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鈴木マサホひとくち日記 |
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●10月31日(月)
鴨沂高校同窓会理事長の西尾さんが来所。この11月20日に総会が開催されるのだが、同窓会の会長を引き受けてもらえないかというありがたいお話。諸先輩が多くおられるなか、1967年(昭和42年)卒業の19期生のぼくはまだまだ若輩者だ。何人かの先輩に相談しよう。結論はそれから。
午後、上下水道局の地域水道担当部長らが来所。わが左京区は北部の山間部の久多と花背・広河原が水道未普及地域で、水源も確保されて工事に間もなく着手するという報告。静原に続いて鞍馬・貴船も昨年から地域水道で給水を開始し住民に喜ばれている。よかった。冬は積雪と凍結があるので、工事関係者は気をつけてくださいよ。相談ごとは、民族学校の充実についての要望。
また夕方は、民主党の政治スクールの事務局会議。次回は11月19日に山井和則衆議院議員がコーディネーターで福祉問題について講義の予定。
●10月30日(日)
恒例の「鈴木マサホバス旅行会」。もう15回目かな?
事務所前に例によっていつもお世話になっている明星観光バスが着いたのは午前8時前。松井孝次参議院議員も見送りに。早速車内で挨拶をしてもらう。ひとり遅刻した人がおられたが、8時30分に出発。車中、ぼくがマイクを握って、この1年間の活動や議会の報告。特にこの9月市会で議論をした地下鉄運賃の改定問題やジャンボタクシーによる実証実験など交通問題、またごみ減量と有料指定袋制度導入の問題など市民生活に直結していることや民主党のことなどを報告。
バスは名神から東名高速を通って尾張三河は蒲郡の三谷温泉に。蒲郡は、温暖でみかん畑も。食事の後、入浴してもらいカラオケも。帰途、三河湾に浮かぶ竹島を見学。風もさわやかで海を見ると気持ちが和む。久しぶりにリラックス。帰途、名神で事故があっていささか渋滞で遅れたが、午後8時前、無事に帰京。ご参加いただいたみなさん、ありがとう。明星観光のみなさん、ありがとう。
●10月29日(土)
小雨模様の午後、「みやこめっせ」で前原誠司民主党代表が総支部長のわが民主党2区総支部の臨時大会。いわば代表就任後の初の「お国入り」ということ。200人近い党員とサポーターが結集。衆議院選挙の総括が主な議案。前原総支部長が党の代表になり、多忙になるのでぼくが総支部長代行に就任することが正式に決定。「飲んだら乗るな」の車の代行サービスみたいなもので、特に何かが権限が付加されることはない。挨拶要員みたいなものだろう。
それから同じ会場で民主党京都府連主催の「前原代表トークIN京都」。他の総支部からも党員・サポーターも来場し、700人の参加者。民主党代表として、これからどう民主党を引っ張って行くのか、対案路線や労組との関係、また憲法問題などおよそ40分の演説。そして松井孝治参議院議員の進行で泉健太議員、北神圭郎議員に小林哲也第5区総支部長らとパネルディスカッション。マラソンランナーが電信柱を一本づつ目標に走るという例え話をして、これからもがんばるという決意表明が印象的。「代表、たいへんやけど、がんばってや!」
夕方は久しぶりに大阪へ。異業種交流会的な「アルファウエーブ」というサロンの101回記念例会。ゲストは東京で18年間続けられているという異業種交流の「人間探偵団」の高橋さん。その長く続いている秘訣を話される。わが「鈴木マサホ・定例サロン」はまだ2年余で20数回。ぼちぼち続けるかな。継続は力なりか。
●10月28日(金)
京都市会では、常任委員会が第2週と第4週に定例的に開催されることになっている。今日はぼくの属している交通水道委員会。以前にも書いたが、委員会の直前によく事故が起きる。
今回もまた、16号系統の市バスが児童に接触事故を起こしたので交通局管理者のお詫びから始まる。また10月23日に、京都駅から北大路まで走る206号系統が、祇園下から近衛通バス停まで9キロ、燃料が漏れたまま走り、単車が一台転倒事故を起こしたという市バスの燃料漏れ事故について報告。燃料パイプの継ぎ目に亀裂が入っていたらしい。
また管理の受委託の拡大について、梅津営業所で60両が京阪バスに、西賀茂営業所の50両が京都バスに委託されることになる。この管理の受委託というのは、市バスが京阪や京都バスの会社によって運行される制度で、系統によっては京都市交通局の職員ではない運転手が乗車していることになる。ご理解いただけますか?自民党の某議員と共産党の某議員がああでもないこうでもないと何度も質問に立つ。共産党議員が紹介議員の地下鉄運賃の値上げ反対の請願は、すでに運賃改定が先の本会議で可決されたので審議未了で決着。
上下水道局からは、10月25日に下京区の下水道工事による路面復旧工事の際、業者が埋設物の確認を怠り、NTTの通信ケーブルの切断されて電話が不通になった事故について報告とお詫び。また上下水道局が所管する建物における吹き付けアスベストの使用については、機械室などに使用している施設が4箇所あると報告。また水道メーター点検及び井水認定時における水道職員が「安心安全腕章」を着用して、市民や児童に何かの事故があれば、手助けをするということをはじまると報告。80人の職員が着用し、普通救命講習を受講するという。午後から夜にかけて資料やメモを確認しながら韓国滞在記書き。
●10月27日(木)
