 |
鈴木マサホひとくち日記 |
文字サイズを変える |
  |
|
●10月 1日
今日から10月。快晴。いつもは自転車だが、家から市役所まで鴨川の土手を徒歩で行く。所要時間は20分。
朝から議員会。この市会に提案され、各委員会に付託されていた各議案について、各委員会での審議状況の報告を各議員から受けて、議案の取り扱いについて慎重に審議。市立病院、市バス・地下鉄、上下水道の14年度公営企業決算については、認定をすることに。また電子投票の実施、京北町の編入による合併協議会の設置、下京区の中学校の統合、北部クリーンセンターの工事契約や追加議案についてもすべて、賛成をすることに。
また他会派から提案されてきた意見書案や付帯決議案を巡っては、賛成するか、反対するかを決めていく。イラクへの自衛隊派遣問題では、共産党の案に対して、自民党からも対案が出されたので、わが民主としても対案を出すことを決め、市会運営委員にその調整を任すことに。ちょっと頼りないので心配なところはあるが、辛抱辛抱。
議員会の途中、ユースホステル協会のメンバーが、老朽化した宇多野ユースホステルの早期改築の要望に。水は漏るは、ベッドは小さいは、築40年を越えてもうガタガタ。国際文化観光都市、京都が泣くぜ。
また監査委員と農業委員の選任の経過などについて担当局に説明を受け質疑。ぼくは団長ということで議事進行をし、各議員の意見を聞き集約をする役。たいへんだっせ!
ところで、市役所も禁煙になって、議員団室でも煙草が吸えなくなった。議員会のときは、ニコレットのガムを噛みながら凌ぐ。隣の部屋が喫煙室で会派を超えて、愛煙家が入れ替わり吸いに来て井戸端会議風。なんかイラツク。もう煙草をやめようか。夜は、市役所のメンバーらと一献。
●10月 2日
9月市会定例会もいよいよ大詰め。
今日は付託された議案についての各会派が態度を明らかにする討論結了の委員会の日。10時から議員会。
まずは、昨日各会派から提出された意見書や付帯決議について調整に当たっている市会運営委員から報告を受けて検討。他会派から出されてきた市バス事業、市営住宅の家賃滞納問題などの付帯決議には賛成をすることに。イラクへの自衛隊派遣問題の意見書は、共産党が降ろしたので、自民もわが民主も降ろして結局本会議には上程されないことになった。有事法制のときは、大紛糾したが、今回は紛糾することなく、安堵。
各委員会が当初に予定されていた時間に開会されて、最後の市会運営委員会が開催されたのは、午後4時過ぎ。珍しく波乱もない会期末。団長の出番もない。拍子抜けやな。
もっとも議員団では、ひと波乱。この間、委員会や議員会を欠席し、本会議では居眠りをし、他会派からもヒンシュクをかっている某議員に団長として、怒り心頭、厳重注意。これまで何回かイエローカードを出してきたが、次はレッドカードやで。ええかげんにせえよ!ぼくにも色々と気苦労があるのです。
●10月 3日
9月市会定例会会期末の本会議。
1件の請願の審査について不採択を決定し、右京区の公園整備については採択。以下、財政総務委員会、文教委員会、厚生委員会、建設消防委員会、交通水道委員会、公営企業決算特別委員会の各委員長が次々に登壇をして、付託されていた議案についての委員会での審議について委員長報告。共産党議員が討論に立ったり、表決の時は起立したりで、淡々と議事が進む。
また「高額医療費の返還制度の改善を求める意見書」と「雇用対策の促進・充実を求める意見書」を全会派が賛成して可決。12時前に終わる。
今回可決した主な議案は、「京都市・京北町合併協議会」の設置、来年2月の市長選の東山区における「電子投票」の実施、南区上鳥羽の「消防活動総合センター(仮称)」の第一次整備事業、下京区5中学校の統合、北部クリーンセンター等の新設工事請負契約など、計81件(うち追加提出4件)。市立病院、上下水道、市バス・地下鉄の平成14年度公営企業会計決算は、認定。
市バス事業については、 ①管理の受委託の着実な推進と乗客増につながる市民の利便性向上に努めること、②1日乗車券に新たに小児用を創設するなど工夫するとの「付す意見」をつけ、また市営住宅における家賃の滞納について、、市営住宅の適正な管理に努め、毅然とした姿勢で厳正に取り組むことという付帯決議をつけた。
また、ノーベル賞の田中耕一さん(㈱島津製作所フェロー)を京都市名誉市民として表彰する議案を全会一致で可決、本会議の終了後、本会議場にて表彰式。桝本市長の式辞、田中セツ子議長の祝辞の後、桝本市長より田中さんに表彰状、メダル、そして本人写真入りの楯が授与。最後に、田中耕一さんよりお礼のご挨拶。はにかんだ田中耕一さんの表情が印象的。今後もご活躍を。
