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鈴木マサホひとくち日記 |
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●8月31日(月)
歴史が動いた!テレビでは各選挙区での民主党候補の奮闘振りを伝え、また落選した自民党や公明党の大物議員の映像を流している。今日から民主党政権へのスタート!どういう内閣をつくるのか、社民党と国民新党との協力はどうなるのか、党の人事、役員はどうなるのか、官僚との関係はどうするのか、これからが始まり。当面、生みの苦しみやろうな!この日の新聞は記録として取っておかなければ!
午後、地元を証紙を貼ったポスターを剥がしに回る。おめでとう!よかったね!これからがたいへんやで!前原議員のポストはどうなるかな!など応援していただいた方々がニコニコしながら、応対していただく。驕ることなく謙虚にいかなければ!
夕方、自治労市職経済支部のビールパーティ。産業観光局の各職場の理事者も含めて組合員がにぎやかにビンゴゲームなど。久しぶりにわが議員団のメンバーも7人ほど揃う。みんな真っ黒に日焼けしてニコニコ顔。お疲れさんでした!ビールが美味かった!
●8月30日(日)
政権交代の夏、衆議院選挙の投票日。昼過ぎに目覚める。久しぶりにわが家で昼飯。「新婚さんいらっしゃい」を見てからカミさんと近衛中学校の投票所に。ご近所の人が受付。ご苦労さんでしたと皆さんから声をかけていただく。暑い日の受け付けご苦労さま。そしてもちろん小選挙区は前原誠司、比例は民主党と書く。投票率もよさそう。果たして何票とるかな?それから夕方まで事務所でこの間のひとくち日記を一挙に更新するべくメモを見ながら打ち込む作業。途中、某新聞記者に出口調査の様子を聞く。「10万票行きそうですよ」「ほんまかいな!圧勝やな」とぼく。
午後7時半、修学院の前原選挙事務所へ。狭い事務所には各社のテレビが設置され、多くの支援者は事務所の外に設置された大型テレビで、選挙番組を見る。ウロウロしていたらNHKがほぼ番組が始まって直ぐに山井、前原、泉ケンタ、当確の速報。開票も始まっていないのに、ほんま、びっくりするよ。あっけないね。拍手。しばらくして前原候補夫妻、登場。まずは外で万歳三唱、そして事務所内のカメラの前で万歳!NHKの中継でぼくの顔も映ったらしい。ええポジションやった!早速、携帯に友人から「見たで!」とメール。テレビ各社の前原副代表へのインタビューが中継で流される。さて民主党は何議席獲得するのか!速報の数字がすぐに200を超える。信じられんね。雪崩を打って民主党に投票行動がおきたのだ。
1区の平智之、4区の北神圭朗、5区の小原舞ちゃんはどうか、と思っていたら平智之も当選!1区の平選挙事務所に走る。今枝、安孫子、小林、山本恵議員に連合京都のメンバーが大喜び。いやはやスゴイ!喜びを共にする。そして前原事務所に戻って、開票結果を待つ。前原誠司、10万票を超えた!目標をはるかにオーバー。4区北神圭朗も小選挙区で念願の当選!小原舞ちゃんも大健闘、比例で復活当選!お見事!比例では豊田潤太郎さんも当選だね。
そしてなんと民主党308議席。政権奪取!!これは市民革命か!興奮したよ!前原副代表は、大阪のテレビ局へ走り、興奮冷めやらぬ前原選対スタッフと喜びを分かち合い帰途についてのは、午前2時。いやはやお疲れさんでした。2009年8月30日、この日は歴史に刻まれるであろう。
●8月29日(土)
12日間にわたった「政権交代、夏の選挙」のラスト!朝7時過ぎ、山科は国道1号線、旧東急イン前に走る。青いTシャツを着た前原山科後援会の面々など30人、そして候補者と豊田、藤川議員らと一緒に手を振る。真っ黒に日焼けした前原候補、元気!元気!山科区民へ最後の訴えに出発。
ぼくは午前10時からわが母校、第四錦林小学校の創立80周年記念事業実行委員会。2年先の2011年6月が創立80周年。中嶋校長先生から学校側の思いや各実行委員のみなさんからアイデアなどが出される。地域との結びつきや子どもたちの視点で事業を進めることになるだろう。
午後1時、銀閣寺前に。浄楽学区の前原後援会のメンバーと銀閣寺門前を「明日は投票日、民主党、前原誠司をよろしく」と桃太郎作戦。彼らは、ほんまに熱心や。観光客にも民主党ですよ!と訴える。
忙中閑あり。びわこホールに走る。立派なホール。寺田バレエのみなさんとウクライナはキエフの若きバレエダンサーたちのバレエコンサート「海賊」の公演。総芸術監督の高尾美智子さんの誕生日のお祝いの花束贈呈も。最後まで鑑賞したかったが、第一幕だけ見て京都に引き返す。ごめんね。
暑かった夏の選挙の最終日。4時前、出町柳駅前では、左京の各議員の後援会のメンバーらが集結して「政権交代」ののぼりを立てての辻立ち。高野イズミヤ前で前原候補がスポット演説して、北岡、隠塚議員らとぼくも選挙車に乗り込む。東山三条や三条京阪、四条京阪でもそれぞれ「投票に行こう」というのぼりを立てて連合京都のみなさんも辻だち。国政選挙のときのいつもの風景だが、この夏は期待一杯の高揚感でみんなニコニコ顔やな。東山、左京の前原候補自らマイクを持ち最後の訴え、手を振ってくる人が右から左からというまちの雰囲気。
そして、いよいよフィナーレは、祇園石段下。交差点周辺には後援会、連合京都の組合員など千人近い人が結集。立ち止まる市民や観光客も多い。民主党の京都府連の大きな宣伝カーの上から、ぼくも2区総支部の議員団を代表してメッセージ。政権交代を実感する熱気!前原議員、熱い熱い最後の演説。そして九谷幹事長のがんばろう!で打ち上げ。明日は、日本の歴史が変わる!新しい政権が生まれるであろう!
そして夕暮れ左京を選挙車に乗り込んで走り、前原選挙事務所に8時前についてマイク納め。終わった!三条河原町には1区の平候補の応援に岡田幹事長が入洛し、多くの市民で盛り上がったという報告。1区も当選するかな!午後10時前、演説会を終えた前原候補、選対スタッフの大きな拍手で迎えられて事務所に帰還、お疲れさんでした!スタッフのチームワークも抜群によかった。暑さにはまいったが、ぼくも元気に気持ちよく駆け抜けた。頭の先まで日焼けしたよ。政権交代の夏、夜風も涼しくなった。明日の夜が楽しみだ!
