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鈴木マサホひとくち日記 |
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10月31日(火) オーストラリア日記
●世界歴史都市会議 開会式
モーニングコールは今朝も6時30分。今日から第10回世界歴史都市会議が始まる。ホテルからバスで20分ほど、会場のバララット・ロッジ・コンベンションセンターは「ソブリンヒル」のすぐ近く。空が青い。同時通訳ブースが英語と日本語と韓国語と中国語のブースが準備され本格的な国際会議。
正面には、先住民のアボリジニーの作家が描いた幾何学的な大作があり、開会式では、彼らの長老らが奏でる子どもの身長ほどあり、尺八の親玉みたいな「ディジェリドゥー」というユーカリの木を用いて作った木管楽器の演奏とカンガルーの動作などを描いた踊りが繰り広げられた。「母なる大地」というイメージで、オーストラリアの多文化性をも象徴しているイベントで幕開け。
デビッド・ヴェンディ・バララット市長が歓迎あいさつを述べ、世界歴史都市連盟の会長として桝本市長が、「都市は理想を必要とし,先人のたゆまぬ努力により今日の繁栄がある。保存と開発の困難な課題解決のために全世界の歴史都市の叡智を結集するために歴史都市会議が開催されてきた。これまで培ってきた知恵と経験により,歴史都市会議の更なる発展を願う」ともちろん日本語で挨拶。
そして来賓として、ロブ・ハルス・ビクトリア州計画担当大臣が、「現在の世代の行為が将来に影響を及ぼす。過去の世代が培ってきた美,栄光,記念碑に敬意を表し,将来の世代に継承していかなければならない。過去の歴史的遺産とは,建物だけではなく,過去の知識・経験も含まれるものであり,例えば,オーストラリア国家を変えてきた鉱夫たちの人生を記録することは重要であり,大通りを保存することが過去の先人たちの野心的な精神を継承することにほかならないことからも分かるように,街の性質,過去の歴史の発展の経過も保存することが重要である。多様な歴史的遺産を保護することがビクトリア州政府の指針であり,そ
のために,不適切な開発を阻止するために特別な施策を実施するとともに,様々なコミュニティと協議を行うことが重要である」と講演。
会議のコーディネーターのユネスコのウイリアム・ローガン教授が登場。「発展と文化的アイデンティティ・多様性の両立が重要であるが,今日,都市のスプロール化,インフラ整備等により,文化遺産の価値が縮小している。また,ヨーロッパ・オーストラリア圏では人口が安定・縮小しており,生活水準が高く,アジア圏では人口が増加し,今後生活水準が高くなる傾向にあることを考えると,各国・都市によって,文化遺産の保存の文脈が異なる」ことを指摘し、会議の成功を訴える。
●円卓会議「「保護と指針」 バララットの政策は
円卓会議の第1部は「保護と指針」というテーマで、バララット市のヴェンディ市長が最初の発表者。
「1851年に金鉱が発見されたことでまちが誕生した。人口9万人で歴史も浅いが,オーストラリア国内で最も重要な都市の一つである。現在は,教育・文化センター都市としても機能している。ビクトリア朝様式の建物の宝庫であり,それ以外にも様々な文化が存在しているが,100年前とは大きく変化しており,特に住宅の郊外化が進み,住宅地の保護が重要な課題である。マクドナルドが出店した際には,世界で初めて標準でない建物・看板を導入した。20世紀後半以降の優れた現代の建築物も将来に継承していく必要があるが,この点の重要性の認識が不十分である。1970年代に遺産保護の条例を制定し、観光・経済発展との関連が重要である。また,遺産保護による経済的価値の増加を認識する等,一般市民の意識も高まり,一般市民のサポートも受けて,遺産保護に当たっているが,今後,コミュニティの参加が重要であり,コミュニティへの教育・啓蒙活動が重要な課題となってくる」。
●桝本市長が京都市の取り組みを報告
桝本市長は、コミュニティ豊かな文化や京町家が急速に減少し,コミュニティ崩壊の危機にあることを伝え、歴史的都心地区再生のために,全市域で建築物の高さ制限を実施することとし,歴史的街並みと調和する建築物のデザイン指針を作成、市民からの寄附等によるファンドによって建築物の改修助成事業を実施したり,都心部での自動車交通の抑制による歩いて楽しいまちづくりを目指している。持続可能な歴史都市として,都市のアイデンティティ・ブランド力の向上を図り,50年後,100年後の歴史的都市の再生を目指して様々な施策に取り組んでいることを報告。
会場の参加者から、広告物のことや、車の乗り入れ規制の問題や都市のスプロール化のことや遺産保護に当たっての税制上の優遇措置やなどについて質問がある。昼食は、サンドイッチとフルーツなど軽食。
●中国・鄭州市の発表
午後は、会議の第2部として「影響と利益」と題して、中国は鄭州市が発表。経済発展と文化の保存の両立が重要な課題である。観光業との協調を図っている。遺産保護への住民の意識が高まってきており,商業投資や芸術活動との結合により,更に価値が高まり,大きな経済効果をもたらしている。街をアピールするには,文化的要素が重要であり,ホスピタリティ,環境,文化の面で向上させる必要があり,また,遺産が人類の文化という意識を次世代に継承させる必要がある。受身的な保護ではなく,積極的なアプローチが必要であり,遺産の保護と開発が一体として考えられている。
●韓国・慶州市の試み
また昨年の開催地であった韓国は、慶州市長が、「前回開催のお礼の後、30年かけて寺院を修復したことを例に、世界に対し,韓国の木造建築の素晴らしさを見せる機会であり,更に,韓国人の精神,現在の国力,国民のプライドを示すものとなり,韓国人の精神の再構築を図るものとなる。また,関連するインフラ整備により,ハイテクの先進的・歴史的・文化的都市へと変化することとなる。
●奈良市の教育長が英語でスピーチ
また奈良市からは市長が参加の予定だったが、職員の不祥事問題で急遽代わりに教育長が参加。冒頭、英語でスピーチされたのには驚いた。国際会議では、やっぱり英語で少しは話す努力をしなくては。奈良は3年先に建都1300年を迎える。そのときに世界歴史都市会議が開催される予定。
またかって世界歴史都市会議が開催されたフランスはモンペリエ市からの報告もあった。文化遺産の修復と復元のことや無形文化の保存や継承や観光対策などがその後意見が出された。鄭州市では、観光客が増加する時期には,人数や時間等に上限・制限を加え,観光客をコントロールしているという。
アフタヌーン・ティの後は、会議第3部「願望と期待」としたセッション。
●ボストンの変容
ボストン市は、「ボストンは、近年ヒスパニックや黒人が増えたが、1950~60年代生まれの人々が街に帰り始めてきており,所得の格差が混在。元からの住民と新たに帰ってきた住民の2つのグループ間における教育,安全等の価値観の調和を図ることが重要な課題である。街に人が戻ってきたことで,衰退した小売業も徐々に回復してきた。都心部における空間の保存・活用に当たっては,これまで,古い建物の保存に力を入れてきたが,その一方で,小さな空き地が増えてきた。これらを集約して,大きなボストンのセントラルパークを作る計画を策定中である。遺跡の保存に当たっては,誰の財産であるのか,誰のためのプロジェクトであるのかを考える必要がある。また,遺跡の保存に当たっては,コミュニティの参加が重要である。開発プロジェクトには,コミュニティを組み込み,新しい住民のパワーを活用することで成功した。