叡山電車に久しぶりに乗って鞍馬へ。岩倉から精華大学前を通って30分ほど。鞍馬の知人の奥様が亡くなられたので告別式に参列。
鞍馬は大河ドラマ「義経」で観光客が増えたし、昨年秋から観光バスの乗り入れを規制しているが、1年前には、この規制問題を地元のみなさんの要望を受けて、京都市当局ら関係者と議論をして実現したのだ。紅葉時には沿線の二ノ瀬駅周辺でライトアップされ、見事な紅葉が見れるし、11月5日から23日まで貴船では「もみじ灯篭」として貴船神社や旅館街が幽玄な行燈の光で包まれる。ぜひ必見の価値あり。
午後は京都府議会の民主党・市民連合の議員団室に田渕議員を尋ねて、今後の民主党京都府連の政策調査委員会の持ち方について協議。その後久しぶりに議員団室に登庁、机の上に溜まった資料を整理。そして夜は事務所に篭って、世界歴史都市会議について資料やメモを見ながら「ひとくち日記」の書き込み始める。
●10月26日(水)
昼、部落解放同盟のメンバーと先の9月定例市会での人権擁護法案を巡る意見書のことについて経過説明と協議。京都府議会や府内の自治体の議会で意見書が採択をされているが、京都市会では、色々と汗をかいた議員もいたが、結局11月市会に再提案されることになった。そのいきさつと今後の見通しなど意見交換。
夕方は、飯沼先生を偲ぶ会の準備会。参加者が100人を超えそう。年譜や著書をまとめ、在りし日のスナップ写真やビデオを上映することに。飯沼先生はキリスト者で、農業経済の学者として京大人文研の教授であったが、「京都ベ平連」の代表、雑誌「朝鮮人」の発行、「原爆の図」展の開催、「君が代訴訟」の原告団長など京都の市民運動のリーダーだった。色々と準備作業をしながら話をしているとその時代時代の先生の姿が目に浮かぶ。11月5日(土)午後6時から。飯沼先生と縁のある方はぜひご参加ください。ご連絡をお待ちしてますよ。
阪神タイガース、あっけなく4連敗で完敗。奇跡も起こらず。まるで民主党みたいやな。ロッテファンのみなさん、おめでとう。
●10月25日(火)
市民相談ごとは、水道の配管工事費に係わること。ちょっと高すぎる感じやな。関係者に電話をしたら、早速事務所に飛んできていただき、調査してもらうことに。
午後は、三条京阪で民主党2区総支部として前原事務所のスッタフや北岡府議、隠塚市議らとパキスタンの大地震による被災者救援の募金活動。わざわざ車を止めて募金に応じていただいた方もおられて、2万円をこえるカンパが集まった。本部から被災地に送られる。それにしてもアメリカのハリケーン被害や1年前には中越地震もあった。自然災害が続くね。
夕方は、選挙後初めての民主党2区総支部の幹事会。29日に予定している臨時大会に向けて、衆議院選挙の総括案などを協議。また前原誠司総支部長が民主党代表に就任したことにより、ぼくが総支部長代行になることに。まあ名前だけで実質的には何も権限もないのだが、それはそれで責任重大だな。
途中日本シリーズの経過が入ったが、阪神タイガースはボロ負けやんか。意気消沈。
●10月24日(月)
午前中は、スーツケースの整理。世界歴史都市会議で配布された資料が山の如し。慶州市が作成した各都市のプレゼンテーションの冊子は英語とハングルと中国語と日本語で書かれてあって貴重な資料だ。
午後、事務所で留守にしていた間に溜まった郵便物やメールやファックスの整理。
夕方、事務所にて第24回「鈴木マサホ定例サロン」。
テーマは「ごみ減量と有料指定袋制度」。市役所「出前トーク」ということで、話題提供は環境局地球環境政策部高木博司担当部長。狭い事務所には、尼崎市の弘中信正市議も含めて20人を超える参加者で立っている人も。
現在京都市では、この指定袋導入について各行政区の元学区単位で意見交換会を開催しているが、高木部長は、京都市のごみ減量の取り組みや指定袋導入の趣旨について説明。そして参加者から活発な質問や意見。「絶対反対だ!」という意見がもっと多く出るかな、と思っていたが、地球環境を守り、ごみ減量のためには有料制度にすることは賛成だという声がほとんど。来年の2月予算市会でこの条例化が上程されるようだが、各地での意見交換会を積極的に進め、市民の理解を得る必要がある。予算市会で大いに議論をしたい。
●10月23日(日)
小雨降る日曜日。朝から錦林小学校のグランドでの岡崎体育振興会主催の岡崎区民運動会。9月中旬から始まった各学区の運動会も最後。小雨の中、グランドも少しぬかるんでいたが決行されていた。体育振興会の役員さんらにご挨拶。
それから車で山中越えを越えて、大津はかっての琵琶湖ホテルに。改装されて「びわこ大津館」としてリニュアルされていた。
そこでの「びわこ疏水とさざなみの道の会20周年・記念出版祝賀会」に出席。日本画家の鈴木靖将さんが会長の市民のサークル。サンライズ出版の淡海文庫として「よもやまはなしー琵琶湖疏水」を出版された浅見素石さんが講演。かって琵琶湖と日本海や伊勢湾、或いは大阪と水路で結ぼうと考えた先人たちの話など興味ある話。大津市助役や国松滋賀県知事も来賓で同じテーブルになって初めて名刺をいただく。フルートの演奏や江州音頭の披露など琵琶湖を愛する人たちの集まり。わが京都市の上下水道局の疏水事務所長らも参加、ぼくは京都市の水道局が頒布している備蓄用の飲料水の「疏水物語」の宣伝をする。鈴木靖将さんらの夢は琵琶湖から疏水を通って京都まで舟を運行させ、大津京と平安京を繋ぎ、インクラインを復活させるのが夢。ええねえロマンがあって。桝本市長、夢の実現に向けて検討委員会でも作りませんか?
