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鈴木マサホひとくち日記 |
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●8月 1日
ぐずついた梅雨模様が長く続いていたがようやく夏の陽射し。夏本番だ。
この5月市会で可決した市民参加推進条例が施行される日。これで、条例の理念と目的にしたがって実行されることになる。京都市と市民の責務も明記されているが、市民参加推進計画に従って、市役所出前トークなどの様々な市民参加の手法を実施して欲しいと思うし、特に職員の意識改革も図らなければならないと思う。この条例の施行で市民参加のまちづくりが進むことを期待したい。
事務所では、この間いただいた名刺や行政資料の整理の雑務。
夕方、友人が五条坂に残る登り窯を保存・活用するために、京都の夏の風物詩の陶器市の開催中に「登り窯のかたわらで」という音楽と講演のイベントを開催すると案内を持ってくる。
日時は8月7・8・9日、先着50名。詳細は075-723-9001の本田氏まで。
●8月 2日
生活協同組合、エルコープの配送センターの竣工式。17年前にぼくは社会党で清水達也府会議員と一緒にダブル当選したが、彼との共同事務所「市民センター・左京」を設立し4年間がんばってきた。そのときのメンバー、キリストこと黒岩卓美や京大の石田紀郎さんらが、もうひとつの生協をということでエルコープを設立し10年経つ。このたび南区は久世橋西に3階建ての立派な自前の配送センターを建設。そのお披露目のパーティ。昔の仲間が事業を成功させるのはうれしいものだ。手づくりの美味い料理をたらふくご馳走になる。
夕方は、京都市バスの運転手さんたちを中心とする京都交通労組のメンバーらと懇談。赤字が続き民間バス会社への管理の授委託や営業所の廃止など交通事業が大きく揺れ動いている時、いかに市民の足を守るのか、サービス向上に向けて彼らの真摯な努力を応援したい。
その後、地元の近衛広場の改修工事で近接住民と議論。おうじょ、しまっせ!
●8月 3日
日曜日、久しぶりに午前中ゆっくりする。
昼過ぎインターン生を伴って地元岡崎公園は「みやこめっせ」での「左京区民ふれあいまつり2003」に参加。舞台ではリフアダンススクールの香夏ちゃんの歌やマジックショー、また各種団体の人たちが大活躍の模擬店(うちのカミさんもカレーコーナーでがんばっていた)や環境問題の啓発コーナーや子供たちの遊びコーナーなど多彩な催し。桝本市長もマジックショーのときに元気に挨拶。暑い時に「みやこめっせ」は冷房が効いていてよかった。スタッフの皆さん、ご苦労さんでした。
その後、事務所でインターン生に、発送作業を黙々としてもらう。来客は、家の建設問題で相談に乗っていた方が、お礼にこられる。喜んでもらえると嬉しいものだ。
夜は、夏休みで広島からきた中学1年の甥っ子とキューバ危機を描いた「サーティンデイ」を見る。たまには家族の団欒もしないとね。
●8月 4日
財政総務委員会。理財局から「戦略的予算編成システムへの改革」について説明。
この4年ほど、ぼくは市会本会議の代表質問や予算委員会で同志社総合政策科学研究科で学んだ行政評価システムの導入と財政改革問題を毎回取り上げ、またこの5月市会で財政改革プロジェクトチームと政策評価制度プロジェクトチームのことを質疑したところだが、まさに今回の「戦略的予算編成システム」の考え方は、ぼくの提言してきたことが実ったものと思っている。
政府の地方財政の三位一体の改革が混迷し、また財政状況が逼迫している京都市は、シーリング方式による従来型の予算編成ではなくて、行政評価システムを予算編成に活用し、「規模から質へ」「政策の重点化」「庁内分権による財源配分」「説明責任の強化と透明性の向上」を目標に、来年度の予算編成をするという画期的な提案だ。他会派の委員からも発言もあったが、もちろんぼくはこの改革を評価する発言をした。改革に向けて抵抗勢力や多少の混乱もあるだろうが、市民が理解しやすく、市民のためになる持続可能な財政運営を期待したい。たのみまっせ!
