 |
鈴木マサホひとくち日記 |
文字サイズを変える |
  |
|
●12月 1日
暖かい師走。もう12月。
今年の1年間はぼくにとって特に早く感じる1年であった。4月の市会議員選挙で5期目の当選。5月市会での代表質問、議員団の団長就任。さらに百万遍から聖護院への事務所の移転。そして9月市会定例会、10月には、運動会とお祭り。そして海外行政視察でヨーロッパに行って、帰って来た直後から衆議院選挙での前原選挙、民主党の大躍進。そして11月市会定例会が始まり、同時に市長選挙への水面下での調整。ほんまに休む暇なしの1年。
普通決算特別委員会第1分科会は5日目。文化市民局の質疑。ぼくは質問に立たずに、わが議員団からは、今枝議員が、岡崎公園の野球場の市民への開放を特に訴え、新人の山岸議員は住基ネットの問題や伏見区は桃山城跡地のなどを質疑。ぼくは、各会派の議員の質疑を聞くが、共産党の若い議員の質問に迫力がないなあ。
夜は、10月に地元でぼくが責任者で巡幸した「十二提灯子供神輿」保存会の反省会の案内配り
●12月 2日
普通決算特別委員会の最終日。第1分科会は教育委員会。わが議員団からは今枝議員と宇都宮議員が担当、宇都宮議員は、図書館行政などを質疑。養護学校のクックチル方式の給食や中学校給食について共産党の議員がシツコク迫るが、議論はかみ合わず。6日間に及んだ2分科会に分かれて質疑をしてきた普通決算特別委員会の局別質疑が終わった。
数年前までは、ひとつの委員会で質疑をしてきたが、分科会方式になって、質疑は深まるようになった。ただ、保健福祉局、環境局、消防局、建設局、都市計画局の質疑は、第2分科会で行われ、ぼくはその分科会ではないので、関係局と質疑が出来なくて残念だ。
夜は、決算委員会も質疑が一段落したので、市役所の組合の自治労市職、京都交通労組、学校職員労組、学校給食労組の役員さん等と市長選挙を巡って懇談。散会後、久しぶりに行きつけのスナック「ゲリラ」に。偶然飲み友達と会い、別の店で又飲む。
●12月 3日
普通決算特別委員会は、書類調査。第一分科会、第二分科会の委員が全部揃って、第2会議室に山と積んだ各局の出金伝票や領収書などの書類を調査。旅費や工事請負の契約書やタクシーチケットや報酬や水光熱費や文具費や購入された図書なども全て網羅されている。全部に目を通すことは出来ないが、この書類調査は他都市の議会ではやってないと聞く。質問があれば担当者に聞くこともできる。
途中、自治労清掃支部の定期大会に議員団を代表して挨拶に走る。昼休みには、市長選挙のことで関係者と協議。書類調査は午後3時まで続く。
終了後、議員団会議。市長選挙のこと、桝本市政2期8年間の総括や新年度16年度の議員団から市長に出す予算要望のこと、また議会の今後の日程など、報告事項や協議事項など案件を協議。団長として議事の進行をする。夜は、民主党2区総支部の議員団会議。衆議院選挙の総括会議。前原誠司衆議院議員の圧勝をみんなで喜ぶ。よかったね。
●12月 4日
この間の決算特別委員会の各分科会での審査報告書が送付され、市長らは、明日の総括質疑を控えて勉強会の一日。委員会は休会。
久しぶりに事務所で来客の応対。十二提灯神輿保存会の会計報告の作成準備や鴨沂高校時代の同級生の姉妹が主宰している「レース・ブルーメ」という手芸教室の作品展開催のことなど。
午後は、議員団室で精神保健福祉施設の建設計画のことで関係者と協議をしたり、明日の市長総括の質問者の順番を決めたりで右往左往。ぼくも質疑をしたいことは多くあるのだが、会派の持ち時間も決まっていて、それぞれの分科会から代表4人に質疑を任すことに。夜は、自民党の長老の国枝議員と一献交わしながら四方山話。
●12月 5日
普通決算特別委員会の総括質疑。第一、第二分科会の議員が全員揃い、分科会での論議をふまえて市長と3人の副市長に質疑をする日。自民、共産、民主、公明の順番で、また大会派は持ち時間も多く、わが民主は55分プラス10分の延長。またひとりの持ち時間は答弁も含んで20分。
