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鈴木マサホひとくち日記 |
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●10月31日(土)
午前中、西京極の共同作業所へ。福祉工房P&Pの第二作業所から独立して就労継続支援B型事業所「加音」として再出発することになり理事会。家主さんの理解もあり2階も借りれるようになり広くなった。発達障害の青年たちが元気に作業している。一人ひとりの個別支援や社会参加を支援し、地域に根ざした施設をめざしてがんばってね。
午後は、まずは鴨沂会の鴨沂教養講座に。講演は鴨沂高校の大先輩8期生で京大名誉教授で農薬の研究者、上野民夫さんが「食の安全と農薬」と題して講演。農薬の安全性や残留農薬の問題などについて話された。
それから地元わが家の直ぐ近くの白川総合支援学校の地域感謝祭に。昨年プールを改装して「エデュトープ」が出来たが、緑豊かに芝も張り付いて素敵になった。シンポジウムも開催されていたが、20年ぶりぐらいに生徒たちに農業を指導しているアグロス胡麻郷の橋本昭さんと再会。いやなつかしい。30年ほど前は居酒屋の店主でフォークシンガーの豊田勇造らも出入していた。白河総合支援学校は、「デュアルシステム推進ネットワーク」を実践していて障害のある生徒が職業人として自立できるように企業の協力を求めて校内に喫茶「ミルキーウエイ」を開店している。ここのパンが美味しいのだよ。また地域の人たちの介護予防の体操教室にも利用されている。しばし関係者と懇談して散髪へ行って、吉田の祭りの剣鉾や神輿仲間の今宮会の直会にちょっと顔を出して、とあるホテルへ。
時の人、前原誠司国交大臣が超多忙の中、京都入り。大臣が総支部長の民主党2区総支部の常任幹事会ということで、左京、山科、東山の府市会議員が全員揃う。選挙後はもちろん大臣就任後ゆっくり話をするのは初めてや。元気そうだ。国交大臣としてダムや空港、日航問題はもちろん、内閣府の特命担当大臣として、沖縄、北方対策、さらに防災も担当大臣でもあるのでほんまにたいへんやな。観光も国交大臣の管轄でこれにも力を入れると、色々と抱負を語る。久しぶりの仲間内の集まりで、大臣もリラックス。ちょっとした裏話もあり興味津々。今夜は久しぶりの京都は自宅での泊まり。たまには息抜きをしないと。体に気をつけてがんばってよ。総支部長がほとんど京都にいることが出来ないので、総支部長代理に北岡府会議員。ぼくは幹事長ということになった。
解散後、今宮会の二次会に合流し吉田の仲間とワイワイやって、剣鉾の鬼、柿阪宜孝君とまた一献傾けて帰ったら1時を過ぎていた。
●10月30日(金)
朝、新幹線で東京は永田町の民主党本部へ。冠雪した富士山がきれいだった。政権党になったからか、警備もきびしくなっている。地方自治体議員フォーラム全国世話人会に京都府連代表で参加。全国の都道府県の自治体議員の代表が集結。政権をとって初めての自治体議員との懇談会かな?民主党本部を代表して組織委員長の細野豪志衆議院議員が対応。研修会の日程など説明、協議した後、参加者から意見と質疑。現在民主党の自治体議員は3千人近くいるという。この夏の選挙に圧勝して政権を担うようになり、地域主権をマニフェストに掲げるが、その道筋がまだ見えてこない。また地方における民主党の事情は様々で、どのように拡大していくのか、真剣な論議が行われた。ぼくも補正予算の凍結を巡る京都市会の動きなど意見を述べる。地方の自治体議員の声をしっかり受け止めてくれよ!いづれの声にも細野衆議院議員らは、しっかり答弁、方向性を示してくれたので好感はもてた。これから期待したい。
解散後、国会横の衆参議員会館に出向き、京都選出の国会議員の部屋をのぞく。国会開催中でもちろん議員はいないが、まずは前原大臣の部屋。SLの写真が飾ってあるよ。電話が鳴り続けていて秘書さんはもうたいへん。山井議員の部屋では、政策秘書の近澤君と懇談。彼は同志社総合政策科学研究科の同期生。とある市役所の職員を辞して政策秘書になった。データー集めなど政務官を補佐するのはたいへんみたい。泉、北神、小原、福山、松井議員らの部屋と同志社総政出身の田島一成環境副大臣、また吉川沙織参議院議員の部屋にも挨拶に。みんな驕ることなく元気でやってや。
その後、皇居の横を散歩がてら虎ノ門近くのアミタの本社を訪問。過日開催した「大見を考える会」を踏まえて、京都北山は大見地区の再生について懇談。色々と壁は高いが、実現の方向に向けて汗をかきたい。
夕方、新橋駅前にて鴨沂高校の後輩と焼き鳥と釜飯を食べて一献。9時過ぎの新幹線で帰京。
●10月29日(木)
9月市会が終わって、ほっと一息。昼過ぎ市役所に。引きこもりの青少年たちの施設「恒河沙」の面々が応接室に緊張した面持ちで待機。今日は彼らが発行している「すきすき京都」の紙面を飾るべく門川市長に元新聞記者の方がインタビューをする日。畑で収穫された野菜を市長に手渡して記念写真の後、元新聞記者さんが市長に和の文化のことや着物のこと環境のことなど対談。「恒河沙」の主宰者の福島美枝子さんとは、もう20年ほどの付き合いかな。フリースクールとしてがんばってきた元気な人。千本中立売でも食堂も始めたよ。
午後2時からは、食品衛生功労者、食品衛生特別優良施設及び食品衛生優良施設の表彰式。正副議長や教育福祉委員会の委員が出席。長年、食品の製造や販売、また旅館やレストランやお寿司屋さんなど、市民に安心・安全な食の提供に従事してきた人や施設を表彰。吉田山荘や錦水館、仕出し屋の「さのや」さんら何人かの知人が表彰されて、おめでとうと声をかける。ご苦労様。
夕方は、国際交流会館で映画「月下の侵略者」の実行委員会。ビラやチケットが完成したので、各団体の代表者等にチケットなど配布して協力をお願いする。当日の映画を解説したパンフレットを作成するが、ぜひ広告を載せるので賛助金、協力金のほどよろしく!
