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       鈴木マサホひとくち日記 
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2003年11月

                 


●11月 1日
土曜日の朝、いささか寝坊したけれど7時30分に大原街道と岩倉からの合流点の花園橋で朝立ち。学生ボランティアや地元の後援会のメンバーなどがシンボルカラーのブルーの旗を立てて通勤のドライバーなどによろしくお願いします!とご挨拶。近くでは共産党の候補者が同じように数人伴って朝立ちをしていたが、初めて候補者の顔を見た。なんや元気がない。

10時前に上賀茂神社での京の農林秋まつりに。財政総務委員の委員として参加。好天に恵まれ、市内のJAの支部などが農産物などを販売。左京区の関係者のテントを覗いてつけものや農産物を購入。

昼前、市長選挙のことで関係者と協議。4年前の市長選挙の日程を踏まえて、今後の日程などを調整。

午後は、選挙車で左京区南部を走り回り山科駅まで。山科駅前では、学生ボランティアのメンバーなどが結集し、銀輪部隊。前原候補、元気に先頭を走り出す。

夜、地元吉田は、神輿を担ぐグループ、今宮会のご苦労さん会。吉田の神輿が復活して20年余。長老を交えて今年の反省会。酔っ払うこともなく、選挙対策会議へ。毎晩帰りは12時前。


●11月 2日
選挙戦中、唯一の日曜日。午前中は、娘がお世話になったペスタロッチ保育園のバザー。卒園児の親の会「ぶどうの会」のメンバーとして賑やかしに。娘も23歳になって、園長の糸井先生とは長い付き合いになった。それから近くの第四錦林小学校で「おやじの会」が子供たちと蕎麦を手打ちで作るのを見に行く。近所の友達のうどん屋の店主らが指導者。地域と学校の交わりが活発になっていると感心。

昼からは選挙、選挙。大型の宣伝カー「ダッシュ号」に乗り岩倉方面を走り回り、また学生ボランティアと出町柳駅から百万遍から東大路通をブルーののぼりを立てて桃太郎作戦。候補者は、すれ違う人たちに握手作戦。運動員はマニフエストを手渡す。高野いずみや前では街頭でマニフエストの訴え。

夜は、岩倉での個人演説会の応援弁士。この夜、ぼくは行かなかったが、京セラの稲盛和夫さんが北白川小学校で応援弁士に立たれた。百人力だ。


●11月 3日
候補者は朝から、左京区の最北部、久多、広河原、花背へ大遠征。ぼくは疲れていて昼前までダウン。

目覚めたらかなり激しい雨。岡崎道の京都聖マリア教会でのボーイスカウト24団のバザーに。息子が小学校時代にカブスカウトでお世話になっていたのでぼくはデンダッドもしたことがあり、現在は育成会の会員でもあり、また京都市会スカウト振興議員連盟の副会長でもある。雨の中、テントでおでんやうどんを食べて友人たちとワイワイ。

その後、熊野の事務所に篭ってぼくが責任者の6日の近衛中学校での個人演説会に参加をお願いするべく準備。電話戦術を始める。その後前原選挙事務所で来客の応対。新聞記者さんたちが調子はどうですか、と取材に。

夜は、東山通仁王門下るの満足稲荷神社での演説会。雨模様でもあり、また連休の最後の夜でもあり参加者は40人ほど。自民党の候補者が、比例区は公明党にと訴え始めていたので、ぼくは演説で「天下の自民党が恥ずかしい」と訴える。されど公明票がそのまま自民候補に行きそうなのでわが陣営も危機感をもたないかんで。


●11月 4日
朝から6日の近衛中学校での個人演説会に参加してもらうように組合や友人宅を回る。なんとか400人を越えないことには、選対でコキ降ろされるので、面子もあり必死。わがカミさんや後援会のメンバーもぼくの支持者名簿を終日電話で参加の呼びかけ。

