鈴木マサホ事務所本文へジャンプ
       鈴木マサホひとくち日記 
文字サイズを変える
文字サイズ大文字サイズ中
2005年7月

                 


●7月31日(日)
多少二日酔い気味。8時前に吉田神社は今宮社横の神輿などが収納してある倉庫から祭具を出して虫干し。長老の指示に従って提灯や紋付に神輿の祭具を出して干す作業。1年は早い。もう秋の祭りの準備だ。曇り模様で雨が降らなかったらええのだが。

昼前には、岡崎公園は「みやこめっせ」での「左京区民ふれあいまつり」。舞台では、東京で売り出し中の友人の娘のHYANGHA(ひゃんは)の歌とダイナミックなダンス,フラダンスやラスト・サムライ、ジョー岡田の楽しい居合い抜きのショーや京都でがんばっている大奈さんのコンサートに女性連絡協議会の左京音頭など盛りだくさん。環境局や消防、水道局や大阪ガス、また障害者の作業所の手作り作品のコーナーにカレーやうどん、缶ビールも売っていてお祭り気分。区長以下、区役所のメンバーや各種団体のみなさんが大活躍。ご苦労さんです。ぼくは多くの人に挨拶。昼から雨模様で客足が鈍ったようだが、5千人ぐらいの区民が集った。

夕方、事務所にて「ひとくち日誌」の打ち込み。


●7月30日(土)
午後、民主党京都府連主催の「2005年度NPO政策・予算公開ヒアリング」。民主党のNPO局長の若井衆議院議員、NPO推進ネットの高比良さん、きょうとNPOセンターの深尾さん、また京都府と京都市の担当者がパネラーとなって、公費助成・委託とNPO支援の現状など、NPOに関連する政府や自治体予算や取り組みについて報告。20団体ほどの代表者に参加いただいて熱心に聴いていただいた。京都府内には500をこえるNPOが登録され、様々な活動をしているが、税制の問題や委託費には人件費が認められていないことなど、改善の余地は大いにある。これからの時代は、NPOの役割は大きい。がんばってや!

その後、「平和な未来のために子供たちに語り継ぐー京都原爆展」に。当時の惨状のパネル展や峠三吉の詩、絵画の展示や折鶴を折るコーナーも。今回の来観者はちょっと少ないのかな?

夕方は、同志社のキャンパスに。総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会。11月23日が総会の予定だが、記念講演に今年終了したタレントの和泉修さんにお願いすることに。早速電話をして日程をとってもらうことに。また今期で役員の任期が切れるので会長をどうするか。ちょっと悩んだが、ぼくが引き受けることにした。10周年に向けてがんばろう。役員のみなさんよろしくネ。

夜は、地元の聖護院の夏まつりが錦林小学校で。盆踊りや綿菓子にみたらし団子、金魚すくいなどの催し物。子供たちが大喜び。聖護院の各種団体の役員さんが大活躍。テントの片付けなど一緒に汗を流す。近所の居酒屋で飲んだビールは美味かった!


●7月29日(金)
午前中、事務所にて雑務。前原誠司衆議院議員事務所の井上所長が来所。郵政民営化のドタバタ騒ぎで解散になったら、選挙や。どないするんやと二人で頭を抱えるが、前原議員の再選は当然のこと、さらに政権交代へのビッグチャンスだ。そやけどどないなるんやろうか?暑いときの選挙は正直いややな。

午後は民主党京都府連で政策調査委員会。今年になって何回か委員会を開催して政策勉強会をしてきたが、今後の京都版マニフェエスト策定に向けて。色々と知恵を出す。地方自治、環境、福祉、教育・文化、産業、まちづくり、防災などのテーマで各委員に原稿を書いてもらうことに。また明日に予定しているNPO政策・予算公開ヒアリングに向けての打ち合わせなど。

その後、議員団室と事務所で、交通水道委員会の他都市調査で各都市からもらった資料を改めて読み直し「ひとくち日誌」の打ち込み作業。


●7月28日(木)
午前中、わが青春のまちイワクニを歩く。反戦喫茶「ほびっと」は、現在京都精華大学学長の中尾ハジメさんや写真家で今もほんやら洞と八文字屋でがんばっている写真家甲斐扶佐義が手作りで建設した。初代のマスターは、現在編集者として活躍している中川六平。ぼくは応援団として「ほびっと友の会」を作って京都と岩国を往来していていた。マッチは先日亡くなった長新太さんのデザイン。手元に今もマッチは残っている。「ほびっと」にはアメリカから反戦活動家の弁護士らが一緒に住んで、米兵の相談にのっていた。

名前の由来は、もちろん映画「指輪物語」の原作者のトールキンの「ホビットの冒険」から。ホビット族のビルボ・バギンス君が成長するファンタジー。魔法使いのガンダルフは、鶴見俊輔先生だった。店は5年ほど続いた。それから数年後、岩国に行ったときは、その建物が残っていたが、今は跡形もなく駐車場になっていたので何となく寂しい。
駅前の商店街でパチンコ。久しぶりに10箱も出て、大喜び。これも白蛇を見たお陰か。

午後、山陽本線で広島に。途中広島電鉄のLRT(超低床路面電車)に乗り換えて原爆ドームに。被爆60周年の夏の陽射しの中を歩く。ぼくの父は学徒動員で広島にいたときに被爆をしている。ぼくは被爆2世。父は85歳になるが今も元気、ぼくは10代の頃、白血病になるのではないかと想像をしていたし、頭髪は想像していたように薄くなったが、大病を患うこともなく56歳になるまで生き延びてこれた。平和公園を歩き、太田川の岸辺で平和への思いを巡らす。ヒロシマはわが原点なのだ。

駅ビルで広島焼を食べて帰京。束の間の夏休み気分の旅もオシマイ。
7月27日(水)
朝、博多駅から在来線で北九州市は黒崎駅で下車。

近くの北九州市水道局の穴生浄水場に。この浄水場は、上向流式生物接触ろ過方式という微生物による自然の浄化作用による高度処理浄水施設。昭和60年代後半から生物接触ろ過方式導入に取り組み始め、実証実験のあと、遠賀川を水源とする本城浄水場は12年に、穴生浄水場は15年に約22億円の事業費で竣工している。一日17万トンの処理水量。

