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鈴木マサホひとくち日記 |
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●11月21日(土)
午前中、荒神口の鴨沂会館で社団法人鴨沂会の定款改革委員会。この間、公益法人化を目指して、定款の改定を八木千賀子会長らが精力的に作業を進めてこられたが、ようやく目途がついたかな。
午後は、鴨沂高校の大先輩で生涯教育研究所の主宰者である富士谷あつ子さんが企画、住井啓子さんが舞台構成の「女たちが語るー平家物語の愛と別れ」の公演に。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響有り」で始まる平家物語を筑前琵琶奏者の上原まりさんの演奏や中島貴子さんの独唱や十二単を着た六嶋由美子さんのひとり語りの公演。断片的にしか知らなかった古典の世界に誘ってもらった。
その後、同志社文学部文化学科文化史専攻の同期生の会。ぼくは一浪した後、同志社に入学したのだが、そのときのクラスの有志が年に一回集まっている。15人ほどが集合。出会って40年。キューバに一緒に行ったナベさん、ぼくの選挙ポスターを撮影してくれる音さん、世話役の田下、静岡から来た久夫君や女性陣らとワイワイ。もう10年、20年続くかな?ところでぼくが学部を卒業したのは、1977年。9年かかったのだ。ぼくの卒論は「プエルトリコ史概論」。今は亡き大下尚一先生が指導教官だった。卒論を書いた直後に長男が生まれた。
夜は、とある住宅建設会社のグループの会に呼ばれる。このきびしい不況下により良い住宅を提供するべくがんばっている企業集団。熱い想いでようがんばってはります。
●11月20日(金)
昼前、左京図書館と併設になっている高野の左京合同福祉センター開設10周年記念の「地域ふれあいまつり」に。交流サロンで京都福祉サービス協会の知人等と懇談。午後は、白川総合支援学校で生徒たちに農業を指導している「アグロス胡麻郷」の橋本昭さんと懇談。民主党の行政刷新会議が行っている「事業仕分け」の「仕分け人」になっているそうで、色々と四方山話。橋本さんは、昔、烏丸紫明近くにあった「贋作」という飲み屋の店主で、フォークシンガーの豊田勇造らもよく出入していたが、当時はぼくにとっては恐れ多い店主だった。胡麻で農作業を始めて35年ぐらいかな?今や好々爺の感じ。鋭く日本の農政の見直しに切り込んで欲しい。ご健闘を!
また夕方には、京都府バス協会の友人が来所。新型インフルエンザによる修学旅行生のキャンセルの状況や京都市の観光政策、また京都駅八条口の貸切バスの待機場利用の問題などについて色々と苦労していることを聞く。八条口は修学旅行生など団体客の受け入れの玄関だが、狭いスペースで貸切バスの駐車はたいへんなのだ。京都市は過去にデッキ化など色々と開発整備計画を立てているが、頓挫したまま。観光京都の玄関をなんとかしないかんでよ!
合間を縫って市民派議員レポート11月号を配布。出会う人それぞれから民主党新政権のことや前原大臣のことを尋ねられる。市民の期待は大きいよ。
●11月19日(木)
11月市会定例会が始まるので10時から議員会が開催。各局から補正予算と議案の説明。
都市計画局は、市営住宅の増築工事請負契約の締結と市営住宅家賃滞納整理強化に2名の雇用など、総合企画局は、国際化推進のための多言語交流基盤の整備に地域情報通信技術利活用推進交付金を活用して多言語翻訳システムの開発に取り組む事業。
行財政局からは補正予算の概要についての説明。今回の補正予算は、中小企業金融対策預託金として200億円と新型インフルエンザ対策などと緊急雇用対策に2億円余。また職員の給与の引き下げの条例が提案。さらに保育園連盟の補助金問題の不正流用が大きな話題になっていたが、色々な事業や団体に交付する補助金について、公正性及び透明性を確保するため「補助金等の交付などに関する条例」を制定するという条例案とこの条例は、補助金の有効性や効率性の検証と交付状況の公表をすることになり、また補助を受けた事業者は、支出などの書類を整備し保存、実績報告などをしなければならないことが明文化される。
選挙管理委員会は来春行われる知事選の準備。保健福祉局は児童館31館の指定管理者の指定や新型インフルエンザ対策として低所得所帯に対するワクチン接種費用の無料化に12億円の補正など。建設局は国道162号線の栗尾峠トンネルの工事請負契約、教育委員会は、教員の給与カットの条例と雇用対策で学校図書館に司書を臨時的に配置する提案や東九条に新しい小中学校の建設の工事契約議案。