本会議が終わってほっと一息。されど昨日イエローカードを出した某議員、こともあろうにこの表彰式のときに居眠りをしているというまたまた大醜態。議員団理事から雷がおちる。ほんまにええかげんにせえよ!今度やったら最後通告のレッドカードや。
午後は、日韓議員連盟のことや海外行政視察の打ち合わせや、介護保険制度のことで、「介護保険にかかわる会」代表の梶宏さんと保健福祉局長との懇談の場、また精神保健福祉にがんばっている砂川議員と市長との懇談の場に同席をし、また新聞記者が市長選挙のことなどで取材に来るわで、夕方まで休む暇なし、やっと一息ついて机の上の資料の整理。
夜は、この7月末から来ていたドットジェイピーのインターン生の江上さん(立命)と西村さん(同志社)と打ち上げ。この夏2ヶ月の期間、なんと40日近くもぼくのところに来ていたことになる。たくさん食べて、大きな声を出して喋ること!と親父気分で娘たちに説教。この体験を活かしてほしいな。
●10月 4日
午前中、情報労連の定期大会などがあったが、疲れていて昼前までダウン。
午後、民主党京都府連第6回定期大会。ぼくは副幹事長ということで執行部側にすわり、また大会運営委員長ということで、参加代議員数の報告をして、日程の説明などをする役目。
会長の福山参議院議員の主催者挨拶のあと、山田啓二知事、桝本市長らが来賓挨拶。その後、党務報告に会計報告、活動方針、予算案など淡々と議事が進み、最後には衆議院選挙必勝決議を一番若い八幡市議の田辺勇気君が読み上げる。
続いて、衆議院選挙必勝に向けての決起集会、1区は6区から転進を図った大学先輩の重鎮、玉置一弥さん、わが2区はご存知前原誠司衆議院議員(41歳)、3区は立命館大学出身でぼくとは学生時代からの付き合いのある泉健太(29歳)が2度目の挑戦。4区は自民党のドン野中さんの地盤に嵐を巻き起こすであろうゴジラ、こと北神圭郎(36歳)、5区は福山議員の政策秘書をしていた小林哲也(33歳)が谷垣禎一議員に挑む。6区は福祉のプロ、山井和則議員が今度は小選挙区での必勝を誓う。彼等の決意表明を聞いていると、胸が熱くなる。若さと行動力と政策、さあ、京都から政権交代だ!
●10月 5日
民主党と自由党の合併大会。
されど、われら地方議員は、運動会日和の日曜日で、左京区内をウロウロと各学区の体育振興会主催運動会周りの一日。まずは地元吉田区民運動会がわが母校第四錦林小学校での開会式に参加。ラジオ体操をみんなと一緒にして、それから岡崎、浄楽、養徳、修学院と周り、さらに大原へと足を伸ばす。大原では前原議員と一緒になり、さらに市原野から明徳に。松ヶ崎では、隠塚議員、北岡ちはる府会議員も一緒になり民主党が揃い踏み。そして3時には、地元の吉田に戻り、すべての競技が終わった後のお楽しみ抽選会で抽選をする役。
この日、10箇所の運動会があったが9箇所を回った。紹介をしてもらえるところ、タオルなどのお土産もあるところ、応援合戦が活発なところ、町内対抗で盛り上がっているところ、プログラムが立派なところ、それぞれの地域性が出ているし、体育振興会のメンバーの苦労が偲ばれる。来週は、地元吉田のお祭りで運動会をすべて回れないけれど、8ヶ所ある。区長等もたいへんだ。
夕方、吉田神社の境内で剣鉾の練習を見学。この10月26日の京都まつりで、左京区民パレードに参加が決まったので、練習も真剣。ご苦労さんです。後片付けを手伝う。
●10月 6日
今、京都は伏見が面白い。
財政総務委員会で、銘酒月桂冠の酒蔵を利用した京都市酒蔵バイオVIL(ベンチャービジネス・インキュベーション・ラボラトリー)を実地視察。京都市は「バイオシティ構想」を策定し、バイオベンチャー企業を育成するためにインキュベート(卵をかえす・起業家を育てる)施設として昨年8月にオープンした。生命情報技術関連のベンチャー企業などに光ファイバーなどを整備したオフイスを貸すというもの。担当者から説明を受けて、各室を使っている研究者などの自己紹介を聞いて、部屋を見て回るが、試験管など実験設備があるのかな、と想像していたらパソコンがあるだけ。拍子抜けした。今は、様々なデーターをインターネットでやりとりする時代なのだな。場所は、中書島近くで、商店街には坂本竜馬の道などもあり、また三石船の疏水運行も始まっており、新たな観光スポットしても伏見が面白いぞ。