戦略的予算編成システムや市税の徴収率、改良住宅の家賃滞納、人事登用システム、岡崎グランド、第三セクター、観光問題、環境問題、介護保険、ライトハウス、市政改革、防災、同和行政、経済の活性化問題など、14年度決算を踏まえ、また関係しないこともあるが、各会派の議員が、京都市や各行政区の諸課題について、質疑をする。
事前に大まかな質疑の項目を市長サイドに伝えておくこともあるが、何が飛び出してくるか分からないこともあり、答弁する市長らもさぞ緊張していることだろう。昼休み、また3時には20分の休憩を挟んで6時前まで、合計22人の議員が質問にたった。ぼくは、各議員の質疑を聞きながら、市長の答弁をメモる。たまに野次を飛ばすこともあるが、質疑に立たないと緊張感がないんだな。これが仕事だとはいえ、一日中座っていると腰も痛くなるよ。
●12月 6日
午前中ダウン、午後、岩倉の土地区画整理事業に関して相談を受けていたところの現地を見に行く。また同志社大学総合政策科学研究科事務室に過日の同窓会「総政会」の報告に。
夕方は、久しぶりに散髪、近所の行きつけの「ひげ床」の店主は同世代で、話が弾む。切るところあらへんがな!と言われ、鏡に映る薄くなった自分の髪にシミジミ、年齢を感じる。
夜は、ライオンズクラブのガバナー諮問委員会ということで他のクラブの会長や幹事の方と意見交換。このご時世、わが高野川ライオンズクラブは少人数で運営をしているが、いずこも運営はたいへんみたいだ。
●12月 7日
午前中、松ヶ崎小学校で宝ヶ池通狐坂工区道路整備事業の起工式。岩倉へ抜ける宝ヶ池通はヘアピンカーブで長年岩倉の住民から改善の要望があったが、この度、妙法の送り火の山すそを橋梁方式で道路改修が行われることになった。竣工は17年度の予定。
正午にはウエスティン都ホテルに。「光り輝く京都をつくる議員連盟」の総会と桝本市長の出馬表明及び記者会見、さらに「光り輝く京都をつくる会」第2回総会と、2月8日の京都市長選挙に向けてのスタートを切る。
議員連盟には市長与党の市会議員、さらに府会議員も多数参加。田中セツ子京都市会議長を会長に選出し、各市議団から決意表明。ぼくは、民主・都みらい京都市会議員団の団長として壇上に座り、会派を代表して決意表明を述べる。そして桝本市長が出馬の挨拶をした後、記者会見。
桝本市長は、「激動の時代を自ら先頭にたって乗り切る」を信条に、行財政改革と市民参加の一層の推進、歴史都市・京都の創生と美しいまちづくり、産業・経済の活性化と5千万人観光都市の実現、子育て支援の充実と次代を担う子供たちの教育環境の整備、安心・安全で健やかにくらせる福祉のまちづくり、環境政策の推進、市民生活と経済活動を支える都市基盤整備と歩くまちの実現の7項目の基本政策を発表。その後、市会の各会派の団長がコメントをするということで、民主・都みらい議員団長として、マイクを握る。テレビカメラも回っていたのでさずがのぼくも緊張した。
記者と市長とやりとりがあった後、次は、村田純一京都商工会議所会頭が会長の「光り輝く京都をつくる会」の第2回総会。連合京都をはじめ各種市民団体の方々が参加される中、またまた議員団団長ということで、「2月8日の投票日まで2ヶ月、民主・都みらい議員団は、みなさんとともに桝本三選に向けてがんばる!」と決意表明。なにせ、短い時間だったけれど3回もマイクを握り、演説する内容も少し変えて喋ったので疲れたよ。
ともかく今日から市長選挙が実質的なスタートを切った。民主党京都府連としては、市長選対の役員会などを早急に開催して、桝本市長の基本政策を検証して、推薦を決めていくことになるだろう。
●12月 8日
普通予算特別委員会が開催される(決算委員会ではない)。この普通予算特別委員会も二つの分科会に分かれて、この市会に提案されていた補正予算を審議。
選挙管理委員会からは、衆議院選挙に関わり、ぼくは選挙の啓発や投票率の向上、またこの2月の市長選挙で東山区で実施される電子投票の普及啓発の進捗状況などについて、また理財局とは、国の三位一体改革が迷走するなかでの予算編成の見通しを質疑する。文化市民局では桃山城キャッスルランド跡地の運動公園計画を巡って、教育委員会とは御池中学校のPFI方式による建設計画、産業観光局は緊急雇用対策などが話題になった。
