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鈴木マサホひとくち日記 |
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●4月30日(木)
昼、知人に誘われて先斗町は歌舞練場に「鴨川をどり」の前日祭を見に行く。先斗町の歌舞練場に行くのは加藤登紀子さんの最初の「ほろ酔いコンサート」以来かな。鴨川の風が気持ちいい。舞台は、華やかな着物姿の芸妓さんたちが女歌舞伎をテーマにした新作舞踊劇「艶競べ女歌舞伎」と「京都四季ごよみ」の2部作。フィナーレは、アヤメを手にした舞妓さんらの踊りで舞台はさらに華やかに。今年の春までHKKの朝ドラの「だんだん」には「都をどり」が紹介されていたと思うが、ぼくも京都に生まれ住みながら行くことがなかったな。「鴨川をどり」は5月24日まで開催、普通席は2000円、予約が必要かな。京都の初夏の情緒をぜひ味わってください。
夜は、とある友人と愚息と3人で一献。これからの人生どう歩むのかな。帰途、ジャズ喫茶「YAMATOYA」にも立ち寄る。開店して35年ぐらいかな?
作家の五木寛之さんもよく行ってお店。
●4月29日(水)
好天の休日。今日は雲ケ畑の志明院の春の大祭の日や。去年は車で行ったが、思い立って午前11時過ぎ、ママチャリ自転車でサイクリングだ。柊野まで鴨川を北上。市原バイパスのところまでは順調に走ったが、さらに源流に向かってそこからちょっと勾配がきつくなる。ところどころにある産業廃棄物業者の施設が沿道にあり気分が悪いね。汗をかきながらエッチラオッチラ、新緑をみながらペダルをこぐ。京都バスの終点から志明院への最後の道は、押して行く。家からおよそ15キロぐらいかな、2時間でようやく鴨川の源流にある岩屋山志明院に着く。新緑と石楠花が綺麗。住職は田中真澄さん。行者さんらが護摩木を燃やし、その燃え尽きた護摩木の炭の上を歩く火渡りの行事。参拝者に混じって昨年同様ぼくも靴下を脱いで歩いた。これで無病息災だ!
暫し庵で休憩して、帰りは下り坂、ママチャリでもスピード満点。初夏の風だが冷たい。そして大岩から夜泣峠を越えることを決意。山岳部時代に北山はよく歩いたから地図は頭の記憶にある。最初は林道でママチャリをぼちぼち押しながら歩いたが、峠の手前はキツカッタ。息も絶え絶え、ちょっと無謀かなと思いつつ峠に着いたら、新緑も最高でウグイスが鳴いていた。タバコが美味かった。北山を歩いた?のは何十年ぶりだったろうか。他のハイキンググループに出くわしたが自転車で行ったものだから驚いていたよ。峠から慎重にママチャリを押しながら二の瀬に下りる。帰途は市原、岩倉経由、およそ40分。5時過ぎには無事に帰宅できた。ビールが美味かった!
●4月28日(火)
昼過ぎ、議員団室へ。20年度分の政務調査費の収支報告書を提出。ほっと一息やな。
夕方、わがホームグランドの京大会館で「鈴木マサホ・春の市政懇談会」。京都府議会副議長の北岡ちはる府会議員もゲストで駆けつけてくれて新型インフルエンザの京都府の取り組みなど府政報告、また東京から帰京したばかりの前原議員は、忙しい中、駆けつけてくれて、解散・総選挙や景気対策、そして小沢代表問題など国政報告。そして、ぼくは門川市政2年目を迎えて、未来まちづくりプランのこと、新型インフルエンザ対策のこと、定額給付金のこと、同和行政のこと、財政問題など京都市政の課題や左京区役所移転問題などを報告。色々とご意見もお聞きする。
そして友人の紹介で特別ゲストは、落語家の桂福車さん。郵便局勤務の経験者で、師匠は桂福団次。冒頭に社会派ネタを披露して会場を沸かし、早速ぼくが出版した冊子「同和行政」にも触れて人権問題についてもマジにお喋りをしてくれて、そしてサイコロ博打のことを題材にした愉快な「看板のピン」を演じてもらう。労働組合や食品問題、教育問題などのネタもあるという。おもろいで!出席していただいた方は60人。女性映画監督の山崎博子さんも大阪から来てくれたし、最高齢の方は89歳。カクシャクとしておられた。和気あいあいとしながら駐輪場の設置のことや高齢者医療のこと、障害者福祉のこと、市民参加のこと、屋外広告物や新景観政策への注文など宿題もいただく。ご参加いただいたみなさん、ありがとう!
