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       鈴木マサホひとくち日記 
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2006年11月

                 



11月30日(木)
         ●予算要望書の提出に向けて

 昼前、登庁。普通決算特別委員会の二つの分科会の昼の休憩時間に議員団会議。わが民主・都みらい議員団が市長に提出するいわゆる予算要望、「京都創生、よりよい京都市政を求めてー政策提言ー京都市予算編成に対する要望書」についての確認。取りまとめ役の宇都宮副団長から各項目について説明があり各議員から意見などが出る。基本方針や福祉、教育、環境、観光、経済、道路、住宅、文化、まちづくり、市政のあり方、財政など市民生活や市政に関連する各分野と地域の市民要望などを網羅。12月5日に提出の予定。

         ●平原社から「ひとくち日記」を出版か? 

 平原社という東京の出版社から直木賞作家の井出孫六さんの「男の背中」という本が届く。井出さんとは30年ほど前にお会いしたことがあるが、なんでやろなと思って添えられた編集者からの手紙を読むと、小中陽太郎さんの「ラメール母」のことが書いてあり、ぼくの「ひとくち日記」を読んでいただいているらしく、一冊の書物にしませんか、という文面。ほんまかいな?

 いやはや、うれしいね!ひとつは、ぼくの日記が色々な人に読んでいただいていること、そして、本にしませんかと言われたこと。前向きに考えよう。いや、ぜひとも出版してもらおう!平原社さん、よろしく!出版されたら、買ってくださいよ!


11月29日(水)
         ●候補者として履歴書書き

 午前中は、今日が締切の京都新聞社と京都放送、ないし市政記者クラブ加盟の新聞社に提出する来春の統一自治体選挙候補者用の書類書き。もう選挙の準備や。4年前に出した書類のコピーを参考に、経歴などを書く。かっては肩書きをどうするか、色々と悩み、記者に相談したら市民運動家でどうでしょうか、とういうことでそうしていたこともあったが、前回からは同志社大学院嘱託講師でお願いをしているのだ。

 市会議員になってからの経歴はともかく、大学の学部を卒業してからの経歴は、京都イングリッシュセンター、ロシナンテ社で「月刊地域闘争」の編集、そして中央市場山本水産がぼくの職歴か。

 昼は環境局の部長級の職員のご尊父の告別式に参列。

         ●新たな景観対策はいかに 

 午後は、普通決算特別委員会の分科会での都市計画局と質疑を見ながら副議長室で雑務。

 都市計画局の審議では、「時を超え光り輝く京都の景観づくり審議会」の答申を受けて作成された新たな景観対策、高さ規制、眺望景観保全、デザイン、屋外広告物規制などの案について議論されている様子。現在パブリックコメントがされているので、どんどん意見をお寄せください。
 
 引きこもりの青年たちの居場所を作っているとあるフリースクールの青年がネギをもって相談ごとに。

        ●今枝徳蔵後援会総決起集会

 夕方は、わが議員団の髭の親方、今枝徳蔵議員の後援会の総決起大会・懇親会。会場は600人ほどの参加者で熱気。徳さんは、学生相撲でならし、チャンコ横綱のオーナーでもあって、時津風親方(元横綱佐田の山関)も来られていた。中央市場のバナナ屋さんのオヤジだったこともあり、中央市場の面々の多く来られていて、ぼくも中央市場でデッチ車を引いていたこともあり名刺交換。最後の挨拶はご自身の相撲甚句で締めくくり、千秋楽。元気なおっさんや。


11月28日(火)
          ●ポスター貼りをよろしく

 午前中、前原誠司議員との民主党のポスターを持って、府会議員の北岡ちはる事務所などにポスター掲示のお願いに。わが応援団のみなさんがボツボツと貼り始めていただいているが、特に新人候補が貼りまくっているので、鈴木はもう出ないのかと心配をしていただいている様子。これからです。左京の友人・知人の皆さん、どうぞよろしく。ご連絡ください。

          ●京都市シルバー人材センター設立20周年記念式典

 午後は、京都会館での「京都市シルバー人材センター」設立20周年の記念式典に。上原副市長の後で来賓として祝辞を述べる。シルバー人材センターは、現在会員4400人の大所帯になったという。ぼくは市民相談で表彰状の筆耕や庭の手入れなどお願いをしたことがあるが、その丁寧な仕事には助かったことがある。

 登録は60歳からで、来年2007年に団塊の世代がシルバー世代になり、ぼくも後3年ほどしたらお世話になるのかな?口先は達者だろうが、手に仕事がないと役に立たんかな?歴代や現職の理事長さんはわが先輩諸氏。ますますご壮健で。楽屋口で、2部に出演の横山ホットブラザースのお2人と記念写真。随分齢をとられたようだ。

         ●京都市体育協会創立50周年記念式典

 夕方は、京都市体育協会創立50周年記念式典と祝賀会が盛大に開催された。昭和31年に設立され、5大都市体育大会や国体等を担ってこられ、野球や相撲やサッカーやバレーなどスポーツの団体や協会が加盟し体育振興会とともに京都の市民スポーツの中心だ。今後ともみなさんのご奮闘を。


11月27日(月)
         ●銀杏がきれい、もうすぐ師走

 午前中事務所にて雑務、新春早々に行われる各団体の新年会などの案内が送られてくるようになり、来年のことを言えば鬼が笑うが、肝臓に負担をかける日々になりそう。また喪中の葉書も届き始める。銀杏の黄色く色付いた街路樹がきれいな晩秋。もうすぐ師走やのに、それにしても温かい。

         ●組合へ推薦依頼のお願いに

 午後、きょうと教組の書記長と推薦の依頼に組合回りを始める。まずは京都労働総合会館ラボール京都に立ち寄り、連合京都や会館内の民主党を応援していただいている組合本部をいくつか回ってご挨拶。すでに挨拶周りを済ましている候補者が多いが、ぼくはこれから。公務多忙につい遅くなってごめん、が最初の口上。これからがんばるのでよろしくと、選挙モードに気分を変えないといけないね。

         ●定例サロン、古代都市ポンペイ

 夕方は、3ヶ月ぶりの「鈴木マサホ定例サロン」。この秋に閉鎖された古代学協会の研究者でわが同志社文学部文化学科文化史専攻の後輩で奈良女子大学の講師の坂井聡さんが「ポンペイー古代ローマ都市の一例として」というテーマで話題提供。15人ほどの参加者。

 古代ローマの都市ポンペイは、西暦0079年にヴェスヴィオ火山の大噴火により壊滅した古代都市として多くの人が知っていることだが、1748年にその発掘がされ、坂井さん自身も何度も発掘調査に行かれていて、2000年近く前のローマ時代にタイムスリップしたごとく、当時のローマ帝国やポンペイ市民の生活などロマン溢れるお話。死骸を発見されたが、奴隷に足輪があったことに旋律が走ったというのが印象的。ありがとう。


11月26日(日)
         ●左京区総合防災訓練

 午前中、高野中学校グランドで左京区総合防災訓練の日。養正、養徳、北白川の3学区の自主防災会と消防分団が中心。9時に地震が発生したという想定で、各町内から避難されて来て、また消防署や警察、市の各事業所や医師会などの協力もあっての訓練。およそ500人ほどの参加者。市会、府会、国会議員らも激励に来て紹介を受ける。関係者の皆さん、ご苦労さんです。阪神・淡路大震災から11年、わが左京区には花折断層があり、いつ地震が起きてもおかしくないといわれている。自助、公助、共助がその基本。自主防災会と消防団のみなさんがその要。よろしくお願いします。

