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鈴木マサホひとくち日記 |
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●5月 1日
第74回京都中央メーデーが岡崎は美術館前で開催。好天に恵まれ気分も最高。連合京都羽室会長の挨拶の後、来賓で山田知事や桝本市長、民主党の福山京都府連会長らが挨拶。ぼくは民主党のタスキをかけて他の議員とともに演壇に並ぶ。
その後久しぶりのデモ行進。北コースを京都交通労組のみなさんと歩く。解散地点の市役所前では市長をはじめ幹部職員が出迎え。また民主党の国会府会議員らとメーデー参加者にみなさんに当選御礼のご挨拶。
午後は、議員団室で机の移動やロッカーの資料の整理。気分も新たに5期目もがんばろう!
夜は、5月市会の懸案事項のことで市会事務局の担当者と協議。
●5月 2日
選挙後の新しい議員構成で連休明けから5月市会が始まる。そこで、ぼくは民主・都みらい議員団の代表世話人ということで、まずは最初の各派世話人会に出席。左京区選出の最年長78歳の青木議員を座長にして協議すべきことなどの報告と日程が示される。
この市会は、色々なことを決めることが必要なのだが、議案としては市民参加推進条例が大きな目玉。各派世話人会の後、代表世話人会。
わが民主・都みらい議員団は公明党と同数の12人なのでこれから公明党との調整をしなければならないことが山積。ほんまに頭が痛いで!
●5月 3日
快晴の連休の始まり。昼過ぎ、ツツジが満開の蹴上浄水場の一般公開をカミさんと見学に。白やピンクや赤のツツジが満開。蹴上から望む比叡山や大文字山や吉田山の新緑が最高。久しぶりに心地よい汗を流す。
帰途みやこメッセでの古書市の古本屋の友人を訪ねる。夕方、行きつけの「ひげ床」で散髪。さっぱりする。
●5月 4日
今日も快晴。吉田神社の氏子大祭に向けて剣鉾の練習が始まる。倉庫から出すのを少しだけ手伝う。
事務所ではパソコンの調子が悪くインターネットがこの1週間ほど接続できなかったので管理人に来てもらい見てもらうも、モデムの調子が悪い。オヤジにはようわからんが、メールも読めないし返信も出来ないし、ひとくち日誌の更新も出来ない。みなさんにご迷惑をかけてしまっているかも。
●5月 5日
今日は、鹿ケ谷の哲学の道の大豊神社のお祭り。剣鉾が3基立つと東山の新緑に映える。
地元要望の相談ごとが1件。いずれ水道局は疏水事務所と相談することが必要に。
京都会館第一ホールではサワダ音楽院の発表会、北岡ちはる府会議員のお母さんも「さくら貝の歌」を熱唱。もちろん、歌姫北岡ちはる府会議員も歌うことになっていたが、それは見ずに市役所0Bの先輩の病気見舞い。透析をこれからされるという。
この連休は、ゆくっりと時間が過ぎた。
●5月 6日
連休も終わり、体力も回復してきた。50万円の供託金を返してもらうために区役所の選挙管理委員会から地方法務局に行き、そこで小切手にしてもらって日銀支店で換金。供託金も没収されることなく、ほんまに当選できてよかった!
議員会では、5月市会に向けての懸案事項を議論。議席の決定、正副議長の選出、控え室(議員団室)のこと、会派の順序、議員団の団長や理事の選出、委員会の持ち方など課題が山積。
なお5月28日のKBS京都放送で中継される本会議の代表質問は、ぼくがするぞ!今期最初の代表質問だ。がんばるぞ。傍聴に来てや。またテレビ中継を見てや!夜は、事務所のスッタフ会議。選挙の反省と今後の日程などを決めて、乾杯!
●5月 7日
この間の市民からの要望で聞いていた浸水対策のことで下水道局の東部管理事務所で担当者と対策を協議。早急に現場に行ってもらうことを要望。
議員団室では、保健福祉局と国民健康保険と介護保険の補正予算案の説明。
また議員団室(控え室)の広さの問題で市会事務局とその考え方などを議論。他都市の議会では議会棟が別棟にあって、選挙ごとに各会派の議員団室が議員の人数に応じて、その部屋の広さが変更になる。
京都市会は、市役所本庁の2階がいわば議会棟なのだが、なにしろ狭い。そこで委員会室などを確保した上で、議員1人あたりの面積が6.9㎡ということで、各会派の部屋を決めるというのが原則。で、わが議員団は12名ということで、今の部屋の面積をひとり分の6.9㎡を削る必要が出てきた。壁を移動させるのもたいへんな作業。いかにお金をかけないでするのか、難儀な問題なのだ。
●5月 8日
5月市会定例会が告示され、各派世話人会と代表世話人会が開催される。5月市会の日程案を各会派は了承し決定する。
5月市会は、5月15日に最初の本会議を開き、議席と日程を決め、19日の本会議で正副議長の選出をして、市長から市民参加推進条例や補正予算やその他の議案の説明があり、その後、委員会と議員会を開催して、28日にはKBS京都放送のテレビ中継のある本会議を開催、そして29日が会期末の本会議。
代表世話人会では、懸案の事項について今後鋭意検討するということで、諸課題について今後も調整を図ることを確認して終わる。
午後は、議員団室に来客多し。融資のこと、人材募集のこと、またぼくが代表世話人ということで議案について、各局の担当者が、議案の説明に前もって来室。慌しくなってきた。
新日本プロレス共同企画の青年が6月11日の西京極の京都市体育館でのチケットを持って来室。前売り券を預かる。リングサイドと2回特別席の券をご希望の方は、ちょっと安くしてお分けしますよ!早い者勝ちやで!ご連絡を!