担当者から説明があり質疑のあと、暑い陽射しの中、浄水場を見学。施設の地下室で上向流式生物接触ろ過池を見せてもらうが、暗くて中の様子が正直よく分からなかったが、粒状活性炭の表面に繁殖させた微生物がカビ臭や有機物やアンモニアを分解、除去し遠賀川のカビなどの異臭がこの方法で除去されるのだ。

京都は蹴上や松ヶ崎の浄水場で急速ろ過方式で市民の水が供給されているが、水源の琵琶湖の藻類の発生で異臭が発生することもあるが、今年の夏はどうなるだろうか。ちょっと心配やね。

小倉駅で委員会のメンバーと昼食後分かれて、ぼくは一人山陽線に乗って山口県は下松市に。かみさんの両親の墓参り。義父、国重勇一さんが亡くなって15年か、義母、はるさんが亡くなって6年。寂しくなった。

そして山陽線で、わが青春のイワクニに。
米軍基地のまち岩国駅に降り立つのは久しぶり。錦帯橋の河原でロックコンサートをしたり、米軍基地の滑走路で凧を揚げたりデモをしたのは、69年だったか。そして反戦喫茶「ほびっと」が開店したのは1972年のこと。京都の駱駝館ができる前のわが青春の1ページ。

2代目のマスターのトミさんが駅に迎えに来てくれていた。基地の前で記念撮影。ベトナム戦争の頃は米兵が闊歩し、Aサインバーも賑やかだったが、今はゴーストタウンのよう。色々な思い出が蘇る。トミさんの車で蓮畑を見に行くが、農道に白蛇がとぐろを巻いていた。岩国は白蛇神社もあるが、幸運の印。「ほびっと」を舞台にした「朝はだんだん見えてくる」の著作がある児童文学作家の岩瀬成子さんら当時の「ほびっと」のスタッフや常連客だったわが仲間がトミさんの家に久しぶりに集って、ワイワイ。わが青春にタイムスリップした夜。


●7月26日(火)
熊本からつばめ号に乗って福岡市役所に。議会棟の委員会室にて、公共下水道事業の現状と課題、特に浸水被害対策について説明を受ける。

今も記憶に残るが、福岡では平成11年と15年に発生した集中豪雨で御笠川が氾濫し地下街が浸水するという大 きな被害が発生している。そこで「雨水整備DOプラン」と「雨水整備レインボープラン博多」が策定され、雨水の貯留施設と浸透施設の機能を充実させ、また下水の分流化を図り、またサイレンの設置や河川の水位が速報される防災ホームページのリニュアルや情報伝達の整備が図られている。

説明後、担当者の案内で、博多駅の地下街周辺を実地視察。地下鉄の乗降口やビルの玄関には止水板が設置され、もしもの場合はその止水板で浸水を防ごうというもの。各委員は熱心に写真撮影。

京都で言えば、鴨川が氾濫し、ゼスト御池や四条通の地下や京都駅ポルタが浸水するとどうなるか、えらいこっちゃで!昨年8月7日の局地的大雨で京都市内の一部で被害が出たが、都市化が進み、或いは地球温暖化現象によるのか、今後も雨水による浸水対策は京都においても大きな課題だ。今後の委員会で議論をすることになる。

ところで博多は繁華街の中州は有名だが、博多川夢回廊事業も進み、アジア美術館のある博多リバレイン周辺など川沿いに水辺歩道が整備されて一人で散歩。鴨川と違う趣があるのだ。

委員会のメンバーと夕食のあと、京都市役所の市政担当でがんばっていた某新聞社の若い記者と再会。解散総選挙になるのかどうかが話題。博多の水があっているのか、彼らは元気そう。そして屋台で博多ラーメンですよ。ちょっと肥ったな!


●7月25日(月)
交通水道委員会の他都市調査は九州シリーズ。伊丹から熊本に飛ぶ。自民、共産、公
明、民主の委員が呉越同舟、交通局島田管理者と上下水道局吉村管理者も同行。

熊本市は36度の暑さだが、湿気がないので気分はまし。昼食のあと、LRV(超低床路 面電車)に乗る。熊本市は1997年に日本で初めてヨーロッパで走り始めた超低床路面電車を導入した先駆的な都市。人口65万人のまちの中心を白を基調としたLRV-9700の素敵な電車が駆け抜けている。若い素敵な女性の車掌さんが同乗して丁寧にアナウンス。ヨーロッパのまちに来た気分。

壬生にある京都市交通局の建物も古いが、いやはや熊本の交通局の建物も古い。担当者から、熊本市の公営バス事業と路面電車の運行状況について説明を受けて質疑。熊本で市電が走り始めたのは大正13年、バス事業については、民間バスとの競合もあり、「熊本都市圏バス路線に関する検討会議」が持たれ、民間事業者への路線の移譲も実施されている。また経営的にはもちろん逼迫していて京都の交通局と同様に経営健全化計画を策定し、サービス向上や効率化、公共負担などの施策を実施している。熊本城近くに九州最大の交通バスセンターがあるが、大手の民間バスの産交バスの経営主体が変わるところで今後のバス事業に変化もありそうだ。

熊本城の天守閣に一人で散歩。夜は熊本名物、焼酎と熊本ラーメンと馬刺しとからし蓮根。美味かったよ。


●7月24日(日)
朝8時過ぎ、車で一路、鞍馬街道から杉木立を抜けて京都市内から1時間ちょっと。左京区は北山の自然を満喫できる花脊は「山村都市交流の森」での「ふるさと森都市フエスティバル」に。

