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鈴木マサホひとくち日記 |
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●7月31日(土)
台風接近。朝から風雨が強い。家でテレビを見ながらゴロゴロとする。
夕方、民主党京都府連の四役会議。参議員選挙の圧勝を受けての初の会議。みんなの表情も明るい。協議事項の一つは2007年統一自治体選挙の候補者擁立委員会の設置と、秋に開催される民主党京都府連定期大会に向けての諸準備について。
今回の参議員選挙の結果、京都府市会あるいは市町村議員の数を増やし、また地域に民主党を根付かせるために、党の内外から広く人選をし、擁立することが大切だ。
色々と困難はあるが、自民、共産を凌駕したい。勝って兜の緒を締める。これからが始まりだ。
●7月30日(金)
朝から事務所にて雑務。この間届いていた郵便物、ファックス、資料などに目を通し、また7月22日のサマーサロンの参加者の名簿の確認など事務所にこもる。
昼過ぎ、ドットジェイピーのスタッフと一緒にこの夏休みインターン希望の京都大学の大学院生が面接に来る。京大の工学研究科専攻の好青年。何を期待するかなどを聞き、受け入れることにする。これで、この夏のインターンには同志社の政策学部の1回生諸藤さんと、京大の朝倉君に来てもらうことにする。8月末からは市会の準備などで忙しくなり8月はゆっくりしたいが、週三回くらい来てもらうつもり。
夕方は久しぶりに北山ラーメン(てっちゃん)で餃子と和風あんかけラーメンを食す。参議員選挙で色々とお世話になったので御礼を兼ねる。深夜、スカイパーフェクトTVでプロレスのノアの東京ドームでの試合を見る。武藤と三沢の試合もよかったが、小橋と秋山の激闘に感動する。
●7月29日(木)
旅の疲れもあったが、午前中、民主・都みらい議員団の議員会に出席する。
天方議員が亡くなって十日。議員団は10人になって寂しくなった。議会の委員会の構成等について相談。副団長が空席になったので小林アキロウ議員にお願いすることにした。
この間行われた理事会の報告を理事から聞く。今後、本会議の議席の問題や、委員会の所属の問題など考えなければならない事が多い。
そして政務調査費のことで住民訴訟が起こされ裁判所から領収書の公開について問合せがあったが、条例では領収書の公開を義務付けていないので、今回は提出しないことに議員団として決定をする。ともあれ、海外視察や政務調査費についてオンブズパーソンが次から次へと住民訴訟を起こすので、対応に苦慮する。なんで信用してもらえんのや。
午後は都市計画決定道路の着工で立ち退きになる家の買収問題で担当者と協議。居住している人の立場にたつと、いろいろと難しい問題もある。
夜は京都高野川ライオンズクラブ決算理事会 、会長職の任期が切れたので、気分は楽。
●7月28日(水)
朝8時過ぎの新幹線で仙台から東京で乗り換え、浜松に昼前に到着。昼飯の鰻はうまかった。
市議会事務局のマイクロバスで市役所を訪問。オムニバスタウン計画について、この7年間の取り組みとバス交通について勉強をする。
浜松市では、昭和61年に市営バスが民間に移管され、市民・事業者・行政でバスを考える協議会を設置しサービスの低下を防いできた。そして平成9年に旧運輸省・建設省からオムニバスタウンの指定を受け、走行環境の改善やバス利用性等向上政策を進め、超低床のステップバスの導入をしたり、バス停横に駐輪場を設けたりしており、また小型循環バス(くるる)やバスレーン、公共車両優先信号システム(PTPS)の導入をしてきた。
その結果、乗客のバス離れを食い止められたという。このオムニバスタウン指定は現在全国で11都市が取り組んできたが、それなりに成果をあげているようだ。
その後、再開発で建設された浜松市楽器博物館を見学。チェンバロや古いピアノ、また世界の民俗楽器が展示され、係の人から説明を受ける。そこで委員会の一行と別れ、僕は大学時代の友人と久しぶりに会って旧交を温める。帰京は夜。暑い京都であった。
