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       鈴木マサホひとくち日記 
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2009年2月

                 



●2月28日(土)

 昼前、浄土寺は、さぼっていた吉田デンタルクリニックで2代目にゴリゴリしてもらう。昼からは某作業所の今後の運営について関係者と協議。
 それから民主党京都府連常任幹事会に。解散・総選挙の先は読めない。イラつくね。定額給付金を巡っては、民主党として政策的に反対であり、国会議員は受け取らない方針が示されたが、国会で決まったら、各自治体で対応が異なれば住民に不公平をもたらすので補正予算などに反対することはない、として給付を受け取るか否かの対応については各自治体議員の判断。そして西脇議員の急逝による下京区の補欠選挙を巡っては、選挙対策委員会では、まだ協議中とのこと。歯切れが悪い。ぼくは自主投票でいいと思っているよ。
 夜は、前原誠司議員の国政報告会が浄土寺の南田集会所であったので参加。この間の予算委員会での質疑を中心に、景気の動向、公務員の天下り、エネルギー問題、また小沢代表の米軍の第7艦隊の発言のことなど熱弁。狭い会場は超満員だった。ぼくは3分ほどで簡単に市政報告。鴨沂高校時代ラグビー部で活躍していた同級生、油君が参加していたので、久しぶりに一献。


●2月27日(金)

 午前中、わが母校の鴨沂高校卒業式に。今年の卒業生は5クラス、180人の卒業生。「君が代」が流れたが唄う教員も生徒も少ないのはさすが鴨沂だ。卒業生の諸君は実に個性豊に着飾ってカラフル。「オカン、オトウありがとう」と壇上で述べるのが可愛いがな。ドミノ大会や演劇コンクール、「仰げば尊し」のパレードや沖縄への研修旅行など3年間を振り返ってのパワーポイントを使っての答辞もよかったよ。ぼくは、同窓会会長並びに社団法人鴨沂会の理事として来賓で、オバマ大統領のキャッティフレーズ、「YES、WE CAN!」を借りて祝辞を述べる。
 午後は、普通予算特別委員会の第二分科会に出席。都市計画局との審議は、ぼくは15番目のラストバッター、コミュニティセンター廃止に伴う、旧同和地区の駐車場の運営・管理、駐車料金の徴収業務のことや改良住宅の管理の現状などとともに、昨年4月に発令された交通政策監に対して「歩くまち京都」の実現に向けて交通政策監の役割などを聞き、今出川通LRT推進の提言、新景観政策、屋外広告行政などについて手短に要望してあっさり終えた。
 夕方は、京都高野川ライオンズクラブ杯左京小学校バレーボール大会の実行委員会に。今年で12回目、3月7日8日、こども体育館で左京の小学校のクラブやスポーツ少年団のチーム、43チーム、400人近い児童が参加、熱戦を繰り広げることに。応援よろしく。
 そして夜10時前、二条駅の映画館に「チェ 39歳の別れの手紙」の最終上映を見に行く。キューバ革命に成功した後、カストロに別れの手紙を残して、ゲバラは、ボリビアへ革命闘争のために赴く。昨年5月に娘のアレイダさんを京都に招いて講演会をしたが、彼女との別れもワンシーンに再現されていたのが印象的だった。映画はボリビアに入国して山中を喘息に苦しみながらもゲリラ活動を続け、1967年10月に政府軍の攻撃を受けて処刑されるまでのほぼ1年を描いている。39歳だった。ぼくがキューバにサトウキビ刈りに行ったのは1970年のこと。21歳のとき。あれから40年だな。


●2月26日(木)

 本会議の二日目。安孫子和子議員ががわが議員団の先頭バッターで登壇、議長席には小林副議長、安孫子さんは、予算の概要と市民への説明について、ご自分の闘病生活にも触れながら、女性のがんの予防検診対策や児童虐待対策、林業振興、「木の文化を大切にするまち京都」、京北地域のこと、栗尾トンネルことについて質疑、わが議員団のホープ、中野洋一君は、融合政策としての雨に強いまちづくり、歩いて楽しい東大路歩行空間創出事業、京都市民環境ファンド、今年で一旦休止されるシティ・ハーフマラソンのこと。ベテランの宮本徹議員は、例によって哲学的?な難解な演説を延々。ようわからん。質問項目は、右京区のまちづくり、障害者自立支援法、あんしん生活緊急サポート事業、観光、環境モデル都市など。公明は柴田、湯浅議員が登壇。柴田議員は、定額給付金のことをいささか芝居がかって演説。役者やね。
 その後、20年度雇用対策事業特別会計予算などについて普通、公営企業予算特別委員会委員長から委員会審議について報告があり、粛々と原案可決。また追加提案として定額給付金給付事業特別会計予算について星川副市長から提案説明。委員会に付託されて審議されることに。散会宣告のあと本会議場で普通予算特別委員会の審査日程など決定。


●2月25日(水)