●10月22日(土)
ソウルの朝は、からっと晴れて空気が冷たい。早く起きて一人でソウル市内を散策しようと思っていたが、昨夜のバクダンが利いた。いささか二日酔い気味。
同僚らと空港に行くまでに市内の景福宮を見学。96年にソウルに行った時は、日本の植民地時代の象徴であった総督府の建物があったように記憶するが、それも解体されていて風景が変わっていた。景福宮は立派な宮殿で、広場では「宮城門開閉及び守門将交代儀式」として朝鮮時代の衣装を着た王様や衛兵の交代式が行われ、観光客や修学旅行生たちも熱心に見入っていた。京都でも古式に乗っ取って御所や二条城で行楽シーズン時にやったらどうや。観光客に喜ばれそうだよ。
そして大統領官邸である青瓦台前をバスで通過。以前は、もっと物々しい警備であったように記憶するが、和らいだようだ。
バスの車窓から見るソウルの風景で気づいたのは、ビルが多くなったこと、またバスの運行がスムーズに行っているように思え、高速道路がなくなってせせらぎが復活し、市民の憩いの場になっているのを垣間見た。もっとゆっくり回りたかったな。昼に食べた海鮮チゲは美味かった!そして漢江のオリンピック道路から仁川空港に。綺麗な国際空港になっていた。
家族にヨン様の写真入のコーヒーカップをお土産にして午後4時過ぎのアシアナ航空でソウルを飛び立つ。1時間40分ほどの機中、夕日が沈むのを見ていたら、もう関空だった。
慶州市のみなさん、また通訳やスタッフのみなさん、カムサハムニダ。また歴史都市連盟の事務局として会議を成功に導いた高木前副市長に国際化推進室のみなさん、ご苦労さんでした。来年はオーストラリアのバララット市に行きたいな。
●10月21日(金)
普門湖には霧が発生して神秘的。公式エクスカーションということで会議の参加者が2台のバスに分乗して、3時間ほどで安東市へ。韓国語はもちろんのこと中国語や英語が飛び交う楽しい車中。
安東市は、最も韓国らしさが感じられるところということで、生きた民俗村としてエリザベス女王が99年に訪問した地、河回村(ハウェ・マウル)を歩く。
洛東江という川がこの村を取り囲むようにゆったり流れていて、草葺の屋根の家と土塀の数百年前の朝鮮時代の原風景にタイムスリップ。韓国に留学して安東市役所の職員になった九州出身の女性が案内をしてくれる。それこそ「チャングンの誓い」のロケをした建物もあって、日本からの女性の観光客も多い。銀杏が色づき始めていて、小雨に煙る村は素晴らしい風景とともに、韓国の歴史の深さを知るにいい機会だった。
昼食は、安東市長の招待で豪華な韓定食。たくさんの小皿が並び塩鯖が美味しく、もちろん最後はビビンパ。40度を超える安東焼酎も絶品。
そして、まるで嵐山の渡月橋のような感じの風景の月映橋と呼ばれる木造の橋を渡って、安東民俗博物館に。「コンニチワ」と声を掛けてくれる修学旅行生に「アンニヨンハセヨ」と挨拶。この民俗博物館は、人が生まれて死ぬまでの儒教による儀式や生活文化が、その時代の道具とマネキン人形を使い再現をしていて、焼酎の製造の道具もあって興味津々。
それからバスで、安東湖の湖畔にある李滉という儒学者が学問をつんだところで弟子たちがその後建立したという陶山書院に。幽玄な風景の中にその立派な書院はあったが、午後4時を回っていて時間もなくゆっくり見学は出来なかったのが残念。通訳や説明をしてくれた安東市役所のみなさんカムサハムニダ。
そしてそこからバスで高速道路をひた走り4時間、午後8時過ぎ大都会ソウルに着く。漢江に架かる橋はすべてライトアップされてソウルの街の夜景は見事。街中は週末で大渋滞。一挙に現代社会に戻った印象。
ホテルに到着するや、とある新聞の元日本特派員で、現在は福祉専門学校の校長の知人が来てくれていてソウルの夜の街に。京都でいうと裏寺界隈のような飲み屋街に連れて行っていただき、ビールと焼酎を一緒にした「バクダン」を飲む。いや、酔ったよ。二次会はカラオケボックスに行って、船頭小唄を一緒に唄う。こうしてソウルの夜は楽しく過ぎたのだよ。
●10月20日(木)
午前中、ゲストスピーカーの韓国文化財庁長のユ・ホンジュンさんが「韓国の自然と建築」というテーマで講演。仏教思想の基づいて作られた新羅時代の韓国の自然と調和した寺院のあり様などパワーポイントを使いながら説明。わが左京の大原の風景などを思い出しながら拝聴したが、日本と新羅文化のルーツはまさに繋がっているのだ。もういちど歴史を勉強しないかんな。
その後連盟の総会。英語の達人、連盟の事務局長である高木前副市長の一人舞台。会長に桝本市長が再任、副会長にパリ、西安、幹事にクラコフ、モンペリエ、モントリオールなど決まり、次回開催地に2006年9月末にオーストラリアはバララット市に決定。
昼食後、少し時間があったのでレンタサイクルを借りて普門池を秋の風に吹かれて一人で一周。1時間ほどのサイクリング。
閉会式。議長から各都市の報告のまとめなど会議の成果について発表。
そして「多様な価値観を尊重し、寛容と相互理解に努め、歴史 都市としての存在と平和を維持する知恵を互いに持ち寄り、人類共通の願いである恒久平和の実現に向かって世界のすべての人々とともに歩むことを誓うものである。世界歴史都市連盟平和行動宣言を採択。各都市代表が署名をする。
最後に次期開催地のオーストラリアはバララット市が次回の会議のプレゼンテーション。ゴールドラッシュに沸いた1850年頃に街ができた。なんとなく西部劇に出てくるような雰囲気の街。行けたらええなあ。そして拍手で次回の会議で再会することを誓って無事に閉会。18カ国、25都市の参加都市であった。
閉会後、バスで市街地にある国立慶州博物館に。聖徳大王の神鐘と言われる立派な銅鐘の回りには見学に来ていた児童らが真剣に見いていて、また金冠をはじめ新羅の時代の貴重な遺物を展示。また慶州には23もの古墳があるのだが、大陸苑は古墳公園で、そのひとつの天馬塚は、内部に入って遺物を見学できるようになっていて、古代の王様が装飾品に囲まれて横たわっていた様子が再現されていて、時空を超えたロマンを感じる。
その後、駅前の市場を見学。これが楽しいのだね。蛸が吊り下げられていたり、豚の頭が横たわっていたり。ハルモニたちが野菜などを路上で売っていたり、暫し旅情を楽しむ。夕食はやっぱりカルビですよ。美味しかった!