●5月 9日
5月市会に上程される議案が発送される。
10時から議員会を開いて、昨日の世話人会と代表世話人会での協議内容などの報告をぼくがして、11時からは第5会議室で勉強会。各局から理事者の紹介の後、二人の新人議員を紹介してから議案の説明を受ける。
消防局からは消防団員の退職報償金が2000円アップする条例などについて、理財局からは補正予算の概要と地方税法の一部が改正になったので規定を整備するということ、文化市民局からは清水寺近くに開設される文化財建造物技術研修センターのこと、産業観光局からは、中央市場の補正予算、農業委員会の改編のことなど。
夜は自治労公室支部の関係者と京都市政を語る会。これからの4年間の豊富や5月市会の課題について喋る。久しぶりに2次会はカラオケで歌うが、若い世代の歌は知らん歌ばかり。少し飲みすぎた。
●5月10日
地元の聖護院は錦林小学校近くの須賀神社のお祭り。地元の長老や消防分団の皆さんが大活躍。神式の時に市会議員の鈴木さんですと紹介されて榊を供える。また多くの人から、地元に選挙事務所を構えていたので、当選おめでとうと声をかけられてうれしくなる。聖護院周辺は各町内が子供みこしを巡幸さして大賑わい。
その後は、事務所移転のことで関係者と協議。6月末には百万遍から熊野神社の交差点を東に行ったメタボ岡崎の2階に事務所を構える方向で話を進めることにする。
夕方は5月18日の左京区の消防分団総合査閲に向けて錦林小学校のグランドで練習に励む川東消防分団のみなさんを激励に。夜は、ひとくち日誌の打ち込みなど事務所で雑務。
●5月11日
雨の日曜日。わが地元の吉田の氏子講社の春の大祭。雨にもかかわらず厳かに神式が行われたのち、地元の人たち、わが友人の菊池君が小学生の息子と南京玉すだれをやって寿限無の落語、隣の石塚のおじさんらによる尺八の演奏、またわが母校第四錦林小学校の伝統文化クラブの児童たち、柿阪親子らによる子供剣鉾とわが友人たちの吉田剣鉾保存会のメンバーによる剣鉾の奉納が境内で行われ、拍手喝采。また中原さんの指導による子供たちの和太鼓の演奏もあり賑やか。また福引きも行われて、ぼくは景品を渡す手伝い。
夜は副議長の選出のことや5月市会の運営を巡って頭を悩ます。
●5月12日
9日に続いて、議員会を開いて議案の勉強会。
総合企画局からは、この市会の目玉条例とでもいうべき市民参加推進条例の説明がなされて質疑。議会の役割と地域の有力者と行政との関係なども色々と議論をする必要があるが、市民参加は桝本市長の公約であり、学識経験者のみなさんらによる審議会の答申を受けてようやくこの5月市会に上程されることになった。大いに議論をして、市民参加が進むように論陣を張りたいと思っている。
教育委員会からは、西京高校に付属中学を設置することになり、その工事契約の変更の議案などの説明があり、府教委が計画している洛北高校付属中学の設置問題などで質疑。都市計画局からは、昨年の不祥事を受けての機構改革の説明が会った後、市営住宅の家賃滞納に係わる訴えの提起と市営住宅の改築工事についての工事請負契約の締結について説明、また市営住宅に住む市職員の家賃滞納の状況などについて質疑。環境局からは、南部クリーンセンターの整備工事の工事請負契約の締結など、建設局からは市道の認定と廃止について、交通局からは、大学生などの通学定期の全線拡大をするという議案、保健福祉局からは、国民健康保険会計と介護保険会計の補正予算案と上京区の仁和小学校跡にデイサービスセンターの開設することや小学校就学前までの子供たちに乳幼児医療費の支給をするという議案などについて説明を受ける。
いずれにせよ、すべての議案は委員会に付託され審議することになるが、実は、4年ほど前までは、委員会付託をされることなく賛否を諮っていたが、3年前からすべての議案を委員会に付託することに改革をした。議会の役割として当然のことだと思っている。
その後、諸般の事を協議、まずは、本会議場の議席の決定のことや議員団室の場所と部屋の面積をどうするのか、壁をぶち抜いたりせずに、つまりお金をかけないで、いかに合理的に効率的に知恵を絞る。他会派との調整の進み具合を報告しながら今後も協議をすることに。
夜は、京大会館で、わが後援会のメンバーを中心としたミニ市政報告会。市会の動きや5月市会の課題などを報告。選挙後、久しぶりに会う人もいて、選挙の反省や今後の日程のことなども含めて盛り上がる。