久多、広河原、花脊、別所、百井の住民たちが中心になり、京都市の産業観光局は農林振興室と北部農業指導所が支援をして、都市部の市民との交流を図ろうというイベント。ぼくは議員になって、ほぼ毎回参加している。今年は、4月に編入合併した京北のみなさんも参加して、手作りの特産品の模擬店もあり、地鶏の焼き鳥、鮎の塩焼きなどご馳走になる。宿泊もできる翠峰荘では、笑福亭猿笑さんの納涼落語会も行われ、また子供たちは河原で遊ぶ。

昼過ぎには、左京区は最北部の広河原は喫茶「庄兵衛」にていつものようにハニーレモンジュース。これが美味いのだ。

少し休んで、帰途、百井峠から京都市内の最高峰の皆子山の麓、「ひのこ」に立ち寄り、大見総合公園計画の際、建設されたがその後野ざらしになっている鉄の仮橋や「ひのこ大橋」を見る。そして大見へ。

今から25年前か、当時京都市は、大見の豊かな自然を埋めたてて、過疎地対策、残土処理、市民の憩いの場の一石三鳥ということで大見総合公園計画を進めようとした。ぼくが議員になる前の話。元山岳部として地元住民らと自然を守れと大反対運動を展開した。1年生議員のときは、議会で度々この問題を取り上げ、当時の田邊市長が計画凍結を表明。あれから10年は経つ。細い杉木立の道を大見に入ったのは5年ぶりくらいか。杉の幹にはトラスト運動の名残の板が朽ちかけていた。2、3軒の家には、日曜でもあるので人の気配が合ったが、分校跡も朽ちかけている。

大見からさらに小さな峠を越えて尾越に。道路わきには野ざらしになった廃車から草が生えている。昔は尾越で牧場をやっている人もいたが、その気配も無い。八丁平の手前の峰床山の麓まで車を走らす。久しぶりの北山を山岳ドライブ。左京区は、ほんとうに広い。

大原経由で帰ったら、事務所に来客 相談ごとは、河川と道路の不法占拠について行政の対応について。

夕方KBS京都の「どーする京都21スペシャル」に参加。「京都創生!実現のためのシナリオは」と題して、テレビカメラが入って中継。堀場製作所の堀場雅夫さんがご意見番で、村田純一商工会議所会頭や星川副市長らが京都創生策について意見交換。京都創生に向けて民主党の国会議員連盟も結成され、日本の中の京都をどう守り、どう作るのか、今始まったばかり。


●7月23日(土)
午前中ぐったり。昼過ぎ近くの京大会館へ。日高六郎・暢子夫妻に数年ぶりに再会。日高先生は、1979年ぼくが初挑戦した選挙のときの応援弁士で朝日新聞にも当時ぼくの選挙のことを寄稿していただいたし、確か1991年だったか、バルセロナでの世界歴史都市会議に参加したあとパリ郊外の先生のお宅に泊めてもらったこともある。わが師の一人。今年88歳の米寿。

「どこへ行く?敗戦から60年、フランスから見た日本ー日高六郎さんを囲んでーあの戦争が忘れられない」と題した集まり。戦争中から敗戦、ベトナム戦争のことなど反戦主義者の立場で話された。筑摩書房から「戦争のなかで考えたことーある家族の物語」という本を出版されたところ。

鶴見俊輔先生との対談も聞きたかったが、途中で抜けて民主党の政治スクールの第3回。経済アナリストの水野和夫さんの講義が終わったところで、8つのグループに分かれたグループ・ディスカッションにクラス担任としてつきあう。福山参議院議員のリードで今後の日本の経済政策をどうするか、財政悪化をどう考えるかなどがテーマ。受講生のみなさんが真剣に討議。みんなしっかりしてるよ。

夕方、嵯峨は二尊院のご住職で、長年ボーイスカウト活動で青少年の健全育成に貢 献されてきた羽生田寂裕氏の藍綬褒章受賞を祝う会に出席。住職とは半年ほど前、個人的な付き合いができて春には二尊院で花見もさせていただいたが、ぼくはスカウト振興議員連盟ということもあり参加させていただいた。子供たちは、育てるのではなくて「育つ」という住職の言葉に感銘を受ける。

それから、また京大会館に戻り、ぼくも呼びかけ人の、この6月に「声を刻むー在日無年金訴訟をめぐる人々」を出版した毎日新聞記者中村一成君の出版を祝い、原告団 のハルモニたちを励ますつどい。在日コリアン、また人権や差別問題に取り組んでいる彼の友人が多く集い、ええ会やった。


●7月22日(金)
午前中、市会の会議室で、在日外国人障害者の年金訴訟を支える会と民団・総聯の二つの民族団体の代表者と、国際化推進室と保健福祉局の担当者と懇談、在日外国人無年金障害者・高齢者「給付金」施策について要望活動。

夕方は、「民主党京のつどい2005」。僕は受付でウロウロしていたので講演を聴くことは出来なかったが、1部はサンデープロジェクトでお馴染みの田原総一朗さんの記念講演。800の席がすべて埋まってモニターテレビも3台用意された。

2部はパーティ。大きな会場はなんと1300人の超満員で熱気にあふれる。府連会長の福山参議院議員の挨拶で玉置、前原、山井、泉、松井と現職の国会議員が並んで登壇すると壮観だ。山田知事、桝本市長、そして川端幹事長らが来賓挨拶。郵政民営化法案を巡って解散総選挙もあるかも分からんということで、えらく気合が入った集いになった。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。政権交代を目指してがんばろう!

