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       鈴木マサホひとくち日記 
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2007年8月

                 


●8月31日(金)
 昼、北白川での友人のご尊父、経済学者の庄林二三雄さんの告別式。式場でいただいた遺作「京都映画産業論」は興味深そう。夕方、吉田神社の参集殿で秋のお祭を控えての神事世話人会。神輿出しや担ぎ手のこと、行列や片付けのことなど協議。また忙しくなりそう。


●8月30日(木)
 昼、「あったかサポート」の笹尾氏と年金問題の学習会のことなど打ち合わせ。午後は、とある講演会での手話通訳を巡っての問題で主催者側と「ろうあネットワーク」の関係者との懇談会に同席。夕方は自治労経済支部のビアパーティ。


●8月28日(火)
 4年に一回、選挙後に行われる市役所の2階の各会派の議員団室の改装がほぼ終わる、広い部屋になっていてびっくり。午後は、事務所にて市民相談ごと、夜は後援会の幹事会。オープニングサロンの打ち合わせ。
8月27日(月)
 昨日の朝日新聞の地方版に民主党京都府連の常任幹事会で市長選挙対策委員会が設置され、ぼくの名前が事務局長として名前が載ったらしい。問合せの電話があった。2月に向けてこれからたいへんやな。粛々と京都の将来のために考えようと思っている。
 4年乗っていたホンダのビガーが動かなくなったので、友人の自動車屋さんにお願いしていた新古車、日産のディダーが来た。夕方、試乗。安全運転で事故を起こさないように気をつけて走ろう。
 安倍内閣改造。新味なし。記者会見を聞いていると「政治と金」の話。モーニングまで用意していたのに入閣が果たせなかった議員の姿が滑稽に思えた。


●8月26日(日)
 ぼくの行きつけの居酒屋「炎の火」の若いカップルの結婚式。人前結婚式でぼくとカミさんが立会人代表として署名。新婦の佳蓮さんは在日コリアン二世。新郎のおじさんは消防団での知り合いだった。ハングルで短いスピーチもして、仲人として挨拶。友人と店の常連客を中心とした第二部には気楽に参加。元パチンコ店に2人で住み込みで働き店長をしていたということで当時の弟子たちが来て、お祝いをパチンコ屋でやっている「いらっしゃい!いらっしゃ!」の「あおりマイク」に感激。楽しい楽しい結婚披露パーティだった。
 帰途、久しぶりに八文字屋に立ち寄り、わが友甲斐さんの「生前遺作集」の写真集への小さな原稿を手渡す。彼と出あってもう40年か。


●8月25日(土)
 朝、新潟水俣病の患者さんたちと長年連れ添ってきた籏野秀人さんの講演「豊かに生きるとは」を聞く。彼はぼくと同世代。1971年東京駅前チッソ本社前での座り込みに参加、地元に戻り大工をしながら、患者さんたちと訴訟運動を展開。わが友人の小林茂君がカメラマンの映画「阿賀に生きる」を制作。20年近く前、ぼくは彼等の「阿賀の家」を訪れたこともあり、また京都で上映運動に協力したこともある。昭和電工の有機水銀による中毒による阿賀野川の住民に新潟水俣病が発生して40年、行政の役割もさることながら、地域での住民の豊かな経験を聞き感動した。

 ゆっくりしたかったが、講演のあと帰途に。咲花駅では、磐越線を走る蒸気機関車に偶然遭遇。いや久しぶりに興奮した。新幹線を乗り継いで夕方、帰京。

 京都駅前では、「防災フエア」が開催中。消防局や水道局、公共サービスを行う企業やとあるブースではわが地元左京は市原の「セブン環境」が緊急災害用の炊き出しセット、防災燃料「燻華薪」を展示中。この燻華薪は、静原で作られているのだ。
 その後、わが地元は第四錦林小学校での「吉田学区夏まつり」に。近衛中学校生徒のブラスバンドや四錦児童もがんばった今宮太鼓、さらに女性会を中心とした盆踊りで賑わった。


●8月24日(金)
 仙台から東京へ。八重洲口駅前の京都館に立ち寄ったあと、東京都環境科学研究所に。この4月から独立法人化されその運営も厳しそう。車の公害対策、ヒートアイランド現象に対する屋上緑化の取り組みなどを聞く。ディーゼル車の排出ガス規制を行う「環境確保条例」とその規制・指導取り組みは興味深かった。