帰途、ぼくも運営委員をしている身体障害者の共同作業所「福祉工房P&P」を訪問。パソコンに向かい黙々と版下の作成など作業中。印刷のご用命、ぜひともよろしく。
この秋、京都造形芸術大学は、京都芸術劇場「春秋座」で11月24日公演予定のミュージカル「つばめ」のチケット配布のことで「わらび座」の担当者に会う。この舞台は、ジェームス三木さんの脚本演出で、朝鮮通信使を描いている。チケットは4500円。鈴木事務所までご連絡を。
京都高野川ライオンズクラブの事務所にて国際平和ポスター展に応募してもらった小学生の作品から幹事さんたちと優秀作品を選ぶ作業。左京区の7校の小学生から60枚の作品が届いた。応募してもらった児童のみなさん、ありがとう。
●10月 7日
午前中、京都水道労組の定期大会に参加。同僚の民主党の議員とともに壇上の来賓席に座る。この市会の決算では京都市の上下水道事業は単年度で赤字ではないが、市債の発行残高は巨額に上るし、水需要が減ってきている状況で、上下水道局の統合問題も浮上し、効率的性を求めるリストラも進んできた。労働組合運動としては正念場だ。
午後は、京都地方自治総合研究所の総会、自治労京都府本部を中心に、大学教員などの参加もあって、調査活動や研究会、また講演会の開催、議員交流会、そしてぼくも時には原稿を書いている「地方自治 京都フォーラム」の発行など地道な活動を続けている。事業計画案や予算案などを審議。しっかり政策勉強をしよう。
「民主・都みらい議員団ニュース」の31号が新人の山岸議員の編集によって発行。ぼくは発行責任者として校正。今まではぼくが編集をしていたが、若手がやってくれるようになって、助かる。
その後、前原誠司衆議院の事務所で選挙関係の打ち合わせ。夜は、元田中の「一番ラーメン」でマスターから京都の家賃制度について相談ごと。美味しいラーメンだよ。食べに行ってみてや。
●10月 8日
高校時代の同級生の姉妹が来所。彼女たちは、「レース&ブルーメ」というサークルを結成して、お年寄りたちに手芸品を作る教室を開いている。来秋、聖護院御殿荘で発表会を開催するということで段取りを相談に。
午後は、ライオンズクラブの「視力障害者に愛の光を、献眼登録にご協力を!アイバンクキャンペーン」を高野いずみや前で。通行人にボールペンの入ったリーフレットを配布。ぜひ献眼登録にご協力くださいね。
夕方は、自治労京都市職の本部の新役員と議員団が懇談会。話題は、市政のあり方や市長選挙。自治労市職、京交、学給労、学職労は桝本市政を評価し、この10月初旬に出馬要請を行っている。
●10月 9日
午前中、NPO法人「シルバーリンク」の玉川さんが来室。老いてもなお学究の人であり、「請願」や「措置」という行政用語が差別的であり、その書き換えを求める「請願」を提出したいという要請。憲法や請願法、地方自治法に「請願」が規定されているが、いかにも「お上」に対して申し出るというその行政用語が、今の時代に馴染まないという主張。市民に分かりにくい習慣的な行政用語を分かりやすくする必要はある。
また風致地区における家の立替えについて友人が建築事務所の人と来室。様々な規制がありそれをどうクリアするか、議論。
夕方、民主党2区として前原衆議院事務所の宣伝カーに乗って街頭に。銀閣寺、百万遍、熊野神社前で、久しぶりにマイクを持って演説。まだまだ気合は入らないが、手を振ってくれる人も多くいて、嬉しい。
夜は地元は吉田の「十二提灯・子供神輿」の飾り付けに顔を出し、諸先輩にその作業はお願いして、前原選挙対策委員会に。連合京都からも事務所にメンバーが派遣されることも決まり、いよいよ選挙スタッフも揃った。明日は、衆議院の解散だ!
●10月10日
わが地元吉田のお祭りシーズン到来。
朝、7時前に吉田神社は今宮社に。神輿の飾り付けの作業を見守る。職人さんや長老がイキイキとされるとき。吉田の神輿が復活して25年ぐらい。ぼくも氏子として付き合ってきた。それから有志で、吉田自治会館からテントや椅子を出し、参道に運びテントを立てて宵宮の準備。
昼は民主党京都府連での四役会議。テレビで衆議院解散の瞬間を見ながら選挙情勢を論議。京都に民主党が結成されて5年、若手の国会議員が5人いるし、自共対決に楔を打ち込み、京都府会でもこの春大躍進をした。、この勢いで、今度の選挙では、2区はもちろんのこと、3区、4区、6区での小選挙区での必勝を目指す。がんばろう!不思議に思うのだが、なんで万歳をするのかな?