 KBS京都放送でテレビ中継のある本会議の初日、自民の高橋議員は、西脇尚三議員を偲びながらの代表質問。西脇議員は、この市会で質問に立つつもりをされていたようだ。あらためて心よりご冥福を。以下、自民の小林議員、そして昼休みを挟んで大西議員が質問、大西議員は思い入れがあるのだろう、延々と日本熊森協会のことを朗読の会?のように演説。その後、共産の山中、玉本、岩橋議員が質疑。09年度の予算案に関連して京都未来まちづくりプラン、環境モデル都市、同和行政、水族館、高速道路、保育行政、障害者福祉、子育て支援、国民健康保険、地下鉄事業などそれぞれの視点で質疑。着物姿の門川市長をはじめ副市長や局長が答弁。議場が騒然となるような野次合戦もなくほぼ順調に終わって延会。腰が痛くなった。終了後、安孫子和子議員が質問原稿の読み上げ練習をするのをチェック、アドバイスをする。ちょっと時間が足らないかな。夜、事務所にて同和行政の冊子の校正。


●2月24日(火)

 10時前わが母校の第四錦林小学校の「ふれあい作品展」に。児童たちの絵や模型で作った町並みなどとともに吉田学区民の貼り絵などの作品も展示。
午前11時から討論結了の普通予算特別委員会および公営企業予算特別委員会が開会、20年度一般会計補正予算などの賛否について各会派態度を表明。それぞれ賛成、可決されることに。
 議員会では、追加議案として提出された定額給付金事業についての説明。京都市で事業の実践に要する経費は、9億8千万円、給付の対象者は、特別永住者などの外国人も含めて67万所帯、143万人。給付金は1万2千円、ただし2月1日現在65歳以上18歳以下の人は2万円が支給されることになる。政策としては、愚の骨頂だと京都市会としては、11月市会で共産と民主の多数で見直しを求める意見書を可決したが、国会では最終盤で小泉元首相の退席などもうひと波乱ありそうだが、さて京都市会としてわが議員団はどうするか、結論はこれからだ。また旧隣保館、コミュニティセンターの運営を民間へ委託する為の入札契約についての質疑も。市会で条例について結論が出るのは3月19日、地元住民への説明など4月1日から実施できるのだろうか、ちょっと拙速な感じやね。
 また午後4時過ぎから自治労京都市交響楽団音楽家労組のメンバーと懇談会。全国で唯一の自治体直営の交響楽団としてがんばっている京響だが、京都市音楽芸術文化振興財団へ移管が提案されている。説明が遅かったのもあるが、財団への移行を巡って、身分保障の問題など楽団員さんは不安に思っておられる。運営についてはメリット、デメリットがあるようだが、京都市民の誇りである京響をどう発展させるか、議論が必要だ。


●2月23日(月)

 議員会。普通予算特別委員会が開催され議論されてきた20年度予算補正予算について、第一、第二分科会所属の委員から分科会での委員会議論の報告。地域活性化や緊急雇用対策の国からの交付金でなされるので賛成する方向に。
 午後、本会議場で議員研修会。「美と知を楽しむ都」というタイトルで、元京大総長、現京都市産業技術研究所西島安則所長が講演。西島先生は大正15年生まれだから、83歳か。お元気で何より。ルソーの言葉を語りながら、梅屋小学校のときに遭遇された室戸台風のことやフランスはラスコーの洞窟壁画のことなどに触れながらご自分の人生を回顧。また京都の大学のこと文化のことなど語られる。
 その後、ハンセン病療養所の将来構想をすすめる会・関西実行委員会の代表の森さんと訓覇さんらが来所。ハンセン病問題の解決へ向けた要望を持参して、保健福祉局、人権文化、教育委員会の担当者と懇談。「無らい県運動」なるもので患者の強制隔離が進められてきたが、従来の「らい予防法」が廃止され、「ハンセン病問題基本法」がこの4月から施行されることになる。地方公共団体の役割について責務があるということで、啓発や検証作業や研修会の開催などについて要望書を提出。退所者の森さんから色々とお話も伺う。


●2月22日(日)

 午後、民主党京都府連結成10周年記念大会。冒頭に記念表彰式が行われ功労者として坂田録郎さん、宇都宮壮一さん、梅林等さんが、特別感謝状が片山、木戸、羽室氏の歴代の連合京都会長に渡された。前原誠司議員が民主党副代表として結成当時のことなどをスピーチ。当時の社民党、民社党、そして「さきがけ」が連合京都の協力のもとで京都の民主党が結成されたのだ。それから10年、今や前原、山井、福山、松井、泉、北神の6人の国会議員、また府会に16人、京都市会に14人、府内市町村議会に40人余の自治体議員を擁するまでになった。
 多くの代議員やサポーターの参加があり大会プログラムによって、知事、市長、連合京都の木村会長の挨拶の後、活動や決算報告、また活動方針、予算案などが提案され承認される。ぼくは自治体議員ネットワーク事務局長としてそれぞれマイクを持ち手短に報告。最後に衆議院選挙の必勝決議が読み上げられ、松井孝司議員の音頭でガンバローを三唱!高揚した気分の中で大会は円滑に終わった。自民党麻生政権の末期的症状の中で、いよいよ政権交代に向けての闘いが始まるのだ!社会党から始まったわが政治活動も民主党で開花するか!がんばろう!