夜、ホテルでテレビを見ているとNHKの衛星放送で「チャングンの誓い」を放映中。わが家ではカミサンが韓流ブームにハマっているが、慶州で日本で放映されている韓国の新羅時代のドラマを見るのも不思議なものだ。
●10月19日(水)
湖畔の朝は空気も澄んでいて気持ちがいい。9時から会議が始まる。
まずは開催都市の白相承慶州市長が「歴史文化都市づくり」についてプレゼンテーション。慶州は人口28万人、なにしろ新羅国の首都でもあり2千年の歴史がある古都で奈良市と姉妹都市。奈良市からも参加されていた。ユネスコの世界歴史遺産に仏国寺・石窟庵と慶州歴史遺跡地区の二つが登録されていて、文化遺産の宝庫で露天博物館、あるいは壁のない博物館といわれている。そして「歴史を体感できる都市づくり」を目指す取り組みが進められている。その意欲が今回の世界歴史都市開催地になった所以であろう。
桝本京都市長は、「日本の文化を未来に、そして世界に」と題して、「京都創生」の取り組みついて発表。その後。京都市と姉妹都市の西安市に続き、イランのイスファン、ウクライナのキエフ市は、大演説。ロシアのカザン市、シルクロードの道にあるトルコのコニャ市、中国は鄭州、オーストラリアのバララット、モスクワ、マラッカ、ベトナムのフエ、韓国は安東市ら参加都市がいずれもビデオで街を紹介し、また質疑も交わされる。いずれの都市も文化遺産の保存と都市としての開発の調整に苦心をしているのがよく分かる。
連盟の理事会にはわれわれ議員は、参加しなくてもよかったので、世界遺産に登録されている石窟庵と仏国寺に。
石窟庵は海抜700mの山上にあり、九十九折のドライブウエイを登っていくと天気もよくて日本海を望めてまるで比叡山のようだ。遠足の児童や観光客も多い。文字通り、石窟があって、中には自然石で彫刻された見事な仏像が鎮座しているのだ。ガラス越しであったが、ライトに照らされた仏像は素晴らしいものだった。
仏国寺は、石窟庵のある山裾にあって、少し色づいてきた山を背景に、リスが飛び出てきた。新羅時代に作られた国宝の多宝塔の石塔も立派で石段の上にある伽藍はどっしりとして日本の寺院とはまた違う趣がある。にぎやかな女子高生がいると思って見ていたら、島根県の修学旅行生だった。
夕方の食事は、中華料理。中国は8大古都の一つといわれる鄭州市が招請した鄭州芸術団による舞台。筝曲や可愛い女の子によるサーカスのような雑技というのか、しなやかな演技や圧巻はカンフー武術。鄭州市は次々回の開催地に予定されており、代表団の力の入れようはすごい。立派なパンフレットを配って招致活動。韓国で中国文化を知ることもこれまた意義あり。
その後、午後9時前からは、慶州市街地近くの新羅時代の王朝の宮殿跡地にある臨海殿跡の公園を各都市の参加者とナイトツアー。中国語や英語や韓国語や日本語が飛び交うバスの車内は国際色そのもの。入り口のところには、原子力の廃棄物の投棄に反対する市民グループが横断幕を持って参加者に訴えていた。多少警備陣ともみ合っていたが、わが青春時代を思い出して苦笑い。ともあれ公園には行灯が並び、参加者には提灯が配られる見事な演出。ライトアップされ夜空にはお月さん。雁鴨池湖畔には、舞台があってサムルノリやアリランの歌。今まで聞いた中で最も素晴らしいサムルノリだった。またライトアップされた宮殿が池面に反射して浮かぶ様は見事だった。
●10月18日(火)
第9回世界歴史都市会議に参加すべく9年ぶりに韓国への旅。
京都駅に7時過ぎ集合、桝本市長、国際交流会館館長で世界歴史都市連盟事務局長の高木前副市長、国際化推進室のスタッフ、市会からは民主代表のぼくの他に、副議長、自民党2人、公明1人、共産党1人らの大部隊。11時30分のアシアナ航空で関空から釜山へ。わずか90分のフライト。機内の軽食を食べて一眠りしたら釜山だった。
初めての渡韓は93年のテジュン万博のとき、京都市会日韓議員連盟の一員で行き、96年には下関からフエリーで仲尾宏さんらと釜山に渡って以来9年ぶり、3度目の渡韓。
陽射しが眩しい釜山空港では慶州市の方が出迎えてくれて、桝本市長は公用車でぼくらはバスで慶州市(キョンジュ)に。バスの車窓から眺める9年ぶりの釜山は、高層マンションが林立している大都会になっているのにびっくり、高速道路で2時間弱で慶州市に。午後4時前に第9回世界歴史都市会議の会場のリゾート地の普門湖畔のホテル現代に到着。会場周辺には英語と漢字で歴史都市会議の幕が旗めいている。
休むまもなく慶州市長や議長らを表敬訪問。ホテルの部屋から普門池を眺める風景は、わが左京区は宝ヶ池のようなところ。先に到着していた京都市会日韓議員連盟のメンバーも合流。開会式は午後6時から。慶州市長や慶尚北道の副知事さんや世界歴史都市連盟会長として桝本市長が挨拶。今回のテーマは「歴史都市の現在と未来」。
挨拶の後、基調報告として、オーストラリア国立大学のガラー博士が「持続可能な都市遺産形成・挑戦と機会」と題して講演。長髪でかってのヒッピーの雰囲気の博士とは後で色々と京都弁英語で喋ることになったが、インド人で歴史遺産の保存や博物館のあり方についてユネスコなどで活躍している人で、多文化の共生の視点で世界の各都市のエコミュジーアムなどの取り組みを紹介。同時通訳は英語と韓国語と中国語と日本語。
講演のあとは、慶州市長の招宴で韓国民族舞踊。チャンゴがにぎやかに響きサムルノリが素晴らしい。キョンジュの一日目の夜は疲れもあってぐっすり。
●10月17日(月)
明日から韓国は慶州で開催される第9回世界歴史都市会議に京都市会のメンバーとして参加すべく荷物の準備。スーツケースにガイドブックや下着など詰め込む。
昼は、宇都宮幹事長とある組合の三役と諸問題について懇談。また午後は、議員団室にて9月市会で配布された資料整理。いらなくなった資料を捨てたり、机の下に置いたりしてともかく机の上を整理する作業。