         ●まつたけ十字軍運動

 昼から、京大は理学部の北部祭典企画のシンポジウム「みやこまつたけ・里山再生市民運動」に。「まつたけ十字軍運動」として左京区は岩倉で里山の再生に取り組んでいる友人のまつたけ博士の吉村文彦さんの講演など。長年岩手県は岩泉でのまつたけの研究の経験を活かし、京都に戻ってきてからは、市民運動として里山再生の運動に学生や60代前後のシルバーパワーが大奮闘して取り組んでいる報告。まつたけのできる赤松を中心とした里山の保存の大切さをアピール。暇になったらボランティアで行こう。

         ●民主党2区総支部の幹事会。

 夕方は、雨模様。民主党2区総支部の幹事会。総支部長は前原誠司議員。幹事長は山口幸秀議員。ぼくは副支部長。2月に開催される民主党京都府連の代議員のこと、正月明けにスタートダッシュ街頭演説をすることなどを決める。そして来春の統一自治体選挙で、左京区は市会3人、府会1人、山科区は市会2人、府会1人、東山区は市会1人の勝利を目指して、全力で奮闘することを誓って一本締め。


11月25日(土)
         ●安楽寺とシーサー

 紅葉が見ごろの晩秋の土曜日。宗忠神社から観光客で大賑わいの真如堂を抜けて、散歩がてら、ちょっとしたご縁で鹿ケ谷の安楽寺に。鎌倉時代に法然上人の弟子の安楽上人と住蓮上人が建立されたというお寺。住職の懇話をお聞きする。宮城光男さんが製作された、お寺の瓦を再生したという沖縄のシーサーが本堂に幾つも並び、これがいい雰囲気だ。また近くの哲学の道沿いのギャラリー「花いろ」にも立ち寄り、住職夫人とも会い、泡盛をいただく。うれしいね。ゆったりした土曜日の散歩。

         ●同志社の総政会

 午後は、滞っていたオーストラリア日記をメモを見ながら書き、ようやく完結。

 夕方は、同志社総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の緊急役員会で今出川キャンパスに。明日から学園祭、EVE祭が始まるということでテントが並び明徳館前ではバンドの演奏。学生時代、確か反戦喫茶「空飛ぶ円盤」とか名づけて模擬店を出した記憶がある。「総政会」の役員会の案件は、来年の秋学期に「政策科学実践論」と題して総政会のメンバーで講義を持つ話。社会人入学した修了生は、学んだことを、それぞれの人生や仕事でその成果を生かしている人が多い。ゲストスピーカーとして、自慢話にならないように、総政会でとして講義を引き受けようということになった。


11月24日(金)
         ●「京都国際マンガミュージアム」開館式

 普通決算特別委員会が二つの分科会に分かれて始まるが、ぼくはこの委員会に属していないので、出席しなくてよくて久しぶりにフリー。

 「京都国際マンガミュージアム」の開館式典に。このマンガミュージアムは、京都精華大学と京都市が地元の自治会・住民の理解を得て烏丸御池の元龍池小学校を整備しオープンしたもの。

 京都精華大学のヒゲの理事長の片桐充(中尾ハジメさん)の開館までの経過を含めた挨拶はよかった。中尾ハジメさんとは岩国の「ほびっと」や出町の「ほんやら洞」の建設の頃からの付き合いだからもう35年になるのかな。ヒゲも白くなったね。

 それはさておき、館内は、世界にマンガ文化を発信している日本のマンガ・アニメーションの殿堂だ。20万冊というマンガ本が集積され、わがなつかしい「鉄腕アトム」「矢車剣之介」や「赤洞鈴之助」や「まぼろし探偵」、創刊当時の少年マガジンやサンデーから、「ガロ」に白土三平の「カムイ伝」や今も発刊されている「ビッグコミック」など、もう山のごときマンガの宝庫、興奮するよ。

 世界のマンガコーナーや研究者や専門家の育成も図られ、これは修学旅行生にも子どもたちにも大受けしそう。休館日は水曜日、入場料は大人500円、中高生300円、子ども100円。

         ●相談ごとで走る

 午後は、副議長室で雑務。保育料の滞納者に市職員がいるとの報告。一気に膿を出してしまった方がいいよ。

4時前、とある区役所に。先日、知人から生活困窮を訴える電話があり、今にも倒れそうな声だったので23日には家を訪問してみたが、返事がないので心配をして、福祉の担当者と相談に。早速走っていただき感謝、関係者にも連絡が取れて、命に別条がないこともわかりほっとした。ほんまに色々な電話が入るよ。

 夜はとある住宅建築関係者の親睦会に招かれてご挨拶。感謝。


11月23日(木)
          ●左京区民ふれあいウオーキング

 勤労感謝の日、8時過ぎに出町柳駅に。吉田体育振興会のメンバーらと一緒に叡山電車に乗って宝ヶ池に。左京区民ふれあいウオーキングに。左京区長をはじめ区役所のまちづくり推進課の職員や女性会やボーイスカウト、左京医師会のメンバーに各体育振興会や一般参加の左京区民が300人ほど。ラジオ体操をして出発。宝ヶ池の湖畔は紅葉も素晴らしく、コースは狐坂から北山通、そして鴨川を歩いて出町までだったが、北山橋まで気持ちよく歩く。

          ●中央市場の鍋まつり

 そこから中村秘書と一緒に中央市場に。恒例の「鍋まつり」に。ぼくは中央市場で30代に4年間働いていたので、知人も多くていつも楽しみにしているのだ。鮭やあんこうやかきや地鶏や野菜やきのこなどありとあらゆる鍋が100円か200円で売られるし、長蛇の列。野菜も加工品も塩干物など大安売り。来場者は5万人。熱気に包まれるのだ。
          
 たらふくご馳走になった後は、京都駅前で行楽客にバスの案内をしている交通局職員や組合員を激励。タクシー乗り場も長蛇の列。

          ●永岡正美さんを偲ぶ会

 夕方、夏の終わりに亡くなった京都市の服務監だった永岡正美さんを偲ぶ会。献花をして開会。呼びかけ人として冒頭にぼくが挨拶をさせていただく。永岡さんとの出会いや人事委員会事務局長から4月に服務監になられてからの京都市職員の不祥事問題での心労と、また6月25日に開催した経糸の会の「ヒューマンふれあいコンサート」での永岡さんの奮闘ぶりなどを語る。

 同世代で同時代を生きてきた永岡さんの不慮の死は、不祥事問題での殉職、戦死だったと思っている。音楽が好きだった永岡さんを偲び、「ヒューマンまんふれあいコンサート」に縁のある玉田さかえさん、野田淳子さん、大西多恵子さんの歌、また呉山平煥さんのオーボエ演奏などもあり、また福祉の関係の永岡さんの友人らが思い出を語りしめやかに偲ぶ会を終えることができた。心よりご冥福をお祈りいたします。