産業観光局は、京都一周トレイルの整備などの雇用対策、文化市民局は雇用対策で埋蔵文化財出土遺物の整理事業。職員の給与カットは職員団体も合意してているので問題はない。「補助金等の交付などに関する条例」は、色々と物議を呼ぶ補助金の透明性を確保し、その実効性を高めることで評価できる。各局から説明があった後、それぞれ議員との質疑。
夕方は、来春3月に第13回大会を迎えることになった京都高野川ライオンズクラブ小学生バレーボール大会の実行委員会。スポーツ少年団やクラブの先生方が集まり準備会。15団体43チーム、360人の児童が参加の予定。来年3月6日7日の両日松ヶ崎の「こども体育館」などで開催される。メンバーの少ない高野川ライオンズクラブだけれどがんばりますよ。
●11月18日(水)
11月市会定例会が告示。議案書が提出される。10時から民主・都みらい議員団の議員会、山岸理事から今後の日程や市会改革委員会の審議状況の報告など。去年までは11月市会は普通決算の審議が中心だったが、今年から財政健全化法の施行により先の9月市会で普通決算審議を済ましてしまったので、今年からはこの市会は、補正予算とその他の条例や工事契約などの議案で12月10日が会期末で会期も短くなった。この市会の目玉は、補助金などの交付に関する条例の審議が課題になる。
午後、事務所には生活協同組合生活クラブ京都エル・コープの理事長ら女性たちが食料の自給力向上と食の安全・安心の回復に向けて食品表示制度の抜本的改正について国への意見書提出を求める署名を持って来所。京都エル・コープは、わが友人の黒岩卓美君や石田紀郎さんらが立ち上げて15年ぐらいかな。今では大きな生協になったな。各会派へのアプローチや日程などについて京都市会における請願の出し方などについてレクチャー。意見書採択に向けて尽力しよう。
そしてまた来客は、京大のアフリカ地域の若い研究者の大石高典君。1980年に京都で上映したアフリカはコートジボアール出身のモリ・トラオレ監督の「車に轢かれた犬」の上映運動のことについてインタビューを受ける。京都を舞台にして撮影されて、当時ぼくは京都イングリッシュセンターのスタッフだったが、どういうわけかタイ映画「田舎の先生」に続いて、これまた実行委員会の代表になって京大のアフリカ研究会のメンバーと右往左往していた。記憶も定かではないが、当時のスタッフのことなど思い出した。みんなどうしてるかな。大石君、ぜひ再上映運動をしてよ。
夕方は、民主・リベラル京都労組懇談会の解散総会。当日配られた記録によると連合の結成など労働運動が再編されるなかで社会党ブロックとして、1989年京都総評センターが結成。93年には「社会党と連帯する京都労働組合会議」(略称 京都連帯会議)として再編され、民主党結成の頃、民主・リベラル京都労組懇談会となったのは1999年のこと。自治労、電機連合、情報労連、私鉄、京交、京水労などが結集して選挙運動などに取組まれてきた。ちょうど20年。民主党が政権交代を成し遂げたことでひとつの時代にピリオドを打つということで解散することに。加盟する各労組の役員や京都の労働運動を担ってこられた諸先輩や自治体議員が集まる。
●11月17日(火)
朝から雨。木津・相楽が選挙区の松岡府会議員も研修会に参加していたが、南山城村も選挙中に行くという。左京も久多や広河原などあるが、お互いたいへんやな。近畿ブロックの参加者は、バスで奈良市内へフイールドワークに。ぼくは遅い朝食を食べて雨の中、柳生の里を抜けて奈良から一路24号線で昼過ぎ帰京。京都府は広い。
午後は、事務所でひたすら市民派議員レポート11月号の発送作業。予定より発送が遅れた。ご容赦ください。
夕方、映画「月下の侵略者」の実行委員会事務局会議。代表の仲尾宏さんが映画の解説として「耳塚と京都」の原稿を脱稿。これから賛助広告のお願いに回らんといかんな。よろしくお願いしますよ。
●11月16日(月)
昼過ぎ、民主党近畿ブロック地方自治体議員研修会に参加するために。車で京都府は奈良県近くの相楽郡は南山城村を目指して出発。京都高速道路油小路線に初めて乗る。ぜんぜん車が走っていない。降り口を間違えて八幡まで行ったら料金をまた別に取られた。高いやないか!木津川市から笠置に抜けて会場のレイクフォーレストリゾートに向かおうと思ったら落石のために通行止め。月ヶ瀬口から高山ダムを山岳ドライブして茶畑を抜けてようやく会場に着く。