●5月13日
午前11時から代表世話人会。通常は理事会と呼ばれているが、この間の代表世話人会とは、最長老の青木議員を座長にして、自民党と共産党から2人、公明党から1人、そして民主・都みらい議員団からはぼくの合計7人が出席し、市会事務局局長以下の職員が同席して、諸課題について、各会派の協議状況や態度を表明しつつ、丁丁発止、火花を散らす(?)場、時には市会事務局から説明を受けることもある。この間、議員団室の面積の変更するための方法や本会議の議席、委員会の構成、また正副議長の選出などを決めて行く会議。自治体議会における国会対策委員会のようなもの。それぞれの会派の動向や意見を述べて、それをまた自分の会派に持ち帰って検討するというやりとりが続くが、懸案事項をひとつづつ解決していかなければならないのだ。民主主義は時間がかかりまっせ。で、ほとんどの項目について「鋭意検討中です」と言いつつ合意を図っていくことになる。1時間ほどで散会。
本会議場の傍聴席の改修問題では、改修により座席数が減ることになるので、いかに市民の傍聴を保障して行くのかについても論議がされる。で、ぼくが前回提案していたのだが、実際に傍聴席に行って現場を見る。何しろ古い建物で狭いし椅子も座りにくい。バリアフリー化も進めなければならない。傍聴券の配布の問題もモニターテレビによる傍聴もできるように改善も必要だ。また本会議場の議席の問題も、民主と公明が同数であり、どうするかも懸案の事項。
午後1時からは、議員会を開催して、代表世話人会でのやり取りを報告しつつ、わが12名の議員団の合意を図っていく必要もあって議員団内部で議論百出。また副議長人事の考え方も議員団として合意を得なければならないし、公明の代表世話人と協議もやらなあかんので、ほんまにまとめるものたいへんやで。ぼくも副議長候補の当事者の1人だよ。
で、3時から代表世話人会が再び開催されて、議席の問題は市会事務局の提案で合意。議席は、今までと同様に傍聴席から見て、正面左から共産、自民、民主、公明、そして右端前列に無所属1人、一期生は1段目で各会派の長老議員が最後列の5段目を占める。ぼくは前期より一段上がって4段目に座ることになる。
議員団の控え室の問題は、民主と共産もそれぞれ6,9㎡減らす必要があったので、壁をぶち抜くようなことはやめてパーテーションで仕切ることで合意を得る。わが議員団室も13人から12人に減ったので、狭くなる。来客の皆さんには迷惑をかけるが、これも数の世界。されど、ようやく小さな山をひとつ越えた。無所属の1人の新人議員にも部屋を作ることになる。かって14年前、ぼくは社会党を除名になって、無所属議員になったことがあるが、そのときは市会事務局に居候していたことがある。貴重な経験だったが、京都市会では会派に属していないと、発言する機会もない。無所属では何もできないのだ。
夜は、事務所で、この間モデムが稼動しなかったのでサボっていたひとくち日誌を書き更新。
深夜、友人のヨッサンが自死をしたと連絡。通夜の席に走る。この3月末に原爆の図展の同窓会で会ったのが最後だった。享年56歳。やりきれない。
●5月14日
朝、京都交通労組の友人のおばあさんの告別式と高野でヨッサンの告別式がひっそりと行われる。
11時からは市会運営委員会室において各派世話人会。いつもは市会運営委員会ということで各会派から15人の委員が集って、本会議前に行われる委員会なのだが、今回はその委員会に変わるもの。明日の本会議は、臨時議長に最年長の青木議員に、そして議席の決定をして15日間の会期を決定し、また議案の取り扱いや会派の順序などは、16日の世話人会で決定することを確認して散会。
続いて、代表世話人会では、会派の控え室問題は、共産党もパーテーションで部屋を仕切ることで合意。正副議長の選出や委員会の構成などについてはさらに検討することに。傍聴席の改修についても合意。
その後、昼休みの時間に吉田氏子講社長の鈴鹿さんのご母堂の告別式に行って、喪主の方にご挨拶して市役所にすぐに戻る。
昼から、議員会を開催して団長や理事などの議員団の役員をどうするのか、この課題について、副議長経験者の3人の長老にその調整を任せていたが、4期5期目で議員団の運営を図るように提案がされた。これは画期的なことだ。
