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鈴木マサホひとくち日記 |
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●12月31日(月)
大晦日。今年は、わが人生、ほんまに波乱の年だった。
副議長は落選するというジンクスに飲み込まれて、不徳のいたすところ、38票差での次点落選。そして幸運にも奇跡の繰り上げ当選。病み上がり気分から、参議院選挙では消えた年金問題などで松井孝治議員と民主党の圧勝、与野党逆転の夏で、元気になった。
また夏には事務所を聖護院から吉田の生まれた育った中大路町に移転。リニュアルしてフリースペース「カルチャーガーデン吉田之森」をオープン。ほんやら洞の甲斐扶佐義の写真展がオープニング。この吉田の地からの再出発。
政治の世界では、安倍首相が突然の辞任で福田政権の誕生。また「大連立」騒動で民主党はどうなるかと心配したが、大山鳴動のみ。
秋には桝本京都市長が4選不出馬選挙を表明、候補者擁立で右往左往。門川大作教育長に白羽の矢。色々とあろうが、正月明けから市長選挙モード。全力を尽くすのみ。
大晦日は、散髪に行って、いつものように紅白歌合戦や格闘技を見て、年を越す。初心に戻って来年もスタートしよう。
1月13日が誕生日だが59歳。もうすぐ還暦や。ようここまで来たな。みなさん、心配をおかけし、お世話になりました。りがとうございました。
●12月30日(日)
朝、ちょっと寒くなった。午前中、「未来の京都をつくる会」の正副事務局長会議。事務長は自民党の田中せつ子議員、ぼくと公明党の谷口議員、連合京都の細田事務局長が副事務局長。事務所も決まり、外装をどうするか、選対体制をどうするか、事務所開きの日程など諸々のことの打ち合わせ。
午後は、民主党府連の会長の福山参議院議員と宇都宮幹事長とで民主党府連としての市長選対をどう動かしていくのか、相談。正月明け早々に選対会議を開催することに。
夜、事務所にてひとくち日記の打込など雑務をしていたら、聖護院消防分団から緊急の呼び出し。歳末警戒も無事に終わりほっと一息。聖護院学区では今年は無火災だった。よかった!ご苦労さんでした。吉川分団長はメガネ屋さんで同級生。これからもがんばってや。左京区は明日も火事がなかったら今年は20件で昨年よりマイナス1件。
●12月29日(土)
鬼のカクラン。二日酔いと歯痛の後遺症で完全ダウン。立ち上がれず。夕方まで爆睡。夕食の後、テレビを見てまた寝る。
●12月28日(金)
歯が痛くなって急遽歯医者に走る。神経を抜いてもらうのに、のた打ち回る。なんとか正月は越せそう。吉田先生、ありがとうございました。
午後は、カミさんと正月の飾りつけの買い物など。小学校時代の同級生や知人に会う。またクレジットカードの情報流出のことで相談ごと、年明けに弁護士を紹介することに。
また年末の挨拶に来ていただく方が数人。お世話になりました。
夜は、とある福祉施設の今後の運営のことで友人等と深夜まで懇談。色々と問題はあるが、なんとか解決の方向に向かって欲しい。ぼくも協力したい。それにしても障害児の親の願いは切ないね。
●12月27日(木)
午後、議員団室に立ち寄って、机の上の整理と市会事務局や組合など年末の挨拶に。また友人の見舞いなど。
また同志社の総合政策科学研究科の10周年記念誌に総政会のことを書く作業。なによりも北小松のびわこリトリートセンターでの記念事業が成功裡に終わったので、そのことを中心に書く。開講した1995年に社会人入学して修士論文を書いたのが98年。もう10年前のこと。充実した日々だった。修了生も700人を超えて、ネットワークも広がった。
夜は、消防分団まわりの3日目。北部の修学院、上高野、八瀬、大原、静原、鞍馬、市原野消防団を回る。時には小雪が舞い道路が凍てついている寒い冬もあったが、今年はほんとうに暖かい。今日現在、昨年に比べて左京区内での火災件数は、20件で昨年比マイナス1件。12月6日の火災で2人の高齢者が亡くなったのは残念だが、他は大きな被害もなくてよかった。
