点に立ちマイクを使わずに当選御礼で頭を下げる。通勤途上の市民からクラクションを鳴らしたり、手を振っていただいたりで、うれしいものだ。

9時過ぎから事務所には、お祝いに駆けつけていただく来客がひきりなし。祝電やメール、ファックスでのメッセージも多数届き、多くの方々に喜んでいただけて、身が引き締まる思い。午後8時過ぎまで途切れることなく来客。寝不足と嬉しさでテンションは最高潮!

初心忘れることなく、5期目をがんばるぞ!

帰宅したのは8時過ぎ、久しぶりに家族と夕食。娘の奈々も福祉施設に就職が決まり3月末から働き始めてほっとした。そして、イラク戦争も終わっていた。2キロ太り79㌔になっていた。


●4月15日(火)
午前中、事務所には近所の方もお祝いに立ち寄っていただける。

左京区の選挙管理委員会委員長が当選証書をもってきていただける。5枚目の証書。実感が湧く。

昼過ぎ、自治労京都市職の中央委員会で当選の御礼の挨拶を述べさせてもらい、その後、5期目の当選を果たした上京区の小林あきろうさんと推薦を頂いた主要な組合を挨拶回り。

夕方、寺町御池下るのギャラリーヒルゲートでの日高六郎夫人の日高暢子さんの個展をのぞく。近年はパリに在住で10年前にヨーロッパに行ったときに森のなかの素敵な家に泊めてもらった。帰宅して、10時には就寝。


●4月16日(水)
組み合いまわりを続行、南区で落選された梅林さんの事務所をのぞく。全くもって残念極まりない。

宇治まで足を伸ばし、統一地方選挙の第2弾、20日告示の宇治市会議員選挙に2期目の挑戦をする長谷川まさやの事務所を陣中見舞いに。


●4月17日(木)
百万遍の事務所に4月末には戻るので、熊野神社の選挙事務所の後片付けを始める。

地元の吉田でボヤ騒ぎ。たいしたことがなくてよかった。またワードに打ち込んでいた「ひとくち日誌」を貼り付ける作業。

夜、体がガタガタになっていたので、応援弁士をしてもらった大野先生の仁王門の京都マッサージでマッサージをしてもらう。そのまま2時間ほど寝込んでしまった


●4月18日(金)
午前中、左京区は岩倉東公園の完成式。スポーツ振興と防災拠点になるように備蓄倉庫や耐震性貯水槽を備え、比叡山の眺望も最高で広いグランドと遊具ゾーンもある。各体育振興会や自治連の会長さんらも参加されていたのでご挨拶。

また地元の吉田神社の春の例祭の直会で地元の氏子の皆さんに挨拶をさせていただく。感謝!

昼からは、カミさんが書いてくれた「当選御礼」の書面をもって組合など団体を挨拶回り。公職選挙法では、選挙区内のお宅に御礼に伺うことは禁止されているので、残念。


●4月19日(土)
朝、選挙中に選挙車で狭い道に入ってトユを壊した下鴨のお宅に、知人に紹介をしてもらった板金業の方と一緒に伺い、その場で修復をしてもらう。これにて一件落着。

その後、ともかく疲れていたので帰宅して寝る。終日立ち上げれず。一日中、寝る。爆睡!


●4月20日(日)
昼前、目覚める。カミさんと滋賀県は朽木村の温泉「てんくう」に雨の中をドライブ。ゆっくりお湯に使って静養。3組の知人に偶然会い、びっくり。


●4月21日(月)
5期目、市役所に初登庁。「これから4年間、またよろしく」と副市長や市会事務局などに挨拶廻り。市会事務局の担当者と明日の議員団会議を控えて、5月市会に向けての懸案事項などを論議。色々と頭が痛い。

午後、京都造形芸術大学の学生の井上リリーさんが団長の「劇写真団」の展覧会を見に行く。リリーさんは、2年前のホームページのリニュアルにアイデアをもらった。実家が鹿児島の焼酎屋さん。

夕方、京都新聞記者から京都ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の歴史について取材を受ける。1967年頃から73年頃のわが青春の話。イラク戦争反対運動との比較や定例デモの意義などしゃべる。戦後の日本の市民運動にとって「自立した市民」が登場した意味は大きい。

夜は、久しぶりに北岡ちはる府会議員らと懇談。ほんまに元気なやっちゃ。


●4月22日(火)
朝一番、事務所への来客は、かって「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を一緒に歩いた93歳の翁。少し耳が遠くなられていたが、そのカクシャクとした元気さには驚く。

昼前から久しぶりに民主・都みらい議員団の議員会。勇退した石黒議員、落選された梅林議員、そして新人のおんづか君、山岸君の初登場。12名で今期も民主・都みらい議員団は出発することになった。今後のおおまかな日程、協議をしなければならないことなどを説明。とりあえず、初議会になる5月市会に向けて、ぼくが議員団を代表して多会派と折衝する代表世話人としての任務を与えられる。

会期の決定や委員会の持ち方、正副議長・委員長など議会人事に議員団の人事、本会議の議席の決定、会派の順番など懸案事項は多く、しんどいけれどやりがいはある。とりわけ、公明党議員団と同数であり、頭の痛いこっちゃ。ともあれ、5月市会は、5月8日に告示、15日が最初の本会議の予定で始まる。

夜は、宇治市会議員選挙で3期目の挑戦をする西川ひろし候補の応援弁士に走る。環境と福祉の問題に取り組んできた西川候補とは同年代。地元の伊勢田の公民館2ヶ所で応援の弁。久保田宇治市長も弁士で名刺を交換する。宇治市議会は定数32人で立候補者が37人、民主党の公認・推薦候補は8人。みんながんばれよ!