産業観光局からは、2002年度の京都市観光調査の報告。前年に比べて85万人増加して、4217万人の入洛観光客があった。宿泊外国人観光客は48万人、修学旅行生は103万人。観光客5000万人を目指す京都市としては、ええ方向や。しかし、アンケートによれば、道路・交通事情に大きな課題があることがわかる。行楽シーズンのパークアンドライドなど、嵐山だけではなくてもっと大胆に交通社会実験をやるべしだ。
産業観光局とは、ぼくは、花背のJAの統廃合問題と先週開催された「ふるさと森都市フエスティバル」の入場者数など簡単に質疑。総務局とは、同和補助金に関しての職員処分問題について他会派からの委員から質疑があった。ぼくもひとこと言いたかったが、タイミングを逸した。次の機会にでも発言しよう。
その後、インターン生を伴って左京土木事務所で近衛広場の改修問題について協議。
夕方は、左京区役所のメンバーと左京区の諸課題について協議。
夜、事務所で「ひとくち日誌」の打ち込み。この間さぼってきた日誌もやっと追いついたぞ!
●8月 5日
暑い日は、冷房の効いた事務所で作業に限る。事務所スタッフが準備してくれていた8月26日のビアパーティの案内の発送作業をインターン生に手伝ってもらう。住所のタックシールを封筒に貼り、案内ビラを折り、封筒に詰めて切手を貼る作業を黙々と。またメールアドレスの打ち込みもやってもらう。
夕方は、友人の議員らと、選挙のことなど関係なく、ワイワイ。議員は、みんなよく喋るよ。それに役者ぞろい。久しぶりに痛飲。
●8月 6日
ヒロシマ・被爆58年。被爆2世のぼくは、頭髪は薄くなったが、今年も元気だ。もっとも今朝は、二日酔いでフラフラだが。
京都市都市計画審議会が開催。議案は、新十条通の十条ランプにおける京都市花き地方卸売市場を建設するために京都都市計画(京都国際文化観光都市建設計画)道路の変更と市場の決定。要は、京都市内に現在二つの花き卸売市場があるが、狭隘で老朽化していることで、5年程前から新十条通のランプに移転が計画されていた。それを都市計画決定するということ。
都市計画局からその経過と概要について説明があって、会長の川崎清京大名誉教授の進行で、審議をする。議会選出の共産党の委員は、高速道路建設に反対している立場から、環境アセスメントの新たな必要性や地元住民が反対をしているということで論陣を張った。ぼくは山科と南部市街地を結ぶ新十条トンネルの早期開通が求められているが、反対住民の土地収用の解決もできていなく開通時期が未定なのに、花き市場が来年度に開場できるのかということを発言をする。アセスメントを巡って、学識経験者の委員から発言もあったが、採決の結果、保留1人、反対は共産党の委員4人で、賛成多数で可決。
その後、向日市と京都市をまたぐキリンビール京都工場跡地の開発構想がキリンビールから提出されたということで、その概要の説明。22ヘクタールの広大な土地に住宅や商業地域、ホテルなどの建設をしようというもの。交通アクセスの課題などこれから色々と議論を呼ぶであろう。インターン生二人も一般傍聴人として審議会を傍聴。
その後、民主党京都府連で民主党の組織問題についてインタビューを受け、夜は、「きょうと教組」のメンバーらと教育問題で議論。
●8月 7日
広島から来ているカミさんの妹の息子、中学1年生の甥っ子を連れて事務所と市役所に行く。市役所では本会議場も見学させる。「末は博士か大臣」か、彼が将来どうなるか楽しみだが夏休みの社会見学の1日。
議員団室では来客多し。市長選挙のことなど喋る。またシルバーリンクの玉川さんとは社会福祉法人のあり方などについて懇談。玉川さんは70歳になっても龍谷大学の大学院で勉強しているとのこと。その若さに驚く。
夜は地元の近衛広場の改修工事について近接の関係者に集まってもらい大議論。一度まとまったものだと思っていたら、ああでもないこうでもないと、いろいろと要望が出されるがそれをまとめるのに苦労をする。ホンマに消耗するよ。
●8月 8日
台風10号接近中のため、予定していた前原誠司衆議院議員のポスター貼りは中止。インターン生は休み。久しぶりに歯医者に行く。歯石を取り除くためにごりごりやられて冷や汗をかく。
午後、左京土木事務所に近衛広場の改修工事をめぐって担当者らと喧喧諤諤の大論議。近接住民の要望が実現される方向で決着がつく。ドブ板議員も疲れるよ。この問題の解決にほぼ2ヶ月かかった。
その後、市民から相談のあった岩倉は幡枝の洛北土地区画整理事業での換地について質問する。
台風接近中なので早々に帰宅。
●8月 9日