●7月21日(木)
暑い日が続く。資料の整理をしたり、議員レポートの原稿を書いたり、7月の定例サ
ロンの案内のメールニュースの号外を送ったり、終日事務所にて作業。

昼飯は某労組の委員長と四方山話をしながら。

来客は、建設局の課長。左京区の岩倉は幡枝と鞍馬街道を結ぶ幡枝葵森線の道路改築の工事が8月から始まり来春に竣工の予定だと報告に。この道路建設は、以前から木野駅から精華大学まで狭隘な道路で車の通行はたいへんであったので、長年の地元要望もあり、この間、区画整理事業として木野は道路が整備され随分走りやすくなった。されど鞍馬街道への接続するところが狭隘で、その解消のために今回の工事になる。地球環境研究所の開設に間に合うようだ。京都精華大学、京都産業大学、そして地球環境研究所と三つの学術施設が揃い、新たな文教地区を形成する。乱開発の象徴であったモヒカン山の一条山の再開発も始まり、ダンプカーによる土砂の搬出も始まったが、日々、その姿は形を変えていく。2年も経てば、風景も随分変わることだろう。


●7月20日(水)
午後、京都市役所前広場で、この7月23日から市内西南部の市バスの6路線で小型バスとジャンボタクシーが運行、実証実験が始まるが、その車両のお披露目。定員33人乗りのノンステップ小型バスとエムケイとヤサカのジャンボタクシーが3台並ぶ。1年前に「京都のバス事業を考える会」が発足して色々な議論がされ、答申が出て交通水道委員会でもぼくも議論をしてきた。いよいよ実証実験が始まるのだ。市民の足を守るために交通局や民間の運送事業者が協力して、公共交通先進都市を目指す。市民公募でもして、小型バスに可愛いニックネームをつけたらええのに。

夕方は、上下水道局の関係者と懇談。市民に安心で低廉な美味しい水を供給する水道事業と、また市民が衛生的な生活を送り、環境保全のために下水の普及と浸水対策に努める下水事業は、市民生活にとっても大事な事業だ。今後、公営企業として民営化も論議されることもあるかもしれないが、水共生プランの実現と市民生活を守るべくがんばってほしい。


●7月19日(火)
西京区選出の天方晶英議員が亡くなって早いもので、1周忌。無念でならない。ご冥福をお祈りします。

昼前、事務所には、引きこもりの青年たちの共同作業所「恒河沙」のメンバーが5月に開催された美川憲一コンサートの報告などで来所。四方山話。午後は、議員団室で資料の整理や市民から相談ごとを受けていたことで担当者と協議。

夕方は、わが議員団は副団長の安孫子和子さんのパーティ「あびこ和子と語る会」に同僚議員と出席。去年は亡きご主人の安孫子隆秀議員の七周忌といういうことで開催されたが、今年は市長や玉置一弥衆議院議員、松井孝治参議院議員らも参加、なんと700人近い参加者で会場は熱気。和子さんは、2期目だけれど、今やわが議員団の「姐御」的存在。もう堂々として、地域でも議会報告ニュースも配布してがんばっているし、彼女のホームページの日記もたいしたもの。中京区のみなさん、よろしく。


●7月18日(月)
昨夜の「駱駝は眠っている」の出版記念会、駱駝館の同窓会の余韻と3連休と急に暑くなったので気怠い。日常に戻って、昼から事務所にて日誌の打ち込み。

夕方、宝ヶ池は国際会議場での株式会社大木工務店の創業30周年感謝の集い。創業以来30年というのはたいへんな苦労もあったことと思う。前原誠司衆議院議員も多忙な中、来賓で挨拶。ぼくも続いて挨拶をさせてもらうが、郵政民営化法案の参議院でのやりとりがこれから始まるが、前原議員いわく、解散総選挙もありそうとのこと。今年はゆっくりしたいと思っているのに、もう勘弁してほしい、というのがぼくの思い。

会食のあと、寺田バレエアートスクールの華麗なるプリマたちによるチャイコフスキーの「白鳥の湖」の披露と、宝塚歌劇団出身の鳴海じゅんさんと星野瞳さんのシャンソンやポップスの歌に、深町宏さんのサックス演奏と盛りだくさん。大木さんの誕生日、それも還暦ということで目出たいパーティ。元宝塚スターの熱演にリラックスできた夕べであっった。


●7月17日(日)
祇園祭は山鉾巡行の日。いつもは市役所の議員団室から見ているのだが、日曜日なのでわざわざ出向く気になれず。夕方まで家でゴロゴロ、英気を養う。

夕方、京阪七条の「集酉楽サカタニ」で「駱駝はまだ眠っている」の出版記念会。砂岸あろこと酒谷佳子さんの連れ合いは、かってはわが家の家の前に住み、鴨沂高校の一期下で軽音楽部で活躍していた酒谷宗男君。彼が「集酉楽サカタニ」の運営責任者。

会場にはヨッチャンの家族や友達、彼女が「駱駝はまだ眠っている」を発表した同人誌「海の方法」の同人たちに、駱駝館の当時のスッタフや常連客ら総勢が40人が集い、賑やかに出版のお祝い。「かもがわ出版」の編集長や装丁をした田中淑恵さんや児童文学作家の越水利江子さんらも駆けつけてくれた。

参加者一人ひとりが70年代を振り返れながら今を語った。またぼくのサマーサロンで歌を歌ってくれることになっているフォークシンガーの宮原春彦さんの「いちご白書をもう一度」「友よ!」やキャロル・キングの「君の友達」が最高だった。帰途、駱駝館のスタッフでまた百万遍の共同保育所「門前小僧」を一緒にやっていたミコちゃんらと3次会。

30年の時を超えて、青春時代の1ページを思い出しながら、そのときの友人たちとの出会いが、今のぼくに連なっていることに感謝。感慨無量やね。「駱駝はまだ眠っている」をぜひ読んでや!わが事務所にメールで注文してくれたら1500円。


●7月16日(土)
何も予定が入っていない土曜日。明日「駱駝はまだ眠っている」の出版記念会で司会をするので、改めて読む。

舞台になった喫茶店「駱駝館」は、1974年の秋から80年頃まで烏丸今出川に実在し、ぼくがマスターをしていたのだが、作者の砂岸あろこと酒谷佳子さんは、72年の夏から74年夏までの時間に、中学から高校生になる「森下ろまん」という少女を主人公に、彼女の成長を、駱駝館に出入する人々との交流を描きながら、70年代の京都の若者やまちの雰囲気を見事に伝えている青春小説。ビルボという名前でぼくらしきマスターが登場するのだ。