また常任委員会の数と所管局の問題などを議論して他会派との調整を図りつつ、常任委員会は従来の通り、財政、文教、厚生、建設消防、交通水道の5委員会で行くことを4時過ぎの代表世話人会で決定する。共産党の委員長ポストをはずすいうことになれば、大もめになることも分かっていたので、予想よりも決着が早く着いて、また一山越えた。
これからの課題は、常任委員会の正副委員長ポストと人数、会派の順序とそして正副議長及び議会選出の監査委員の選出問題が次の山。
夕方、久しぶりに京都高野川ライオンズクラブの例会に参加。次期会長を引き受けることにする。
●5月15日
葵祭りの日、小雨模様。選挙後、最初の5月市会定例会が開会。
青木臨時議長の下、議席を決定し、日程を15日間で決めてすぐに散会。若い新人議員のところには新聞社の報道カメラが入る。ぼくは一段上になって4段目に座ることになった。もうベテランであることを痛感。本会議は5分ほどで散会。
その後、議員会を開催して、昨日の代表世話人会での常任委員会の構成についての決定を受けて、各人が所属したい常任委員会の希望を提出。ぼくは、どこでもいいのだ。また議員団の役員として、副議長人事とも関係色々なケースが複雑に絡まって決定ではないが、ぼくが議員団の団長に就任することが内定する。
そして断続的に他会派と調整を図りつつ委員長ポストを従来通りというこを4時過ぎに決定する。あとは、残す大きな課題は副議長と議会選出の監査委員のポスト問題。共産党は第2会派から副議長を選ぶべきだと主張。しかし、かって共産党の副議長が辞任をしなかったことがあったらしく、その後、市長与党第2会派から選出してきた。で、問題は公明党とわが民主・都みらい議員団が12名の同数であること。いよいよ壮絶なバトルに臨まねばならない。この間、公明党の代表世話人と水面下で、また公式にジャブを出してきた。民主の副議長候補者は、5期目の小林、鈴木、宮本、公明は4期の3人がその候補者。
夜は、焼肉を食べてエネルギーを蓄える。まるでボブ・サップや。その後、事務所でひとくち日誌を書く。
●5月16日
19日の月曜日が本会議なので、副議長人事のことを決着つける日。無制限一本勝負というわけには行かないのだ。
議員団会議を随時開催しこの間の交渉経過を報告しつつ対策を練る。また議員団の12人の議員の常任委員会などの所属やポストの確認、都市計画審議会委員や人権擁護委員の選出など内定をする。副議長人事で、ぼくは当事者でもあり代表世話人でもあり、もうたいへん。
公明党に、まずはわが民主のぼくと同期の5期目の小林議員が年長者であるのでトップにお願いをしたいと主張するも、公明党もなかなか頑固。色々なパターンを提示しつつジャブの応酬。がっぷり組んで動かない。午後になってもクリンチの膠着状態。世話人会の青木座長からどうなっているやと怒られ、もうしばらく時間をということで、夕方代表世話人会を開会して、夜の10時に再度代表世話人会をやることに決めてもらう。
その間、公明党の代表世話人と何回も協議をしつつ、また議員団に経過を報告、確認をしつつ、抽選をしようという案も出たが、そうも行かず、結局、色々と考えあぐねた結果、9時過ぎに、1年目の副議長を公明党に譲り、監査委員に民主から、議会におけるこの1年の順序は、民主・都みらい、公明党の順番ということで合意をして、長いバトルに終止符を打つことにした。もうグロッキー。ダウン寸前。同時に、議員団の役員や常任委員委員会の委員長の人選も再度調整することになったのでテンヤワンヤ。ほんまに疲れた。
午後10時に代表世話人会を開催して、自民党からは田中セツ子議員を議長に、副議長に共産党は加藤広太郎議員を、公明党は谷口議員をと提案がなされた。ようやく決着して関係者は安堵の表情。監査委員には自民党から井上議員、共産党から北山議員、そしてわが民主からは安孫子和子議員を推薦したが、市長提案ということで、結局、井上、安孫子両議員が推薦された。
午後11時にようやく世話人会が開催されて、明日の本会議の日程や各委員会のメンバーなどが正式に決まる。これで19日の本会議では、慣例に従い議長、副議長の投票が行われ、それぞれの挨拶と市長からの挨拶の後、市長から議案の説明、本会議終了後に委員長・副委員長の互選が行われるということになった。
その席で高木副市長から台湾からの旅行者の医師が新型肺炎SARSで台湾で隔離されたが、その日本滞在中に嵐山に観光で来ていたと発表。対策本部を作り、その経路の確認や市立病院や保健所の対応に万全を期すと報告。厄介なことになってきたぞ!