●8月28日(金)
朝、7時過ぎ銀閣寺前の交差点へ、選挙中マイクを使えるのは午前8時から。前原後援会の浄楽学区のメンバーや学生ボランティアと一緒に朝立ち。「政権交代」の幟などを立てて、「おはようございます!民主党です」とドライバーに手を振り声を上げる。候補者がいなくても「がんばれよ!」と激励してくれる人が圧倒的に多くなってきた。民主党への期待は、高まっているな。
午後、東山の中野議員と選挙車に乗り込む。夕刻開催される今熊野小学校での個人演説会の呼び込み。京都女子大学の南、東山通の東の山の手を回る。細い道を中野議員ががんばって呼び込み。洋一君、ほんまにようがんばったよ!
そして午後3時過ぎ、東山二条ジャスコ前で前原候補が合流。前原候補の声を聞きつけたご近所の方が演説に聞き入り握手作戦。そして吉田、下鴨、養正学区を前原候補、自らマイクを握って政権交代を訴える。声を聞いて家から飛び出てくる人も多く、候補者は車から降りて一人ひとりに丁寧に握手。下鴨の商店街では学生ボランティアらと歩き、走り、握手攻め。いやはやえらい人気や。街の雰囲気は最高潮。
夕方、岡崎の消防分団員で、体育振興会会長の松井さんのお通夜に参列。心よりご冥福をお祈りいたします。
夜、8時から前原候補地元の修学院小学校で最後の演説会。さすが地元だけあって満員。ぼくも演説。かって鳩山さんや菅さんも応援弁士にこられたこともあったな。応援弁士は、松下政経塾の先輩の杉並区長の山田宏さんと鹿児島から帰ってきたという福山参議院議員。そして前原候補、地元のみなさんに最後の訴え!500人の参加者で熱気と高揚感がみなぎる。
午後9時から選対会議。山科の鏡山小学校は600人、今熊野小学校でも300人の参加者があったという。盛り上がったな!期日前投票も前回を大きく上回っているという。勝利を確信する。さて民主党はどこまで議席を伸ばすのか。地殻変動が起きるのか!市民革命前夜か!
●8月27日(木)
選挙車は山科と東山を回る日。藤川、豊田、中野議員ががんばっているので出番はなし。事務所でちょっとゆっくりしながら、この間の行動をメモを見ながら、ひとくち日記の書き込みなど雑務。また演説会に来ていただいた方にお礼の電話。
午後遅く、静岡から大学時代の友人のナベさんが上洛、つい先日、学生のときに結婚し、37年連れ添ってきた奥さんを亡くした音喜多君宅を弔問。音さんは、ぼくの選挙ポスターを撮影してくれるカメラマン。ぼくら3人が出会ったのは1968年。同志社文学部文化学科文化史の1回生のときの同じクラスの旧友たち、ナベさんとは一緒にキューバに行った仲。長い付き合いになったな。仏前に線香をあげて、ビールを飲みながら闘病生活のことなど聞き、奥さんを偲ぶ。小学生のおしゃまな孫娘がにぎやかで、沈んだ空気を和ましてくれる。心よりご冥福をお祈りします。
夕方、自治労教育支部のサマーパーティに。選挙で多忙な中、議員団から4人が参加。教育委員会は、超過勤務の多い職場で、労働組合としてその改善などに取り組み、また京都の教育改革にがんばっている。山崎支部長ら若いメンバーが清清しい。支部立ち上げに努力された亡き荒木英昭さんのことに触れた挨拶をひとことして、前原選挙事務所へ。いよいよ終盤、最後の祇園石段下でのフィナーレ行動のことなど打ち合わせ。
わが家には広島から甥っ子が泊まる。4年ぶりかな?大学生になりしっかりした。大学ではバンドでボーカルとギターを弾いているという。元気でなにより。勉強もしっかりしないけんよ!
●8月26日(水)
朝立ちは、わが地元の熊野神社前。出勤途上の知人等が声をかけてくれる。また錦林小学校の児童たちの通学時間になると地域の見守り隊の人が交差点に立ち声をかけられている。これぞ地域力。昼前、ご近所の方の告別式に。
そして午後1時から8時まで選挙車に乗り込む。静岡から榛葉参議院議員が応援弁士。松ヶ崎や下鴨を回り、高野イズミヤ前などでスポット演説。候補者がいないと寂しいが、応援弁士が熱の入った演説。阪急ストア前では、前原後援会の面々がサクラになってくれて盛り上がる。夕方からは北岡府会議員が乗り込んでくれて、二軒茶屋まで足を伸ばす。ちょっと夜風が涼しくなってきた。12日間にわたる選挙もいよいよ終盤戦。政権交代の夏ももうすぐ終わり、秋やな。30日の夜が待ち遠しいよ。自民党が巻き返しをするかもしれないが、大勢は変わらないだろう。自公政権が崩壊するのは間違いない。
新型インフルエンザ対策なども含めて危機管理の対処も大事だし、民主党新政権はどう舵を取るのか。「山が動いた」ときも興奮したが、ともかく最後までがんばろう!
●8月25日(火)
昨日の近衛中学校での演説会も盛況に終わりほっと一息や。今日の朝立ちは、出町柳駅前。今朝は候補者も一緒。前原後援会の主だった面々とわが後援会長の柿阪親子等も応援に。候補者もいるし、いつもの場所なのでとりわけ反応がいい。車から手を振ってくれる人も圧倒的に多い。向かいでは社民党の候補者が2人のメンバーを引き連れて細々と朝立ち。
新聞や週刊誌には、民主党政権になったときの内閣の予想名簿が憶測され始め、また小沢チルドレンがたくさん当選しそうで、その勢力がどうなるかとかも取りざたされている。選挙後をにらんだ動きが早くも始まっているのだ。朝立ちの後は、事務所で雑務。
午後、久しぶりに昼寝で疲れをとったあと、某新聞記者さんが来所。世論調査の結果などを基に、投票率がどうなるのか、70㌫ぐらいになれば、何票になるのか、色々と雑談。
夕方は、前から予定していた映画「月下の侵略者」の実行委員会発足に向けての事務局会議。9月上旬に試写会をすることに。ビラ作成などの打ち合わせ。来年のことで鬼が笑うが、1月16日に国際交流会館で上映する。ご協力をよろしく!