ぼくは20代前半までキューバや沖縄や台湾に行き、岩国の反戦喫茶「ほびっと」と京都を往復したりで、大学にほとんど行くこともなく、うろうろしていたが、ぼくは73年に結婚をして1年間ほど上賀茂で住み込みで喫茶店をしていたことが縁で、駱駝館のオープンから関わり、定着した生活をするようになった。その場が駱駝館で、仕事をしながら大学の授業にも出て1977年に9年かかって卒業できたのだ。プエルトリコ史概論」というタイトルで卒業論文を書き終えたときに長男が誕生している。

とり飯とチリコンカルネが売り。コンサートや映画の上映会やフリースペースとして、ほんやら洞とならんで、ちょっと名が知れた空間で、確か「駱駝のパッチ、駱駝のシャツ、ほのかな温かみ、自由な空間」がキャッチフレーズだった。わが青春の1ページだ。本のタイトルの通り、いわば「ぼくはまだ眠っていた」時代。色々なことを思い出しながら読んだ。
夕方は、わが後援会の会長と幹事長らとサマーサロンの打ち合わせ。8月25日ウエスティン都ホテルにてやるで。

まちは祇園祭の宵山。天気もええのでものすごい人出やろな、と思いながら事務所で雑務。


●7月15日(金)
午前中、左京区役所にて、固定資産税のこと相談を受けていた知人に同行して区長と懇談。片田区長は、区民の立場に立って物事の解決を図ろうと努めて、2年目だけれどフットワークも軽く、挨拶も上手にされるし、ええ区長さんや。これからもがんばってや。

昼は、交通局の関係者と懇談。京都市の交通事業の諸問題について意見交換。ぼくは昨年に引き続き交通水道委員会に属しているので、それなりに勉強をしてきた。9月市会は公営企業の決算委員会もあるのでまた議論をしよう。なお20日の午後、市役所前広場で実証実験に使う小型バスとジャンボタクシーが披露されるとのこと。

午後は、在日外国人無年金障害者・高齢者「給付金」施策について来週京都市の担当局に要望を出すことになっているので、民団と総連のふたつの民族団体と年金訴訟を支える会の代表の仲尾宏さんらと懇談。要望項目などについて打ち合わせ。


●7月14日(木)
ライオンズクラブが毎年開催している国際平和ポスター展への作品の応募をお願いに画用紙を持って左京区の小学校回り。ところによっては校長先生と地域の諸問題などについても懇談できて僕にとってはいい機会。

事務所では、相談ごと1件と、またこの9月2日から4日に予定されている「日本海時代の祭典」の事務局の友人。今年は36回目になるが、「水の道・エネルギーの道」をテーマに福井県は若狭の国小浜市で開催される。

夕方は民主党京都府連にて政治スクールの事務局会議。前回の反省と今後の運営について若いスタッフと協議。次回は福山哲郎参議院議員がコーディネーターとなってエコノミストの水野一夫氏が「21世紀の日本経済ー統合と分断の時代」ということで講演。8月にはそうそうたるメンバーを招いて集中講義も予定。なお7月22日の「民主党京のつどい」は、田原総一郎さんが講演をするが、1万円のチケットはたくさん売れて会場は超満員になりそう。嬉しい悲鳴だ。

夜は環境問題に取り組むとあるNPO関係者と懇談。


●7月13日(水)
昼前、朋あり遠方より来る。九州は福岡より小川君が、また偶然、百万遍の古本屋あーす書房の店主も来所。いずれも2、30年の飲み友達。小川君は映画が大好きで、若い頃に彼の撮った映画も見たが、今や映画中年。この夏には久しぶりに映画を撮影するのだという。シナリオも書けていて、30分ぐらいの青春グラフィテイにするらしい。左京区一乗寺は、喫茶「のん」が映写会場になるのだろう。楽しみにしているぞ。

午後、連合京都に行き、議員フォーラムのこれからの開催などについて協議。秋には総会と研修会を予定。

その後、市役所に。韓国は慶尚北道の議会の一行、副議長以下議員9名と新聞記者ら随行6人が京都市会を訪問。ぼくは日韓親善議員連盟の副会長ということで自民、公明の議員と懇談。慶尚北道は韓国東南部に位置し、慶州市や大邸市がある。政府間では教科書問題などでギクシャクしているが、自治体間や議会間の交流が大事だ。女性議員も数人おられ、京都市会の女性議員の数など熱心に質問。予定の時間をオーバーした。この夏には、ウルジン世界親環境農業エキスポが開催されるという。韓国にこられる方は、ぜひ立ち寄ってくださいとのこと。

夕方は、京都高野川ライオンズクラブの新年度の初例会。親クラブの天神川ライオンズクラブのメンバーなどにもご参加いただき、新入会員二人の入会の儀式も。久しぶりに賑やか。


●7月12日(火)
朝、金沢市役所に。加賀百万石の城下町金沢は京都のたたずまいに似ている。

担当者から、昨年10月にオープンしたばかりで評判の「金沢21世紀美術館」についてと眺望景観保全施策について説明を受ける。「金沢21世紀美術館」は、昨年10月に開館したばかりの円形の美術館で、すでに小中生徒も入れて100万人の入館者を突破している。子供たちも含めた市民参画型の美術館を目指すということで、「まるびー」という愛称を付けたり、色々と工夫されており、シアターもあるし、夜間の開館もしている。その心意気やご立派!歴史ある京都市美術館の趣とは違って当然だが、ぜひ金沢に行かれたら見学を。

続いて、京都と同様に金沢は景観保全対策に随分力を入れてきた。1968年には伝統環境保存条例を、89年には伝統環境の保存と美しい景観の形成に関する条例を制定し、2003年には眺望景観の保全を盛り込んだ。公共性、歴史性、観光性などの観点から、重要な眺望点として、浅野川や犀川の大橋、兼六園やひがし茶屋街など6箇所8地点を選定し、中高層の建物の建設の際は、シュミレーションを提出し事前協議をしなければならないという施策。実際のシュミレーションを見せていただきながら、その効果など担当者から説明。いやはや京都と同じ課題を抱えた都市なのである。

その後、その眺望点の一つである浅野川大橋から、ひがし茶屋街を散策。説明を受ける。浅野川は昨夜の雨で赤茶けて増水。卯辰山は雨で煙っていた。ひがし茶屋は、祇園花見小路のたたずまい。観光客で賑わうところ。そこから見た風景に大きなマンションなどが見えないように規制をしようというのだ。ええこっちゃ!京都でいえば、鴨川から見る北山や東山の眺望を守るということ。京都も取り組みを進めていこう!