●4月27日(月)
メキシコで発生した豚インフルエンザがメキシコでは死者100人を超えたという報道。米国やカナダでも感染者が出現し、米国では緊急非常事態宣言が出された。鳥インフルエンザの恐ろしさは、京都市会でも議員研修会で聞いたし、委員会でも対策について質疑をしたこともあるが、日本にもどういう影響が及ぶのか、京都市でも早速対策室を設置するとファックスが流れてきた。冷静な対応が必要だろう。
心の病のことでちょっと気が重い相談ごと1件。関係者に当たってみたいが対処はしにくいな。それから、この4月に赴任された鴨沂高校の山岸副校長先生が来所。社団法人京都鴨沂会の高校生への奨学金制度のことや学校評議委員に就任の承諾書を手渡し、同窓会長として同窓会の役割やわが高校時代のことや現状について四方山話。
そして明日提出予定の政務調査費の再点検をして、書類を仕上げる作業や明日の「鈴木マサホ・春の市政懇談会」の参加者のリストを作ったりレジメを書いたりで右往左往。
●4月26日(日)
雨のメーデー、第80回京都中央メーデーは、昨年から京都府立植物園で開催されることになった。自転車で行こうと思っていたら雨、寒いよ。会場の植物園の広場には傘をさした組合員が結集。来賓は山田知事、門川市長、山井民主党京都府連会長、「笑顔あふれる社会へ、STOP THE 格差社会、労働・平和・人権・環境・共生に取り組み、労働を中心とする福祉型社会をつくろう!」がメーデー宣言。なにしろ寒いよ!地元北大路商店街方も挨拶され、抽選会も。雨のメーデーは意気上らず。されどご苦労さん!
ちょっと時間があったので下鴨の散髪屋「チョキチョキ」へ、同志社総合政策学科の山谷教授も常連さんでバッタリ、暫し大学院の現状など喋る。冊子「体験的政策評価論」を送ろう。
そして昼は、民主党京都府連の常任幹事会。先月の常任幹事会は、下京区の補欠選挙直後だったので、出席せず。春の嵐も過ぎ去ったので、今回は出席。前原議員から、国会情勢についての報告。解散総選挙はいつになるのか、補正予算が通過する5月中旬がひとつの目途と予想、また小沢代表辞任問題については、微妙だな。早く辞任したらええのに!各委員会の報告があり、山井会長からは下京区の補欠選挙の総括案が示される。色々と混迷したが、短時間で連合のみなさんを中心によくがんばったという総括。みなさんご苦労さんでしたね、「今回のことを教訓に」、と一言ぼくは発言しておいた。
午後は、「チェルノブイリ23周年・京都の集い」。チェルノブイリ原発で事故が起こったのは1986年、87年に初当選した1期目は、原発事故の防災計画のことでよく質問をしたものだ。冒頭にドキュメントビデオ「サクリファイス・犠牲」が上映された。事故当時、消火活動や石棺の建設作業に当たったリクビダートルといわれる事故処理作業員の当時の生々しい映像と、放射能汚染によって、その後、肉体と精神が壊れ行く姿を家族や当事者のインタビューのビデオ。衝撃的な映像だった。作業に当たった人々は80万人といわれ、自殺者は1万人を超えるという。精神科医でノンフイクション作家の野田正彰さんが「今苦しむ人を決して忘れずに」と題して、キエフで診察されてきた事例を紹介しながらの講演。敦賀原発から大阪万博に電気を送ったのは1970年だから40年経つ。老朽化した原発が事故になったらどうするのか、50数基の原発が今日本では稼動しているのだ。
●4月25日(土)
午前7時過ぎにパレスサイドホテルに。鴨沂高校の先輩の庄司さんが主宰されている毎月一回の朝の勉強会「国益研究会」に参加。朝寝坊のぼくはつらいが、今朝はぼくが報告者ということで遅刻は出来ない。参加者が3分間スピーチのあと、ぼくが「京都市政四方山話」と題して、平成の時代のこの20年間の京都市政の移り変わりから始まって、門川市政のこの1年、予算書を示しながら財政問題や同和行政、新景観政策、定額給付金のことなど報告。古都税のことや市政協力委員のあり方や地下鉄のこと、ごみの有料化問題など参加者のご意見をお聞きし10時過ぎまで議論。
そして11時からは同じ会場で日韓親善協会の理事会。昨年再結成されてほぼ1年、理事長の二之湯参議院議員の進行で決算や事業報告、また新年度の予算と事業計画が承認される。この5月9日が総会だ。韓国民団の団長さんも金有作さんから王清一さんに代わられた。今後も日韓友好のためにぼくもがんばるよ。
午後は、事務所にて「さくらんぼの会」という高齢者のための介護予防の会。折り紙や歌を唄って健やかに老後を送ってほしいものだ。
夜はまちなかの錦水館に、店主は同世代の友人の田村精太郎君。同志社大学文学部文化学科文化史の竹田聴州ゼミと民俗学研究会のメンバーの恒例の同窓会。ぼくは竹田ゼミにも民研にも属していなかったが、キューバに一緒に行った渡辺、ぼくの選挙用のポスターを撮影してくれる音喜多、そしてラジオ関西でがんばっている田下ら1968年に入学した悪友たちがいる。15人ほどが集まりワイワイ。出会ったのはもう40年前や!元気でがんばろう!
●4月24日(金)
事務所への来客は元古代学研究会で現在は京都府立大学の文学部特任教授の考古学者、堀内明博氏。この春『日本古代都市史研究--古代王権の展開と変容--』を刊行したという。話題は、伏見くらし考研究会を立ち上げて、伏見の文化を再発見し、文化の活性化を図るために、歴史や文化財、もちろんお酒のことなど文化講座やワークショップを開こうという企画。面白そうやないですか。色々と行政との協力関係のことなどアドバイスをする。がんばってや!