今日は、候補者が京都にいる日で、演説会場は、北白川小学校と山科は百々小学校、ぼくは東山仁王門の自民党候補選挙事務所の隣の満足稲荷神社での演説会の司会。蚊取り線香の煙が境内に広がるなか、本殿に座布団をひいての演説会。弁士は、千葉県の長浜博行参議院議員、松下政経塾の2期生で前原候補の先輩ということで応援に。そして候補者入場のときは、境内で立って話を聞く人たちも。100人ほどの参加者。9時から山科事務所で選対会議。北白川小も百々小も300人ほどの入りとか。ようがんばってる。
●8月24日(月)
朝、7時過ぎから前原候補は不在だが奥さんの愛里さんと北岡、隠塚議員、そして前原後援会のメンバーや労組関係者で政権交代の「のぼり」を立てて三条京阪で朝立ち、鴨川に吹く風が気持ちいい。通勤途上の市民やタクシーから手を振ってくれる人が多いし、マニフェストをください、と駆け寄ってくる人も多いな。
午前10時、二条ジャスコ前で、大塚耕平議員参議院議員の応援弁士で街頭スポット、新洞学区や地元吉田などで4箇所でスポット演説。そして「本日、午後8時からお近くの近衛中学校で個人演説会があります」とぼくがマイクを握る。午後は、ひたすら電話作戦。果たして何人の人に来てもらえるだろうか?
6時前に会場の近衛中学校に。多くのスタッフが椅子を出したりの設営準備。夕暮れ時、ぼくはもういちど選挙車に乗り込んで吉田、聖護院周辺を「呼び込み」でマイクを持つ。意外とこれがアナウンス効果があるよ。そして会場に戻ってきたらグランドにはたくさんの車が止まっていて、会場を見渡すとほぼ満員。スリッパも足らないとあわてる。少ししのぎやすい風が吹いていてよかった。ぼくが司会で、わが後援会会長柿阪正夫さんが応援弁士のトップバッター。前原後援会会長の小林祥一さんに続いて同志社の学生ボランティアの野崎恭平君が若者を代表してアピール。そして連合京都会長代理安宅義人、水戸将史参議院議員、北岡ちはる府会議員が熱弁をふるって前原候補の入場。盛り上がった。主催者発表5百人だね。まずはハナマルやな。ご参加いただいたみなさん、ありがとうございました。今回の特筆すべきことは、郵便局の関係者に多く参加いただいたこと。感謝!
●8月23日(日)
朝は、わが事務所の1階のフリースペースをカルチャーガーデン「吉田の森」と名付けているが、そこで「朝粥の会」の2回目。高齢者情報問題研究所の高橋美充さんが「小さな親切、大きなお世話 パソコン編」と題して話題提供です。ご近所の方などが十数人がインターネットや携帯電話の功罪などについてお喋り会。
選挙車は主戦場の山科を街頭宣伝。午後、1区の平智之候補の事務所を陣中見舞い。今枝徳蔵議員と安孫子和子議員がマイクを握って元気よく事務所に帰ってくる。ご両人ともほんまに元気や。ちょうど事務所には、連合の髙木会長も激励に来られていた。平候補、昨年秋に公認候補となって以来、自民党の派閥の親分でもある伊吹文明氏に果敢に挑んできた。色々とあったけれど、ようがんばってきたよね。背中が見えたか、ひょっとしたら風に乗って、鼻の差で勝つのかな!
その後、事務所で近衛中学校の演説会の呼び込みの電話作戦。携帯電話に登録されている知人、友人等に片っ端から電話。
午後4時、ちょっと時間を作って、映画「鴨川ホルモ」の舞台でもあった近くの京大の吉田寮。古ぼけた寮に入るのは久しぶりや。高間響が率いる「笑いの内閣」の社会派?短編集芝居。とある高貴な一族や、田母神某らをネタに縦横無尽の活躍。最後まで見たかったな。
そして夕方は、大学時代の友人で、ぼくの選挙ポスターの写真を毎回撮ってくれている音喜多君の奥さんのお通夜。享年59歳。彼女は、とある歯科に勤められていて娘も世話になった。2年ほど前、静原のコスモスフェアーでも出会った。大学時代の友人等も遠方より参列。心よりご冥福をお祈りします。そして、午後8時頃、地蔵盆のときの町内恒例のバーベキュー大会の後片付け。ご近所の親睦の和が広がる。
選挙事務所では、中盤に向けての作戦会議。風が吹いていても確実に地道な活動を続けなければ。浮かれるなかれ!さあ、明日の演説会はどうなるかな!
●8月22日(土)
暑くてちょっとバテ気味。午後、選挙車に乗り込む。市原野から静原、大原を回るが、ちょっと市街地より涼しい風が吹いている。夏まつりの会場設営の準備中の八瀬で前原候補と合流。八瀬の自治会の役員さんたちに親しく挨拶。ふたたび大原に引き返して、「前原候補本人がご挨拶に伺いました」とアナウンスされると家から出てくる人が多い。一人ひとりに握手。夏場で観光客は少ないが、民主党の顔である前原候補と記念写真。花園橋では、元気のいい民主党の青年議員らがダッシュ号で応援に。
夕方、地元の下大路町東部の地蔵盆のテント張りの手伝いをして、隣の町内の西部ではビールをひと口いただく。そして忙中閑あり、西部講堂へ。「笑いの内閣」番外公演プロレス興行、いや面白かった!女子の選手もいて、ほんまのプロレスと同じような技を繰り出し、立派なもの。大阪プロレスよりええで!脇役のレフリー八つ橋や実況と解説も手馴れたもの。よく仕上げていた。されど諸君、三沢のように死ぬなよ!
ところで、日本ハムのダルビッシュ選手等が新型インフルエンザに感染して欠場するなど、感染者が広がっていることが報道されてたが厚労省は「流行期」と発表。
●8月21日(金)
朝立ちは花園橋。今朝は候補者も一緒。大原や岩倉からの通勤ドライバーに手を振る。前原候補が定例的に朝の街頭演説を行っている場所。クラクションを鳴らし、また手を振って応えてくれる人が多い。ええ感じやな。午後2時過ぎから4時前まで北岡府議と左京南部を回る。彼女のマイクは天下一品。
午後4時前、久しぶりに市役所へ。各会派の部屋がある2階は閑散としている。みんな選挙で走り回っているのだろう。ちょっとしたご縁で、「日本電動車椅子(いす)サッカー選手権」に関西代表で出場するソニック京都電動蹴球(しゅうきゅう)団の市長表敬訪問に安孫子副議長と同席する。代表の吉村伸さんと子息の拓馬君はボーイスカウト24団のメンバーで、また大谷高校1年生の副キャプテン河前雄也君は、第四錦林小学校、近衛中学校の卒業生で知っていた。車椅子にガードをつけてコートでボールをパスしてゴールをする激しいスポーツ。妹さんたちがチアガールで家族ぐるみの応援。ハンディキャップをものともせずにがんばる姿に心を撃たれる。がんばって!