●最古の都 西安
続いて中国は、西安市が発表。中国最古の都ということで中国文明の中心地、1953年に初めてマスタープランを策定した。偉大な歴史的建築物を自分たちのシンボルとして保存し,2002年には高さ規制をし、周囲には,新しい建築を認めないこととしている。2004年~2020年の計画では,歴史的区域での保存と開発の調和を図ることを目的とし,持続可能な開発,無形遺産の保護に取り組んでいる。文化遺産・歴史遺産の維持が都市の発展には必要である」と発表。
討論では、コミュニティの大切さや遺産保護に当たっては,地域住民がそういう地に住んでいることに誇りと責任を持つことが重要であり,継承についての若い人達への教育が必要であることなどの意見が出された。
会場には、300人ほどの参加者で熱気。いやはやハードな発表でした。市長は午後、体調がすぐれずホテルに戻られ静養。風邪がこじれて気管支炎か。
●天才ピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴットさん
夕方は、美術館で晩餐会。バララット市の150年前の風景絵などが飾られてあって興味を引いた。この夜のゲストはピアニストのデイヴィッド・ヘルフゴットさん、彼の半生を描いた映画「Shine(シャイン)」が1996年にオーストラリアで製作をされたという。聞けば、少年時代は天才的なピアニストだったが、精神障害を病みながらも復活されたらしい。楽譜もなしで次から次へと演奏されるその音楽は素晴らしかった。ぜひ映画を観てみたい。
10月30日(月) オーストラリア日記
●バララット市を視察
快晴の朝 部屋から見る日の出が美しい。昨日からサマータイムになったとこかで、1時間早くなっている。6時30分モーニングコール。ホテルでパンとフルーツだけの簡単な食事の後、バスで世界歴史都市会議会場のバララットロッジへ。9時から他の外国の都市の参加者とともにバララット市内の歴史的遺産の視察に。バスには中国、韓国、インド、トルコなどからの参加者も同乗。色々な言葉が飛び交う。
雲ひとつなくさわやかな初夏のオーストラリア。街はメインストリートを中心に碁盤の目の道路で19世紀後半の建物が連なっている。交差点はロータリー状になっていて、日本と同じように車は左側通行、日本車が多いが、車はそんなに走っていないし歩いている人も少ない。郊外の住宅地はレンガ色で全ての家に煙突があり庭の手入れもいきとどき街路樹も多く緑がいっぱい。
ブラックヒルという小高い丘からは360°の風景。地平線がまるく見える。そしてバララット町並みは、レンガ色の建物で緑の樹木に囲まれ、教会の尖塔が2、3見える。雄大な自然と美しいまちなみ。バスは街路樹の彩りがまぶしい市内を走る。ウェンドウィー湖のまわりを周回。雨不足で水が少なく水鳥が遊んでいた。回りをジョギングする人がいる。森のような植物園。
●まちを歩く
午後は、ボランティアの案内で徒歩で街なかを視察。この街は1850年代のゴールドラッシュのときに始まった。バルコニーのある建物が並び、「Her Majesty Theater」は、1875年に建設された劇場。3階までせり出したボックス席はオペラ劇場で今も映画や芝居が上演されている。当時の建物が幾つも残されており、美術館や大学などに活用されて、駅もクラシックな建物。とあるところにはモール街になっていて洒落た店もあり、現代的な町も風景と調和している。
マクドナルドの店があったが、あの赤色のケバさがない落ち着いた色の店舗。会議で住民が反対して色を変えさせたという。とあるレストランの前の路上のテーブルでオーストラリアの初夏の風に吹かれながらビールを飲むのは至福のとき。
●各都市と参加者と交流
夕方、わが宿泊のホテルでカクテルパーティ。明日から会議が始まるということで各都市の代表が一同に集う。ぼくは京都弁英語で名刺の交換に大忙し。日本からは姉妹都市の兵庫県の猪名川町から真田町長、また世界歴史都市連盟の奈良市からは不祥事で市長が来れずに教育長らも参加。
そして路上では、近衛兵の姿をしたグループが空砲を撃って歓迎セレモニー、夕食会場のマイニング・チェンジ(鉱物取引所)跡の建物まで市長以下、参加者がメインストリートを行進。わが桝本市長は、体調がすぐれず明日の会議に向けて欠席。
●多文化社会
夕食会では、冒頭に、日本人の女性たちもいる和太鼓の迫力ある演奏で始まりびっくり、テイム・フィッシャー元オーストラリア副首相で今は観光担当の講演では、「トムソーヤの冒険」を書いた作家のマーク・トウエンの話が出てきて興味深かった。またインドや中国、タイのダンスグループの舞踊もあり、オーストラリアなのに、なぜかと思って聞いたら、多文化社会だからと、いうこと。
ぼくは桝本市長のピンチヒッターでヴェンディ市長夫妻の横のメインの席に座って、京都弁英語で喋る。オーストラリア英語はわからん。マンダイはmonday、トウダイは、today,18がナインテイーンに聞こえてよく聞いたらアイテイーンと発音されていた。ワインも料理も堪能。午後10時過ぎまで楽しい会食。こんにちはは、god
day が「グダイ」。
10月29日(日) オーストラリア日記
●メルボルンからバララットに
朝食代わりの機内食の準備の音で目覚める。ほぼ8時間の機中。ブリスベン空港に着いたのは、日本時間では朝の6時過ぎ。眠たい。入国手続きもスムーズに終わり、国内線へのターミナルにバスで移動するときに久しぶりの喫煙。美味かった。
オーストラリア時間で午前10時前、ブリスベン空港を発ち2時間半ほどで午後1時前、メルボルン空港へ。先乗りしていた国際化推進室の係長らが出迎えてくれる。サンドイッチで昼食の後、バスで広大な草原が広がるハイウェイを1時間半ほど走ればバララット市に。
●バララットのヴェンディ市長と再会
バララットは人口9万人弱の小さなまち。メインストリートらしきところにグレイグロイヤルホテルがあった。古風な建物で部屋は天井もベッドも高くてイギリス風。ベランダもあってそこからメインストリートを見る。西部劇に出てくるようなまちの雰囲気。
少し休憩して、服を着替えてTownHall(市役所)を表敬訪問。デヴィッド・ヴェンディ市長らが迎えてくれる。桝本市長らと記念品の交換して、ぼくはヴェンディ市長らとの再会を喜ぶ。市長は9人の市会議員から選ばれるそうだが、髭を伸ばした市会議員さんもいて親しくなった。夕方といっても明るいが、肌寒い。少し厚着をして郊外のテーマパーク「ソブリン・ヒル」へ。
この地で1851年に金鉱が発見されゴールドラッシュになったところ。小さな丘に1850年代の当時の街を再現してある。アメリカだったらさしずめ保安官がいてガン使いがいてということだろうが、まるで映画のセットだ。路上で世界歴史都市会議の参加者一同がワインを飲みながらカクテルパーティー。昨年の開催地の韓国は慶州市や安東市長らとアンニョハシムニカと再会。桝本市長は風邪気味。金鉱跡のヤグラに登って見た風景は雄大な土地が広がる。空には雲ひとつない。
●ゴールドラッシュのまち
食事の後、日が暮れてメインイベントは「The Great Australlan legends ーThe Flag of The Southern Cross」(偉大なるオーストラリアの伝説ー南十字星の旗)という音と光のショー。