●12月26日(水)
忙中閑あり。過日フランス文学者の高橋武智さんから送られてきた「私たちは脱走アメリカ兵を越境させた―ベ平連・ジャテック、最後の密出国作戦の回想」(作品社刊)に目を通す。「40年の封印をといて当事者が初めて語る歴史の真実―普通の市民が国家を欺いた」と鶴見俊輔先生の言葉。
ぼくは1970年前後、20歳前後、ベトナム戦争に反対してベ平連運動に没頭して、反戦脱走米兵援助に携わるなど、ぼくは色々なことをしていたが、実はこの本にぼくのことが実名で出てくる。1970年12月、伊丹空港でひとりの脱走兵の出国を見送ったのだ。わが青春時代。もう記憶は定かではないが、いつの日か回想録を書きたいね。友人の関谷滋らが書いた「となりに脱走兵がいた時代」(思想の科学社刊)とともに日本におけるベトナム反戦運動の記録として機会があれば読んでください。
来客は、市長選挙のこと。左京でどうするかな。夜は、北岡府会議員とともに、歳末警戒にがんばる消防団まわりの二日目。この冬は暖かい。ホカロンを体に貼り付けるが、手が凍えることもない。葵、松ヶ崎、岩倉南、明徳、岩倉北、修学院第二、養徳を回る。養徳ではいつものように美味しいうどんをご馳走になって体が温まった。
●12月25日(火)
午前中、どういうわけかぼくのところに無作為で送られてきた、京大大学院の都市地域計画研究室の「都心の交通環境改善のためのアンケート調査票」の回答書き。自転車利用のことを中心に真面目に回答しました。結果をぜひ議会で政策提言として活用したいものだ。
午後高野イズミヤ前で、民主党2区総支部の街頭演説。前原事務所のスタッフと北岡ちはる府会議員、隠塚議員と久しぶりにマイクを持つ。市長選挙のことなど喋るが気合はイマイチやね。
市長選挙の母体である「未来の京都をつくる会」の事務所が決まったということで、下見に関係者と同行。場所は、烏丸御池を西に行った4階建ての小さなビル。少し狭いかな。ようやく門川陣営の陣地も決まった。改装してオープンするのは正月明けか。
夕方、わが事務所のカルチャーガーデン「吉田之森」では、京都精華大学の吹奏楽部のメンバーのクリスマス演奏会。カルテット?での楽しい演奏と写真展。若い学生諸君に混じって楽しかったよ。
夜は、梅景左京消防団長、下遠左京署長、波部左京区長について、北岡ちはる議員とともに年末恒例の消防分団まわり。さらに自民党の府会議員、国会議員も呉越同舟。養正、北白川、淨楽、錦林東山、岡崎、聖護院、川東、新洞を回って最後は地元の吉田。女性分団員さんたちが作ってくれたニュウ麺で温まる。消防団のみなさん、ほんまにご苦労さんです。
●12月24日(月)
昼前からわが事務所前では「野菜市」を開催。ご近所の菊池さんが、市原の畑で収穫した大根、かぶら、白菜、小芋などを並べて知人や通りすがりの人に売る。好評でした。またやりますよ。
昼過ぎには、経糸の会の松ヶ崎の鶴山宅にてもちつき。ぼくは以前50肩をやってから、杵をもてないので、もっぱら食べるだけ。おでんが美味かったよ。昨年夏に「ヒューマンふれあいコンサート」として加藤登紀子さんに来ていただいた。6月にまたやりますよ。その運営委員等の福祉の関係者等が集う。夜は、クリスマス・イブだというのに事務所でサボっていたひとくち日記の打ち込み。
●12月23日(日)
昼、大原へ。大原里づくり協会の年末恒例のもちつきと鹿肉と猪肉を食べる会。村おこしとして始まった「大原の朝市」は、近年観光客も多く来られるようになり賑わっている。その会場での親睦会には、大原の各種団体の人はもちろん、同志社の総合政策科学研究科のソーシャルイノベーション科の今里滋教授を中心として大原で農業を実践しているメンバーも来ていて和やかに懇談。わが総政は面白いよ。もちろん鹿肉と猪肉の焼肉は最高!