夜は、下鴨神社参集殿にて演説会。下鴨や葵学区の人たちでほぼ会場は満席。応援弁士は、奈良越前市長と鈴木寛参議院議員。東大卒の通産省出身のキャリア組みで大学の教授もしているとか、マニフェスト作成のメンバーで頭が切れる人らしい。終了後、東山の白川小学校と山科の音羽川小学校の演説会をのぞく。それぞれ300人ほどの入りか。中野議員、藤川議員ががんばった!山科事務所で選対会議。わが事務所では、終日、近衛中学校の演説会に向けてボランティアのメンバーなどで電話作戦。週刊誌も含めて各報道機関、世論調査の結果を踏まえて、民主300議席を超える勢いと報じる。ほんまかいな!できすぎや!油断大敵!引き締まっていこう。
●8月20日(木)
朝7時過ぎから、洛北高校前交差点で前原夫人の愛里さんと北岡府議、隠塚市議や前原後援会のメンバーと一緒に朝だち。朝は苦手や。燦燦とふりそそぐ朝の陽射しが眩しい!汗が吹き出る。8時からしかマイクを握れないので、手を振りながら民主党をよろしくと、声を張り上げる。午後、前原候補の選挙車に乗り込み、ぼくの地盤の左京南部を回る。
候補者は、民主党副代表として他の選挙区の候補者の応援にも行くので、選挙中12日間のうち京都を留守にしていることも多い。候補者に成り代わってマイクを持つ。そして、前原候補と親しい参議院議員が応援に来てくれる。徳島県から中谷智司議員、北海道から峰崎直樹議員が入洛、マイクを持ち熊野神社のサンプラザ前などで街頭でスポット演説。そういえば4年前には、なんとかファンドの人が応援に来ていたな。ホリエモンなどがちやほやされていた時代だった。当時の時代寵児たちは今どうしているのだろう。
夜、上高野の葬儀場に反対する会の集会に。岩倉と上高野の自治連の会長さんらと一緒に請願の紹介議員になった大西、柴田議員らと壇上に座る。会の代表の方から経過報告の後、ぼくは請願採択の意味など葬儀場建設に伴う今後の京都市の対応など報告。このところ、業者が風致条例に違反した工作物を建設したということで工事はストップしているとのこと。弁護士さんからも報告。会場には200人ほどの地元の人たち。夜、9時から選対会議、今日一日の点検と、明日の日程の確認など。
●8月19日(水)
京都2区は左京、山科、東山区。4年前の選挙では、ウグイスおじさんとして山科・東山にも越境して応援のマイクを握ったが、2年前の統一自治体選挙で、山科では豊田貴志府議と藤川剛市議の2人、東山には中野洋一市議と三人の若手の元気な議員が誕生した。今回は彼らに任して、ぼくは友人と左京の南部を終日、証紙を張ったポスターを民主党の掲示板に貼りまわる作業。汗が吹き出る!選挙の基本はポスター貼り。事務所ではカミさんを中心に電話作戦を本格的に開始。夕方は、近衛中学校での個人演説会も確定したので教頭先生と演説会の打ち合わせや、演説会の告知も兼ねた選挙葉書の印刷も一日で刷りあがってきたので応援団のみなさんとタックシール貼りの作業と近衛中学校での演説会打ち合わせ、目標は4百人だ!
●8月18日(火)
朝、修学院の前原誠司事務所で出陣式。歴史的な衆議院選挙の始まり、政権交代の夏、12日間、全力で闘おう!と挨拶。11時過ぎ、鳩山代表が大阪での第一声を終えて京都入り、伊吹候補に闘いを挑む一区の平智之候補の応援に、四条河原町には千人ほどの聴衆。テレビカメラが設置され高揚感!行けるぞ!
午後、証紙を貼り付けた前原候補の顔写真ポスターと政権交代の民主党のポスターを炎天下、友人と貼りに回る。日射病になりそう。夕方、宝ヶ池のグランドプリンスで北岡府議が責任者の演説会。会場は、初日にも関わらず300人の満員、参議院議員の愛知県の参議院議員の大塚耕平議員が応援弁士。
前原候補、決意と政権交代の意義を述べる!東山、山科でもそれぞれ演説会。午後9時から前原事務所で選対会議。選挙中の日程や、明日、明後日の街頭行動計画など決定。始まった!近衛中学校など公設の演説会場も確定した。
波乱の人生を送られた金大中・元韓国大統領死去。享年85歳。
●8月17日(月)
いよいよ明日から選挙本番。日本の政治を変える歴史的な12日間になるだろう。政権交代に向けて全力疾走!それにしても夏の選挙は暑くてたまらん。熱中症にならないようにして、がんばろう!
午前中、昨日に続いてダッシュ号に乗り込んで、左京、東山、山科を回る。暑くて頭がクラクラする。デッキに乗って手を振っていると、すれ違うドライバーや歩行者から手を振ってくれる人が多いのを実感する。民主党への期待は高まっている。山科駅前では前原副代表が演説。学生ボランティアグループも盛り上げに。立ち止まって聴く人やマニフェストを手に取る人も多い。ぼくもオバマ大統領の「Yes,we can!」とアピール。
午後、とある新聞記者さんが来所。風は確実に民主に吹いているが、それにもまして、前原陣営は、この4年間の前原候補自身の朝の街頭演説や地域活動、また国政報告会の開催など地道な活動、また4人だった府市会議員が6人になったことなどが、力となって、より票を積み上げるのではないかと、戦況分析。されど油断大敵。
夕方、前原事務所で選挙対策会議。明日の出陣式の確認や今後の日程など打ち合わせ。ぼくが責任者となって前原個人演説会をとある会場で来週早々、開催することになる。ぜひお越しください。詳細は事務所に問い合わせてね!
さあ、12日間の選挙戦の始まり。あなたの一票で世の中が変わる!変えよう!8月30日投票日まで、選挙に関して「ひとくち日記」の更新は控えます。未だインターネットを活用できない、日本の選挙は、ほんまにナンセンス!