●10月28日(水)
朝のニュースで、京都市の職員が器物破損容疑で逮捕されたとのニュース。おい、またかよ!なにやら車を蹴飛ばしたらしい。なにをしてるんや!テレビカメラが廊下に待機。
9月15日から始まった9月市会定例会もいよいよ会期末の本会議。本会議は、まずは普通決算特別委員長が委員会で審議された内容について報告。共産党の西野、自民党の西村、わが民主からは山本ひろふみ、公明は木村議員が討論に立ち、共産は、一般会計、国保会計、介護保険事業会計、後期高齢者医療会計、駐車場会計は認定せずで、起立表決して多数で認定。残余は共産も賛成。
「付す意見」として、特定健康診査・特定保健指導の更なる制度周知・受診勧奨を積極的に行い実施率の向上すること。そして、介護予防事業の約5億円の不用額が発生しているので執行率の向上を図ることと介護予防を推進すること。の二つの付す意見が可決された。
公営企業決算についても委員長から報告があり、共産とがし、自民下村、わが議員団からは青木芳香、公明柴田議員が討論。共産は、自動車運送事業については認定せずで起立表決。他の高速鉄道事業などは全会派認定で簡易表決。
京都市病院会計決算について、独立行政法人化の推進やPFI方式の導入などを柱とする病院事業改革プランを着実に実行し経営基盤の安定強化を図り、公的医療の責務を果たすために医療の質の向上及び職員の意識改革を不断に進めていくこと。水道事業については、地震に強い水道施設を着実に整備していくために,国に対して補助制度の拡充を要望するとともに,計画的な事業実施を図ること。自動車運送事業には、6年連続の黒字決算となったが,不良債務はいまだ100億円を超えている。今後,その着実な解消を図るため,更なる経営健全化の取組を進めるとともに,一般会計からの補助金の縮減に努め,市民や乗客のニーズを把握し乗客増対策や効率的な運営に努め,更なる経済性を発揮できるよう努めること。高速鉄道事業には、財政措置の拡充と企業債の償還期限の延長並びに補助制度の拡充など,国に対し更なる働き掛けを強めるべきである。という「付す意見」が可決された。
そして「新型インフルエンザ対策の強化を求める意見書」、「核兵器廃絶に向けた取り組み強化を求める意見書」、また「安心して教育が受けられる社会の実現を求める意見書」については全会派賛成で可決。「子育て応援特別手当」の執行停止に対する意見書は、共産の加藤議員が反対を、公明は井上議員が賛成の討論を。野次が飛び交うが、わが民主は、黙して語らず、沈黙は金なりで、粛々と賛成に起立したのであった。京都市会のホームページをクリックしてもらえれば、各意見書が見れますよ。本会議は昼を過ぎて閉会宣言。お疲れさんでした。
午後は、韓国は東豆川市議会議員や忠清北道庁ら自治体関係者や記者ら総勢29名の韓国緑色成長協会の日本研修視察団が京都市の地球温暖化対策について視察に。ぼくは京都市会日韓親善議員連盟の副会長ということで、冒頭に「アンニョハシムニカ。キョウト エ チャル オショスンミダ。チョヌン シフェウィウォン スズキ マサホ ラゴ ハンミダ」とハングルで歓迎の挨拶。通じたみたいで拍手してもらえる。よかった!!その後、大島仁地球環境政策監の挨拶の後、課長が環境モデル都市京都の取り組みについて説明、エコロジーセンターなども視察するとのこと。
その後、京都地裁に。シベリア抑留者国家賠償請求訴訟の判決の日。大先輩の福田春三郎さんが原告の一人。公判は終わっていて弁護士会館で報告集会が開かれていた。旧ソ連のシベリアに抑留されていた人たちが「棄兵・棄民政策」を糾すべく、訴訟を起こしたが京都地裁裁判長は棄却。怒りの声が渦巻いていた。弁護団の説明によると、「解決は立法問題で、政治的決断を待つべき」としたという。戦後はまだ終わっていないのだ。民主党新政権は、解決をしっかりせないかんぞ!20年ほど前に亡くなったがわがカミさんの親父は、満州からの引揚者だったのを思い出した。
夕方は、市会も終わりほっと一息、毎年一回の恒例の市長らと議員団の懇談会。就任して1年8ヶ月の市長やこの4月に赴任した副市長や局長、公営企業管理者らと懇談。市政の課題など色々と意見を交換する。
●10月27日(火)
午前10時から議員会。明日が会期末の本会議なので意見書を巡って最後の調整の状況を担当の議員から随時報告を受ける。で、色々と調整された結果、「新型インフルエンザ対策の強化を求める意見書」、「核兵器廃絶に向けた取り組み強化を求める意見書」、また「安心して教育が受けられる社会の実現を求める意見書」については全会派賛成することに、また喧々諤々議論した前政権下での補正予算を巡る「子育て応援特別手当」の執行停止に対する意見書は、わが民主も賛成することになった。新聞がまた面白おかしく書くかな?
また08年度歳入歳出決算についての他会派から提出された「付す意見」について検討をして、昼過ぎには、紛糾することなく、ほぼ調整が終わり、当初の予定通り、午後2時過ぎには討論結了の普通決算特別委員会と公営企業決算委員会が開催されて各会派の代表が「慎重に審議した結果、認定することに」と態度表明。共産党は認定する決算もあれば、一般会計や国保会計など認定しない旨の発言。その後、「付す意見」については、各会派の代表が調整をして大団円。その後、議員会が再開されて、討論に立つ山本ひろふみ議員と青木芳香議員の原稿を点検し、明日の本会議の日程などを決定する市会運営委員会には担当の委員が残ることにして散会。
交通や水道料金改定の時は、夜遅くまで紛糾することがあるが、近年は、紛糾することもなく、淡々と終わるようになった。
門川市政が誕生して1年8ヶ月。08年度決算は、昨年秋以降の景気後退の影響を受けて、府税交付金の減収などで30億円の実質赤字となり、今後の京都市財政がさらに非常に厳しくなることも明らかになり、また地方公共団体財政健全化法が施行されての初めての市会であり、さらに政権交代がなって、補正予算の凍結問題など色々と話題のあった市会であった。長丁場であった9月市会定例会もいよいよ明日が会期末だ。
●10月26日(月)
長かった9月市会もいよいよ最終盤。明後日の会期末の本会議を控えて各会派議員会。民主・都みらい市会議員団として委員会に付託、議論されてきた08年度の一般会計や公営企業会計決算について認定することに。一般会計等については山本ひろふみ議員が、公営企業決算については、青木芳香議員が討論に立つことに決めて、保育園のプール制のことについてぼくが原稿を書くことに。
そして、問題は意見書なのだ。政権交代したことで、当面様子を見ることにして民主からは提出しなかったが、自民、公明、共産から提出されてきた意見書に対してどう対応するのか、とりわけ公明から出されてきた前麻生政権の補正予算に関して、新政権が執行を凍結した「子育て応援特別手当」に対する意見書の対応について喧々諤々。9月30日の本会議では、補正予算案に賛成し、新政権の補正予算の一部見直しについて全額確保するよう国に強く働きかけるこという付帯決議は、賛成しなかったが、ここは思案のしどころ。他会派との調整に当たる藤川議員らから随時報告を聞きながらああでもあい、こうでもないと議論。政権交代すると色々と自治体議会にも大きな影響が及ぶのだ。
午後は、議員団室のテレビでは、鳩山首相の所信演説の画面が流れる。「無血の平成維新」で国政の変革に挑戦、「友愛」を掲げて国民の命と生活を守る政治を実現、「戦後行政の大掃除」を断行と堂々たる演説。308議席の多数でそれぞれの議員が起立しての拍手をしているのが、印象的。国会の風景が一変したな。きっと松井孝治官房副長官が草稿を書いているのや、と想像。