いささかびっくり。丘に再現した当時のまちがその舞台。3箇所ほどステージがあって観覧バスに乗り込んで移動するのだ。日本語の説明をレシーバで聞くことができる。1854年ゴールドラッシュの時に鉱夫たちが反乱を起こす物語。これが、オーストラリア民主主義の始まり。音と光とマイクを通して流れる役者とナレーターの声が臨場感を盛り上げる。日本ではこれはないやろ。寒かったけれど星がきれいだったし、火に包まれた馬車が走るのには驚いた。そして何よりもバララット市民が当時の歴史を大切にしていることを知ったのだった。
ホテルに戻って免税店で買い込んで来た日本酒を熱燗にして一杯飲んでダウン。長い一日だった。
10月28日(土)
●人権ひろば錦林のつどい
午前9時過ぎ、「人と人、つなぎあう心と行動で人権と共生のまちをつくろうー人権ひろば錦林のつどい」にコミュニティセンターでの例年秋の催し。オープニングは岡崎中学のブラスバンドの演奏。講演は京都市生活安全懇話会会長の藤岡一郎先生(京都産業大学教授)が「「自分たちでつくる地域社会―みんなで守る地域の子ども」で話されたが、途中退席。
●京都府歯科医師会100周年の記念式典。
バララット行きの準備でスーツケースに着替えを入れたりパッキングでバタバタ。2時過ぎには、都ホテルでの京都府歯科医師会100周年の記念式典。わが主治医の吉田民夫先生は還暦で表彰されておられた。懇親会も乾杯までいることなく、自宅にスーツケースを取りに戻り、いざ京都駅へ。
●いざ、オーストラリアはバララットに
市長や市会の代表らと「はるか」で関西空港に。予定の時間よりほぼ1時間遅れで飛行機が離陸。オーストラリアへは初めてのフライト。雑誌を読んだり、映画「ポセイドン」を見たり、食事をしたり、そしてブランデー2杯とビールを飲んで寝込む。市長は風邪気味か、鼻がグスグスしている感じ。
10月27日(金)
●議長が市会事務局長らに口頭注意
午前中、交通水道委員会の実地視察が地下鉄延伸工事の天神川工区であったが、昨年見ているし、色々と雑務があり、今回の視察は参加を見送る。
昼、議長室で10月6日の本会議で議事運営に関わり事務的なミスがあったものだから、けじめとして議長から市会事務局長と事務次長と議事課長に口頭注意と訓示。その席に同席。当日、実は起立をめぐって少し本会議場がざわついたのだが、そのことに対してのけじめ。今後本会議の運営や配布資料については二重三重のチェックをして万全を期してくださいよ。
●市会改革委員会
午後は市会改革委員会に議長とともにオブザーバー参加。民主の小林理事に替わってわが議員団のホープ山岸議員が参加。北川委員長の進行で各会派の理事が委員。本会議場における一問一答方式の導入、政策討論会の実施、請願者による趣旨説明、委員会の見直し、市会だよりの充実、本会議場の一般見学、電子情報による各種資料の送付など、各会派内におけるこの間の審議状況を報告し、できるだけ全会派一致する方向で調整が図られる。結論が出てきそうなものもあれば、予算がかかって今回の委員会での結論は出ずに先送りになりそうな
案件なども。まあ色々とありますよ。
その後、明日夕方、世界歴史都市会議に参加すべくオーストラリア行きの出発準備で、土産を買ったり、片付けておかなあかんこともあるのでバタバタ。ひとくち日記を書くのにも必死。スーツケースに詰めるは明日だな。
10月26日(木)
●松山市を視察
朝食後、近くの子規記念博物館を一行の議長らと視察、近代俳句の父、正岡子規の生涯を展示した立派な博物館。先日、浅井忠と関西美術院展に行ったが、浅井忠の絵が「ホトトギス」の表紙を飾っていることを知っり、また子規がベースボールに熱中し「野球」と名づけたことを知った。そういえば野球の殿堂入りをしているのだ。
道後温泉駅前では足湯につかり、からくり時計を見て、ノスタルジアあふれる「ぼっちゃん列車」に乗って、今は美術館別館になっているフランス風の近代建築として歴史的な建物の万翠荘と、漱石と子規がともに下宿を再現した愚陀仏庵を見学、さらに電柱を地中化して看板などの統一をした城山下の洒落た街の雰囲気を漂わせたている通などを市会事務局の案内で散策、雲ひとつなくまるで初夏のような陽射しで暑い。温暖な瀬戸内の気候なのだ。
一行と分かれて、JRで今治へ。今治からは、しまなみライナーのバスの乗ってしまなみ街道で瀬戸内海を渡り、福山から新幹線で帰京。
●京阪バス労組結成60周年記念式典
京都駅に着いて、そのまま京阪バス労組結成60周年記念式典に。京都市収入役や民主党の国会府市会議員などが来賓。結成されたのは昭和21年のこと。執行委員長の中川義之さんの結成以来を振り返りながらの労働運動の歴史と今後に向けた決意は聞かせた。京都市交通局の管理の受委託を受けて九条営業所や梅津営業所の系統の路線を京阪バスの運転手さんが市バスを走らせているのだ。安全運転で頼みますよ。
10月25日(水)
●松山で国際特別都市議会議長会議協議会
国際特別都市議会議長会議協議会が松山は道後温泉で。新幹線が事故で不通になり新快速で新大阪で乗り換えて、岡山から特急しおかぜで松山へ、すでに会議が始まっていた。
参加都市は、熱海、別府、松江、軽井沢、芦屋、日光、鳥羽、奈良、伊東市。熱海市議長の司会で、運動方針や国際観光文化都市の整備のための財政上の措置などに関する法律の延長に関する要望、国際観光文化都市としての公共事業の補助要望とか、飲料容器の散乱防止、入湯税の拡充、ゴルフ場利用税の存続、温泉療養の公的医療保険適用の早期制度化、観光行政充実のための観光省の早期創設などの要望を決める。この法律は、戦後間もなく制定されている。
意見交換会では、芦屋市や鳥羽市や日光市の議長らと懇談。若き中村松山市長が同席され、ホームチャイムの演奏に合わして荒井満作曲作詞の「この街で」を熱唱。いやはや恐れいりました。
もちろん由緒ある日本最古の道後温泉本館でひと風呂浴びて、夜の街に。大学時代からの友人の武井牧師、反戦喫茶「ほびっと」時代のスタッフだったエイちゃんらに会い、久しぶりにワイワイとやる。50年近く続いているというカウンター
だけのサントリー・バーは、ええ雰囲気やった。リラ亭を思い出した。
10月24日(火)
●在日外国人の福祉施策の充実
10時過ぎ登庁。在日外国人無年金障害者・高齢者給付金施策についての要望書をもって仲尾宏さんら関係者が来所。保健福祉局や国際化推進室の理事者との懇談の場で挨拶をする。2月予算市会で同趣旨の請願が全会派賛成して採択をされているので、金額の引き上げなど施策の充実や広報の工夫などが求められる。
●琵琶湖疏水に通船の復活を
また「びわこ疏水とさざなみの道の会」の画家の鈴木靖将さんと「近代京都の礎を観る会」の会員の方が来室。「琵琶湖疏水に通船復活を」と星川副市長に要請に。琵琶湖疏水はかって運河として大津から京都まで物資が運ばれていた。その後、20年ほど前に京滋の知事と京都・大津市長が疏水下りをした記憶があるが大津京と平安京を結ぶ水の道として、その疏水に舟を運行させようと夢とロマンを語られる。もちろん琵琶湖の総合開発による水位低下など技術的な問題や資金や運営上の問題など、多くの課題があってそうたやすく実現できるものではないが、夢 とロマンを忘れんといちど検討してみたらどうや。
午後は、従姉夫妻が副議長室を尋ねてくれる。叔母が元気で一緒に来てくれていたら、大喜びであったやろね。
10月23日(月)
●民主、衆議院補欠選挙で2敗
朝のニュースで昨日の神奈川と大阪の衆議院議員の補欠選挙の結果を知る。神奈川はしんどいと聞いていたが、安倍政権になって初めてでご祝儀もあったのかもしれないが、大阪は公明党・創価学会の組織戦の底力に負けたのではないか。小沢代表も春の千葉の補選のようには存在感も精彩もなかったようだ。京都から応援に行っていたみなさん、お疲れさんでした。これは民主党も統一地方選挙もたいへんやぞ!