もう一組の来客はグリーンアクションのアイリーンスミスと中央市場で働いている高野君。青森県は六ヶ所村にある核燃料再処理工場から排出される放射性物質から食の安全・安心を守る為に、放射能大気・海洋放出規制法の制定を求める意見書の提出を求める請願をこの5月市会に出すということで文面が出来上がったのでアドバイスをする。また市会の各会派への説明の方法や日程などを説明。ぼくは紹介議員になるよ。
夜は、福祉工房P&Pの伏見作業所へ。新しく理事になってもらうメンバーが参加して現状や今後の運営について懇談。大手筋界隈は活気があるな。
●4月23日(木)
朝から事務所にこもってひたすら20年度分の政務調査費の支出の報告書づくり。18年度分の支出について住民監査請求の結果や市会改革委員会での議論や他都市の議会の判例など参考に市民に理解してもらえるように、また目的外支出がないかどうかを点検したり、今までは5万円以上の領収書類の提出が義務付けられていたが今回から全ての領収書を支出調査書に添付することになった。政治活動と政務調査活動との按分も必要になり煩雑な作業。エクセルに打ち込みをして依託調査費、事務所費、通信運搬費、資料作成費、調査旅費、人件費、広報広聴費などの項目ごとにパソコンに向かってエクセルに打ち込みの作業。算盤の時代だったらたいへんだったろう。1日かかってなんとか目途をつける。疲れたよ。
●4月22日(水)
午前中、幡新守也さんが昨年5月に亡くなったということを知って、下鴨は高野川の西にある幡新さんの庵を訪ねる。幡新さんは、かって京都市長選挙にも立候補されたことがあり、「知命」という冊子に世の中を憂いて寄稿されていた。7、8年ほど前から、たまに庵を訪ねてお話を伺っていた。仙人の風貌で、官僚政治の腐敗など鋭く批判されていた。線香をあげて奥さんと暫し思い出話。心よりご冥福をお祈りいたします。
午後は京都府庁へ。京都府教育庁の建物を尋ねて田原教育長と面会。社団法人京都鴨沂会の高校生の奨学生制度の説明や鴨沂高校同窓会長として鴨沂高校の現状や今後の展望、また京都の高校制度などについて色々と懇談。同世代なので親しみがある。今後ともよろしく頼みますよ!
その後、京都サイクリング協会の会長と理事長と5月31日に企画しているデンマーク大使と走るエコサイクリングのコースの人員配置など打ち合わせ。7、80人のボランティアスタッフの手伝いが必要なのかな。参加申し込みはここをクリックしてね。
夕方は、京響音楽家組合、埋蔵文化財研究所、ユース協会ら自治労傘下の市役所関連労組のみなさんの交流会。京響は財団に移管されることになったし、埋文研は財政的に厳しいし、ユース協会は指定管理者制度の導入で四苦八苦している。それぞれが公共サービスに必要な事業であり、大事なメンバーだ。
色々と現状報告などがある。
●4月21日(火)
わが家から徒歩で3分、事務所に入るのは毎朝9時。メールのチェックをして、雑務。電話応対したり、この間送られてきた行政資料を読んだりでして時間がすぐ過ぎる。来客があったり、出かけていったり。委員会など市会のある日は9時30分ごろ出る。雨の日や市内をウロウロするときは車で行くこともあるが、自転車で10分もあれば市役所に着くし、疏水べりや鴨川の河川敷を歩いても30分。二条や丸太町の橋から見る鴨川を見ると心が和むよ。いい季節だね。
午後、事務所への来客は大原の簡易水道の京都市への移管のことや公共下水道敷設のことで相談ごと一件。夕方は、民主・リベラル京都労組懇談会の春季研修会。前原議員と福山議員が講演。さて解散総選挙はどうなるのか、小沢代表問題はどうなるのか。注目だな。
●4月20日(月)
午前中、地元を市民派議員レポートの配布。歩くのがいいよ。日伊会館の地下にあるルームマーケット内のギャラリーを覘くと中国は上海出身の高潔君の「恒河少年―アジア悠久を流れて」と題した写真展。インドやネパール、ベトナムなどアジアの人々の活き活きとした生活ぶりが写されている。ぼくは韓国と台湾に行ったことはあるが、アジアを旅したことがないのだ。行って見たいな。
また、先日、鶴見俊輔先生のNHKでの対話番組でチラッと映っていたが、インタビュアーの黒川創氏の編集グループ「SURE」も泉殿町にある。妹の北沢街子さんがいたので暫し喋る。その近くには、金平糖で有名な緑寿庵清水やわが同級生で、テレビ化もされた料理屋「梁山泊」も直ぐ近く。いつかわが地元の吉田のマップをつくりたいね。