●7月27日(火)
朝、10時前の飛行機で新千歳空港から仙台に飛ぶ。
午後、仙台市は名取川の横にある富田浄水場を視察。粒状活性炭ろ過方式という、いわゆる高度処理方式をとり、カビの臭いを除去している、給水能力4万7千トンの浄水場。担当者から説明を受け浄水場を見学する。
その後、名取川上流の釜房ダムを視察。釜房ダムは1970年に竣工され、利水や渇水対策等で仙台市民の取水設備にもなっている。国土交通省のダム管理事務所の職員から、特に水質保全の取り組みについて説明を受ける。昨年来、散気方式の曝気循環装置を始めて、カビ臭、臭い水解消に向けて努力している。
京都は琵琶湖を水源としているが臭い水対策がいつも問題になっている。水源の保全にはどこの都市も苦労しているのだ。夜は珍味のホヤを食べる。
●7月26日(月)
交通水道委員会の他都市調査で札幌、仙台、浜松に向かう。自民党が3人、共産党が4人、公明党が3人、民主・都みらい議員団が3人、無所属が1人の14人の議員と、交通局管理者1人、上下水道管理者1人と市会事務局2人、総勢18人の大部隊で移動。伊丹空港から札幌へ。
札幌では地下鉄事業、とりわけICカード導入についてと、駅施設のバリアフリー化について、担当者から説明を受け、質疑。札幌市では平成10年から、交通機関やショッピングなどで利用できるSMAPカードを導入し、実験を積み重ねてきた。京都市でもスルット関西やトラフィカ京カードがあるが、札幌のSMAPカードは飲料自動販売機や店舗にも使えるシステムになっている。しかし、実用化にはもう少し時間がかかるという。
一方、バリアフリー化も進んでいるが、エレベーターの設置状況は現在のところ49駅中38駅にとどまっている。質疑の中で札幌市の交通事業の経営の健全化にも話は及び、市営バスはこの3月に廃止され、民営バスに移譲されているとのことであった。また、路面電車は廃止するか存続するかの岐路にある。どこの大都市も交通事業の維持に四苦八苦していることを知る。涼しくてよく眠れた。
●7月25日
朝から、左京区は、鞍馬街道を抜けて杉木立が美しい花背峠を越えて「山村都市交流の森」へ。陽射しは強いが、風がさわやか。オープン10周年記念の「ふるさと森都市フエスティバル」に参加。
地元は、久多、広河原、花背、百井の人たちの手作りの農産品や模擬店も並び、子供たちは河原で魚獲りをしたり泳いだりで、日頃は静かな山村も大賑わい。京都市消防音楽隊の演奏でオープニング。出席していた左京区選出の議員は9人のうち4人。ゲストはフォークシンガーの高石友也さん。久しぶりに会った。もう60歳を越えてるのかな?
まだまだ元気。「受験生ブルース」と「赤いヤッケ」をリクエスト。
わが左京区は大阪市の面積があり、山間部は過疎地の問題として、道路や交通問題など課題が多い。地元のみなさんの要望を聞くいいチャンス。涼しい一時を過ごして自然に癒されリフレッシュ。
その後、事務所で、この間書き込めなかった「ひとくち日誌」を一気に打つ。明日から交通水道委員会で他都市調査で札幌と仙台、そして浜松へ。また京都を留守にする
●7月24日
蝉時雨の朝、10時30分から桂駅近くの西山別院で天方昌英議員の告別式。1000人の参列者が来られる。しめやかにお別れの時を迎える。葬儀委員長の後援会会長、桝本京都市長、軟式野球連盟の方、そして関西大学の先輩として、また同僚議員として友人を代表して今枝徳蔵議員が弔辞を読まれる。今枝議員の弔辞の時は涙が出た。議員団は、来賓席に座らして頂いて、弔問に来られた方々にご挨拶をさせていただく。政党を超えて府市会議員や京都市の職員に労組関係者、そして、多くの地元の方々がご焼香をされる。息子さんの父を思う心に胸をうたれた。ほんとに残念。衷心よりご冥福を。
夕方は、女性だけの「むらさきライオンズクラブ」の発足の会。チャーターナイトという儀式。会長は、田中セツ子議長。ぼくは高野川ライオンズクラブの前会長ということもあるが、友情参加ということで懇親会に参加させていただく。会員に市役所OBの女性たちが何人かおられてたのでご挨拶。皆さん元気で何より。今年になって3つの女性だけのライオンズクラブが結成されたことになる。