●弁護士会とゲートキーパー制度について懇談
午後、平安講社の役員の方が副議長室にご挨拶にきていただき恐縮。
その後、弁護士会とわが議員団の懇談会。テーマは弁護士を警察の門番にしよういうゲートキーパー制度(弁護士による依頼者通報制度)について。この制度は、テロ資金対策及び資金洗浄対策の一環として、不動産売買や資産管理について弁護士を含む公認会計士など専門職を金融取引における門番として違法な資金移動を監視・規制しようという国際的背景があるのだが、依頼者の密告制度は、国家権力との対抗の中で市民の擁護をするという弁護士制度の制度的機能を崩壊させるものだと弁護士会は大反対。当然のことだ。立法化反対の決議や意見書を提出してほしいと要請にこられ懇談。
その後、新聞記者が来室。この間の職員不祥事問題について、その遠因となる同和問題について懇談。1996年5月市会でぼくが代表質問した議事録を参考にして欲しいとアドバイス。タブーが取り除かれたのだ。
●後援会幹事会、選挙をどうするか
夕方は、わが後援会の主だったメンバーに集まってもらい来春の選挙に向けての準備会。左京区は定数9人のところを14人ないし15人が立候補することになるので大激戦の大乱戦になるだろう。ポスターも出来てきたし、今後どう対処していくのか、喧々諤々の議論と対策を練る。ここは気を引き締めて臨まんことにはえらいことになる。団塊の世代、もうひとふんばりだ。ポスターを貼っていただける方やボランティアを大募集。
10月22日(日)
●時代祭で名誉奉行
快晴の日曜日。時代祭の日だ。副議長ゆえ、名誉奉行ということで馬車に乗って先頭を行くことになっている。朝から緊張。水気もほとんど取らずに略礼服を着て、午前10時過ぎ御所は建礼門前の本部に到着。行在祭と言う神事が行われ、府会議長らと拝礼。白川女はわが鴨沂高校同級生の娘さんが生花を献ずる役。そして、テントで知事と市長らと一緒に「直垂」という衣裳を着付けしてもらう。平安時代にタイムスリップ。
晴天の日曜日で観客が多くおられる中、先頭の馬車に一人で乗車。馬車を操作してもらうのは、ぼくがガソリンを入れている百万遍は西村石油の社長。偶然とはいえ驚いたが、少しリラックスできてよかった。
ぼくの後ろの馬車に知事と市長、3台目に商工会議所の道端副会頭、4台目に馬主協会の村井夫妻。正午に出発。ええ気分やけれど、いやはや緊張。手を振ったらええのか、目線をどうすればいいのか、悩みながら出発。観客席からはデジカメ で写真をとる人が多いし、拍手をしていただく人や、中には「副議長」と声を掛けてくれる友人もいてびっくり。
行列は、維新勤皇隊から江戸時代、安土桃山時代、吉野時代、鎌倉時代、藤原時代、延暦時代と京都市民が主役の文字どうりの時代絵巻。総勢2000人の行列。堺町御門から丸太町通に出て烏丸通から御池通を進む。ところどころで
マイクで説明が入り先頭には鈴木京都市会副議長が乗車とアナウンスがされるとなにやら照れる。沿道には多くの外国人も含む観光客などが延々とおられて拍手も起こる。聞けば13万人の人出だっただったという。
右を見たり左を見たり、ときには扇を振りながら、頭を垂れる。市役所前で右折し河原町三条から三条通を東進、神宮道を北進して平安神宮の大鳥居が最後の見せ場。応天門に着いたのは3時前か。
喉は渇くは、腰は痛いは、緊張するはでもうぐったり。衣裳を脱いで服に着替えてやっとやれやれ。応天門のところで、帰ってこられる行列のみなさんに声をかけさせていただく。最後の神幸列には、わが地元の友人たちも数人。ご苦労さんでした。
ほんとうに名誉あることで一生の思い出に残る一日でした。みなさん、ありがとうございました。風呂に入った後のビールの美味かったこと。
10月21日(土)
●久しぶりの散髪
久しぶりに夕方まで日程の入っていない土曜日。明日時代祭に出るので、昼、久しぶりに行きつけの散髪屋「ひげ床」に行って整髪してもらい肩を念入りにマッサージをしてもらう。久しぶりにリラックス。10年ほど前までスキバサミでどんどん切ってもらっていたが、髪の毛もなくなり簡単なもの。黒髪ふさふさの頃がなつかしいね。
●国際フォーラム、秋篠宮さんと会う
夕方は、国際会館での文化庁主催の文化の多様性をテーマにした国際フォーラムのレセプションに。長官の河合隼雄先生が倒れられておられないのが寂しい。来賓で秋篠宮さんが来られていたので、ミーハーのぼくは、「おめでとうございます」と声をかけさせてもらって、門川大作教育長とハイチーズ。皇室の大ファンだった死んだ祖母に写真を見せたら泣いて喜んでくれただろうね。背丈はぼくとそう変わらず、おっとりと喋られ、ゆったりと歩かれているのが印象的でした。
●福祉工房P&Pの運営委員会
その後、福祉工房P&Pの運営委員会と懇親会。自閉症の青年たちのための第二作業所を西京極に開設したので、今後の運営や障害者自立支援法のことなどが話題。作業所でできる仕事を紹介してください。
10月20日(金)
●今週2回目の調査特別委員会
今週2回目の「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」を傍聴。無免許と覚せい剤使用で逮捕された保育所の作業員は、30代半ばの女性。この間不祥事が連続多発して、問題職員を洗い出しの作業が始まっているが、病欠や休職、遅刻や早退、借金で給料が差し押さえられている多重債務者や、市営住宅の家賃滞納者などの問題職員が200人近くいそうな報告。
同和問題の解決のためにということで、雇用促進、優先雇用をした職員がその多くを占めているのだろう。また覚せい剤が簡単に手に入るようなルートがあるのだろう。まだまだ事件は起こりそう。根は深い。30分ほど傍聴。
●近畿議長会
近畿議長会に。今期2回目。当番都市は亀岡市だが、交通の利便を考慮して八
条口の新都ホテルで開催。市会総務課長らと参加。柏原市議会議長が近畿議長会の議長。改選があったとかで、新議長の進行で会議が始まる。負担金のことや障害者自立支援法に係わる自治体負担の軽減などの決議を採択して、全国議長会に持っていくことなどを決める。政令指定都市は相談役ということで、前の方の席に座る。かっては近畿議長会として海外視察も行われていたらしいが、こんなご時勢なので中止されることになった。
●民主党京都府連「躍進の集い」
夕方は、民主党京都府連「躍進の集い」の政治資金法にのっとり、統一地方選挙と参議院選挙をにらんでの2万円パーティ。民主党の憲法調査会長の枝野幸男衆議院議員の講演の後、懇親会では、水戸黄門こと渡部恒三顧問が会津弁で楽しい挨拶。場内が沸く。およそ1000人の参加者で熱気。でも来賓の方の登壇者が多く、挨拶が長く続き、立食なので疲れた方が多かったのではないか。
1区から6区まで総支部長の国会議員の進行で府市町村議会の来年の選挙を闘う現職、新人候補が壇上の並び挨拶したのは圧巻。厳しいけれどがんばろう!ご参加いただいたみなさん、チケットを買っていただいたみなさん、ありがとう。
10月19日(木)
●保育作業員、覚せい剤で再逮捕
一昨日の17日に無免許運転で逮捕されていた保育所の作業員が、覚せい剤の使用により再逮捕されるという情報が飛び込んでくる。予想どうり。昨日の記者会見で1万6000人の市職員の1パーセントほどの160人ほどが問題職員だという発言があったと聞くが、薬物乱用を防止の先頭に立つ保健福祉局の、それに子どもたちの保育に従事する職員が覚せい剤をしようしているなんて、話にならない。明日、急遽、市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会が開催されることになった。今週2回目だよ。
●千客万来、秋の夜長は日本酒
午後、来室は、洒落た可愛い漫画チックなパリの絵を描く大阪の画家。福祉ステッキを特許でとった愉快なおっちゃん。交通局の担当者と優先座席のあり方などについて懇談。話がアチコチに飛んでオモロイ。
また別のNPO法人の方は、東山のパークアンドライドの取り組みのことなど尋ねに来られる。合間を縫って中村秘書と時代祭当日の動き方などの打ち合わせ。
夕方は、国際交流会館の館長で前副市長の高木さんと、秋の夜長に一献傾けながら、世界歴史都市会議のことや市役所の不祥事問題について懇談。秋はやっぱり日本酒ですよ。
10月18日(水)
●「AERA」に19歳のときの写真が載ってるよ
閑話休題。朝日新聞社から出ている雑誌「AERA」(10月23日号)に「突きつけられた僕らの戦争」という記事の中に作家の小田実さんがデモをしている若いときの写真が載っている。どっかで見た写真やなと、思って注意をしてみると、なんと!、紅顔の少年の頃の19歳のぼくが写っているのですよ。1968年の夏、京都は国際会議場で「反戦と変革のための国際会議」をしてフイナーレで市役所前から円山公園まで3000人ほどでデモをしたとき、このデモで硫酸が沿道からまかれたと思うが、その写真は当時のアサヒグラフに載ったのをどこかに残しているが、閑な人は「AERA」で探してみて!