午後は、議員団室で産業観光局の農林振興室のメンバーとふるさと雇用再生特別事業について説明を受けて懇談。雇用対策として色々と取り組みが進んでいるが、間伐などの森林整備事業や松くい虫対策などにも雇用対策として実施される。それらのことを聞き、また里山対策や八丁平の鹿害のことなども話題に。
●4月19日(日)
快晴の日曜日、午後、西陣織物会館に「京都・今出川通りにLRTの実現を推進する会」の総会と「京都・今出川 通へのLRT導入をめざして」という報告書が出来たのでその説明と報告会。冒頭に、会長で元市会議員の国枝克一郎さんがこの間の取り組みなどについて報 告。そしてこの4月に京都市副市長に就任された由木文彦氏が「国内におけるLRTの動向についてー路面電車からLRTへ」と題して講演。さすが、元国交省 の都市計画課長であっただけに、富山市などの各地の取り組み状況やLRTの意義や国のLRTの総合整備事業の概要や国の支援について詳しいのはもちろんだ が、「国のLRT導入補助は今後も拡充される。LRTは金の卵で、ふ化すべき時にふ化するよう温めていくべきだ」とえらく前向きな発言。その後、遠山事務 局長が報告。東から京大、同志社、立命を繋ぎ、また吉田神社、下鴨神社、北野神社と社寺がある今出川通を銀閣寺前から等持院までの区間、6・3キロの運行 を計画、工事費の見積もりなども積算、車両のデザインまでかなり具体的な提案となっている。概要版もできた。ぜひ参考に読んでみてください。ぼくは、バス での交通社会実験にも参加したし、昨年行われた意見交換会にも出席するなどしたが、今後も積極的に推進したい。実現する会のホームページには今出川通を颯爽と走る次世代型路面電車LRTが載っている。ぜひアクセスしてみてください。
●4 月18日(土)
午前10時前、岡崎の京都市動物園に。類人猿舎が新しくなって「4人」のチンパンジーのお披露目式。昨年4月から京都大学との連携が始まり、今回「チンパンジー・サンクチュアリ・宇土」から男性1人、女性3人が京都に来たのだ。松本京大総長やゴリラの研究で有名な山極氏、保育園園児らが見守る中での式。10メートル近い「プリズムタワー」で早速遊び始めていた。野生動物の保全と環境教育、研究に大きな成果が上がることを楽しみにしている。ぜひ見に行ってください!
その後「みやこめっせ」での市役所退職者の会である「春秋会」の文化サークル記念作品展を覘く。絵画サークルはぼくの弟のヨメさんが指導しているのだ。書道や能面、写真などが点字。あの人、こんな趣味を持っているのかと、ちょっとびっくり。
昼前、韓国茶道協会京都支部5周年記念の会に。伊道心さんが支部長。とある人の紹介で、ぼくは伊さんには数年前に出会っている。地道な取り組みで日韓文化交流を続けられてきた。挨拶をする。ぼくのカミさんも「冬ソナ」から始まった韓流ブームにハマってからか、習いに行っているのだ。ゆっくりしてお手前をいただきたかったが、時間がなくて残念。
午後は、社団法人京都鴨沂会の評議委員会。府一や鴨沂高校の諸先輩が評議員。八木会長が議長となって、会計報告や事業報告、今後の活動方針や予算が説明されて承認。総会は5月中旬。それから、同志社は今出川キャンパスに。総合政策科学研究科の同窓会「総政会」の役員会。今後の日程や会誌 の編集方針など決める。
夕方は、「きょうと教組」の組合員で今年退職した教員のご苦労さん会。小学校、中学校、高校とずーと一緒で、結婚式の司会をぼくがしたコッケちゃんが定年退職。感慨無量?だな。ようがんばってきたよ!
それから福祉工房P&P西京極作業所の新職員の歓迎会。新年度を迎えて素晴らしいスタッフが揃って喜んでいる。朝から動き回ってちょっと疲れていたが二次会も付き合う。作業所の運営は色々とたいへんだけれど、がんばってね!
●4月17日(金)
午前中から昼過ぎまで、市民派議員レポート春号を地元を配布。知り合いに出会うと色々と話も弾む。一石二鳥のええ運動になる。
午後、議員団室で、保健福祉局の年金の担当者と宇治市在住の友人の被爆者と懇談。京都市では、原爆被爆者健康手帳所持者には、国民健康保険と京都府後期高齢者医療制度については、所得に応じて減額措置がされている。国保の減額は、府内で京都、宮津、亀岡、向日市、長岡京、大山崎だけという。宇治市はやってないのだ。後期高齢者医療の減額は京都府だけだという。わが親父は、ヒロシマで被爆しているが、後期高齢者医療の保険料がどうなっているのか、聞いてみないと。
夕方、あったかサポートと福祉工房P&Pのメンバーが集まり、NPO法人としていかにネットワークを広げるのか協議。大学時代からの友人のメンバーの1人は、社会保険労務士で歌人で、同志社ベ平連の立ち上げのときの仲間だが、北海道へ引っ越すとのこと。元気でね!