帰途、江文峠を車で越えて静原は「里の市」に。秋の静原のコスモスは見事。地元で取れた野菜や漬物はもちろんのこと、鯖寿司が美味い!いつもは手打ちうどんをご馳走になるが、焚き火を囲みながらなんと二八蕎麦を食す。美味かったよ!楽しみですね。
夜は、友人宅で北九州は小倉の家庭料理「じんだ煮」の試食。漬物を漬けるぬか味噌でいわしを炊きあげたもの。ちょっと辛くて焼酎のつまみにはもってこい。日本には色々と名物があるものだ。でも売れるかな?
●12月22日(土)
民主党京都府連、今年最後の常任幹事会と幹事総会。国会報告などの後、京都市長選挙のこの間の経緯についてぼくが報告し、若干の論議。そして門川大作前教育長から推薦依頼があったので、京都府連として正式に推薦を決定。本部に上申することに。また市長選挙対策本部を設置。市会議員と市内選出の府会議員と国会議員がメンバー。その他3月に府連の定期大会を開催し、会長選挙も行われることになり、その日程など協議。幹事総会の冒頭に候補者である門川大作予定候補が力強い挨拶。みんなで拍手。市長選挙に向けて、ひとやま越えた。
夕方は、京都地方自治総合研究所の研修会。松井孝治参議院議員が「行政組織の問題点と処方箋」と題して、公務員制度の改革や独立法人や公共サービスのあり方について熱弁。「中央政府」「地方政府」という概念以外に「新しい公」をどう形成するか、それがキーポイント。その後、左京の在日コリアンの忘年会。竹輪を笛にして演奏する余興は、実に面白かった。よう笛の音が出るものだな、と至極感心。
●12月21日(金)
梅小路公園にある京都市の財団法人の緑化協会に、北山通でフラワー・ストリートを展開している若い友人に同行。高野川から鴨川までの北山通の街路樹の根っこのところに沿道の商店や事業所などから支援を受けて小花を植えて、フラワーストリートを春から実践。夏の散水や植え替えも大変。京都市では街路樹の緑の里親制度も発足しているが、今後の展開についてアドバイスと協力をお願いする。
午後は、中学生の自習サイト「自習ネット・英語広場」というホームページを立ち上げたグループの代表者と京都府庁は教育庁の記者クラブに。この「自習ネット・英語広場」はインターネットを活用して、高校受験に臨む中学生の英語の勉強を手伝おうという試み。45都道府県の公立・私立高校の英語の過去に出題された問題をオープンにして、さらに英語のリスニングを音声を聞いて自習できるというインターネット時代ならでは大胆な試み。この間、相談に乗ってきたこともあって記者レクにつきあう。京都と朝日の記者が聞いてくれる。記事になるといいなあ。
夜は、吉田剣鉾保存会の忘年会。祭のときに剣鉾が復活して10年ほどになる。子ども剣鉾も始まり吉田のお祭も賑やかになった。来年は、京都大学にも協力をしていただけそう。面白くなりそう。
●12月20日(木)
午前中、民主党府連で市長選対事務局会議。市長選挙に向けて民主党としてどういう取り組みをするのかおおまかな打ち合わせを副事務局長の隠塚議員、山岸議員らと。その後自民、公明党の関係者と「未来の京都をつくる会」の機関紙の校正や今後の日程をつめる作業。動き始めるのはもう少し先かな。
議員団室には、雲ケ畑は鴨川の源流にある志明院の田中真澄住職が来所。デジタル放送開始のことで相談に。地上デジタル放送が始まると山間地域では、テレビが視聴できないところがでてくるのだ。共同アンテナを立てたり、自己負担も大きいところも出てくる。京都市では、情報化推進室が担当し、北部山間地域でデジタル電波が届かないところの調査も行われているが、助成制度など政府のほうも方針がはっきりしないようだ。わが家のテレビもどうなるんや!