 3時過ぎ、東京駅で一行と別れて上越新幹線で新潟へ、常磐西線に乗り換えて、阿賀野川上流の五泉市は咲花温泉での第25回山脈の会全国集会阿賀野路集会に。この山脈の会は、秋田県の学校教員だった白鳥邦夫さんらが50年近く前にサークル運動として立ち上げたもの。各地域で「記録する」ことを中心に様々な分野で活動している人たちが集まり交流する会。NPOやNGOでボランティア活動をしている人も多く、その自己紹介は興味深い。第一回集会が開かれた戸隠の落合宏さんが来ておられて何十年ぶりかで再会。


●8月23日(木)
 朝、宇都宮から仙台に。昼は仙台名物牛タン定食。美味かった!それにしても仙台はいたるところに牛タンの看板。街路の緑も多くて、涼しい!午後、仙台市役所にて歯科保健関連事業と放課後児童健全育成事業、さらに100万人のごみ減量対策について各担当者から説明を受ける。仙台市では、歯科医師が市の職員として保健所などに勤務し子どもたちや高齢者の歯科口腔の予防に従事している。また児童館は各小学校校区単位で施設建設され、京都市より充実しているように思える。各委員から質疑。夕食の後、軽く一杯飲んで早々に寝る。


●8月22日(水)
 厚生委員会での他都市調査。新幹線を乗り継いで栃木県は宇都宮駅で初めて降りた。宇都宮は餃子のまち、いたるところに餃子の看板。
 この4月にオープンした「子ども発達センター」を視察。障害児福祉施策について担当者から説明を聞き、館内を視察。この施設は、保育園と子育てサロンとが一緒になっていて、子育ての総合相談所の役割も兼ねていて、また障害児のケアとリハビリを総合的に行う施設。呉越同舟、自民、公明、共産の各委員と一緒に説明を聞く。思うに、わが会派の小林議員が最年長で次がぼく。

 夕食の後、かって革新議員連盟でいっしょになったこともある「反骨一筋」の西房美宇都宮市議に会う。何回も選挙では落選しつつもオンブズマン的な役割を担い、この春の選挙でも当選された。宇都宮市議会ではなくてはならない人。確か70歳ぐらいだと思うが元気だ。帰途、もちろん餃子を食べたよ。


●8月21日(火)
 朝からひたすら発送作業。近くの吉田郵便局にて第一弾の発送終了。明日から他都市調査で京都を留守にするので、夜遅くまでもくもくと作業。


●8月20日(月)
 準備してきた市民派議員レポート「初心の戻って」の発送作業。手伝いの人にも来てもらってタックシール貼りと住所と名前など点検作業。春の選挙での次点落選から繰り上げ当選のこと、所属する委員会のこと、わが民主・都みらい議員団のこと、そして今後の決意。さらに事務所移転とオープニング・サロンの案内などが内容。

 夕方は、市長らと民主・都みらい京都市会議員団との懇談会。新人議員が多いので壮観。自己紹介など。京都市政の課題などが話題。友情ある緊張関係のなかで議会と行政が両輪となって京都市政をどう発展させるのか。ぼくの繰り上げ当選のことは、冷やかされつつも、カムバックを喜んでいただいた。


●8月19日(日)
 昼前、東山区の大谷中・高校で全国在日外国人教育研究集会に、この研究集会に参加するのは久しぶり。1993年の京都造形大学での大会に初めて参加し、その後の広島や京都精華大学での集会に参加した。在日コリアンの本名を名乗る民族教育の保障などを主題にした教育実践から、日系ブラジル人などニューカマーの多文化共生教育へと取り組む幅が広がったこの集会には多くの教員が参加。京都での取り組みの発表や中国からの残留帰国生徒、また在日3世の青年、ジャマイカ人の血を行く女子学生の3人の討論は画期的だったし、高校生交流会に参加した若者たちに熱気。 京都市で外国人教育基本方針が策定されたのは、もう15年ほど前か。まだまだ多くの課題がある。