夕方は、祭りだ!ワッショイ!地元吉田は、本町、上大路、中大路を「十二提灯」と「子供神輿」を巡行。子供たちが50人集まり、ぼくは責任者としてワッショイ!ワッショイ!とかけ声をかける。参道では今宮会による手づくりの宵宮が開催。焼きそば、みたらし団子、輪投げなど昔懐かしい夜店の風景。大人はビールを飲み、子供たちも大喜び。これが「地域力」というものだ。ドイツから来ていた観光客と京都弁の英語で喋りながら民際交流。また北山ラーメン「てっちゃん」にて前原必勝に向けて議論。もうフラフラ。
●10月11日
昼過ぎ、事務所近くの岡崎公園で開催された第1回京都学生祭典のオープニングの見学。京都は大学のまち、市内には38の大学・短期大学があり、学生は14万人。今日はいわば合同学園祭。映画祭あり、パレードあり、踊りあり、メインは平安神宮の特設ステージでは立命館大学3回生の倉木麻衣さんのコンサートありで大賑わい。平和でよろしいな。
3時からは、十二提灯・子供神輿の巡行の二日目。吉田神社の参道から二本松町、下大路町、近衛町を回る。昼間なので小さな子供たちも多く、保護者の皆さんにもお手伝いをお願いして、ワッショイ!ワッショイ!と回っていたら、パトカーのサイレン! ぼくは先頭を歩いていたので、気がつかなかったのだが、細い道を猛スピードで車が突っ込んでくる。そして、その後続をパトカーが走り抜ける!一瞬、何が起きたのかわからない。かろうじて、子供たちも逃げて、怪我人も出なかったが、冷や汗が出る。狭い道でのカーチェイス。もし途中に車が止まっていなかったら大惨事になるところだった。結局、その後、近くでその暴走車の犯人は逮捕されたそうだが、ほんまにびっくり仰天。ともかく、怪我人もでなかってよかった。胸をなでおろす。
夕方、宵宮には、前原衆議院議員と北岡府会議員が寄ってくれて、主だった世話役さんを紹介する。この日は、宵宮では、ビールを一杯飲んだだけで事務所に戻って雑務。平安神宮の境内からは倉木麻衣の歌とバンドの音が聞こえていた。
●10月12日
今日は、吉田のお祭りだ。
朝、祭りの準備が進む境内に立ち寄ったあと、養正、川東、葵学区の区民運動会を回る。各会場では、友人たちが声をかけてくれたり、体育振興会の役員さんにご挨拶したり。養正では、左京区長ら来賓とパン喰い競走に出て「あんぱん」をゲット。3位だった。美味かった。
それから昼前には吉田に戻り、ハッピを着て神輿に合流。蒸し暑い。先頭をお稚児さんらが歩き、今宮太鼓の勇壮な演奏、また剣鉾が三基、鈴の音を響かせながら、秋晴れの空に立ち、その後を神輿が続く。所々で、お年寄りたちが神輿を拝まれ、昔のお祭りの光景。第四錦林小学校の前と吉田本通では小学校の剣鉾クラブの子供たちが子供剣鉾を挿し拍手喝采。ぼくは、子供剣鉾を運んだり、十二提灯・子供神輿の行列を指示したりで、てんてこまい。夕方、5時前には今宮社に無事に神輿は収められ、直会(なおらい)。足洗いと言うか反省会みたいなもので、みんなで乾杯。帰宅したのは7時ごろだった。心地よい疲れで、よく寝た。
●10月13日
朝、吉田は今宮社へ。雨模様のなか、神輿の後片付け。長老の指示に従いながら、倉庫に収納していく。雨でびしょ濡れ。木曜日の夜に十二提灯・子供神輿の飾り付けをして以来、4日目の朝、もうフラフラ。吉田のお祭りもようやく終わった。今年の10月26日(日)の京都まつりの左京区民パレードでは、子供剣鉾と吉田の3基の剣鉾が参加する。見てや!
午後は、明日から京都市会海外行政視察でヨーロッパへ出発するので、その準備。また松井孝治参議院議員の「京都からこの国のかたちを変える会」の懇親会に参加。北川前三重県知事などがパネラーで、会長の堀場雅夫さんらと名刺を交換する。
その後、今度は民主党2区総支部、山科の前原誠司事務所開きに参加。前原後援会の人たちが、およそ150人参加。小雨が降りかかるが、なんとか天気は持ち、前原候補が決意表明。いよいよ選挙だ!でも明日から23日までの9日間、ぼくはヨーロッパへ市会海外視察団の一員として京都を留守にする。選挙が出来なくて申し訳ない。海外視察の日程については、「これからの予定」に書き込んでおきます。それから帰京するまでこの「ひとくち日誌」の更新を休みます。報告記をお楽しみに。それでは行ってきます。
●10月14日
(京都市会海外行政調査団の一員として14日から23日までスウェーデンはヨーテボリとストックホルム、チェコは姉妹都市プラハ、ポーランドはワルシャワ、そしてフランスはパリに行ってきました。大きな事故もなく、成果を上げて23日の昼前には無事に帰京しました。英文の資料など多数持ち帰ってきたので、報告記は衆議院選挙後に書きますが、とりあえずの報告ということで、この「ひとくち日誌」に簡単なメモとして書き留めておきます。)
未明まで事務所で雑務をしてほとんど寝ずに朝7時過ぎ京都駅集合、「はるか」で関西空港へ。メンバーはわが議員団の宇都宮さんを団長に、ぼくと小林、砂川議員、自民党議員団からは富、繁、中村(三)、中川、津田議員の合計9人。
昼前、エールフランスで12時間余のフライト、ひたすら寝る。パリ着は現地時間の夕方5時過ぎ、時差は8時間。2時間ほど待って空路、スウェーデンはヨーテボリまで、2時間余。現地時間、夜の10時にホテルへ。快晴の北欧の夜空。気温は3度。空気が冷たい。3年ぶりのヨーロッパ。
●10月15日
スウェーデンは、初めての訪問地。