PHP研究所の江口克彦さんが道州制ビジョン懇談会の座長の経験を踏まえて「地域主導型道州制が日本の新しい国のかたち」と題して講演中。官僚制や中央集権の弊害や税金の無駄遣いについて、さすが講演慣れされているので飽きないが、さて道州制はどうなるのか。そう簡単にはいかんよ。そして「歴史に学ぶことー日本人と天皇の正体」と題して歴史作家の関裕二氏が講演。仏像から多神教と一神教の話に始まって、なんと古代史の話。たまにはこういう歴史の話もロマンがあって聞くのもいいものだ。懇談会では、大阪、滋賀、兵庫そして地元の奈良の知人の自治体議員やまた京都からの参加者とテーブルを囲んで懇談。福山議員や泉健太議員の選挙を手伝った若いメンバーが市会議員になったいるんだね。若い世代がこれからどんどん増えてくるのだろう。
夜は、山の中なので飲みに行くこともなくテレビをつけたら「父よあなたはえらかったー1969年のおやじと僕―団塊世代の息子が学生運動にタイムスリップ」を放映中。西田敏行と泉ピン子らが出演。社学同の赤ヘルの学生デモや新宿フォークゲリラや「友よ」が歌われ、「ベ平連」の活動家も出てきて出てきてなつかしい。甦る青春時代。わが同世代よ、ようここまで生き延びたな。
京丹波町町議選挙、わが同輩の石黒利雄君、残念ながら落選でした。また遊びに行くよ。
●11月15日(日)
朝、岡崎中学校での左京区総合防災訓練に。左京区防災会議の主催で岡崎、錦林東山、淨楽、新洞学区の自主防災会や住民、消防団や学生消防サポーター、そして京都市の関係機関が集結。天気も良くて訓練日和。最後には消防分団による一斉放水。千人近い参加者かな。
その足で聖護院は、積善院での防災訓練にも行く。本堂の中でご住職から火事になった場合の仏像の運び出し方やお堂の防火扉の説明を受ける。文化財を守るのも大変なのだ。また「みやこめっせ」でのライオンズクラブ国際平和ポスター展を見て、それから田中神社での障害者ハートの会の左京共同作業所のバザーに。この作業所を立ち上げられた松葉弘先生は、ぼくの第四錦林小学校の1、2年の担任の先生。先生やスタッフの友人に挨拶して、ウイスキーを買う。
午後、四条富小路下ルの徳正寺に。わが友、中川六平君の「ほびっとー戦争を止めた喫茶店」(講談社刊)の出版記念会。鶴見俊輔さんのご家族や東京からはベ平連の事務局長だった吉川勇一さん、講談社の編集者、京都からはカイさん、カヤシタ、キリストら本に出てくる面々が久しぶりに顔を揃える。甦るわが青春!「ほびっと」や脱走米兵援助のことを振り返りつつ、出版を祝う。前日、岩国でも六平を囲んでかっての常連客らが集まってお祝いをしたという。岩国ではベストセラーになっているらしい。ぼくの若かりし頃のエピソードがたくさん出てくるのでぜひ読んでや。
ぼくが進行役だったが、中締めしたあと一旦途中で抜けて、「北岡ちはる議員を励ます会―今宵ちはると共に」に出席。いつものように歌姫ちはるちゃんのワンマンショー。山田知事も歌うかなと期待していたが、舞台に上がらず。
そして、また徳正寺に引き返して遅くまで六平君や彼の友人の評論家坪内祐三氏を囲んでワイワイと二次会。井上章子さん、ありがとう!
ところで、何よりも驚いたのは、六平から、当時ぼくが編集していた「ほびっと友の会通信」とぼくの個人誌「ボヘミアンレポート」3号をもらったのだ。いや!まいった!ぼくの書いた文章をよくも持っててくれたものだ。ベトナム反戦を訴えるために日本に来たジェーン・フォンダやドナルド・サザーランドらFTAショーの一行と過ごした5日間の記録や大丸の配達のバイトをしているときの話しを青臭い文章に書いて活版印刷にして友人等に送っていた。1972年、23歳の春のこと。読み返してみると冷や汗が出るが、その他、若いときに「思想の科学」などに書いた諸々の文章をまとめたらオモロイかな。暇になったらやってみようかな。
●11月14日(土)
午前中、韓国の野党、民主党の国会議員7人らが視察に来るということで東九条の「故郷の家」に。特別養護老人ホーム「故郷の家・京都」がオープンしたのは今年の春。チョゴリを着飾ったハルモニたちが、玄関に迎えるところを民主党の丁世均(チョウ・セギョン)代表や新聞記者に随行員、そして領事館の関係者が到着。拍手で迎えられてホールで歓迎の式典。運営する社会福祉法人「こころの家族」の伊基理事長さんらと親しく懇談して館内を視察。金大中元大統領の追悼式出席の途中に立ち寄ったとのこと。韓国でもまた政権交代があるのだろうか?