ナガサキ被爆から58年。深夜から未明にかけて風も強く雨も激しく降っていたが、台風一過。京都では大きな被害がなくてよかった。
インターン生二人にこの8月26日に予定しているサマーサロンの参加申込者の名簿作りなどをしてもらう。200人ぐらいの会になるのかな?参加していただける方は申込を17日までにご返事をくださいネ。
夕方は、錦林夏まつり。串かつやおでんをあてにビールを飲みながらカラオケ大会を楽しむ。
五条坂近くの藤平陶芸さんの「登り窯」で、五条坂陶器市イベント「登り窯のかたわらで」にインターン生と行く。京焼(清水焼)と登窯の歴史についての講演と、テーマにちなんだ歌を工房の中で聞く。友人の「コロナ堂」の本田夫妻らがスタッフで「登窯を活用・保存する会」が主催で、今後も京都に残していこうという熱い思いが満ち溢れていた。京都に生まれ育った僕も立派な登り窯を見て感動し、勉強になった。この登り窯は一見の価値があるぞ。
●8月10日
日曜日なのでゆっくりしたかったが、インターン生もいることだし、仕事もあるので事務所に出勤。この間、ホームページの更新にサボりくせがついているので、これではいかんと「これからの予定」などの打ち込みをインターン生にしてもらう。
インターン生の受け入れは4年前から始めて、1期生の1人は京都市役所にこの4月に就職をして、がんばっている。今回は15人目で、立命と同志社の女子学生。わが娘より若い。9月市会になれば、委員会や本会議の傍聴をしてもらうことになる。そして解散風が吹き始めたので、今日は前原誠司衆議院議員のポスター貼りを彼女たちと一緒に事務所近辺でする。
夕方は、近くの行きつけの理容室「ひげ床」で散髪。フサフサしていた髪がほとんどなくなってきたので、マッサージをしてもらうのが楽しみ。娘さんがぼくのホームページを見てくれているとのこと。散髪は聖護院の「ひげ床」へ行ってや。福祉の勉強やソフトボールがんばりや。
夜は、テレビでPRIDE。桜庭、もう一回やれよ!田村、泣くな!
●8月11日
以前から相談ごとを受けていたことで相談者を伴って宇治市役所に、友人の西川博司宇治市会議員を尋ねる。相談ごとは固定資産税のこと。担当者にも来ていただいて、ああでもないこうでもないのやりとり。宇治市役所と議会棟を訪問したのは初めて。宇治市は、人口18万人。平等院とお茶が有名。民主党の議員は7人。西川議員は社民党時代からの付き合いで、この春の選挙にも応援弁士で行った仲。忙しいのに時間を割いてもらって感謝。
久しぶりに読書。「こぺる」を読む。「こぺる」は藤田敬一さんが編集者で「阿吽社」から発行されている。議員になって17年、制度疲労を起こした同和行政のあり方を巡って、ぼくは「こぺる」に書いたこともあるし、この2,3年さぼっているが、長年、部落問題全国交流会に参加して、触発され、委員会や本会議で発言をしてきた。藤田さん、購読料を払うのを忘れていてゴメン。補助金問題も含めて京都市の同和行政を巡る問題について、しんどいけれど今一度根本的に問い直しをしたいと思っている。
●8月12日
議員団で北桑田郡京北町を視察。市役所から福王寺、紅葉の高雄を通過して北山杉の綺麗な周山街道、国道162号を通って1時間ほど。町役場では、石浦町長さんをはじめ町議さんたちや教育長に収入役さんらが出迎えていただく。京北町は人口7000人弱。林業の町。
昨年11月に地元住民80㌫の署名を集め京都市への編入合併の要望書が提出された。今年の1月には合併問題研究会が設置され、この6月に合併に向けて協議を進めることが確認された。町議の皆さんと懇談の後、バスで京北町森林公園、京北のいえ住宅展示場、京北第2小学校、木材を加工する京北プレカット株式会社、京北病院、宇津峡公園、ウッディ京北などを視察。ぼくは団長ということで挨拶をしなあかんのでそれなりに緊張。いずれこの編入問題は、もちろん議会でも議決することになる。真剣な議論をしていこう。
夜は、市民参加推進条例の立案から制定・施行に関わったメンバーと侃侃諤諤。21世紀カウントダウンのイベントの苦労話なども聞けて楽しかった。ご苦労さんでした。
●8月13日
午後から市役所に。この秋に予定している海外視察団のミーティング。前回の会議でヨーロッパの環境、福祉などの先進都市や姉妹都市を視察地にあげていたのだが、それに基づいて旅行会社3社からのプレゼンテーション。費用や日程、また視察地について提案を受け参加者で議論。10月14日から9日間で行く予定。詳細は、いずれ報告します。
夕方事務所にて、わが後援会の柿阪会長と辻村幹事長に集まってもらって8月26日のサマーサロンのプログラムなどを決める。200人ぐらいの参加者になりそう。また恒例の秋のバス旅行会についても11月16日に行こうということになったが、解散総選挙で日程が流動的やな。