午後は、わが地元、熊野神社交差点から聖護院、吉田をぼくが先頭に立って桃太郎作戦。わが地元なので知人も多く、気合が入る。わざわざ家から出てきていただく方も。うれしいね。京大正門前では、京大出身の前原候補をよろしくと訴える。

夕方、岩倉方面を宣伝カーでウグイスマン。そして個人演説会は、上高野崇道会館と岩倉の花園公民館で。小さな会場だけど熱気に溢れる。あと4日。事務所の雰囲気も盛り上がってきた。


●11月 5日
選挙もいよいよ終盤。報道関係の世論調査も発表されたので、朝8時より朝食をとりながら、民主党京都府連の四役会議。連合京都の役員を交えて、総選挙の最終情勢分析と対策、2区はなんとか抜き出たという判断のもと、6区の山井、3区のケンタ、4区の北神をてこ入れすることに。

その足で、自治労京都市職の第27回定期大会。衆議院選挙真っ最中ということもあり、民主党の衆議院候補が挨拶、また民主・都みらい市会議員団も挨拶をさせて貰う。また来春の市長選挙には、自治労市職として桝本市長三選に向けてすでに出馬要請もしており、市長選挙勝利に向けての決意も委員長から述べられる。

午後は、連合京都の木戸会長代理を交えて拡大選対会議。引き締めと最後の最後までがんばろう!と気合を入れる。その後、ぼくはひたすら電話で個人演説会参加のお願い。もう必死やで。


●11月 6日
朝、出町柳駅での街頭行動。候補者と一緒に選挙車に乗って下鴨、養正学区などを回る。

そしてぼく自身にとっては、この選挙の最大の山場、わが地元、わが母校近衛中学校での個人演説会。夕方5時過ぎから設営に。学生スッタフに300人の参加者にはなると見込んで椅子を並べてもらう。6時過ぎにはぼくの後援会のメンバーも揃いスタンバイ。

わが地元吉田、聖護院の人たちを中心に、自治労や京交など連合京都の組合の友人や市役所の友人たち、前原後援会や北岡ちはる後援会の人など続々と詰めかけて来られる。7時過ぎに演説会をスタート。司会はぼく自身で、最初にぼくの後援会の会長柿阪正夫さんが熱弁。続いて前原後援会の小林祥一会長、福山参議院議員、北岡ちはる府会議員、そしてぼくも多くの聴衆を前に気分よく「民主党と前原誠司をよろしく」と大演説。そして花束贈呈の後、前原候補が政権交代を!とマニフエストを訴える。

会場は立ち見の方もおられて感激。選対本部会場部の発表は参加者なんと481人。花丸ではなかったが、5の評価。ご参加いただいたみなさん、ほんまにありがとう。正直ほっとしたな。これで勝てなかったら、京都の民主党は全滅やで。


●11月 7日
朝一番、朝立ちは花園橋。天気も良くて、昨夜の個人演説会も盛況だったので気分も格別。元気な学生ボランティアと一緒に手を振る。いよいよ選挙戦もあと2日。候補者も元気だ!

10時から「住みよい京都をつくる婦人の会」の創立35周年の記念総会。京都市政を推進させる母体になるために1969年に創立。当時は公害問題や消費者運動、ゴミや水問題、福祉問題などに取り組んでこられた。近年は会員の高齢化が進んでいるが、内藤しげ会長の元気さには驚く。いつもなら市長が直々挨拶をされるのだが、副市長が代理で参加。どうやらいつも元気な桝本市長も風邪でダウンしたらしい。鬼の攪乱やな。

昼からは、選挙事務所で来客の応対。千羽鶴を折る人も増えてきた。夕方は、例のごとく選挙車に乗り込んでウグイスマン。個人演説会は、下鴨のマクリン幼稚園と前原候補地元の修学院小学校。修学院小学校は、後援会の人を中心に地元でもあるので600人を目標にしていたが、予想より少なくてちょっと寒い感じ。それでも応援弁士が熱弁をふるい、候補者も政権交代の約束を語り、なんとしても当選をと訴える。さあ、あと一日だ。