昼過ぎ、新風館での自治労京都府本部再建20周年記念イベントに。テレビで見たこともある漫才コンビのギャロップやイーデス・ハンソンさんの講演に、自治労京都市職の役員をしている森本君のバンド「オレンジQ殿」も熱演。ええがな。
それから町議選挙に元京都市会議員の石黒利雄君が急遽出馬したので応援に、丹波縦貫道で京丹波町へ。縦貫道を降りたところから旧瑞穂町の方に車を走らせると彼の住んでいる地元の中台というところで桃太郎作戦をしている石黒陣営と遭遇。石黒君は、6年余前に京都市議を2期目で辞めたあと京丹波町に定住して畑仕事をしながらのんびり過ごしていたが、北神圭郎衆議院議員の要請で民主党の看板を掲げて3週間ほど前、立候補を決意。ちゃんと事務所を構えて地元の人たちの地区推薦も得ての選挙活動。秋の陽射しの中、奥さんや地元の人たちと畑や森木立の中を「石黒利雄をよろしくお願いします」とぼくもしばしマイクを持って歩く。当選ラインは500票という。当選したらええのになあ。帰途は国道9号線をテレテレと帰宅。
●11月13日(金)
午後市役所に。議員会が開かれる。来週早々議員団として政府へ予算要望に行くということで、それらの項目について検討。地方分権の確立、建築基準法の改正、国民健康保険制度の見直し、放課後まなび教室と学童保育の一本化、障害者自立支援、文化財保護、市議会議員年金制度の安定的運営確保の取り組み、葬儀場問題の解決策や地下鉄の財源問題、京都創生など、政府への要望することに。また山岸理事が招集して市会改革について議員団として検討。常任委員会での質問についての事前通告制の良し悪しや、「市会だより」の充実などについて議論。なかなか前に進まんなあ。
来客は、来年の6月に吉田山で大茶会を開催したいと日中文化交流サロン岩茶房のメンバーと吉田神社の宮司夫人。秀吉の時代に北野神社の大茶会があったらしいが、それぞれのお茶を持ち寄って、「気持ち良い時間」「心地よい空間」を持ってもらおうという企画。中国茶や紅茶やハーブティなど各自がブースを出すという企画。京都市の後援について相談。なにやら面白そうなイベントですよ。
夜は、わが事務所カルチャーガーデン吉田の森で「甦る青春、30年前のタイ映画<「田舎の先生>上映運動の記録映画DVD上映会ー小川保博君を囲んでタイを語る会」。1979年始めて選挙に出た秋、タイ映画「田舎の先生」の上映運動を留学生らと企画、成功させた。その時の運動の様子を小川君が8ミリで撮影していたのをDVD化したものの上映会。上映運動に関わっていたホリチャンや当時アテレコをした元府会議員の清水達也さんやタイが好きなおじさんなど15人ほど集う。当時のわが家の座敷やほんやら洞での会議の風景やKBS京都放送にも出演してそのスタジオでの光景や当日のイタリア会館でのクロントイスラムの天使と呼ばれたプラテーィプさんや若かりしフォークシンガー古川豪に、そして髪の毛も黒々とそして髭面の30歳の「マサホ」がセピア色の映像に出てくるのだ。いやはや照れくさいね。わが青春のひとコマ。当時よく飲みに行っていた近衛の「よろずや」で遅くまでワイワイ。
●11月12日(木)
ちょっとバテ気味かな。朝のテレビでは新政権になって始まった「事業仕分け」の緊迫したやり取りが流れる。国の予算がどのように決まっていくのか、ショーを見ているようで面白い。諸事業についてどのように京都市の新年度予算にどのように反映されるのか、見守るしかない。どういうわけか熊谷府会議員もメンバーで張り切っているだろうな。
3日間京都を留守にしていると色々な手紙や資料が届いているので、資料を読んだり整理や9月市会定例会の報告の議員レポート11月号の校正など。来客は、京都市保育園連盟の補助金の不正流用した問題で、保健福祉局の担当者。結論は、6800万円を京都市の損失と認定して、当時担当していた職員らを市長厳重文書訓戒の処分したと報告に。これで一応の決着がついたのかな。
夜は、たまには家で夕飯を食べないとね。テレビを見ながらぼーとする。
●11月11日(水)
博多から広島へ。広島に降り立つのは久しぶりだ。昼飯は、もちろん名物広島焼。広島市には、子育て支援のための担当局として「こども未来局」があり、子どもの成長段階に応じた課題に対して総合的に取組む「子育て支援パワーアッププログラム」をこの3月に策定。女性の担当者から丁寧な説明を受ける。特徴的なことは、「こども施策クロスセクション」として、安全、医療、交通、食育などこどもに関係する施策を総合的に展開するという方針。出産から保育はもちろん障害児支援、いじめなどいずれも目標数値をあげて評価するという取り組みを進めようとしている。なかなか積極的な取り組みだと思った。