●4月16日(木)
午前中、某小学校の校長と発達障害児のバックアップ体制について懇談。午後は、5月31日のエコ・サイクリングの実行委員会。サイクリング協会や京都市、京都府、KBS京都、国際会館や各関係団体にメンバーが集まり協議。かなり煮詰まってきたかな。当日は、10時前に市役所前で出発式。午後は市役所前 で色々なイベントが行われ、午後4時前に国際会館からデンマーク大使、知事、市長らが参加者と市役所に向けて疾走する!申し込みをよろしく。
夕方、事務所で、わが応援団のみなさんと「春の市政懇談会」開催や5月17日に予定している静原での野外懇談会のことの打ち合わせなど。そして京都市政に関して、水族館のこと、また定額給付金の手続きのことなど、色々な質問が。定額給付金、僕自身は、受け取るかどうか、悩んでいるよ。
●4月15日(水)
新年度になって2回目の常任委員会、教育福祉委員会が開催。冒頭、津田委員長から請願の取り扱いについて、共産党の議員が紹介議員になっている 妊婦検診の充実、プール制への補助金削減の撤回、国民健康保険料の値上げ撤回など、いずれも新年度予算が可決されたことで「審議未了」ということで了承。地域安心生活支援員制度の創設や向島地区での敬老乗車証の使用区間拡大については、理事者から請願の趣旨と京都市の取り組み状況について説明の後、質疑があったが、いずれも留保。一般質問では、わが議員団のホープ、中野議員が、ユニバーサルデザイン条例が外国語で分りにくい点について質疑。その後は、共産党の議員が、次から次へと市立看護短大問題や介護保険や国民健康保険、後期高齢者医療制度、保育行政について延々と議論。
ぼくは、京都市立看護短期大学が仏教大学で4年制として移行する問題で資料も出たので質疑をしたかったが、次回にすることに。問題は、議会も含めて、いかに関係者と協議がされていったのか、政策決定される過程がいささか拙速だと思っているのだ。次の委員会でも質疑をしたい。5時前に近くになって教育委員会との質疑が始まる。共産党の議員がハッスル、ハッスル。就学援助制度の周知や学力テスト、35人学級、給食調理の民間委託のことで質疑。いやはや座っているだけで疲れたよ。
夕方、京都サイクリング協会の会長と宝ヶ池公園に。5月31日のエコサイクリングのコースの下見。国際会館から勾配の急な狐坂あたりをどう通過させるかが課題やな。
●4月14日(火)
久しぶりの春雨じゃー。久しぶりの二日酔い。市民派議員レポートの追加分を地元の吉田郵便局で発送。若い中川局長は、吉田剣鉾の仲間で色々と世話をしてくれている。郵政民営化になってたいへんみたい。
午後、左京土木事務所に。市民から色々とドブ板相談をうけていた諸々の懸案事項について所長と懇談。とある箇所の用水路の側溝の整備とガードレールの改修、また水はけの悪い市道認定道路の雨水枡の設置、また長年の市原野の住民の要望事項である鞍馬街道のとあるところの道路拡幅に向けての進捗状況、ようやく土地の買収にかかり、2年先には目途がつきそう。また地元の道路で通行量がそれなりに多いのにも関わらず認定道路ではなくて、私道になっているので2,3年にいちど簡易舗装材を掘り込んでいるところの舗装についての助成についてなど懇談。
夕方、事務所でメールニュース4月号の送付の作業。そして明日の教育福祉委員会の資料読みなど。
●4月13日(月)
初夏の陽射し、暑いよ。監査請求を受けている政務調査費のことで書類の提出や議員団室で資料の整理など。またNPO法人「あったかサポート」のメンバーが出前講座のことで教育委員会の担当者と懇談。
夜、愚息、穂人と久しぶりに飲む。32歳になったのだ。大学の学部を出てから、大学院に入りなおして3年、苦節?10年近いのか、とある試験に奇跡的に合格して現在奈良で研修中、11月にもうひとつ試験があるようだが、その後、東京で就職するという。業界のことやこれからの人生について色々と語る。たまには息子と一献傾けるのもいいものだ!
閑話休題、この際、愚息の名前をつけた由来を書いておこう。正穂の「穂」に「人」と書いて「ほひと」と呼ぶが、トルキンの「ホビットの冒険」と「指輪物語」をご存知だと思うが、その名前は、わが青春時代に岩国にあった反戦喫茶「ほびっと」から命名した。娘の名前は「奈々」だが、「ほびっと」の仲間の児童文学作家の岩瀬成子さんが「ほびっと」を舞台にしたデビュー作「朝はだんだん見えてくる」の主人公、「奈々」からもらった。
帰途、ブラブラ春風に吹かれながら歩いていたら、仕事帰りの環境職の若い友人に出会い、また一献。飲み過ぎた!