●2月21日(土)

 午前中、第18回自治労清掃支部定期大会に。京都市役所の職員労働組合が共産党系の組合から別れて自治労の旗を立てたのが20年近く前。自治労清掃支部は結成が早かった。当時、わが友人が書記長に就任、組織固めに張り切っていた記憶がある。2年前の不祥事問題の続発で、「信頼回復と再生のための抜本改革大綱」が策定され、まち美化事務所の業務の見直しや廃プラスティックの分別収集の開始など大きく職場環境も変化した。市民に信頼される努力と環境共生都市に実現に向けて組合としてもがんばっている。若い執行部のみなさん、がんばりや!
 昼前、特定非営利活動法人ユニバーサル・ケアが運営する「市民後見センターきょうと」の代表、内藤健三郎さんと懇談。認知症の高齢者の権利擁護を目指して成年後見人制度が始まったのは平成12年。制度はできたものの利用は簡単ではないようだ。そこで、文字どおり「市民による、市民のための」成年後見利用相談所としてセンターを立ち上げられた。地方公共団体が支援できることなどを中心に色々と実践されていることをお聞きする。ぼくなりに勉強をして行政の関係者といづれ協議したい。
 夕方は、京都府広告美術協同組合の会合に。新景観政策の施行により、屋上の広告物禁止やネオンサインなど屋外広告物の規制が厳しくなり、一方で京都らしい広告が模索され始めている。業界としてアンケートを取ったり、学生のグループらと調査をしたり色々とされているが、現状などご意見をお聞きする。京都に相応しい広告とは何か、一緒に考えて行きたい。


●2月20日(金)

 20年度補正予算審議のための普通・公営企業予算特別委員会が開催される。ぼくは普通予算特別委員会の第二分科会に所属。都市計画局、建設局、消防局、教育委員会、保健福祉局の順番で予算の説明と審議。
 ぼくは、京都駅南口の立体横断施設整備の予算1千万円が減額になったのでその原因と広場整備計画の進捗状況と今後の展望について、また地域活性化・生活対策臨時交付金事業として行われる公営住宅空家整備事業の詳細について、さらに第二次世界大戦終戦近くに京都府庁が東山区は知積院の地下に移転する計画があり、その特殊地下壕の安全対策の工事費のことについて質疑。戦時中の遺物の処理もあるのだな。今回の補正予算は、経済危機に対して雇用や地域化のためだが、ほんまに効果があるのかな?疑問だ! 
 夕方、まちづくりアドバイザーについて相談ごと一件。またその後、事務所にこもって同和行政の議事録の冊子の校正刷りが上がってきたので校正作業。


●2月19日(木)

 2月市会定例会の本会議。恒例により本会議場で京都市交響楽団の4人の方による演奏。京都市歌に続いてモーツアルトの弦楽四重奏曲第二番ニ長調K.155より第一楽章アレグロの演奏。議員一同、静粛にしてみんな聴き入っていました。
 本会議では、冒頭に先日急逝された西脇尚一議員のご冥福を祈って黙祷のあと、同じ下京区選出のわが議員団長の今枝徳蔵議員が追悼演説。色々なエピソードを交え涙ながらの演説だった。西脇議員とは、喫煙室で青年団活動をしていた若かりし頃の話をよく伺ったし、今年の出初式で下京消防団の先頭を歩いておられたのが最後だったかな。心よりご冥福を。
 そして黒の紋付羽織袴姿の門川市長が登壇して21年度京都市予算について提案説明。「共汗」と行政の縦割りを排した政策・施策の「融合」で、地域力、文化力など「京都力」で新しい地域主権時代のモデルをつくりたい、「行動する楽観主義者は困難ときに好機を見つける」、と決意を述べ、各行政分野での主なる事業の説明。京都市の21年度当初予算は、一般会計6939億円、国民健康保健など特別会計6500億円、交通、上下水道事業など公営企業会計など総合計1兆6500億円。
その後、星川副市長から20年度の補正予算や各条例などの議案について淡々と説明があり延会。本会議場で普通予算特別委員会の委員の選出なども行われた。
 午後、「京都・今出川通りにLRTの実現を推進する会」(新今電会)が研究報告書をまとめ、門川大作市長に提出。会長は国枝元市会議員。ぼくは相談役として同席。推進する会の西陣織物工業組合や下鴨神社、吉田神社の宮司さん、また立命、同志社、京大の関係者や推進する会のメンバーが同席。京大の研究者らによる提言は、銀閣寺道から京福電車等寺院駅まで6・3キロ。建設コストは約150億円。写真入の立派な提言書が完成した。ぜひお読みください。市長は、検討したいと答えつつも、「市が借金を抱えることは難しい。民間や国の支援、市民のコンセンサスなどの課題がある」と指摘。実現への道程は容易ではないが、夢があっていいよ。
 夕方、隠塚議員の事務所で、保育園関係者と懇談会。プール制の堅持についての請願を提出したいが、請願紹介議員になって欲しいということ。保育園連盟の不透明な助成金の支出が発覚して、この問題の究明もあるし紛糾するだろうな。
 夜、服を着替えに自宅に寄った際、車が駐車違反でステッカーを貼られていた。まいった!川端署へ行って若い婦警さんから聴取。不徳のいたすところ。罰金も痛いしゴールド免許証もこれにてお仕舞い。


●2月18日(水)