同僚の議員と居酒屋で一杯飲んで帰ったら2時前だった。もうぐったり。
ひと仕事終わった。明日から28日の本本会議での代表質問作りに励もう!
●5月17日
この間の連日の様々な調整も終わり、もうぐったり。ひたすら寝たいと思っていたが、家の立ち退きを迫られているのという相談ごとがあって、ウロウロ。知人の不動産屋さんなどに知恵を絞ってもらうことに。また弁護士さんの紹介なども考えることにする。
議員をやっていると、市政とは直接関係のない様々な相談ごとが持ち込まれてくる。市会議員は市民の「よろず相談」を聞くことも大切な仕事。借金の連帯保証人にだけには、絶対ならないのは当然のこと。様々な相談ごとの解決のために、弁護士や医者や税理士などわが多くの専門家の友人たちを紹介して、助けてもらうことにしている。悩みごとや相談ごとがあれば、ぜひお越しください。でも、ぼくの悩みは誰が相談に乗ってくれるのや!ぼくの愚痴も聞いてくれ!
「ひとくち日誌」を書いた以外は、なんとなくボーとしていた一日。
●5月18日
快晴の日曜日。朝一番、岩倉木野は精華大学のグランドでの左京消防分団の総合査閲。
左京区27消防分団、500人余のみなさんが、日頃の訓練を披露。市会議員や府会議員などが来賓として呼ばれて、紹介をしてもらえるので、この選挙で当選したものがほぼ全員そろう。得票の順番で呼ばれるが、今ままでは最後だったが、今期は6番目なのだ。よかった。整列して団員が揃って手帳を出す通常点検や小型動力ポンプを使って、ホースを伸ばす操法の訓練を見学。各種団体の役員さんや多くの友人の消防団員さんたちから、当選おめでとうの声をかけていただいてうれしいものだ。
午後は、地元吉田の友人たちに市民派議員レポート5月号葉書版を配布。
夕方、久しぶりに家族と外食。福祉施設でこの春から社会人として働き始めた娘の姿に感慨無量。
●5月19日
10時から最年長の自民党の青木議員が臨時議長に任命されて、本会議が始まる。
まずは議長の選挙、名前を呼ばれて議長席の前の投票箱に1人づつ記名投票。共産党議員の20人は、無効票で、田中セツ子さんが49票で第71代議長に選ばれる。磯辺前議長に続いて女性議長が続く。男女共同参画の視点を生かしてと挨拶。
続いて副議長選挙では、公明党の谷口弘昌議員に49票、共産党の加藤広太郎議員に20票、で78代副議長に谷口議員が就任。議会の活性化をしたいと挨拶。次に桝本市長が新市会が発足したことで、「市会と行政は車の両輪」と挨拶。
以下、常任委員などの選任、また市長提案の議会選出の監査委員には、起立表決で自民党の井上議員、わが民主の安孫子議員が選ばれる。新市会の儀式はここまでで、その後は、いつものように市長並びに高木副市長から市民参加推進条例などの議案の説明。また各議案については委員会付託の動議が出される。そして、本会議の終了後に議場で常任委員会や普通予算委員会の正副委員長を互選。こうして、とどこうりなく正副新議長と監査委員が決まり、無事にスタートしたのだ。
この日から正式にぼくが議員団の団長に、宮本議員が副団長、天方議員が理事の新たな体制でわが議員団もこの1年臨むことになった。よろしく。
夜は、民主リベラル労組懇談会とこの4月の選挙で当選した議員との懇親会があり、当選のお礼を述べて、早速市会の動きを報告。またとある友人たちのグループが祝勝会を開いてくれたので掛け持ち。嬉しいな。久しぶりに「熱き心」も歌う。
●5月20日
普通予算特別委員会が二つの分科会に分かれて開催される。ぼくは、第一分科会で中央市場特別会計の繰り上げ充用の補正予算案について議論。
ぼくは、2回目の選挙に落ちた後、38歳で当選するまでの4年間中央市場で働いていたので、中央市場の変わりようや問題点を承知している。その頃は活気に溢れていたが、量販店の場外流通に押され、町の魚屋さんなど小売店が閉店していく中で今は閑散としている。仲買の店がどんどん閉店に追い込まれているが、市民に安全な食品を供給する市民の台所としての中央市場の役割は今後も大きい。しっかりたのむで!