実はぼくが初当選した17年前は、補正予算も各議案も、このように委員会に付託されることなく決定されていたのだよ。議会も随分改革されたものだ。
夜は事務所で久しぶりに「ひとくち日誌」の打ち込み。またとあるマスコミの記者から同僚議員の法人の固定資産税の滞納問題について取材を受けて憂鬱な気分。
●12月 9日
財政総務委員会。委員会に付託されていた議案、当せん金付証票の発売金額について、なんのこっちゃというとこれは「宝くじ」のことだ。簡単な説明があっただけで質疑はなし。
理事者からは、2002年度「バランスシート・行政コスト計算書」について説明があった。この数年、自治体会計のあり方が議論をされてきたが、必ずしも営利を追及する企業会計と仕組みは一緒にならないが、いかに行政コストを正確に表現できるのか、その手法として、このバランスシートはさらに改善が必要だろうが、市民に財政の実態を説明する上でも有意義だと思う。いずれ議論をしたい。
所管局のない共産党の議員が紹介議員の「消費税等の大増税計画の撤回の要請」は、留保。産業観光局からは新任の理事者紹介の後、一般質問ということで、東山区の議員が秋の行楽シーズンの観光渋滞についてシツコク食い下がったのが印象的。昼には散会。
午後、自治労建設支部の定期大会で挨拶。また議員団室には来客多数。夜は、地元吉田の「十二提灯子供神輿保存会」の反省会。地元の長老や剣鉾の仲間も集まりワイワイ。
●12月10日
朝のNHKのニュースで同僚議員の法人の固定資産税等が滞納されていたという報道がされた。ご本人からは、この間事情を聞いていたし、今後支払っていくことを約束されているので、テレビニュースで流されるとは思わなかった。されど議員という立場は、つらいね。なんともいいようがない。
政府は、自衛隊をイラクに派遣することを決める。
ともかく憂鬱な一日。
されど市長選挙や精神保健福祉施設のことで関係者と協議をしたり、また福祉工房P&Pの西村君とは、京阪電車の伏見桃山駅には、車椅子で乗降が出来ないのでなんとかならないのか、という陳情。交通バリアフリーの対策が急がれる。
夜は、高野川ライオンズクラブの例会を淡々とやり、その後、サボり気味の「ひとくち日誌」の打ち込み。
●12月11日
午前中、北区役所で区長と四方山話。午後、議員団室で雑用、
左京区の保育園の園長、保育士、保護者のみなさんと左京区の選出の議員が全員揃い、恒例の保育懇談会。ぼくは議員になる前に、娘がペスタロッチ保育園でお世話になった時に、左京区の保護者会の役員をさせてもらったが、共産党の府会議員が保護者会の会長というのは、いかがなものか。ともあれ、少子化対策や地域における子育て支援においても保育園の役割は大きいし、夜間保育や延長保育などの施策の充実が求められるし、京都独自のプール制の堅持も大切だ。
7日に桝本頼兼市長が三選出馬の表明をし基本政策を発表したので、それを受けて、夕方、民主党京都府連の市長選挙対策委員会を開催。桝本市長を市長選挙の候補者として推薦を決定、民主党本部に上申することに。
夜は、「40年間の足跡をあしたの京へ」と連合京都の会長を退任された羽室武さんを励ます会。山田知事、桝本市長や労働界や各政党の代表等が挨拶、それに友人ら多数の参加者。わが鴨沂高校の先輩でもあり、60年安保闘争からの彼の労働運動の軌跡をいちどゆっくり聞きたいものだ。
●12月12日
11月11日に告示された11月市会定例会も普通決算特別委員会での審議や委員会に付託されていた議案を審議する各常任委員会も昨日で終わり、会期末を17日に控えて議員会を開催。
団長ということで、会議の進行と取りまとめをしなければならない役目。市長選挙の動きや諸般の報告をして、今日の5時までが締め切りの意見書の提出について協議。議論の末、「イラクへの自衛隊派遣反対」、「地方自治体への権限、税源委譲が伴う三位一体改革」に関しての意見書を議員団として出すことを決定。また予算要望を提出に向けての取りまとめも。