●11月 8日
ラストサタデー、候補者の朝立ちは山科は東急イン前。自民と共産の候補者とかち合ったらしい。ぼくは8時過ぎに熊野神社前で合流。

最後の一日ということで、大票田の左京区を回る作戦。選挙車の後続を伴走車を3台つける。ぼくと隠塚議員は、その車に乗り込み身を出しながら「民主党、前原をよろしく!」と声をからす。下鴨、岩倉から南部に下がってきて、昼からはまた上高野、八瀬、大原、鞍馬まで足を伸ばし、日が傾きかけた頃には、修学院から一乗寺に。前原候補の人気はたいしたものだ。まちの反応はたいへんよい。

そして5時過ぎには祇園石段下に。選挙戦も最後ということで、桃太郎作戦をやっていた労組や後援会の人々が祇園石段下に結集し、街頭行動のフィナーレ。もう夕暮れも過ぎて暗い中に600人が結集!議員団が次々にエールを送り、学生ボランティアの代表もそして前原候補も素晴らしい演説。

安井金毘羅宮での個人演説会に顔を出し、また7時過ぎから選挙車に乗って、最後のお願い。北岡ちはる府会議員のマイクは最高。午後8時丁度に事務所前について、ご近所の方々に御礼を言ってマイクでの訴えも最後。嗚呼疲れた!

個人演説会を終わって候補者が事務所に戻ってきたのは午後10時。明日の投票箱が閉まるまで選挙戦だということで、締めくくり。されど12日間の選挙戦は終わった、勝利を確信して、久しぶりにスタッフとビールでお疲れさん。


●11月 9日
午前中、ぐっすり寝る。午後ようやく目覚めるが、立ち上がれず。ぼくの事務所では、棄権を呼びかける電話作戦を展開中も行けず。

夕方、カミさんと近くの近衛中学に投票に。ご近所の方が受付で、ご苦労さんでした、と声をかけられ、お礼。もちろん前原誠司、民主党と書く。

夕方、ウエステイン都ホテルでの京都賞受賞者の歓迎レセプション。その会場で、新聞記者から、出口調査の結果も聞き、2区3区6区の候補者の当選を確信する。パーティには、稲盛和夫さんも折られたので、民主党に激励にメッセージをいただいたので、名刺を交換してお礼を言う。

そして、前原選挙事務所に。10時に当確が出て万歳!左京区の開票結果が出てくるのが遅くてヤキモキ。なんと2万票の差。圧勝だ!また3区の泉健太、6区の山井和則も勝ち、民主党は大躍進!玉置さんも比例で当選したので、京都の民主党の衆議院議員は、4人だ!万歳!

12時過ぎまで当選のお祝いに多くの方が来られ応対に追われる。そしてスッタフ一同、前原代議士を交えて喜びを分かち合ったのは1時前か。それから祝杯を上げて帰宅したのは未明。心地よい疲れで、ぐっすり寝た。

ご支援いただいたみなさん、ありがとう!


●11月10日
未明まで勝利の祝杯を上げていたのでフラフラ。

昼から11月市会定例会が11日に告示されるので休む間もなく市役所に。おめでとうございましたと、多くの方から声をかけられる。机の上に溜まった資料読み。登庁する同僚議員も疲れた表情だけど、民主党が大躍進して喜びを分かち合う。

夕方、前原衆議院議員が事務所に当選の挨拶に。と同時に市長選挙のことで、色々と話し合う。衆議院選挙の余韻に浸る暇もなく市長選挙に向けて、頭を切り替えて様々な調整を始めなければならない。しんどいな。


●11月11日
11月市会定例会告示。

朝一番、民主党京都府連会長の福山参議院議員と市長選挙を巡って協議。民主党が京都で大躍進したので、市長候補を独自に立てるべしだという声も上がってくるだろう、とぼくは予想。どう対処するのか。