 夕方、地蔵盆のテントたたみが終わった後、我が家の前で、今後の地蔵盆のあり方についてお疲れさん会かねてビールを飲みながら町内の集会。京都の夏の終わりの風物詩、地蔵盆も子どもたちが少なくなってきて、どう守るのか大きな課題。

 その後、全国在日外国人教育研究集会の交流会に。全国から集まった教員が地域での報告。滋賀県の甲良町の町長さんも来られていて名刺交換。


●8月18日(土)
 福祉工房P&Pの運営委員会、障害者自立支援法による新体制移行について、就労継続支援B型か就労移行支援型で事業を進めるのか議論。この悪名高き障害者自立支援法は、現場で共同作業所を運営している方にとっても利用する障害者にとっても色々と困難があり、暗中模索の状態。厚労省のお役人さんたちの机上の空論は、現場の色々なところで問題をかもし出しているのだ。
 夕方、わが町内の地蔵盆テント立てを手伝う。そしてカミさんと嵐山へ。夕暮れどき、船の上は涼しい。缶ビールを飲みながら鵜飼の見物。ちょとした夏休み気分。


●8月17日(金)
 久しぶりの議員会。市会改革について担当議員から説明を受ける。今後、海外視察や政務調査費のことなどがさらに議論されることに。


●8月16日(木) 大文字の送り日の夜
 日本列島は猛暑の日が続く。京都は五山の送り火の日。聖護院に事務所を構えていた4年間は、事務所のマンションの屋上で妙法、船、左大文字、鳥居の五山の送り火を見ながら過ごしたが、今年は、わが吉田の新事務所のお披露目をかねて、両親と叔母、従姉夫婦、弟たち夫婦と子供等、鈴木一家が13人が集まって久しぶりの会食。
 父は88歳、母が80歳、叔母が83歳。みんな大正生まれ。亡き「つねおばあちゃん」の話をして、おふくろと叔母は唱歌や府立第一高女の校歌を唄う。まあまあ元気。そして午後8時には近くの近衛中学校の前で、近所の人たちもたくさん道路に溢れて、吉田山の丘の上の夜空に燃える大文字の送り火に手を合わす。「寿命が延びました」と叔母。ぼくが少年時代、50年ほど前、わが家に叔母夫婦や従姉たちが集って、つねおばあちゃんを囲んでワイワイやっていたものだ。その頃を思い出し、また家族の絆を考えた夜。


●8月15日  終戦記念日 「手づくり市」のこと
 戦後62年目の夏。不戦を誓う日。真夏の陽射しが眩しい。
 百万遍は知恩寺境内の「手づくり市」を覘く。確か20年ほど前、わずか数店舗で始まったこの「手づくり市」は、今や知恩寺境内に隙間もないくらいに店が出ていて、弘法さんや天神さんのような市になっている。主宰者はぼくの友人。毎月第一木曜日には梅小路公園でも「一木市」を開催され始めている。
        来年春は市長選挙
 その後、事務所で雑務。とある新聞社の記者が来訪。話題は早や来年の2月に行われる市長選挙。「来年のことを言ったら鬼が笑うで!」
 4年前、議員団の団長をしているとき、桝本市長3選目に向けてのときの苦労話をしたりーーー。さてどんな風に動いていくのかな?      
        同窓会シーズン
 夜は久しぶりのメールニュースの発送作業。
 夏は、同窓会の季節。11日(土)には、鴨沂高校19期会の2次会になだれ込み深夜まで飲み、昨日14日は、第四錦林小学校の6年生のときのクラス会。今は亡きゴジラこと山内光夫先生が担任だった。8人のメンバーが集まりワイワイガヤガヤ。元気で何より。


●8月9日(木) ナガサキ被爆62年
 ナガサキが被爆して62年目の夏。わが親父は学徒動員のときに広島で被爆、ぼくは被爆2世。88歳になる親父は今も元気。わが青春の頃、ぼくは白血病で死ぬのではないかと、思っていたが、ここまでよく生き延びた。反戦平和へのわが志の原点はここにあり。
         手話通訳のこと
 昼、京都ろうあネットワークの永井哲氏らと懇談。過日、とある講演会で聴覚障害者の方が参加申し込みをしたところ、手話通訳者の配慮についていくつかの問題が発生したとのこと。その経過を聞き、また今後いかにバリアフリーのまちづくりをするのか、色々と議論。いずれ主催者と協議するつもり。
         後援会幹事会 オープニングサロン
夕方、わが事務所で後援会の幹事会。わが応援団の人に集まってもらって、参議院選挙の報告と今後の事務所運営のことや後援会活動についてご意見をいただく。新事務所お披露目のオープニングサロンは、9月2日(日)午後4時から7時にすることになった。会費は2000円。ぜひ来てください!