昼からは、自治労市職中央委員会で市会の報告、またとある中学校のグランドが狭隘なのでなんとかならないかという陳情や北白川小学校区に児童館の設置の請願もあり、紹介議員になる。また明日の委員会で審議するべく市民参加推進条例案について担当者とやりとり。夜は、自治労清掃支部長のお母さんのお通夜に出席して、その後事務所で質問メモづくり
●5月21日
新市会最初の常任委員会が開催。今日は、財政総務と厚生と建設消防の3委員会が開催。ぼくは久しぶりに財政総務委員会所属になった。最初ということで、選挙管理委員会、監査事務局、総務局と順番に、部長や課長の理事者紹介と事務事業の概要の説明があり淡々と進んで行く。
総合企画局では、委員会に付託された市民参加推進条例について、各会派から意見が述べられる。ぼくも最後に発言。この条例制定までの経過をたどりつつ、問題点を質疑する。元祖市民派議員としては、この条例の制定を期待し注目をしていたのだ。本会議でも質疑するぞ。議会との関係が議論になる。自民党の議員からは、この条例については否定的なニュアンスの発言もあった。
理財局では、地方税法の改正による市税条例の一部を改正する条例の制定についての質疑が少しあり、全国の指定都市として毎年国に行っている「大都市財政の実態に即応する財源の拡充について」の説明もあった。
産業観光局では、農業委員会を現在市内3委員会を一委員会にするという議案の説明と質疑もあった。また新型肺炎SARSに感染した台湾人医師が嵐山に立ち寄っていたということで対策本部の報告、また「京都市農村振興基本計画」及び「京都市農村環境計画」の説明もあった。会計室からは「ペイオフ対策―公金の運営方針について」の説明など。他の委員会は早く終わっていたが、わが委員会は5時までかかって疲れた。
役所の近くでラーメンを食べた後、7時頃から議員団室のパソコンで代表質問の原稿を打ち始める。23日の夕方が質問要旨の提出の締め切り。果たして間に合うか!深夜12時過ぎまでがんばり、市民参加推進条例についてはほぼ打ち終える。
●5月22日
眠たい。今日は、交通水道と文教委員会が開催されたが、ぼくは休み。
午前中事務所で雑務をした後、昼から市役所に出向き、市会事務局のパソコンで原稿書きの続き。途中、代表質問のテーマの対象となる局の担当者に資料提出の要求などをする。5時以降は、議員団室のパソコンに向かいテレビのナイター中継を横目にがんばる。
今年の星野阪神、えらい強いやないか。18年ぶりの優勝だと喜んでいたら、でも最後はどうなるかか、わからんで。
ぼくの今回の代表質問は、市民参加推進条例がメーンで、,他に外国籍市民施策、行政評価システム、財政改革、そして、この春に市政報告会で左京区の北部の人たちとの懇談で話題になった課題で、京都市農村振興基本計画と左京区北部の振興策、さらに大原の観光トイレと下水処理施設の設置の問題など。深夜12時を過ぎてやっと目途がついた。2日間の突貫工事。およそ1万字の原稿を書き終える。疲れたで。
●5月23日
ぼくは大学時代からいつも泥縄でレポートや原稿を書いているのだが、代表質問も書きもいつも夜なべ仕事。代表質問は早くからワープロで書き、近年はワードで打つ。同僚の議員が質問を作るときは、手書きの人がほとんどで、議員団のスタッフがワープロ打ちの手助けをして、いつもやきもきして、心配をしているのだが、ぼくの場合は、誰も心配をしてくれない。他の同僚議員のときはほんまに心配しまっせ。
さて、会期末を控えて議員会を開催。団長ということで議員会を仕切る立場。まずは委員会に付託されていた議案について、各委員会に所属している議員から委員会での質疑の内容や問題点を聞いて、それぞれの議案について議論。市民参加推進条例と南部クリーンセンターの工事契約議案と住基ネットの第2次稼動に係わる証明書発行の手数料の議案については保留にして、補正予算などの他の議案については賛成の方向で合意を形成していく。また意見書や決議については、今回はわが議員団から提出するのは見送って、他会派からの提出を見守ることにする。
議員会を解散した後は、質問要旨の提出が今日の夕方ということで、必死でパソコンに向かい質問部分の確認と答弁者の割り振りの確認して、夕方、市会事務局に提出してほっとする。それからわが質問の文章は、総務局議事係に送られて、答弁する局が割り当てら、その後各局に振り分けられて各局が勉強会をするのだが、各局には待機がかかっている。ご苦労さん。質問を出し終わってほっとしていたら、先輩議員に会ったので、居酒屋で一杯飲む。
●5月24日
朝一番、きょうと教組の定期大会に。京都は共産党系の教員組合の全教の組合が圧倒的に強くて、日教組の京都府教職員組合(きょうと教組)は少数派。されどぼくの友人の教師たちは、この少数派でがんばっている。選挙で推薦もしてもらっているし、その御礼と激励の挨拶。
午後、ぼくは民主党京都府連の副幹事長なので四役会議に出席。統一自治体選挙の総括や一区の衆議院議員候補であった菱田氏が辞任をしたので一区の候補者問題などが話題に。これから衆議院の解散総選挙、京都市長選挙、さらに参議院選挙と続くのでもうたいへんだ!