議員会を散会後、京都会館に。京都交通労組が主催の「公営交通の未来に向けてー今日も明日も人や環境にやさしい市バス・地下鉄」のシンポジウムにパネラーとして参加。タレントの遥洋子さんと森脇健児さんが特別ゲスト。会場は600人ほどの参加者。福山参議院議員、中川大京大助教授らといかに市民の足を守るのか、討論。
夕方、とある友人の花屋さんから、来春オープンする「花き市場」の運営などについて相談ごと。
夜は、若い新聞記者さんたちと市長選挙や民主党のことについて一献傾けながら懇談。
●12月13日
朝から地元の聖護院消防分団の研修バス旅行会に参加。
名神から北陸道に入ると湖北は雪。今年初めての雪景色。昼は、「またぎ料理」ということで、熊と鹿の肉をご馳走になる。酒倉の見学で試飲して、また小松空港横の石川県立航空プラザを見学。グライダーからジェット機までそろった航空機の博物館、二宮忠八が1893年に製作した人力飛行機の模型、フライトシュミレーション、実物機の展示など工夫が凝らしてあった。
夜は、山城温泉で楽しく懇親の夕べ。久しぶりにリラックスできてよかった。もっともイビキで同室の皆さんには迷惑をかけたが。
●12月14日
朝、消防団の一行と別れて、ひとり雷鳥で京都へ帰る。
昼過ぎ、左京区は大原へ。「大原里づくり協会」のイベント「猪鍋会と餅つき忘年会」に参加。
大原では、毎週日曜日に「ふれあい朝市」を開催され、またNPO法人「大原里づくり協会」も結成されて、観光や地域の活性化に取り組まれている。観光トイレの設置や下水処理施設の敷設についてこの間ぼくも関わってきた。また過日はEM菌の利用ということで、バスで一緒に福井県の宮崎村まで視察に行った経緯もあって、随分知り合いも増えた。大原で捕獲したというイノシシの焼肉は抜群の美味さ。また猪鍋も格別。午前中、東京でサンデープロジェクトに出演していた前原衆議院議員も午後4時前に飛び込んできて、楽しいひと時を過ごす。
●12月15日
議員会。
天方議員の市会運営委員辞任を受けて、後任には小林あきろう議員を。宮本徹議員が副団長兼任で理事になることを承認。トオルちゃん、がんばってや!また委員会に付託されていた各議案について各委員会での審議の様子を各議員が説明して、問題点などを指摘。そして14年度一般会計の決算や男女共同参画推進条例など、すべての議案について賛成することに。
また意見書の調整が行われるが、イラクへの自衛隊派遣反対の意見書は、わが議員団が単独で提出すると、自民・公明が対案を出してきて、派遣に賛成する意見書が賛成多数で京都市会として可決されることが予想されるので、議論の末、降ろすことにする。わが議員団のみんなが派遣反対だ!
夕方、「21世紀の左京を桝本頼兼市長と語り合う会」。京都宝ヶ池プリンスホテルのホールに1300人、代表幹事の山岡景一郎さんが司会で、ぼくと自民と公明の議員の3人が市長を囲んで、京都市の財政や教育、環境、福祉の問題、また左京区の課題について鼎談。花束贈呈の後、市長はカラオケで「おまえに」を歌われたが、2年前に亡くなった奥さんを思い出されたのか、感極まって落涙。思いがけないハプニングに参加者もハンカチを目にする人も。桝本市長の人間味がでていい集まりだった。
その後、「花き市場」の運営に関する請願提出のことで相談。
●12月16日
明日がいよいよ会期末の本会議。10時から議員会を開催して、意見書の調整状況などを見守る。
公明党から提案されていた「新たな雇用を創出するための起業、創業環境の早急な整備を求める意見書」「観光立国への積極的な施策推進を求める意見書」。わが議員団から提案した「地方自治体への権限、税源委譲が伴う三位一体改革を求める意見書」など、それぞれ文言訂正などあったが、いずれも調整が順調に進む。
少し当初の予定より遅れたが、各常任委員会、普通決算特別委員会、普通予算特別委員会が順次開会され、それぞれの委員会では各会派の代表が、「慎重に審議した結果、各議案に賛成します。」また決算については「認定します」ということを発言することを「討論結了」という。明日の本会議の順序を取り決める市会運営委員会も無事に夕方には終わった。深夜議会になることもなく拍子抜け。
途中、ぼくは、とある保育園の保護者の有志の方と京都市の保育園の担当者と、保育園の運営を巡って問題があるので、懇談の場を作る。