夜は、事務所にてわが後援会の主だったメンバーに集まってもらって11月29日に予定している研修旅行会について打ち合わせ。今年で第19回目になる。今年は、この9月オープンした大阪の津波高潮ステーションでの体験研修とNHK大阪放送局のスタジオ見学と西宮のアサヒビール工場を見学することに決めた。会費は8千円。参加ご希望の方はご連絡ください。
●10月25日(日)
昨夜、鴨沂高校19期会でちょっと飲みすぎて二日酔い気味。されど毎月第4日曜日は朝9時から「朝粥の会」、聖護院の今西恒子さんに来ていただいて、「ごみを減らしまし
ょう」というテーマでお話していただく。聖護院学区では、廃油の回収やごみ減量の様々な取り組みをされていて、その中心メンバー。左京まち美化事務所の作業長の岸君らも同行してくれて、クイズ型式でごみの分別方法や市民のゴミ出しのマナーなどについての気楽な勉強会。次回は11月22日(日)に市原野の中村貴司さんに環境問題について話していただきますよ。
それから、今年も近衛中学校の南にある知的障がい者の通所授産施設で社会福祉法人「京都育成の会」が運営している「よしだ学園」のオータムフェアに。森田先生が顧問の近衛中学校吹奏楽部の演奏や黒いシャツを着た吉田の民生児童委員さんの手話による歌やバザーなど多彩な催し。いつものように新鮮な野菜や美味しいパンを買う。
この日は、吉田神楽岡社や日吉神社のお祭りがあったが、喪服に着替えて亀岡の葬祭場に車で向かう。わが同志社大学院総合政策科学研究科のゼミの先生の伊多波良雄教授のご子息、功輔君の告別式。2年ほどの闘病生活を送られていたが、23歳の若さでの逝去。洛南高校時代の吹奏楽部や同志社の旧友たちに送られての告別式。辛い式だった。心よりご冥福をお祈りいたします。伊多波先生になんとお悔やみの言葉をかけたらいいのか、言葉がない。心が沈んだ1日。
●10月24日(土)
朝8時前、毎月一回開かれている国益研究会に。朝が弱いぼくは久しぶりの出席。各参加者、民主党が政権交代のその感想を語り、脇巌さんが学歴社会の経済学と題して報告。親の収入格差での大学進学率の差や、理科系と文科系の出身者の違いなどを報告。
9時半には、上高野のふれあいまつりに。上高野小学校の児童によるヨサコイや和太鼓で開幕。グランドでは、長谷川隊長率いる消防音楽隊の演奏とカラーガード隊の演技で盛り上がる。各団体の人が模擬店や竹による工作のブースなど起震車もきて地震体験コーナーなど地域の絆を感じさせる催し。いいね。
午後は、事務所にて相談ごと2件。夕方は、鴨沂高校19期会の同窓会。鴨沂会館にてケータリングで料理を準備するということでぼくも責任者のひとりで早めに行って準備。そして4時半からはなつかしの母校鴨沂高校に。土曜日だというのに無理を言って山岸副校長に校内を案内してもらう。ぼくはよく行っているが、卒業以来初めての同窓生がほとんど。校長室から三階の講堂を見る。42年前と何も変わっていない。北運動場のクラブボックスは全て閉鎖されている。わが山岳部のボックスがあったとこがなつかしいね。沢田研二は空手部だったかな。山岸先生、ありがとうございました。40年ぶりに会うメンバーもいて同窓会はいつものように盛り上がり、いつものように記念写真を撮って2次会まで付き合い、帰途、近くのバー黄昏亭で軽く飲んで帰宅は1時。
眠たかったけれど、朝日放送の「テレメンタリー」を見る。キューバの医療現場を撮った中野健太君のドキュメント「抗うつ薬の罠(わな)~副作用1400日の闘い~」に見入る。主人公はわが友人のペイ・リファさんの子息、在日3世の鄭慶樹君。彼がうつ病で数年前から苦しんでいたことは知っていたが、その壮絶な日々を描いていた。衝撃的であった。先日彼の妹の結婚式や円山集会で中野君と一緒の慶樹君に会ったが、家族の愛情に支えられてだいぶ元気になってよかった。うつ病で苦しんでいる友人が他にもいるが、薬の恐ろしさを実感した。慶樹君と健太君との信頼関係があったからこそ4年以上にわたる撮影が出来たのだろう。ぜひ機会があれば多くの人に見てほしい作品だ。
●10月23日(金)
9月市会定例会もいよいよ終盤。28日の会期末を控えて各会派議員会を開催。いつものように理事から今後の日程などについて報告があった後、意見書や決議の提出のことや付託されていた08年度の決算について、普通決算特別委員会は二つの分科会と公営企業決算委員会の委員から、それぞれ審議されていた決算の主なテーマについて、また問題点について報告がある。意見書については、新政権が誕生したところでもあり、民主としては出さないことに。淡々と議員会は終わる。
夕方、連合京都結成20周年の記念式典・レセプション。連合京都が結成されたのはベルリンの壁が崩れた1989年のこと。総評、同盟、新産別、中立労連の4団体がナショナルセンターとして統合された。共産党系の労組が強い中で、連合京都は確かな歩みを進めてきて、10年前に民主党が結成されて、民主党を大きく支えてきてもらった。
この秋に勇退する木村幹雄会長と東京から駆けつけた連合の会長に就任したばかり古賀伸明会長、そして時の人、前原誠司国土交通大臣が、初めてのお国入り。就任以来初めての登場か。SPがつき、多くの記者が付いている。なんとなくほっとした表情での挨拶が印象的。京都は民主党と連合の関係が良好で全国モデルとのこと。山田知事は、来春の知事選挙をにらみながらの挨拶か。門川市長も昨年の市長選挙は連合の支援あってこその当選。政務官の山井府連会長も意気揚々と挨拶して、乾杯の後は、4区の北神議員、1区で自民の大物に勝利した平議員、5区で初陣を飾った小原舞さんらも登場して盛り上がった。歴代の会長の勝本、片山、羽室、木戸さんらも元気にこられていた。
●10月22日(木)
雲ひとつない朝、今日は京都の三大祭の時代祭。副議長のときは名誉奉行として先頭の馬車に乗って有頂天。午前7時30分に平安神宮に。社務所で着替えて、平安講社第7社の一員として神幸列の前列を地元吉田、聖護院学区等の人たちと朝8時30分平安神宮を出発。丸太町通りを御所に。御所では神事が行われたあと、本部テントでは、考証をされている鴨沂高校の大先輩の猪熊先生や市長、知事、繁議長や安孫子副議長らに挨拶。
先頭が出発したのは正午。神幸列は最後で、出発したのは1時30分。いつもながら待ち時間が長い。去年は出発する頃雨が降り始めて意気上がらずびしょ濡れになって歩いたが、今日は暑いぐらい。慣れない雪駄で足の指が痛いよ!沿道には途切れることなく多くの観光客。外国人の観光客も多い。民主党京都府連の窓からは手を振ってくれるスタッフや、時折出会う知人が手を降ってくれたりで元気が出る。丸太町から烏丸、御池、河原町から三条通を歩いて、神宮道は大鳥居の下を歩いて平安神宮に帰着したのは午後4時を過ぎていた。いやはや足がだるいよ。これで京都のお祭りの季節もおしまい。
●10月21日(水)