11月22日(水)
         ●本会議、議長席に座る

 午前10時から昨日に続いて本会議。午前中は共産党の井上、河合議員と公明党の日置議員が演説して市長らが答弁。

 休憩後、午後1時から再開、事前に議長との交代を言われていたのでいささか緊張して議場の自席に座わる。公明党の谷口議員の演説が始まってしばらくして市会事務局の課長が合図に来てくれて議長席に座る。

 9月市会でも議長席に座った経験があるが、テレビカメラもあるし、ものすごう緊張するよ。あまりキョロキョロしないことや笑ったらいかんと言われていたので、ちょっと硬い表情で映ったかもしれないね。

 谷口議員の後は、わが民主・都みらい議員団長の山口幸秀議員が、珍しく家紋入りの紋付羽織の正装で演壇に。山口議員は、京都市の財政と三位一体改革、新基本計画と各区の基本計画の進捗状況、職員不祥事の根絶に向けた取り組み、山科・醍醐の観光振興と地下鉄乗客増対策、新十条トンネルの料金問題などオーソドックスな質問。

 答弁の後は、今枝徳蔵議員がいつものように着慣れた着物姿でメモだけを持って登壇。事前に議員団会議でその質問の要旨を聞いていたが、新設になる伏見桃山城運動公園のあり方、京北地域の町おこし、市役所前の「子ども夢広場」のような木の遊具の導入、観光都市の行事のあり方、まんがミュージアムのこと、心臓発作で倒れた人を救命するAED(自動体外式除細動器)の設置のあり方など述べたあと、時間があったのでいくつかの要望を語られる。身振り手振りを交えての演説には、畏れ入ります。途中あまりに面白いので吹き出しそうになりニヤリと笑ってしまった。

 市長らの答弁が終わったのは、午後3時過ぎか。ほぼ2時間、副議長席に座って緊張していたせいか、肩が凝った。無事に終わってほっとした。その後10分の休憩の後、限られた時間だったが、無所属の村山議員が初めての登壇をして、2日間に渡った本会議は散会。

 会期末は12月15日。明後日から始まる普通決算特別委員会にはぼくは属してないので、公務がなければ比較的時間ができるので選挙の準備もしないかんな。

 夕方は明日開催する永岡正美さんを偲ぶ会の打ち合わせ。経糸の会の呼びかけ人の方と進行について打ち合わせなど。


11月21日(火)
          ●本会議、各議員が代表質問

 午前10時から11月市会定例会の本会議。建設消防委員会に付託されていた伏見区は醍醐の宅地開発に関する請願を採択したのち、中川議員が補正予算などの議案を普通、公営企業等予算委員会を設置し付託する動議を、また職員の退職手当支給条例の改正案などの議案を常任委員会に、また中川議員が17年度一般会計決算を普通決算特別委員会に付託する旨の動議・発言をして散会。

 午後1時から本会議が再開される。自民党からは田中セツ子、繁隆夫、中村三之助議員が、共産党からは井坂博文議員が質問に立つ。不祥事の問題、その抜本的解決に向けての取り組み、改良住宅の駐車料金、職員の市営住宅家賃滞納、京都駅南口開発、財政、食育、景観、温暖化対策、京都市歌、和装産業、いじめ、ごみ有料化問題など京都市政の諸課題についてそれぞれの視点で質問があり、市長や副市長、各局長からそれぞれ答弁があった。

 ぼくは自席で、野次りたいところもあったが、立場上それもできず、睡魔と闘いながら黙々とメモを取りながら拝聴。紛糾することもなく、ほぼ平穏に4時30分頃散会。

 その後、議場では普通予・決算特別委員会の合同委員会が、第二会議室では公営企業決等予算特別委員会を開催してぼくが副議長として委員長に山本議員を指名して、正副委員長を決める儀式。

          ●教育実践功績表彰式典

 夕方は、民主リベラル労組懇談会の総会に。乾杯後の挨拶も程々にして、教育実践功績表彰式典の閉会間際に駆け込む。今年で5回目だそうで555人の教員が表彰された。みなさんとの記念写真に収まったあとは、懇親会。

 「京都の教育改革は評価を受けているが、現場のみなさんががんばっているからで、子どもの目線にたってがんばってください」と乾杯を兼ねて挨拶をさせていただく。わが子がお世話になった先生方や久しぶりに会う友人の教員らと懇談。


11月20日(月)
          ●市会運営委員会

 午前10時から市会運営委員会。明日と明後日の本会議の日程を決める。また各議案については、各会派から委員会に付託することが表明される。

          ●民主党京都府連の常任幹事会、市会候補19人に

 その後、民主党京都府連の常任幹事会に。大きな議題は、2月10日に開催を予定している京都府連の定期大会の持ち方について議論される。統一自治体選挙を控えての大会になるのでその盛り上げ方や党員やサポーターに対する周知方法や代議員の数などを色々と議論があった。

 また統一自治体選挙の公認候補として、下京区の府会に元衆議院秘書の名引直寿氏を推薦候補に、右京区の3人目の市会公認候補に北神圭郎衆議院議員の秘書の原光央君を、また1月に行われる亀岡市議会選挙に吉田千尋君を公認候補として擁立することを決定。それそれの候補者にはそれぞれの人生模様があって、興味津々。

 これで京都市会の候補者は、南区が未だ決定していないが、19名になった。全員当選を目指してがんばろう!もう選挙モードやな。夕方は事務所で雑務をして、明日と明後日の本会議を控えて早目に帰宅。


11月19日(日)
          ●小雨の日曜日、紅葉はいまいち

 小雨模様の日曜日。恒例の秋の吉田山清掃事業。9時前に、昨夜からの雨で中止かなと思いつつも吉田神社の参集殿に行ったら、吉田自治連の役員さんたちがおられて今日は雨で中止ですとのこと。残念でした。せっかく早起きをしたので、紅葉を見に宗忠神社から真如堂を散歩。この秋は暖かかったせいか紅葉はいまいち。

 それから自転車で新洞小学校での新洞学区の防災訓練。グランドがぬかるんでいたので小さな体育館での訓練。およそ200人ほどの参加者。親しい消防団の方等にご挨拶。

         ●修光まつり

 昼前、修学院は、修学院離宮近くの修光学園の修光まつりに。知的障害者の施設で、ほぼ毎年時間があるときはお伺いしている。「ヒューマンふれあいコンサート」メンバーの「経糸の会」の鶴山さんや木村さんらと偶然お会いできてよかった。一緒にカレーライスやたこ焼きを食しながら懇談。娘がお世話になったペスタロッチ保育園の卒園児の保護者の知人らとの再会。修光学園の理事長の森昇先生は京都の障害者福祉の先達。飛鳥井ワークセンターで焼かれたパンは最高に美味いよ。

 午後は、ひとくち日記の打ち込み。紅葉の行楽シーズンだが小雨模様で観光客も思っていたより少なかったようだ。夕方、事務所で雑務をしていたら地元の友人が来所。近くのお好み焼きやで一献。


11月18日(土)
         ●久々の爆睡

 11月4日の夜にオーストラリアはバララット市での世界歴史都市会議から帰国した後も、全国議長会に行ったり公務で色々な式典に参加したり、定例市会も始まり勉強会があったり、あっという間に2週間。さすがにバテた。久しぶりに何も日程が入っていない土曜日。午後3時過ぎまで爆睡。ほんまによく寝たおした。