●4月12日(日)
わが親父、鈴木正武の誕生日は4月16日だが、今日は日曜日ということで昼過ぎ兄弟らが集まりわが家で「卒寿」のお祝。90歳。1919年、大正8年の生まれ。学徒動員のときヒロシマで被爆。戦後、京都大学図書館に奉職。広島大学や山口大学にも転勤し、京大退職後は、京都学園大学でお世話にもなっていた。クラシックや読書が趣味で、ガサツなぼくとはえらく違う。退職後は絵を描いていたこともあった。小さな頃、我が家にロンという雑種犬がいて、その後、コリー犬のチボーもいた。バイオリニストのロン・チボーから名付けたらしい。父は、歯も丈夫で入れ歯はなし。70歳代に入院したこともあったが、近年は風邪で寝込むこともあるが、たまに散歩に行くし元気だ。小学校6年だったか、剣岳・立山に登ったのが一番記憶に残っているかな。次は「白寿」を目指すかな。母はサホ。大正15年の生まれ、ちょっと耳が遠くなってきているが、元気。今もライトハウスの点訳や民話の語り部をしているようだ。
午後、京都市美術館の南画院展に。墨で描かれた風景や人物などに多くの作品に圧倒される。前の事務所のメタボ岡崎の前の部屋が南画院の事務所だったので町田理事長さんらと親しくなってお付き合いいただいている。桜が散り始めた疏水には十石舟が行き来して風情がある。
夜NHKテレビで「哲学者鶴見俊輔―戦後日本 人民の記憶」を見る。生い立ちからアメリカ留学時代、「思想の科学」の発刊、ベ平連と反戦脱走兵援助、小田実さんのこと、9条の会、そして「もうろく」のことなど。聞き手は故北沢恒彦さんの子息、作家の黒川創。鶴見先生は86歳か。同志社にぼくが入学したのは1968年だったが、鶴見研究室によく出入していて、色々と学んだ不肖の弟子の1人か?!反戦脱走米兵とも行動をともにしたこともあった。わが地元の近衛でポールことダニエル・デニスが逮捕され川端署で抗議行動をしたのは1969年5月だったな。あれから40年。鶴見先生お元気で。ええ番組やった。ビデオをとった人がいたら送ってください。
●4月11日(土)
午前中、社団法人京都鴨沂会の監査。ぼくは監事ということで、事業監査。昼から理事会。諸般の報告や来週の評議員会に向けての準備など。過日ホームページも立ち上がった。京都鴨沂会は鴨沂会館での様々な文化教室を開催、貸館事業として色々な合唱団などが利用されている。また教養講座として講演会も続けてきているし、5月には設立100周年記念総会がある。深見茂祇園祭山鉾連合会理事長の記念講演がある。高校生への奨学金制度も作って現在奨学生を募集中。
社団法人京都鴨沂会が設立されたのは、なんと明治20年、1887年のこと。前身は明治5年に開校したわが国最初の公立女学校「新英学校及び女紅場」で、 明治9年には「京都府立女学校」、大正12年に「京都府立第一高等女学校」と改称された。戦後、昭和23年に学制改革により京都府立鴨沂高校になった。諸先輩が築いて来られた歴史と伝統のある京都鴨沂会のこれからの発展に寄与したいと思っている。詳細は、ここをクリックしてください。
帰途、障害者の作業所などを運営している新明塾のみなさんが、東山通新門前に「彩ギャラリー」を開設。「ひとりひとりの光の響き」展の藤橋貴之色鉛筆画の世界に引きこまれる。細密なヨーロッパの絵が素晴らしい。塾長の松村夫妻と懇談。
夕方、事務所で雑務。夜、テレビで阪神・巨人戦。昨夜はアニキ金本選手が3本ホームランを打ったが負けて今日もアカン。昨シーズン以来9連敗だとか。こら今年もあかんなあ。
●4月10日(金)
4月は入学式の季節。第四錦林小学校、近衛中学校、鴨沂高校と出席して今日は吉田幼稚園の新しい園舎での初めての入園式。若いパパとママがカメラを持って華やかな雰囲気。吉田神社の澤井宮司さんや金桝園長がご挨拶。各組の担任の先生が新入園児を点呼すると小さな手を恥ずかしそうに挙げる園児たち。可愛いよ!来賓ということで挨拶。聴いてくれるかな、と心配だったけれど節分の鬼の話をしたら、ざわついた子どもたちも静かに聞き入ってくれたかな?「今日から幼稚園」の歌を在園児が79人の新入園児たちに歌って閉会。桜満開の入学式でした。
午後1時から議員会。新団長の安井勉議員の進行で開会。市会事務局と総務局議会担当の職員で4月の人事異動で転出した課長、係長らが一言づつ挨拶。民主の会派の担当だった竹田君には、特に感謝!そして新任のメンバーが紹介。みなさんよろしく!新理事になった山岸議員が、理事懇談会の報告。今後の議員団の運営や今後の日程などについて協議。
夕方、先月急逝された給食調理員で学給労の組合の役員もされていた萩崎さん宅を弔問。学校で倒れられたとのこと、心よりご冥福をお祈りいたします。
●4月9日(木)