ヨーテボリは澄み切った青空、冷たい空気が心地よい。コートを着て朝のまちを散歩。ホテルの前は駅前で路面電車・トラムが走っている。ヨーテボリは、公園も広く、街路樹の菩提樹が紅葉し、見事な景観。大学生が3万4000人いる大学のまち。かってノーベル文学賞を受賞した大江健三郎氏も講演したという。またボルボの本社があるまちで、環境問題に先進的に取り組んでいる。
環境展示場「エコセントラム」を視察。京都で昨年オープンした「エコロジーセンター」の元祖のようなところ。地方自治体や政府の援助を受けずに、非営利団体が運営している。エネルギーや水問題、ダイオキシンやゴミ問題、企業の協力を得て、雨水を利用したトイレや低公害車、エコマークの商品や太陽光発電などの展示コーナーがある。この施設が環境教育の一環として小学生の見学施設になっているのはもちろんのこと、特記すべきことは、環境企業を育てるために環境マネージメントのための企業研修の場になっていること。京都でも各企業が環境問題にようやく取り組み始めているが、京都のエコロジーセンターでも、こういう企業研修の場をするまでには、まだいたっていない。このエコセントラムは、スウェーデンの環境問題のネットワークの要になっている。説明をしてくれたのは、女性の職員。
午後、スウェーデンの新幹線X2000で、森と湖の車窓の風景が3時間ほど続くとストックホルム。途中S議員が列車酔いで体調を崩しアタフタするが、たいしたことはなくてよかった。
●10月16日
北欧のベニスと呼ばれるストックホルムの朝は、自転車通勤が盛ん。冷たい外気の中を自転車専用レーンがあって、手袋をした人たちが行き交う。もう初冬だ。
「少子化及び女性の社会進出に対応する子育て支援施策に係る調査」のためにストックホルム市庁舎に。川沿いにある市庁舎は、ノーベル賞のときの晩餐会が開催されるところ。建物自体が観光スポットにもなっているし、議場もある。
とある部屋で元市会議員の方で法律家のマルガリータさんに、福祉の施策の先進都市、ストックホルムの社会サービスについて、お話を聞く。彼女は、穏健党に属する人で、市議会は101人で構成されていて長年福祉問題に取り組んできたひと。自治体の仕事は、育児、生活保障、学校教育、生活保障、身障者福祉などに取り組むことが義務付けられていて、もちろん高負担・高福祉で、税金が世界で最も高いのは周知の通リ。1970年代の女性解放運動も盛んだったこともあり、男女の雇用均等はもちろんのこと、能力開発の均等もあって、女性の社会参加も最も進んでいる社会。育児手当も手厚くされており、男性の育児休暇も保証されている。また子供の権利を大切にするところで、児童オンブズマンの制度もある。現在の出生率は1・63で目標は2.01だそうだ。
視察団の各議員からは、離婚率や年金の問題や精神保健福祉対策や議会の構成などにも話題が及び、時間のたつのも忘れるほどだった。
残念ながらストックホルムではゆっくり市内視察もする時間もなく、昼食後すぐに空港へ。チェコ航空でプラハへ。京都市の姉妹都市、古都プラハに着いたのはもう夕暮れ時だった。
●10月17日
好天のプラハ城と旧市街区を視察。
プラハ城には、多くの観光客。カフカの住んでいた家もあり、眺めるプラハの市街のまちは絶景。昨年夏の大洪水で、大きな被害をこうむったところを案内してもらう。まちの中心を流れるモルダウ川にかかるカレル橋は、まさに歩道橋になっており、大道芸人や音楽家たちもいて、観光客は、秋の風に吹かれて楽しそう。ビロード革命後、10数年、今プラハの町には1000万人の観光客が来るという。まちにはトラムが走り、旧市街区には、石畳が引きつめられ、中世の町並みを残している。
午後、プラハ市庁舎を表敬訪問。古い市庁舎は、時計があり、その広場前には多くの観光客が時報を告げるのを楽しみにしている。荘厳なる市庁舎で副市長さんが歓迎をしてくれる。
夕方、自由時間のとき、1968年の「プラハの春」のとき、ソ連軍の戦車が終結し市民を弾圧した大通りをひとりで歩き感慨にふけり、またひとりでトラム(路面電車)に乗って、夕暮れのプラハを散策。
夜は、プラハ京都協会の方と懇談。写真家のトーマさんは、京都の庭園の写真集を出版されているし、ペテルカさんは、京大で原子力工学を勉強した人。日本語も達者。姉妹都市交流は、こういう民間での交流が大切だと思う。
●10月18日
早朝5時過ぎ起床。未明のプラハのまちを後にして、9時前の飛行機でポーランドはワルシャワへ。1時間余のフライト。
ポーランドは、ドイツとロシアに挟まれ、また第二次世界大戦のときは、ワルシャワは、ナチスに侵略され、多くの市民が殺され、壊滅的な打撃を受けた。またワルシャワゲットーに収用されたユダヤ人の多くは、そのまま収用所に送られ殺害された。わずか60年前のこと。
音楽家ショパンの生まれたまちとして有名だが、その都市がいかに再生されたか!旧市街の歴史博物館で、ナチス侵略とレジスタンスの抵抗の歴史、そしてまちの再生を描いた「忘れない!」というドキュメント映画を見た後、副館長さんから熱の入ったレクチャーを受けて質疑。また歴史博物館の中の展示の説明。全ての建物がナチスに破壊されたまちが、昔の写真や絵を元に、戦後すぐに市民の力で戦前と同じように復元・復興されていったのだ。
また戦後、ソ連の支配下のもと、自由が制限され、東欧の社会主義が崩壊していく過程は、ワレサさんをリーダーとする「連帯」の登場で決定的になったが、広場のソ連の警察長官の銅像が倒された写真は、その象徴だった。ポーランドの悲劇的な歴史に思いを馳せながら、ホテルで早々に眠りについた。
●10月19日