 夕方、事務所に出て世界歴史都市会議の資料やメモを見ながらバララット日記を書き込む作業。「ひとくち日記」を2001年の1月1日から書き続けているが「継続は力」、サボりたいこともあるが、まあ習慣になっているから、途切れたらオシマイ。ぼちぼち続けよう。


11月17日(金)
         ●11月市会定例会始まる

 11月市会定例会の冒頭の本会議。桝本市長が簡単な挨拶をした後、毛利副市長が、この市会に上程された提出議案についてその趣旨と17年度一般会計決算と「安らぎのあるくらし」「「華やぎのあるまちづくり」などの柱立てで、福祉、保健、環境、防災、まちづくり、産業、観光、教育など各行政分野での実績を淡々と演説。40分ほどで延会。

 この市会は17年度一般会計決算の審査と補正予算や例によって市営住宅の訴えの提起や市道路線の認定・廃止など合計58件の議案を審議する。不祥事問題や改革大綱についても大いに議論されるだろうが、事件さえ起こらなければ、平穏に終わるのだが。さてどうなるやろか。

         ●議会スペースの拡充は無理か?

 本会議後、議長と各会派の市会運営委員会理事とが揃って第一応接室で星川副市長らに狭隘な市会スペースの改善について申し入れ。京都市会は各政令指定都市の中で議会スペースが最も狭い。市役所自体、老朽化し各局の部屋も狭いが、新庁舎建設もままならず、当分今のままで行くしかないのだろうが、ほんまになんとかならんかな。

         ●市会改革委員会

 午後は、市会改革委員会が開催。この間、自民、共産、公明、民主の各理事が委員となって協議を進めてきたが、すでに手を付けられたものもあるが、普通予算(決算)特別委員会の市長総括質疑について2日制にするとか持ち時間制のあり方や市営住宅の家賃滞納者への訴えの提起の市長専決問題など、色々と議論をしてきたが、全会派一致が原則。なかなか決まらん項目もあり、次期に持ち越すのもある。まとめるのはむつかしいね。
       
         ●予算要望づくり
 
 その後、議員団室にて宇都宮議員と市長に提出するべく議員団の予算要望つくり。昨年度の要望事項を精査して、削るものや字句を訂正する項目、さらに各議員から提出された地域要望などを早急にまとめて出す予定。


11月16日(木)
         ●議案についての勉強会の3日目

 議員会の3日目。午前中は、消防局、都市計画局から17年度決算概要について説明と質疑。都市計画局からは、京都駅の「南北自由通路」の南への延伸事業の調査費が補正予算に計上されたが、某議員、過去の京都駅南口再開発の経過に言及したキツイ発言。ちょっとかましすぎやでという印象。

 正午過ぎには市会運営委員会が開催されて明日の本会議の日程などを決定。バタバタしてゆっくり昼食もできない。

 午後は、監査事務局、選挙管理委員会、人事委員会から説明。監査事務局とは住民訴訟のことが話題になり、人事委員会とは、この夏の試験で採用試験に合格した人の内の辞退者についての説明を聞くが、国家試験や他の自治体に合格した人が辞退をしたようで必ずしも不祥事問題で辞退した人がすべてではないとのこと。

 局別質疑の後は、議員会を継続して自治労市職との懇談。例年のように予算要望を拝聴。議員団の予算要望に反映をさせることになる。市会改革についての委員会でのやりとりの報告や今後の方向性を決める。また新聞社から来春の選挙に出る予定候補者の履歴書の用紙が配られたり、12月中旬には写真撮影がされることなど報告。ちょっと選挙モードやな。


11月15日(水)
         ●議案の勉強会の2日目

 議案の勉強会の2日目。総務局、保健福祉局、産業観光局、文化市民局、建設局の順に17年度決算と事業報告が行われて各議員から質疑。

 総務局からは、この間の不祥事問題の教訓として、退職した職員に在職中の不祥事や犯罪が発覚した時に、退職手当の全部もしくは一部を返納させることができるようにするための退職手当支給条例の一部改正案も議案として提出された。

 保健福祉局からは、国民健康保険特別会計などの報告と伏見区と西京区に児童館の設置の条例、文化市民局は、桃山のキャッスルランド跡に運動公園を開設されることになったが、指定管理者に体育協会が指定管理者になることなど。建設局とは新十条トンネルの料金問題が話題になった。

        ●京北病院のこと

 夕方、遠くは京北から京北病院の売店を委託運営している障害者の親の会の方がお見えになり、売店運営の存続の陳情に。京都市に編入合併された京北町の病院は、京都市が運営をしているが、医者の確保の問題もあり、患者数が減り経営もたいへん。障害者の雇用の確保の面からしてもなんとかならんのかな。

 夕方は、市役所の同世代のひとりの幹部と鍋をつつきながらこの間の不祥事問題や「信頼回復と再生のための抜本的改革大綱」について議論。団塊の世代は、学生時代に考えたあるべき社会や理想に向けての思いを共有し、同時代を生きてきた連帯感があることを実感。お互い体調に気をつけて、もうひとふんばりしようよ。


11月14日(火)
        ●議員会、議案についての勉強会

 11月市会定例会を控えて各会派議員会を開催。各局から17年度決算と事業や議案の説明。わが民主・都みらい京都市会議員団は団長の山口幸秀議員が進行役。教育委員会、環境局、理財局、総合企画局、上下水道局の順番。午後4時までかかる。

 教育委員会では、「教育再生会議」の委員になった門川教育長と多少の議論。環境局とは17年度決算以外に、10月から始まった家庭ごみ指定袋制度導入を巡ってのテンヤワンヤの騒ぎと覚せい剤使用による逮捕者の発覚から始まったこの間の不祥事問題と解体的出直しのことやまち美化事務所のあり方やごみ回収の民間委託問題なども議論。

 理財局からは実質収支が5年ぶりの黒字であったことや補正予算などの報告。上下水道局からの議案は地域水特別会計の補正予算のこと。

        ●選挙に向けてスタッフ会議

 夕方は、事務所でわが後援会の事務局会議。今後の選挙の準備についての方針や日程を協議。12月中旬に市政報告会をかねて後援会総会を開催することに。副議長ということで公務が多くて、前回の選挙準備より随分遅れているが、年末から年明けにかけて一気に走るようにしようと思っている。ポスター貼りなどボランティア募集しますよ。


11月13日(月)
        ●「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」

 午前10時から「市民の信頼回復と服務規律に関する調査特別委員会」が開催される。ぼくはこの委員会に所属はしていないが、毎回委員会室に入り、或いは副議長室のモニターテレビで傍聴することにしている。

 今日もテレビカメラが何台か入っているなかでの委員会。冒頭に服務監から「信頼回復と再生のための抜本的改革大綱」の進捗状況について報告。過日の委員会では、1万6千人の職員のうちおよそ1パーセントの問題職員がいるとの報告があったが、給料差し押さえなどの多重債務者や病欠や休職、遅刻早退の繰り返しなど問題を抱えている職員が24人、また継続監察が必要な職員が70人に及ぶと報告がある。