夜は、地元の吉田のお祭りのときの神輿を担ぐグループ、今宮会の会長福井さんが還暦を迎えられたので長老や友人が集ってお祝いの会。吉田の神輿が復活して23年、剣鉾や宵宮の夜店や子供神輿の巡幸など年々お祭りも賑やかになってきた。そのリーダーの福井夫妻を酒の肴に一杯のみ。ぼくも還暦まであと6年か!
途中、錦林小学校グランドでの、左京区を代表して来週の日曜日の京都市消防総合査閲に参加する岡崎消防分団を励ます会に。少ない人数で、またそれぞれが仕事をしながら訓練するのはたいへんなこと。ご家族や地元の人たちもたいへん。前田分団長以下、統率の取れた日頃の訓練の成果を披露される。各議員が紹介をされたのだが、並ぶ順番でひと波乱。長老議員が怒る!
●5月25日
わが恒例の左京区は静原での野外パーティー。もう9回目かな?曇り空。朝一番、テントや炭など準備していたバーベキュー用の道具を車に乗せて、スタッフと一路静原へ。市原から静原キャンプ場までの道中、矢印をところどころに貼り付けながら10時頃には静原川の辺のキャンプ場に到着して準備。
このキャンプ場は、以前は教育委員会が管理をしていたが今はボーイスカウト連盟が管理をしていて、綺麗に整備されている。各自、炭を熾したりテントを立てたり野菜を切ったり。地元静原の人からはスイカの差し入れ。三々五々集まって来たわが応援団のメンバーと美味しい焼肉を食べて、ビールを飲みワイワイ。選挙を応援をしてくれたメンバーを中心に、子供たちも含めて80人ほどが賑やかに集う。ビンゴゲームもして楽しいひと時。忙しい中、前原衆議院議員や松井参議院議員もわざわざ来場してもらい感謝。雨も降らなくてよかった。かなり酔っ払う。帰りの車の中で爆睡。
夜は、ボーイスカウト連盟の懇親会に。長男がカブスカウトで24団にお世話になり、娘も副長をしているし、ぼくは24団の育成会の会員でもあり、スカウト振興議員連盟の副会長ということもあり、知人も多い。楽しく懇親。そやけど、もうフラフラ。
●5月26日
議員会。金曜日の夕方に各会派から提出された意見書や付帯決議案を巡って議論。また市民参加推進条例や住基ネットに係わることやクリーンセンターの工事契約の議案のことで担当局に来てもらって質疑して問題点を整理して、態度を決める。意見書を巡っては、調整に当たってもらう市会運営委員の同僚議員から随時報告を受けながら、対処の方法を協議、検討。
自民党議員団からは市民参加推進条例に関して議会の権限を巡って付帯決議も出されてきて、喧喧諤諤。さらに、ぼくの代表質問の内容の報告や請願に関して紹介議員になるかならないかなどの議論など。
議員会の解散後、わが代表質問の読み上げ原稿を作り、与えられた34分間の時間内に読めるかどうかストップウオッチを片手に読んでみるが、早口で読んでみると時間が足らない。いつものことながら、えらいこっちゃ!削除しなあかんがな。
●5月27日
いよいよ明後日が5月市会の会期末。
議員会を開いて、意見書や付帯決議の調整具合の報告を受けながら断続的に議員会。各委員会の討論結了の委員会も予定より遅れて始まったが、市民参加推進条例が付託されていた財政総務委員会は、自民党が提案してきた付帯決議を巡って議員団での議論も百家争鳴、議員団の意見をまとめることもたいへんだった。他の委員会はそれなりに進んでいくが、予定の時間が来ても開会できずに、イライラ。夕方になって、自民、公明、民主で決着がつき、結局二つの付帯決議をつけることになって、討論結了の財政総務委員会を開いて終幕。そして、市会運営委員会が開かれたのは、夕方7時30分頃。
選挙後最初の市会ということで色々と難儀をしたが、ほぼこれで一件落着。飲みに行きたいところだが、ぼくは、明日の本会議での代表質問を控えて最後に仕上げ。原稿を切りまくり、時間にあわして34枚のペーパーに読みやすいように大きな活字にする作業。結局議員団室を退出したのは、11時前だった。明日は、気合を入れて代表質問、がんばるぞ!