その後、錦林小学校での地元は聖護院学区の夏祭り。終わりがけになったのでテントをたたんだりの後片付けを手伝う
●7月23日
交通水道委員会。
この秋に予定されているMKタクシーの市バス路線参入問題などを検討するために学識経験者や事業者をメンバーにして「京都のバス事業を考える会」が発足することになったので、その趣旨と「市バス事業のさらなる改革」について交通局から説明があり、各委員から特にMKタクシー参入問題について質疑が行われる。またこの夏休みから発売される「市バス専用一日乗車カードの小児用券の発売について」説明もある。一日250円で乗り放題やで。大いに利用してや。ぼくはこの9月市会で、京都市の市バス問題を中心に交通政策について代表質問に立つ予定。ぜひみなさんの声を聞かしてください。
また上下水道局からは「下水道の日」にちなんで9月2日には有栖川中央幹線シールド工事現場の見学会が開催されることや下水道の日の街頭キャンペーンのことなど報告があり、委員からは、新潟と福井の集中豪雨の被害に関して、京都だったらどうなるのか、という質問。1時間62ミリの雨量までは対策が講じられているが、それを越えると大きな被害が出そうだ。
夕方、西京区は桂駅近くの西山別院で天方昌英議員の通夜。町内や後援会、会社関係に京都市会の議員や市役所や民主党、体育振興会、軟式野球連盟、関西大学交友会など多くの方々、1500人が参列された。享年64歳。早すぎる死。
●7月22日
朝から事務所にこもって、今夜の「鈴木マサホ・サマーサロン」の参加者の方々の名簿を見ながら、テーブル席を決めていく作業で四苦八苦。急遽欠席の連絡や、逆に「参加します」という電話もあり、右往左往。およそ260人ということで、ホテルに伝える。そして、午後6時にはウエスティン都ホテルの会場には続々と参加者に詰めかけていただく。
司会は毎年お願いしている文字祐子さん。冒頭にぼくが挨拶をさせていただいて、来賓は、福山哲郎参議院議員に、京都市を代表して高木寿一副市長と木戸美一連合京都会長。そして乾杯の音頭が前原誠司衆議院議員の豪華メンバー。
乾杯のあとは、早速わが鴨沂高校出身者等のオールデイズのバンド「J-MAC」の演奏が始まり、場内は一気に盛り上がる。その後、北岡府会議員、今枝、隠塚、山岸議員らを紹介しスピーチタイム。そして、ふたたび「J-MAC」のベンチャーズやグループサウンズの懐かしい素敵な演奏。踊る人たちも多く、音楽を楽しんでもらえたようだ。最後は、わが後援会会長の柿阪正夫さんの中締めの挨拶でお終い。
ご参加いただいたみなさん、演奏してくれた「J-MAC」のみなさん、ありがとう。
●7月21日
昼前、鞍馬へ。自治労市職の友人の親族の方のお葬式。
昼過ぎには、市会事務局のスタッフ等と西京区は堅原の天方議員のご自宅に弔問に。現職の議員さんが亡くなったので、対応もたいへん。供花のこと駐車場や受付の手配、弔辞のことや立礼のことなど、後援会の方と葬儀の打ち合わせをさせていただく。帰途、葬儀の会場になる西山別院にも立ち寄って相談。
夜は、事務所にて明日のサマーサロンの参加者のテーブル席を決めるべく作業を始める。目安は、1テーブル10人で27テーブル。失礼にならないように色々と配慮しながら、席を決めるのもたいへん。不行き届きのところもあると思うがご容赦ください。
●7月20日
昼前、自治労市職衛生支部の支部長のご母堂の告別式。
昼過ぎ、議員団室に、東九条で在日韓国・朝鮮人の障害者の共同作業所の立ち上げに向けての準備されている団体の人と懇談。実績をどう作っていくのかが課題。
その後、議員会。昨日亡くなった天方議員の席はぼくの横。机の上に花を飾るが、実感が湧かない。黙祷をした後、葬儀の対応などを相談。わが議員団は昨年春12人のメンバーで再出発したが、10人になってしまった。さみしい。