夜は、珍しくビジターを迎えて京都高野川ライオンズクラブの例会。盆やのに涼しい。
●8月14日
左京区は洛北、大原の自治会会長さんらが来所。三千院と寂光院(数年前に焼失したが立替が進んでいる)もあり、紅葉のシーズンは多くの観光客が訪れるが、「京都大原里づくり協会」を結成して、原風景を守り育て、歴史と自然を大切にし、観光と農業振興による里づくりなどを目標に「京都大原里づくりプラン」を地元住民で策定されて、これから農業振興と観光を軸に「村おこし」を計画されている。夢のある話で今後の展開に期待し、また応援したい。また国道367号線や道路の改良工事のことなどで陳情を受ける。観光循環型トイレの設置や下水処理施設の建設など課題も多い。
その後事務所には、骨髄移植バンクの活動をされている方も来所、色々と懇談。
インターン生には、メールニュースの発送作業をしてもらう。近くの居酒屋で一杯。「こんなところに来るのは初めてです」と彼女。オヤジと娘みたいなもんだ。
●8月15日
終戦記念日。
午前中、議員団室で雑務をして、家の増築が問題になっている大原の友人宅に立ち寄って、途中を抜けて琵琶湖は国道161号、国道8号経由、敦賀に立ち寄り、越前は河野海岸から山の中の金華山グリーンランドへ。久しぶりの気ままな4時間のドライブ。敦賀は、かって原発問題や友人の梅木市会議員の応援で度々訪れたところだが、随分さびれたまちになった。
金華山グリーンランドは武生市のキャンプ場。先に着いていた息子や甥っ子と前川夫妻を中心とした友人たちが鴨沂高校後輩の大石君の結婚を祝う会を野外で。ええ雰囲気やった。キャンプファイヤーを燃やして、子供たちは花火。「乾杯」を歌う。ぼくは疲れていたので、飲むのもほどほどにして、早めにテントで就寝。寝袋で寝るのは何年ぶりだろうか。久しぶりの夏休み気分。ええなあ。
●8月16日
自然の中でゆっくりしたかったが、9時前にキャンプ場を出発。山深い越前西部林道を30分ほど山岳ドライブ。8号線を経由して、安曇川町、朽木村から国道367号線を通って大原から帰宅したのは正午を過ぎていた。
午後1時過ぎに新島会館での「藤本敏夫さんの1周忌に集う会」に参加。藤本さんが亡くなって一年。ぼくよりもひと世代上の、今では初老の、かっての学生運動の闘士たちが集う。久しぶりに再会する諸先輩もおられて懐かしい。加藤登紀子さんも感慨深そうに鴨川王国のことなどスピーチ。娘のヤエさんが歌う。最後は、みんなでインターナショナルの大合唱。もうちょっと長生きしていて欲しかったな。
夕方は、鴨沂高校19期会。今年は少なくて40人ほどの参加者。青春時代を思い出し、いつもながらの歓談。親の介護や孫の話題が出始める。鴨沂高校に入学したのは1964年、東京オリンピックの年。あれからもう40年。
夜は大文字の送り火を事務所のマンションの屋上で見る。8階建てなので、「大文字」はもちろんのこと、なんと「妙法」も「船」も「左大文字」もそして遥か西の彼方に「鳥居」も五山の送り日がすべて見えるではないか!近所の人たちも多く詰めかけて京都の夏の終わりの一夜を過ごす。
●8月17日
家で、ぐったり。朝から晩まで一歩も外へ出ずに、ソファーで寝転びながら、テレビで映画など見ながらうたた寝の一日。
●8月18日
財政総務委員会の他都市行政視察で沖縄は那覇市へ。自民、共産、公明、民主の総勢7人の委員と市会事務局と理事者が同行。
灼熱の太陽が照るわが青春の沖縄は、空港から那覇市役所までこの8月10日に開通した都市モノレール「ゆいレール」で行く。前回議員団で来た時は、最後の追い込み工事の時であった。モノレールから眺める那覇のまちは、また格別の印象。ぼくが最初に沖縄に行ったのは、復帰前1969年夏のこと。「20才・夏・オキナワ紀行」と題して「思想の科学」に書いた。あれから34年目。
那覇市役所では、観光振興の取り組みについて担当の課長から説明を受け質疑。2年前の同時テロ事件で観光客が減少したが、400万人を越える観光客が沖縄を訪れている。国内でのキャンペーンは、観光大使を任命し、特に東北地方をターゲットにしているとのこと。外国人客の20万人のうち8万人は台湾からの観光客でこの5月のSARS問題でトラブルがあったが、それもようやく沈静化しつつあるとのこと。世界遺産に登録された首里城やラムサール条約に登録されている漫湖のバードウオチングなどのエコツーリズムも進めている。「めんそーれ沖縄」。泡盛も美味いし、ぼくは沖縄が大好き!