夜は、市役所の自治労運動に関わってきた諸先輩のみなさんを中心とした「市政懇話会」の集まり。議員団団長として挨拶をさせてもらう。桝本市長もゲストで参加。リラックスして昔話で盛り上がった様子。
解散後、韓国から友人が来ていたので、カラオケに。
●12月17日
長かった11月市会定例会の最終本会議。
市会運営委員の辞任、補欠選任から始まり、養護学給食の自校直営調理方式の堅持を等を求める請願は不採択。以下、付託されていた議案については、審議されていた各委員会の委員長が委員長報告をして、15年度一般会計補正予算、産業廃棄物の不適正な処理の防止等に関する条例の制定や工事契約議案など、また追加議案の職員給与条例など、すべての議案を可決。また実質収支赤字10億円の14年度一般会計歳入歳出決算は認定。
「新たな雇用を創出するための起業、創業環境の早急な整備を求める意見書」「観光立国への積極的な施策推進を求める意見書」、「地方自治体への権限、税源委譲が伴う三位一体改革を求める意見書」も可決。なお男女共同参画推進条例については、共産党が修正案を出すが、しかし原案にも賛成して全会派で可決。いつものことながら共産党の議員が討論に立ったり、また起立表決もあったり。およそ2時間の本会議。
昼過ぎ、2年連続15回目の全国高校ラグビー大会に出場する、京都市立伏見工業高校ラグビー部の激励会が市役所正面で。
その後、民主・都みらい議員団として、新規22項目、合計107項目の予算要望を市長に提出。簡単な説明の後、市長に要望書を手渡しているところ記念写真。
3時過ぎには、「光り輝く京都をつくる会」の事務所の清祓式。必勝を祈願しての儀式。自民、公明の議員団の団長と一緒に玉串奉てん。
その後、「光り輝く京都をつくる議員連盟」に結集する自民、公明、民主の府市会議員がそろって選対会議。ぼくは、その席で、民主代表の副事務長として、自民党の国会議員が選対本部長になることは認められないと発言。色々と苦労しまっせ。ほんま。
そして、6時から「光り輝く京都をつくる会」の事務所開き、会長の村田純一京都商工会議所会頭や山田知事、政党代表の挨拶に、桝本市長の決意表明もあり、最後は連合京都の新会長木戸美一さんのガンバローコール。
●11月18日
議員団の他都市調査で広島へ。
原爆の爆心地近くの本川小学校平和資料館を視察。校長先生らが迎えていただく。本川小学校は、8月6日の朝、夏休み前で400人の児童たちがいたという。生存者は2人、昭和3年に立てられた鉄筋の校舎で、焼け残った一部を平和資料館として、昭和63年に平和学習の場として開設された。当時の焼け爛れた地下室が保存され、遺留品が展示されている。PTAで運営委員会を作られ、ボランティアで全国から来る子供たちに説明をされる。ぼくらに説明をしていただいた方も被爆2世で、原爆で亡くなったご家族のことを語り部として話された。いつもはにぎやかなわが議員団の面々も厳粛なる思いで、聞き入っていた。
そして次は、平和公園内に昨年オープンした国立広島原爆死没者追悼平和祈念館を見学。原爆投下の歴史を学び、追悼・追体験することにより世界平和を祈念する施設で、半地下のモダンな建物。被爆者の当時の体験を残すためにインタビューをビデオに撮り、それをデータ-ベース化したり、亡くなった方々の墓碑銘を映し出す。いかに被爆体験を風化させずに、次代にどう伝えるのか、この近代的な施設が、とても不似合いだと思う。
ぼくの父は、現在84歳で元気だが、広島で被爆をしている。戦後生まれのぼくは、被爆2世。担当の方に、親父が元気な間に、いちど京都までインタビューに来てくださいよ、と伝える。この日の視察は、久しぶりにわが原点に立ち戻った、厳粛なる昼下がりであった。
夕方は、広島に住んでいるカミさんの妹と高校生の姪と中学生の甥に会い、その成長振りに目を見張る。
●12月19日
雪がちらつく寒い朝。広島から尾道へ。