 また夜のテレビニュースで放映されたが、休職中にも係わらず妻が経営する居酒屋を手伝っていた職員がいたということで懲戒免職にしたと報告も。

 各委員からは、これらの報告や公益通報制度のことや各区役所での取り組みなどについて質疑がされた。この際、問題職員には警告をして、免職も含めて厳しい処分をして、公務員倫理の徹底を図るしかない。

       ●飛騨の高山市は7言語で観光情報
 
 夕方事務所で雑務をしていると、若い知人から呼び出し。東京から来た家族連れの彼の友人から携帯でみれる観光案内情報のサイトなどのことを聞く。彼曰く「外国人観光客が日本で一番増えた市はどこか」。飛騨は高山市だそうだ。で、高山市の観光情報サイトを開いてみるとびっくり、英語はもちろん中国語、韓国語、ドイツ語、フランス語、ポルトガル語、イタリア語で説明があるのだ。ぼくが高山に行ったのはもう20年ほど前だと思うが、これは凄い。京都の観光情報も京都外国語大学のチームが頑張ってやってくれているようですね。


11月12日(日)
          ●聖護院防災訓練とグランドゴルフ大会

 日曜日はゆっくり寝てたいが、そうもいかず。わが地元の聖護院学区の総合防災訓練が錦林小学校で9時過ぎから。ちょっと肌寒いが、グランドには各町内の方が一緒に避難されて来た想定。およそ200人の参加者。自主防災会の役員さんたちや消防団、消防署員が奮闘。班に分かれて応急手当、救出訓練、初期消火訓練など。

 紹介をしていただいた後、岩倉のグランドでの体育振興会主催のグランドゴルフ大会に。小雨模様で寒い。各学区の知人の体育振興会の役員さんたちを中心に激励に回る。

          ●全国詩吟祭

 昼は、有吉節子前議員から招待状をいただいたので、第33回全国詩吟祭ー詩の雄叫びは海の果てまで」に。詩歌吟詠にて日々の潤いのある暮らしをと京都市詩吟文化連盟が主催。芥川賞作家の高城修三さんの来られていた。詩吟と日舞のコラボレーションの「楢山節考」は、面白かった。

          ●鴨沂高校19期会

 昼過ぎは、鴨沂高校19期会の同窓会。ジュリーこと沢田研二(彼は2年で中
退をした)と同期で50人ほどの参加者。ぼくは同窓会会長になったのでたまには母校に行くが、午前中、40年ぶりに校舎内の見学会をしてえらく盛り上がった様子。校舎もそのまま。生徒数は減り、大学への進学率が悪くなったようだ。鴨川の河原で大文字山と荒神橋をバックに気分は高校時代に戻って記念写真。

          ●がんばれ、とよだ貴志君

夕方は、民主党山科区府政対策 委員長として、16年間続いた自民、共産、公明の指定席に民主党として議席を取るべく、来春の選挙に初挑戦する豊田貴志君の後援会総会と懇親会、豊田君は31歳、同志社の英文科出身で金融機関に勤めた後、ローソンを経営し、さらに前原誠司衆議院議員の事務所スタッフとしてがんばった。地元の後援会を立ち上げそのスタート。300人を超える大勢の人が結集してびっくり。ぼくの初挑戦のときなんか、ベ平連の仲間が集まってくれたがさみしいもんやった。がんばれよ!


11月11日(土)
          ●「真の地方分権の実現をめざす京都総決起大会」

 たまの土曜日。せめて午前中はゆっくりしたかったが、「真の地方分権の実現をめざす京都総決起大会」に。壇上には主催者の山田知事や桝本市長に府市会議長らが座り、来賓には京都選出の自民、民主、共産の国会議員が勢揃い。フロアには各府市町村議員と行政職員が座り、地方交付税の削減に怒り、住民福祉を守る立場で、党派を超えて真の地方分権を進めるべく地方の声をあげようという決起集会。地方の意見を反映させる仕組みづくり、地方交付税の確保、地方税財源の充実、地方債の問題など決議をあげてガンバローコールをして散会。

         ●政治スクール、ローカルマニフエスト中間報告

 午後は、民主党京都府連の政治スクールの第7講、この間、受講生が5つのグループに分かれてローカルマニフエスト作りの作業を進めてきたが、市民参加、循環型社会、防災、子育て支援、教育の分野にわたって各グループから中間報告。熱心に議論を積み重ねてきてその成果をパワーポイント使って発表するグループや紙芝居風で和ませる発表など多彩。行政関係者を交えての感想なども述べられ、政治スクールもいよいよ12月が最終講。ぼくがチューターをしていDグルー プの健闘を機体したい。

 夕方は、騒音問題に関しての相談ごと。色々な相談ごとが持ち込まれてくるが民事不介入が原則。なんとも仕様がないが、隣同士が険悪な関係になるのは悲惨だな。


11月10日(金)
         ●11月市会定例会が告示

 11月市会定例会が告示。市会運営委員会が開催される。北川委員長の進行で、17日が提案説明の本会議、21日と22日が代表質問の本会議、会期末は12月15日の29日間の日程などを決める。この市会は17年度一般会計決算審査が大きなテーマ。もちろん不祥事問題も大いに議論されそうだが、平穏に終わるかな?

         ●教育功労者表彰式典

 終了後、議長と文教委員会の正副委員長らと教育功労者表彰式典に走る。歴史学者の上田正昭先生をはじめ、教員やPTAや教育に貢献された団体の方、また永年勤続の教員が表彰される。ぼくは副議長ということで市長らと一緒に表彰されたみなさんと記念撮影に収まる。

         ●精神障害者スポーツ大会

 その足で、精神障害者スポーツ大会「こころ・のびのび・JOY・スポーツ」が開催されている西京極体育館に走る。NPO法人の京都府精神保健職親会が主催でわが議員団の砂川議員が理事長。各作業所の人たちなどボランティアの学生も多く参加して、千人近い参加者。大玉転がしなどスポーツに汗を流し交流を深める会。砂川理事長が一生懸命。

午後は副議長室に各局の担当者が11月市会の議案の説明に来室。

         ●教育基本法反対の街頭演説

 夕方は、京都府教職員組合(きょうと教組)が中心になって平和フォーラムのメンバーが教育基本法改悪反対のキャンペーンでティッシュ配り。ぼくは日教組の推薦議員。久しぶりにマイクを握って宣伝カーの上で教育基本法改悪反対の演説をぶつ。「愛国心」の強要や「やらせ」の公聴会や教育バウチャー制度の導入などもってのほか。その後、役員らと教育談義。


11月9日(木)
         ●全国市議会議長会の評議員会

 日本都市センター会館にて、全国市議会議長会の評議員会が開催される。全国から200数都市の議長や副議長が参加。京都は政令指定都市なので壇上に座る。国松藤沢市長が議長役。

 会長提案議案として、地方分権改革推進法案の早期成立に関する決議や地方交付税の所得総額の確保などを求める決議、また地方行財政、社会文教、建設運輸の分野について、北海道、東北から近畿、四国、九州と部会があって、各都市の議長が、地方財政や介護保険制度の見直し、少子化や高齢化対策など地方自治に係わることや、地震津波対策、新幹線やリニア線、自動車道の建設などその地方の固有の課題など決議をあげていく。地方公共団体の声の集積として、政府に対しての要望活動の一環になる。岡山の羽場副議長と久しぶりに再会。淡々と議事は進行して昼に終わる。