また昨年施行された「青少年と電子メディアとの健全な関係づくりに関する条例」について、担当者からその策定までの経過や課題について説明を受ける。この条例は、インターネットや携帯の有害情報から青少年を守る為に、行政や保護者や事業者などの責務を示し、事業者には携帯電話の販売時などにフィルタリング機能を義務付けている。色々と便利になるのはいいが、いかに電子メディアと上手に付き合うかということ。昔は有害雑誌の排除はよく問題になったが、いやはや難儀な時代だね。
広島駅で委員会のメンバーと別れて、ひとり広電に乗って八丁堀の商店街や原爆ドームを散策した後、比治山を歩く。現代美術館とマンガ図書館が出来ていた。そこに行くためであろうスカイウオークなる長い長いエスカレーターがあったのには驚いた。なんじゃこれは、という感じ。比治山には陸軍墓地や戦没慰霊の碑やNHKの鉄塔とともに、カマボコ兵舎型の放射線影響研究所がある。かってはABCCと言われた施設で、原爆投下後、アメリカが原爆が人体にどういう影響を及ぼしたのか調査するために設置された施設だ。
今は何の研究をしているのだろうか?夕焼けがきれいだった。
その後、大学生の姪っ子と久しぶりに会い夕食。韓国語を勉強しているとのこと、就活がんばりや、とエールを送る。最終ののぞみで帰京。
●11月10日(火)
鹿児島は朝から雨、新幹線とリレーつばめで博多へ。昼食の後、立派な福岡市の議会棟で教育委員会の担当者から「新しいふくおか教育計画」について教育委員会の担当者から説明を受けて質疑。福岡市教育委員会は小学校146校、中学校69校、総合支援学校8校、高校4校で12万人の児童生徒。この6月に、「あいさつ・掃除」「自学」「立志」を福岡スタンダードとして、「改革」と「共育創造」をサブタイトルとして教育計画が策定されている。どこの大都市も同じような取り組みを進めているが、「自学」は理解できるにしても、「立志」という言葉には、ちょっとびっくり。学校司書の配置事業は京都ではないね。
その後、「あいれふ」という名称の立派な建物にある福岡市健康づくりセンターの中にある、精神保健福祉分野の専門的中核機関として開所した精神保健福祉センターを視察。「あいれふ」には、立派なホールと婦人会館、中央区保健福祉センター、健康づくりセンター、健康に関する図書館などもある。この日、ロビーでは作業所の製品が販売されてまた絵画展もされていた。
担当者から説明を受けて質疑。こころの健康についての相談や知識の普及、精神障害者への社会復帰への促進や支援などを行っている。自殺対策やうつ病や引きこもりなど、メンタルヘルス、心の健康づくりは現代社会にとって必要な施策になる。また偏見もあるし、社会復帰のための場や家族の相談の場として活用されているようだ。京都では「こころの健康増進センター」が担っていることになる。
夜は、活けイカ料理でした。中州は、雨でも活気があった。定番の博多ラーメンは、食べなかったよ。
●11月9日(月)
朝8時前、八条口に。教育福祉委員会の他都市調査で伊丹から鹿児島に。南国、鹿児島は夏日、暑い暑い!市役所にて、幼児が細菌性髄膜炎に罹患しないように、鹿児島市が全国に先駆けて乳幼児に対するヒブワクチンの接種に対して一部補助を開始しているので、その経過や実績について説明を受ける。接種回数4回が必要で約3万円かかるが、一回3千円の補助がされているのだ。全国では43自治体が実施しているが、京都市会では今年3月に意見書を提出したところ。
また、子育て家庭が気軽に相談や交流できる場として、昨年4月に開館した親子つどいの広場「なかまっち」の説明を担当者から受けて、現地を視察。まちなかの自転車駐輪場との複合施設として中町にあることから「なかまっち」と名付けられた。母親と一緒に幼児が楽しそうに遊んでいる風景はいいね。屋上には芝生と砂場があり、社会福祉法人が委託で運営している。京都で言うと、こども未来館かな。若い子育て中の世代には、大事な場所になっているようだ。
視察後、議会事務局のバスで城山を案内してもらうが、桜島が噴火して煙がたなびく。また鹿児島は路面電車が走っていて、その路面には芝が引き詰めてあり、軽快なLRTも走っていてヨーロッパのまちの風景みたい。ナポリが姉妹都市。1日乗車券を購入して桜島フェリーの港や公園を散策。久しぶりに気分リフレッシュ。夕食は、他会派の委員や同行した理事者と懇談しながら、鹿児島名物黒豚のしゃぶしゃぶやさつまあげで本場のお湯割り焼酎を味わう。
●11月8日(日)
朝9時に吉田山の環境美化運動に。地元吉田の各種団体の人や、日曜日に関わらず京都市からは「まち美化推進課」職員や環境美化事業団のメンバーらが世話役。ご苦労さん。第四錦林小学校の先生方にボーイスカウトや地元の有志が100人ほど参加。毎年6月と12月の恒例の行事になっているので吉田山もそれほどゴミは落ちていない。晩秋の木漏れ日の下色付いてきた木立を、どんぐりを踏みしめながら1時間半ほどゴミ拾いがてら散策。