 午前中、某新聞社の記者が来所。市長選挙からちょうど1年。この1年の門川市政の評価やこの予算市会の諸課題について懇談。市長は1日も休むことなく走りまわってきて、未来まちづくりプランも策定されたが、使用料の改定など市民生活にとって厳しい予算編成になっているし、コミセン問題など多少拙速なところもある。なにはともあれ健康に留意してこれからもがんばって欲しいが、課題は多いね、ということかな。そやけど1年は早いね。
 午後は、議員団室に。代表質問に立つ安孫子和子副団長の原稿を読んでアドバイスをしたり、気鋭の劇団「笑いの内閣」の代表者が尋ねてきて青少年活動センターの使用料の改定問題について説明・議論。今まで無料で芝居の稽古に使っていたところが、新年度から使用料を払うことになるので、利用者への説明などどうなっているのか、ということ。この市会では20数項目の使用料・利用料の改定問題があり関係者の声をどう聞くか。
 夕方、四条河原町で連合京都が非正規雇用問題の街頭アピール。ちょっと寒かったけれど、1区から民主党の公認候補として出馬予定の平智之君らが演説。その後、連合京都洛東地域協議会のメンバーとの懇談会。あるバス会社労組の役員は、この景気の落ち込みでいかに貸し切りバスの需要が減って車庫に止まったままになっているのか、またある化学メーカー会社の役員は、車の生産が落ち込んだことで下請けの影響としてラインが止まっていることなど深刻な状況や雇用の確保について真剣な訴え。


●2月17日(火)

 10時から議員会。市会事務局からは新年度の市会事務局の予算について説明。京都市会紹介のDVDの作成が新規企画。果たしてどんなものができるかな?理事から諸般の懸案事項についての報告があり、市会として緊縮財政のときに報酬カットや議員定数の削減問題などこれから議論をしようということになった。またこの市会本会議で代表質疑に立つ安孫子、中野、宮本議員からその質問要旨の説明。色々とアドバイスをするが、某ベテラン議員はいつものことながら原稿の仕上がりが遅い。大丈夫かいな。
 午後、西京極の自閉症の人たちが通う作業所へ。ちょうど休憩時間。鈴木さん、よう来てくれましたと歓迎を受ける。政令指定都市の名前を全部言える青年がいて感服。しばらくして黙々と作業を再開。がんばりや!
 夕方は、部落解放同盟田中支部のメンバーと懇談会。京都市政のこと、点検委員会のこと、コミュニティセンターの廃止・見直し問題、まちづくりのこと、これからの解放運動のことなど色々と懇談。意見交換を今後も重ねたい。


●2月16日(月)

 議員会。消防、都市計画、産業観光、上下水道、教育委員会の順番で新年度予算や議案についての説明と質疑。消防局では、防災危機管理対策の強化や消防団の充実、また左京区は大原地域の救急救命体制の充実ということで大原消防出張所の移転整備に予算がついた。都市計画局は、「歩くまち・京都」の推進が目玉か。東大路の歩行者空間創出事業が試みられるし四条通の歩道拡幅なども計画。産業観光局は、和装産業活性化戦略プランの推進や地球温暖化防止対策として森の力活性・利用対策などされるし、緊急雇用創出事業として伝統産業の展示品の作成や猿害防止対策も予定されている。
 上下水道局は、悪夢の職員不祥事問題が発覚してちょうど1年。職場風土の改善に向けて色々と取り組みが進んできた。西村管理者からこの間の総括などについても質疑。大原の簡易水道の市への移管や花脊・広河原での地域水道敷設、また大原、静原、鞍馬の北部地域特定環境保全公共下水道特別会計の説明も。教育委員会は、放課後まなび教室の全小学校区での実施や東山区の小中一貫校整備など。夜テレビのニュースでは、ローマの財務相会議で中川大臣が酩酊状態の記者会見の様子。また麻生内閣チョンボや!


●2月15日(日)

 午前中、市役所前広場で東京から上洛した日本サイクリング協会のメンバーと顔合わせ。デンマーク大使館がCOP15サイクリングツアーを5月31日に京都議定書発効の地京都で企画。詳細はいづれ発表されるが、京都市も協力して、なにやら大がかりな楽しいイベントになりそう。乞うご期待!その足で、「みやこめっせ」での「DO YOU KYOTO?」の合言葉に,脱温暖化に向けた取組を実践している団体を一同に集め,取組内容の発表や情報交換等を行う「京都議定書発効記念活動交流会イベントー京野菜を食べよう(地産地消)~」に。大島仁(京都市地球環境政策監)とスローライフについてベニシアさんとの対談。京野菜を使った大根のポトフなどが無料で食べれるということで長蛇の列。京野菜の販売や環境問題に取組む市民団体や企業等のブースもあって賑わっていた。
 午後はコンサートホールへ。わが娘が京都教育大学市民合唱団にお世話になっていて、京都市交響楽団と一緒の演奏会。なんとバッハのロ短調ミサ曲という長い曲。指揮は山下一史さん。練習に通っていたのは知ってはいたし、合唱団のみなさんの邪魔になってはいないかと心配していたが、驚きました。舞台に立っているだけでもたいへんなのにようがんばった。ぼくはちょっとだけ居眠りをした時間もあったが、最後まで聴いた。ちょっと熱くなったね。みなさんありがとう!