会期末を控えての常任委員会、教育福祉委員会が開かれる。まずは請願審査。共産党議員が紹介議員の生活保護の母子加算復活、老齢加算復活の要請、そして細菌性髄膜炎ワクチン接種への公費助成について、それぞれ保健福祉局の担当部長から現状の説明があり、簡単な質疑もされたが、新政権になったこともあり、いずれも留保になった。その後、一般質問では、就学援助、老人福祉員、介護保険、市立病院院内保育園のことなど質疑がされた。ぼくは、秋になって小中学校で学級や学年閉鎖が続いているが、新型インフルエンザの流行拡大状況と医療従事者から始まったワクチン接種の今後の課題と自治体負担、生活保護所帯への対応などについて質疑。またタミフル耐性ウイルスの検査ができる検査機器の導入について質疑、松井医務監からは、予防の方法やワクチンの効用などについて丁寧な説明も。教育委員会とは学校2期制のことや学校の工事費のことなど質疑があった。昼休みは鴨沂高校同窓会の役員である税理士、横井猛彦さんのご尊父の告別式に。
秋の夜長h、ぼくが楽しみにしている京都泡盛同好会。輝く泡盛・京の錦秋の集い。門川市長が会長。アルコールを飲めない安孫子和子副議長も来賓でごあいさつ。泡盛の女王をはじめ、沖縄本島はもとより与那国島など八重山の酒造メーカーさんたちも多数ご参加。沖縄民謡のライブやエイサーの踊りやカチャーシーなど沖縄一色。もちろん色々な泡盛が飲み放題。うれしいね。そして、お楽しみ抽選会では、「当たれ!」「当たれ!」念じていたら、なんと2年前に続いて、今帰仁酒造の亀入りの古酒が当たった!相変わらず悪運強いな!ソーキそばも美味しかった。1969年20歳の夏、もちろん復帰前の沖縄を旅して台湾に一番近い与那国島で飲んだ泡盛でフラフラになったことを思い出した。当時、「思想の科学」に書いた紀行文は、ええ文章やったと思うよ。
●10月20日(火)
普通決算特別委員会の総括質疑の日。二つの分科会の委員が揃い、市長と3人の副市長を前にして、インターネットで中継される質疑。録画で見ることができますよ。持ち時間は、自民、共産が119分、民主88分、公明72分。答弁の時間も入れてひとり20分の持ち時間。自民、共産、民主、公明の順番で始まる。わが民主は、隠塚、山岸、藤川、中野議員が質疑に立つ。
ぼくは、ノート型パソコンを机の上において市長のほぼ前に陣取る。居眠りするわけにはいかない。新政権が誕生したことで、各会派、その評価を巡って市長に問いただす場面も。分科会で質疑されてきたことが中心だが、まったく決算にも関係のないことを質疑する委員もいるのは、どうかと思うよ。財政問題をはじめ、同和行政、地方交付税、環境政策、子育て応援特別手当、防災対策、ホームレス、伏見区の高度集積地区「らくなん進都」、障害児教育、道路や公共建築物のアセットマネジメント、伝統産業、行政評価システム、中小企業支援、公契約、保育園プール制、児童館、国際会館への貸付金、薬物乱用、乳がん検診、京響、保育園待機児童、動物園、コンテンツ産業、ハートミーティング、後期高齢者医療制度の制度のことなど京都市の諸課題について21人の議員が質疑に立ち、たいして紛糾することもなく、終わったのは午後6時を過ぎていた。お疲れさんでした。
夜は、「大見を考える会」。もう28年前か、京都市が左京区は北山の山間部、大見地区に北部周辺整備事業として大見総合公園計画を発表、もちろん市会議員になる前だが、残土投棄に反対して、北山の自然を守れと反対運動を展開した。小屋を建てたり、立ち木トラスト運動があったり、住民訴訟を起こしたりし、さらに議員になってからは凍結と白紙撤回求めて徹底的に論戦を張ってきた。05年には、学識経験者や地元住民や反対グループのメンバーも入った検討委員会から今後の基本計画が策定されて、今に至っている。当時の反対運動の関係者や検討委員会のメンバーが集まり、京丹後市で森林の牧場など環境事業に取り組んでいるアミタの熊野英介氏から「京都大見で描く未来デザイン」について提案を受けて、色々と議論。これから夢をどう実現するか、知恵を絞りたい。
●10月19日(月)
市会の委員会は、審査内容報告書の作成日ということで、また明日の総括質疑に向けて当局は市長勉強会を開催ということで、委員会はなし。
「戦争をとめた喫茶店―ベ平連1970-1975inイワクニ」(講談社新刊)を読む。この本の出版は、わが還暦を迎えて嬉しい大ニュース。わが青春のベ平連や反戦喫茶「ほびっと」の時代のことを、「ほびっと」の初代マスター、ロッペイこと中川六平君が、長年暖めていた原稿をようやく書き上げ、この10月に講談社から出版したのだ!
彼は、同志社の1年後輩で、ぼくに唆されて、1970年20歳の春、初めてイワクニに降り立ち、72年の春「ほびっと」の開店、73年の夏、イワクニを去るまでの日々を書き続けていた日記を元に、裁判資料や新聞記事なども少し交えながら、実名やニックネームで、「ほびっと」の時代と群像を見事に描いた。「マサホさん」が、こう言った、ああ言ったと、ぼくの20代前半のエピソードが山ほど書かれていて、照れるよ。
反戦脱走米兵のこと、イワクニでファントムを止めようとした凧揚げやロックコンサートのこと、反戦兵士たちが発刊していた「センパーファイ」のこと、女優のジェーン・フォンダらFTAショーのこと、警察の不当な弾圧のこと、裁判のこと、ぼくが発刊していた「ほびっと友の会通信」のこと、ヤン・イークスらアメリカからきた反戦活動家たちのこと、サポートしてくれた鶴見俊輔さんや北沢恒彦さんや田口牧師のこと、そして「ほびっと」を舞台に生きた2代目マスタートミさんやワシノ、アンド、サワダ、そして常連客の少女たち、若者たちのことを、また岩国のまちのおじさんやおばさんたちのことなど、怒りや悲しみや笑いや色々なエピソードを交えながら(月々の喫茶店の売り上げのデータやビートルズなどの店で流れていたレコードアルバム名も)書かれたドキュメント。わが青春、そのものなのだ。
「ほびっと」は、映画「指輪物語」のトールキンの原作「ホビットほびっとの冒険」から名付けられ、蛇足だが、わがカミさんは「ほびっと」の常連客だった。息子の「穂人」は文字通り「正穂」の「穂」と「ほびっと」を、娘の奈々は、常連だった児童文学作家の岩瀬成子さんが書いた、「ほびっと」を舞台にして成長していく少女を描いた「朝はだんだん見えてくる」の主人公、奈々ちゃんからもらった。
本の帯の鶴見俊輔さんの文章を引用しておきたい。
「「ほびっと」の終わりからしばらくして、ベトナム戦争はベトナム人民の勝利に終わった。やがて人は過ぎてゆく。その終わりの前に、日本人民の中にひそんでいるホビットやザシキワラジに呼びかけて新しい反戦運動がおこるのを待つ。ほびっとのみなさん、さようなら。ありがとう。」
みなさん、読んでや!事務所でも置いています。定価1800円を1500円で頒布します。よろしくね!
●10月18日(日)
絶好の運動会日和。左京区の28学区の区民運動会の最後の日は、岡崎と北白川。まずは錦林小学校での岡崎区民運動会の開会式に行く。先日逝去された松井体育振興会会長に黙祷。役員さんたちは哀悼の黒いリボンを付けておられる。心よりご冥福をお祈りいたします。開会式の後、ミッキーマウスの体操?をして体をほぐす。
直ぐに車で鞍馬街道を北上。およそ1時間余。花背峠を越えて大布施の谷間にある小中一貫校の花背小学校中学校新築工事の竣工式。記念行事として、狂言の「蝸牛(かたつむり)」が演じられる。面白かった!そして式典では、児童生徒の演奏など。生徒は1年生から9年生まで30数人。地盤が軟弱であったとか色々とあって開校は多少遅れたが、木材を活用した立派な校舎だ。美味しい豚汁と赤飯で昼食。 百井、大見を山岳ドライブ、2時過ぎには、北白川学区の運動会に顔を出す。地元吉田の祭りもあって行けなかったとこもあるが、20箇所は回ったかな。ほんま左京は広いよ!