その後、富山に向かう他のメンバーと別れて、駅前で高校時代の友人と再会、食事をした後、サンダーバードに飛び乗って帰京。

同志社の今出川キャンパスに。同志社総合政策科学研究科「事業評価システム論」で「体験的政策評価論」ということで講義。財務監査や行政監査に外部監査など監査制度のこと、この間の京都市の公共事業再評価、事務事業評価や政策評価制度のこと、有権者が政策を評価する選挙のことなど90分の講義。終了後、わがゼミの伊多波先生を囲んで仲間の講師陣と夜遅くまで政策評価や総合政策のことを懇談。朝からハードスケジュールでちょっと疲れたが、気分は良い。来年も講義をしたいな。 


●7月11日(月)
民主・都みらい議員団の他都市調査。今回は北陸シリーズ。

まずは城跡にある福井県庁に。県庁のロビーには昨年7月の豪雨による災害を記憶するべくパネル展。この4月からは全国で初めての「災害ボランティア活動推進条例」が施行されてこともあり視察のテーマは災害ボランティアのこと。

この6月に内閣府の協力で開催された災害ボランティア全国フォーラムには千人近い参加者があり、情報伝達と避難、避難所と生活、地域と備え、こころのケアなど分科会で議論されたという。また97年のナホトカ号油流出事故のときの義援金を基金に始まった災害ボランティア活動基金や災害ボランティアハンドブック、災害ボランティアセンター連絡会のことなど担当者から説明を受けて質疑。人と人の絆を大切に、行政と市民との協働の理念がキーワードで災害弱者への支援をどうするかが課題。ナホトカ号の油流出事故や豪雨による災害を経験した福井は、災害ボランティア活動の先進都市だ。県庁の正面には福井大地震の慰霊碑もあった。

さて京都市内では近年大きな災害もないのは不幸中の幸いであるが、ことが起きれば、消防団や自主防災会が中心になって対処をすることになるだろうが、危機管理においてボランティアの役割など福井に見習うことは多い。夕方金沢市で一泊。

プロレスラー、破壊王橋本真也選手が、脳幹出血で急死したとニュースが流れる。ほんまかいな、という思い。新日本でデビューした頃から蝶野と武藤と闘魂三銃士として大活躍をしていた時代、さらに小川直也選手との死闘、そして苦労しながらゼロワンを立ち上げて、今は肩の怪我でリハビリ中だったことを知るプロレスファンの僕は、もうがっくり。40歳の若さ。残念だ。心よりご冥福を。


●7月10日(日)
どんよりとした空模様。午前中、わが母校の第四錦林小学校の校庭で左京南部体育振興会のグランドゴルフ交流会。50人ほどの老若男女が腕を競う。ぼくはゴルフはしたことがないが、このグランドゴルフだったらしてもいいいかな。

午後は、金理博さんのハングル時調集「祖国」、上野都さん訳「国覓 くにまぎ」の出版記念会。金・上野のコンビで4年前に「春の悲歌」を出版されたときも参加したが、この「時調」というのは、韓国古来の定型詩だ。金里博さんは、1944年、「徴用令」によって連行された父親を追う、母親に背負われて渡った2歳のときに玄界灘を渡ったという。
「国覓」(くにまぎ)とは、「よい国土を求めて歩くこと」だという。初めて知った言葉。多くの在日や日本人の彼の友人が集い賑やか。

夜は、京都のライブハウスの老舗「拾得」での「七夕コンサート」に。今年でなんと33回目。このコンサートは1972年にベトナム戦争での孤児救援をするために始まった。今年のタイトルは「生かされて、活かされて」。いつものようにわが友人5人のフォークシンガー、豊田勇造・中山ラビ・ひがしのひとし・古川豪・三浦久が競演。三浦さんは来年還暦らしい。東野はあい変わらずシニカルにシャンソンを、ラビちゃんは妖艶に「ひらひら」を、豊田は新曲のタイの津波の歌や亡くなった親父の背中を歌い、新大宮の商店街で薬屋を営む古川は、ぼくの選挙に初挑戦したときに「猫もネズミも怒っている」を作曲作詞してくれて、33回続けた立役者。「拾得」の店主のテリーもふうちゃんも友人。みんな元気で何よりだ。



●7月9日(土)
連日の雨模様。議員をしていると色々な宗教団体からもご招待を受ける。世界救世教づのめ教団の平安郷庭園披露園遊で嵯峨野は広沢池に行く。

途中、近くの宇多野ユースホステルを訪問。スタッフの友人は公休で会えなかったのは残念。この宇多野ユースホステルは京都市の公設だが、老朽化して立替が求められていた。観光客5000万人構想を実現するためにも早急な立替が必要で、議員団としても実地視察もしたし、予算要望もしてきた。今年の予算には調査費がついている。今後運営主体がどうなるか、課題はあるが、外国からの若い旅人たちのためにも素敵な施設になってほしいと思っている。

で、平安郷は広沢池の東岸に広がるところに周囲の山と池の風景にマッチした見事な庭園。小雨に煙ったその風景は墨絵のよう。民主党の国会議員らも招かれていて、お茶席でくつろいだり、散策したりでリラックス。山本幸二さんのギターと島崎晴美さんの二十絃琴による演奏も素敵だった。

帰途、京町家を活用したアートステージ567のオープニングに行く。主宰者の本田夫妻は、北白川は疏水辺りの駒井邸を管理し保存活用のために様々な文化活動をしてきて、ぼくが百万遍に事務所を構えていたときの1階で「コロナ堂」を開いていた友人。この度、烏丸夷川にギャラリーなどに使用できるスペースを確保。鈴鹿芳康さんの写真展がオープニング企画。京町家が蘇ったのだ。


●7月8日(金)
交通水道委員会。ロンドンの地下鉄テロの翌朝でもあり、交通局の地下鉄のテロ対策のことが話題になるが、実効性のある方法はないのではないか。テロの根源を断ち切るべくイラク戦争を集結し、自衛隊は撤退すべきだ!