●5月28日
選挙後最初の代表質問の本会議の一日。KBS京都放送のテレビ中継もあって、気合が入る。
自民党の二之湯議員がトップバッター。続いて中村三之助議員。昼休みを挟んで、午後は共産党の山中議員に続いて返り咲きの藤井議員、新人の女性の倉田議員。
休憩の後、2時50分からぼくの今期最初の代表質問。わがカミさんも友達と傍聴に。与えられた時間、34分間の勝負。登壇をすると、それなりに緊張をする。団長の鈴木です、と最初に言ったら、議場から、「オー」という声。選挙の総括をした後、市民参加推進条例を中心に、外国籍市民施策、SARS対策、行政評価システムと事務事業評価システム、財政問題、京都市農村振興計画と左京区北部の諸課題、とりわけ大原の観光トイレ、下水処理施設の今後の方向性について質疑をする。詳細はいずれ答弁を入れてホームパージに掲載をする予定。ちょうどブザーが鳴ったところで質問を終えた。市長以下、副市長や関係局長が答弁をして無事に終わる。テレビを見てもらったみなさん、ありがとう。
ぼくの後は公明党の久保議員と新人の湯浅議員。紛糾することもなく予定通り5時前に終わった。もう疲れた。
夕方、ビールを一杯飲んで、行きつけのマッサージ屋さんで体をほぐしてもらって、ぐっすり寝たぞ。やっとひと仕事が終わった。
●5月29日
5月市会、会期末の本会議。テレビ中継はない。
委員会に付託されていた議案について、各委員会の審議状況を報告する委員長報告が、普通予算特別委員長から始まって、各常任委員長の報告が続き、その委員会に付託されていた議案について順次表決をしていくが、共産党の議員が時には討論に立ち、また起立表決もあり、立ったり座ったり。
この市会で可決した主な議案は、
①市民が市政に参加し、まちづくり活動を行うことを推進する「京都市市民参加推進条例」の制定、
②住民基本台帳ネットワーク第二次稼動に伴うICカード発行手数料等を定める「京都市証明等手数料条例」の改正、
③医療費の支給対象を3歳児から6歳児まで広げる「京都市乳幼児医療費支給条例」の改正、
④大学生等を対象とした通学定期券の通用区間を均一路線全線に拡大する「京都市乗合自動車旅客運賃条例」の改正
⑤京都市南部クリーンセンター第一工場のダイオキシン類対策と焼却炉原状復旧を目的とした請負契約締結など。
意見書は「SARS対策の強化」「郵便投票制度等の改正」「ヤミ金融対策強化」を可決。なお「教育基本法の見直しで国民的議論を求める意見書」については、公明党とわが議員団のみが賛成をして起立をしたが、少数で可決されず。
昼前に荒れることなく平穏に本会議も終わって散会。その後、市長・副市長らが各与党会派に挨拶、これにて5月市会定例会は大団円。
午後は、過日の委員会を欠席した議員に事情聴取など。
夜は、新旧の議員と議員団のスタッフが集って、今後の議員団の運営や市政や市会の課題などについて侃侃諤諤の懇談会。
選挙が終わってホッとする間もなく連休明けから、新市会発足にあたり、副議長人事を中心に代表世話人として調整で苦労をし、さらに代表質問の準備でこの数週間走りつづけてきたので、もうぐったり。やっと一息ついた。
でも今後も色々と議員団の運営には気を配らないかんので、頭が痛いよ。しなやかに、おおらかにやろう。
●5月30日
午前中、京都交通労組の組合員さんの親父さんの告別式。参列者には、選挙で応援してくれたメンバーも多く、ご挨拶。この春の選挙で惜敗された梅林先輩を帰路車で送る。ほんまに残念やった。
午後は、赤茶けた水が出るという市民からの相談ごとの解決ために水道局の左京営業所に行く。敷地内の水道管に問題がありそう。
この7月から新しい事務所に移転をするのだが、火災保険のことなど友人に相談。なにやらバタバタと一日が過ぎた。
夜は、久しぶりにテレビをぼーと見る。探偵ナイトスクープは、好きな番組の一つ。石垣島にハゲチャビンはいないということで小枝がしょうもないインタビュー。わが青春の沖縄にまた行きたいな。
●5月31日
台風4号が襲来、午前中、激しい風が吹くが、ひたすら寝る。
午後は、民主党京都府連の幹事総会。この春の選挙で当選した自治体議員が集い、選挙の総括や諸般の報告。玉置、前原、山井、福山、松井と5人の国会議員も勢ぞろい。ぼくは副幹事長ということで、役員席に座る。総会の終了後、連合京都の会長ら新役員の方も合流し懇親会。
京都府下の自治体議員のネットワークを作り研修会をすることを提案する。若い府市町村議員が増えて活気が出てきた。京都の民主党はこれからが楽しみ。政策の勉強をしよう。
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