●12月19日(水)
午前10時過ぎ、民主党京都府連に。門川大作予定候補が、立候補表明をしたことで府連に推薦依頼書を持参。宇都宮幹事長と一緒に受け取り、また「私たちが目指す京都市像」を手渡す儀式。当初は、マスコミに敢えて知らせなくてもいいだろうと思っていたが、ところがどっこい、たくさんの記者が来てくれる。「私たちが目指す京都市像」については、作業チームの隠塚議員が説明。ポイントは油小路線以外の京都高速道路計画の凍結。
午後は、市民から相談を受けていたことで、京都市住宅供給公社に出向き岩倉の宅地開発計画について説明を受ける。
夕方は久しぶりに同志社キャンパスに。総合政策科学研究科の「政策科学実践論」の講義を聴講に。講師は総政会の役員の村尾俊道さん。彼は京都府の職員で交通政策の要。「なぜ交通渋滞はなくならないのか」と題して、京都府におけるモビリティ・マネジメントの取り組みを熱く講義。彼は社会人入学して交通政策を学び、それを今まさに実践している。環境的に持続可能な交通体系を確立する為に、かしこいクルマの使い方を考えるプロジェクトを立ち上げ企業の協力を得て色々な取り組みをしている。がんばってよ!その後、総政会の役員らと忘年会。10周年記念事業も成功して大満足でした。
●12月18日(火)
朝、とあるところで経済界の人と市長選挙のことで懇談。民主党の考え方や選挙の準備状況について説明をして意見交換。また昼過ぎには、門川予定候補と今枝団長と一緒に京都府庁を訪ねて民主党京都府会議員団にご挨拶。市内選出の府会議員には、色々とご協力をお願いすることになるのだ。
午後は、京阪電車に乗って伏見は淀へ。この春の選挙で返り咲き民主・都みらい京都市会議員団の一員となった安井勉議員宅にて議員団が集まり、この定例市会の反省会。市長選挙に向けての諸々のことも協議。安井議員とは社会党時代の87年の選挙で同期で初当選。久しぶりにお宅にお邪魔したが、お孫さんが中学生になっていてびっくりした。
夜は、はたまた市長選挙のことで関係者と協議。
●12月17日(月)
定例市会も終わり、ほっと一息。資料の整理や郵便物に目を通して08年の新しい手帳に新年の催しなど書き込む作業など。波乱の一年ももうすぐ幕だな。
夕方は、わが先輩の京都造形大学客員教授仲尾宏さんの岩波新書「朝鮮通信使―江戸時代の誠信外交」の出版と学術文化部門の京都新聞大賞受賞をお祝いする会。ぼくも呼びかけ人の1人。仲尾さんは、同志社の大先輩で京都イングリッシュセンターでぼくがバイトをしているときからの付き合い。もう30年を越える。朝鮮通信使の研究はもとより、人権問題や多文化共生社会の提言者でもある。また今年の10月21日に円山音楽堂での反戦集会の呼びかけ人で、怒れる70代である。親しい友人等が集まって、仲尾さんの功績を称え今後のますますの活躍を祈念。リファダンススクールのペイさんの踊りが華をを添えた。久しぶりに二次会でも痛飲。
●12月16日(日)
朝から民主党の市長選挙対策委員会。この間の三派団長会議の報告や今後の推薦手続き、政策課題、「私たちが目指す京都市像」の取り扱い、確認団体「未来の京都をつくる会」のこと、また選対本部の構成について、また今後の日程など多岐にわたる議論。色々とあったけれど門川大作前教育長を正式に推薦をすることを了承。
昼過ぎ、「みやこめっせ」での「左京区民まつり」に。舞台での催しの見学もそこそこに模擬店でカレーとうどんを食べ、色々な人に挨拶して、左京検定コーナーに。昨年はただ1人一級を認定してもらったので、気合が入ったが今回は残念ながら75点で2級。人気コンビのチュートリアルは北稜高校出身だよ。