交通局の報告案件は、6月26日に市バスの西賀茂営業所での整備棟で火災が発生したのでその原因や対策について、また洛西地域は、民間バスとの調整地域だが京阪バスの子会社が京都交通のバスの路線を引き継ぐことになり、料金も見直しされ、それに伴い4系統の市バスの運賃も見直しされることになった。370円が290円になるぞ。一般質問で、ぼくは京都市として危機管理基本計画の各局版を策定することになっているが、その進捗状況と資料請求をする。

上下水道局からは、災害時に相互給水体制を整備するべく京都府営水道との緊急連絡管の設置したと報告。京都市の洛西配水場と京都府の乙訓浄水場の送水管を連結して京都市域の洛西と向日市・長岡京市が緊急時の給水体制で広域的な連携をとるということ。またアルミボトル缶「京の水道―疏水物語」の有償頒布の開始について報告。2月の予算市会の公営企業予算委員会で、ぼくはこのボトル缶のことを質疑をしているので、その製品化のコストなどについて質疑をする。1ケース24本が2400円。1本100円だ。賞味期限は5年、市内の水道営業所で販売。普段の飲料水としても美味しよ。非常時に向けてぜひご購入を!

また一般質問では、上下水道局の危機管理計画について質疑をして資料要求。また2週間前の委員会で水不足を心配した質疑をしたが、その後自然の恵みの雨が降り、逆に水害を心配しないかんようになったので、この間の雨量と浸水被害状況について質疑。

委員会後は、大学院で講義をするべく、レジメを作ったり資料を印刷したりで右往左往。準備もたいへんだ。

夕方は、部落解放同盟錦林支部の定期大会。前原誠司衆議院議員も多忙な中、出席。郵政民営化国会の今後について報告。ぼくは地域に根ざした運動をと挨拶。されど熱気がないね。その後、人権問題の取り組むNPO法人の友人と懇談。同和行政の在り方や運動の在り方について、ぼくが果敢に議論をしたのはもう10年前。ぜひ94年と96年の5月市会の本会議での議事録を読んでほしい。あれは気合が入った 質問だった。


●7月7日(木)
友人の画家、田中直子さんのグールプ展「KAIBI=TEN」を鑑賞。田中直子さんは、いつも樹木を力強く描いているが、そのパワーに圧倒される。

午後は、同志社の総合政策科学研究科の「事業評価システム論」で講義をするべく、政策評価を担当している総合企画局、事務事業評価を担当している総務局の行政改革課の担当者と京都市の現状について懇談。また監査事務局にも赴いて、この間の住民請求や外部監査、また行政監査など監査制度のことについて話を聞く。

ぼくは96年に監査委員させてもらって、その経験を中心に伊多波良雄先生が編著の「これからの政策評価システム」(中央経済社刊)に「体験的政策評価論」として1章を書かしてもらったが、それをベースにして講義をしている。ぼくが書いた当時とは、監査も多少変わり、京都市では、公共事業の再評価や事務事業や政策評価も実施され、京都市では全国的にも優れた方式として評価されるようになっている。7月12日には、これらをネタに、気合を入れて講義をするので、来聴歓迎。

夜のテレビニュースでイギリスでのサミットが開催されている時に、ロンドンの地下鉄などの同時テロ事件を知る。暴力の連鎖が留まるない。京都市は、2008年のサミット誘致をやろうとしているが、イラク戦争が終わることなく、自衛隊も撤退していなければ、誘致をするのはやめたほうがいいと思う。それにしても、戦争とテロルの時代はいつまで続くのか。


●7月6日(水)
事務所にて、色々と雑務をしたり、来週同志社の総合政策科学研究科の「事業評価システム論」で講義をするべく、準備を始める。

また京都高野川ライオンズクラブの事務所に行って、国際平和ポスター展の作品の提出をお願いするべくアシスタントと打ち合わせ。

さらに事務所には、スケート競技に関係している鴨沂高校時代の先輩が来所。西京極のアクアリーナの使用問題などについて、改善の要望。

夜は、わが家でテレビで総合格闘技「HEROS」を見る。ボブ・サップの肉弾戦は久しぶりに迫力があったし、ミドル級に若いヒーローが誕生して会場はえらく盛り上がっていた。でも、K-1やPRIDEやなんやかんやで、どれがどの団体やぼくにもわからんよ!新日本、しっかりせえよ!阪神タイガース、今年は優勝や!


●7月5日(火)
とある会議と近所の方の告別式。また固定資産税について相談ごとあり。担当者と協議したりで午後はバタバタ。

友人が経営するギャラリー「ヒルゲート」での「須田剋太画伯にもらった絵ー飯沼二郎・岡部伊都子・鶴見俊輔三人のコレクション展」のオープニングに参加。飯沼先生も鶴見先生も岡部伊都子さんも出会ったのは、ベトナムに平和を!とベ平連運動に参加してしたわが青春時代。もう40年近く前。鶴見先生はいまだカクシャクとお元気。「9条の会」で走り回っておられる。「駱駝はまだ眠っている」の推薦文を書いていただいたので作者の砂岸あろこと酒谷佳子さんを紹介がてらご挨拶に。

鶴見先生は、須田画伯との出会いを語りながら、いくつかの絵は、当時飯沼先生が出されていた雑誌「朝鮮人」の表紙を飾っていたことも披露された。この小さな雑誌は、長崎県は大村市の「大村収容所」の廃止を目指したものだった。当時、密入国など出入国管理法で逮捕された韓国・朝鮮人が強制送還される時に収容される劣悪な収容所で、確か任錫鈞という人が、その実態を知らせた。1969年頃か。任錫鈞氏が円山音楽堂の集会で演説しているのを聞いた記憶があるが、鮮烈だった。任錫鈞氏は、その後亡くなったと聞くが、雑誌「朝鮮人」は、飯沼先生から鶴見先生にバトンタッチされて、その後数年続いた。入管法や在日韓国・朝鮮人の人権問題に一石を投じた雑誌だった。