連合京都は予定されていた日程で、この日、桝本市長に三選の出馬要請。午後、ぼくは民主・都みらい議員団団長として関係者と伴に京都商工会議所の村田会頭に会い、市長選挙の母体になる「健康都市をつくる会」の会長就任の要請。

議員団室では、11月市会定例会の議案の説明に各局の担当者が来るし、新聞記者が市長選挙のことで、民主党はどうしますのや、と取材にくるし、テンヤワンヤ。


●11月12日
11月市会の議案発送の日。14年度の決算書や議案説明書が机の上に。条例では、産業廃棄物の不適正な処理の防止等に関する条例、男女共同参画推進条例、の2つの条例が目玉。議員会を召集して、理財局、消防局、総合企画局、教育委員会に来てもらって、14年度決算を中心に各議案の勉強会。

夜は、高野川ライオンズクラブの例会。会長なのでサボるわけにも行かず。


●11月13日
勉強会の2日目。ぼくは団長ということで進行役。居眠りをするわけに行かず、睡魔との闘い。都市計画局、環境局、産業観光局の順番。

夕方、「建設経済新聞」の記者さんに取材を受ける。後日、その新聞を見ると「市民運動から民主党の重鎮に」と見出し。

夜は、同志社大学総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会。23日の総会に向けての準備。

テレビのニュースで、土井たか子社民党委員長辞任の報道。大学時代に憲法の講義を聞き、初当選の時社会党だったぼくは、いささかショック。はつらつとされていた時代がなつかしい。長い間ご苦労さんでした。


●11月14日
朝一番、松井孝治参議院議員、福山参議院議員とわが議員団の副議長経験者の長老3人と朝食を取りながら市長選挙を巡って懇談。忌憚のない意見交換をする。ぼくは団長であり、また民主党京都府連の市長選挙対策委員会の事務局長なので、調整で四苦八苦。

その後は、議員会を開催して、建設局、総務局、文化市民局、保健福祉局の順番で勉強会。またこの間の市長選挙に向けての経過を報告はしないかんし、神経も使う。また代表質問の準備をしている新人の山岸議員からも相談を受けたりで、アタフタ。


夜は、名古屋からわが青春「ベ平連」時代の友人夫婦が京都観光、10年ぶりくらいの再会。ロシア料理の店「キエフ」でウオッカを久しぶりに飲む。



●11月15日
朝一番、左京区は鞍馬から峠を越えて花背の京都市野外活動施設「花背山の家」の開所10周年記念式典。地元小中学校の児童による記念演奏や、地元の物産品の販売。開所以来100万人を越えた。

ゆっくりする時間もなく、秋の峠道をトンボ帰り。わが母校近衛中学校での「わがまち、再発見!近衛フエスタ03」。吉田今宮太鼓のオープニングで、PTAのコーラスや子供たちの楽器演奏に京都朝鮮中高級学校のコーラスなど、地元のお年寄りなども集い、賑やかに開催された。ぼくが卒業したのは40年前か。

夕方は、同志社大学文学部文化学科文化史の同窓会、「史友会」総会と懇親会。ぼくは1968年度入学、西洋史専攻でほとんど授業には出なかったので9年かかって卒業したのは1977年の春。卒業論文は「プエルトリコ史概説」。ゼミで指導をいただいた大下尚一先生も亡くなって10年。当時の先生方もお元気な方もおられご挨拶。


●11月16日
朝、地元は錦林小学校グランドで聖護院学区の自主防災会の防災訓練。バケツリレーでの消火訓練や心臓マッサージなどの救命訓練、担架を使っての訓練など住民参加型の訓練。新洞学区の防災訓練も激励に行き、豚汁をご馳走になる。

その足で、新風館での、槌田劭さんがリーダーの「使い捨て時代を考える会」30周年記念、「ほっこりあんだんて」のイベントに。安全農産センターが中心で、有機栽培された農産物を生産者が販売されたりの催し。かって新宿で本屋「模索舎」を活動拠点にしていた「有機本屋―ほんコミ社」の五味正彦さんと再会。これまた20年ぶりかな。