●十二提灯子ども神輿の会計と接骨院
午前中、時間が空いたので、十二提灯こども神輿保存会の会計決算をお隣のおじさんと。今までは2日間にわたって巡行した来たが、昨年は雨で中止、今年は一日で巡行したが、ローソク代としてご寄付を7万円ほどいただいた。子どもたちのジュース代や夜店のチケット代に保険代など収支はほぼとんとん。よかった。
またこの間の疲れが溜まって首や肩に違和感を覚えていたので、近くの藤村接骨院に。1年ぶりかな。ローラーに乗って電気治療を受けてパンパンにはった体をほぐしてもらう。これは快感。ちょっと楽になる。
午後登庁。来室は、環境・防災型自販機を開発しているメーカーの人や節水など水問題を考えるNPO法人の方らが来室。NPO法人のメンバーはいずれも定年退職者の集団。いずれの方も意気軒昂。ええねえ。ぼくもああいう風になりたいね。
10月17日(火)
●歯医者は、快感か?
久しぶりに歯医者に行く。3ヶ月ぶりか。わが吉田先生曰く、だいぶ悪くなっているよ、と超音波でゴリゴリしてレントゲンも撮ってもらう。久しぶりの快感。気持ちいいよ、というのは嘘。拷問だ。
またこの4年乗っているホンダのビガーの車検。中古車で買ってなんとかまだ走れそうなので、もうちょっと乗ろうと思っている。
●またまた逮捕者
午後、登庁。ある幹部から、またひとり警察に無免許運転で逮捕されたようです、と耳打ちをされる。オイオイ、またか!聞けば、保育所の作業員だという。ひょっとして覚せい剤容疑もあるかもしれませんとのこと。もうええ加減にしてよ。この4月以来13人目の逮捕者か。
●平安神宮宮司さんにご挨拶
午後、時代祭を22日に控えて、名誉奉行として馬車に乗ることになっているので、平安神宮の宮司さんにご挨拶に。知事と市長が先頭の馬車に乗るものだと思っていたら、行列次第を見ると、市会副議長としてぼくが先頭の馬車だ。議長は乗らないので、一人で乗ることになっているのだが、えらいこっちゃ。緊張するよ。宮司さんに励まされた。ええ天気になればいいのになあ。
●「未決」と「既決」の箱
その後、副議長室に篭もって机の上にある「未決」の箱に溜まった書類を見る。日々、広報資料などが積まれていく。それに目を通すだけでもたいへんなのだ。
見たものは既決の箱に入れる。また秘書の中村君が色々な書類を持ってきて、今後の日程など調整。
夕方、人事委員会の委員長に就任された松井珍男子前副市長が就任のご挨拶に。少しの間、四方山話。
10月16日(月)
●「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」
毎年、9月市会定例会が終わり運動会が終わると市会は閑になるのだが、今年はそうはいかん。ほんまに異例づくめ。「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」が早速開かれるとは誰が予想したか!ぼくは委員会のメンバーではないけれど、委員会室に入って傍聴。
先週10月7日に酒気帯び運転でバイクで一方通行を逆走して逮捕された職員の事件、そしてとある診療所で6月に置引きをしたことで10月12日に窃盗容疑で逮捕された保育士の事件を巡っての調査特別委員会。
いずれも懲戒免職処分になったが、保育士のの場合は、この間、病欠と休職を繰り返していたことが判明。色々とこの間の取り組みについて理事者から報告などあるが、謝罪の言葉。各委員から怒りの声。ほんまにどないなっているのか。呆気にとられる。
●「浅井忠と関西美術院展」
午後は、市立美術館での「浅井忠と関西美術院展」のオープニングセレモニー。副議長として中村秘書が草案を作ってくれた祝辞を述べる。創立100年を迎えた関西美術院は岡崎にその研究所があり、浅井忠氏らは聖護院にてサロンを作られていた。関西美術院ゆかりの画家たちの作品が並ぶ。京都の風景などあり、特に出町柳周辺から東山から比叡山を描いた当時の景色には興味を持った。川端沿いにお寺が並び、東山は禿山みたい。100年前の鴨川。
この作品展は、12月3日まで。なお同会場で「ルーヴル美術館展ー古代ギリシア芸術・神々の遺産」も11月5日まで開催されている。ぜひ行ってね。
●連合京都議員フォーラム
夕方は連合京都議員フォーラム」。ぼくは事務局次長。研修会には参加できなかったが、総会と懇親会に参加。総会では活動方針や予算について提案、了承される。また懇親会では、民主党の国会議員や府市会議員と候補者が出揃い決意表明。選挙まであと半年を切ったのだ。働く市民の立場で民主党は頑張らなくては。その後、某消防署の友人を囲む会。みんなでワイワイ。
10月15日(日)
●京都市自治記念式典
午前7時過ぎ起床、眠たい。総政会の友人の車で北小松を午前8時に出発。和邇、途中、大原経由でわが事務所に着いたのは午前9時過ぎ。
略礼服に着替えて歩いて京都会館での恒例の京都市自治記念式典。明治31年に、京都市役所が開庁したのがこの10月15日。108周年になるのだ。いつもは会場の市会議員席に座って、ぼんやりと式に参加しているが、副議長ゆえ壇上に麻生副知事、議長や財政総務委員会委員長らと来賓席に座る。議長は祝辞を述べた後退場、特別功労賞に上平貢先生ら、環境保全功労者特別表彰に高月絃先生と浅岡美恵弁護士会長らに、以下、永年勤続市政協力委員、ごみ減量推進特別感謝状や、安心安全ネットワーク形成特別感謝状など、地域でのボランティ ア活動に尽力された方々が表彰をされる。もう眠たい、眠たい。睡魔との闘い。
終わった後、舞台で特別功労賞、環境保全功労者特別表彰者らと記念写真。受賞されたみなさん、おめでとうございます。
●区民運動会周り、これにて終了
昼過ぎ、最後の区民運動会の岡崎は錦林小学校から北白川学区の運動会を激励に。陽射しが眩しいほどの最高の天気。これにて区民運動会周りはオシマイ。体育振興会の役員のみなさん、お疲れさんでした。
久多と雨で昼から中止になった下鴨と修学院は行けなかったが、合計24箇所回りました。記念にたくさんのタオルをいただき感謝です。
10月14日(土)
●静原のコスモスフェァー
朝、左京区は、静原でのコスモスフェアーに。毎年5月末にぼくの野外パーティを開催させている縁もあって時間があるときはドライブがてらお邪魔している。今年は好天に恵まれピンクのコスモス畑が美しい。役員さんたちが輪投げや焼き芋を焼き、のどかな田園風景の中、子どもたちも大喜び。地元の農産物や障害者施設「七彩の風」の地鶏の焼き鳥やおからドーナツも販売されていて、前原議員も激励に来て、のんびりとひと時を過ごす。
●総政会の10周年記念事業
昼は、同志社の今出川キャンパスで総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の総会と10周年事業に向けての最初の実行委員会。20人ほどの同窓生にご参加いただき、ああでもないこうでもないと議論。来年の秋に、北小松にある同志社のセミナーハウスの「リトリートセンター」で一泊して、講演会やワーキンググループをしようというのがメイン行事。
●健康福祉祭しずおか大会京都市代表団結団式
途中で抜けて、、第19回健康福祉祭しずおか大会(ねんりんピック)京都市代表団結団式に出席し激励の言葉を述べる。60歳以上の方で、卓球やテニスやグランドゴルフなどのスポーツ交流、囲碁や将棋の文化交流に役員さんら160人が参加されるとのこと。最高齢は80歳の方、いやはやみなさんお元気でなによりです。後3年もしたらぼくも仲間入りできるのだ!