夜は事務所で22日のサマーサロンの受付のことなど、わが後援会の役員さんに集まってもらっての打ち合わせ。いかにすればスムーズに行くか、知恵を出し合う。
●7月19日
昼過ぎ、この夏休みに議員インターンを希望している同志社大学の政策学部の一回生の女子学生を面接。ドットジェイピーのスッタフの多胡君も同席。同志社大学に政策学部が開講したのはこの4月。彼女はその1期生になる。ぼくは2000年の春からインターン生を受け入れているので、この夏で10期生かな?最近は女子学生のほうが好奇心や行動力があるのかな。9月は定例市会があるので議会活動を中心に研修して貰うが、8月は、事務所の資料の整理など仕事は多いが、ゆっくりしたい。週3回ぐらいということで、来てもらうことにする。
夕方、7時過ぎ、天方昌英議員が亡くなったという第一報。議員団の他都市調査に来られなかったので、病状が悪くなっているのかな、と思いそれなりに覚悟はしていたが、それにしても、急だった。お見舞いにも行けなかった。同僚の議員や市役所や民主党の関係者に電話連絡。つらい電話だ。天方議員は、2年前の秋にすい臓癌の手術をされたが、快復に向かい、元気になってこられたが、この春ぐらいから少し体調を崩されていた。それでも福山選挙では、必死に応援をされていたと聞いていた。
野球をはじめスポーツが好きで、元気な時は毎朝ジョギングをされ、街頭演説も欠かされなかった。真面目な人だった。享年64歳。痛恨の思い。
●7月18日
日曜日、東一条に有る弟の会社の経営のことで相談ごと。弟の会社は、は、わが祖父が創設し、現在は弟が継いでいるが、レントゲンデユープなどの新しい商品開発の必要性とインターネットを使った宣伝方法の確立などを相談役から提案。
夕方は、事務所で郵便物の処理など。
●7月17日
祇園祭、山鉾巡行の日。家でぐったり。
午後、元気を出してシルバーリンクの玉川さん宅に伺う。ぼくが紹介議員になって財政総務委員会で議論されてきた請願について議事録を持参して経過報告をする。お上を連想させる「請願」「措置」などの行政用語の変更を求める請願なのだが、玉川さんの思いを理解できても、委員会としては採択をできないということで、この間取り扱いが「留保」になってきたので、「取り下げ」か「陳情に切り替え」をしていただけないかという相談。検討していただくことに。
●7月16日
松本市役所を訪問。議会棟にて、市内循環型バス「タウンスニーカー」について調査。担当の方から話をうかがう。松本電鉄が運行事業者になって、5年前に北コースを走らし始め、今では東と南コースの3コースがある。1便当たり9.4人から11、8人の利用者があり、ブジョー・日野の小型低床式ノンスッテプバスがコミュニティバスとして運行されている。各コース30分で大人100円、小児50円。一日券は大人300円、小児150円。車両購入費に松本市が補助金を出している。近年、各都市では100円循環型コミュニティーバスを走らし、経営的にもなんとか維持できているようだ。観光にもまた市民サービスにも有意義だ。
午後、ぼくは東コースに乗って一周。アットホームな感じで、運転手さんも親切。途中、友人が経営している児童図書の本屋「たつのこ書店」を訪ねるが、店主の中川基君は、営業で不在。電話で近況を聞く、元気でよかった。
京都着は夕方。東京から友人あり、プロレス好きの粂山君。久しぶりに一献傾ける。
●7月15日
朝、バスで上高地に。河童橋は都会並みの混雑。残念ながら穂高は雲がかかっていて見えず。
安曇村役場を訪問。上高地自動車利用適正化の取り組みについて、安曇村の担当者から経緯と取り組みを聞く。議長さんと副議長さんにも同席していただいて感謝。現在、上高地は車の乗り入れが規制されている。これらの取り組みは環境省中部地区自然保護事務所が中心になっているが、県や国、事業者が集って対策を講じてきた。昭和50年から開始され、平成8年からは通年規制になり、この夏からは、路線バス以外の通行を規制するという。つまり観光バスやマイクロバスも乗り入れができなくなり、各駐車場からシャトルバスに乗り換えるということになる。自然を守るということからの大実験だ。