ワルシャワの黄金の秋の日曜日。午前中、秋の陽射しが美しいワルシャワのメーンストリート、新世界通りをひとりで散策。歩道には、花が植えられ、高さの揃った建物が見事な街路の景観を形成している。
また午後は、旧市街区を視察。ヨーロッパの都市は、かって城壁に囲まれていて、そのなかのまちはほとんどが車が入れないようになっており、中心には広場がある。広場周辺には、教会やカフエやお土産もの店があり、露店があったり、大道芸人が芸を見せたり、若者たちが音楽を楽しみ、絵を売ったりもしている。なんとなくそこでたたずんでいるだけで、気分がいいのだ。
スターリンが建てたという巨大な建物はグロテスク極まりない。ワルシャワ・ゲットー跡地の記念碑にはイスラエルから来ていた青年たちが、花を捧げていた。日曜日ということもあり、すこしゆっくして、夕方に空港へ。
エールフランスで空路2時間余でパリへ。ホテルに着いたのは、午後10時を過ぎていた。
●10月20日
午前中、パリ市は東部のかって「と殺場」のあったところの広大な土地を都市型公園として再開発された「ラ・ビレット地区」を視察。19世紀後半からあった「と殺場」が閉鎖されたのは、30年ほど前。以降、色々な経緯があったようだが、地区の活性化と「と殺場」跡の建物を利用して、科学産業と音楽文化の二つのゾーンのある、パリ最初の都市型公園を作るということで、国際コンペをして、ベルナールチュミ氏が設計をした。担当者のマダムが模型を前にして、経過やその広大な敷地内の諸施設について説明をしてくれる。大きなイベントホール、公園の中に音楽施設が点在し、科学館もあるし、住宅地もあり、まちが自然に連なっている。かって、京都市は洛南サイエンスタウンを打ち上げたが、結局は机上のプランだけに終わった。あれは幻の計画だった。
午後は、凱旋門近く有名なシャンジェリゼ通のところにある観光局を訪問。京都市も産業観光局に観光部があり、また京都駅にも観光案内所があるが、その建物は桁違いに立派なもの。アジア地区担当のマダムが対応していただき、元々は民間人で観光業に従事していた局長さんがパリの観光事業について説明をしてくれる。花の都パリを訪れ、宿泊する観光客は3300万人、交通渋滞が大きな悩みだ。光の都、若くて創造力のある近代都市として、観光客誘致をしている。この春は、SARSや経済不況、イラク戦争、ドル急落で観光客が減少したという。パリと京都市は姉妹都市でもあるので、お互いの経験を今後も交流したいと締めくくられた。
夜は、吹き抜ける風が冷たく感じたが、セーヌ川からライトアップされたエッフエル塔などを見上げ、パリの夜は更けていった。
●10月21日
午前中、パリ市西部の閑静な住宅地の中にあるアメリカンホスピタルを視察。日本人看護士の女性の方に案内をいただいて、映画上映もできるホールにてドクター・パポンからパリの救急患者に対する救急医療サービスに係る説明を受け、また10分ほどのビデオを見せて貰らう。
フランスには、SAMUという救急医療サービスがあるというのが、日本とは大きな違いだ。警察は17、消防は18の電話番号が日本でいう110、119だが、15番はSAMUに繋がる。もちろん消防局の救急車はあるが、このSAMUは、1970年代に発足している。簡単に言うと、救急専門医が各病院に配属、待機していて、救急車に同乗して現場に走り救命医療を施しながら病院に搬送するというシステム。バカンスの時に事故が多発し、ちょっとした手当てをしたら助かるというケースがあるので、国や地方政府が協力して制度を作ったという。日本では近年、訓練を受けた消防職員の救急救命士が乗り込むが、医師が救急車に同乗する制度はない。この救急システムは日本でも取り入れるべきや。そう思う。
午後は、パリ郊外に足を伸ばして、「廃棄物処理エネルギー転換施設・アザリス」を視察。15市町村人口20万人の広域行政組合が設立した京都でいうところのクリーンセンター。アザリスの建設までのビデオを見せて貰った後、元市会議員のマダム・ルダックが、説明をしてくれて質疑。この施設の目標は、環境に影響を与えない、建築物としても景観に配慮し、世界のモデルになるようなものということで建設され、各国から視察団が来るという。大きな特徴は、ノルベルジーという民間会社に委託・運営をさせるPFI方式をとっている。発生した電力は電力会社に売り、また残灰は道路舗装用に活用される。フランスは、ドイツのように分別がそれほど進んでいないようだが、京都のわが東北部クリーンセンターは、環境面では遜色はないと感じたが、建物はちょっとでかすぎるかな。
森の中の高速道路を走って、渋滞のパリに帰ってきたらもう夕暮れだった。ヨーロッパも8泊目。ちょっと疲れ気味。お土産や資料にコートをトランクに詰めて、帰国の準備。
●10月22日
ヨーロッパ駆け足視察旅行も終幕。ホテルを午前11時前に出発して、午後2時前のエールフランスで帰国の途へ。12時間弱のフライト。
映画を見たり食事の他は、ほとんど寝ていたが、シベリア上空の飛行機の窓から垣間見た夜空に北斗七星が瞬き、また暗闇から徐々に地球の東のほうから太陽が昇り、黄金色に輝き始める時は、宇宙の神秘さを感じた。
10月23日
関西空港に午前9時前、無事に到着。少し汗ばむ気候。視察団のメンバー、事故もなく、大きなトラブルもなく、無事に帰京できてよかった。家についたのは昼前。風呂に入って、少し寝る。夕方、事務所にて雑務。郵便物などに眼を通すが、ボーとしている。早々に帰宅して、日本シリーズ。星野阪神、金本選手が劇的なサヨナラホームラン。やったぞ!日本酒が美味かった!