市役所の次に、かっては米軍の住宅地があったところで、今は新都心として再開発が進んでいる地域にオープンした「那覇市IT創造館」を視察。那覇市では、情報通信産業をリーディング産業として位置付けITビジネスモデルの創出を支援するべくこのIT創造館をこの春開設された。インターネットカフエやインキュベート室を設置し、いずれもすでに企業が入居し活動をはじめている。スタッフもやる気満々の説明。
夕食の後、ぼくは国際通に出て、沖縄大学で昨年から福祉を教えておられる加藤彰彦さん夫妻に会う。何年ぶりの再会だったのだろう。サークル「山脈」で出会ったのは30年前。野本三吉のペンネームで、「不可視のコミューン」など著書は多数。横浜の寿生活館や児童相談所時代から発行されていた個人誌「生活者」をぼくは楽しみに読んでいた。2年後には沖縄で「山脈の会」を開催されるとのこと。行くぞ!再会を期して、彼等と別れたあと、深夜の国際通を散策。泡盛を飲んで宿に戻る。
●8月19日
朝の陽射しが眩しい那覇のまちを1人で「ゆいレール」に乗って終点の首里まで行く。モノレールから眺める那覇は白くて美しい。遠くには東シナ海の青い海が広がり、束の間のバカンス気分。バスだったら1時間近くかかっていたところを、首里から那覇空港まで12キロ、30分。空港近くには米軍基地があるが、那覇にいる限りでは、ほとんど米軍基地の島であることを忘れる。空港でみんなと合流して一路福岡市へ。
福岡市では、再開発ビルの博多リバレインに。そこには、ホテルや劇場、福岡アジア美術館、グッチなどのブランドの店にレストラン街にそれに家具屋のある巨大なビルだが、ブランド店は流行っているように思えなかったが、その地下街にある「にぎわいプラザ」と「文化情報館・アートリエ」と「ロボスクエア」を視察。
「にぎわいプラザ」はイベント会場でもあり、また観光や伝統産業を紹介する情報発信の場。「アートリエ」は喫茶店やチケットピアにポストカードなどの販売コーナーや情報交流コーナーがあり、人とアートが交流する場。そして「ロボスクエア」は、まさに文字通り、ロボットの体験スペースということで、ロボット作りもできるし、これは子供だけではなく大人も楽しめる。異色のスペースだった。
続いて、福岡市NPOボランティア交流センターを視察。昨年の秋開館したこのセンターは、公設民営でNPO交流本舗「す・す・す」が運営主体で、館長はぼくの知人だった。登録団体は400団体で、フロアには連絡ボックスやインフォメーションボード、インターネットコーナーや書籍コーナーに印刷機や製本機などもあって市民団体が大いに利用できるところ。京都でも「人・まち交流館」が開館したところで同じような施設ができたが、とことん利用せんとそんやで。食事の後、名物の屋台のラーメンを食べた。美味かった。
●8月20日
午前中、福岡市役所で、行政経営の確立を目指す「DNA2002計画―市役所のDNA転換に向けて」の概要と取り組みについて説明を受けて質疑。5年前の選挙で当選した山崎市長が民間経営手法の導入をするということで、福岡市経営管理委員会が発足し、全職員へのアンケートなどもやって2000年に提言が出された。そのアンケートでは、「おかしいと思いながら直せない」市役所の体質が明確になったという。それゆえ市役所の遺伝子レベルの改革が求められたのだそうだ。また「D」は、できることから始めよう。「N」は、納得のできる仕事をしよう、「A」は、遊び心を忘れずに、という語呂合わせもある。要は、新行政経営システムを構築しようということで、ムーブメント、マネジメント、ガバナンスなどという最近自治体や行政で流行りの言葉を駆使して、改革をしようというもの。担当課長は福岡市の成り立ちから始まって、熱弁を振るった。
10年前、同志社の真山教授が神戸、京都、福岡の3都市の課長級の意識調査をされたことがあり、その結果を持ってぼくは委員会で議論をした記憶があるが、京都市は最悪だった。その要因は、当時の古都税紛争余韻と同和行政で疲弊していたと推測していたが、あれから10年、京都市政も様々な改革がなされてきたが、今一度検証が必要だと思っている。
博多駅で委員会のメンバーと別れて、1人帰京したのは夕方。2泊3日の駆け足の財政総務委員会の他都市行政調査であったが、それなりに実りは多かった。委員会で質疑をしよう。
●8月21日
3日間京都を留守にしていたので、雑務が山ほど。
昼は前原誠司衆議院議員の事務所で民主党2区総支部常任幹事会。解散総選挙が近づいてきたので、左京区、東山区、山科区の府市会議員とこの春の選挙を闘った者が揃い、前原衆議院議員の2区での必勝を期して選挙対策会議。ポスターもできているし選挙葉書の準備も進んでいる。がんばろう!