●2月14日(土)

 午前中、西陣山岳会のメンバーが来所。日中武道研究会として太極拳を試みているが、その練習会場のことで相談に。色々と会場探しがたいへんみたいで、ちょうど話題になっている同和地区にあるコミュニティセンターの屋内体育施設の今後の運営や利用について懇談。4月以降、地域体育館としてどういう運営方針になるのか、ちょっと不透明だが大いに利用してください。
 午後は、国際会館で「人づくりフォーラム」。今年のお目当ては、ノーベル賞物理学賞を受賞されて今や時の人の益川敏英さんの「京都市名誉市民表彰式」。小柄な人で文化勲章を受賞されたときの文化人についてウイットあふれるスピーチ。なにか可愛い感じの人だった。フォーラムのメインは尾池元京大総長の司会で作家の重松清さんやジェフ・バークランドさんの「子どもたちの育ちを支える家庭・地域・社会のあり方」。途中まで聞いて退席。鴨沂高校同窓会のことで打ち合わせ。夜は、事務所で、同和問題についての冊子を出すべく前書きなどの文章書き。タイトルは「同和行政―行政責任と行政依存―自縛からの脱却を!」としよう。


●2月13日(金)

 議員会二日目。文化市民局からは、各種文化事業や地域振興対策として各区の事業の説明。左京区は誕生80周年として外国語左京観光マップの作成など予算計上されている。また全国で唯一自治体直営の京都市交響楽団が財団に移行されるということで質疑。青少年活動センターや運動公園、地域体育館などの使用料の改定も予定されているので、議論しないと。
 保健福祉局は、冒頭に謝罪。京都福祉サービス協会の資産運用について、外債が焦げ付き1億円の損失。その経過と今後の対策の説明。また読売新聞朝刊にスクープされた京都市保育園連盟の常務理事が助成金を不正流用していたことについて、謝罪と釈明。亡くなった椋田知雄議員が理事長だった。プール制削減問題が浮上しているときに爆弾が破裂したな。その後、予算案の説明では、国民健康保険料のアップもあり、これはたいへんですよ。
 交通局は、地下鉄の財政健全化と乗客増対策など、また市バスは乗客増を見込み黒字予算。建設局は、放置自転車対策や御池通の再整備など。またこの4月からは環境政策局に名称変更される環境局からは、ごみ減量対策や環境保全対策など。有料指定袋制の実施による財源の活用については、色々と異論が出された。
 そしてもういちど文化市民局を呼び込んで旧隣保館、コミュニティセンターの廃止問題について喧々諤々の議論。屋内体育施設が地域体育館として活用されることになるが、管理をどうするのか、不透明のところもある。いづれにせよコミセン問題はこの市会の大きな課題。6時を過ぎていた。


●2月12日(木)

 2月定例市会が告示。昼から議員会を開催し、予算や上程された議案についての勉強会。理財局からは、補正予算と当初予算の概要の説明。一般会計の総額は6940億円。雇用対策事業特別会計が設けられて緊急雇用創出事業にも取り組まれることになる。一方、使用料・手数料などの改定、補助金の削減などもあり、色々と議論を呼びそう。総合企画局からは、市民共汗サポーター制度の創設や留学生受け入れ拡大のため予算や地球温暖化対策の各種事業についての説明。総務局は職員の給与費のことやボストンとの姉妹都市50周年事業など。会計室や監査事務局、選挙管理委員会からも簡単に説明があった。それそれ説明の後、各委員から質疑。
 夕方、自民党の長老、下京区選出で10期の西脇尚一議員の通夜に。下京の消防団長をされていたのでこの1月の出初式には元気よく先頭を歩かれていた。ヘビースモーカーだったので喫煙室でよく若いときのことを聞いた。ところが最近、禁煙されたので喫煙室にも来られなかったが、調子が悪かったのだろう。2月の予算の内示のときは来られていたらしい。急逝だった。消防団のみなさんや奥さんが女性会の会長をされていたこともありたくさんの参列者。心よりご冥福をお祈りいたします。昨年夏には椋田知雄議員も亡くなった。3月末には補欠選挙が行われることになった。さて民主党はどうするのか。


●2月11日(水)

 久しぶりの休日。昼前、天気も良かったので、ぶらり1人で今年2度目の大文字山へ。わが家から吉田山を越えて法然院へ。枯れた松などを伐採し森林整備に努めている「文化の森」から尾根を喘ぎ喘ぎ登って大文字の火床へ。2月にしては暖かく気持ちよく京都の街が見下ろせる。コンビニで買ったおにぎりを食べて、いざ三角点へ。途中、まったく偶然にも地元の吉田のハイキングクラブの大江さんに出くわす。ほんまにびっくりしたよ。またご一緒させてよ!火床から30分ほどで山頂の三角点。標高466メートル。景色はまた格別。鴨沂高校山岳部の時代、確か北山50山として三角点を踏みに行くことを部員の目標にしていた。またやるかな。山頂でちょっと一服、煙草が美味い!京都一周トレイルの標識を目印に鹿ヶ谷へ谷伝いに降りるコース。途中、俊寛の碑なるものが出現。そして楼門の滝も風情のある滝でした。哲学の道から真如堂、そして宗忠神社を通って事務所に。およそ3時間ちょっとのゆっくりしたハイキングでリフレッシュ。ちょっと足が痛いね。
 夜は、京都では知る人ぞ知る村井信夫さんの社会福祉功労者厚生労働大臣表彰受賞と古希を祝う会。醍醐寺の住職や社会福祉協議会長や松井元副市長、部落解放同盟京都府連委員長等が呼びかけ人。ぼくは村井さんが部落解放同盟京都市協議会議長の時の出会い。市長や国会、市会議員らたくさんの出席者、麻生太郎氏の祝電が披露されて驚いた。結婚50年ということで、奥さんへの感謝が印象的。村井さんらが始めた醍醐コミュニティバスも5年目になって乗客は200万人とのこと。機会があれば同和問題についていつか「本音」を語りたい。