●解放運動を問う
夕方は部落解放同盟錦林支部の第50回大会記念祝賀会。1960年(昭和35年)に当時の劣悪な住環境の改善や部落差別をなくそうと錦林支部は結成されているが、それから半世紀近くたって多くの成果があったと思うが、この夏の市役所職員の不祥事事件の続発に、暗澹たる思い。運動をどう総括するのか、大きな岐路に立っている。ぼくが94年と96年の5月市会の本会議で演説した同和行政に係わる問題についての提起した議事録をぜひ再読して欲しい。
●北小松の同志社びわこリトリートセンター
途中で会を抜けて、山科駅から湖西線に乗って、北小松にある同志社のセミナーハウスの「リトリートセンター」に。駅についてのは10時前。総政会の10周年事業の会場を予定しているところで、事業の諸計画について一献傾けながら深夜までワイワイと知恵を出す。学生時代の気分に戻って楽しい。
10月13日(金)
●交通水道委員会で京北を視察
交通水道委員会の視察で京北に。市役所前からバスで1時間少し、昨年4月に編入合併した京北の特定環境保全公共下水道の京北浄化センター(アクアパーク京北)をまずは視察。ログハウス風の管理棟が川沿いの風景にマッチし、好天で秋の風が吹きぬけ気持ちがいい。紫外線消毒装置を採用して生物に影響が出ないらしい。かっての京北町役場は、がらんとしていた。
上下水道局の管理者から説明を受けて、昼食の後、丹波マンガン記念館の近くの下弓削浄水場、さらに京北西部浄水場を視察。京北の地域水道は、老朽化が進み、今後11浄水場を5浄水場に統合し、今後15年計画で再整備を図ることになる。緑豊かな京北は、右京区になったが、栗尾トンネルの開通事業や京北病院の経営、そしてこの地域水道の整備など課題は多い。
●世界歴史都市会議のこと
市役所に戻ったのは、午後3時過ぎ。とある委員会室で、この10月末からオーストラリアはバララット市で開催される第10回歴史都市会議の事前説明会。ぼくは議長の代わりに参加することになっている。この歴史都市会議は、過去にスペインはバルセロナ、ポーランドはクラコフ、フランスはモンペリエ、そして昨年秋の韓国は慶州での会議にぼくは参加している。オーストラリアは初めての大陸。10月28日夕方に出発して11月4日に帰国の予定。また報告を書きましょう。
●大津京と平安京を結ぶ疏水
来室は、画家の鈴木靖将さん。「びわこ疏水とさざなみの道の会」のメンバーとして、琵琶湖から疏水を通って京都まで舟を運行させ、大津京と平安京を繋ぎ、インクラインを復活させようというのが夢。桝本市長に要望書を手渡したいと打ち合わせに。水道局の理事者にも同席してもらいその夢と趣旨を聞いてもらい懇談。実現は難しいが、ロマンがあってええなあ。
夕方は、長かった不祥事問題に係わる臨時市会から9月定例市会もやっと終わったので、議員団の反省会。今枝議員がオーナーのちゃんこ「横綱」で松茸入りの地鶏のすき焼きは最高に美味かった。ともあれお疲れさんでした。
10月12日(木)
●新京都館開館式典●
中村秘書と東京へ。午後1時30分から八重洲口は正面のヤンマービルディング1階に開館した新「京都館」のオープニングセレモニー。今までは六本木にあった京都館を引越しをしたもの。市長をはじめ産業観光局のメンバーや市会からは財政総務委員会の正副委員長に、京都選出の谷垣議員や北神議員ら国会議員、市田ひろみさんも来ておられたし、京都に縁のある省庁の関係者にマスコミや旅行業者などが参加。
市長の式辞の後、市会を代表して祝辞を述べ、テープカットも。池坊保子議員の娘さんが館長。新京都館には、源氏物語をテーマにした伝統工芸品やお酒を含む食品や様々な工芸品にお菓子など京都の名産物が並び、情報コーナーなどもあり首都圏のシティセールス活動の拠点になる。
ニュースキャスターの筑紫哲也さんもおられて名刺交換してツーショット。百万遍にある「梁山泊」や福山哲郎議員のことなど話す。
●保育士が置き引きで逮捕
ところで、式典の直前に、市立保育園の女性の保育士が置き引きで逮捕されたとのこと。市長は顔面蒼白、不祥事市会が終わった直後の2人目の逮捕者。ぼくは、また逮捕者か、と怒りを通り過ぎてもうコメントもない。もうガキデカの世界やな。
式典の後は、京都にそのまま帰るのも面白くもないので、中村秘書とゆりかもめでお台場へ。大江戸温泉で一休み。ドクターフィッシュとかいうめだかの大きな魚が足に食いつく足湯でリラックス。こそばいぞ。帰京は午後11時前。
10月11日(水)
●浅香正先生とわが同志社時代
国際会館で、午前中テロ対策合同訓練があるには聞いていたが、市会とお祭と昨夜の飲み過ぎでダウン。
午後、同志社大学文学部文化学科文化史の教授であった浅香正先生宅を訪問。近くにある某寮の大木の伐採について、町内会長さんらが集まり善後策について懇談。すでに相談をしている地元議員もいることなので連絡をしながら進めることを 約束。まあ色々な相談ごとが持ちこまれてきますよ。
ところで、ぼくが同志社に入学したのは1968年のこと。ほとんど授業には出なくて、デモをしたり沖縄やキューバに行ったり、駱駝館という喫茶店のマスターをしながら学部を卒業したのは1977年のこと。なにしろ9年もかかった。当時の先生であった方々には色々とご迷惑や心配をおかけしたが、こうして相談ごとを持ってきていただけることは嬉しいことだ。夕方は、久しぶりに事務所で雑務。
10月10日(火)
●福祉工房P&Pの第二作業所の入所式
朝一番、西京極公園近くにオープンした福祉工房P&Pの第二作業所の入所式に。ぼくはこの福祉工房P&Pの設立時から運営委員として関わり、今日は自閉症の青年たちの共同作業所として多くの人々の協力によって開設され、入所式。ひとこと挨拶をしてジュースで乾杯。障害者自立支援法が施行される中での苦難の船出。作業所の前で全員で記念撮影。これからみんなでぼちぼちがんばろう。
●左京区役所職員の逮捕のこと
10時前過ぎ登庁。文教委員会と財政総務委員会が開催される日だったが、文教委員会を傍聴。左京区役所の職員がバイクに乗って飲酒運転で逮捕された事件で、委員会で質疑になる。事件の真相は、インターネットで購入した直後のバイクにナンバープレートを付けないままに、焼酎を飲み一方通行を走り、警官に注意され逃げようとして逮捕されたということ。30代の妻子のある職員。ほんまにアホヤ。
●全国土地改良大会京都大会
正午過ぎ、国際会館へ。全国土地改良大会京都大会に出席。来賓の控
え室で会長の野中広務元衆議院議員にご挨拶。お元気そうでした。酒井京都府会議長らと壇上に並ぶ。全国からの参加者で満員。オープニングは祇園の舞妓さんたちによる手打ちの儀式。山田知事らの挨拶の後、文化勲章受章者の沢田敏男京都大学名誉教授の短い講演など。土地改良に取り組む水土里ネットの集会。農業をどう守るのかというのがメインテーマ。京野菜のコーナーや巨椋池干拓のことなど知らせる資料など展示もされていた。野中会長の威光のある集会かな?というのが印象。されど農業は大事やで。
夕方は、わが元気な中村秘書の市役所職員の同期の友人らと一献傾ける。色々とうんちくを垂れすぎたかな。これから市役所を支えるのは彼らのように若い職員だ。しんどいけれど頑張って欲しい。
10月9日(月)
●まつりの後片付けと左京区役所
祭の翌日は、もうクタクタ。されど朝7時前に吉田今宮社に。神輿の後片付けは、手馴れたメンバーに任しておいて、ぼくは十二提灯子ども神輿の後片付け。そして一段楽したら、夜店に借りていた椅子などをトラックに積んで第四錦林小学校に運びこむ作業。祭の後の後片付けもたいへんだ。
昨日の逮捕者のことが気がかりだったので隣りの左京区役所を覘く。憔悴しきった課長。ぼくなりに色々と情報を集めるが地下鉄の駅務員から転任試験を受けて、区役所に来た職員らしい。明日の委員会でまた論議になるだろう。もういやになるよ。
●北朝鮮、核実験!