議員団室では、9月市会が近づいてきたので、各局の理事者が、ぼくが議員団団長ということで、議案の説明にボチボチ来室。交通局は、02年度の市バスと地下鉄の決算について、選挙管理委員会からは、来春の市長選挙で東山区で電子投票を実施したいということで説明に。
夕方は、自民党の椋田議員夫人の通夜に参列。夜は、事務所でひとくち日誌の打ち込み。
●8月22日
午前中、事務所でサマーサロンの参加者の数を確認し始める。230人を越えそう。
午後は議員団室。制度融資の相談。また某保育園の保護者の皆さんらが、保育園の改善を要望しに来られ、担当者と懇談。京都は、地域に根ざした民間の保育園が多いが、良質な保育が行われている。しかし時には、園の経営陣と保育士さんたちと保護者との関係がスムーズに行っていないところも稀にあるようだ。しわ寄せは子供たちにくる。行政的な指導で改善を要望。ぼくの場合、息子は、共同保育「門前小僧」で、娘は「ペスタロッチ保育園」でお世話になり、今もそれぞれ付き合いがある。
夕方には、民主党の岡田幹事長が入洛をしていたので懇談会があったが、保育園の保護者の皆さんとの会が、予定をオーバーしたので、残念ながら参加できず。どんなおっさんか見たかった。
●8月23日
午前中、民主党京都府連常任幹事会。この常任幹事会の最大の協議事項は、すでに新聞報道された衆議院選挙1区と6区の候補者問題。経過説明があって、1区には玉置一弥衆議院議員を、6区には山井和則衆議院議員を公認候補として決定した。当該の一区の府市会議員の間では色々と議論があったと聞くが、玉置議員自身が、よく決断されたというのがぼくの感想。
自由党との合併で4区の候補者問題は、先送りされているが、北神さんに決まれば、民主党の候補者は、1区が玉置、2区が前原、3区が泉ケンタ、5区が気鋭の小林、6区が山井とすべて揃うことになる。ぼくは、市長選対事務局長として府連の総合選対本部に副本部長になった。忙しくなりそうや。
昼からは、「自治・政策フォーラム」。梅林等前市会議員が司会で、ビデオスライド「欧米に見る都市の再生と交通計画」の上映の後、立命館大学で都市政策論をテーマに、また京都市の各審議会でも発言をされているリム・ボン教授が、「都市計画と市民事業」ということで講演。欧米での市民事業の経験を踏まえて、京都のまちづくりへ斬新で刺激的な提案。面白かった。
夜は、ひとくち日誌に他都市調査の報告書き。
●8月24日
夏バテ気味だ。朝から夕方までうたた寝。まちは、そこかしこで地蔵盆。わが町内でも子供たちが路地でワイワイやっている。夕方、テントの撤収の手伝い。夜は、23歳になった娘の誕生日を祝って久しぶりに家族で会食。
●8月25日
午前中、友人のお母さんの告別式。事務所で明日のサマーサロンの参加者のテーブル席を決めるために、参加者の名簿をカードにしてニラメッコ。予想よりも参加者が多く、また次から次へと電話で明日参加しますという連絡や、また急用ができたので欠席しますという連絡。結局27テーブルをセットしてもらうことに。わが事務所スタッフがヤキモキしながらエクセルで人数の把握。
その作業中、融資の相談とバイオトイレの開発をしている友人が来所。わが事務所の1階はケーキとパスタで有名な「セコンドハウス」、そこでそれぞれの相談を受ける。「セコンドハウス」は、わが事務所の応接室やね。
●8月26日
今日は、「ビールジョッキを手に21世紀の京都を語ろうー恒例の鈴木マサホ・サマーサロン」
サマーサロンを夕方に控えて、諸々の準備や参加者のチェックとテーブル決めで悪戦苦闘。午後2時過ぎにようやく目途がつく。
作業中、京都交通労組の友人が来所。市民の足の市バス・地下鉄を守るために労働組合のニューキャラクターを京都市立芸術大学と京都造形芸術大学のデザインを勉強している学生たちから応募をしたいと相談に。協力をすることを約束。デザイン心のある人、応募してみませんか?優秀作品には、5万円相当の商品が出るぞ。詳細は、鈴木事務所まで。