●2月10日(火)

 午前9時半に、隠塚議員と一緒に養正コミュニティセンターへ。所長から相談業務の現状や駐車場問題、また地域交流事業「学びとふれあい事業」のことなど説明を聞き、また福祉センターを見学。それから岡崎の錦林コミュニティセンターにも行って、所長と意見交換。昨年「夏まつり」が実施されなかったことは残念なことであった。かっては地域住民だけしか使えなかった屋内体育施設も地域外のママさんバレーの練習などにも利用され、会議室も大正琴やダンス練習に利用されている。また4月からコミュニティセンターが変わるという告知のビラの反応などについては、それほどないらしい。ただ、4月から職員が引き上げるということは、事務的にはちょっとたいへんそうだ。
 午後は議員団室で相談ごと一件。そして、議員会では昨年4月から開催された「京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」での審議経過や今後の課題など文化市民局の担当者から説明を受けて意見交換。この委員会は、門川マニフェストに掲げられていたもので、新川達郎同志社大学院総合政策科学研究科長を委員長に、自立促進援助金制度、コミュニティセンターの在り方、改良住宅の管理・運営及び建て替え、崇仁地区の環境改善、市立浴場など地区施設の在り方、人権教育・啓発の在り方について審議されてきた。運動団体からは当事者が委員になっていないという批判もあるが、かなり大胆な答申が出されるのではないかと思っている。ただ4月1日にコミュニティセンターから職員を引き上げ、管理団体を募るというのは、ちょっと拙速すぎる気がするよ。


●2月9日(月)

 午前10時から経済総務委員会。門川市政の羅針盤になる「京都未来まちづくりプラン」が策定されたのでその説明。また「大学のまち京都・学生のまち京都推進計画」の策定についてや「環境モデル都市」に晴れて選定されたことなどの報告。また産業観光局からは京都市産業支援機関の機能強化のこと、さらに京都市中央卸売市場第二市場基本構想案などについて説明があり、それぞれ各委員から質疑。「未来まちづくりプラン」については、事務事業、イベント事業、補助金など歳出構造の見直しがされているので、保育行政のプール制堅持のことなどで市民からパブリックコメントも多く寄せられた。新年度予算で各種利用料や使用料がどのように改定されるか注目を。色々と請願が出てくるやろうな。
 委員会が終了後、午後3時、市役所を出発して同僚の議員らと北区は千本北大路の楽只コミュニティーセンターへ。資料展示室の「ツラッティ千本」は同和・人権問題を学習する施設として94年に開館。開館して15周年を迎える。ぼくは久しぶりの訪問だった。古地図や洛中洛外の屏風絵を含めて、千本地区の歴史など分りやすいように展示してある。「ツラッティ」とは、「一緒に連れ立って」の意味があるらしい。人権研修として各地からの研修団体を受け入れている。中旬からは「千本の目医者―人権と福祉のまち千本のルーツをたどって」という企画展が開催される。いちど行かれてみてはどうですか。また地区の中にあるかっての学習センターは、「ふれあいの杜分教室」として不登校の生徒たちの学習の場にもなっているという。改良住宅の新棟も見学。比叡山や東山、北山がきれいに見えた。
 夕方は、自治労京都市職の役員らと民主・都みらい議員団との懇談会。京都市長選挙から1年、職員給与カット問題やこの1年の市政運営などについて意見交換。組合運動も厳しい状況だな。


●2月8日(日)

 午前11時から吉田神社は祖霊社でわが祖母、鈴木つねの25年祭とご先祖さんの鈴木直吉の100年祭。寒風が吹きいささか寒かったが、わが両親、弟たち、そしてつねばあさんの娘になる叔母と従姉妹夫妻ら15人が参列。神官がお祓いをしてくれて玉串を奉典。今あるのもご先祖のお陰ということ。
 そして場所を吉田山荘に移して会食。大文字山と東山連峰を背景に真如堂や黒谷のお寺の景色が最高。美味しい料理をいただき、また女将の話などお聞きし、また新古館でコーヒを飲んで、つねさんの思い出話。確か明治28年生まれだった。ぼくはおばあちゃん子だったのだ。まあ色々と心配をかけたよ。議員になる前に他界したのは残念だった。かみさんとぼくが世話役ということで色々と気を使いちょっと疲れたかな。
 夕方は、山科の前原誠司事務所で選挙対策委員会と常任幹事会。昨年秋には解散・総選挙ということで確保された事務所は広い。前原後援会の役員の方らが結集。早ければ4月末か、それとも任期満了まで麻生太郎氏は選挙をしないのか。景気が落ち込む中での選挙準備も大変だな。民主党への世論の期待は大きいが、気を緩めることなくしっかり準備をしよう。


●2月7日(土)