そして急いで、「光り輝く京都をつくる議員連盟」を改組「未来の京都をつくる議員連盟」の発足式に。自民・民主・公明の市会議員と市内選出の府会議員が集い、経過報告などの後、門川前教育長が決意表明。その後別会場で門川大作氏が立候補表明の記者会見。10項目にわたる「未来まちづくり基本政策」を発表。ぼく自身は色々な思いがあるが、ようやく市長選挙へのスタートが切られたのだ。
夕方は、わが事務所で、「十二提灯こども神輿保存会」の反省会である直会(なおらい)。今年は土曜日の午後の巡行になって3回目。好天に恵まれて、子どもたちの参加も多くローソク代のご寄付も昨年の倍近く集まって、ほっと一息です。
●12月15日(土)
朝、わが地元の近衛広場の清掃。今年は4回目かな。老人会の人など15人ほどがメンバー。落ち葉を集め、下草を刈ってゴミを集める作業。ボランティア袋におよそ30袋。これで正月も綺麗だろう。
午後、全関西在日外国人教育ネットワーク主催の「ちがうことこそ素晴らしい!子ども作文コンクール入賞発表会」に全朝教京都として主催者挨拶に。近畿の小中高の児童生徒から77人の応募があった。冒頭、「アンニョハシムニカ」、「ニンハオ」、「ブエノスディアス」、「サワディ」、「シンチャオ」、「ボワータージュ」と挨拶した。中国残留婦人の子女、在日コリアン、タイ、ベトナム、そしてペルーとブラジルの日系3世の子どもたちが16人。学校や家族、友達、将来の夢など作文を朗読。みんなしんどい目にあいながら、がんばっているんだ。多文化共生社会がぼくの夢。感動しました。
夕方は、あったかサポートの研修会と懇談会。また「こぺる」合評会後の忘年会に顔を出し、久しぶりに藤田敬一さんと再会。京都市役所の職員不祥事問題について藤田敬一さんの見解を聞きたかったが、ゆっくり喋れなくて残念でした。
●12月14日(金)
定例市会の会期末の本会議。各委員会の委員長から付託されていた議案の審議結果についての報告があり、時には、共産党が反対する議案があるので、起立表決もあるが粛々と可決されていく。18年度歳入歳出決算については、共産党は認定せず。与党会派は、醍醐自転車駐輪場の利用者拡大、市職員の保育料滞納者への厳正な取り組み、不祥事根絶の付す意見をつけて認定。各会派の代表が討論。
意見書については、「子どもたちの携帯電話利用」、「都市再生機構賃貸住宅居住者の居住安定」、「取調べ全過程の可視化の実現」「、障害者自立支援法の抜本的見直しの早期実現」の意見書については全会派賛成で可決。後期高齢者医療制度の改善、道路整備財源の確保、米国の北朝鮮に対するテロ支援国家指定解除についての意見書は、自・民・公賛成で可決。児童扶養手当に関する意見書については、わが天方浩之議員が初登壇で提案説明。共産党との共同提案ということで、共産党からも拍手。国会の情勢でこういうこともありうるのだ。共産の議員がひとり欠席だったので、同数にならず否決されたが、今後は議長裁定になることもありそうだ。
本会議の終了は12時を回っていた。これにて定例市会も閉会。桝本市長が、各会派へ挨拶に来られたが、3期12年で52回の本会議があったそうだ。ご苦労さんでした。拍手で労う。さあ、市長選挙だ。
午後市役所前広場に全国高校ラグビー大会に出場する伏見工業高校の選手たちが表敬訪問。市長や議長が激励の言葉。17回目の出場。優勝目指してがんばって!