夕方5時前にウエスティン都ホテル入り。今夜のゲスト、ソプラノ歌手の渡辺千賀子さんがギター伴奏の山本りゅう俊さんとすでにリハーサル中。山本さんは、なんと茨木市の市会議員。亡くなった河島英吾のバンドもやり、自分でもCDを作っている人、わが友人の豊田勇造らの友達でびっくり。
6時前には雨の中、受付に続々と来ていただいて、テンヤワンヤ。6時30分を過ぎて開演、会場は250人を越える参加者の方で熱気。司会は文字裕子さん、柿阪正夫後援会長、北岡ちはる府会議員、前原誠司衆議院議員夫人の愛里さんの挨拶の後、ぼくが御礼と決意を述べ、前議員団長の山口幸秀議員の乾杯の音頭をとっていただいて早速歓談。
わが議員団の同僚に泉ケンタ君や北神圭郎4区候補を壇上に上がってもらいスピーチをしてもらう。終わった頃に桝本市長が登場。ご挨拶をしてもらい、会場は盛り上がる。そしてゲストの渡辺千賀子さんが「花」や「イムジン河」を歌っていただく。多少会場がざわついていて彼女には申し訳なかったが、彼女の歌はいいですよ。ぜひちゃんとしたコンサートを企画したい。そして歌姫北岡ちはる府会議員が「お祭りマンボ」をカラオケで歌ってくれる。彼女はプロや!その後、福山参議院議員が飛び込んできてくれて、最後はわが後援会の辻村哲夫幹事長に三本締めでお開きとなった。参加していただいたみなさん、ありがとう。スタッフのみなさんご苦労さんでした。
打ち上げは事務所の地下の「ZAKBARAN」。
心地よい疲れで雨の中を帰宅したのは、午後11時だった。
●8月27日
サマーサロンの心地よい疲れもあるが、今日から9月市会定例会に向けて議案が発送されたので、議員会を開き、各局を呼び込んで議案の勉強会が始まる。頭の切り替えが大事。
団長ということで議事進行を進める。まずは保健福祉局、西大路五条にある市立病院の14年度決算と上京区に成逸老人デイサービスセンターの設置などの議案について、交通局からは、市バス、地下鉄事業の決算の説明と経営健全化策のプログラム21の説明など。経営努力もされ、サービスもよくなってきているが市バスも地下鉄ももちろんいつもながらの巨額の赤字。公営企業決算特別委員会で論議されることに。
午後は、9月市会のわが議員団の代表質問者のことで団長として調整に右往左往。小林議員と隠塚議員がバッターで決まり。9日(火)の昼休みを挟んでテレビ中継もされるので見てや。
また議員会では、煙草の喫煙について論議。ぼくは愛煙家だが、健康増進法の施行もあり分煙は時代の流れ、市役所全体がその方向になるので、議会に喫煙室を設けることで合意。議員団室などでは禁煙になる。この際禁煙をしようかな。
夕方、友人の精神科医が来室。教員のメンタルケアの取り組みについて懇談。
●8月28日
議員会、消防局からは、南区下鳥羽に消防学校や装備課の施設等を統合し、全国からの緊急消防援助隊の活動拠点機能を備えたの「消防活動総合センター(仮称)」の建設に向けての議案の説明。建設局からは、市道の廃止と認定、また第2久世橋の建設について、
理財局からは、政令指定都市初となる「戦略的予算編成システム」の導入について説明を受けて質疑。京都市は、これまで前年度予算に一律の削減率を乗じた予算要求の上限額を各局に提示するシーリング方式の予算編成を行ってきたが、来年度予算では、歳入を見通し、その範囲内で政策重点化枠および局配分枠を決定する「戦略的予算編成システム」を導入する。財政非常事態宣言下で、ぼくが提起してきたように行政評価・事務事業評価システムを活用する予算編成への転換を図ることになる。
上下水道局からは、昨年度の決算の説明。不景気で水需要は減る一方。水道局と下水道局の統合が今後の大きな課題になる。選挙管理委員会からは、京都市長選挙に係わる電磁的記録式投票機を用いて行う投票に関する条例の制定について、つまりは、来年の2月の市長選挙で東山区で「電子投票」を実施するということ。メリットや危険性について質疑。
夕方は、前原誠司衆議院議員の後援会の選挙対策会議。2区は、山科区・東山区・左京区が選挙区であり、代議士の各行政区の後援会の役員さんらが集まり、必勝に向けて熱心な協議。自民党や共産党候補に負けてたまるか!頑張らなくっちゃ!