        ●11月市会の議案

 東京駅に出て、京都市の東京事務所と10月にオープンした新「京都館」に立ち寄り帰京。市役所に戻ると総務局長が来室。11月市会に提案される議案についての説明に。補正予算と17年度一般会計決算が中心。条例などの大きな議論を呼ぶ議案はなさそう。

        ●京都賞受賞者歓迎レセプション

 夕方は、財団法人稲盛財団の第22回京都賞受賞者歓迎レセプションにカミサンと一緒に出席。山田知事と桝本市長がホスト。先端技術部門で免疫遺伝学者のレナード・ハーツエンバーグ博士、基礎科学部門で統計数理学者の赤池弘次博士、思想・芸術部門でデザイナーの三宅一生さんが受賞される。府市会議員の各会派の団長や学者や経済界の方が招待され、長岡京室内アンサンブルによる弦楽四重奏を聞きながら懇談。三宅一生さんのサインをもらったらよかったと、わがカミサン、後で後悔。


11月8日(水)
        ●全国市議会議長会で東京へ

 午前8時過ぎののぞみで東京へ。副議長を拝命してから5回目の上京になるのかな。秋晴れに冠雪した富士山が見事。

 午前11時から全国市議会議長会の相談役会議。政令指定都市は相談役都市ということで出席。午後からの理事会及び明日の評議員会の運営についてや会長提出議案について、19年度予算の見通しなど。午後1時からは理事会が開かれ、明日の評議員会の運営などが再確認される。

        ●思い出の清水谷公園

 休憩時間に近くを中村秘書と散策。大きなビル群の間に、以前来たような記憶がある木立の公園があった。そうや清水谷公園やないか。思い起こせば、確か1968年6月15日、学生時代に友人とヒッチハイクでベ平連のデモに参加するべく上京したのだ。この清水谷公園から銀座までデモをした。その後もベ平連の定例デモの出発地点になっていたので、何回か行った記憶が蘇った。40年近い前のこと。あの頃の仲間はどうしてるかな?

全国市議会議長会の理事会が終了後、新宿へ。新宿の歌舞伎町を散策し中央線で夕暮れの中野に。パチンコをして久しぶりに勝ったぞ。

        ●東京山脈の会

 夜は、中野のサンモール商店街のちょっと横に入った飛騨の田舎の家を移築したという民芸風居酒屋「爐(いろり)」にて、元ハンセン病女性患者の生涯を演じる結純子さんのひとり芝居「地面の底が抜けたんです」をプロデユースしている大学の先輩の木村聖哉さんの呼びかけで「東京山脈の会」の重永さん、今野さん、塚本さん、吉田さんが「鈴木正穂を囲む会」として集まっていただく。

 サークル「山脈」は、今は亡き白鳥邦夫さんらが中心のサークル運動の集まり。30数年前に京都は大山崎の宝寺での全国集会以来のつきあい。この10年ほどはご無沙汰しているが、色々と飲みながら喋る会。みんな60歳代か。東京は八丈島名物「くさや」の臭いは凄まじかったが、美味かった。


11月7日(火)
        ●京都市消防団定例表彰式

 午前中、久しぶりに事務所で雑務。溜まった郵便物を整理し、色々と催しの案内をいただいているので手帳に書き込む作業。1週間も空けると雑務が一杯。午後1時30分から京都会館で京都市消防団定例表彰式・消防団家族のつどい。桝本市長も元気になられてよかった。舞台に議長や建設消防委員会のメンバーらと来賓として座る。優良消防分団、優良消防団員さん、また永年勤続の消防団員さんらが表彰される。50年表彰の方が8人もおられた。京都の火災件数は他の大都市に比べて格段に少ないが、日頃の消防団のみなさんのご苦労のお陰だ。ほんとうにご苦労さんです。市長が挨拶し議長が祝辞を述べて無事に幕が下りる。

        ●京都市文化功労者表彰式

 市役所に戻り、第一応接室にて京都市文化功労者表彰式に。狂言の茂山千之丞さん、截金の江里佐代子さん、漆芸の服部峻昇さん、日本画の濱田昇児さんの4人に市長から授与される。議長が祝辞を述べ審査会委員の上平貢先生から業績と審査過程の報告の後、全員で記念写真。おめでとうございました。その後、秘書の中村君と今後の日程の打ち合わせなど、

        ●消防団家族のつどい

夕方、再び京都会館での「消防団家族のつどい」の夜の部に。議長の代わりにホールもほぼ満員の家族の皆さんの前で祝辞を述べる。ちょっと場慣れしてきたかな。舞台では、消防音楽隊の演奏とカラーガード隊の演技、そして消防団員とご家族の日頃のご労苦を労う恒例の歌謡ショーは牧村三枝子さんと小金沢昇司さん。演歌がいいのだな。


11月6日(月)
         ●福祉法人の評議員会

 朝から、左京区は市原で、とある社会福祉法人の評議員会。知的障害者のご家族の方が中心になってグループホームを建設しようと準備をされてきた。評議員の初めての顔合わせ。建設促進実行委員会の報告や今後の建設計画、さらに運営方針などを決める。障害者自立支援法施行後の苦難の船出。来年初夏にはオープンする予定。順調に進めばいいなあ。

         ●17年度決算等、監査委員の審査意見

 午後は、副議長室に監査委員と監査事務局が来室。17年度の一般会計等決算審査意見及び基金運用状況審査意見の報告に。計数や経理、財産管理など概ね適正で、歳入歳出決算では、4億円余の5年ぶりの実質収支の黒字。されど税源移譲が不十分で、不納欠損額の増加や収入未済の問題などを指摘。以前より、報告書の書き方が整理されて見やすくなった。合間を縫って留守の間に溜まった書類の整理。

         ●連合の日、ティッシュ配り

 夕方は「連合の日」、四条河原町交差点周辺に連合京都の洛東地協傘下の組合員や民主党2区総支部の山口、北岡、隠塚議員、また候補者の中野や豊田、藤川君らが結集。木戸会長と福山参議院議員が演説、ぼくらは、パートや最低賃金のことを訴えるビラを入れたティッシュ配りのキャンペーン、通行している人に取ってもらうのもコツがあるのだな。帰ってようやくスーツケースを開ける。資料が山ほど。いつ報告を書けるかな。


11月5日(日)
         ●時差ボケはないが

 オーストラリアから無事に帰国して、昨夜自宅に着いたのは、午後11時過ぎ、風呂に入ってビールを飲んでうどんを食べて寝たのは、深夜12時過ぎ。
時差がほとんどなくて時差ボケはないがやっぱり体が重い。されど、いざ日常に戻る。

         ●まちの美化市民総行動

 まずは市役所前での「世界の京都・まちの美化市民総行動」に。さすがに市長は欠席。市役所前には、各種団体や市職員、自治労の組合員など3千人が集い、副市長、議長らの挨拶の後、いくつかのコースに分かれてまち美化行動。

 ぼくは議長や副市長らと一緒に市役所前から河原町通を四条高島屋下ルまでごみバサミを持ってごみ拾い。三条河原町辺りではタバコの吸殻や空き缶などがゴロゴロ。でも思っていたより少なかったが、他のコースではどうやろかな。