夕方は、事務所にて、机の上の資料の整理やパソコンに向かいメールニュース8号の文章作りと発送作業。旅に出る前はいつもバタバタしている。集合時間に遅れないように早よ寝よ、と思っていても結局事務所を出たのは12時を過ぎていた。
●10月16日(日)
左京区は「京都大原三千院、恋に疲れた女が一人」の大原に。久しぶりに朝市をのぞいて、大原小学校の創立130周年記念式典に。130年といえばすごい歴史だ。前原代表も参加.。門川大作教育長らの挨拶。歴代の校長先生や先生方や卒業生に地元の方々が多く参加されて、厳粛に式典は進み、締めくくりは和太鼓の演奏。現在の児童数は60名余。「しば漬け」をお土産にいただく。感謝。
その後、北白川学区の区民運動会に。北白川在住の隠塚議員が委員として奮闘。運動会シーズンももうすぐ終わる。夕方は事務所でこの間溜まっていた郵便物や資料の整理。
●10月15日(土)
午前中、京都会館で毎年10月15日に行われている恒例の京都市自治記念式典。名誉市民表彰をうけられた白川静先生は95歳だがカクシャクとされていてご自分が歩んでこられた漢字研究の話をされて感動。また岡本道雄先生と上田正昭先生が特別功労者表彰。それから篤志家や永年市政協力委員、福祉や環境、まちづくりの諸活動に取り組まれた団体・個人、「生き方探求・チャレンジ体験」として中学生を受け入れた事業所や京都市役所の永年勤続職員のみなさんが表彰される。おめでとうございます。
昼過ぎは、府立体育館での「熱き戦いに古都の秋が燃えるー第7回京都オープンフットサルフェスタ2005」に。泉健太議員と一緒に「フットサルを愛する京都議員団」ということで歓迎の挨拶。実行委員長の大橋昭さんが育ててきた大会。
それから民主党政治スクールの第5講。「東アジアの安全保障と国際協力の展望」と題して慶応大学総合政策学部の神保謙氏の講演と戦略研究所研究員渡部恒雄氏の掛け合い。ゲーム感覚でちょっとついてイケンワ!そして忙しい中を駆けつけた前原誠司代表は、憲法9条問題も含めて外交の持論を展開。民主党京都府連で彼のスピーチを原稿にしたらええね。今度の政治スクールの事務局会議で提案してみようと思う。
夕方は、同志社大学院総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会。立派な会報ができた。11月23日の総会では修了生の和泉修さんに講演をお願いしている。ご来場を。
●10月14日(金)
8月8日の突然の衆議院解散から始まり、8月30日から公示で9月10日までの暑い夏の選挙戦、そして11日の投票日の翌日から始まった1ヶ月に及ぶ9月市会定例会。
ほぼ2ヶ月ほとんど休みなしに走り続けた。そら疲れるわいな。
市会も終わってほっと一息。昼前、久しぶりに歯医者へ。久しぶりにゴリゴリと歯石をとってもらう快感を味わう。
午後は、十二提灯・子供神輿に掛かったジュース代などの支払いに走り、また議員団室ではこの間の市会の動きを日誌に書くべくパソコンに向かう。
夕方は議員団の反省会。代表質問をした山口団長、また砂川さん、ご苦労さんでした。この市会は、公営企業決算と地下鉄運賃の改定が大きな課題になり、ぼくは委員会で質疑をしたのでいささかハードだったが、理事としてちょっと悩んだのは、砂川議員が本会議で住宅用警報器を持ち込んで演説をしたことと公の施設の指定管理者制度についての修正案ないし決議をどうするかというぐらいで、ほぼ順調だった。11月市会は10日が告示。しばらくゆっくりしよう。なお代表質問のバッターは久しぶりに宇都宮幹事長と若手の隠塚議員がする予定。
●10月13日(木)
9月12日から始まった9月市会定例会の最終本会議。眠たいけれど最終本会議は起立表決もあって立ったり座ったするので緊張していないといかんのだ。市会事務局は未明まで作業があったことと思うが、ほんまにお疲れさん。
冒頭に左京区は大原に救急車の常時配備をという請願を採択。各委員長から委員長報告があって、昨夜の市会運営委員会で決まった通り、議事は順調に進行していく。衆議院選挙の補正予算は承認。但し選挙事務従事職員のあり方について付す意見が付く。住宅用火災警報器の設置義務付けの条例については、低所得者への配慮と悪徳訪問販売防止の対策を求めた付帯決議が賛成多数。どういうわけか自民党は反対だった。伝統産業活性化推進条例など多くの議案を全会派で賛成可決。
交通水道委員会で審議された高速鉄道旅客運賃条例の一部改正については、共産党の議員が反対討論、自民党の議員が賛成討論。ぼくが起草した天神川延伸工事の工事費の抑制。縮減や地下鉄と市バスのネットワークの確立などの6個の付帯決議を可決。
公営企業決算については、共産党は、自動車運送事業に決算について反対、他の決算は全会派賛成で認定、そしてぼくの起草した総合的な交通対策を実施する組織の設置など2個の付す意見を可決。以降、名誉市民に漢字文化の復興で文化勲章受賞者の白川静先生を、人権擁護委員など選任。
意見書については、色々と調整に手間取ったが、「地方議会制度の充実強化」、「アスベスト対策の強化」、「耐震化促進のための施策の拡充」、「がん対策の推進強化」、「リフォーム詐欺から高齢者等を守るための対策強化」の意見書を可決。また共産党から提案された「自衛隊のイラクからの撤退を求める意見書」は民主も賛成をしたが、少数で否決になる。また公の施設の運営に民間も参入できる指定管理者制度の指定手続き関する決議については、隠塚議員が提案説明、自民、公明、民主で可決。共産党はこの制度に元々反対。そして過日最高裁で不受理になったポンポン山買収に係わる田邉前市長の賠償責任問題について、「ポンポン山買収疑惑の解明を求める決議」を共産党議員が提案説明したが否決。
本会議が終わったのは、12時を過ぎていた。終了後、理事会が開催されて、11月市会の日程を決める。11月17日(木)本会議、11月21日、22日が代表質問の本会議で12月16日(金)が会期末。やっと終わった!