京都でも嵐山で交通社会実験が行われ、今年は東山でも行楽シーズンに実施される予定だが、9月市会で上高地の取り組みを参考に政策提言をしてみたい。
●7月14日
議員団で信州へ他都市調査。まずは、長野県庁を訪問。担当者から「長野県地球温暖化防止県民計画」について説明を受ける。信州の特性を活かした脱温暖化ということで、地場産業再生可能エネルギーの活用や森林資源の活用など、市民生活や交通政策、産業や資源エネルギーなど2010年を目指した取り組みをはじめたところ。また長野県では地場産業の振興と貿易振興、観光振興のために中国に現地事務所を開設し職員を派遣しているので、その成果などについても説明を受けて質疑をする。
そして、ヤッシー?こと田中知事のガラス張りの執務室を見学。縫いぐるみなど置いてあって、なんや奇妙な世界だな。やっぱへんやで。
●7月13日
眠たい目をこすりながら、京都高野川ライオンズクラブの吉岡さんと国際平和ポスター展の募集で左京区内の小学校を回る。毎年恒例のことで校長先生や教頭先生や担当教員の手を煩わすが、子供たちの夏休みの課題ということで、毎年100点ほど出展がある。素敵なポスターができることを期待している。
午後は、議員団室で「事業評価システム論」の講義のためのレジメ書き。そして、夕方同志社の今出川キャンパスは、講武館にて「事業評価システム論」の講義。ぼくの講義のタイトルは「体験的政策評価論ー監査委員と市会議員の経験から」ということで、5年目かな?いつもは京都市の監査制度、行政評価システム、公共事業再評価システムや費用便益分析のことなどについて話すのだが、今回は、なんといっても参議員選挙直後でもあり、国民による政策評価としての選挙の意味と分析について時間をさいて10人ほどの学生さんにしゃべった。
その後、担当のわが師匠、伊多波経済学部長や講師団と総合政策科学や経済学の大切さなどについて懇談。博士課程に行って勉強したいな!
●7月12日
心地よい疲れ。各新聞には民主党躍進の見出し。1区から6区までの衆議院各小選挙区でも、京都市内各行政区でも自民党に勝ち、共産党は衰退した。
昼過ぎ、当選した福山議員が、桝本京都市長を表敬訪問するということで、団長として正面玄関で自治労京都市職のメンバー等と出迎える。晴れ晴れとした顔。市役所3階の市長室に向かうと副市長や多くの市の職員さんたちから拍手の出迎え。市長から福山議員に花束の贈呈。そして、選挙の勝利のお礼を述べて、市長と握手。ほんまに福山哲郎は、ようがんばった!それから組合の部屋に出向き当選のお礼。みんなで勝った選挙。ほんまによかった。これから浮かれることなく、気を引きしめてがんばろう。責任は重大だ。
その後、議員団室で明日、同志社大学総合政策科学研究科の「事業評価システム論」で講義するので。その準備で京都市のホームページの「情報館」を検索。行政評価システムや公共事業再評価システムの現状を確認。
夜は、事務所にて未明まで、17日間にわたる選挙戦のメモ書きを下敷きに「ひとくち日誌」を打ち込む作業。
●7月11日
投票日。夕方までグッタリ。マスコミ各社の出口調査結果を知らせてもらうが、福山圧勝の風が吹くようだ。また全国的にも民主党は大躍進しそう。
夕方、涼しくなってカミさんとわが母校近衛中学校に投票に行く。近所の人が受付をされていて、「ご苦労さんです」と声をかけながら投票。もちろん「福山哲郎」と選挙区は書き、比例区は「たかしま良充」と書いたぞ。
出口調査の結果で、早く当確が出そうだということで、8時前に福山事務所に走る。
そして、あっけなく「当確」がすぐに出て、万歳!御池通に大歓声が響く。北部でも福山が自民党に勝ち、京都市内部でも各行政区福山勝利。事務所では驚きの声。わが左京区は、なんと3万票を越え、京都府内で48万票の大勝利だ!やったね!民主党、大躍進!ご支援いただいたみなさん、ありがとう。奢ることなく、これから地道に活動を続けよう。次の衆議院選挙に、3年先の市会議員選挙が楽しみだ!