午後は、修学院の社会福祉法人「修光学園」の「修光まつり」に。バザーや模擬店など。

夕方、左京区は叡山電車に乗って二の瀬に。線路沿いの紅葉をライトアップした光景は、見事。二の瀬の「お火焚き祭り」とは、大人も子供も松明を手に近くの神社まで歩き、無病息災を願う伝統的な行事。わが左京区には、様々な祭りがあるのだな、と感動。その後、モロッコ料理とタイ料理を食べる会。


11月17日
午後から議員会。この日の午後5時が代表質問の質問要旨提出の締め切り時間ということで、今枝議員と新人議員の山岸議員が代表質問に立つので、その質問要旨の説明を受ける。ヒゲの今枝議員は、ノー原稿で演説をするということで、色々と心配をしつつ、楽しみでもある。

この日の午後、市会議員は参加していないが、「健康都市を京都をつくる会」が名称変更をして、村田商工会議所会頭が会長になり市長選挙の選挙母体になる「光り輝く京都をつくる会」の総会が結成され、桝本市長に出馬要請。

夜は、韓国民団の役員さんたちと京都市会日韓議員連盟の役員で懇談会。ぼくは民主・都みらい議員団の代表で、議員連盟の一応副会長。地方参政権の問題など課題は多い


●11月18日
朝、朝食を取りながら民主党京都府連の四役会議。衆議院選挙の簡単な総括の後、国会議員を交えて、市長選挙対策委員会の役員会。民主党京都府連として、望ましい市長像をということで、主要政策(マニフエスト)を提起するコメントを発表することに。

10時からは市会本会議。市長が冒頭挨拶をして、14年度決算ないし行政実績とその他の議案について高木副市長が提案説明。

午後は、本会議場でわが同志社総合政策科学研究科科長の新川達郎教授が、議員研修会ということで、議会の活性化と議員の政策立案について、講演。本会議場で、このような講演会が開催されたのはぼくの記憶では初めて。意義深いものであった。その後、市長選挙の今後の日程などを巡って関係者と協議。

夜は北岡ちはる府会議員のお母さんらとお疲れさん会。


●11月19日
午前中、明日の本会議で、わが会派を代表して質問する山岸議員や今枝議員の質問要旨のことで最後の詰め。

午後は、民主党京都府連の市長選挙のことで記者会見する声明文のことで国会議員らと調整に四苦八苦。
「京都市長候補が明らかにされることをのぞむ主要政策項目」ということで、人材立都への基本姿勢、学都再建への実現、京都経済の復権、真の観光都市への脱皮、あらゆるしがらみを捨てた抜本的な行財政改革の断行、時限を区切っての抜本改革の6項目を発表することになった。

その発表のための記者会見の申し入れに市政記者室に行く。新聞記者に色々と事前に聞かれるが、それは明日のお楽しみにということで煙に巻く。夕方は、久しぶりに事務所に篭って選挙中の「ひとくち日誌」を書き込み更新の作業。


●11月20日
午前中、本会議では教職員の給与の議案を可決して散会。

午後1時からの本会議は、KBS京都放送のテレビ中継が入る各会派からの代表質問。自民党からはベテランの北川議員が最初に質問に立ち桝本市長の2期8年の実績を評価。実質上の出馬要請。以下、自民党は2期目の田中議員と新人の津田議員が初登壇。津田議員は、親父さんを継いだ2代目。海外視察のことを盛り込んだ質問。共産党は女性の倉林議員。衆議院選挙直後で、また市長選挙を控えて、それなりのやりとり。本会議終了後、本会議場で普通決算特別委員会の委員長等を互選。

また午後3時過ぎの休憩時間には、民主党京都府連参議院議員福山会長が、記者会見をして市長選挙のことで「京都市長候補が明らかにされることをのぞむ主要政策項目」のコメントを発表。ぼくは同席せず。終了後、各社が取材攻勢。