京都府立鴨沂高校の入学式。同窓会会長として来賓席に座る。新入生は5クラス183人。制服はない。卒業式のときはド派手な服装の生徒もいたが、さすが新入生、おとなしい服装。茶バツの女子生徒が3人ほど。桶谷校長から入学許可が宣言されて、校長式辞の後、新入生代表の女子生徒が規則に従いと宣誓。担任らの教員紹介があり粛々と式が終わって、2部では在校生の生徒自治会の女子生徒が歓迎の言葉を述べてみんなでスクールソングを披露。「波ひかる鴨の河原辺、陽は踊り風もうららか 鳴り響く鐘の調べに若き日の血汐なみうつ、ああ母校鴨沂の園にあまたたび鐘鳴り渡る」もぼくは唄えた。みんな勉強しないかんよ!ぼくのときは普通科と商業科14クラスだった。そして校門の桜の前で新入生のクラス写真を見ていて微笑ましい。
午後は、事務所に保証協会の融資のことや消えた年金と還付金のことなど相談ごとで来客多し。また冊子や議員レポートの発送作業も。
●4月8日(水)
新年度最初の京都市会常任委員会教育福祉委員会が開催。ことしぼくはこの委員会に所属。まずは保健福祉局。浅野局長から各部長ら理事者の紹介と事務事業について概要説明。児童・高齢者・障害者の福祉に、医療、保健、衛生と分野が広い。それから京都市立看護短期大学が仏教大学との協力により4年生大学になるという取り組みの報告。
これは大きな問題になる、と思っていた。というのも予算市会では、仏教大学との連携や廃止のことは一切答弁がなかったが、それが2週間後に市長から発表されたのだから、共産党の議員らが怒るのは無理もない。議会軽視と言われて当然だろう。ぼくも挙手して、市立看護短大の現状や市内の看護学校の実態などの資料を提出を要求し、他大学との協力・連携は良としても、いささかの苦言を呈す。今後様々なことが委員会で論議されることになるだろう。
教育委員会からは、教育委員と委員会の各部長等理事者紹介と事務事業概要について説明。部長級等50歳前後の若手が多くなった感じだな。一般質問は来週の委員会から。昼過ぎに閉会。
午後、COP15サイクリングツアー京都大会の第2回実行委員会。ここにきて京都での日程が固まってきた。京都サイクリング協会とKBS京都事業部が主になって事務局・運営を担い京都市や京都府が協力して参加者の募集が始まることになる。ぜひご参加ください。
●4月7日(火)
今日はわが母校地元の近衛中学校の入学式。市内の中学校で唯一制服のない中学校。錦林、北白川、四錦、新洞小学校が校区。4クラス119人が新入生。ぼくのときはなんと17クラスで、プレハブ校舎ですし詰め状態。思いやりの心を大切にと大津校長が式辞。近衛中学校の校歌は、「静かなる森のこだま返りて日々新たなる文化競うよ、幸多く夢ぞ若やぐちまた、学の町吉田、建つは母校」。まだ唄えるよ。学校の目標は、自主・自律。桜満開の校庭で新入生たちがクラスごとに記念写真。
昼前、青森県は六ヶ所村核燃料再処理工場の放射性物質の放出を危惧して、食の安全を考えているアイリーン・スミスさんと青年ら来所。京都市会として意見書の提出に向けて請願活動等を行いたいと相談に。今後の市会の日程などをアドバイス。午後は、マンションの給水槽の改善の市民相談や市立病院の事業改革プランの説明など担当者ら来客多し。
夜は、吉田神社へ。吉田剣鉾保存会の剣鉾の練習の始まり。今年は扇鉾というのが新しく作られてお披露目。境内にライトが照らされ、上空には十三夜の綺麗なお月さんの光に照らされて鉾先が輝く。足の運びの練習から始めていよいよ半年振りに夜空に差す。久しぶりの感触で真が取れないよ。冷や汗が出る。5月10日の講社大祭までがんばって練習しよう。
●4月6日(月)
午前中、第四錦林小学校の入学式、校門の桜も満開!ピカピカの一年生、男子28名女子28名が入学。中島校長の式辞。地元の山田栄一吉田自治連会長らが祝辞。在校生がピアニカの演奏などで迎えの言葉。四錦は、わが母校。ぼくが入学したのは、1956年(昭和31年)、ベビーブームの世代で7クラス。400人近かったのではないかな。「如意を登りて朝日かげ、わが学び舎にかがよえば」という校歌は辛うじて歌えた。
午後は、NPO法人あったかサポートの笹尾事務局長が来所。社会保険労務士や弁護士など色々な職種の人がメンバーで「働く前に知っておきたい基礎知識」と題する冊子を最近発行。労働基準法、労災・雇用保険法、また公的年金問題など詳しい。高校などに出向き出前講座なども始めている。ぼくも会員の1人。今後の活動について相談。ニートやフリーターなど若者たちが多くなってきたいるとき、あったかサポートの役割は大きいと思う。
●4月5日(日)
春爛漫!昨日の雨もあがり絶好の花見日和。宗忠神社から東山を背景に見る真如堂の桜は見事。10時から哲学の道は大豊神社の御旅所で、哲学の道・散策の集いのセレモニー。地元の保勝会のみなさんらが集まる。今年で36回目、ちょうど8分咲きぐらい。ええタイミングでした。山内新区長もメモを見ながら挨拶。春うらら、観光客でごった返しているので哲学する静寂さはないが、銀閣寺近くの弥勒院で女性会のお茶席で区長等と一服。
ぶらぶら散策しながら先日火災のあった橋本関雪ゆかりの白沙山荘に火事見舞い。そして友人の木彫りの店に立ち寄り、桜満開の第二疏水べりを散策。高野川では、わが友人等の花見大会でビールを飲んで一杯機嫌。久しぶりに清水達也氏と会えてよかった!