その後「駱駝はまだ眠っている」の作者とわが小学校時代の友人の連れ合いと一緒に一献傾けながら出版記念会の打ち合わせ。


●7月4日(月)
 事務所にこもって雑務。資料を読んだり、不要な資料を捨てる作業。

またメールニュースを送るべく、パソコンに向かう。以前、ぼくは勝手気ままに市政報告やイベント情報をメールで送っていたが、この4月から気持ちも新たに一ヶ月に1回ぐらいは送ろうと復刊を宣言した。市会の報告はもちろんのこと近況報告や市政報告会の案内やわが友人たちが企画しているイベント情報などを書き連ねている。3号雑誌とはよく言ったものだが、3号で終わることなく4号を出すことになった。継続は力なり。どこまで続けられるかな。迷惑メールや、しょうもないものを送るな!と思っておられる方、ご連絡ください。

夕方は、教育関係の友人らと懇談会。英語教育や地域との連携など京都の今後の教育のあり方についてワイワイと語る。名古屋コーチンの鶏もビールも焼酎も美味い!


●7月3日(日)
うっとおしい梅雨空の日曜日。

中村一成著の「声を刻むー在日無年金訴訟をめぐる人々」を読む。中村一成君は毎日新聞の若い記者で、8年ほど前、広島で行われた全国在日朝鮮人教育研究集会で会った。その後、彼が京都支局で仕事をするようになって、飲み友達になった。この本は、在日韓国・朝鮮人高齢者無年金訴訟の原告の5人のハルモニたちの聞き取りを中心に、日本の植民地主義の歴史と戦後日本社会のありようを刻み付けた渾身の一作。ぼくも呼びかけ人になって、ハルモニたちを招いて著者を労うべく7月23日(土)に出版記念会を予定。マッコリを飲めるかな?

首都東京では、都議選の投票日。自民が53人から48人に。民主は22人から35人に大きく飛躍。それにしても前回同様の公明党は23人全員当選。堅いなあ。民主党が伸びたのは嬉しいことだが、ぼくが注目をしていたのは、民主党として定数が4人以上の選挙区で複数擁立を図ったことによる結果がどうなったか。5つの選挙区で複数当選がなったという。共倒れはなかったようだが、新旧交代が進んだみたい。さて、問題は2007年4月の統一地方選挙。わが京都市会議員選挙で、各選挙区何人の候補者を立てるかが、大きな課題。北区、東山区、南区、西京区は空白区なので当然勝利を目指すことになるが、定数の多い右京、伏見そしてわが左京は、どうなるかな?いずれにせよ現在10人の会派だが、15人ぐらいの当選を目指さないかんわな。民主党京都府連の発掘委員会の中間答申も盆ごろには出されるであろう。注目ですよ。


●7月2日(土)
自立と協働の勤労者市民ネットワーク、NPO法人「あったかサポート」の設立総会に。ぼくより少し上の団塊の世代が多く、「共助」をキーワードに相談事業などを行っていこうというもの。役員にはぼくの友人らが名前を連ね、久しぶりに再会した人も。記念講演ということで、辻元清美さんが来ていたので、彼女の最初の選挙の応援もした縁もあるので挨拶。元気そうで何より。

その後、全朝教セミナーに。確か1993年頃から初めて今回で第40回になる。ぼくがどういうわけか毎回司会をしている。今回のテーマは「中国帰国児童・生徒の教育を考える」。京都産業大学の非常勤講師の鍛冶到さんが、中国残留邦人が形成された経過、「満州」への侵略と移民の歴史と戦後の中国帰還者の動き、また現在の裁判や生活状態などについて講演。わが義父、カミさんの今は亡き親父さんは、満州からの引揚者で苦労をしてきたという。

また伏見区の小学校で30人をこえる中国残留邦人の3世4世の児童が在籍する学校で日本語の教師をしている佐古暁子さんがその取り組みについて、また小学校高学年から日本で学び現在は京都大学で学ぶ中国人の学生が生い立ちも含めて母語教室や日本語教室のあり方について報告。

多文化共生社会をどう築くかがぼくのテーマ。中国残留邦人が棄民政策を取ってきた日本政府に対してその責任を求めて賠償請求訴訟があるが、司法はどういう判断を下すのか。

夕方は、同志社総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の新旧役員会。今年で研究科の設立10周年になる。同窓会は2年先に10周年を迎える。多彩な人物を輩出していて、人のネットワークが広がり有意義な会。


●7月1日(金)
瑞宝双光章を受賞された傍士明英さんの祝賀会。傍士さんは、近衛中学、鴨沂高校、同志社大学の大先輩で大学図書館などに勤務され、また養徳学区の役員もされ、今回の受賞は、長年にわたる保護司としてのご苦労に対して授与されたもの。保護観察下にある非行少年や犯罪者に対する社会更正を図り、自立を助ける保護司の仕事はたいへんだと思う。おめでとうございました。地元の養徳学区の女性たちのコーラスや詩吟の披露など傍士さんの温かい人柄がにじみ出た会だった。これからも体に留意されて、保護司として、また地域活動に励んでください。

岡崎の美術館に行って「昭和美術会展」を鑑賞。主宰者は西尾草峰さん。大きな作品が会場一杯に展示されている公募展。そのエネルギーに圧倒される。ぼくには絵心がないが、絵を描くという趣味があればいいなあ、と思う。


鈴木マサホ事務所
〒606-8313 京都府京都市左京区吉田中大路町17-1 鈴木文化会館2F
tel: 075-761-5537(代) fax: 075-761-5591

Copyright ©2001-2010 Masaho SUZUKI All Rights Reserved