尾道では市役所を訪問して、市町村合併について調査。人口9万人の尾道市が近接の人口8千人の御調(みつぎ)町と人口1万6千人の向島町と合併をする方向で昨年の春に推進協議会を設立。以降、住民アンケートを実施したり、諸問題の取り扱いについて協議を続け、この3月に正式な合併協議会を設置告示し、具体的な調整を進めている。おおむね合併に向けて順調に進んでいるが、問題は、議員の身分だという。議会事務局長曰く、山賊と海賊の争いだ。京都市は、京北町から合併編入の要望を受けたので、京北町の議員の身分は問題にならないが、全国の平成の市町村大合併の大きな問題は、いずこも議員なり町長の身分が問題になっているのだろう。尾道ラーメンも食べたかったが、山陽路を東に。
午後は、福山市は「ふくやま美術館」と「ふくやま文学館」を視察。ふくやま芸術文化振興財団の方から説明を受ける。美術館は1987年、また文学館は99年にオープンしている。なつかしい情景という展覧会が開催されていたが、福山生まれの写真家坂本万七の沖縄の写真が印象的だった。また文学館では、郷土の作家、井伏鱒二没後10年記念「井伏文学の笑い」と題した特別企画展が開催中で、原稿や絵が展示されていた。自治体財政が厳しいとき、美術館など文化施設の運営はたいへんだと思うが、共通入館割引き券の発行や友の会の活動など知恵を出しながら、がんばっている担当者の熱意が伝わってくる視察だった。倉敷市で宿泊。
●12月20日
朝から倉敷チボリ公園を視察。
岡山県、倉敷市も出資し、デンマークの「チボリ公園」を模倣し、97年にオープン。当時は300万人近い入場者があったが、昨年は116万人。マネージャーから説明をしてもらう。01年は30億円の赤字ということで、社長も変わり、1人3役主義でなんとか業績も回復に向かいつつあり、昨年は4億円の赤字で抑えられたという。かって京都市会でもチボリ公園のようなものを作れと、ある議員の提案もあったが、作らんでよかった。クリスマス前で、夜はイルミネーションで飾り、若いカップルも多く来はじめていると言う。観覧車に乗って倉敷市を遠望。遠くは白く雪化粧をしていた。
新幹線で帰京したのは3時過ぎ、その足で民主党京都府連幹事総会に。現市長桝本頼兼氏を推薦することに決定。また3月27日に躍進の集いの開催を決める。参議院選挙対策、また八幡市長選挙のことが話題に。その後、連合京都の皆さんも交えて懇親会。
ぼくは途中で抜けて、京都高野川ライオンズクラブの同伴例会。もうフラフラ。
●12月21日
久しぶりにゆっくりした日曜日。京都は駅伝のシーズン。昼前に起きて、事務所横の熊野神社の交差点で、高校駅伝を応援。近所の人が交通整理や毎日新聞の旗を配ったりで、ご挨拶。
事務所には来客3人、1人は立命館大学の息子の先輩の青年。ベ平連運動に興味があるということで資料などを手渡す。
女性映画監督、山崎博子さんは、昨年秋に京都でも上映されたメキシコで井戸を掘るNPOの活動を撮ったドキュメンタリー映画「タラウマラの村々にて」の監督。数年前からベトナム戦争のときの反戦脱走米兵のことを映画にしたいということで色々と話をしていた。彼女は、この秋にニューヨークに行って、かって京都で暮らしていた当時の反戦米兵に会ってきた。30年ぶりに写真で見る彼は、白髪になっていたが、面影はぼくの記憶に残っている。ぼくらの青春時代には、ベトナム戦争があった。デモをして、岩国に反戦喫茶「ほびっと」を作って、反戦脱走米兵たちと出会った。あれから30年たつ。
夕方は、学校で子供さんがいじめにあった保護者の方が、学校の対応について相談に。1時間ほど話を聞く。教育委員会にしかるべき対応をして貰うように約束。久しぶりに家で夕食。
●12月22日
午前中、事務所で雑務。新年会や組合の旗開きの案内がたくさん来ていて、その日程を新しい手帳に書き込む作業。同じ時間帯に何箇所も回らないかんので、ぞっとする。
午後、議員団室に。宇都宮議員を中心に、新年に配る議員団ニュース号外の編集。12人の議員の顔写真とひとこと、そして予算要望を市長に手渡した時の写真がメーン。またこの1年間の京都市政の動きなどカラー刷りだ。1月中旬には各ご家庭に配布される予定。お楽しみに。