午後4時過ぎ、円山野外音楽堂での「このままでええの!日本と世界?!反戦・反貧困・反差別・共同行動IN京都」に。かって10・21といえば国際反戦デーということで1960年代後半から70年代前半までデモをしていた。
3年前、京都のかっての活動家たちや学生運動の闘士たちが呼びかけて、同窓会的な雰囲気を漂いさせつつ開催されてきた。今年は三回目。大阪の釜が崎などの労働者や沖縄問題、反米軍基地運動など取組んでいる人や反戦老人クラブや憲法9条の会の人などが結集。今年は、ワールドマーチという平和団体のメンバーが参加。スペイン、ニュージランド、アメリカ、フランス、イタリアらかの参加者。代表がスペイン語で連帯のアピール。このワールドマーチとは、戦争・占領・暴力・差別・大量破壊兵器のない世界を願い、この10月にニュージランドをスタートして来年1月に南米まで行くという。がんばってね!
集会は、自民党政権が倒れて、民主党政権になったことで、不安はあっても、いささかの期待感はあるようだ。参加者は800人ぐらいかな。浪速の歌う巨人、趙博がラストステージ、彼は、自殺した加藤和彦氏を偲びながらイムジン河を歌い、最後は、みんなでインターナショナルを歌う。
そして久しぶりの祇園石段下から四条河原町から市役所前でデモ。ぼくは学生時代はデモばっかり、そして1981年から96年まで毎月1回の「核と戦争はごめんだ!市民定例デモ」を15年間歩いた。デモは気分がいい。白髪のおじさんたちが昔とった杵柄というのか、イキイキとデモ指揮、さすがジグザグデモはできなかったな。
その後、とある大手出版社の週刊誌記者から、時の人、前原誠司大臣の人物像についてインタビューを受ける。府会議員で出会っているからもう20年経つ。日々の活動のこと、代表のときのこと、今回の選挙で涙を流したこと、鉄道マニアのこと、「天命」として彼は仕事をしていると思うと喋ったよ。
●10月17日(土)
午前中まずは、左京区老人クラブ連合会主催の「文化の集い」に。元気な高齢者がカラオケや舞踊、詩吟、フラダンス、社交ダンス、マジックなど舞台発表。知り合いの人たちも熱唱。ぼくもいつか老人クラブ青年部に入ろうかな!
昼前、きょうと教組の教育研究集会に。「多様なものの見方が出来る力の育成を目指す総合学習についての報告と、高校文化祭における女装のことを話題にしたレポートも。また討論では、同和教育や旧同和地区生徒の学力や生活問題などについても色々と意見が出されて勉強になった。教員のみなさん、がんばれよ!
その後、わが後援会会長柿阪さんの奥さんが出展されている翔鳳書道会の書展をのぞき、さらに山科に住んでいる知人から急な電話があって、東海道線の工事について相談を受ける。
そして、同志社の総政会の役員会に。役員人事や総会の運営にうちて打ち合わせ。この11月8日ホームカミングデーのときに総会を開き、田島一成環境副大臣から「政権交代と今後の日本―政策立案の展開」をテーマに記念講演をしてもらう。彼は彦根市議時代に総合政策科学研究科に入学・修了した人。ぼくが突っ込み役をする。午後2時から明徳館で。どなたでも参加できますよ。来てや!で、ぼくはこの2期4年総政会の会長を拝命してきたが、今期で勇退して顧問になることに。次期の会長は松田君。よろしくね!
●10月16日(金)
先週の台風襲来で普通決算特別委員会の日程が変更になり建設局との質疑の日。
ぼくは、台風の被害と対応状況について問い、また岡崎公園周辺道路や公園の雑草が茂っていることを指摘、早急に清掃するよう要望して、この間、いつも質疑をしている公共事業評価の経過と課題、また昨年6月に開通したが、利用者が少ない新十条トンネルの料金問題と斜久世橋線の進捗状況、さらに左京区は二ノ瀬バイパスと高野川の北泉通の新しい橋の建設計画について質疑をした。そして新政権が誕生して、政府の概算要求で道路の新設などの予算が凍結、削減されることについて多少の野次が飛び交う中、ウンチクを傾けたらベルが鳴って時間が来てしまった。ちょっと残念。
各委員は、堀川の水辺環境、生活道路、アセットマネジメント、梅小路公園、放置自転車対策、駐車場会計のことなど二条駅周辺の整備などについて質疑があった。
夕方、嵯峨野は常寂光寺の南にある森の中のアイトワに行く。主宰者の森孝之さんの呼びかけで、京都北山は大見地区の今後のあり方について検討されてきた有志のメンバーが集まり、意見交換。久しぶりに会う友人とも再会できて嬉しかった。また小学生の使い古した体操服をリニュアルしてエコ商品に作り直す試み、「体操服いってらっしゃい、おかえりなさい」を提唱している写真家岡部達平君を紹介してもらい、その考え方や実践状況を聞く。わが鴨沂高校の後輩ということで話が盛り上がる。応援したいね。
●10月15日(木)
10時から京都会館で京都市自治記念式典が開催される。日本で市制が施行されたのは明治22年。全国に39市が誕生したが、市制特例で府知事直轄になっていたが、市政特例を撤廃、市役所を開庁したのが、明治31年の10月15日ということで自治111年目の記念日。京都市会議員と市内選出の府会議員も多く参加。
市民栄誉賞表彰に女優の森光子さん。ビデオで木屋町で東山を見ながら育ったとご挨拶。森光子さんは、わが鴨沂高校の前身である京都府立第一高等女学校、府一を中退されていたのだ。1920年大正9年生まれと書かれているから、わがおふくろの先輩、89歳。元気やな!特別功労賞には元京都芸大学長の上山春平さん、能楽の片山博太郎さん、音楽家の故・廣瀬量平さんが、有功者表彰は安孫子和子副議長等3期目の議員に、そして永年勤続市政協力委員さんや色々なボランティア活動をされてきた多くの市民や事業所が受賞。おめでとうございました。かっては、永年勤続の市役所職員も表彰されてきたが、いつからそれが無くなったのかな。
帰途、わが家の近所の白川総合支援学校の喫茶室ミルキーウェイで美味しいパンで昼食。偶然、介護予防の体操教室の指導者の河内英明さんと出会い、健康維持の秘訣を聞く。なんと!今日は市原から走ってきて、帰りも走って帰るという。いやはや80歳代の鉄人だ!ぼくもこれから体を鍛えなくては。
夕方は、鴨沂高校同窓会の事務局会議。元水球部で18期生の太田さんにホームページの立ち上げをお願いし、会員にニュースを今後発行することなどを決める。懇親会もしたが、ちょっと先に事務所に戻って明日の建設局審議でのメモ作り。
●10月14日(水)
普通決算特別委員会は消防局との質疑。昨年の京都の火災は198件と目標の件数を大幅に減少させた画期的な年。これも消防署、消防団、自主防災会などの防火・防災の取り組みのお陰だ。これは誇っていいことだよ!各委員は、消防団の充実や救急隊の現状と課題、消防職員のメンタルヘルス、住宅用火災警報器の設置状況。学生サポーターの取り組み、文化財防災のこと、防災行動計画のことなどについて質疑があった。ぼくはメモを取りながら質疑を見守る。
3時の休憩の時に、わが町内の下大路町の和菓子の萩屋さんの岩崎さんの告別式に参列。喪主の岩崎雅明君は、鴨沂高校の同級生。数年前に店をたたまれていたが、わが亡き祖母がよく買いに行っていた。心よりご冥福をお祈りいたします。
夕方、経糸の会の運営委員会のメンバーが集まり、過日不慮の死を遂げられた永井實さんの偲ぶ会の開催と来年の経糸の会のコンサートの持ち方について相談。永井先生は、長年、障害児教育に携わってこられて、経糸の会の重鎮だった。来年の2月に開催する予定。
●10月13日(火)