夕方は、民主リベラル京都労組懇談会の総会。民主党が選挙に勝利したので、気勢が上る。泉ケンタ衆議院議員も初々しく挨拶。


●11月21日
本会議の2日目。共産党の加藤広太郎、新人の赤坂議員が初登壇。

そして、わが民主・都みらい議員団からはヒゲの今枝徳蔵議員がノー原稿で演説。本気で本音で喋るのが徳さんの信条。ハラハラドキドキで聞いていたが、答弁する市長もノー原稿で答弁し、それなりに緊張感があった。午後からは、わが議員団の山岸君が新人らしく元気よく質問をする。

公明党からは、団長の日置議員と新人の木村議員が登壇。適当な野次が飛ぶ時は目も覚めるが、睡魔との闘い。

その後、市長選挙のことで関係者と日程などの調整。夕方は、議員団会議を開き、桝本市政2期8年の検証や、また市長選挙の政策のことや予算要望のことなど議論。

この2週間、衆議院選挙で疲れ、休む暇もなく11月市会が始まったが、代表質問の本会議も終わり、ほっと一息。週末でもあったので久しぶりに同僚とカラオケにも。たまには息抜きもしないともたんよ。


●11月22日
少しゆっくりした土曜日。午後は、民主党京都府連の各総支部の幹事長会議。ぼくは2区総支部の幹事長代理で参加。衆議院選挙の総括に向けての議論。

1区では玉置議員が比例区で当選を果たしたが、大健闘をして、共産党の候補を上回ったは快挙。わが2区では、ぼくらもがんばったが、知名度抜群の前原誠司が、自民党の候補に2万5千票の大差をつけての圧勝!3区の泉ケンタも2万票の差で現職の自民党候補に大差の勝利、4区の北神候補は、亀岡市長選挙と同時選挙になり、亀岡以北では差が開いたが、西京区では自民候補に勝ち、右京区でも32票の僅差。次回は大いに期待できる。がんばれよ!5区は大臣の谷垣候補の地盤でもあり、新人の小林君とは大差がついたが、民主票は共産票にも2万票以上上回り、自民票にも2万票の差まで追い上げた。立派なものだよ。また6区は前回比例区で当選を果たした福祉の山井和則が、現職の自民党に2万票の差をつけての勝利。

京都の政治地図は大きく変わった。小選挙区では3勝3敗、比例区の玉置さんと合計4人の衆議院議員が誕生したことになる。やったね。


●11月23日
同志社大学総合政策科学研究科の同窓会、「総政会」の総会と公開シンポジウムと懇親会。ぼくは総政会の副会長ということで、司会。

総会は淡々と進み、公開シンポジウムは、「総合政策と地方政治―今、地方自治が面白いー」というテーマで、この春の統一地方選挙で当選した総合政策科学研究科を修了生の京都府会議員の中小路健吾君、上村崇君、在学中の高槻市会議員の野々上愛ちゃん、そして中村栄仁向日市会議員の4人の若い自治体議員をパネラーに、そしてコメンテーターは、新川達郎総合政策科学研究科科長にお願いしてのシンポ。

なぜ立候補したのか、総合政策科学研究科で学んだ意義、日々の活動などや夢を大いに語ってもらった。ぼくは司会をしながら、彼等の若さに圧倒されつつも、先達として、総合政策で学んだことを政策提言してきたが、彼等のように、初心を忘れることなく、もういちど初心に戻ることをシミジミと感じたのであった。愛ちゃんが一番元気やった。

懇親会には、この衆議院選挙で滋賀県で当選を果たした修了生の田島一成議員も駆けつけ、大いに沸く。ぼくは副会長をもう一期努めることになった。


●11月24日
朝、中央市場の「鍋まつり」に。

ぼくは2回目の選挙に負けた後、34歳から38歳で初当選するまでの4年間、中央市場の塩干部の今は倒産してなくなったが、山安・山本水産で朝4時過ぎから働いていた。中央市場も活気のあるときで、しんどい仕事だったけれど、ぼくの最も元気な時だった。議員になってからも中央市場には思い入れがある。