●10月24日
時差ボケか、頭がぼや-としている。昼前には、連合京都のメンバーも入れて民主党京都府連四役会議。衆議院選挙の告示を来週に控えて、各選挙区の情勢分析。準備が上手く進んできるところや多少問題があるところなどチェック。
午後、2週間ぶりに市役所の議員団室に。机の上はこの間に配布された資料類が山のごとく。来週の29日に予定されている都市計画審議会の議案について、担当者から説明を事前に受ける。
夕方、修学院に開設された前原事務所に。ヒゲをはやしているので、会う人たちの反応が面白い。東郷元帥、キャプテンサンタか、などと言われ、「汚い!剃りなさい」と即刻言う人もいれば、様々。ぼくの仕事が議員と違ったら、伸ばしているんだが。
それは、さておき臨戦体制の前原事務所では、浦島太郎。それぞれのセクションの人から選挙準備の進行状況を聞き、今後のぼく自身の役割を考える。
夕方、北山ラーメン「てっちゃん」で食べたラーメンは、ほんまに美味かった!夜は、京都まつりの左京区の区民パレードに参加する剣鉾保存会の練習を激励に。負傷者が出ていて、心配。夜は、ヨーロッパ視察のメモを「ひとくち日誌」に打ち込み始める。
●10月25日
朝一番、「人権ひろば・錦林のつどい」に参加。「人と人、つなぎ合う心と行動で人権と共生のまちをつくろう!」がスローガン。解放同盟と全解連が一緒になった集会。岡崎中学の吹奏楽部の演奏や府立大学学長の井口和起さんの講演。1960年前後の錦林の同和地区の様子などを話される。
途中で抜けて、吉田神社での境内での第四錦林小学校の伝統文化部の子供たちの剣鉾の練習を見学。明日の京都まつりの左京区民パレードに参加してもらう。
その後、市長選挙のことで関係者と協議。議員団団長として色々と調整することが多い。
午後、山科の民主党2区総支部の事務所に。山科の前原後援会や山口幸秀議員の後援会の人たちにご挨拶。
夜、ウエスティン都ホテルで菅直人代表を向かえて決起集会。大きな会場は千人の参加者で埋まる。そして、ゲストは、京セラの稲盛和夫さん、前原誠司への熱い応援エールと民主党支持のスピーチ。感激したな。終了後、2区の議員、北岡、山口、隠塚そしてぼくの4人が集まって必勝に向けて作戦会議。
●10月26日
朝一番、前原事務所で諸般の打ち合わせ。
昼、御池通の京都まつりに。晴天に恵まれ祭り日和。左京区民パレード隊の先頭を区長や各種団体長さんらと歩く。パレードの華は、わが地元吉田の剣鉾保存会のメンバーによる剣鉾とわが母校第四錦林小学校の子供たちによる子供剣鉾の巡行。御池通に2基の剣鉾が鐘を鳴らしながら、凛として秋空にそびえた光景に感激。子供たちの剣鉾も大人気。沿道の観衆から拍手。事故もなく無事に解散地点についた時はほっとした。
夕方、剣鉾保存会の打ち上げで御礼を言い、飲むこともなく前原事務所での選挙対策会議に。本番を控えて諸般の打ち合わせ。もうフラフラ。
●10月27日
午前中、事務所で雑務。忙中閑あり、事務所前のギャラリーでの友人の陶芸家、日置恒人君の展覧会を覗く。
午後前原選挙事務所で拡大選対会議。明日からの本番を控えて、議員団、後援会のメンバー、連合京都の労組のメンバーが揃い、状況分析と電話戦術や推薦葉書の出し方、マニフエストの配り方、事務所体制、街頭行動の日程など詰める作業。
夕方は、わが事務所で第2回目の「定例マサホサロン」。参加者は少なかったが、アルツハイマー病の研究をしている先生が参加していただいて、痴呆にならないにはどうするのかとか、遺伝子のこととか話題は豊富。このサロンは、毎月最終の月曜日にやる予定。ぜひご参加ください。その後、「ひとくち日誌」にヨーロッパ視察のメモを「ひとくち日誌」に書き込む。
●10月28日
衆議院選挙、告示。
朝、ヨーロッパ視察中から2週間伸ばしていたヒゲを剃るのに時間がかかり、前原候補の出陣式になんと遅れる。(自分ではショーンコネリーかヘミングウェーのようにかっこええと思っていたのだが、残念。またそのうち伸ばすぞ!)それはともかく政権交代をかけた総選挙の始まり。2区は自民党の山本候補、共産党の原候補、そしてわが前原候補の三人の争い。候補者は、元気よく選挙カーで出発。
午後は、民主党京都府連の大きな宣伝カー「ダッシュ号」が左京区に入り、高野いずみや前で福山参議院議員も応援にきて街頭演説。いよいよ始まった!ぼくもその車に乗り込んで、八瀬、大原、鞍馬や左京区の幹線通を「今日から選挙が始まりました。民主党です。前原候補をよろしく」とマイクを握る。手を振ってくれる人も多く、まちの反応は上々。夜9時から選対会議。今日一日の反省と明日の行動日程の調整など。これから12日間の勝負だ。