家に帰ってテレビを見たら、北朝鮮が核実験をしたニュース。許されん暴挙だ!アジアや世界の平和に対する挑戦だ。被爆2世としても、また長年「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」をしてきたぼくとして怒りがこみ上げてくる。また在日の人たちの生活に悪い影響が出なければいいのだがと思う。
●粟田神社のお祭と京橋散策
午後、粟田神社の剣鉾と神輿を見に行く。辻川左京消防副団長が先頭を堂々と歩き、剣鉾の友人らが活躍。6基も立てられると壮観。東山で2度目の挑戦を目指す中野洋一君も頑張っていたし、自民党の内海議員も張り切っていた。
でふと思い立って京阪に乗って京橋へ。大阪の商店街をブラブラ歩くのがぼくは好きで、ちょっとパチンコをして、どて焼と串カツをあてにビールとコップ酒を飲んで、機嫌よく帰宅。明日から、またがんばろう!
10月8日(日)
●区民運動会周り、
雨は降ってないが、秋晴れにはならず。でも運動会と祭日和。まずは午前9時から吉田の神幸祭。今宮社で神輿に御霊を移す神事の後、各学区の運動会周りに出発。
養正、葵を回って市原野に行くと時雨模様。ちょうど65歳以上?の前の自治連会長さんらとパン食い競争に参加。一等賞!上高野では美味しい珈琲をご馳走になり、修学院第二から錦林東山、新洞、川東を回る頃は昼休み休憩中。役員さんらにご挨拶をして帰宅。
●吉田の祭だ
ハッピに着替えて地下足袋を履いて、吉田の神輿巡幸に。ちょうど左京区役所横で休憩中、ビールを飲んでおにぎりをほお張っていざ神輿に合流。剣鉾が2基先に出発し、ぼくは神輿の横を歩きながらご寄付をいただく役。
この神輿が復活したのは、25年ほど前か。お年寄りが出てこられて拝まれる。近衛広場では、四錦小の子どもたちの和太鼓演奏と子ども剣鉾。そこからは、十二提灯と子ども神輿の巡幸を先導。ワッショイワッショイとぼくが掛け声をかけるのだが、やんちゃなガキが「ハゲ、ハゲ」というものだから蹴をいれてやった。子どもは正直か?お稚児さんたちの行列も子ども神輿も本神輿も無事に帰着。雨も降らず、暑過ぎもなく神輿日和だった。
神事の後は「直会」。「なおらい」というが、参集殿の外でビヤガーデン気分。参加者一同、お祭が無事に終わって盃を酌み交わしたのだ。
●左京区役所職員、飲酒運転で逮捕!
されどわが心晴れず、左京区長から、昨夜、区役所職員が逮捕されましたという報告。聞けば、酒を飲んでバイクで一方通行を逆走して捕まったらしい。
不祥事問題を論議した市会が終わったとこやないか、また福岡での飲酒運転による痛ましい子供たちの事故があって、飲酒運転の撲滅のキャンペーンがされているところやないか、これで逮捕者は、この4月以降12人目か?区役所の知り合いによれば、真面目に仕事をしていたし、小さな子どもがいるとのこと。一生を棒に振ってアホヤ。
10月7日(土)
●さあ、祭だ
市会も終わった。さあ祭だ。昨日、吉田今宮社の神輿も飾り付けが終わり参道には夜店のテントも立てられた。いつもは手伝いをしているが今年はサボった。しかし十二提灯子ども神輿保存会の責任者なので、祖霊社で朝から世話役の長老らと組み立てと飾り付け。昨年は雨で中止にしたが、今朝も小雨模様。これも日頃の精進が悪いからかな。2時間ほどで飾りつけも終わる。
●朋有り、「山脈」みちのくから来る
昼は、朋有り遠方より来る。岩手県は盛岡で建築模型製作造形デザイナーの戸蒔氏上洛、サークル「山脈」の集会で30年ほど前に出会った友人。「山脈」とは、今は亡き白鳥邦夫さんらが始められたサークル運動。2年に一回今もおこなわれて、冊子も発行されているが、この間はほとんど参加できないのが残念。旧交を深める。
●民主党、左京区に3人目の候補者を公認決定
午後は、民主党京都府連の常任幹事会。20日に予定されている躍進パーティのことやローカルマニフエストづくりのこと、そして2区総支部で決定をした左京区3人目の候補者、島内君の公認を決定する。島内君は、同志社総合政策科学研究科の院生で後輩だ。お互い、がんばろう!されど大激戦や。えらいこっちゃ!必死にがんばらな。負けてられへんで。
●十二提灯・子ども神輿の巡行
2時過ぎには吉田神社に引き返す。雨はあがったが、どんよりした天気。今にも降り出しそう。ともあれ巡幸は決行することに。
玉串奉典の儀式をしてもらって、高学年の「十二提灯」と幼児が中心の子ども神輿の2基に分かれて、わが地元の吉田本町から二本松、上大路、近衛、中大路、下大路をワッショイワッショイと練り歩く。道中、ご寄付をいただき、それが子どもたちの夜店のチケット代やジュース代の諸経費になる。なんとか雨も降らずに2時間ほどで無事に帰着。
●夜店も大賑わい
夜は、吉田今宮会のメンバーと奥さんたちが大活躍の夜店。第四錦林小学校の教頭先生は、紙芝居屋さんで大奮闘。大人はビールを飲みながらワイワイ。子どもたちは輪投げ等のゲームで9時過ぎまで大賑わい。なつかしい縁日の風景。そして神輿横のテントでお神酒をいただきながら深夜までワイワイ。いつもの前夜祭。
10月6日(金)
●不祥事問題市会、最終本会議
「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」を発足
7月末に覚せい剤使用による2人の逮捕者が出てからの京都市の長かった暑い悪夢の夏の終わりの本会議。
まずは東山区の「公衆浴場又は代替施設の確保」の請願審査結果について自民党の議員が反対討論。この請願を巡っては自民党の内部でも厚生委員会でも色々と議論があったもの。
その後、文教、厚生、建設の各委員長報告があり、時には起立表決もあり緊張していないと間違いそう。続いて公営企業決算等決算特別委員会委員長報告、共産党は自動車事業については認定せず、他は全会派認定。そして、職員の不祥事に関する調査特別委員会委員長報告があり、わが会派からは隠塚議員が討論に立ち、調査終了について表決。その後人事案件が淡々と可決、
意見書は、「肝炎問題の早期全面解決とウイルス性肝炎患者の早期救済を求める意見書」、「障害者自立支援の一層の充実を求める意見書」は全会派賛成、医療制度改革の見直しを求める意見書は、わが民主と共産は賛成したものの、少数で否決。「北朝鮮のミサイル発射及び核実験予告に断固抗議する決議」は全会派賛成。
そして、共産党の提案した「桝本市長に対する辞職勧告決議」については、わが会派からは今枝徳蔵議員が討論に立つ。その趣旨は、責任を持って改革大綱を進めよということ。賛成少数で否決、公明党からは、不祥事に対する決議が出され、討論に共産、公明の議員が立ち、野次合戦も。少数で否決。
その後「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」の設置と委員の選任をして散会。途中、昼休みが入ったが、終わったのは午後2時ごろだった。その後、11月市会の日程など理事会で決めて、やれやれ。やっと秋が来た。
●「平安京創生館」リニュアルオープン
午後4時前には、京都市生涯学習総合センター「京都アスニー」に。平安京歴史ゾーンを「平安京創生館」としてリニュアルオープン。メインは平安京の復元模型が鴨川や東山部分を拡大して平安京時代当時の街並みなどリアルに見れる。今の岡崎にあった六勝寺は圧巻。お茶席で平安時代に食していたという再現されたお菓子をいただく。今ほど甘くはないのだ。復元模型は必見の価値ありですよ!