当初の予定になかった本会議が開かれる。学校における教員の時間外勤務について損害賠償事件がおき、京都地裁、大阪高裁で判決は出たが、不服として最高裁に上告受理の申し立てを求めるという議案が急遽追加議案として提出されて、即決。共産党は反対。されど高裁判決を最高裁で覆るのは難しいやろうな。こういう訴訟については期限が決まっているので、本会議を開く必要があるのだよ。
終了後、各決算委員会が始まる。普通決算特別委員会第二分科会は、台風襲来で延期になっていた保健福祉局との質疑の2日目。ぼくは、トップバッターで書類調査のときにメモした08年度の民生事業費の扶助費として上がっている保育園連盟のプール制の補助金の各数字を示しながら、プール制のあり方や検討委員会の進め方について質疑。また新型インフルエンザ対策と絡ませながら衛生公害研究所のことと、タミフル耐性ウイルスが発見されたということでウイルスの突然変異の検査のための配置などを求め、さらに葬儀場建設について、保健福祉局が関わる法令や条例がなくとも建築物としてだけ捉えるのではなくて、市民生活に影響があると言う視点での取り組みの必要性を要望。各委員からは、保育園のプール制のことや障害者自立支援法、精神障害、自殺予防、発達障害、児童虐待、第二児童福祉センター、国保、介護予防のことなど多岐に渡って質疑があった。
夕方、連合京都の議員フォーラムの総会に。この1年間の取り組みと来年度の方針などが提案されて、円滑に終了。そして、第二部の政策研修会として山田啓二知事が、「安心・安全 希望の京都の実現に向けて」と題して講演。2期8年近くの実績を踏まえながら、府民協働型で取組んできた色々な施策の成果とこれからの府政の方向性として福祉安心社会、共立と協働で地域主権への道を開き、エンパワーメントで京都を発展させると熱弁。ぼくは京都府行政に日頃はさほど興味ないので、知らなかったことが多かった。勉強になった。その後の交流会には、門川市長も登場して、府市協調でがんばると挨拶。さて来春が知事選挙だが、どんな形になるのかな?お楽しみに。
●10月12日(月)
朝、体の節々が痛い。そして心地よい疲れ。昼過ぎ、粟田神社のお祭りに。わが剣鉾の仲間や師匠たちが集結し、東山を背景に6基の剣鉾が雲ひとつない秋空に立ちリーンリーンと鈴を響かせながら進むのは圧巻。足の運びなどちょっと見習わないと。京都造形大学の学生たちが作った青森のねぶた祭りの原型になったという大型の灯籠(とうろう)「大燈呂(とうろう)」を180年ぶりに復活させて、天女や法然上人、稲荷神社のキツネなど大燈呂を巡幸。もちろん神輿は、青蓮院への登るのも圧巻。観光客から大きな拍手。内海議員や中野洋一君もがんばっていた。
夕方、明日の普通決算委員会で保健福祉局に質問するべく質問のメモ作り。特に保育園連盟へのプール制の補助金問題について監査委員会の報告書や検討委員会の資料に目を通す。
●10月11日(日)
快晴、絶好の運動会と祭り日和。朝一番に川島織物のグランドでの市原野学区の運動会と養正小学校での養正学区と錦林小学校での川東学区の運動会にご挨拶で駆け足で回り、10時過ぎに吉田神社へ。
吉田今宮社・木瓜大明神の神輿巡幸の始まり。急いで剣鉾を指すべく着物を着込んで草鞋を履く。お稚児さんたちの行列のあと、いざ出発。京大の学生諸君も担ぐようになった神輿の前に3本の剣鉾が秋空に立ち、鈴のリーン、リーンとういう音色が響く。ぼくは剣鉾の鬼!柿阪宜孝君のリーダーの下、京大の鈴木ドクターと中大路の森君とのチームで「扇鉾」を差す。京大時計台前で昨年は市長と松本総長らに迎えていただいたが、今年も副学長さんらに出迎えていただいて剣鉾を差す。太陽の光が眩しい!緊張しながらも、なんとか差せた!剣先「まねき」から今年も神が降臨したよ!
以降、本町から今出川通、百万遍交差点から万里小路から京大会館前から区役所前、そして松井酒造前まで何回か差す。少し様になってきたかな。食事の後、わが母校第四錦林小学校前では、子どもたちの剣鉾や和太鼓の演奏で大いに盛り上がる中、ぼくも晴れ姿。粟田神社の剣鉾の師匠の園さんらから拍手していただき感激だ!午後3時前には、近衛広場で多くの地元の人が集まる中で、子ども剣鉾とともにハラハラどきどきさせながら眩しい秋の日差しを浴びながらがんばったよ。いや緊張した。
それから十二提灯・こども神輿の先頭に立って多くの保護者の方や四錦の先生方の応援もあって賑やかに参道を通って今年も無事に帰還。子どもたちにジュースを配って、ほっと一息。疲れました。後片付けをして祭事のあとは、直会。行列を歩いた理事や神輿を担いだ今宮会や夜店を手伝った奥さん方、また四錦の先生方や学生、そして剣鉾保存会のメンバー等と大いに盛り上がる。祭りのあとの宴。これで明日から日常に戻るのだ。
●10月10日(土)
台風一過、祭り日和。朝10時から吉田は今宮社で明日の神幸祭を控えて前日祭の祭事。横の祖霊社でぼくが責任者の「十二提灯・こども神輿」の飾り付け。世話人のみなさんも手馴れたもの。午後3時前になると子どもたちが集まってきてくれる。今宮社で安全な巡幸と子どもたちの健康を祈って玉串奉典の神事。そして小学生高学年は十二提灯を、低学年と幼児は子供神輿に付かしていざ出発。今年は、四錦小と錦林小の女子児童による子ども剣鉾が2本先頭に立つ。可愛くてええで!わが地元の吉田本町、二本松、中大路、下大路、近衛町をそれぞれのコースに分かれてワッショイ、ワッショイと声を上げて巡幸。途中、時雨に見舞われるが、虹がきれいに東山を背に浮かぶ。そこかしこでローソク代としてご寄付もいただく。無事に夕方帰着。子どもたちは60人ほどの参加。保護者の方もたくさん来ていただいてよかった。
夜は参道にて今宮会主催の宵宮の夜店の手伝い。ラムネやジュース、ビールを売る役。和太鼓の演奏や京大の学生ボランティアもきて、子どもたちで夜9時前まで大賑わい。そして後片付けの後、昨夜に続いて神輿横のテントで明日の神幸祭本番に向けて元気を付けつけるため一献。明日はいよいよ本番だ。
●10月9日(金)
朝、6時前起床。吉田神社の末社である今宮社に。いよいよお祭りだ。神輿出しや参道の提灯付けを手伝う。職人さんたちが活き活きと動く。例年なら9月定例市会が終わっていて、第四錦林小学校や自治会館からの夜店用のテントや机出しを手伝っていたが、今年から市会は会期中。
10時から普通決算特別委員会が開催、都市計画局との審議。自民、共産は102分、民主は73分、公明58分の持ち時間その時間で各自答弁をいれて30分を持ち時間に質疑をする、わが民主は、この委員会に鈴木、山岸、宮本、中野、天方の5人のメンバーがいるので、今日は、珍しく宮本議員が質疑をするというので、ぼくは色々と質問をしたかったが、なし。各議員のやりとりを聞くメモを取る。京町家、歩くまち、京都駅南口、新たな八条口の商業ビル(秋オープンになっているが、色々とあって当分無理やろな?)、耐震派遣、特定優良賃貸住宅、高齢者住宅と公共建築物のデザイン、不用額、パークアンドライド、バリアフリー、南部の高度集積地区、新景観政策における検証システム、アスベスト対策などについて質問があった。市営住宅のエレベーター設置戸数については、担当部長が緊張していたのか、説明不十分で局長が陳謝した場面も。時には何を言っているのか質問の趣旨もよう分らん議員もいるので(自戒!)答弁する部長はたいへんだよ。
夜は、剣鉾の練習の仕上げ!まあ何とかなるやろう。そして真鍮で造られた剣鉾の先の「まねき」と言われる部分を磨く作業。丁寧に新聞紙で磨くのだ。それから神輿の警護ということで今宮会のメンバーが毎年2人がテントで泊まることになっているのだが、彼らを中心に巫女さんや若い神官らと遅くまでワイワイ。これが祭りの前々祭だ!