夕方、北海道新聞社の記者が前原誠司民主党代表についてぼくに取材に。北海道では彼のことが全く知られていないこともあって、取材に来たのだという。1991年、彼が府会議員に初当選したときの頃からの話をする。もう14年前の話だな。どんな記事になるかお楽しみに。
●10月12日(水)
明日が会期末。討論結了はさていつになるか?
午前10時から各会派は議員会を開催。自民党と公明党は地下鉄運賃改定について昨日に賛成の態度を決めた模様。共産党は反対するのは当然だ。わが議員団は、昨日の交通局の提案を受けて議員団会議で議論。値上げは止むなし、4個の付帯決議を付けて賛成をすることに。また自動車運送事業・市バス決算については2個の「付す意見」をつけることに。
随時、意見書の調整が図られつつ、各議員団で慎重に議論されているようだが、どういうわけか当初予定されていた討論結了の委員会の開会が遅れ、夕方休憩に入る。値上げ問題のときはいつも深夜になる。ぼくは理事ということで他会派の様子を探ったりで禁足令。
共同通信の記者が来室。飯沼先生を偲ぶ記事を書くということで取材を受ける。1965年から始まった京都ベ平連の定例デモでの思い出などを語る。
夕方7時を過ぎて多少動きが出始めて、与党三派で付帯決議の調整を始める。そしてようやく午後9時過ぎから各常任委員会が開会になって、各会派が付託されていた議案について態度を表明。これを討論結了という。続いて、公営企業決算委員会も討論結了をしたのは午後10時前。そして明日の本会議の日程を決める市会運営委員会が開会したのは午後11時前。やっぱり深夜になったな。もっと紛糾するかと思ったが、そうでもなかった。市会運営委員の山岸議員とお疲れさんで生ビールを一杯飲んで帰宅したら午前1時前だった。
●10月11日(火)
3連休も終わって、13日に9月市会の会期末を控えて大詰め。午前10時から議員会を開催。
まずは、7日の夕方に各会派から提出された意見書や決議について方向性を決めて、山岸、隠塚議員が意見書の調整役。二人とも一期生だが、よくやっている。また公営企業や交通水道委員会での審議状況をぼくが説明。そして伝統産業活性化推進条例 など各議案については賛成をすることに。
昼の休憩時間には、北岡府会議員と前原事務所の井上所長に中野東山支部長が来室。山口、隠塚議員が集まって民主党2区総支部の常任幹事会。10月29日に2区総支部の臨時大会を開くべく、衆議院選挙総括の案文や今後の日程を協議。なにしろ新代表にわが前原誠司衆議院議員が就任したので、責任重大だ。
昼過ぎ、自治労京都市職の委員長らとこの間の諸課題について説明を受ける。
そして、毛利副市長と交通局管理者らが来室。地下鉄運賃改定により、実質年間15億
円の増収を見込んで7・4㌫の値上げ案が提案されているのだが、単に値上げをするだけではなくて、市民サービスを向上させる方法を考えるべきではないかと各与党会派が主張・提案してきたことに対して、回答を説明に。
曰く、小中高生の定期の激変緩和策として1年間の据え置き、1000円カードに100円のプレミアを付加したカードの発行、小児用一日乗車券を300円に、地下鉄と市バス通勤フリー定期券の乗り継ぎ定期の新設がその内容。市民負担を和らげる、これは大いに検討する施策になるということだ。
夕方、明日の討論結了を控えて、公営企業決算に「付す意見」と地下鉄運賃改定案についていちおう付帯決議を付けるべく案文作りの作業を宮本議員と夕方まで。
夜は、飯沼二郎先生を偲ぶ会の世話人が集まり、発送作業。飯沼先生と出会いのあったベ平連運動や雑誌「朝鮮人」発行や「原爆の図」展や「君が代訴訟」に係わる市民運動の関係者、200人をこえる人々に案内を送ることに。
●10月10日(月)
祭りの翌日は虚脱感。朝7時過ぎから二日酔気味だが、神輿と十二提灯の後片付け。長老の指示に従って倉庫に収める作業。
一服する閑もなくゼスト御池に。10月10日は目の愛護デーということで、ライトハウスなどの主催の「白杖安全デー視覚障害者の交通安全を考える府市民の集い」。「道なのに道じゃない、あなたの心はバリアフリー?」ということで視覚障害の人たちが集会とパレード。バリアフリーについての作文コンクールの優秀作品が児童によって朗読される。歩道や点字ブロックに看板や自転車やバイクを置いたりしてたらあきまへんで!