         ●保育園のバザーに農林秋まつり

 その後、わが娘がお世話になったペスタロッチ保育園のバザーをのぞき、上賀茂神社での「京の農林秋まつり」に顔を出す。市内各地の農産物が並び、ミニ動物園など子供向けのイベントや焼き鳥の屋台なども店を出し、好天に恵まれ多くの人出。

         ●同志社のホームカミングデイ

ゆっくりすることもなく、同志社に。同志社のリユニオン、ホームカミングデイの日。寒梅館での卒業生のレセプションでは、わが副議長就任感謝の集いに来ていただいた総長、学長、理事長さんらにお礼を言う。キャンパスでは、応援団による演舞、お茶席なども。学生時代にベ平連のビラを配っていたのを思い出しながら、同志社大学総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の公開トークのお知らせビラを配る。

         ●総政会、公開トークと総会

 2時から明徳館で「人と人が繋がっている社会―介助犬とともに車椅子で生活する中で感じること」と題して舘林千賀子(前期過程2年次生)さんが講演。介助犬のアトム号はおとなしく横で寝そべっていた。彼女は、某マスコミに就職も決まってよかった。2002年に身体障害者補助犬法の施行後の問題やどんな生活をしているかなど、車椅子で生活する日々のことやこれからの課題を元気よく語ってくれた。ありがとう。

 その後は、総政会の総会、ぼくが会長ということで、議長役。決算や予算を淡々と承認してもらって課題の10周年記念事業を来秋、北小松のリトリートセンターで開催することなど承認してもらい、円滑に議事を終えて、平安会館で懇親会。およそ30人の参加者。70代のお元気な修了生の方など参加者全員が近況報告など。二次会もして帰宅したのは午後11時前だった。もうフラフラ。


11月4日(土) オーストラリア日記
        ●さらばオーストラリア

 オーストラリア最後の朝、紫色のジャガランダの花が咲いていたが、どんよりした天気で肌寒く小雨模様、一路シドニー空港へ。出国手続きも無事にすみ、カンタス航空は午後1時に離陸。機内では映画「日本沈没」や「パイレーツ・カリビアン」を見たり、ワインを飲んでうたた寝をしたりでのほぼ9時間。

        ●無事に帰京

 午後8時過ぎに関空着、桝本市長が体調を崩されたのは残念だったが、北川明委員長をはじめ各会派代表の議員に国際化推進室の関係者ら一行は午後9時過ぎの「はるか」で無事に帰京。

 バララット市のヴェンディ市長ら関係者のみなさんに心よりグッダイ!次回の開催地、トルコはコニアで再会できるといいな。報告書はいずれ出されると思うが、ぼくの1週間のオーストラリア日記もこれにて完結。明日から、また日常が始まるのだ。


11月3日(金) オーストラリア日記
        ●メルボルン市長を表敬訪問 

 午前中、ふたたびメルボルン市庁舎を尋ねジョン・ソー市長を表敬訪問。わが桝本市長は体調を崩し、昨日シドニーを出発、帰国されたので、ぼくが副議長ということで京都市を代表して挨拶を述べる役。通訳の人もおられたが、京都弁の英語で簡単な挨拶をする。緊張はしたが、思いは伝えられたのではないかな。

 ジョン・ソー市長は2期目で香港出身でチャイナタウンで飲茶のレストランをされているそうだ。来年の2月に京都で開催される「気候変動に関する世界市長・首長協議会」に参加の意向を表明された。京都市の一行を代表して備え付けのノートに署名をさせていただく。チャイナタウンで飲茶で昼食の後、メルボルン空港に。しばし休憩した後、シドニーまでカンタス航空で1時間半のフライト。

        ●大都会シドニー

 シドニーは大都会。トラムが走っていないので大渋滞。ホテルにチェックインするまでの間、世界三大美港といわれるシドニー湾周辺をバスで移動。かの有名なオペラハウスを見学。どんよりした天気で残念だったけれど、湾を結ぶハーバーブリッジの上の鉄橋の上を人が登っている姿がかすかに見える。テレビでそういえばタレントがおっかなびっくり登っている番組を思い出した。オリンピックのマラソンコースだった路上には、青いラインがずっと引いてあった。

 夕食の後、シドニー在住のわが友人のソメちゃんの連れ合いさんに再会。小さなモノレールに乗ってシドニーの夜の繁華街を一周。近代的なビルと古い建物の間を縫って走るモノレールは面白かったよ。そしてダーリングハーバーの夜景を見ながらビールで乾杯。保育園時代を知っている子息も成人になっていて車で迎えに来てくれたが、オーストラリアでの青春を楽しんでいるようだった。


11月2日(木) オーストラリア日記
       ●さらばバララット、メルボルンへ  

 目覚めたら小雨模様。バララットの朝は肌寒い。9時過ぎには他の宿舎で泊まっていた西安や慶州市の代表団とともにヴェンディ市長らに見送られてバスでホテルを出発。ハイウエイで1時間半ほどでメルボルンに。久しぶりの雨でほっと一息らしい。

       ●世界遺産、王立展示館

 メルボルンは緑豊かな大都会だ。まずは、1880年に開催された万国博覧会のときに建築されたという王立展示館を見学,十字形の大きなドームにはびっくり。2004年に世界遺産に登録されており、ステンドグラスも見事。当時の写真なども飾られている。会場では大学の試験があるとかで、机が並べられていてなんと3千人が座れるという。それは壮観だった。

       ●環境都市 メルボルン

 そして街なかの繁華街にあるメルボルン市庁舎を訪問。世界歴史都市会議の代表団の公式訪問ということで歓待を受ける。環境に配慮して立てられたという消費エネルギーの大幅な削減に成功した「クールビル」の新庁舎である「カウンシル・ハウス2」の建設の過程と水の循環を行うなどその環境への効果についての説明と中国は姉妹都市の天津市でメルボルンの技術者が協力をして環境保全に取り組んでいるプロジェクトの説明もあった。オーストラリアは京都議定書を批准していないが、メルボルンは環境に取り組んでいることを力説されたのだ。古めかしい議事堂も見学。いや立派なものでした。

       ●多文化社会と高層ビルと

 その後雨も上ったメルボルンの街なかをグループに分かれてボランティアガイドのおじさんに案内をしてもらう。街にはトラム(路面電車)が次から次へと走ってくる。そして歩いている人は、アジア系や白人や様々な民族が闊歩をしている。チャイナタウンやイタリア人やギリシャ人街もあり人種のルツボで多文化社会。そして高層ビルの間に19世紀後半に建てられた古めかしい建物が見事に調和をしているのだ。そのコントラストに驚いた。ぼくらが泊まったホテルは40階建ての超高層だが、そこから眺めるメルボルンは緑がアチコチに広がっている。

       ●観光トラムは、無料だ

 街の外周を走るトラムに飛び乗る。港には近代的なビル群があり、また捕鯨反対キャンペーンの幕も見聞。ほほ40分で外周を一周するトラム、観光案内のテープが流れて、なんと無料だ!ほんまやで。感激したよ。