昼前、同志社大学の今出川キャンパスに。ホームカミングデーということで寒梅館では卒業生の交流レセプションに参加して大谷総長、八田学長等に挨拶して同世代の知人等とワインで乾杯。
午後2時からは明徳館で、ぼくが会長をしている総合政策科学研究科の同窓会「総政会」と研究科共催で田島一成環境副大臣の講演会。田島副大臣は彦根市議のとき96年に入学、総政の修了生なのだ。テーマは「政権交代と今後の日本―政策立案の展開」。ぼくが突っ込み役で司会。会場は、総政会の会員や大学の関係者、ビラを撒いたのでホームカミングデーの参加者やメールを送ったので民主党やわが友人等で150人ほどの参加者で満員。総政入学や学んだこと、選挙のことそして環境副大臣に就任前後の裏話やもっとも時間をさいて副大臣として環境問題について新政権はどう対処していくのか抱負と決意を語ってもらう。また会場からは原子力発電やエネルギー問題、また宇治の市会議員の田中美貴子さんらからも質問があり、彼のゼミの先生であった真山教授からもひとこといただいた。田島副大臣は堂々たる答弁!ええ感じや。これからを期待したいね。がんばってや。昨年はメダリストの朝原選手に講演してもらったが、今年も有意義な会になって喜んでいる。みなさん、ありがとう。
終了後、別会場で総政会の総会。ぼくは2期4年4代目会長を仰せつかっていたが勇退して顧問に。総政の事務局のみなさん、また役員のみなさん、ありがとう。夕方は、例によって懇親会。総合政策科学研究科が開講されて来年で15年、年齢も様々で実に多彩な「人財」が集っている。今後ともよろしく。いづれは生涯学習として後期博士課程に行きたいなあ。二次会には行かずに明日から他都市調査で京都を留守にするので朝方まで事務所で雑務。
●11月7日(土)
朝、浄土寺の南田公園に。かってはちびっこプールとして活用されていたところを砂場に出来ないかという提案。幼児を連れたお母さんたちや少年補導委員の方からご意見を聞く。猫や犬の糞の問題や大阪府の公園のことなど色々とお聞きする。建設局の担当者と話を詰めようか。
午後は、民主党京都府連の常任幹事会。某新聞社の記者が待ち受けているのは知事選のことかな?公務多忙なところ、厚労省の政務官の山井和則衆議院議員が京都府連の会長。政府の動きなどについて報告。京丹波町議会選挙に石黒利雄元京都市会議員を公認候補に、綾部市長選挙に民主党の推薦候補に山下澄雄市議を決める。わが同輩の石黒君の応援には行こう。がんばってよ!
知事選挙のことはこれから山田知事のマニフェストの検証をすることに。また各自治体や諸団体からの政府への要望や陳情の取り扱いについて、本部からその対応策が示されたが、要は、各都道府県の県連・府連で集約して本部に挙げるということらしい。なんや官僚的な感じがするなあ。ちょっと意見を述べる。まあ様子見かな。それから再来年の統一地方選挙に向けての候補者擁立ガイドラインの最終答申を確認。定数3名以上のところは複数擁立を目指す、ということ。党勢の拡大は当然だが、色々とひと悶着するだろうな。
その後、ドイツから20数年ぶりに帰国したというピアニストの方の相談、また左京区は今にも崩れかかった無人の建物の管理について相談ごと。
夕方、近くの真如堂の「お十夜」に。静かな境内にカーン、カーンと金属的な音が響く。「十日十夜別時念仏会」というらしい。真如堂では、11月5日から15日にかけて修せられ、毎夜6時半から、講員が8つの音階の違う直径約30センチの鉦(かね)を打つて阿弥陀仏を念ずるのだ。近くの知人等が一心不乱にテンポを変えて「かね」を打ち続ける。腕が痛くなるやろな。難しいと思うよ。15日には結願大法要も営まれ甘酒やおでんの店も出るよ。テレビニュースでは日本ハムに巨人が勝って7年ぶりに日本一に。楽天が出てたら面白かったのにな。
●11月6日(金)
朝10時に西京極体育館での精神障害者スポーツ大会に。実行委員長は元市会議員の砂川祐司さん。市会の教育福祉委員会委員として列席。砂川さんとは久しぶりの再会。お元気で何より。本会議での砂川さんの演説は楽しかった。今年は新型インフルエンザの影響で参加を見送ったグループもあったようだが、600人の参加者。ラジオ体操で体をほぐした後、パン食い競争などが行われた。西京極まで来たので市役所OBの体育協会の草川さんに挨拶して、さらに近くの共同作業所「加音」に立ち寄ってスタッフや利用者を激励。
昼過ぎ、京都青年団体会議のメンバーが来年2月に予定しているイベントのことで相談に。京都の色々な青年団体が一同に集まってみやこめっせで面白いことを企画中。京都迎賓館の公開のことなども話題になる。