昼前、東山区の粟田神社のお祭りに行って、吉田の剣鉾保存会のメンバーを激励。その後、夕方までかかって地元の吉田のわが支持者宅を市民派議員レポートを宅配便。もう疲れたよ。
●10月9日(日)
秋晴れの祭り日和。吉田の神幸祭。
ハッピを着て白い地下足袋を履いていざ出陣。今宮太鼓が鳴り響き、お稚児さんたちと裃姿の長老と時代装束姿の京大のバイト生の行列の後を、参道に剣鉾が立ち、神輿が巡幸する光景はなかなかのもの。神輿担ぎは今宮会の若い連中に任して、ぼくは子供剣鉾を第四錦林小学校の前に運んだりで右往左往。途中から神輿巡幸に合流して、ワッショイ、ワッショイ。午後、近衛広場の前では、子供たちの太鼓の演奏や子供剣鉾の巡幸もあり、多くの町内の人たちが集まり盛り上がる。そして、子供剣鉾や上大路町の子供神輿に十二提灯・子供神輿の行列には、100人をこえる子供や大人が参加して吉田本通りを一緒に歩く。秋晴れの空の下で、子供たちの掛け声が響いて、無事にお祭りを終えることができて、ほっとした。午後6時から参集殿で直会、折弁当で奉仕したメンバーが揃いワイワイ。
その後、三条木屋町で友人がやっている焼肉店「新羅」の5周年記念のささやかなお祝いの会。祭りの疲れもあってか、韓国焼酎を飲んでフラフラ。早々に帰宅。
●10月8日(土)
小雨模様の朝、吉田神社は祖霊社にて十二提灯・子供神輿の飾り付け。十二提灯を復活して17年ぐらいになるのかな?7年ほど前からぼくが責任者になって長老らと子供たちの喜ぶ姿を楽しみに巡幸をしている。参道では今宮会のメンバーがテントを張って宵宮の夜店の準備。
昼過ぎ天気予報を気になって見るが、雲が切れるようで切れないのか、雨が降り続くのか、心配。また保護者の方から巡幸はしますか?と次から次に電話。日頃の精進が悪いのやな、出発を予定していた3時前には何人かの子供たちがハッピを着て集まり始めてくれるが、雨は止まない。小さな子供たちが風邪でも引いたらえらいことなので、残念ながら中止に決定。神主さんに祭事だけをしてもらい玉串をあげる。集まった子供たちには夜店のチケットを配る。
そして雨模様の中、今宮会の会長と車でマイクを持って「十二提灯子供神輿は雨のため中止をしましたが、夜店をしていますのでぜひお集まりください」と吉田一円を広報。ローソク代を準備していただいている方もおられて感激。6時頃雨も止み、夜店には子供たちが続々と来てくれてお祭り前夜の雰囲気になってよかった。綿菓子ややきぞばに輪投げやヨウヨウ釣りと縁日風景。生ビールは雨であまり出なかったようだ。
その後、スパーウォール会という工務店とお客さんたちのパーティに福山参議院議員と招待を受けていたので参加。オールディズの賑やかなバンドも入って賑やかな会だった。
●10月7日(金)
もうすぐ地元吉田のお祭りだ。早朝に神輿を出して飾り付けの日だが、起き上がれず。
10時から各会派は議員会を開催。ぼくは理事ということで、今後の日程など説明し、意見書や決議を出すかどうか、また各委員会で付託されていた議案の審査状況について各議員から説明を受け、議案の諸問題や賛否の大筋の方向性を決める。また決議として 、文化施設など公の施設の運営管理に民間も参入できる指定管理者制度が条例化され、すでに導入されているが、議会への説明や資料提出が十分ではないという判断で、わが会派から決議をあげることにする。
ところで京都市は、ごみ減量化を目指して有料指定袋制が導入が検討され、今後各元学区単位で市民への説明会が開催される予定だが、環境局の担当部長らを招いてその考え方や進め方などの説明を受ける。大きな議論を呼ぶことだろう。この問題については、ご意見をお聞かせください。また10月24日にわが定例サロンで、担当部長に出前トークをしてもらう予定。ぜひご参加ください。
で、夕方、他会派から10本の意見書と決議が配られる。連休明けに議員会で審議して調整をすることに。
夜は、事務所にて飯沼二郎先生を偲ぶ会の開催の案内を送るべく住所録でベ平連時代の仲間らをチェック。長いこと会ってないメンバーもいるし、みんなどうしているかな。
●10月6日(木)
投票日の翌日から始まった9月市会定例会もいよいよ最終盤。交通水道委員会の総括質疑。
冒頭に交通局管理者から地下鉄東西線の御陵駅で今朝、ポイント事故で地下鉄が停車したとまたまた陳謝。委員会のある時に、ほんまに事故が起こる。御祓いでもしてもらったらどうや。
委員会室には、桝本市長、3人の副市長と交通局管理者が着席し、対面で質疑、持ち時間は30分。自民、共産、公明、民主の順番で質疑。ぼくは10番目のバッターなので先の委員の質疑と答弁の内容をメモしながら、重複しないように、先日の委員会で質疑したことを元に、桝本市長初当選の年の値上げから9年ぶりの値上げになるので、東西線の工事費暴騰問題や公共交通における地下鉄の役割や京津線の天神川までの延
伸の可能性や地下鉄と市バスのネットワーク、また市内フリー定期券と地下鉄定期の便宜を図ることや組合員も公共交通を守ろうとがんばっていることなど持ち時間を使って質疑。この日の質疑の模様はインターネットで動画配信されたのだが、カメラの視点が頭越しになっているので、薄くなった頭髪がもろに写っていて嫌な感じ。
なお正午には理事会が開催されて、付託されていた議案の審査状況について各委員長が報告、討論結了の委員会の開会時間など今後の日程を決める。委員会での質疑は6時前までみっちりと行われて疲れたよ。
夜は、とあるNPOのメンバーと水炊きをつつきながら衆議院選挙の結果と今後の京都の政界の動向について談義。
●10月5日(水)
交通水道委員会の2日目。
冒頭に委員会にて請願者が要旨説明をしたいと申し出があったが、議論。今のところ京都市会ではルール化されてないので、今後の課題だ。
請願審議は、共産党系の団体の地下鉄値上げ反対の請願。過去に値上げの問題のときは、議会の廊下に横断幕などもって抗議に来られる団体がよくあるが、どういうわけか今回は皆無。請願は留保。