       ●加来メルボルン総領事

 夕方は、ボートを漕ぐ人々やジョギングや散歩をしている人々が目につくヤナ川沿いに郊外に向かう。森の中の邸宅がメルボルン総領事の加来至誠氏の公邸。加来総領事は、いくつかの国で領事館や大阪府での仕事もして、97年の京都で開催されたCOP3の事務局長を務められた。メルボルン在住の京都出身の3人の方も来られていて久しぶりの日本食を堪能。裏千家のジェンセン・祐子さんは、同志社大学文学部文化学科文化史専攻でぼくの後輩だった。びっくりしたなあ。

 メルボルンにはおよそ1万人ほどの日本人が在住。日豪交流年ということで多彩なイベントが催されたという。ありがとうございました。「玉の光」と「豪酒」は美味かった。


11月1日(水) オーストラリア日記
        ●イギリス ノールウィッチ市の報告

 今日から11月、バララットの天気は暑からず寒からずで今日も快晴。9時から会議は第4部。「発展と革新」と題してイギリスは、中世の町ノールウィッチ市が発表。「遺産の保護を通じて都市の再生を図ってきた。遺産保護で商業活動に活用し,経済効果を上げることが重要である。遺産保護と開発の両立の重要性を説明しており,遺産の活用で二酸化炭素削減も図れる。空間の戦略として,歩行者の安全を図り,街の中心に歩行者を呼び寄せるために,車両を排除したところ,300パーセント歩行者が増加し,活力ある街に変わった。古い教会を整備し,観光スポットとしてつなげることで,観光客も増加した。芸術作品を街に配置し,芸術をベースにした遊歩道を設けることで,人の流れをコントロールし,より多くの人がより長く滞在するようになり,新しいビジネスの契機になっている。また,その結果,犯罪や落書きも減少した。住民が街の所有者であるという意識が生まれてきたことは重要である。今後,無形財産の活用や,コミュニティを巻き込んでの保存・再生の活動に取り組んでいくことが重要である。

        ●次回開催地候補、トルコのコニヤ
 
 続いて次回の開催地を目指して大挙して代表団を送ってきたトルコはコニヤのタヒ市長が報告。国連・ユネスコの資金援助を受けながら、遺跡保護に努め、また建築物の税の10パーセントを遺産保護に当てているとのこと。またシルクロードのテーマーパークも開設、保護と改革・革新とは,相対する概念ではないと報告。彼らは髭を生やしアルコールを一滴も飲まなかったのが印象的。

         ●メルボルンは多文化社会

 そしてメルボルンの市長はジョン・ソー市長。小柄な中国系オーストラリア人。「メルボルン市は,1835年に入植が始まったまちでオーストラリア連邦・議会発祥の地,入植後直ちに秩序だった都市計画が行われた。チャイナタウンやイタリア人街など異文化が織り成すまちで、遺産の維持のみならず,その活用,現在の開発にも力を入れている。現在の創造は,明日の遺産につながるものと考え、都市には異文化の調和,戦略的開発,アメニティが重要である。現在,世界最大級の水際の開発に重点を置いて取り組んでいる。街を自然に戻すために庭園プロジェクトを進めており,また,1970年代はドーナツ化現象があったが,現在は,街の中心地が活性化しつつある」と報告。

 会場からは、単に古いものを再現するのではなく,今現在の建築物を作る必要性があることや、様々なコミュニティが参加し,一般市民の意見が反映される手続が整備されることが重要であるなどの意見が出された。

         ●遺産保護とは

  1時間半ほどのセッションのあと、ユネスコ・アジア太平洋地域文化アドバイザーのリチャード・エンゲルハルト博士の基調講演も行われるなど盛りだくさん。

  日本にも何度も来日している博士曰く、「文化とは,有形・無形のものを問わず,遺産に基づく記憶である。複雑性,多様性を有するが,文化的アイデンティを保護することは,経済的発展につながる。文化的・自然的遺産は,公民一体となった保護が必要である。コミュニティの発展のために,遺産を保護する必要がある。社会行事の復興,コミュニティの復興にも寄与し,また,地域住民の奉仕活動による復興が重要な側面を有する。遺産保護の精神的価値,社会的価値を引き出し、観光要素を取り入れた文化保護が重要である。有形文化遺産の保護は,街の活性化をもたらし,有形文化遺産は,無形の文化的なものの現れである。遺産保護は,文化的基本的権利の行使であり,人類共有の財産の保護である。
 自治体,住民の意識が向上することが,遺産の価値の向上にもつながり、異文化との対話を行うことで,コミュニティの強化にもつながる。場合によっては,観光が遺産保護に悪影響を及ぼすこともあり得る。有形文化遺産・無形文化遺産双方の保護が重要であり,無形文化遺産の真実性をどのように守っていくのかは重要な課題である」。

 会議の最後にバララット市で開催された立役者であるリッチことリチャード・ハンコック氏は、この会議の成果を、都市の持続的な発展のためにコミュニティともに遺産管理をする重要性や人々を巻き込み、若者をどう関わらせるか、明日の将来の遺産として今何を築くのかなどポイントを整理し、この会議が継続されることを望むとスピーチ。彼の活躍ぶりが目立ったよ。

         ●世界歴史都市連盟総会

 午後からは、世界歴史都市連盟の総会。議長役の桝本市長もなんとか元気になって登壇。事務局長の高木寿一元副市長・現国際交流会館長の流暢な英語で議事は進む。

 決算や予算案の議決とともに、新規加盟都市に扶餘郡(韓国)、成都市(中国)、フエ市(ベトナム)、ニコシア市(キプロス)が、ブラジルのリオデジャネイロ市は退会、懸案の次期の第11回世界歴史都市会議は2008年にトルコのコンヤ市で開催することが決定した。

        ●バララット宣言

  そして最後にデビッド・ヴェンディ・バララット市長が「世界歴史都市連盟の都市は、世界における歴史的市街地と自然環境を保有する特別な存在として人類に感銘を与える立場にあることを理解し、歴史都市の保存と開発に尽力すること、また歴史都市が未来永劫に持続するために世界の調和を乱す脅威に対する平和的な解決が必要であること再認識する」と「バララット宣言」を読み上げ、各都市が署名。あちこちでは記念写真がとられ、また再会することを期待して無事に会議は終了。

        ●金鉱とアボリジニーとコアラとカンガルー

 それからは自由時間ということで、同僚の議員一行とは別れて一人でオーストラリアの初夏の風に吹かれて、地図を片手に、

 まずは丘の上の「ゴールド・ミュージアム」に。ゴールド・ラッシュ時代を再現したバララットの博物館を見学、さらに、先住民のアボリジニーの文化や民俗楽器などを展示したカルチャーセンターを訪問、そしてオーストラリアに来たのでカンガルーとコアラは見たかったのでワイルドパークへタクシーを飛ばし閉園にかろうじて間に合った。飼育係の人が親切に可愛いコアラとの記念写真を撮ってくれて、また奈良公園の鹿のようにカンガルーに餌をやり、またウォンバットなるコアラ科のイノシシを小さくしたような動物やもちろんワニも見せてもらう。親切な案内に感謝。

  夕方は、歴史都市連盟理事都市のメンバーらとバララット市での最後の夕食会。会議も成功して、それそれの都市の代表とも親しくなり、和気あいあいと友情を込めてワインで乾杯。残念ながら桝本市長の体調はすぐれず明日の便で予定より帰国することになったのが残念。明日の移動のためにたくさんの会議資料などのスーツケースに積め込むんでぐっすり就寝。 


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