もちろんビールが格別美味かった!
●7月10日
いよいよ最終日。長かった。ラストサタデー作戦。左京区は、修学院と京阪丸太町駅と洛北高校前から3部隊で桃太郎作戦。ぼくは洛北高校前からブルーの旗を立てて、「民主党は、福山テツローです」「明日は投票に行きましょう!」と労組や後援会のメンバーと声を出して練り歩く。少し風もあって、それほど暑くなくてよかった。
6時からは三条京阪では、山科からきたメンバーも一緒に2区総支部のメンバーによる街頭行動が結集したところに候補者が元気よく登場。みんなに挨拶。
そして夕闇せまる頃、三条河原町には、1000人ほどのメンバーが結集して選挙戦、最後の街頭演説。いや、なかなかの熱気や。福山候補、ようがんばった!みんなもようがんばった。そしてちょうど8時に選挙事務所にて「マイク納め」スッタフの労を労う。
気持ちのいい選挙戦だった。ご苦労さんでした。帰途飲んだビールが美味かった!
●7月9日
選挙戦もあと二日。朝、早起きして7時過ぎに四条京阪に。応援労組のメンバーも多数参加していただいて、朝のビラ撒き。なかなかビラを受け取ってはもらえないけれど「民主党です、福山哲郎をよろしくと声を出す。事務所に帰って少しうたた寝。昼には、東山区は清水寺の門前を前原衆議院議員と候補者が桃太郎作戦。地元の役員さんたちも一緒に歩いていただく。茶わん坂も歩く。京都観光だ。また東山三条は古川町商店街を桃太郎作戦。さびれた商店街だが、ようがんばってはるな。
それから5時過ぎには市役所前で、民主・都みらい議員団も揃って、最後の街頭演説。自治労市職のメンバーや市長、副市長ら市の幹部も多く結集していただいて元気が出た。ぼくが司会進行。
そして、ダッシュ号に乗り込み、北区から左京区入り、最後のお願い。ウグイスは、もちろん北岡ちはる。彼女のマイクは天下一品。プロのウグイスよりも上手いよ。ぼくも時折マイクおじさんをするが、すぐに酸欠状態。息が続かんようになった。午後8時まできっちり訴える!
●7月8日
朝から10人ほどで下鴨をビラ撒き。一軒づつポストに民主党のビラをポスティング。大きな家もあれば路地裏の家もある。帽子をかぶって陽射しを避けたが、汗で帽子もずくずく。2キロほど痩せた、と思ったが、そのあと飲んだビールが美味かったので、もとどうり!
午後、草野連合事務局長が京都市長を表敬訪問。議員団の団長ということで同席させていただく。やっぱ労働界の大物だね。風格がある人だった。
夜は、宇治市の市民文化会館に。鳩山由紀夫元民主党代表が応援弁士。久しぶりに演説を聞いたが、代表の時と違って、リラックスされているのか、味わいのある話し振りだった。会場は、ほぼ満員の1400人の入り。宇治や城陽の府市会議員がようがんばっている。民主党は強くなった。福山勝利を確信する。
●7月7日
比例区の選挙はややこしい。民主党と政党名を書いてもええが、団体や組合の候補者は、名前をかいてもらわなければならないということで、名前をいかに浸透させるか。電話作戦も含めいろいろと大変だ。
福山事務所では、七夕ということで、浴衣姿のボランティアの女性たちが華やか。もうちょっとや、がんばろう!
●7月6日
民主党京都府連のダッシュ号というデッキつきの大きな宣伝カーに乗って、左京区一円を走る。北岡ちはる議員が、ともかく元気。デッキで手を振るが照り返しがきつくて日射病みたいになってもうグッタリ。車から手を振ってくれる人やわざわざ家から出てきて手を振ってくれる人も。そやけど夏の選挙は、いやや。もっともあとで飲むビールの美味いことよ。ダッシュ号で左京区から山科は醍醐まで走る。
その後、終盤戦を迎えて2区総支部の地域選対。桃太郎作戦やビラ撒きの日程確認と動員体制を確立。もうちょっとや。がんばろう!