夕方、民主党2区総支部の常任幹事会と幹事会。前原衆議院議員を総支部長として、民主党の飛躍を誓い、京都市長選挙の動向のことなどぼくは報告。解散・総選挙は、春以降かな。
●12月13日(木)
議員会3日目。意見書の調整が随時行われ、報告を受けて対応を決める。いつものことながら会期末の本会議前は禁足令だが、途中、ぼくは民主党府連に立ち寄り、市長選挙対策委員会のことで宇都宮幹事長と打ち合わせ。意見書の調整も終わったのは、午後6時前。思っていたより早かった。提案説明を天方議員にやってもらうことに。初登壇だ。また18年度決算を認定することになったが、小林理事が桝本市長の勇退を控えて討論に立つことになった。
ようやく午後6時過ぎ、付託されていた議案についの討論結了の各常任委員会と普通決算特別委員会と公営企業予算決算特別委員会が随時開催されて、終わった。市会運営委員会は午後10時に終わったようだ。
●12月12日(水)
議員会の2日目、昨夕、自民から4本、共産党から10本、公明から4本の意見書が提出されて、わが民主の2本を入れて合計20本の意見書案が提出された。これだけの意見書の調整はたいへんだよ。まずは、方向性を決めて、また民主党の政策を確認して、他会派との調整に入る担当の議員から随時報告を受けて、断続的に協議。さて最後にどうなるか押したり、引いたり。また18年度一般会計決算について、醍醐の駐輪場の稼働率のことを付す意見を付けて認定することに。
夜は、自治労京都府本部の副委員長で京都市学校給食労働組合委員長の丹波栄子さんが退職・退任されることでの感謝の集い。京都の学校給食は、もちろん自校方式で、せっけんで洗浄されているが、これは特筆すべきこと。大阪など近畿の給食組合労組の役員さんたちも来て、労をねぎらい、第二の人生のスタートを祝う。ぼくは民主党京都府連を代表して挨拶する。
●12月11日(火)
14日が会期末。午前10時から各会派議員会。まずは小林理事から政務調査費の見直し作業に進捗状況について報告。また意見書や決議をどうするか議論。議員団として、高齢者医療の負担軽減に関する意見書、都市再生機構賃貸住宅居住者の居住安定に関する意見書を提案することに。また各委員会に付託された補正予算や暴力団員の市営住宅入居を排除する条例など、各議案について審議状況や問題点が各委員から報告があり、賛成か反対か議案の取り扱いを決めていく。また普通決算特別委員会での議論や問題点などの報告も。14人の議員団になって議論も白熱。
●12月10日(月)
午前中、わが母校の鴨沂高校の副校長先生が、ぼくが同窓会長ということで来所。西尾理事長もご一緒に鴨沂高校の現況と今後の取り組みについて懇談。わが高校時代は、もう40年前だが、自由の学園ということで青春を謳歌した。当時は、一浪したら国公立私大に進学したのだが、近年は進学率が低下して、いささか評判もいまいち。教員の意識改革や学力向上の取り組みは、必要だろう。同窓会としては、クラブ活動に支援をすることなど懇談。来年10月26日に同窓会創立60周年の総会をします。卒業生のみなさん、よろしく。
夕方は、京都泡盛同好会の幹事会で、出町柳からマイクロバスで、大原は北山の奥座敷百井に。「とり幸」で泡盛の「どなん」を味わいながら、地鶏の刺身とすき焼き。いやはや至福のとき。山は零度。もう冬や。
●12月9日(日)
朝は、わが母校第四錦林小学校で、地元吉田学区の「もちつき大会」。自治連の各役員さんや自主防災や消防団など各種団体の人がもちつき。豚汁を振舞っていただく。