 昼前、社団法人京都鴨沂会の定款改定委員会。公益法人の認定等に関する法律が制定されて、内閣府の説明書を参考に作業。こういうのはぼくは苦手だね。1年後輩の山崎君ががんばっている。
 昼過ぎ、大韓民国民団京都本部の団長の金有作さんのご母堂の告別式。多くの供花が供えられていた。心よりご冥福をお祈りいたします。それから、過日亡くなった京都市民福祉センター(旧西陣市民センター)の会員だった野木さん宅を弔問。西陣に働く青年たちの拠点として設立された西陣市民センターにぼくも学生時代に出入していたことがあり野木さんと出会った。印刷の仕事をされていてよく事務所にも来てもらった。律儀な人だった。心よりご冥福を。
 夕方、出町柳駅で民主党2区総支部の街頭演説。北岡、隠塚、藤川議員らが奮闘。ぼくはちょっとだけの参加。その足で、京都府医師会の賀詞交換会に。今年初めての企画ということで、京都府会議員と市会議員、そして門川市長をはじめ多くの市長らが出席。医療制度が危機的な状況にあるとき、自治体と医師会の連携が必要になってきているということか。そして中央市場の関係者の親睦会に呼ばれていたので走る。余興でマジシャン、田中一伸さんのカードマジックなどを堪能。いやはや面白かった。


●2月6日(金)

 昼、激寒の市長選挙からちょうど1年、とある人物と懇談。京都市政のことで四方山話。午後、川端二条の頂命寺で、日本社会党の京都の委員長で国会議員だった今は亡き竹村幸雄さんの実兄で京都市役所OBの竹村實さんの告別式。見送った後、隣の塔中の妙雲院では偶然、「初午」ということで、住職の藤井照源さんらが「大水行」。初めての見学。褌姿で樽の水をかぶる行。藤井住職は新洞学区の役員をされていることもあり新洞小学校の児童たちも見学に来ていた。色々な行事があるのだな。風邪をひかれなかったか、ちょっと心配。
 夕方、携帯の充電の調子が悪くなったので、携帯の交換に。機種が変わるとややこしいな。そして夜は、神楽岡の藤村接骨院へ。藤村先生は、節分のとき赤鬼役だった。電気治療を施してもらい、また体をほぐしてもらい、ようやく回復したかな。
 中央経済社から「公共政策のための政策評価手法」(伊多波良男編著)の本が届く。伊多波先生は、同志社大学院総合政策科学研究科のときのゼミの先生でわが師匠。99年に発行された「これからの政策評価システム」にもささやかな文章を書いた。今回は、政令指定都市における政策評価の導入状況ということで京都市の行政評価条例のことについて書いたのを同じゼミだった松田敏幸君がリライトしてくれて数ページ掲載された。政策評価のその意義や様々な手法が解説されている本。ちょっと難しいよ。でも読んでみて!


●2月5日(木)

 午前中、事務所にて古紙のリサイクルを事業化している会社の方、また介護のことで相談ごと2件。夕方、とある友人の教員が相談ごと。夜は、福祉工房P&Pの西村君来所。この間、同和行政についての本会議での質問の議事録を冊子にしようと小見出しをつけたり作業をしてきたが、ようやく目途が立った。出来上がったデーターを渡し、レイアウトなどを依頼。96年の5月市会のときは徹夜続きでほんまに原稿を書くのに必死だった。色々な人と議論をして、資料を集めた。今は亡き師岡祐行さんや藤田敬一さんの話や本から学ばせてもらった。そして秋には、京都会館別館で「同和行政と制度疲労」と題して藤田敬一さんと公開対談をした。自民党の議員や多くの市職員や運動団体の人も参加して会場は満員。後で知ったことだが、会場に来ていた人がテープを取ってくれていて、その対談の模様が印刷されて出回っていたという。そのときの資料はどこかにしまい込んでしまったが、もし今もっている人がいたらもういちど読みたいので、探してください。今回の冊子には、その後の本会議での同和行政に関わる議事録とともに、この20年の間に市会で同和行政に関わる市会決議などを参考資料として発刊したいと思っている。3月初旬には発行できるかな。ご期待ください。そして、5月頃には藤田敬一さんを招いてまた公開シンポジウムを企画しようと思っている。


●2月4日(水)

 昨夜、節分から帰って風呂に入って寝たのは未明3時前。ボーとしている。されど昼前、荒神橋は鴨川河畔の「くに荘」で「住みよい京都をつくる婦人の会」の左京支部の会。波部左京区長らも参加。好天で大文字山など東山連峰の山並みが春を告げている。90歳になる高齢のご婦人方もおられる中で京都市政の課題について市政報告。
 午後は、市役所議員団室に松井孝司参議院議員の秘書から市民相談ごと2件。国会議員の秘書さんも色々と市民相談があってたいへんだね。その下請けが府市会議員。その後、ハンセン病の患者さんたちの人権問題に取り組んでる市民団体の方と懇談。昨年ハンセン病基本法が制定されたこともあり自治体の役割はもある。かって奈良の「交流の家」に行ったことや結純子さんのひとり芝居「地面の底が抜けたんです」を見たこともありそれなりに知識はあった。京都市に要望書を出そうということで色々と懇談。
夕方は、自治労文化市民支部の新春の集い。文化市民局の理事者とともに動物園やコミュニティセンターの職員、京響、埋蔵文化財研究所のメンバー等が文化集う。今年になってロイヤルホテルでの旗びらき、新年会は6回目ぐらいか。同じ料理で食べ飽きた!これにて旗びらきロードもおしまいだ。やれやれ。節分の疲れもあってぼーとしていた1日。