●8月29日
午前中、左京区役所で担当者と京都まつりの左京区民パレードのことで相談。建都1200年記念事業として始まった御池通での京都まつりは、秋の市民参加の行事として定着したが、今年は剣鉾の行列があたっらええなと思っている。
午後の議員会では、総務局からは、京北町の編入合併に向けて具体的な話し合いを進めるための「京都市・京北町合併協議会」の設置や、農業委員の報酬について、教育委員会の議案は、下京区の中学校の統合、また粟田小学校と有済小学校を統合して白川小学校に、また西京高校に付属中学が来春開校するので、その入学試験料についてなど。環境局からは、北部クリーンセンターと右京まち美化事務所の新設工事の請負契約の議案など。都市計画局からは、先日ぼくも出席していた都市計画審議会で決定された産業大学や四条通界隈の地区計画のこと、そして例によって市営住宅の家賃滞納者に対する明け渡しなどを求める訴えの提起など。これらの勉強会にはインターン生も同席してそのやりとりを傍聴してもらっている。どんな感想かな?
夕方は、同志社の今出川キャンパスへ。総合政策科学研究科の同総会「総政会」の役員会。ぼくは副会長。この11月23日には総会を開き、公開シンポジウム「総合政策と地方政治」を開催することに。中小路府会議員、上村府会議員、野の上高槻市議、中村向日市議らがパネリストの予定。お楽しみに。来てや!朝まで世界陸上の末続選手を見ていた。銅メダルおめでとう!
●8月30日
元インターンの立命館の八木君が来所。彼は1年前にぼくのところでインターンをしていた学生だが、今年の夏は企業でインターンをしていて、マーケティングをしているという。見守りネットということで、独居老人の日々の消息をつかむための家電メーカーの各室につけたセンサーで知らせる方法と、お茶のポットにセットした機器でその安否を知ることができるというそれぞれの商品についてのアンケート調査をしたいということで相談に。京都市の福祉施策について説明をしたりアンケートのやり方についてアドバイス。親が独居で暮らしておられる方、ご連絡ください。アンケートを送ります。協力してやってください。
夕方は、第四錦林小学校で夏まつり。PTAや地元吉田の各種団体の人が大奮闘。模擬店も出され、剣鉾や和太鼓、近衛中学のブラスバンドや女性会の踊りや大賑わい。子供たちも大喜びの様子。
途中で抜けて、高野川ライオンズクラブの清掃事業。地域に奉仕するということで、高野川は松ヶ崎橋周辺でクリーン作戦。バス停周辺には、煙草の吸殻が多数落ちていた。汗を流した後のビールは美味かった。
●8月31日
インターン生の二人と元インターンの八木君も同行して、「京都介護保険にかかわる会」主催のフォーラム「健康な生き方と介護」に参加。
昨年「ドキュメント京都市政」を発行された京都市役所OBの梶宏さんは「介護から見えてきた生きることの意味」と題して、連れ合いの寿美子さんのお母さんの介護の経験を振り返って、いかに自分を生きるのかと熱のこもったお話。
また精華大学教員で、「使い捨て時代を考える会」の理事長槌田劭さんは、自分の両親を介護してきたことを初めて語り、この30年、彼が時代への警鐘として考え、実践されてきた様々な話。ぼくは槌田さんとは、15年間一緒に「核と戦争はごめんだ!」市民定例デモを歩いてきたし、かって「使い捨て時代を考える会」の会報に寄稿したこともあり、今も会員かな?彼は、この30日ほど断食中で、水分だけで食べていないとおっしゃる。梶さんも小食だが、昭和一ケタ世代の思いには脱帽!
会場はこの6月にオープンした「人・まち交流館」会場費は無料だし、各市民団体の皆さん、大いに利用してくださいよ。夜は、世界陸上の女子マラソンに熱中。野口選手が銀、千葉選手が銅メダル。途中で転んだ大南選手がちょっと可哀想だったね。
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