上下水道局との審議において、昨日の昼休みに議員団室に、「びわ湖疏水とさざなみの道の会」の日本画家鈴木靖将が来室。琵琶湖疏水で、昔のように舟で大津と京都を結びたいとロマンを語られたので、彼の描いた絵を示しながら、その夢を質疑。運河法などあって色々と実現に向けて困難な課題があるな。鈴木靖将さんとは25年ほど前、ぼくが「月刊地域闘争」の編集をしているときに彼に素敵な表紙を絵を描いてもらったときからの付き合い。夢、多き人。
委員会の終了後、十二提灯子供神輿の巡幸のことで川端署に申請に行ったり団体保険の手続きをしたり、ライオンズクラブの国際平和ポスター展の出展の作品を学校に取りに行ったりで右往左往。
夜は、明日の交通水道委員会での市長総括質疑に向けての質問メモ作り。
●10月4日(火)
地下鉄料金の改定を審議する交通水道委員会が開催。冒頭に委員会傍聴の申請があったので議論。現在はモニターテレビでの傍聴が可能になったのでそちらでお願いをすることに。各会派の委員からから地下鉄料金の改定問題について色々と意見が述べられ、答弁がされる。
ぼくは、1994年の東西線の工事費暴騰問題に係わる臨時市会のことや契約変更と
当初予算と縮減対策、地下鉄事業の現況を広報した「市民しんぶん」記事の反応や乗客増対策、トラフフイカ京カードの効用や地下鉄と市バスのネットワークの確立、また値
上げを1月から4月に3ヶ月延期した場合の影響、また有料化になった敬老乗車証や廃止された職員乗車証の影響、また組合も一生懸命に公営交通を守る努力をしていることなどを述べる。料金改定に真っ向から反対の表明をしているのは共産党のみ。ぼくは審議結果を見て、議員団でこれから検討すると発言。夕方6時前までみっちり議論。
夜は民主党の代表に就任した前原議員の後援会幹事長を囲んでの民主党2区総支部の議員会。意気軒昂だが、代表を支えていくには責任重大でこれからたいへんだよ。
●10月3日(月)
9月市会定例会の会期末まであと10日。いよいよ終盤。
午前10時から補正予算を審議する公営企業等予算特別委員会が開催される。市立病院の整備に関してPFI方式を採用することでアドバイサリー契約を結ぶための補正予算が計上されたので、病院の公共性と効率化など議論。どこかのコンサルタント会社と契約をして、今後の方針を決定することになる。
午後1時からは交通水道委員会が開催される。このように午前と午後に別々の委員会が開催されるのは稀。冒頭に共産党が地下鉄料金改定で公聴会の開催を主張したが、多数で開催しないことに。その後、料金改定の経過やその中身について交通局の理事者から説明があり、資料要求。1時間ほどで散会。
その後、この10月18日から韓国は慶州で開催される世界歴史都市会議に市長、副議長はじめ各会派の代表が参加することになっているので、国際化推進室からその日程などの説明を受ける。ぼくも民主・都みらい議員団を代表して行くことになっている。
夜は市民環境研究所にて、9月末に亡くなった飯沼二郎先生を偲ぶ会を開催するべく準備会。京都べ平連時代の友人、君が代訴訟の原告団など市民運動や朝鮮史の研究者など飯沼先生の縁のあったものが10人ほど集まり、11月5日(土)午後6時から京大会館で開催することに。ぜひ飯沼先生と縁のある方はご参集ください。会費は6000円、ご連絡ください。
●10月2日(日)
スポーツの秋、区民運動会が11ヶ所。もうたいへん。北岡府会議員、隠塚議員とぼくの3人で回る予定が、ちはるちゃん珍しくダウン。それでも北岡事務所のスタッフが車の運転をしてくれて助かった。松ちゃん!感謝。
わが地元の吉田をスタートして、午前中に聖護院、淨楽、養徳、下鴨、松ヶ崎を回り、正午前岩倉は、明徳で弁当をご馳走になる。そうこうしていると前原新代表が、超多忙な中、颯爽と登場。大きな拍手で迎えられた代表と携帯で記念写真をとる区民が多数。スター誕生なのだ。風格が出てきたな。
その後、岩倉南、市原野、大原、修学院を回り切ったのは3時前。3時過ぎには地元の吉田に戻って最後の抽選会に。自転車3台など豪華景品のくじを各種団体長さんらと引く。それから聖護院にいったらもう終わっていた。ところがハプニング。消防団の器具庫近くの路上で老婆が倒れていて血を流しているのを発見、すわー一大事と救急車に来てもらう騒動。たいしたことはなくて良かった。
夜は第20回太極拳まつりを終えた日中武道研究会の打ち上げの会に招待をされて、楽しい一時を過ごす。この会の母体になったのは西陣山岳会でなぜか25年ほどの付き合いがある。キューバや山の話で盛り上がる。
●10月1日(土)
今日から10月。残暑?厳しく蒸し暑いな。
朝9時に家の近くの近衛広場に。お祭りを控えて、町内と老人会の寿会で清掃、草取りの作業。10数人の方々が集まり、ワイワイ言いながら草むしり。左京土木事務所が整備し、建設局の緑地管理課が管理責任を持つが、地元と緑の里親制度みたいなもので清掃は地元がして、樹木の選定は京都市がするという覚書を交わした。計画時には近隣住民と色々と調整がたいへんだったが、町内会長さんも意欲的で嬉しい限り。
午後は、総選挙後初めての民主党京都府連の常任幹事会。民主党は大敗したが、京都では前原誠司、泉健太、山井和則が小選挙区で勝ち、北神けいろうも比例復活して、なんとか議席を死守し、なんといってもおらが京都の前原代表の誕生したこともあって「京都から政権交代を!」とネバーギブアップだ。話題は色々とあったが、来年行われる京都知事選対策をどうするか、また前原新代表に「お国入り」してもらってのつどいを計画することに。
夕方は、議員団室に立ち寄り、来週から始まる地下鉄運賃の改定問題を論議する交通水道委員会に向けて資料を読んで勉強、質問メモ作り。
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