夕方、事務所で雑務をして帰宅したら、テレビでは北朝鮮のミサイル発射のニュース。人工衛星は飛ばなかったらしく、また日本列島にも落下物もなく、迎撃ミサイルの発射もなく、なんとなく大山鳴動、平穏に過ぎてよかったと安堵。
●4月4日(土)
午前11時に南区は東九条の社会福祉法人「こころの家族」の「故郷の家」の竣工・開設記念式に。とある縁で伊(田内)基理事長と出会ったのは5年前だったか、福祉に賭ける熱い想いにうたれた。任天堂工場跡地に土地が確保され、紆余曲折、建設に着工されたのは1昨年の6月。ぼくなりに感慨無量なのだ。「夢のようなもの」、「愛の塊」という伊理事長のご挨拶には万感の思いがあった。門川市長や前韓国総理大臣の祝辞やテグムという横笛の演奏など、会場には、韓国からも多くの参加者がお祝いに駆けつけられた。驚いたのは、ビビンパが大きなたらいのような器に見事に飾り盛られて、鏡割りのような感じで大きなしゃもじで混ぜる儀式。そのビビンパが振舞われたが、これが実に美味しかった!
その後、すでに入所者もおられたが施設内を見学。キムチと梅干のある特別養護老人ホームとしてユニットケアサービスによる家庭的な雰囲気。屋上は、東山、北山、西山が一望できて、京瓦を活用した庭があり園芸療法も行われるとのこと。「故郷の家」が日韓の架け橋となり、平和への礎にもなることを願っている。
夕方、下京区の補欠選挙の後でもあり、ちょっと気が重たかったが、連合京都の京都市地域協議会の結成レセプションに参加。高橋直樹自治労副委員長が議長に就任。洛東、洛北、洛南、伏見、洛西地区連絡会がそれぞれの地域での運動を担い、政令指定都市である京都市に対応した地域活動が展開され、労働を中心とした福祉型社会を目指した活動に取組まれることになる。
夜、テレビのニュースでは、北朝鮮の人工衛星?ミサイル発射に伴い誤報騒動があったことを報じている。どないなってんの?
●4月3日(金)
朝、小中一貫教育校「京都大原学院」開設式で大原へ。4月だというのにちょっと寒いよ。昨朝は薄っすらと雪化粧していたらしい。大原小学校が開設されて134年、かっては400人の小中学生が在籍していた時代があったそうだが、少人数化が進み4年前に少子化問題対策委員会が設置され、地元での色々な議論の末、小中一貫校への取り組みが進んできた。隣同士の敷地にあった小学校と中学校を繋ぎ、1年生から9年生までの85人でスタートする。中村運営協議会会長や佐竹自治連合会長の万感の思いのこもった経過報告や祝辞。児童生徒の誓いの言葉で閉式のあと、開設を祝い、全校児童生徒による「京炎そでふれ」は、可愛い1年生から大柄な9年生までのチームワークの取れた演舞で素晴らしかった。大原のゆとりある心を自信をもって伝えられる子に!を教育目標に、英語教育にも特色ある教育実践がされそうだ。
帰途、大原「里の駅」で地鶏の親子丼を食し、静原では知人宅を訪ね、野外パーティの会場のお願いをして、そして福祉施設「わかば」を訪ねる今井施設長と懇談。その後、左京区役所の新築移転に関わり、近隣の人から相談ごとで現場へ。夕方は門川市政の2年目を迎えての課題を梶宏さんと喋ったり。
●4月2日(木)
朝から事務所には、この4月の人事異動で異動になった市役所や学校関係者が電話や訪問。新しいそれぞれの職場でがんばってくださいよ。また過日京都市美術館で「布花とシャドーボックス展」を開催した主宰者の村山美佐枝さんらが記念の作品を持ってお礼に来られる。盛況に終わってよかったですね。また2年先にはがんばって開催してよ。
午後、西京極の作業所に自転車を取りに行った帰り、千本中立売は東入るにある恒河沙母親の会が運営している千中食堂を訪問。主宰者の福島美枝子さんがいたので懇談。恒河沙は青少年の自立支援のための施設で北区で開設されたフリースクール。福島美枝子さんは鶴見俊輔先生と編著の「本音を聴く力」を出版したり、果敢に教育の実践をしている人で元気な人。美川憲一コンサートも手伝ったことがあったな。食堂も開設した。畑でとれた大根をもらって帰る。今度はカレーを食べに行こう。悩める青年たち、相談に行ったらいいよ!きっと元気が出る。
●4月1日(水)
「ちょっと寒いけれど春爛漫。桜満開。今日から4月、気分一新、丸坊主になりました」と、昨年はホームページのトップに書き込んだら、ほんまに信じた人がいた。エイプリル・フールだった。今年は、冗談はなし。
朝、共同作業所、福祉工房P&P第二作業所の入所式に。ちょっと寒かったが天気が良かったので、わが愛用のママチャリで京都のまちを東から西へ突っ走る。およそ40分。ええ運動や。総合支援学校を卒業した18歳の青年が入所。日頃は黙々と作業をしている青年たちが手を休めて、ひとりひとりが自己紹介。そしてジュースで乾杯。昼頃になって小雨が降り始め、ママチャリで帰るのはやめて阪急に乗る。
午後は、KBS京都放送の事業部と京都サイクリング協会のメンバーによる京都からコペンハーゲンへ!デンマーク大使と走ろう、エコサイクリングの打ち合わせに同席。申し込みをぜひしてよ!京都府警へのご挨拶にも同席して、色々と今後のことを打ち合わせ。
夕方は、中野洋一議員と四方山話。ようがんばってるよ!
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