●7月5日
朝一番、叡山電鉄修学院駅前で、北岡府議と隠塚議員らとで朝のビラ撒き。共産党のみなさんと呉越同舟。共産党の活動家たちは、随分高齢化してきているという印象。かっては、選挙中に場所取りやビラまきでもやりあったが、最近はお互いに大人しくなったな。
9時過ぎからは選挙車に乗り込んで、左京区を「民主党の福山です」とウグイスおじさん。行き交う町の人の反応はよくなってきた。選挙ムードがやっと出てきた感じ。
3時過ぎに、四条河原町で岡田克也民主党代表が街頭演説に立つ。初めて近くで顔を見て、演説を聞いた。「まっすぐにひたむきに」。ええキャッチフレーズや。カッターシャツをたくしあげての演説。まち行く人も立ち止まる人も。1000人近い人が結集。握手をしようとしたがマスコミや群集で近づけず。
夜は、上京区は新町小学校と東山区の今熊野小学校の演説会をハシゴ。そして、9時過ぎからは、民主党で出馬した喜納昌吉さんのコンサートがクラブ「メトロ」で。「ハイサイオジサン」や「花」を熱唱。彼が勝ったら面白いな。
●7月4日
選挙戦、2回目の日曜日。この間の暑さと疲れでぐったり。街頭行動も予定されていなかったので、英気を養う。世論調査の結果が出始める。民主党に風が吹き始めたようだ。でもこのアナウンス効果は終盤にどう変化するか。
●7月3日
昼前、桝本市長が福山選挙事務所に陣中見舞いに。民主党府連の役員や連合京都の役員等で迎える。市長は、自民党にも公明党にも、そしてわが民主党にも顔を出さないかんのでたいへん。
午後は、ぼくが福山事務所当番ということで、接客。御池通に面した京町家を3軒つないだ事務所は使い勝手はイマイチだが、風情があってええで。裏には坪庭もある。
夕方は、西尾草峯さんが会長の「昭和美術会」創立30周年記念、記念展授賞式並びに祝賀会。上海からも参加者あり。市長賞を代読させていただく。
そして、修学院小学校では、前原後援会が責任の福山哲郎個人演説会。グランドは参加者の車で満員。ええ雰囲気や。近くの小学校で自民党が個人演説会を開催していたが、200人は入っていないという情報。福山は勝つで!
●7月2日
朝7時過ぎから、出町柳駅前で労組の人や議員の後援会の人たちも来ていただいてビラ撒き。気合が入る。そして、選挙車に福山候補が乗り込み、ウグイスマンは前原議員とウグイス嬢は北岡ちはる府会議員。ぼくは隠塚議員と後続車に乗り込み左京区北部を回る。福山候補は青いスニカーを履いて、握手作戦。また走る走る。鞍馬は、階段を駆け上って行った。若くて元気や。
午後、高野川ライオンズクラブの事務所のことで次期会長らと相談。
夕方は、山科区は鏡山小学校での個人演説会。山口幸秀議員ががんばった。応援弁士は、連合京都の木戸会長ら。山科から相楽郡は木津町の演説会まで候補者や応援弁士は、走る。京都府内一円が選挙区だからたいへんだ!
●7月1日
朝から、昨日同様電話作戦とお願いに回る。
夕方、6時前には、会場のわが母校、近衛中学に。本部のスタッフや応援を頼んだ若い組合員らで体育館の椅子出しなどの準備。300人は来てもらえると思っていたが、7時過ぎから続々と来ていただく。わが地元の吉田や聖護院の人、前原後援会、北岡後援会や隠塚議員の後援会の人、組合関係者や市役所の友人たちも多数詰めかけていただいて、用意をしていた椅子が足らなくなる。応援弁士は、北岡府会議員に、松井孝治参議院議員に桝本市長も熱弁を振るってくれる。福山候補は、元気!そして、トリは前原衆議院議員。
もちろんぼくは司会。もっと喋りたかったな。会場は熱気ムンムン。400人をこえる参加者。うれしかったね。ご参加いただいたみなさん、ありがとう。ぼくの責任会場だったので、盛況に終わりほっとする。
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