午後は、11月27日に予定している民主党京都府連の躍進パーティのチケットの購入をお願いするべく動く。何しろ3年に一度の資金集めの2万円のチケットで割り当てがあり苦しいのだ。無理を言います。今後の民主党のためによろしくお願いしますよ。とあるところでは、同志社大学の山岳部OBの方で話が盛り上がる。ぼくは大学入学して3ヶ月ほど山岳部に入っていた。岩登りのセンスがなくてよく滑落しかけたので、辞めた。というより、ベ平連運動に参加し始めてそっちを選択したのだ。山岳部のままだったらどこかで落ちていたか、遭難死してたかな。
夕方は、生涯教育研究所の富士谷あつ子さんを尋ねる。彼女は鴨沂高校の大先輩で生涯教育や女性学の先達者。過日の日本ペンクラブ京都例会で久しぶりに出会った。新東山文化創生のこと、「女たちが語る平家物語の愛と別れ」のイベントのこと、来年秋に予定されている「環境と文学」のシンポジウムのことなど色々とお話を聞く。まだまだお元気だ。「アラ還」がこれからがんばらないといけないのよ!と叱咤激励された気分。
●11月5日(木)
午前10時、教育福祉員会の委員として、礼服に白いネクタイで生涯学習センターアスニーでの教育功労者表彰式へ。教育や学術文化振興に寄与した個人や団体への表彰式。友人知人では、巣立ちのネットワーク代表の鈴鹿且久さんや図書館友の会「けやき」や同志社の黒木副学長らが個人34名、学校を含む27団体が表彰され、また勤続30年の教職員と事務員、また勤続20年の学校医、歯科医の先生方も表彰された。式典の後は、各グループごとに記念撮影。勤続30年の教員には久しぶりに会う教員の友人がいて声をかける。ご苦労さんでした。終了後、館内につい先日リニュアルオープンした平安京創生館を見学。平安京の復元模型や平安時代の食事なども展示してあって面白いよ。
その後、事務所に戻ってひたすら雑務。9月市会の資料や送られて冊子やミニコミに目を通す。そして9月市会の報告を市民派議員レポートに書くべくパソコンに向かう。ところで、過日紛失した大事な手帳のことだが、もう諦めていたが、実は発見されたのだ。11月3日の日に京都市会の「親子ふれあい議場見学会」が開催されたのだが、そのときに見学に来ていた人が委員会室に置いてあったぼくの手帳を見つけてくれて、市会事務局の職員に手渡してくれた。感謝感激!御礼をしないかんな。ほんまによかった!スケジュール表に色々な日程を書き写す。
●11月4日(水)
昼、自治労京都市職員労組の定期大会の冒頭の市長の挨拶と橋元委員長の挨拶のときだけ参加、すぐに退席して新幹線で一路岡山へ。岡山電気鉄道の路面電車のLRTはMOMOに乗りたかったが、あいにく車庫で点検中ということで、岡山市議会棟へ。
市民ネットの羽場頼三郎市議の紹介で都市整備局街路交通課公共交通の担当者から策定したての「岡山市都市交通戦略」について概要をお聞きする。岡山は名園後楽園があり、人口70万人となって今年4月に18番目の政令指定都市に移行したが。「水と緑が魅せる心豊かな庭園都市」を都市理念にして、充実した交通ネットワークと利用しやすい公共交通と、歩いて楽しい都心空間の創生―トラフィクゾーンの構築を目指して、この10月に戦略が策定された。公共交通は市営のバスや電車はなくて、民間の事業者が担っているが、その連携やパーク・アンド・バスライドやサイクル・アンド・バスライド、また自転車利用環境の改善や快適な歩行空間の整備など諸施策を進めようとするもの。色々と質疑もする。
京都市では『「歩くまち・京都」交通まちづくりプラン』(京都市TDM施策総合計画)が策定され、現在さらに「歩くまち・京都」総合交通戦略が策定のための審議会が開催中だが、岡山の事例も参考になる。ぼくは2004年の9月市会で京都の交通政策について様々な視点で提起をしているが、いづれ本会議で再度取り上げるよ。担当者は再読しといてや。
夕方は、政令指定都市政策協議会の会長の名古屋市会の奥村市議、幹事長の川崎市議の雨笠議員と合流して、ぼくは副会長ということで岡山市議会の民主党の羽場議員らと懇談会。政令指定都市が抱える課題について色々と論議。ぜひ加入をして欲しいということ。名古屋の河村市長が色々とぶち上げていることが話題になった。
羽場市議とは革新議員連盟からの長い付き合いで、余談だが、奥さんは大学が京都で、かってベ平連時代の「週刊アンポ」にイラストを描いてくれて若くして亡くなったメンバーの湊谷君の奥さんが友人ということが判明。びっくりしたよ。
9時過ぎの新幹線で11時過ぎに帰京。事務所には、インフルエンザ流行発生警報の発令の報告。
●11月3日(火)
文化の日。10時過ぎ、東九条は陶化中学校での東九条マダンに。今年で第17回目になった。校庭には在日の韓国・朝鮮人や障害者グループのチジミや焼きそばや物販の模擬店などが並び、グランドの真ん中では吹奏楽部の演奏やサムルノリなど色々な出し物があり、秋空の下で交流が繰り広げられる。毎年、ここで再会する友人もいて楽しい。多文化共生のまちづくりの「マダン(ひろば)」だ。昨夜の雨もあがり天候に恵まれて多くの人で賑わっていた。