●2月3日(火)

 今朝も白袴の着付けに四苦八苦。8時過ぎ吉田神社の節分に。天気予報は、午後から雨。なんとか天気が持ってくれればいいのだが。昨日に続いて「御神楽・追儺の矢」の受付に座る。
 去年は雪だった。そして京都市長選挙の告示日。羽織と白袴の格好のまま出陣式に駆けつけたのだった。ほんまに寒い選挙やったね。今年は11時から第一応接室で新年度予算の会派別内示ということで羽織白袴の姿で市役所に。、民主・都みらい議員団が揃い市長と3人の副市長や理財、総務、総合企画局長らが揃ったところで2009年度予算案の内示。門川市長から予算案の特徴や苦心した点などについて概要説明があった後、星川副市長から主なる施策・事業について説明。臨時財政対策債を活用しつつ当初予算は昨年より40億円多い6940億円で3年ぶりの増額予算。「京都未来まちづくりプラン」を展開できる予算として、経済金融危機を乗り越えるために「いのちと暮らし、安心・安全を支える」ことを重点に福祉と子育て、雇用対策などセーフティネットの強化を図る予算にしたと説明。緊急雇用対策でいくつかの事業が提案されているのが今年の特徴か。いづれ詳細な説明があり、委員会で審議されることになる。
 説明の後、吉田神社に引き返し、ふたたび「御神楽・追儺の矢」の受付に座る。昼過ぎ、天気予報が当たって小雨が降ってきた。残念。例年に比べて人出が少ないな。露店はどこも手持ち無沙汰の様子。午後8時には左京消防団と左京消防署長らも激励に。夜になっても小雨は降り続けて、午後11時のお札を燃やす火炉式のときも、いつもだったら石段ところで参拝客の境内への入場を制限するところだが、今年はそれもしなくて済んだようだ。今宮会と消防団のみなさんが警備。5年ほど前までは消防団のメンバーと一緒に未明まで作業を手伝っていたがぼくはもう引退。「仕舞い神楽」が終わったのは12時前、今宮会のメンバーの打ち上げを覘いて一献傾けて帰宅したのは午前2時前か。疲れたよ。冬来たりならば春遠からじ。立春も過ぎた。もうすぐ春だよ!


●2月2日(月)

 今日から吉田神社の節分。朝から白袴をはくのに四苦八苦。新品の羽織を着て8時前から本宮社殿に引き続き大元宮にて神事。前原誠司議員も参拝。ホカロンを貼り付けて完全防寒の防備をして行ったが今年は暖かい!いつものように本殿横の「御神楽・追儺の矢」の受付にわが後援会会長の柿阪正夫さんらと座る。午前10時前には可愛い巫女さんや雅楽のメンバーが揃い準備完了。地元吉田の人たちや顔見知りになった遠くは愛知県などからも毎年参拝される方もおられ、厄払いや家内安全など諸事の願い事を祈願。巫女さんが舞い、「追儺の矢」をお渡しする。メールで知らせたわが友人等もたくさん来てくれた。東一条から京大正門前、そして参道からさらに大元宮まで露店が並び多くの参拝者で賑わう。
 夕方6時からの「鬼やらい」といわれる追儺式を目当てに5時過ぎからは境内は人並みで埋まり始める。6時前にはホラ貝が響く中、神楽岡町の保存会の人たちが扮した怒りや悲しみを表現している赤鬼と青鬼と黄鬼が登場。そして、松明を持った子供たちを従えた黄金四つ目の仮面を被った方相氏が鬼たちを追い、葦の矢を殿上人が放って鬼を追う払うという、つまり人々の幸福と平和な生活を願うという儀式。子どもたちの泣き声も聞こえたよ。月曜日なのでいつもより参拝客は多少少ないかな。夜11時頃、仕舞いかけたら大原の前原後援会の某氏らが登場。締めくくってもらった。ともあれ寒風も吹くことなく暖かい日でよかった。


●2月1日(日)

 今日から2月。ゆっくりした日曜日、事務所にて雑務。94年5月市会と96年5月市会、そしてそれ以降の本会議でも同和問題について質疑をしてきたがそのときの議事録を冊子にするべく、小見出しをつけたりする作業。ほぼ目途がつく。2月下旬にでも発行したいと思っている。ぜひご笑覧ください。
 夕方は、聖護院の「炎の火」にて、第四錦林小学校の5・6年のときの山内光夫先生のクラスのときの同窓会。卒業したのは1961年(昭和36年)、あれから49年になるのかな、当時のクラスは47人。1学年7クラスだった。物故者も数人、消息不明の人も多いが、還暦祝いということで呼びかけたところ30人ほどから返事が来て、15人が集まった。ゴジラこと山内先生はもう10数年ほど前に亡くなったのは残念。吉田山や大文字山、鴨川でいつも遊んでいた。卒業アルバムや文集を持参してくれた人もいて、なつかしい思い出話や、体調のことや病気のこと孫のこと仕事のことなども近況を話す。童心に返ってワイワイ。お好み焼き屋で2次会。また来年集まろうと約束をして別れた。みんな元気で長生きしようぜ!


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