また「光り輝く京都をつくる会」の事務所では、市長選対小委員会が開催される。選挙に必要な諸活動の準備の打ち合わせ。街頭、会場、電話、広報、ポスターなど各担当の議員が、日程や進行状況を報告。ぼくは民主・都みらい議員団代表の副事務局だが、会議は自民党の議員と職員が中心で、淡々とぼくは、話を聞く役。気合が入らない。
夕方は事務所で毎月最終月曜日に始めた「マサホ定例サロン」。京都独自の地域伝統文化─剣鉾のお話。わが地元の吉田で戦後一時途絶えていた剣鉾の復活に中心的に係わった吉田剣鉾保存会会長・津田正之さんと柿阪君が剣鉾の魅力を語ってくれて、ビデオも上映。この秋の京都まつりの左京区民パレードでも披露された。そして、おでんをつつきながら忘年会。
●12月23日
休日にもかかわらず、市長選挙を巡って自治労市職、京交らの組合委員長と福山民主党京都府連会長と松井参議院議員らと懇談。
11月下旬に民主党京都府連として記者発表した「京都市長候補が明らかにされることをのぞむ主要政策項目」の中の、人件費等義務的経費の改善、民間委託の推進の考え方について組合側から公開質問状が出されていたこともあって、意見交換。財政非常事態宣言下において職員の給与カットもされてきたし、交通局においても管理の受委託を組合としてものんできた経過がある。非常に厳しい条件下での組合活動の現場を知って欲しいという思いもあった。民主党は、労働者の味方か!ということが、突きつけられたのだ。文書でもって回答することになった。
夕方、久しぶりに「ひとくち日誌」の打ち込み。
●12月24日
朝一番、午前8時から朝食を食べながら民主党京都府連の四役会議。
大きな話題は、この2月の八幡市長選挙のこと。民主党6区総支部は、福田氏を推薦決定したが、牟礼現市長を支援しているグループの労組も民主党と近い。股裂きだ!また京都市長選挙においても、本部長が国会議員では、自民党とは一緒にやってられない、独自でやるべきだという声が多数を占めた。首長選挙は、いずこもたいへんだよ。
昼前、「京都市伝統産業技術功労者表彰式」に財政総務委員会委員として出席。京都は、伝統産業のまちであることを実感する。西陣織、友禅、京鹿の小紋、漆器、扇子団扇、陶磁器、京石、造園、金属工芸、仏具、京菓子などその道の達人たち24人が表彰を受けられる。
その後、マンション管理のことやアトピーの子供たちの保育園での対策のことなどで懇談。
夜は、クリスマスイブだというのに遅くまで事務所で雑務。誰かケーキでも持ってきてよ!
●12月25日
午前中、地元の人から相談を受けていたことで、右往左往。なお民主党本部の常任幹事会で桝本頼兼氏の推薦決定があった。
午後は、連合京都へ行き、市長選挙のことで諸般の打ち合わせ。また議員団室では、議員団ニュース号外の校正。
夕方は、毎年2月に開催している京都高野川ライオンズクラブ杯小学生バレーボール大会の打ち合わせ。ライオンズクラブの担当者と子供たちを指導されている左京区の小学校の先生や保護者の方が集まり、打ち合わせ。
7時前には、修学院小学校のグランドへ。修学院消防分団に対しての市長と正副議長、建設消防委員長が激励会。修学院消防分団は、来年の京都市消防団総合査閲で左京区代表ででることになっているので、気合が入っていた。地元の各種団体長のみなさんや国会議員、左京区の府市会議員が揃う。
終了後、隠塚議員とともに、左京区長らと一緒に歳末特別警戒に当たっている消防団(下鴨、葵、松ヶ崎、岩倉南、明徳、岩倉北、修学院第二、養徳)と回る。毎年年末恒例のぼくの活動。帰宅したのは10時をまわっていた。
●12月26日
午前中、吉田神社の宮司さんと四方山話。
昼、この春にインターンで来ていた水野さんの友達の立命館大学の法学部の女子学生2人が事務所に来所。来春の2月から3月の春休みに議員インターン、研修をしたいということで面接。ぼくは、2000年の春からドットジェイピーを通じて、春休みと夏休みにインターン生を受け入れてきた。すでに15人を越えるかな。「親父と一緒に仕事をしたい学生、来たれ!」がぼくのキャッチフレーズ。地方自治や政治に興味がある若者と楽しくやっている。2月から松本さんと冨田さんを受け入れることにした。
午後は議員団室に。今日が市役所の仕事納めということでご挨拶。