昼、吉田山荘へ。世界連邦運動協会京都支部の冬の例会。講演者は、一燈園創始者・西田天香師に師事され、アジアの難民救済、スラム支援、在韓被爆者などの支援活動を精力的に展開されている石川洋師。宇宙の話からご令室の闘病の話など、メモを取る人も多い。人間の根本に関わる含蓄のあるお話。
午後は、上京区で前原誠司衆議院議員の鉄道写真の展覧会。前原議員が代表のときに鉄道ファン「鉄ちゃん」であることが話題になったが、小学校時代からの鉄道ファンで、亡くなった親父さんに連れられて写真を撮り始めたという。山口線や北海道での蒸気機関車の写真が展示。文章もいいね。実にええ雰囲気や。
その後、民主党京都府連で宇都宮幹事長とともに桝本市長の表敬訪問を受ける。自民党にも行かれたようで、3期12年の御礼と市長選挙は2極でやってほしい、門川さんをよろしくと改めてご挨拶に。
夕方は、明日が大正十五年生まれのおふくろの誕生日ということで。久しぶりに我が家ですき焼きをつつく。おやじも元気でなにより。
●12月8日(土)
午前10時過ぎ、厚生委員会委員として「みやこめっせ」での京都市障害者福祉大会に。障害による困難を克服して自立した人や相談員の方、こどもみやこユニバーサルデザイン賞の受賞者の表彰が行われる。展示会場で「ふくふくフェスタ・障害者福祉総合展」が開催。
各授産施設の製品が販売されたり、飲食コーナー、福祉機器の展示、ボランティアの方が大活躍。知り合いの作業所のところに声をかける。
午後、4年前に議員インターンとしてぼくのところに来ていた同志社の女子学生とこの春の某陣営の選挙を手伝った学生3人が来所。四方山話。もう卒業も就職も決まったという。。
夕方は、中央市場第一市場の80周年の記念式典。農水大臣も来られて、宮川町のきれいどころも華やかで、マグロの解体もありの、日本で最初にできた中央市場の開設80周年を祝う。ぼくが中央市場は、塩干の「山本水産・ヤマヤス」で働いていたのは、30代半ば。ほぼ4年間、毎朝4時におきてデッチ車を引いてモートラに乗って場内をうろうろしていた。あれから25年経つ。
その後、市長選挙のことで、またまた濃密な時間。
そしてキエフでは「ほろ酔いコンサート」の打ち上げに合流して加藤登紀子さんに会ってご挨拶。
●12月7日(金)
厚生委員会、環境局から服喪休暇で新たに処分をした報告。これで服喪休暇問題も一段落か。委員会に付託されていた議案では、山科区にあるエコランド音羽の杜に建設する焼却炉溶融施設の請負工事の議案。請願審議は大丸駐車場のこと。保健福祉局からは、右京の福祉事務所や保健所の移設、児童館や地域包括支援センターの指定管理者の選定のことなど、請願も議論された。児童館の運営に某大手の出版社のプロダクションが公募に応じていてびっくり。質疑をする。夕方は、民主党の府連で打ち合わせ。
●12月6日(木)
補正予算を審議する普通予算特別委員会と公営企業予算特別委員会が開催。ぼくが所属する公営企業予算特別委員会では、市立病院が、放射線治療機器「リニアック」の購入のための補正予算、国庫補助金が二分の一の1億6千万円でる。総額3億円の機器を購入。病院長が、リニアックのがん治療の効果について丁寧に説明をされる。医学の進歩はすごいのだな。
午後、自転車で鴨川を北上していると左京のほうに消防車が走っていく。見上げると煙が上がっている。「お!火事や!」と煙を目指して走る。なんと左京消防署前の食堂で火災。ほとんど鎮火していたが、家におられた老夫婦の消息がつかめないということでざわついたが、結局焼死されていた。消防署の前ということで、早い消火活動はできなかったのか、残念。もう長いこと食堂の営業をされていなかったが、若いときにぼくも何回か食べに行ったことがある。心よりご冥福をお祈りいたします。