●8月8日(水) ●厚生委員会が開催
 環境局からは職員の処分、大気、水質など環境調査結果、公害苦情状況などの報告と質疑の後、10月から実施されるプラスティック製容器分別収集に向けた啓発ビデオが上映され質疑。目印は「プラ」マークのあるトレイとかコンビニの弁当とかシャンプーとかなのだが、プラスティックの製品そのものは対象にならないので、色々とややこしそう。市役所出前トークを活用してわが事務所で勉強会を開催しよう。

 保健福祉局からは、京都府後期高齢者医療広域連合議会と障害者生活状況調査の概要報告がありそれぞれ質疑。自民党の議員が紹介議員になっていた国民皆保険制度などの要請の意見書提出の請願は採択された。去年の夏は、連続した職員の不祥事事件でテレビカメラが常に入り、緊張した委員会であったが、今年はようやく正常に戻って淡々と進行している。去年の今頃は、ほんまに悪夢やったな。
         ●宮田栄次郎さんと
 夕方は、自治労公室支部のビアパーティで挨拶をした後、京都の労働界の大長老の宮田栄次郎さんと一献を傾ける。宮田さんはぼくの母親と同じ年齢だがかくしゃくとされている。戦後すぐに若くして労働運動に飛び込み、戦後の京都の政界や労働界の今では数少ない生き字引の人。宮田さんの各種選挙の予想と分析は、いつも参考になるよ。


●8月4日(土)
 小田実さんの告別式に参列するために東京へ。青山葬儀場の屋外のテントで蝉時雨を聞きながら、中川六平と並んで鶴見俊輔先生らの弔辞を聞く。「黒船到着以来の日本の150年の中で、ジョン万次郎と肩を並べる大きな人」と鶴見先生。べ平連の事務局長だった吉川勇一さんの話のときは涙が出そうになった。およそ800人の参列者が献花し別れをつげた。
 葬儀の後、近くの公園まで「反戦の遺志をついで」と書かれた幕と遺影を先頭に、暑い日差しの下、「We Shall Over Come」を歌って追悼デモ。小田さんの反戦の遺志をぼくらはどう受け継ぐのか。ベ平連時代の仲間たちと久しぶりに再会もした。
 なお7月30日の朝日新聞の夕刊の小田さんの訃報を伝える記事の写真に小田さんの後ろにぼくが写っているのだ。1968年京都で行われた「反戦と変革のための国際会議」の後の祇園石段下のデモの写真だ。
紅顔の少年の時。あれから40年。

 75年、人生一巡。みなさん方とともに生きたこと、生きられたことを幸いに思います。では、お互い奇妙な言い方かもしれませんが、生きてる限りお元気で。
小田実

 小田さんのご冥福を心よりお祈りします。ありがとうございました。


●8月1日
 今日から8月。夏本番。安倍首相は大敗をきっしたのに続投とのこと。赤城何某大臣が辞任を表明。敗北した自民党の議員たちは、誰に怒りをぶつけるのかな!
 午後、市民相談を受けていた下水の改善のことで担当者に会い調査を依頼。そして久しぶりに市役所に。2階の各会派の議員団室は、改装中。廊下には机などが積まれていて民主・都みらい議員団は現在は第5会議室に仮住まい中。資料に目を通す。
 三条寺町のギャラリー「ヒルゲート」へ。豊崎博光写真展「各時代の光景ー世界各地に生み出されるヒバクシャ」を見る。南太平洋やアメリカアリゾナでの核実験が行われた土地やスリーマイルやチェルノブイリの原発事故の影響で被爆した住民の写真展。中越沖地震で火災を起こした柏崎原発はほんとうにだいじょうぶだったのか!8月は核と平和を考える季節。写真展は、8月5日まで。
ヒルゲートは252-1161。


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