●8月16日(日)
日曜日だというのに朝、民主党の大型宣伝カー「ダッシュ号」に、2区総支部の府市会議員、北岡、豊田、隠塚、藤川、中野そしてぼくの6人が乗り込み、左京、山科、東山を回り、それぞれの地盤では後のデッキから手を振りマイクを持つ。大文字山登山をする人で賑わう銀閣寺前では、前原副代表がスポット演説。暑い日差しにも関わらず立ち止まって聞きいる人やマニフェストを受け取る人も多い。もう本番並みの盛り上がりや。
昼過ぎ、日本の植民地から解放されて64年。京都会館での在日本大韓民国民団京都府地方本部主催の光復節の式典に。3年前か、副議長の時には祝辞を述べた。今回は客席の来賓席に座る。それぞれの挨拶があった後、在日の人々にとって、今年の夏の衆議院選挙は、地方参政権獲得のための「勝負のとき」。地方参政権の付与に賛同する候補者が多数当選できるように支援をしようと決議が読み上げられた。納税の義務を果たし、住民として地域社会に貢献している永住外国人として地方参政権があってぼくは当然だと以前から提起してきた。民主党の中にも色々と議論があるようだが、流れは地方参政権を付与しようとする方向だと思っている。政権交代をしたらその流れが加速することを願う。
午後は、大文字山に登ってボランティアとして火床に薪を運ぶ作業をしたかったが、選挙本番を控えて、今年は断念。暑い中、政権交代!の鳩山代表の大きな顔写真のポスターの張替えに地元を回る。そして夜は、昨年と同様に毎日新聞京都支局ビルでの五山の送り火鑑賞会に。屋上に登って京都の夜空に燃え上がる大文字、妙法(残念ながら妙は見えない)、船形、左大文字、そして西のほうに小さく見える鳥居を見る。帰途、友人と近くの居酒屋で飲んでいたらスペインはバルセロナからのグループが来店。久しぶりにカタコトのスペイン語を喋った。夏も終わりやな。
●8月15日(土)
64回目の終戦記念日。ぼくは「戦争が終わってぼくらは生まれた」世代だが、不戦の誓いをする日。朝、ひとりの知人を伴って百万遍知恩寺の「手づくり市」へ。嵐山でミニ手づくり市の開催を企画しているということで主宰者の臼井郁司さんがアドバイス。手づくり市が始まったのはもう20年ほど前。当初は10店ほどの出店が今では300店ほどか。天神さんや弘法さんと並ぶ市になったね。
昼前後、地元を市民派議員レポート配り。ほぼ第一弾の配布を終わる。
午後、北山は大見地区の再生、エコビレッジづくりの計画についてアミタの熊野英介さんと、かって大見の自然を守れと!反対運動を立ち上げ、立ち木トラスト運動などを展開、また大見地区基本計画策定委員会のメンバーでもあった四方功一さんと福岡義典さんらと初めての懇談。ぼくも久しぶりに再会。ぼくがこの2ヶ月ほどの大筋を説明して、熊野氏がアミタが取組んでいる様々な事業、とりわけ京丹後市での森林牧場の取り組みなど循環型社会づくりの想いを披露。話は、経済や企業のあり方、福祉や教育などにも広がり、熱い議論になった。今後、どのように市民参加型で大見再生計画を進めていくのか、色々と相談。大見地区は公園として都市計画決定がされているが、京都市も発想の転換をすることが必要だ。地元の人たちはもとより、かって残土投棄の大見公園計画の反対運動を展開していた環境保護市民運動の関係者とも協議しながら、環境モデルの地域になるよう未来志向で夢を描きたい。課題は多いが、ぜひ実現に向けて尽力したいね。
●8月14日(金)
いささか二日酔い気味。朝、9時30分から宣伝カーに乗り込む。汗を流して元気にマイクを握るが、お盆なので声を抑える。松ヶ崎、養正、下鴨周辺を回る。暑いよ!熱中症にならんようにしないと。
午後、市役所へ。来年1月1日に米カリフォルニアで開かれる世界最大のパレード「ローズパレード」に出場する日米グリーンバンドの学生たちが着物やハッピを着て門川市長を表敬訪問。同志社、立命、京大などの学生11人と団長の平松久司全日本吹奏楽連盟理事長や事務局の熊谷君ら。市長はいつものようにもちろん着物姿。「存分に和の文化を発信してほしい」と学生たちを励まし、正面玄関で記念撮影。ちょっとした縁でぼくも応援団の一員になったのだ。その後、担当者と京都市の後援や練習場の確保やイベントへの参加のことで打ち合わせ。
夕方、川東学区の町内連合会会長で市政協力委員の不破又三郎さんのお通夜。ゴミ収集車に挟まれるという事故で亡くなったという。享年77歳。温厚な人だった。謹んでお悔やみ申し上げます。
●8月13日(木)
午前中、北白川の中村宅に。ぼくは同志社大学に通いながら烏丸今出川西入の喫茶「駱駝館」でやとわれマスターをしていた時代があったが、そのときの常連客で同志社の美学の先生だった中村敬治さんは、その後、東京で美術評論活動をされていたが、2005年に東京で亡くなった。奥さんが京都に帰ってこられていることで「駱駝はまだ眠っている」(砂岸あろ著)を持って弔問に。遺稿集として出版された「現代美術巷談その後」をいただく。享年68歳だった。心よりご冥福をお祈りいたします。
午後、前原号に乗って左京区を街頭行動。選挙用に使用する車なのですでに看板も取り付けられて白い布で覆われている。運転手は浄楽後援会の中村廣兄。ウグイス嬢も同乗していよいよ選挙戦本番も近い。浄土寺、岡崎、新洞学区など左京区南部を回る。聖護院はサンプラザ前でしばし演説。久しぶりに会う友人等ががんばれよと声をかけてくれる。嬉しいね。夕方、市民派議員レポートを発送。また地元を配布。
夜は、ロシア料理の店「キエフ」で鴨沂高校の後輩と一献。雨でビアガーデンではなく残念。マネージャーで京都くいしんぼうの会の小山晶之氏から「京都で楽しむ世界一周くいしんぼうの旅―京都は世界の食の都―定番にしたい異国料理の店」をいただく。いやはやアジア、ヨーロッパ、中南米とほんまに色々な店があるね。今度
世界一周の食べ歩きをしよう
●8月12日(水)
事務所には来客。国立大学の独立法人化などに関わり、第三者の立場で協力、提言をするというNPO法人よろず相談21世紀法人像研究会の方、またフリースクール恒河沙の福島美枝子女史が相談ごと。千本中立売では「コミニテ食堂」もオープンし、不登校児の対応を学ぶ勉強会をしたり、「すきすき京都」という新聞を発行したり、まあ元気に色んなことをやってる。障害者自立支援法の制度の中で今後どう運営するのか、悩みはある。保健福祉局の担当者と話をしてみよう。
合間を縫って、市民派議員レポートと民主党のビラも一緒に配布。汗が吹き出る。
夕方、京都会館第二ホールへ。2区総支部主催の「民主党政策フォーラム」。会場は2階も満席で立ち見の方も。1200人ぐらいの参加者か。スゴイ!連合京都の安宅会長代理の挨拶で開幕、福山参議院議員、松井孝治議員が挨拶のあと、大きな拍手の中、前原誠司予定候補がマイクを持つ。
高坂教授との出会いから政治家を志したこと、4年前の郵政選挙のときに苦い記憶、そして岡田代表辞任を受けて代表選挙に出馬、代表になったときのこと、とりわけ、メール問題で激しく非難されて代表を辞任したこと、さらにこの1月に自殺した永田元衆議院議員の墓参をして、お父さんと会ったことを涙を流しながら重い十字架を背負っていると発言。会場はシーンと静まりかえった。そして、一段落したところで、政権交代をしたときに将来の日本をどう設計していくのか、ビジョンを熱く語った。ぼくは十数年、彼の演説を何十回、何百回と聞いているが、人の心に訴える秀逸な演説だった。最後は、九谷和彦後援会幹事長の元気な音頭でがんばろう!涙と熱気とが混ざったいい集会だった。いざスタートだ!