昼、京都沖縄ファン倶楽部・京都沖縄県人会主催の京都沖縄フェスタに。京阪三条の檀王法林寺の本殿の前が会場。ちょっと寒かった。ゆっくり島唄やエイサーなど堪能したかったが、1時前には退席。
市原は知的障害者の施設「わかば」に立ち寄り、鞍馬街道を抜けて花背へ。峠はなんと3度。日陰には雪が積もってるよ。早い初雪、北山はもう冬。
峠を越えたところでの京都市は花背の別所地区の簡易水道の竣工式。東京からとんぼ返りした門川市長もいつものように着物姿で挨拶。市内の水道未普及地区への水道施設の整備が始まったのは13年ほど前か。静原、鞍馬、久多、百井、広河原・花背と順次整備が出来てきてようやく最後の別所地区は着工以来2年の歳月で竣工した。急速ろ過方式で遠隔監視装置によって運転状況が監視されることになる。浄水場前の広場で式典のあとの通水式はボタンを押すと噴水のように水が吹き出る仕組み。そして水で乾杯。帰途、峠の温度計は2度だった。寒いはずや。夜は吉田神社での剣鉾の練習に顔を出すも、寒さのせいか体が動かないので見学のみ。
●11月2日(月)
10時過ぎ、民主・都みらい議員団室に連合京都の木村幹雄前会長と細田一三新会長と西村事務局長らが就任の挨拶に。結成20年、新たな会長のもとでの船出。民主党への支援よろしく頼みますよ。
午後は、教育福祉委員会の委員として保健協議会役員勤続功労者及び地域住民献血組織表彰式に。多年にわたり地域住民の保健衛生、生活環境の向上に尽力された人や献血活動を推進してこられた人が表彰される。何人かの知り合いが表彰されていた。これらの表彰式に出席するのも市会議員の任務なのだ。
その後、この間市民から相談を受けていた諸般の案件の解決のために左京土木事務所に。先の決算委員会でも指摘したが、岡崎周辺の道路にはド根性雑草!が生えているので、それらの刈り取りと清掃も要望。また私道に穴があいている箇所の整備のために簡易舗装の袋を積む。帰途左京保健所に立ち寄り、精神障害者のケアのことで相談に。
夕方、木枯らし一号とかで風雨が強い中、とある飲み屋で同世代の労働運動をやってきた友人等と一献傾ける。若い頃の活動のことや地域の活性化や情報技術のこと、還暦後の人生など話題はことかかない。美味い酒に美味い料理に親しい友、ちょっと飲み過ぎたかな。
●11月1日(日)
一年は早い。今日からもう11月だ。午前中は、娘が世話になったペスタロッチ保育園のバザー。糸井園長が勇退して明石園長に。卒園児の親らと久しぶりに会う。それから京都市美術館は、動物園前にある収蔵庫の上のテラスでのMUZOO=GAFEに。ぼくはコヒーが苦手なのでジュースと「ペンギンのえさ」オイルサーデンのサンドイッチを食べながら未来まちづくり100人委員会の「岡崎ホールディンス」チームのメンバーと懇談。秋の風に吹かれてのええ感じ。
昼前、前原誠司後援会拡大役員会に。選挙を応援した各後援会の役員のみんさんが勢揃いして熱気に溢れる。就任後初めてのお国入りだ。小林祥一連合会会長は感慨無量の挨拶。ぼくも壇上に上がって、彼が府会議員から日本新党で初当選の応援からの付き合いで、彼が「天命」と昔から色紙に書いていたのを記憶しているが、今まさにその境地ではないかとぼくは思っている、という趣旨の挨拶をする。その後、大臣のスピーチ。選挙当選のお礼から大臣就任までのお礼から始まって、国政報告会や演説会でみなさんに約束してきたことをやりきるのが使命だと決意を語り、またハブに対してマングース発言の森田健作知事のエピソードなども交えると会場は沸いた。その後、各後援会の紹介があったが実に多彩な人たちが応援団だ。さあ、これからの国会の委員会での答弁など注目しよう。ともあれ「天命」としてがんばるのみだよ!
2時前に会場を後にして、宝ヶ池地域の環境を守る会の上高野の葬儀場に反対する集会に。過日、建築審査会の不服審査も却下され、また建物が完成して、すでに地域に業者は宣伝ビラを撒いているようだが、ここはまだまだ踏ん張りどころ。この間の経過の説明や下鴨や西京区は樫原での葬儀場計画に反対しているグループの方も来られて意見交流。京都市は「葬祭場の建築等に関する指導要綱」では事業主に対し市長との事前協議義務や周辺関係住民等への周知、隣地境界線から4メートル以上とすること等の建築計画上の措置義務など記しているが、床面積が100平方以下の場合には適用除外になっていて、今回の計画は延べ面積を99.73平方ということで計画された。近隣住民に説明もせず、その強引なやり方にはぼくも心底腹が立っているのだ。単に建築基準法上の建物だけの問題ではなくて、市民感情などにも配慮した葬儀場建設に関わる法律や条例の制定が急がれるとぼくは思っている。夜は久しぶりに家でゆっくりテレビで映画観戦。 |
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