ノーベル平和賞をオバマ大統領が授与するという報道。ちょっとびっくりやが、核兵器のない世界を目指すと宣言したオバマ大統領に期待したい。
●10月8日(木)
夜半、台風18号で風雨が強かったみたいだが、朝には京都は穏やかな日差しで台風一過。予定されていた委員会が中止、延期になったので久しぶりに午前中ゆっくりする。テレビニュースでは、首都圏ではJRなどが不通になり、ところによっては竜巻などの被害が出ているようだが、京都は被害もなくよかった。近くの学校も10時ごろまで休校になったようだ。
ところで、昨日、大事な市会手帳を紛失した模様で、えらいコッチャ!机の上をひっくり返して探してみたり、昨日昼飯を食べたところに聞くが見つからない。どないしよう!明日からの予定を覚えてないからもうたいへん。痴呆議員になったよ。終日手帳探し、というのはちょっと大袈裟だが、事務所で雑務。されど、ほんま困った!見つけた人には御礼をします。
夕方、静原の橋本節夫さんのご母堂のお通夜に参列した後、剣鉾の練習。台風一過、夜空に向かって、時には上空を飛ぶ飛行機の赤いライトを見上げながらヨタヨタと差し上げる。芯はどうにか取れるようになってきたが、鈴がリンと鳴らないよ。祭りまであと3日。なんとかなるやろか。
●10月7日(水)
朝、左京区役所の受付ロビーに。左京区役所と京都大学との地域交流事業ということで京大のスタッフが、昨年のわが地元の吉田の今宮社のお祭りの神輿や剣鉾の巡幸を長時間撮影し、15分ほどにまとめてくれたのだ。うれしいね。昨年は時計台前で門川市長と松本新総長が出迎えてくれた。ぼくの姿もちょこっと映っているよ。
その足で市役所へ。10時からは普通決算特別委員会の3日目。保健福祉局との質疑。一般会計ととともに国民健康保険会計や介護保険、後期高齢者医療制度特別会計の歳入歳出の説明も。保育園連盟へのプール制、障害者福祉、ユニバーサルデザイン、野良猫対策、国民健康保険、父子家庭対策、子どもの医療、障害者自立支援法など各委員が質問。ぼくは、昨年4月に施行された民主党が廃止を目指している後期高齢者医療制度の諸課題。介護予防の教室、メタボ対策、北白川で先日一元化児童館が開設されたが、今後の動向。また食品の表示偽造問題が昨年も話題になったが、今後の食の安全について質疑をする。条例化が来年2月にされることになった。夕方、委員会途中で急遽、正副委員長会議が招集されて、台風18号の襲来が予想されるということで、明日の委員会は中止に決まった。前代未聞やな。
委員会終了後、日麺連・近畿ブロック京都大会―京都府麺類組合創立110年、京都府麺類飲食業生活同業組合創立50周年記念式典に。京都の蕎麦屋やうどん屋さんらの業界の組合の集まり。小学校時代の同級生の荒神橋の「きく屋」の大将、速水愛蔵が呼んでくれた。権太呂の藤本さんの粋な新内流しや田毎の堀部さんの男性4人のコーラス、大宮更科の吉村さんの社交ダンスらの余興も。帰途、風雨が多少強くなってきた。大型台風ということで気をつけないとね。
●10月6日(火)
普通決算特別委員会が二つの分科会に分かれて始まる。ぼくは第2分科会に所属。審議する局は、教育委員会、保健福祉局、都市計画局、建設局、消防局。まずは教育委員会。冒頭に歳入歳出決算事項別明細書から教育費に関する歳入と歳出の説明の後、自民、共産、民主、公明の順番で委員が質疑に。持ち時間は答弁も含めて概ね20分から30分。
不登校児童、教職員の評価、図書館、発達障害児の総合支援教育、常勤・非常勤講師の処遇、就学援助、中学校給食、英語教育、校舎の修繕・耐震・長寿化手法、野外体験学習のことなどが話題になった。
ぼくは、同世代の高桑教育長に就任以来の総括と、書類調査を受けて財務家計システムを活用した小中学校の需用費の執行のあり方についてと、「自らを振り返り互いに高めあう」と目標を掲げた学校評価システムの現状と今後について質疑。
夜は、吉田神社での剣鉾の練習。3人のチームで4メートルほどの長さで20キロの重さの剣鉾を差し上げたり、受け渡しするのは実に難しい。剣鉾の鬼、柿阪宜孝君らの指導で必死に練習。ドイツ人のトラウデントさんが一年立って随分上手になり、上級に進む。娘さんも子ども剣鉾を練習し始めた。
●10月5日(月)
今日から公営企業決算特別委員会と普通決算特別委員会が始まる。まずは書類調査ということで第二会議室には、席上に支出命令書、清算書など各局の書類が月ごとに山のように積んである。熱心に調査をする委員がほとんどだが、多少手抜きの議員も。担当者は運びこむのにたいへんだが、チェック機関としての議会が、このように書類調査をしているのは、京都だけと聞く。大切な機会だ。個人を特定できるすべての領収書類が添付してあり、守秘義務はもちろんある。
今回ぼくが特に着目したのは、扶助費として計上されている保育園連盟のプール制の補助金のこと。メモを取り委員会での質疑に生かしたい。また第3会議室には、小学校と中学校の需用費の書類の山。財務会計システムが運用されて各学校の支出がすべてわかるシステム。色々と担当者から説明を受ける。
終了後、4時には、上高野の葬議場問題について宝が池の環境を守る会のメンバーが来所。建築審査会から請求を却下されて、請願紹介議員になった議員4人が同席して、田辺都市計画局長と本田部長との懇談。要綱の改正とともに、建築物としての葬議場問題ではなくて、常に紛争が起きる社会的な問題として、どう考えるか、葬儀場建設に関する条例や法の制定が今後必要ではないか。現地には、業者はすでに完了検査も得て建物を完成している。なんの説明もなく、営業を始めるつもりなのか、強引な業者のやり方には怒り心頭。
夜は、剣鉾の練習に行って、事務所に戻って明日の教育委員会の質問メモ作り。
●10月4日(日)
絶好の運動会日和。陽射しが強くて暑い!まずは、地元の吉田区民運動会がわが母校の第四錦林小学校で。開会式とラジオ体操をして、まずは千本北大路のライトハウスへ。教育福祉委員会の委員として白杖安全デー「視覚障害者の交通安全を考える府・市民のつどい」に参加。新築なったライトハウスに行くのは初めてかな。京都府視覚障害者協会会長や府と市の代表、また繁議長の挨拶の後、視覚障害者の立場から当事者の方が体験発表。道に止まっている駐輪自転車がどれだけ危ないか、また自転車が横を走り抜けたときの恐怖感などを語られた。点字ブロックに不法駐輪したらあかんで!