●4月23日(水)
ひたすら選挙事務所で残務整理。この間交換させてもらった名刺や事務所に来ていただき奉加帳にお名前を書いていただいた方々のお名前を拝見。ほんとにたくさんの方々に応援していただいたことに感謝。

合間を見て左京区の組合まわり。また事務所には埋文研労組のメンバーなど来客多し。ホームページのトップページの更新を自力でできるように勉強し始める。


●4月24日(木)
午前中、市会事務局の担当者が議員バッチや市会関係諸規定など諸々の書類を持って来所。
午後、わが高校時代の先輩である梶宏さんが代表のNPO法人「きょうと介護保険にかかわる会」の総会。事業報告や予算案の承認など議事があり、京都府保健福祉部の高齢化対策課長の講演など。いかに介護保険制度を充実させていくのか、また第三者による評価事業の体制の確立が求められている。

夜は、前原後援会の幹部の皆さんと反省会。


●4月25日(金)
ちょっとした縁があって、中古車を購入することに。来年の秋が車検で9万㌔走っているホンダのビガー。税込みで10万円。今まではクーラーのない軽貨物車に乗っていたが、もう夏の猛暑に耐えられそうにない。中古車の売買ご希望の方は、「AutoWaveウサミ」を紹介しますよ。

熊野神社の事務所からパソコンを百万遍事務所に移動するもインターネットが稼動せず。メールを見ることも送ることも出来なくなった。えらいこっちゃ。しばしご迷惑をかけるが、みなさんお許しを。

夕方、前原後援会の左京の役員会でみなさんに当選御礼の挨拶。


●4月26日(土)
「チェルノブイリ原発事故から17年・京都のつどい」に参加。アイリーン・スミスさんの「もんじゅ訴訟」の報告と「チェルノブイリ診療記」の著者で長野県衛生部の菅谷昭医師のスライドを使った講演。

夜は、ボーイスカウト24団の育成会の懇親会。息子が小学校の時にカブスカウトでお世話になり、また娘がサブリーダーを去年からしている。ぼくはこの春結成された京都市会のスカウト振興議員連盟の副会長だよ。

その後、わが友人の田村精太郎君が館主の錦水館で同志社大学民俗学研究会と故竹田聴州ゼミの合同同窓会。ぼくが1968年に同志社に入学した時からの友人たちが集い、二次会はゲリラのコース。当選を喜んでもらえたが、ひとりの先輩が先月自死したこともあり重苦しい雰囲気。されど持つべきものは友。


●4月27日(日)
快晴の日曜日。近衛中学グランドで吉田区民ソフトボール大会。かっては10チームを超える参加チームがあったが、近年は高齢化も進み参加者も少なく7チーム。わが下大路町も隣の中大路町と合併チーム。10年程前はぼくも出ていたが50肩になってからは応援だけ。惜しくも敗退。

夕方、交通局の友人の親父さんの通夜。夜、家族団欒は久しぶり。


●4月28日(月)
午前中、民主党京都府連の四役会議。ぼくは副幹事長。昨日、開票された第二次統一地方選挙の京都府内市町村議員選挙の結果を踏まえての会議。民主党の公認・推薦候補はいずれも大健闘。ひとりふたり残念なケースもあったが、ほぼ勝利したということ。また衆議院1区選挙区の菱田さんが辞表を提出したとのこと。

統一地方選挙が終わり、次はいつあるかわからないが解散総選挙と来年2月の京都市長選挙、そして7月の参議院選挙と続く。また忙しいこっちゃ。

午後は、熊野神社の選挙事務所の閉鎖に向けて諸準備。夜は高野川ライオンズクラブの例会に久しぶりにカミさんと参加。メンバーから「おめでとう。よかったよね」の声。二次会にも行く。


●4月29日(火)
某私立高校生が学校の現代社会の宿題だということで、今回の統一地方選挙の争点になったことなどを尋ねにくる。福祉やまちづくり、環境や財政問題など、ぼくのリーフレットを見せながら説明をする。
どんなレポートを書けたかな?

事務所の隣の熊野神社ではお祭り。少年勤皇隊の子供たちが横笛を吹きながら行進。京都はお祭りのシーズン到来だ。事務所閉鎖に向けて掃除。


●4月30日(水)
熊野神社のわが選挙事務所を閉鎖する日。清掃業者に来てもらって、ゴミ類を搬出してもらう。
1月からまる4ヶ月お世話になった。選挙事務所として最高の場所だった。家主さんに鍵を返し御礼。ご近所のみなさんに感謝。

荷物を運び込んだ百万遍の事務所は、足の踏み場もない。また3階で階段も登りにくく、部屋も狭いので更新の切れる夏ぐらいには引越しを考えている。



鈴木マサホ事務所
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