その後、事務所でわが応援団の主要なメンバーに集まってもらって公営掲示板ポスター貼りのことやぼくが責任者の個人演説会の会場設営のことなど打ち合わせ。
●8月11日(火)
朝、テレビでは静岡での地震6弱の報道。おおえらいこっちゃ!東名高速道路も一部崩壊して通行止めとのこと。被害が少なければいいのだが。午前中予定されていた、民主党京都府連主催で予定されていたマニフェストの説明会が、新幹線が不通になり、福山参議院議員が京都に帰って来れないとのことで中止の連絡。残念。また午後は、民主党の宣伝カーに乗って走る予定が、車が故障したので中止。しゃあないなあ。
で、わが事務所では、助っ人も来てくれて、ひたすら明日の京都会館での集会の案内の電話作戦、また市民派議員レポート夏号の発送作業。
午後になったが近くの公安院と吉田神葬墓地へカミさんと鈴木家代々の墓参り。同じ墓地に祀ってある日和さんの墓石には大好きだったタバコを置く。吉田山山麓にある吉田神葬墓地からは、京都の街が見渡せる。ぼくもいつかはここに入ることになるだな。
●8月10日(月)
選挙本番に向けての決起集会を兼ねた「民主党政策フォーラムー政権交代でしか日本は変わらないー」の集会の案内をするべく電話作戦を始める。カミサンががんばってくれている。反応は上々かな。
昼過ぎ、福祉工房P&Pの伏見作業所に、わが市民派議員レポート夏号の発送の準備、タックシール貼りや封入などをお願いする。また今後の作業所の運営についても議論。来客の応対などで、午後4時過ぎに議員団室に。
そして夜は、修学院駅前の前原事務所で選対会議。改装も終わり、選挙事務所らしくなった。前原後援会の各部署の責任者、連合京都の代表者、そして2区の府市会議員が揃って日程などの詰め。ようやく選挙本番モードの雰囲気。副代表として民主党の顔である前原候補は、12日間の選挙中、他の候補の応援に全国を駆け巡るとのことで、京都を留守にすることも多く、我々が動かなくてはならないし、個人演説会の日程も限られてくる。また小学校など公設の会場は、公示日に抽選で決まることになるので慎重に考えないかん。まずは18日選挙戦の初日は、宝ヶ池のグランドプリンスや山科はブライトンホテルで演説会を開催することをまずは決定した。来てや!また12日京都会館での政策フォーラムのプログラムなどを検討する。千人ぐらい集まってもらえればええなあ!
ニュースでは、台風9号の影響で、兵庫県佐用町などで豪雨による被害者の報道。このところ山口県など西日本で豪雨による被害が続いている。お見舞い申し上げます。
●8月9日(日)
ナガサキに原爆が投下された日。同志社時代、長崎から来ていた久雄君もヒバク二世だった。当時よく飲みながら、ヒロシマ、ナガサキのことを語ったものだ。ちょっと会ってないけれど久雄君、元気にしているか!お互いよう生き延びたよね。
朝9時過ぎ、元府議の鈴木源太郎さんの奥さん、鈴木智子さんの告別式に。加地浩議員らと立礼。智子(さとこ)先生は、崇仁小学校などで同和教育に熱心に取組まれてきたという。お友達はもちろん同僚だった先生方や教え子の方などたくさんの参列者。社会党時代は特にお世話になった。マサホ君、がんばりなさいよ!と激励していただいた。肝っ玉母さんのような人だった。式場には「月の砂漠」が流され、娘さんがお別れのときにも歌われた。享年83歳。心よりご冥福をお祈りいたします。源太郎さん、ガックリきやはるやろな。
午後、上高野は子どもの楽園前で葬儀場建設問題で結成された「宝ヶ池地域の環境を守る会」主催のふれあい納涼の集い。ギター演奏や焼きそばやバザーなど定番とともに、署名用紙もおかれて葬儀場問題ついて考えようという試み。突然の葬儀場問題が浮上して、地域の人々のつながりやふれあいができたのだと思う。
夕方、今枝徳蔵議員の恒例の「徳ちゃんと乾杯!」の集い。京都タワーホテルで4日連続の開催で最終日。いやはやパワーのある会や。松井、福山参議院議員、前原副代表、そして伊吹文明候補に闘いを挑む平智之さんがメインゲスト。ご挨拶だけさせていただいて退席。
松ヶ崎の山田多郎君の通夜に。京都市芸術大学卒業生で、亡くなったのはぼくの弟から聞いた。松ヶ崎の夏祭りでニコニコ笑いながら浴衣姿で盆踊り?を踊っていたことや、2年半ほど前のぼくの新春サロンで酔っ払っていたことを思い出す。飲みすぎたのかな、50歳代前半やと思う。ちょっと早すぎるぞ!心よりご冥福をお祈りします。
●8月8日(土)
昼前、高野の赤の宮にある4月に開店したラーメン店「みのり」へ。ちょうど雑誌の取材中だった。美味しいゴマダレ、キムチ入りの冷麺をご馳走になりながら、オーナーの熊谷君と懇談。彼はグリーン・バンド協会の事務局で、来年正月にカリフォルニアで開催される「ローズパレード」に京都の大学生チームが参加するということで、市長を表敬訪問をすることになった。その打ち合わせ。界隈はラーメン激戦区だががんばってや。ボリューム満点の定食もあった。大食いの若い人食べに行ってみて。
午後は、友人が娘さんと一緒に来所。「劇団ソノノチはじまり」の代表で脚本家の中谷和代ちゃん。 この9月21・22日に下鴨は「人間座スタジオ」で、「おかえりの底」という芝居を上演するということで、チラシを置く場所や宣伝の方法、京都市の演劇と文化行政のこと、練習する場所のことなど色々とアドバイス。また「笑いの内閣」の青少年活動センター有料問題でぼくも舞台に上がったことなど楽しく話す。ぼくは演劇にハマったことはないが、若い彼女たちを応援したいね。9月は、ぼくも見に行くで!がんばりや。
合間に選挙準備で電話作戦用の名簿の整理など。週明けからは本格的な電話作戦を始めよう!
夕方、同志社時代の友人、今江平蔵さんを偲ぶ会。ぼくよりちょっと世代が上の神学部や壮図寮や比春寮のつわものたち。91歳のお母さんも来られていた。70年代前半に若くして亡くなった平蔵さんを偲びながらの同窓会か。軍事評論家の小川和久さんや元高槻市議の岡本嗣郎さんと久しぶりに会う。みんな頭が薄くなったなあ!