衰退する中央市場に活気を取り戻そうと、各業界が協力しての初めての「鍋まつり」。市民がたくさん詰めかけて大賑わい。即売り切れのところもあったようだが、毎年開催して欲しいな。

午後は、日曜日だというのに議員団室に。明日から始まる普通決算特別委員会の質問の準備で資料を読んだり、各局のホームページを見たり質問メモを作る。

夕方、わらび座のミュージカル「つばめ」の公演を見に京都造形芸術大学の京都劇場「春秋座」へ。ジェームス・三木さんの脚本で、江戸時代の朝鮮通信史を題材にした物語。国家に翻弄される人々を描く。結末は主人公が自害をするという悲劇だ。拉致事件をも連想させるし、江戸時代の日朝友好の話でもある。多くの在日の友人も見に来ていた。


●11月25日
普通決算特別委員会が二つの分科会に分かれて始まる。ぼくは第2分科会。

初日は総合企画局。自民、共産、民主、公明の順番で、ひとりの持ち時間は30分。この日は、2回質問に立つ。質疑したのは、左京区北部の地域水道の進捗状況と下水処理の問題。また行政評価システムと戦略的予算編成システム。電子自治体づくり、ホームページの評価や電子会議室。また大学コンソーシアムや大学情報ネットワークと市民のデジタルデバイドの取り組みなどを質疑する。各会派からそれぞれ委員が質問に立ち、夕方まで。

夜は事務所にて第3回「マサホ定例サロン」。今回のゲストは、「市民環境研究所」代表で元京大農学部教授の石田紀郎さん。「ミカンの話―省農薬栽培に取り組んで30年・農薬汚染からの脱出」。農薬裁判から始まって和歌山でのミカン作り、またこの数年彼のライフワークになっているアラル海を中心としたカザフやウズベキスタンなど中央アジアの話にまで広がった。参加人数は少ないけれど、今後も色々なゲストを呼んでやります。12月は22日ですよ。


●11月26日
普通決算特別委員会の2日目。第2分科会は総務局。ぼくの前に共産党の議員が、市役所の禁煙について質疑をしたので、愛煙家として、健康増進法の趣旨は理解するし、市役所が禁煙になるのは了解するが、屋上で雨に濡れながら喫煙する職員の姿は、あまりにワビシイと総務局長に改善を求める。ほんまに喫煙家は居場所がなくなってきたな。

その他、ニュー・パブリック・マネージメントを原理とする市政改革のあり方や14年度は幹部職員が事件を自殺をするという不祥事もあったので、その後に発足した公正職務執行委員会の役割や職員のメンタルケアや相談のあり方、また内なる国際化の問題などを質疑する。自分の質問が終わると睡魔との闘い。

終了後、議員団室で28日にぼくが民主党本部に行って指定都市として党派別予算要望をすることになっているので、そのレクチャーを理財局の担当者から受ける。夜は高野川ライオンズクラブ例会。鍋を囲んで和気アイアイと。


●11月27日
普通決算特別委員会の3日目。理財局から14年度の決算報告があって各委員が質疑。ぼくは2日間質疑に立ったので、今日は宇都宮議員らに任して質疑を聞く。法人市民税の100億円の減収は、京都の世界的な企業の数社の落ち込みが響いているのだ。

昼休み、久しぶりに府庁に行く。民主・都みらい京都市会議員団団長として、民主党・府民連合の府議団に市長選挙のことでご協力お願いのご挨拶に。

委員会終了後、自治労市職、学校給食労組、学校職員労組、京都交通労組の役員と先日、民主党京都府連の福山会長が記者会見で発表した「京都市長候補が明らかにされることをのぞむ主要政策項目」を巡って懇談。色々と議論や調整をしなければならないことが、山積。苦労しまっせ!