夜は、消防団周りの二日目。左京区北部は、区長や北岡ちはる府会議員と一緒に市原野、鞍馬、静原、大原、八瀬、上高野、修学院の消防分団をまわる。雪が降ることもなく、道路も凍結していなくてよかった。
●12月27日
目覚めたら大文字山は雪化粧。家の周りも5㌢ほどの積雪。寒い年末。
午後、光り輝く京都をつくる会の選挙対策小委員会。演説会の持ち方や選挙車の回し方など、さらに日程を詰めることに。いずれにせよ、市長選挙は、正月明けだ。
夜は、寒さに震えながら、消防団周りの3日目。左京区南部は、養正、北白川、浄楽、錦林東山、岡崎、聖護院、川東、新洞、そして最後に地元の吉田を回る。京都の火災件数は、大都市では最も少ない。今年は、左京区では、昨年と同じ29件で、大きな火災も災害もなく平穏に年の瀬を迎えられた。消防団のみなさん、30日までの警戒ご苦労さんです。
●12月28日
消防団回りも一段落して、ほっと一息。
いつもならこの時期は、年賀状に変わる「市民派議員レポート・新春号」の発送準備で追われているところだが、1月末から市長選挙もあるので、市長選挙後に発送をし、恒例の「新春サロン」は、2月下旬か3月上旬にしようと思っている。ということで、年賀状に変わる「市民派議員レポート」と「新春サロン」を楽しみにしていただいている皆さん、お許しを。そこで、時間が少し出来たので、パチンコに興ずるが、勝てなくてがっくり。気を取り直してメモを頼りに「ひとくち日誌」書き。
12月29日
事務所の整理をひたすら。1年間で山ほどの資料がたまる。必要なものを残して、他は捨てる。そして「ひとくち日誌」書き。
ぼくの「ひとくち日誌」は、2000年の1月の元旦から書き始めて、満3年になる。365日の3年分。1095日の日々を書きつづけてきた。トップページの「ひとくち日誌」を開いていただいて「目次」を開いていただければ、バックナンバーが見れるので、暇な時にでもご笑覧を。
そして、ぼくのホームページは、2000年の春にリニュアルしたが、アクセス数が遂に4万を越えた!ありがとう
●12月30日
午前中、バス旅行会の集合記念写真を持って、ご近所の方にご挨拶。
また午後は、17年前に初当選した時の選挙を手伝ってくれた熊崎健二郎君が、12月12日に亡くなったので霊前に花を供えるべくお母さんを訪ねるが、あいにく留守。ナイーブで3年程前には心の病を病んで、一緒に病院に行ったりしたが、快復をしかかっていたという。おそらく薬の副反応で腎臓が弱っていたのだろう。40代半ばの死。心よりご冥福を。
夕方は、友人たちの忘年会に誘われて一献を傾け、さらに聖護院消防分団の歳末警戒の打ち上げ、ご苦労さん会にもよばれてワイワイ。
●12月31日
2003年の大晦日。小雨模様。事務所の掃除と「ひとくち日誌」の打ち込み。今夜は、テレビでボブサップと曙が対決するK―1とイノキ・ボンバイエに、吉田と桜庭が出場するPRIDEと三つの格闘技のテレビ中継がある。プロレスファンとしても一杯飲みながら見るで!
この1年は、ほんまにあわただしかった。1月に熊野神社横に選挙事務所を構えて、2月定例市会と選挙の準備で走り回り、4月の統一自治体選挙で5期目の当選。5月市会で代表質問、そして議員団団長に就任。6月には百万遍から聖護院に事務所の引越し。9月市会が終わったら地元吉田のお祭り、それからヨーロッパへの海外視察。帰国直後から衆議院選挙に突入。前原誠司候補は圧勝し、民主党大躍進!休む暇なく11月市会定例会と来春の市長選挙を巡っての各種の調整で四苦八苦。走り続けた1年。来年は市長選挙に3月市会が終わるまでは、休めそうにない。それから7月には参議院選挙だ!突っ走るぞ!
色々とありがとうございました。どうかみなさん、良いお年をお迎えください。
|
鈴木マサホ事務所
〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町17-1 鈴木文化会館2F tel:
075-761-5537(代) fax: 075-761-5591 |
Copyright ©2001-2010 Masaho SUZUKI All Rights Reserved |
|