●12月5日(水)
市会は、もうすぐ終盤。普通予算決算特別委員会は、総括質疑。ぼくは委員会に所属していないので発言できなくて残念。桝本市長3期12年目の最後の委員会での答弁ということで、議員団室でモニターテレビを見ながら雑務。自民、共産、民主、公明の順番で、桝本市政3期12年を総括。わが民主・都みらいのトップバッターの小林理事が例によって京都創生策や文化振興の視点で市長とやり取り。桝本市長、ご苦労さんでした。その後、各会派の委員から様々な分野で質疑が行われた。
午後は、市長選挙関係のことで、民主党の関係団体に経過報告と要請に。
●12月4日(火)
「カルチャーガーデン吉田之森」では、中大路町にお住まいの酒谷茂さんの花の写真展「花めぐり」が始まる。息子さんが同級生。12月25日まで開催中。ぜひお越しください。
昼過ぎ京都駅八条口の水道局へ。大津市議の安楽氏と待ち合わせて、琵琶湖疏水に船を通行させるという夢のある話で、水道局の担当者と懇談。琵琶湖疏水ができてもうすぐ120年、当時の琵琶湖の水位と違い、トンネルを船を通すには、いろいろと困難な壁がある。
午後は市長選挙のことで関係者と懇談。また福祉施設のことで相談ごとなど。
●12月3日(月)
朝8時過ぎから議員会が開かれる。朝は苦手だが、自転車で家から市役所までおよそ10分、鴨川の堤を走る。ゆりかもめが舞い始める季節。もう12月や。議員会では、各委員会の審議状況が各委員から報告される。またこの間の市長選挙の動きについて今枝団長から報告。ぼくも補足説明。普通決算特別委員会は書類調査が行われていたが、ぼくは所属していないので、議員団室で雑務や来客の応対。
午後は、とある組合の関係者と市長選挙のことで懇談。色々とご意見をいただく。
●12月2日(日)
恒例の鈴木マサホ「研修バス旅行会」。第17回目かな?朝8時過ぎに東一条を出発。明星観光バスで、一路明石大橋を渡って淡路島へ。車中、マイクを持って、この春の選挙のことや市政報告、さらに市長選挙の考え方など報告。淡路島では観覧車に乗って、小春日和の瀬戸内海を一望して、洲本のホテルで昼食。
そしてメインの北淡町震災記念館に。10年前にいちど行っているが、改めて阪神大震災の惨状を思い、野島断層の隆起した現場を見て地震の恐ろしさを知る。震度7の揺れも体感。わが左京区は、わが家の近くに花折断層があり、活動したらどうなるのか?不安だな。帰途、たこフェリーに乗船。潮の匂いと明石大橋のイルミネーションとまちの明かりの夜景に喜ぶ。少し渋滞もあったが、午後8時前、無事に帰京。お疲れさんでした。
●12月1日(土)
午前10時から民主党京都府連の市長選挙対策委員会がとあるホテルで開催。新聞記者が待ち受けている。記者も大変だね。この間の経過報告、また今後の方針などを協議。色々と課題は山積していて、調整がたいへんだよ。延々、2時間半ほどの会議。終了後、福山議員が「ぶらさがり」記者会見。この先はどうなるかな?
午後は、わが母校の地元の第四錦林小学校での家庭教育学級「人権学習」に。「子どもの行動の理解と支援のために」と題して神戸市教育委員会の中尾繁樹先生が実体験を交えて、熱い思いで子どもたちの現状を語られる。地域の人たちも大勢参加されていた。その後、明日の研修旅行会のおやつの買出しなど。夜は、市長選挙のことで濃密な時間。
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