その後、まずは大原へ。お弁当を区長等と一緒にご馳走になり、岩倉は明徳、岩倉南を回り、松ヶ崎から高野中学校での養徳学区、そして南田公園での淨楽学区、第三錦林小学校での南禅寺のお坊さんたちも参加している錦林東山学区の運動会を駆け足で回る。各体育振興会の委員のみなさん、ほんまにご苦労さん。そしてすでに競技が終わりお楽しみの抽選が始まる寸前に地元の吉田に戻って、校長先生や各団体長のみなさんと一緒に自転車などが当たる抽選を手伝い、無事に運動会周りはおしまい。そして吉田神社は祖霊社横で昨年復活した、木瓜(こおり)大明神の剣鉾の唐胡麻鉾(とぐるまぼこ)を飾る「頭屋飾り」も終わって直会。長老の鈴庄博さんからその由来を聞きながら一杯のみ。いよいよ祭りの始まりだ!
●10月3日(土)
朝、吉田神社境内での吉田幼稚園の運動会に。前夜の雨でちょっと湿っていたが2歳児から5歳児までの園児たちが元気にかけっこ。理事をしているので挨拶させてもらう。そして錦林小学校運動会に。一時間開会を遅らして全児童でのダンスで始まり、「今日の君はU・ボルト」がスローガン。晴れてよかったね。
昼、全水道京都市水道労組の第81回定期大会に。昨年は給与カットや職員の不祥事問題などもあり組合もしんどいとき、松田委員長のもと、団結して「水は基本的人権であり、公共の財産」と「公営でしか命の水は守れない」いう理念の下に、がんばってほしい。
午後は、平安女学院のチャペルで秋の恒例の日本ペンクラブ京都例会。特別講演は、俳優で作家の中村敦夫さん。「地球発環境SOS」と題してグローバル経済がもたらした環境破壊や人口爆発が環境に及ぼす影響など辛口な講演。中村さんは、同志社の総合政策科学研究科でも講義されているのでご挨拶。第二部は有栖川邸にて関西の詩人や作家に、門川市長や麻生副知事らも参加されて文化談義。来年は世界ペンクラブの大会が日本で開催されるとのこと。京都でも講演会などあるだろう。
夜は、祇園のコリアンハウス「梨花苑」の裵梨花さんの娘、香淑さんの結婚式。新婦は松井芳達君。歌手としてデビューした妹のHYANGHAら家族の応援もあって心温まる披露宴になった。ぼくは彼女が高校生の頃からの知り合いで、オモニの裵梨花さんは韓国舞踊の名手。家族仲良く、末永く幸せな人生を送れるようにがんばってよ!
●10月2日(金)
本会議代表質疑の二日目。わが民主・都みらい京都市会議員団を代表して、同期の小林あきろう議員がトップバッター。繁議長から和服姿の安孫子和子副議長が議長席に座って、総選挙勝利のお礼と新政権への理解と国会議員との連携を深めて政策実現を目指すことを冒頭に野次も飛ぶことなく、淡々と述べて、以下、文化庁の誘致、国家戦略としての京都創生、高齢者介護福祉、上七軒のまちづくりについて、二番目は安井勉議員が、介護サービス、伏見区役所整備、京北の森林バイオマス事業、リバースモゲージ、京阪淀駅高架事業ついて、そして三番目に天方浩之議員が登壇。本会議質疑は2回目かな、「歩くまち京都」、不登校児童対策、高齢化が進む洛西ニュータウンのことなどを質疑。
以下、公明党の谷口、吉田、平山議員が補正予算の執行停止問題や市政の諸課題について質疑。政権交代で国会の与野党攻守逆転して民主は市長与党だが、京都市会の雰囲気もちょっと変わったかな。されど2日目は野次もほとんどなく代表質疑は淡々と終わり散会。これら本会議での質疑は、京都市会のホームページを開いていただくとインターネット中継の録画放映で見ていただけます。ぜひアクセスしてみてください。
終了後、プロバスケットリーグBJリーグが始まり、京都では「京都ハンナリーズ」が誕生したので、「京都ハンナリーズを支援する京都市会議員連盟」が発足。総会とハンナリーズの関係者と細見副市長らが挨拶。自民、共産、民主、公明の超党派の議員連盟。ぼくも一応会員に名前を連ねた。サンガに続くプロチーム。健闘を!
夜は、吉田神社境内で剣鉾の練習。「竹馬の友」という可愛い子ども剣鉾が完成して、3人の女子児童が練習に参加し始めた。それぞれの親父さんたちが熱心に指導する光景は微笑ましい。足の運びといい、鈴の鳴らし方といい、もう一人前。びっくりですよ。10日の午後、十二提灯子ども神輿の巡幸のとき彼女たちもデビューする。見に来てよ。
深夜、2016年のオリンピックの開催都市に東京はあっけなく落選。リオデジャネイロに決定。盛り上がりを見ていたら当然だな。
●10月1日(木)
本会議。今日と明日がKBS京都放送のテレビ中継のある代表質疑。午前中は自民の富議員がトップバッターで、中村、午後から山元議員、そして共産の倉田、北山、西村議員が順番に質疑に立ち門川市長、副市長、各局長が答弁。総選挙後で新政権が誕生したことで、自民の議員からは自省の言葉が発せられ、中でも山元あき議員が「見渡せば、総理も大臣もなかりけり、自民党、秋の夕暮れ」が印象的であった。時には政権交代を巡って野次も飛んだが、話題になった項目を挙げておくと、財政、補正予算、地方主権、環境、新型インフルエンザ、防災対策、捨て猫対策、歩くまち、同和行政、ブロードバンド、後期高齢者医療制度、保育行政、地下鉄・バス事業、雇用対策、市立病院、水族館など、新政権の動向に触れつつ、京都市政を巡る諸課題について質疑が交わされた。
本会議終了後、夕方、前原誠司衆議院議員事務所の井上雅茂所長が選挙も終わり、還暦を迎えて次の人生を歩むべく、事務所を退職したので、2区総支部の府市会議員が集まって長年の労を労う会。彼は、わが鴨沂高校の同級生。お疲れさんでした。老け込むのは早いぞ!そしてその場でのもうひとつの話題は、山科区選出の府会議員豊田貴志君が結婚・入籍したと発表。7月に出会って、2ヶ月の電撃結婚。なかなかしっかりしたお嬢さん。議員の妻はたいへんやで。がんばりや。
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