●10月29日
出町柳駅前で朝立ち。叡山電車が到着するたびに候補者は通勤客に挨拶をし、また川端通を通過するドライバーに手を振って挨拶。8時からはマイクを持って政策を訴える。学生ボランティアが元気な声を上げてくれる。その後、比例区用の宣伝カーが左京区に入ったので、その車に乗り込んで、地元の吉田や聖護院を「地元の鈴木です。民主党を、前原候補をよろしく」と走る。
午後は、京都市都市計画審議会。議案は、公共下水道の変更ということで鳥羽処理場の用地の変更、木津川流域関連京都市公共下水道区域の変更、生産緑地地区の変更、地下鉄東野駅の自転車駐車場の出入り口の変更、また都市計画法および建築基準法が改正されたことに伴い、市街化調整区域内の容積率、建ぺい率、高さの限度について。生産緑地の個所が議案書に1ページ分抜けていたことは、失態であったが、議案そのものは、大きな議論をすることもなく、淡々と承認をしていった。
夕方は、京都高野川ライオンズクラブの例会。賀茂ライオンズクラブの方もビジターで来られいささか緊張したが、ぼくのヨーロッパ視察報告。
そして同じ会場のアピカルインの隣の部屋で北岡ちはる府会議員が責任者の左京区で前原候補、最初の演説会。会場は300人の入り、隠塚議員、北岡議員らと一緒にぼくも応援弁士。民主党のマニフエストや前原候補との出会いなど演説する。多くの参加者が来られて幸先のよいスタートを切れた。
●10月30日
午前中、市役所の議員団室に。わが友人たちが立ち上げた生活協同組合・エルコープのメンバーと精華大学の学生らが来室。環境局の担当者と廃棄物会計ワークシートの記入のことで懇談。ゴミ処理やリサイクルにどのくらいのコストがかかるのか、京都市のゴミ問題について意見交換。
また男女共同参画条例のことで担当者がその内容について説明に。紆余曲折あったが、ようやく11月市会に上程されることになった。さらに建設が予定されていた精神保健福祉施設の計画のことで担当者と協議。忙中閑あり、事務所前のギャラリー東風に友人の鈴木基寛の個展、
その後夕方まで前原選挙事務所で来客の応対など。事務所来客の数少く、盛り上がりはイマイチ。夕方、わが事務所にてぼくの後援会の幹事さんたちに集まってもらって、前原候補の所信を聞くミニ集会。リラックスして候補者はマニフエストのこなど語ってくれた。終了後、前原選挙事務所に。夜9時過ぎから選挙対策会議。今日の反省、明日の行動計画の確認。
●10月31日
ようやく時差ボケから脱してきたが、連日のハードワークで疲れ気味。候補者は至極元気。わがカミさんを中心としたメンバーも前原事務所に詰めて電話戦術。ぼくは、11月6日に予定されている近衛中学でのぼくが責任者の前原演説会をどうするか、頭を悩ます。
選挙車に乗って、午後、民主党の前原をよろしくと地元の吉田、聖護院を中心に回る。候補者は、手を振ってくれる人がいたら車から降りて握手に走る。若いなあと思う。夕方、大原、市原野を個人演説会の呼び込みを兼ねて、マイクを手に回る。個人演説会は、大原小学校と市原野集会所、そして鞍馬。応援弁士の隠塚、鈴木、北岡の順でそれぞれの会場で演説をし、次の会場に順番に走る。
大原小学校では、会場の行動がほぼ埋まるほどの150人。前原後援会の役員さんが一生懸命参加を呼びかけられた様子。また市原野も鞍馬も会場がほぼ満員の70人ほどの入り。大原では、観光トイレと下水処理施設、市原では東北部クリーンセンター、鞍馬では地域水道の問題と、京都市市政報告をした後、これらの地域は、自民党の支持者が多いところだが、前原ファンが多い。そこで、ぼくの演説は、比例区は自民に入れてもらってもいいけれど、前原候補をぜひとも当選をさせてください、というアピール。
夜10時前から選挙対策会議。会場部の責任者のI君から個人演説会の参加者の数や雰囲気について講評がされるのが、楽しいしまたプレッシャーになる。シビアに状況分析と前原後援会の動きが鈍いのと事務所の活気がイマイチなのでその対策。
|
鈴木マサホ事務所
〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町17-1 鈴木文化会館2F tel:
075-761-5537(代) fax: 075-761-5591 |
Copyright ©2001-2010 Masaho SUZUKI All Rights Reserved |
|