夜は、たまっていた「ひとくち日誌」の打ち込み。


●11月28日
朝一番、「のぞみ」で東京へ。指定都市行財政問題懇談会ということで、民主党本部へ。

大都市である指定都市が、それぞれの議会の財政関係の委員会に所属している議員と財政当局の担当者とが一緒に各党派に要望運動をするという年末恒例の行事。ぼくは社民党議員団時代には何度か行ったことがあるが、民主党になってからは初めて。自民党も共産党も公明党もそれぞれ要望活動をやっているのだ。民主党の会議室には、30人ほどの国会議員が集まってるなかで、各都市自己紹介をし、札幌市が当番市と言うことで「大都市財政の実態に即応する財源の拡充についての要望」をして、ぼくも京都市会を代表して、三位一体改革の不透明さと税源委譲の必要性や京都創生への援助、そして民主党の指定都市ネットワークの結成の必要性をスピーチ。

わが前原、福山議員らも参加してくれ、終了後、国会議事堂の議員食堂でカツ重を食す。そして地下通路を通って議員会館へ。泉ケンタや山井和則議員の部屋にも挨拶に。そして土井たか子さんの部屋にも行くが、留守であった。少し時間があったので東京の雑踏を歩いて、東京駅前の京都市東京事務所に顔を出して、一緒に行った担当者等と夕食を伴にして、帰京。

この日決算特別委員会は、産業観光局との質疑が行われていたが、ぼくは公務出張ということで、もちろん委員会は欠席になった。


●11月29日
昼、民主党京都府連常任幹事会。衆議院選挙後初めての常任幹事会ということで、京都の全国会議員が揃う。衆議院議員は、玉置、前原、泉、山井の4人、参議院議員が福山、松井の2人で、合計6人だ!圧巻ですぞ。健闘した北神、小林両君も挨拶をして、激励の拍手。話題は、来年夏の参議院選挙。ポスター張りのことなどを決める。

次に市長選挙のこと。ぼくは、議員団団長でもあり、また民主党京都府連市長選挙対策委員会事務局長ということで、この間の経過報告と明日30日に市会与党三派で桝本市長に三選への出馬要請をするという報告などを粛々とする。多少議論はあったが、阿吽の呼吸というか、概ね理解をして貰った感じで、ほっとする。

夕方は、明日の鈴木マサホバス旅行会の準備の点検とタオルなどを取りに走る。今回は事務所スタッフが準備をしてくれたので、準備に右往左往しなくてよかった。明日は雨が止むかな?


●11月30日
第13回「鈴木マサホ・バス旅行会」。

雨も何とか上がり、曇り空。事務所前には8時過ぎに明星観光バスが1台、参加者は、ほぼ満席の55人。毎年1回のこの旅行会を楽しみにしていただいている方や地元の後援会の方などに来ていただいて感謝。バスは、名神から北陸道を経由、敦賀から越前海岸へ。車中、ぼくはマイクを持って、四月の選挙の当選御礼から始まって、衆議院選挙の御礼や市政や左京区の課題、また市長選挙のことなどを喋る。そして、昼前に目的地の越前シーサイドホテルに無事に到着。

ホテルの前で記念写真を撮ったら、みんなと乾杯もする時間もなくタクシーに乗って武生駅に。1時前のサンダーバードに飛び乗って京都駅に着いたのは2時過ぎ。そして京都ホテルに走る。

3時から、自民党、公明党の議員団団長と議長、副議長も同席して、新聞記者も揃う中、桝本市長に粛々と出馬要請の儀式。その後、今後の日程など3派で協議。あわただしい時間を過ごす。

そして、7時前には山科は名神の東インターへ。越前海岸から帰ってきた、わがバス旅行会の参加者にお帰りなさいのご挨拶。無事に楽しく帰ってきてほっとした。そやけど疲れたな!



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