●「芸術がデザインする平和のかたち」京都国際会議
夕方は西京区は大枝にある京都市立芸術大学での「芸術がデザインする平和のかたち」をテーマにした京都国際会議。芸大を舞台にと日本文化研究センターと京大桂キャンパスとで西山文化を創造しようという思いと平和と芸術を追求しようと多彩なイベントが計画された。パレスチナやアメリカや韓国から音楽家や芸術家が参加。国際会議ということで冒頭に京都弁英語で短いスピーチをしてボブ・ディランやベトナム反戦運動時代のことに少しふれて祝辞を述べる。中秋の名月が綺麗だった。
10月5日(木)
●明日が会期末、禁足令
議員会の始まる前に、京都水道労組の定期大会に。紹介だけしてもらって、即退席して、市役所に登庁。
明日の会期末の本会議を控えて、意見書や決議や公営企業決算の「付す意見」の取り扱いなど最後の調整が行われる。禁足令が引かれ、いつものように断続的に議員会が開催されて、理事や意見書調整にあたっている議員から随時報告があり、議員団の態度を決めていく。
また不祥事問題については一旦「職員の不祥事に関する調査特別委員会を終了して、新たに全会派が賛成して「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」を設置することに決まる。その委員をどうするのか、また、本会議場で議員団を代表して意見を述べるのかバッターを決める。
夕方になってようやく動き始め、市会事務局もバタバタし始める。予想より早く午後5時過ぎには討論結了の委員会が順番に始まり、公営企業決算等特別委員会では「付す意見」の調整も行われる。
そして明日の本会議の日程などを決める市会運営委員会が開催されたのは午後8時。この委員会には議長とともに副議長として同席。各委員会の委員長から委員会での審査を報告する委員長報告があり、各会派が討論に立つものもあれば、意見書や決議を巡っては、提案説明と賛成討論や反対討論もされることになり、なんと18人が登壇することに。これはぼくが議員になって20年目になるが、稀なこと。退庁したのは、午後9時前だった。思っていたより、早かった。
さあ明日は、最終本会議。どんなやりとりになるかな。
10月4日(水)
●付す意見と意見書調整
議員会の2日目。昨夕他会派から提出されている意見書や決議についての調整が始まる。また公営企業等決算委員会で議論された交通事業と上下水道事業、また市立病院と京北病院の決算については、鉛管の解消対策など「付す意見」を付けることで山岸議員が作成。決算そのものは認定することに。
他会派からは、肝炎問題の早期全面解決とウイルス性肝炎患者の早期救済を求める意見書や障害者自立支援の一層の充実を求める意見書、医療制度改革の見直しなどの意見書が出されて来ているので、その賛否について議員団としての方向を決めて、調整に臨む議員から随時報告を受ける。北朝鮮のミサイル発射に断固抗議する決議については、核実験を予告しているので、そのことに対しても断固反対で文言を付け加えることに。
また共産党からは、職員不祥事に係わり桝本市長に対する辞職勧告決議が出されてきたが、市長与党として頭が痛いところだ。
10月3日(火)
●会期末の議員会
9月市会定例会もいよいよ会期末。各会派が議員会を開催。山口団長の進行で、小林理事から諸般の報告があり、各委員会に付託された議案についての審議状況を所属の委員から報告を受けて、課題の残る議案については。理事者を呼んで再度説明を聞く。
崇仁コミュニティセンター等新築工事請負契約については、入札や同和地区のコミュニティセンターのあり方や崇仁地区の今後のまちづくりのあり方についてなど意見交換。焼却灰溶融施設の新設工事請負契約に関して仮契約を結んでいる間組が和歌山県でのトンネル談合事件に係わっている疑惑で議案の撤回がされる。また夕方までに意見書を会派として提出するかの議論。市民運動の友人から共謀罪に関しての意見書提出の要請が来ていたが、議論が煮詰まらず11月市会に持ち越すことに。
またこの間の市会の大きな課題であった不祥事に関する調査特別委員会の審議状況の報告があり、大綱の項目や環境局のまち美化事務所の統合問題や家庭ごみ有料指定袋制度の導入が始まったので、その状況などを検証。環境局はダブルパンチだ。お試し袋の配布で大混乱。されどほぼ順調のようだ。市民の意識は高い。
10月2日(月)
●家庭ごみ有料化始まる
家庭ごみが有料指定袋になって回収される初日、吉田本通にはどこかのテレビカメラが取材中、ほぼ黄色の指定袋で出されているが青い袋がチラホラ、予想以上に少ない感じ。ところがわが事務所前には指定袋は半分。ともかく事務所に配布されていたお試し袋に入れる作業で汗を流す。お試し袋が届いてないぞ、という苦情電話がわが事務所にもあったが、環境局を中心に市職員は、テンヤワンヤの大騒動。不祥事問題でテンテコマイをしている環境局はパニック状態だろう。
●職員の不祥事に関する調査特別委員会、総括質疑
午前10時からは、職員の不祥事に関する調査特別委員会の傍聴に入る。テレビ各社がカメラを回し記者が詰め掛ける中での市長総括質疑。
各会派の団長や理事クラスの議員が自民、共産、公明、民主の順で質疑。この間の不祥事問題の原因究明と改革大綱に対する質疑。セクハラ問題や公用車を運転しない運転手のことなど新たな案件も出てきたが、この際、同和団体への優先雇用のことなど膿を出し切り、解体的出直しをするしかない。発言できないのがほんまに悔しい。長い一日だった。
途中、議長室では、主任発礼式が行われ議長から市会事務局の牧山さんに発令が出される。また市会運営委員会理事会が開催、人権擁護委員、教育委員、人事委員会委員の追加議案が副市長から提案され、今後の日程など確認。昼休みには、パスポートを取りに行く途中ひとまち交流館での井原・中条姉妹が主宰する「レース・ブルーメ」の高齢者のみなさんが作った手芸の展示を見にも行く。
●作家黒川創君、来所
夕方は、事務所に芥川賞候補になった作家の黒川創君が来所親父は7年ほど前に亡くなった北沢恒彦さん。「思想の科学」や鶴見俊輔先生のことなど喋る。彼に出会ったのはもう40年ほど前になるのかな。
10月1日(木)
●雨の運動会
今日から10月、運動会シーズンの日曜日だというのに曇天、今にも雨が降り出しそう。ともあれ母校の第四錦林小学校グランドでの地元は吉田体育振興会主催の区民運動会。ラジオ体操をして、南田公園での浄楽学区運動会で来賓で紹介をしてもらう。
●赤い羽根、共同募金運動開始
ハートピアでの第60回記念共同募金運動開始式典に。赤い羽根の共同募金運動の式典。ポスターや標語作成者など表彰ののち、祝辞を読む。舞妓さんや全日空の客室乗務員さんが盛り上げる。パレードには参加できず。
●雨で運動会は昼から中止
地元運動会周りで、聖護院学区では名物のうどんをご馳走になり、高野中学での養徳小学校では小雨模様。松ヶ崎では昼休みだったが会長さんにご挨拶して一路大原へ。もう雨は本格的に降り出しグランドは泥まみれ。ちょうど前原議員、北岡議員らと一緒になり、紹介をしていただき、役員のみなさんと一緒に大原名物柴漬けで昼ご飯。美味しかったよ。
雨のため昼からの競技は中止、そして岩倉は明徳小学校へ駆けつけたらもう中止だった。残念ながら修学院や下鴨学区までは回れず。ずぶ濡れでがんばっておられる体育振興会の役員のみなさん、ご苦労さんでした。、
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