その後、ほろ酔い気分で鴨川を美しくする会主催の鴨川納涼へ。三条から四条の河川敷にボランティ団体のブースや舞台では琉球舞踊など演じられ、そして全国の県人会が屋台を出して大賑わい。これも京都の夏の風物詩。オリオンビールが美味かった!
●8月7日(金)
朝、名古屋市会の立派な議会棟へ。民主党の吉田隆一議長を表敬訪問。京都市会議長室に比べて格段に広い!そして別の部屋で多忙なとき、この4月に当選された河村たかし市長が登場。テレビでお馴染みの愛嬌のある名古屋弁で織田信長の「楽市楽座」を例に、庶民革命、市民税減税をするのだと挨拶。そして記念写真。ぼくの顔もでかいけれど市長の顔はぼくよりでかいな。1948年生まれとかでぼくと同学年や。元気な還暦や。市長退席の後、市長選挙のマニフェスト実現に努力している二人の課長から、新しい住民自治の仕組みである地域委員会の創設に向けての取り組みと、市民税減税10パーセントの取り組みについて説明を受ける。市長が変わると役所はたいへんだよね。先の市会で市民税減税の基本的な方針に関する条例が上程されたが、継続審議になったという。圧倒的な市民の支持がある河村市長と、与党であっても民主党の議員団との関係は、まあ色々と課題があり調整もたいへんみたい。昭和初期に開場した本会議場を見学するが、円形状で面白い。映画の撮影にも使われているという。26人の構成だという名古屋市議団の団長・幹事長らお世話になった。感謝。名古屋名物「鰻のひつまぶし」は美味しかった。本場で久しぶりにパチンコしたが、どえりゃー疲れた。ワヤだがね!
夕方は、わが事務所で久しぶりの「吉田の森サロン」は。民主党マニフェストを読む会。ぼくが話題提供ということで、鳩山代表の写真が表紙のマニフェストの項目と「政策インデックス」も披露しながら、ああでもないこうでもないと議論。20人近い参加者。ともかく政権を奪取してみないと実行できるかどうかわからんやろ。
夜、鈴木源太郎元府会議員の奥さん、智子(さと子)さんが危篤だと連絡があり病院に行くが、すでにご遺体は葬祭場に。昨年夏頃か、体調を崩されていると聞いていたが、残念無念。わが盟友山本恵議員も駆けつけたが、すでに安らかに永遠の眠りをされていた。心よりご冥福をお祈りいたします。
●8月6日(木)
ヒロシマに原爆が投下されて64年。わが父は学徒動員で広島は宇品で被爆した。被爆者手帳を持つ。先日、大文字山に登ってきたという。元気な90歳。被爆2世のぼくも頭髪はほとんどなくなったが、白血病で死ぬこともなく還暦を迎えることができた。よう生きながらえたと思う。秋葉市長が「オバマジョリティ」という言葉を使って、「Together,we can abolish nucler weapons.Yes,we,can.」が心にしみる。戦後64年目の夏。
昼前、水族館建設問題が話題を呼んでいる梅小路公園は「一木市」へ。百万遍の「手つくり市」のわが友人臼井さんらが始めた。今では手芸品など多くのブースが出て梅小路公園の名物になってきた。ぼくは「癒し姉妹」に肩のマッサージと足裏マッサージをしてもらう。浅野さんの見立ては天下一品。リラックスできて気持ちいいよ!疲れが取れた。感謝。
昼過ぎ名古屋へ。民主党の政令指定都市政策協議会の四役会。名古屋の奥村議員が会長で川崎市の天笠議員が幹事長。ぼくは京都市会代表で副会長。政権交代があるかもしれないという予測で、民主党本部への働きかけや今後の研修会の持ち方、地方議員の年金制度のこと、政務調査費のこと、政令市総支部協議会の設立のこと、岡山など新たな政令指定都市になった民主党議員団の参加のこと、地方分権のことなど色々と協議。北九州、神戸、仙台、そして名古屋の各議会の状況など意見交流。横浜は不参加だったが、中田市長の不出馬を表明を受けて市長候補擁立を巡ってたいへんみたい。テンプラが美味かった。
●8月5日(水)
朝、出町柳駅前に。朝の陽射しが眩しいが、鴨川に吹く風が気持ちいい。前原副代表と街頭演説。前原事務所のスタッフは、マニフェストなどのビラ撒き。ビラを受け取る人も多いし、車から手を振ってくれる人は多い。民主党に風がほんまに吹いているなあ!?
10時から教育福祉委員会。まずは、教育委員会と一般質問。ぼくは、先日開催された「子どもをともに育む未来づくり教育フォーラム」について質疑。遠くは宮城や宮崎県からの参加者もあり3千人の参加者。ノンフィクション作家の柳田邦男さんの講演にふれながら絵本のことなど感想や、また地域ぐるみの教育改革ということで、わが第四錦林小学校の見守り隊や子ども剣鉾の活動にふれながら、地域における学校ボランティアの役割や地域とともに歩む学校づくりについてに質疑。また白河総合支援学校のお母さんたちが先生方と一緒に職場実習の確保のために企業周りをされていることを紹介し、昨日開催された障がい者の就労支援推進会議の感想を述べて、障がい児の就労支援教育のことなど教育長等と質疑をした。
保健福祉局からは、京都市保育連盟に対して執行された委託料などに係わる市長要求による特別監査の結果及び今後の対応についての報告。春に発覚した保育園連盟の不透明な補助金の動きについて、中央斎場待合室の接遇業務が、どういうわけか、保育園連盟に委託され、他者に代行され、さらに実際の営業者がいたという摩訶不思議な構図。ようわからん。4月からは一般入札で新規の会社が運営しているとのこと。八瀬の野外保育センターのことも報告され、また一部の補助金については140万円の返還を求める結果が出された。特別監査の報告をすべて終わったが、今回のことを契機に保育園連盟は再出発を図って欲しいね。その後、市立病院のPFI方式に係わる整備事業のことなどについて質疑もされ、終わったのは3時前だった。
夕方は、第三錦林小学校グランドでの「錦林東山防災の夕べ」。消防音楽隊の演奏による黄昏コンサート。地元の子供たちが集う。来年の京都市消防総合査閲に錦林東山消防分団が出場をすることになっている。がんばってや!自民党の若い前衆議院議員も参加していて立ち話。エールを送る。
●8月4日(火)
朝、8時前に百万遍に交差点に。前原誠司民主党副代表がすでに朝の通勤者などに向けて演説中。ぼくもマイクを持って「地元の市会議員の鈴木です。戦後64年いよいよ政権交代のとき、地方主権で京都市政の発展を!」と訴える。朝の陽射しが眩しい。それにしてもドライバーなど手を振ってくれる人が多いな。確かに風は民主に吹いているようだ。
昼、市役所の職員だった清水芳和さんの告別式。享年56歳。以前から病気療養中でちょっと回復されたときに会ったことがあるが、随分痩せておられてびっくりした。ご冥福をお祈りいたします。
午後は、京都市障害者就労支援推進会議設立記念対談。障がい者の雇用促進を進められてきた秦政さんと「かんでんエルハート」の中井志郎さんの対談。中井さんは、雇用機会を拡充するための特例子会社「かんでんエルハート」の現状や課題、新たな可能性について報告。現在150人の障がい者が就労し、福祉作業所から現在は一般市場への参入を図ろうと様々な事業を展開。「ミッションの達成にはパッションが必要」と言われる。その通りやね。福祉団体の関係者などが多く参加。こんど教育福祉委員会で京都市の就労支援の取り組みなどについて質疑をしよう。
夜、吉田神社境内で剣鉾の定例練習日。粟田神社の剣鉾グループの人らも参加して、色々とアドバイスをしてもらい一緒に汗を流す。その後、とある郵政事業の関係者と今回の選挙や郵政民営化の弊害などについて懇談。それにしても4年前の小泉郵政劇場選挙が残したものはいったいなんや!「自民党をぶっつぶす!」と言い放ったことが4年後実現しそうやね。
●8月3日(月)
ようやく梅雨明け、カラッとした夏の空が広がる。午前中、市民派議員レポート夏号の発送準備で住所録のデーターの整理や、タックシールの打ち出しの作業。
午後、シベリアに抑留されていたという福田さん宅を訪問。福田さんは、1923年(大正12年)生まれで、86歳。極寒の地、イルクツーク州の収容所で抑留、強制労働に従事されていた人。棄兵棄民政策の責任を取れと、国家賠償請求裁判の原告団の一人で、シベリア抑留問題の解決のために民主党もがんばってほしいというエール。戦後64年、戦争責任の問題は終わっていないのだ。8月は戦争と平和を考える季節。
その後、民主党前原号の宣伝カーに乗って、マイクを持ちながら下鴨、養正地域を走る。洛北高校前などで街頭演説。気合が入ってきた。
夕方は、国際会館での「デンマーク・乾杯の夕べ」。この5月31日に「京都からコペンハーゲンへーデンマーク大使とエコサイクリング」のイベントを成功裡に終えることが出来たが、その実行委員会の事務局メンバーの快気祝を兼ねて集まる。ステージではデンマークの歌手のライブや抽選会もあり、打ち上げ花火が夜空に輝く。ちょうど門川市長も来場していて、メンバーと懇談。ぼくと市長は2人して花火を見上げながら、京都の未来を語る!
●8月2日(日)
朝、7時過ぎ、北部農業指導所から今日は花脊は山村都市交流の森で予定されていた「ふるさと森都市フェスティバル」が大雨警報が出たので中止との電話。いつもなら梅雨も明けて夏日なのに。準備されてきた地元のみなさんの落胆振りが目に浮かぶ。誠に残念だ!吉田神社の祭具の虫干しも2週連続の雨で中止。ほんまに天候異変や!誠に残念!午前中久しぶりに爆睡!
午後、事務所にて同志社の「総政会」の会報の原稿書き。総合政策科学研究科が開校して12年。同窓会員も800人ほど。会長を2期4年したので若い世代にバトンタッチをしようと思っている。秋には総会を開くが、昨年はメダリストの朝原宣治選手にオリンピックの話をしてもらった。今年は、民主党が政権交代をしているであろうと、記念講演を修了生の民主党は滋賀県選出の田島一成衆議院議員にお願いをすることにした。彼は彦根市議のときに社会人入学したのだ。
夜、選挙事務所へと改装もされた前原事務所にて、2区総支部選挙対策委員会。期間中何日かは民主党の副代表として全国の候補者応援に行くということで、候補者不在になる。我々ががんばらないと!選挙葉書の出し方や演説会の日程など今後の方針を詰める。
●8月1日(土)
朝、8時から地元のファミリーマート前の近衛広場の清掃、草刈のボランティア。「近衛ひろば・みどりの会」として京都市の街路樹里親制度に登録をし、毎年、お盆前と秋祭りの前など年に4、5回やっている。ぜひご近所の街路樹の里親になってください。ご近所の寿会の面々と汗を流した。
終わって家にいると豪雨。鳩山代表が上洛するというのにえらいこっちゃ!昼、長靴を履いて岩倉は、長谷の奥の里山に。まつたけ十字軍の活動4周年記念の大パーティー。まつたけ博士の吉村文彦さんとは新婚時代アパートの隣の部屋だった。05年6月に始まり、200回の活動に及び延べ6千人が参加。ぼくが行った頃には、大雨も上がりバーベキューや石窯で焼くピザや流しソーメンで舌鼓。陶芸家の近藤高弘さんが「ポスト民芸・岩倉焼」に取組むという。まつたけ十字軍運動の約束事は、「マツタケの生活できる里山を再生しよう!」である。
ゆっくりしたかったが、午後3時前市役所に。陽が差し始めて暑い!3時過ぎになると市役所前は、民主党の支持者や市民が広場を埋める。小泉劇場のときは凄まじかったらしいが、ぼくが思い出すのは、山が動いたとき、社会党土井たか子委員長のときも熱気があった。あれ以来や。大きな宣伝カーの上には、京都の予定候補が全員結集、前原副代表は結党以来のことを思い出してか、気合の入った演説!そして、烏丸御池の国際マンガミュージアムを視察した後、鳩山代表が登場!「政権交代の夏にしよう!」と訴え。過去に何回か鳩山さんの演説を聞いたことがあるが、党首としての風格が出てきた。演説にも迫力がある。久しぶりに興奮した大集会だった。そして、今までは自民党支持者だっと思われる団体も来られていてびっくり。雪崩を打って、民主党への期待が高まっている感。この流れが投票日まで続くことを祈るのみ。全力でがんばろう!
夜は、歴史学者として長年の韓国との友好に尽くされて、韓国政府から「修交勲章・崇禮章」を受勲された京都大学名誉教授上田正昭先生の祝賀会。京都日韓親善協会が主催。瀬戸内寂聴さんもスピーチされた。先生は若かりし頃、わが鴨沂高校でも教鞭をとっておられたこともあり、また京都での在日の人権問題などにぼくが取組み始めた頃から、色々と学ばしてもらった。「内なる国際化」や「民際外交」を提唱されたのも上田先生だったと思う。韓国民団団長の王清一さんが乾杯のとき落涙されたのが印象的だった。平成13年、宮中歌会始に召人として上田先生が詠まれた歌「山川も草木も人も共生のいのちかがやけ新しき世に」を記しておきたい。ますますごお元気で!
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